屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第二話 七章

 ドロテー夫人の顔は未だに僅かな笑みを湛えており、その心情を推し量ることは難しかった。

 そのままの表情で、柔らかく訊き返す夫人。

 

「…何か誤解をなされているのではありません?私があの男達に指示を与えていたなど…断じてありませんわ」

「そうですか?色々と不自然な点があったんですが。あの男達がどうやってこの地下へ繋がる穴まで辿り着いたのかとか、そもそも宿を出た俺達をなぜあのタイミングで襲撃出来たのか、とか」

 

 俺が地下への穴を発見した時間帯は真っ暗で、ランプの光が届く範囲外は何も見えなかったはずだ。

 男達が覗き見していたとすればある程度の距離まで近付かなければならなかったはずだが、それにしては男達が地下道へ侵入してきた時間が遅すぎる。わざわざ俺達を先に進ませて追いかけるよりも、穴を発見した時点で俺達を拘束して一緒に進んでいった方が利口なのは明らかだ。

 

「―――つまり、男達は地下道の出現から多少の時間が経った後でここに来た。暗闇の中で屋敷の門からこの木の根元まで案内した人間は、一人しか居ません」

「…あらかじめ男達の仲間がもう一人屋敷の中に忍び込み、屋根の上から盗み見ていた可能性もあるかと思いますが」

「それならば、夫人、あなたは最低でも縛り上げられるか昏倒させられていなければおかしい。ここで見張りをしていたあなたが無関係なら、無事でいられるのは不自然過ぎるんですよ」

 

今にして思えば、不審な点は幾つもあった。ついさっき夫人と男達がすれ違った時も、普通なら夫人を人質に取ってもおかしくなかったはずだが、男達はそんな素振りすら見せていなかった。

夫人も、もう言い逃れ出来ないと悟ったのだろう。その微笑みには哀愁と疲労の色が新たに浮かび、脱力した様にその場にへたり込んでしまった。

 

「…何故、こんな矛盾した事を…」

 

一方では錬金術師を集めて遺産を見つけさせ、一方では人を使って遺産の発見を阻止させる。

どうしてそんな相反する行動を取ったのか、そればかりはどれだけ考えても解らない。

もう、夫人の口から直接聞く以外に方法は無かった。但し、「夫人自身の過去に何か関係があるのではないか」という事は、根拠は無いながらも予想が立った。

 

「…最初は、本当に遺産を見つけたいと思っていたのです。ですが、…ある時から急に怖くなってしまって…」

「怖くなった…?」

 

 夫人がぽつぽつと語り出したのはやはり、死んだ夫との出逢いの頃の話だった。

 

「…私は元々東部の少数民族の生まれです。三十数年前にアメストリス側が私たちの村に侵攻し、戦火に巻き込まれてそのまま私の故郷は消えました」

「その時に…?」

「ええ。生きてゆく為に体を売って金を稼いでいた私は娼館であの人と出逢いました。彼が私に何を見出したのかは今でも分かりません。…でも、あの人は高額を出して私を身請けさせ、教養を叩き込んで下さった上に結婚まで…」

 

 その後、ドロテー夫人と退役した夫はこの町に移住し、事業が成功した事による金で今の生活とこの大屋敷を手に入れた…という事らしい。

 しかし、この話では「遺産の発見に対する恐怖」の理由は全く無い様に思える。

 そう疑問を呈すると、夫人はその顔に未だ湛えている哀しい微笑みを更に強め、何かを思い出すかの様に土の付いた手に目を落とす。

「結局、あの人は私のどこを愛していたのか、そもそも私を愛していたのか、それすらも言ってくれた事は無かった…。遺産なんて嘘で本当は何もないのかも知れない、あったとしても、私にとってそれを見つける事が幸せな事なのか……。私は怖くなったのですわ…あの人が同情から私を『手に入れた』のではないか、あの人は最初から、私になど微塵も心を許してはいなかったのでは、と」

「…それなら、錬金術師の募集を止めれば良かったんじゃ無いですか?探そうとする者が居なければ…」

 

 ちらっと顔を上げ、俺を見た夫人。その目は俺に対し、複雑な感情を持っている様に見えた。

 

「私から術師の方を募るのはもう止めておりましたわ。ですが、一度広まった話はもうどうしようもなくて…。断れば怪しまれるので、仕方なく招き入れてはおりましたの。遺産の発見に近づいた場合は、最悪、あの者達を使って手を引かせれば良いと思っておりましたし」

