屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第一話 一章

 プロローグ

 

 木枠とガラスを隔てた外の景色は、下部の三分の一が明るい緑色。それより上の三分の二は抜けるような青色だった。

 目に見える事の無い風が目に映る緑色の絨毯を撫で、風紋を描いていく。流れる模様は二度と起こり得ず、俺の目がそれを再び見る事も在り得ない。

 全ては一瞬の内に発生し、発生した事象もその殆どが一瞬の内に消えて行く。俺は左手の上に乗せた分厚い装丁の学術書を机の上に軽く放り投げ、細めた唇からふうっ、と息を吐いた。

 俺の気分によって机と出会う事になった学術書の表紙には、格式ばった黒い文字で本の題名が記されている。

 長々とした副題は重要ではない。俺がその本から得ようとしていた知識はたった一つの言葉で表す事が出来るからだ。

 ここ、軍事大国アメストリスで高度に発達し、洗練され続けている学問―――「錬金術」。

 その深遠なる学問の全てを、この時確実に俺は欲していた。大陸歴にして、1914年の6月の事である。

 

 

 

 読書を中断し、目を閉じて椅子に体を預けていると、玄関の扉がノックされる音が聞こえてきた。俺はにんまりと笑うと勢いよく立ち上がり、早足で玄関へと向かいドアを開ける。

 軋むドアの音と共に俺の目が受像したのは、一人の女だ。

 

「おはよう、グラウズ!商品は用意できてるわよね?」

「今すぐ持ってくるよ。…それと、おはよう」

「取って付けたみたいな挨拶ね、ふふふふふ」

 

 女は家の中に入り、俺が棚から取り出した包みを受け取ると慣れた手付きで中身を改める。

 白い布に包まれていたのは短剣。農作業や林業で使う為の小ぶりなナイフだ。

 

「…毎回思ってるんだが、俺のナイフは本当に売れてるのか?需要があるとは実感できない」

「あら、まだそんな事思ってるのね。切れ味が良いって好評よ、このナイフ…。お父さん譲りの腕だ、って」

 

 その言葉に俺は苦笑いし、場を持たせる意味も込めて女に茶を勧めた。ティーポットの中に茶葉を入れ、やかんの中で沸いていた湯を注ぎ込む。

 

「…いくら錬金術で短剣を錬成するのが上手くなっても、父さんには絶対に勝てない気がするよ…。おかしな話だが、理論上最も適した構成方法で作った俺のナイフより、父さんの鍛えた古いナイフの方がよく切れるんだ」

 

 ティーカップに琥珀色の液体を流し込みながら、俺は鍛冶屋だった父親の事を思い出す。

 ひたすら頑固で、妥協せず、頼まれた刃物を一振り仕上げるのに一か月掛けた事もしばしばあった。

「良い刃物は手間を掛けなきゃ作れない」と言い切り、いつも鍛冶場に籠って鉄を打っていた印象しかない、そんな父親だった。

 俺の母親もそんな夫に愛想を尽かして離婚し、家族と呼べるような存在も居なくなった俺は無聊を慰める為に錬金術にのめり込んでいった。

 今では母の消息も知れず、父も一年前にこの世を去った。俺は残された鍛冶道具や設備を全て売り払い、手にした金で細々と生活するに至っている。

 

「…グラウズ、お茶が溢れてるわよ…?」

「え、うわ、やべえやべえ!?」

 

 

 

 

 

 

 それから十分ほど後。

 空のティーカップを置き、女が立ち上がる。これから最寄りの街で店を出し、俺のナイフやら村で採れた野菜やらを売り捌くのだ。

 ポットやカップを片付けようとした俺の背中に、香水の香りと共に熱が伝わってきた。

 無言で振り向き、少し潤んだ青色の瞳を見つめながら唇を重ね合わせる。時間にして

十秒程だろうか、お互いを感じ取った後にどちらともなく離れる。俺は頭の中に靄が掛かった様な、不思議な高揚感に包まれていた。

 

「…夕方から雨が降りそうだ。暖かくして行けよ」

「ええ、分かったわ。……帰って来たら晩御飯作ってあげるわね」

「おお。そりゃ楽しみだ」

 

 視線を一度交錯させ、女は出て行った。薄茶色の道の先へと消えていくその後ろ姿を見つめながら、俺は再考する。

 ―――俺は何かを手にしたのだろうか?父を失い、母は消え、錬金術に全てを捧げて…。

 

「俺の傍に居てくれる人を手に入れた…。そういう事なんだろうか…?」

 

 思わず洩れた独り言は、不可視の風に流されて散っていった。

 

 

 

 

 


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