Angel Beats! AFTER BAD END STORY 作:純鶏
◇プロローグのあらすじ◇
死んだ世界戦線のメンバー達が成仏出来るよう活動していた音無達。
そんな中で音無は立華かなでに自分の中の想いを告白することを決心する。
死んだ世界戦線のメンバーが仲村ゆりだけになったところで、
音無達は立華かなでの願いでもあった、卒業式を始められるよう準備を行っていた。
ゆりが目覚めたので、ゆりを含めた5人みんなで卒業式をすることにした。
一人ずつ成仏していっては、音無とかなでの2人だけが残ると、
音無はかなでに対する自分の想いを告白し、
“2人でずっとこの世界にいよう”という提案を持ちかける。
ところが、かなではそれを拒否する。
それでは、ずっとこの世界にいた意味がないのだと。
自分の抱えていた心残りを音無に伝えることができないと。
新しい次の人生へと歩むことは出来ないと。
音無は苦悩しながらも、かなでに対する自分の想いを全て告げ、
かなでは“ありがとう”という言葉を残し、この世界を旅立って行ったのだった。
立華かなでが成仏してしまい、音無はどうしていくのか。
物語はvol.1へと続いていく。
EP01 ― indulge in reminiscences
「うわあああぁぁっ!!」
たった今、自分の体が落ちている。
足を掴まれ、何も見えない暗闇の中に自分が引きずられていく。
自分以外の全てが真っ黒で何も見えない。
怖い。とてつもなく怖い。
本能的に感じさせる恐怖が自分の中を支配していく。
「誰か、誰か助けてくれぇぇっ!!」
死ぬ。絶対に死んでしまう。
浮いているようで落ちているような感覚が湧き上がってきて、とてつもなく不安で気持ち悪い。
今にも背中から地面にぶつかって、強烈な痛みを感じてしまう。一瞬にして死ぬ痛みを味わうってしまう。
それが脳裏によぎってしまっているだけに、焦燥感でいっぱいになりながら無我夢中で何かを掴むようにもがいた。
「…………ん? んあっ?」
でもしばらくすると、自分が思っているのとは違うような、何かが違うような、その何かを少しずつ感じ取れていく。
思考と体全体の感覚を呼び起こして、改めて自分が今感じているものが何かを探り始める。
どうやらオレは地面に仰向けで寝転がっているようだ。
地面は少し柔らかい感じで、その感触は頭から足の先まで同じだった。
オレはたしか、どこかから落下したはず。
だけど、背中に感じるもの、手と足と頭で感じるもの、それは今までに幾度となく味わったことのある感覚だ。
何回か触って、やっと気付く。自分が感じているものはベッドだ。
つまり自分は地面の上で横になっているのではなく、ベッドの上で横になっている状態ということになる。
一度深呼吸をして、荒い呼吸を整えていく。
上半身をベッドから起こし、目の辺りを手で軽くこすった後、目を見開いて周りをよく見渡してみる。
「っ……はぁ……」
ここがどこなのかは分かる。ここは現在、自分が住んでいる学生寮の部屋だ。先ほどまで見えていた場所とは違う。
となると、さっきまでいた場所、さっきまで見えていた光景は夢であったことになる。今まで頭の中が混乱していたから、夢と現実の区別ができないでいたけれど、今見えているこの場所こそが“現実”であることには間違いない。
それにしても、部屋の中は真っ暗だ。今が朝なのか昼なのか、もしくは夜なのかさえ分からない。
それもそのはず。見て見ると、部屋の中の窓はカーテンで閉められ、部屋の電灯も点いていない。若干、カーテンにうっすらと光が当たっているあたり、夜ではないことは分かるけど。
ただ、真っ暗であったとしても、先ほどまで見ていた暗闇とは違って、段々と気持ちが楽になっていく。
それは、さっきまで見ていたものが夢であったと分かったからかもしれない。さっきまで感じていた、焦りや不安な気持ちがやわらいでいくのが分かる。
「そっか。ゆめ……だったのか」
生命の危機的状況を感じていたから、さすがにすぐには落ち着かない。いまだに心が動揺していると言うべきか、胸のドキドキが止まらないでいる。