 

 すっかり老け込んで小さくなった背中を丸める夫人を見下ろしながら、何とも言えない感情が俺の中に渦巻いた。

 それは共感でもあり、憐憫でもあり、苛立ちでもあった。だが不思議な事に、俺が言葉に乗せて夫人にぶつけたのは純化された一つの思いのみ。

 

「…あなたは、夫が信じられないと、そう言いたいんですか?」

「…そういう事になりますわね。恐らくは」

「それは、違うんじゃないですか」

 

 苛立ちがありありと表れた声は、自分でも異常だと思うほどの冷淡さだった。

 

「どうしてあなたは全てを人に任せているんですか?遺産は誰かに探させて、それを阻止するのも他人にやらせて。夫の意思を確認するのも自分では出来ずにずっと待っていただけだ。挙句の果てに死んでしまってるんだからもう、どうしようもありませんね」

「……」

 

 無言で俯く夫人。その態度が更に俺の苛立ちを呼び起こし、いよいよ口調は厳しくなっていった。

 

「あなたは仮にも結婚したはずだ。一人で悩んで、確かめもせずに自分で答えを作り出して、根拠の無い思い込みに縋って自嘲して分かった風な気分になってるだけです。あなたが信じられないのはあなた自身だ。自分に何も無いから、そんな自分と結婚してくれた男の事が信じられない、ただそれだけです」

「あんちゃん…」

 

 カミルが袖を引っ張るが、一度言い出した言葉は止まってくれない。

 

「そんな自分を慰める為の自嘲は自分一人でやって下さい。個人でするのは勝手ですが、それに巻き込まれて俺達は危うく死ぬ所だった!あんたのうじうじした気分で殺されるなんて冗談じゃない!今までにも散々錬金術師を葬ってきたんでしょう!?それをあんたはずっと―――」

「おい!あんちゃん!!」

 

 強引に俺を遮ったのは、さっきまで袖を引いていたはずのカミルだった。無理矢理肩を掴んで俺がカミルと対面する事を強いる。

 咄嗟に言い返そうとした俺だったが、薄汚れたカミルの顔、その瞳が訴える言外の意思に気圧されて言葉を失う。

 険しい表情の中にありながら、カミルの瞳の中にはただひたすらに優しいものが宿っていた。怒りや厳しさなど微塵も無い、完全な優しさが。

 ―――どうして。

 その疑問はカミルに向けられたものでは無い。

 何故、俺はここまで夫人にきつく当たってしまったのか。冷静になった今、その理由は考えるまでも無く把握する事が出来た。

 

「…やめなよ、あんちゃん。そんな事はこの人だって解ってるよ。解ってても、でもどうしようもないんだ、多分」

 

 悲しげに微笑し、カミルは俺に言った。

 

「俺達もだよ。俺達だって、どうしようもなくなる。解ってるのに解りたくない事があるよ。だから、…一緒なんだ」

 

 ―――ああ、そうか。

 俺は重ねていたのだ。目の前の老いた女性と自分自身を。

そして、それ故に認めたくなかったのだろう。「伝わらない愛情」の存在を。ともすればその葛藤は、俺に降りかかって来るかも知れないという事実も。

俺も、カミルも、誰だって夫人と同じ行動を取りうる。本当に誰だって。例外は無いだろう。ただそれが顕在化するかしないか、その差異しかない。

 だから俺は苛ついた。地に座り込んで惨めに自嘲する姿を見る事で、その先にある「折れてしまった自分」までも見ている様な気がして。

溜息にも似た音を出して、暖まってきた瑞々しい空気を取り入れる。

 

「…夫人。すみません。少し言い過ぎました」

 

 その場で頭を下げて謝罪すると、ドロテー夫人は慌てた様子で俺に頭を上げるよう促した。

 

「そんな、謝るのは私の方ですわ。あなた方に危害を加えてしまったのですから」

 

 申し訳無さそうに謝り返す夫人の顔の前に、手を差し出す。

 不思議そうに俺の手を眺める夫人。少しの笑みと共に、しゃがみ込んで汚れた夫人の手を取る。

 

