屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第二話 六章

 俺達と対峙した三人組の男達は、おもむろに懐からナイフを取り出して構えた。素手で戦って負けた過去から、きっちりと学習しているらしい。

 ますます俺達二人がただで済む可能性は低くなった。唇を舐め、男達の目をゆっくりと見回す。

 

「…お前ら、ここで俺達とまた喧嘩するのは最悪の決断だぞ。壁を見てみろ、下手すりゃ全員死ぬ事になる」

「…は?壁?何を言ってるのかな?」

 

 真ん中に居るリーダー格の男が怪訝そうに聞き返し、目線だけを素早く両脇の壁に走らせる。

 予想通り片方の壁に空いている不規則な穴の存在に気付いた様で、男の黒目は何度か穴を見返しているのが確認できた。

 

「穴が空いてるだろ?その穴は何の目的の為にあるか、分かってるのか?」

「………何が言いたい」

「『何が言いたい』?その穴がお前らを殺すって、そう言いたいんだよ」

 

 口角を意識的に上げ、にやついた笑いを見せつける俺。その実、心の中では不安が渦巻いていた。

 大丈夫、乗り切れる、と自分に言い聞かせ、顎で壁を示して再度喋りだす。

 

「その穴は侵入者が無茶苦茶しない為の罠だ。俺達二人はさっき一度発動させて危うく死ぬ所だった。だから言ってるんだよ」

「無茶苦茶やって死にかけたのは、ただ単に君達が間抜けだったからだろう?」

 

 両脇に控えていた二人の男がにじり寄って来た。このままだとなし崩し的にまた戦闘する事になるだろう。そして、決着は見えている。

 手汗がどんどんと滲み出る。動悸が収まらない。ランプの光を反射しているナイフが、否応無く視界に飛び込んでくる。

 

「お前らが―――、お前らが、その間抜けにならない保証はあるのか?」

「ふん。君達が何をしたのか知らないが―――」

 

 そこまで言いかけ、男が急に口をつぐむ。ようやく俺の言わんとしている事に気づいた様だ。

 眉間に皺を寄せ、忌々しげに俺を睨み付ける。

 

「……何をした。罠の発動条件は何だ?」

「素直に言うと思うか?」

 

 男達は錬金術によって棘が突き出してきた事を知らない。今、目の前に居る男は頭を回転させて俺の言葉の信憑性を吟味しているはずだ。

 穴が開いているのは事実。罠が存在するか否かは定かでない。この錬金術師は何をして罠を発動させたのか。その行動を知らないこちら側にはどんな不利があるか。そもそも、全て嘘だという可能性は無いのか。

 そんな事を、考えているのだろう。俺はこの男の心が手に取るように解る。根拠は無いが、なぜかそう確信できた。

 揺らいでいる。自らの目的が、予想外の危険によって。真っ暗闇の地下道を見て、中に入ろうという決意が鈍ってしまう様に。

 俺の攻めていける点、上に行ける可能性はそこしか無い。

 

「…君はこの場で、それをネタに手を引かせる気かい?」

「ひどい言い方だな。何も脅してる訳じゃない。ただ、『もしかしたら運悪く罠にかかるかも知れない』って忠告してやってるだけだ」

 

俺の微笑みは、男達に一体如何なる印象を与えたのか。

無論、俺はこんな程度の心理的揺さぶりでこの場を納められるとは最初から考えていなかった。

最低でも、罠の発動する所をこいつらに見せなければ交渉にならないはずだ。後は、罠から突き出す棘をいつ、どういうタイミングで見せ付けるか。

最も効果的な一瞬を見つけなければならない。男達の戦意を最も削げる、一瞬を。

 中央の男を注意深く見ていると、不意に左脇の部下らしき男に横目で合図の様な視線の絡ませ方をした。二者の間ではそれだけで伝達になったようで、部下の男が俺の方へゆっくりと距離を詰めてきた。

 一気に俺の全身の汗腺から汗が噴き出す。早くこいつらを止める為に、罠を発動させて見せないといけない。

 俺と男との距離はもう数歩分も離れてはいない。一歩踏み込まれれば振るわれたナイフの先が当たってしまう近さだ。

 この後に起こる事を想像し、緊張のあまり無意識に息を止めてしまう。光る刃先、伸びる影、自分自身の息遣いまでもが注意を奪い、俺の緊張を高める要因になっていた。

 痛いほどの静寂。

 それを破ったのは、リーダー格の男の刺す様な鋭い声だった。

 

「やれ!!」

 