近くにあった目覚まし時計を見ると、針は1時を過ぎたあたりを示していた。夜ではないとなると、今は昼の1時過ぎといったところか。
「そうか……良かった」
たしか今日は、寝たのは午前6時くらいだろうか。朝日が見える頃に、ベッドの上で横になっては掛布団を被り、ぐっすりと眠りについたはず。
本来なら昼の2時か3時頃に起きるんだけど、今日に限っては夢見が最悪だったな。
ただ、今は自分の周りで起きたことが夢であって良かったと思うばかりだ。
「…………」
しばらくどうしようか考えて、とりあえず足下にあった掛布団を被り、またベッドに横になる。
眠気はもうないけど、こうやって横になっている方がなんだか落ち着く。何かに包まれたり、覆われたりしていると、心なしかホッとするもんだ。
……そういや、なんでだろう。昔はそんなことなかったんだけどな。
目を閉じて、自分の夢の内容がどんなものだったかを思い出す。
動揺していただけに、ちょっと思い出せないな。
でもとりあえずベッドの上で横になりながら、夢の内容を少しずつ思い出していくことにしよう。
目を閉じて、さっきまで見ていた夢の内容を思い返していく。
× × × ×
気付いたら、学校の敷地内にある野球場のベンチに座っていた。
自分が何故そこにいるのか分からない。いつの間にかこの野球場にいて、何故かこの野球場のベンチに座っている。
ベンチの前で野球ボールが飛び交っている。どうやら、ベンチの前で誰かがキャッチボールをしているらしい。
ベンチから立って、ベンチの外を見渡してみると、そこには死んだ世界戦線のメンバーであるゆりや日向や直井、そして立華かなでがいた。4人は楽しそうに野球ボールを投げたり捕ったりしている。
実際、4人の顔は少しおぼろげで本当に本人達であるのかは分からない。
だけど、4人が自分の知っている彼らであると直感した。その4人が本人達であると、いつの間にか自分は認識していた。
―――“音無も一緒にやらないか?”
日向の言葉に、ベンチに置かれた野球グラブを手に取り、野球ボールを持った。
野球ボールを投げると、日向はキャッチする。一瞬にして姿は変わり、今度はゆりが投げてきた。
そうやって何度も何度も野球ボールをみんなと投げ合っていく。
なんだかとても心が躍る。
理由は分からないけど、こうやって誰かとキャッチボール出来ることにこの上ない嬉しさを感じて止まない。
何かを忘れているような気がしないでもない。
けれど、今はキャッチボールが楽しい。ついつい夢中になってしまう。
―――“結弦”
誰かが、自分の名前を呼んだ。
それが、立華かなでであることは直感的に分かった。
声が聞こえなくても、彼女の言った言葉が脳裏によぎっていく。
―――“ありがとう”
そう言って、立華かなでは微笑んだ。相変わらず顔がおぼろげで、正直言うと彼女が微笑んだのかなんて分からない。
だけど、微笑んでいる。分かるんだ、彼女は微笑んでいるって。自分に対して微笑んでいるんだって。
立華かなでのいるところへ走っていく。
今ならきっと、彼女のそばにいける。
あの頃と同じように、オレは立華かなでと、みんなと一緒に……
―――“音無結弦くん!”
後ろから声が聞こえた。それが誰なのか分からない。
……いいや、知りたくない。
後ろに誰がいたとしても、それが誰であっても、オレは前に行くだけ。
そうだ、立華かなでがいるところへ、みんながいるところへ行くんだ!
だけど、いくら走っても届かない。一向に立華かなでがいるところへの距離が縮まる気配がない。
いいや諦めるな。頑張るんだ。絶対にみんなのところに行くんだ。オレはみんなと一緒に行くんだ!
必死に、がむしゃらに、ただ前へ前へと走っていく。
今こそ失ったものを、今こそ出来ることを、オレはみんなと一緒に……
“オレは成仏するんだ!!”
手を伸ばして、全力を振り絞って走った。
目の前にいる、立華かなでの手を掴んだ。
やっとオレは、みんなのところへ行ける。
―――“……ぇ………ぁ…ぃ、結弦”
“えっ? 今、なんて言ったんだ?”