「ついて来て貰いますよ、遺産の所まで。何も変わらないかも知れないですが、俺達も一緒に行きます。だから見ましょう。あなたは一体、何を遺されたのか」

「ですが、先ほど行き止まりだったと…」

「そうだよあんちゃん、あれ以上先には行けないだろ?」

 

 地面のランプを取り上げて、穴の中をもう一度照らす。そのまま振り返らずに、夫人の手を引いて俺は穴を下っていった。

 

「…まあ、取り敢えず行こう」

 

 

 

 

 ドロテー夫人を加えた俺達三人は、再び暗黒の中を進んでいた。一度行っている道なので迷いも怖がりもしないが、初めて入った事になる夫人は俺の手を握ったまま不安そうに歩を進めている。

 

「あんちゃんさ、遺産が見つかった時の分け前の話なんだけど」

「…見つかってからにしろよ」

「駄目だって。こういうのは事前に決めとかないと十中八九後で揉めるんだ。あんちゃんだって、数か月で旅の資金が無くなる事ぐらい自覚してるだろ?」

 

 適当に聞き流そうとしていた俺は、いきなりカミルが予想外の事を言い当ててきた事実にぎょっとし、疑いの目で睨み付けた。

 

「…財布の中身、いつ見たんだ」

「最初に荷物を置き引きして逃げてる時に。百万センズも入ってなかったよね?あんちゃんは金を分けて持っとくなんて事考えてないだろうし、あれが全財産なんでしょ?」

「お前全速力で走ってたじゃねえか!?」

「盗んだ物の価値をすぐに判断できないと咄嗟に捨てられないだろ?基本技能だよ」

 

 一体こいつはずる賢いのか腕が立つのか、いよいよ判断が付かなくなってきた。眉間を押さえて頭痛を何とか和らげる。

 

「何割要求する気だ」

「うーん…普通なら半々だよね。でもあんちゃんの力が無きゃそもそも辿り着けなかった訳だし、そうだな、あんちゃんが受け取った金額の三割を俺に渡してくれりゃあ良いよ」

「何かまだ騙されてる気がするんだよな…。裏があるんじゃねえのか?」

「じゃあ四割にしてあげる」

「………三割で頼む」

 

 一度目は最奥への到達までかなりの時間がかかっていた様に思えた地下道だったが、今回は体感で言えば半分程度の時間で到着する事が出来た。

 俺が気にしていた、最奥部の壁とその反対側、この一部分だけ規則的に配置された棘の飛び出る穴。

 ランプの光を隅々まで届かせ、また壁を触って質感を確かめ、穴の配置の意味を考える。

 

「…あんちゃん、ここからどうするんだ…?」

「ああ。やる事は大体分かったさ。―――ここで、錬金術を発動させる」

「え!?」

 

 いまいち事情の呑み込めていない夫人を尻目に、さっさと手を打ち合わせて錬成しようとする俺を、青ざめた顔のカミルが止めに入った。

 

「錬金術はまずいって!罠が発動するだろ!?」

「そうだ。罠が発動して棘が飛び出る、それでいい。幸い、穴と穴の間に片方の手の平を触れさせるほどの間隔は空いてる。無傷で罠を発動させられるはずだ…、恐らく、この規則的配列が採用されている部分、全ての穴から一気に棘が飛び出す」

 

 渋い顔をしたままのカミルと夫人を後方に下がらせ、両手を合わせて錬成の前段階に入る。

 無論、棘の飛び出てくるであろう穴の延長線上に体があっては串刺しになるだけだ。罠のある方の壁に背を付け、右手の平のみが規則的な配列の穴の範囲内に入るように位置を微調整した。

 一度、息を深く吸い、一気に穴と穴の間の小さなスペースに手を叩き付けた。

 すぐに掻き消える青い光。それから一瞬遅れて、俺の右手が僅かな振動を感じ取った。

 穴の奥から吹き出す微風。それを俺の右手小指が受けた時には既に、十数本の細長い棘が恐るべき速度で反対側の壁を突き刺していた。

 

「―――あんちゃん!!大丈夫!?……って、ドロテーさんも!?」

「ああ…何ですか、今のは…。ああっ…」

 

 罠の勢いと棘の恐ろしさをいきなり目の当たりにしたせいだろう。夫人は腰を抜かし、その場に尻餅をついてしまっていた。

 頬から顎に、一筋の汗が伝って落ちた。仮定が間違っていたら確実に死んでいただろう。 改めてその事実を自覚し、鳥肌を立てながら壁に押し付けていた右手をさする。

カミルと二人で夫人を抱え起こすと、胸の辺りを押さえながら夫人は立ち上がり、ランプの光に煌めく銀色の棘を見やった。

 