 反射的に身をのけ反らせた俺の眼前を銀色の閃光が掠めたのは、その言葉が終わるか終らないかという頃だった。

 のけ反った勢いのまま後ろへ数歩下がった俺だったが、即座にナイフの突きによる追撃が主に俺の顔を狙って飛んで来る。

 必死で目を開け続けてナイフを持った腕の軌道を逸らしていく俺だったが、ただの拳と刃物では恐怖感や殺傷力がまるで比較にならない。

 どうしても思考が鈍り、本能的な回避行動しか取れなくなった俺の肩や耳を、何度か刃が浅く切り裂いていく。

 傷口が熱い。いつの間にか恐怖によって目を細めてしまっている。

 

「あんちゃん!!」

「おっと!!援軍はさせないよ!」

 

 カミルが俺の援護をしようとして残りの二人に阻まれたらしい。だが、それを一々確認している余裕など今の俺には皆無だ。

 後退に次ぐ後退で、遂に俺の背中が奥の壁に触れてしまった。これ以上後退する事は出来ない。

 となると横からすり抜けるしか無いが、今度は残りの二人のどちらかから挟み撃ちに遭ってしまうだろう。

 ―――ここだな…!

 突き出されたナイフを何とかもう一度回避する。奥の壁に突き刺さった刃を男が抜いている間に側面に回り込み、棘の飛び出す穴と自分の体の間に、男の体があるような状況を作り上げた。

 左側の壁に背中を押し付ける。罠を発動させるのは必要だが、棘に串刺しになって男が死ぬなんて事は絶対に避けたかった。

 男の体越しに穴の位置を確認し、どうすれば死なない程度に恐怖を与えられるか、位置取りを確認する。

 やっと抜き取れたナイフを構える男の後ろには、規則的な間隔で空く穴。もう一度突撃されない内に済ませてしまおう、と手を合わせて錬成しようとした時、視覚と思考に集中しきっていた為だろうか、俺の足がもつれてあっという間に尻餅をついてしまった。

 ―――やばっ…!?

 勝利を確信した笑みを浮かべて迫る男。その手のナイフは冷たく光り、対して俺の頭は真っ白になっていた。

 錬成しなければ。棘でこいつを刺せれば。だが、既に想定していた位置取りからは大きく外れてしまっていた。

 倒れた時に地面を付き、擦り剥いて血だらけの掌を胸の前に持ってくる。最早一々考えてなどいなかった。

 膝を曲げ、両手を合わせてすぐそばの壁に叩きつける。この地下道に入ってから二度目の錬成だ。

 もちろん、一瞬だけ発生した錬成光はすぐに打ち消される。光が消えた瞬間を見計らい、俺は曲げていた膝をばねの様に一気に伸ばして後ろに跳び退る。

 もし。

 もし、その回避行動を取っていなければ、俺の手は串刺しになって悲鳴を上げていたのかも知れない。

 だが、代わりに叫ぶ羽目になったのは、俺を襲おうとしていた男の方だった。

 

「うっ…ぐああああああああああああああ!?」

 

 野太い呻きと少し高い叫びの入り交じった、聞くだけで顔をしかめてしまいたくなる声が地下道を駆け巡り、反響する。

至近距離にいた俺は耳障りな声をもろに鼓膜にぶつけられ、思わず目を瞑ってしまった。

悲鳴が収まった頃に恐る恐る薄目を開けた俺が見たのは、取り落としたナイフを拾おうともせずに膝立ちでうずくまる体格の良い男の姿。

そして、高速で突き出た槍の様な棘により壁に縫い付けられた右手だった。

 

「ひっ…うあっ…た、助けてくれぇ…!抜いてくれぇ…!!」

「罠…!?それが罠なのか!?」

 

 カミルの前に立ち塞がっていたリーダー格の男が、恐怖と焦りがありありと浮かんだ顔で唸った。半信半疑だった罠の存在が、最悪の形で証明されてしまったのだ。当然の反応だろう。

 もう一度、貫かれて血が噴き出した男の手を見やる。少しどろっとした赤色の液体がしたたり落ち、皮一枚で辛うじて繋がっていた薬指と小指が自重によってゆっくりと地面に落ちた。

 誰も喋らない。まさに自分自身の指が切断されたはずの男を含め、その場の全員が呻き声一つ漏らさずに地面の指を眺めていた。

 

「―――どうするんだ?」

 

 まず最初にそう言い放ったのは、他ならぬ俺であった。

 もうこのタイミングをおいて次は無い。誰もが放心状態な今、畳み掛けなければいけない。

 ―――追い詰めろ。押し返せ。勝て。

 自らの内なる声に突き動かされるまま、どんどんと語気を強めてまくし立てる。

 

「どうするんだ!?罠は事実、お前達の仲間の指が飛んだのも事実!良く考えなくても解るだろう!?お前達はもう勝てない!!この地下道の全域に穴は空いている!ここにいる限りお前達の命は俺の思うままだ!こいつの様に指を千切られて足ももがれて、泣き叫びながら串刺しになって死にたいか!?それとも素直に手を引いて全員ここから生きて出るか!二つに一つだ、どっちかしか選ばせねえぞ!お前が選べ、リーダーだろう!?さあ!どうする!?」

 

 よくもここまで舌が回るものだ。情報を立て続けに流し込み、考える時間は与えない。俺の作戦が上手く効いたらしく、リーダー格の男の目は泳ぎ、額には脂汗が滲んでいる。明らかな動揺のサインだ。

 決断する事を否応無く迫られた男は、歯軋りをして拳を握り締める。だが、溜めていた物を一気に放出する様に息を吐くと、割とすんなりナイフを降ろした。

 

「分かった…。退く。退かせてもらうよ」

 

 隣でもう一人の部下が反抗する様に近づいたが、リーダー格の男は一瞥してそれを抑えた。

 丁度話が纏まった所で、突き出していた棘が元の穴に引っこむ。怪我をした男はぐちゃぐちゃの手を抱え込む様に体を丸めて呻いていたが、リーダー格の男に促されるとゆっくりと立ち、そのまま先に地下道を引き返していった。

 

「お前らは勝手に帰んなよ!あんちゃん、ドロテーさんが入り口で待ってるはずだ。さっきの男は怪我してて心配ないかもだけど、こいつらは見張っとかないと人質にとっちまうかも知れない」

 

 今まで黙っていたカミルが、帰ろうとしていた男二人を呼び止め、ナイフを置いて行くように要求した。

 持ち主によって地面に投げ出されたナイフの金属音の反響を聞きながら、俺達は今まで散々走って来た道を疲労による重い足取りでとぼとぼ引き返す。

 その最後尾を歩きながら、俺は先だってまで戦っていた道の行き止まりの方を振り返った。

 ―――最奥部分の穴だけは、規則的に並んでいたな。

 

 

 

 

 やっと地上に戻って来た頃には、既に空の端が白み始めていた。

 地下道内よりもずっと明るい外の景色を見、大きく深呼吸すると、久し振りに生気が体に満ちていく心地がした。

 

「ほら、お前らはとっとと出てけ!…あんちゃん、これからどうするんだ?地下道は行き止まりだったし」

「…なあ、どうしてお前が仕切ってるんだ」

 

 無事に帰って来れた途端に尊大になったカミルの態度にうんざりしながら周りを見ると、木陰から走り寄ってくる人影が見えた。ドロテー夫人だ。

 肩を落として去っていく男たち二人とすれ違い、心配そうに顔を覗き込む夫人。

 

「…地下は、どのような様子だったのですか?」

「長い地下道がありましたが、行き止まりになっていました。何もなしです。……夫人こそ、無事だったんですね」

「良かったよ、あいつらに襲われて殺されてるかとも思ってたからなあ。な、あんちゃん」

「…お前さらっと物騒な事言うなよ」

 

 そう会話しながら横目で夫人を見直した俺は、その表情に何か引っかかるものを覚えた。

 夫人は、「予想外だった」という様な困惑の表情を、上品なその顔に浮かべていたのである。

 その顔を見た瞬間、今までの情景の幾つかが俺の脳内で一気に噴出した。

 カミルと和やかに話す夫人。少しの間、記憶の反復と推測を繰り返した俺は、一つの可能性に到達した。

 

「夫人…。少し尋ねたい事が。俺達が地下にいる間、夫人はどこに居ましたか」

「私ですか?その大樹の陰に居ましたわ。お二人をお待ちして…。」

「その間に居眠りしたり、どこか別の場所へは行かれましたか?」

 

 出来るだけ平坦な、意図を悟らせない口調で問う俺に対し、夫人は何かを疑う様子も無くすらすらと即答した。

 

「離れてはおりませんわ。ここに居りました」

「……そうですか」

 

 ―――確定だ。

 指で目頭を押さえる仕草をし、意を決してもう一つの質問をぶつける。

 いや、「疑惑」と言った方が良いのかも知れない。

 

「ではもう一つ」

「はい」

 

 林の彼方から、早朝の陽光が幾筋もの光となって俺達や大樹、屋敷を射抜き始める。その清々しい光景の中にありながら、俺は先ほどの平静なそれとは全く違う重苦しい感情を込めて言葉を発した。

 

「―――どうして、あの三人を差し向けて俺達を襲わせたんですか、夫人?」

 

 凍りつく空気の中、どこかで小鳥が囀る音が聞こえていた。


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