「あれが『罠』…。ですが、罠を発動させてどうなさるおつもりですの?壁に突き刺さっただけの様ですが」

「少し見ていて下さい」

 

 黙ったまま数秒待つと、不意に棘が出てきた時と同じ速度で穴に納まっていった。

そして、それに呼応するかの如きタイミングで棘に刺された側の壁が鳴り、亀裂を生じ始めたのだ。

 

「あんちゃん、これは…!?」

「今さっき飛び出た棘は、他の部分とは役割が違ったんだ。侵入者排除の罠じゃない…」

 

 そう話す俺の目の前で、大きな音と共に壁が崩れ出す。

 

「わざと脆く造って塗り込めた壁が棘によって破壊される…。罠は同時に『鍵』でもあったんだよ」

 

 規則的に配された穴の意味はこれだったのだ。壁の中で構造上、全体を支えている部位を二次元的にピンポイントで破壊する為に計算された配置。

 このギミックだけでも、これを造った錬金術師の技量の高さが十分に伺えた。

 少しの埃とそれなりの量の瓦礫が撒き散らされた後、単なる壁のあった場所には、先ほどまでは影も形も無かった横穴がぽっかりと口を開けている。

 真っ暗なその中へまず俺が入り、続いてカミル、最後に夫人が踏み入った。

 どれほどまで先に進まなければいけないのかと思っていた俺だったが、横穴の長さは十歩程度しか無く、すぐに奥へと突き当たってしまった。

 しかし、行き当たったのは壁では無く、これまた短か目の階段。

 それを登り、頭すれすれの位置にある天井をランプの光で照らし出す。と同時に、後ろにいた二人が何かに気付いたらしく声を上げた。

 

「…これは、何の鍵でしょうか?」

「鍵?あ、ほんとだ。あんちゃん、壁のフックに鍵が付いてるよ」

 

 ランプを高く掲げたまま振り向く。

 ドロテー夫人が手に取っていたのは、小さな真鍮の鍵だった。確かに横の壁にフックが取り付けてあり、そこに掛けられていたのだろう。

 

「鍵ですか…。何処かの―――痛てっ!」

 

 少し姿勢を変えたせいで、頭頂部が天井に当たってしまった。頭の痛みを我慢しながら手で打ち付けた部分に触れると、湿った木材の質感が指に伝わった。

 

「ん?」

 

 そのまま手で押し上げると、予想以上に天井が上がっていく。この段になり、俺はこの部分が跳ね上げ式の扉になっている事に気付いた。

 今さっき夫人が見つけた鍵をここで使うのか、とも思ったが、最早扉は三十度ほども上に押し上がっている。ここに錠は取り付けられていないのだろう。だが、扉はどんどんと重くなってくる。

 

「…カミル、手伝え!この扉を上げろ!」

 

 駆け寄ったカミルと共に力を込め、一気に扉を押し上げきった。

 

「ふう…。―――あれ、ここは?」

「部屋、だろうな…。さっきの階段、地下から地上に上がる為のものだったんだろ」

 

 今までの地下空間とは異なり、湿った空気が感じられない。その為にここが地上の室内だという事は分かるのだが、ここもまた真っ暗闇であった。

 

「夫人、上がって来て下さい。暗いので気を付けて」

 

 ランプの明かりを頼りに周囲の状況を調べていると、壁際にスイッチの様な物が取り付けられている。

 ―――地上の室内なら、電気が通っててもおかしくないな。

 手を伸ばし、人差し指の腹で棒状のそれを弾き上げる。

 

「―――ッ!?」

「うわっ!?眩しいな、何!?」

 

 いきなり裸電球が点灯し、俺達三人は目を覆って俯く。

 ようやくして明順応がなされた頃、俺は周りを見回して室内を不足無く把握する事が出来た。

 ―――これは…。

 窓の無い、空気の淀んだ小さめの部屋。その中にあった物体はたったの三つだけだった。

 布を被せられた何かと、小型の事務机。そして―――

 

「―――あんちゃん!金庫だ!」

 

 艶消しの黒で塗られた、肩ほどの高さもある金庫だった。


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