立華かなでが何を言ったのか分からない。というか、その言葉自体理解出来ない。
立華かなでの顔を見ると、おぼろげだった顔がよりおぼろげで曖昧なものになっていく。
それと同時に立華かなでの体の周りが黒い霧に覆われ、体もまた陽炎のように黒いものに変化する。
さきほど手を掴んだはずの立華かなでは、しばらくして立華かなでではない存在へと変貌していた。
目の前の黒い物体を振り払い、逃げる。不安と恐怖を感じて、いち早く逃げた。
周りが段々と暗くなっていく。さっきまで晴れていた空も、いつの間にか黒い霧が充満していた。
それでも逃げるしかない。どこに向かっているのか分からないけど、ひたすら逃げるように走るしかない。
“いやだ。こんな世界はいやだ。こんな世界にいたくない。こんな世界なんて、壊れてしまえばいい!”
そう願った瞬間、周りで地響きが起こって、どこからともなく地面が揺れている音が響いてくる。さっきまで風なんて吹いてなかったのに、突如として風も強く吹き始める。しだいに自分の周りの地面にも亀裂が生じて、地面が激しく揺れていく。
立つことも出来ないくらいに、自分の周りの世界は壊れ始めていた。
それでも進むしかない。今は、立華かなでではない何かから逃げなければならない。
立華かなでがオレを見捨てたのなら、みんながもういないのなら、世界を壊してでも逃げてみせる。
立ち上がり、前に進む。一歩ずつしっかりと踏み込んで進んでいく。
強い風に吹かれても、地面が揺れてでも、少しでも“アイツら”から逃げられるように。
“あっ……!?”
だけど、地面の亀裂に足を引っ掛けてしまったのだろうか。
前のめりになって転んでしまい、地面に倒れてしまう。力を入れて立とうとするが、何故か立とうにも立てない。なんとなく足元に、重力のようなものを感じる。
ふと自分の足の方を見てみる。片足に何かがまとわりついていた。
それは、手で握るように力強く、しっかりとまとわりついていた。
それは黒くて、いびつで、ぐにゃぐにゃとしているもの。これを以前、オレは見たことがある。
そうだ、忘れられるわけがない。世界の異変の象徴であった“影”だ。
その影が、オレを大きく亀裂の入った地面の中へと引きずりこもうとしている。
オレは必死になって影を振り払おうとするも、影は決して掴んでいる自分の足を離そうとはしない。一定の力で少しずつ引きずりこまれる状況に、ひどく焦ってしまう。
とりあえず何かに掴もう。何でもいい、何かに掴まれば引きずりこまれない。
だけど、掴めるものなんて周りには全くない。地面しかない状況で、掴むものを探す方が無理な話だった。
とてつもない恐怖感が自分の心に募っていく。無意識に誰かに助けを求めてしまう。
“くそっ、誰か! 誰か助けてくれ!!”
またしても、手を伸ばした。
だけど、必死に助けを乞おうにも周りには誰もいない。オレに手を差し伸べてくれたり、影を倒してくれるような、かつての仲間達はもう、この世界にはいないんだ。
そうだ。そんなこと、本当は分かっている。
それでも、ひたすら手を伸ばす。誰もいないって分かっているはずなのに、誰かに助けを求めずにはいられなかった。
絶望感と焦燥感でいっぱいになっていく中、一生懸命に足をバタつかせながら手を伸ばしてもがき続ける。
だからといって、引きずりこまれる速度は変わらない。抵抗したところで何も変わらない。
ついには、亀裂の入った地面の中へと落ち始めようとしていた。足にまとわりつく影を見つめ、全力で蹴るように足を動かす。
“ああっ! だれか、だれかっ!!”
すると、オレの手を誰かが掴んでくれた。
誰だろうか、足元にいる影から手を伸ばしている方へと視線を向けた。
オレの手を掴んだのは“影”だった。
目の前の影がオレを引っ張っては、喰らいつくように包み込んでいく。足元の影も段々と足下から浸食してくる。
重力を感じつつも、逃げ場のない状況。恐怖と絶望と拒絶の感情が入り混じって支配していく。
“うわああああああああああああっ!”
地面の亀裂の中へと落ちていくが、段々と周りが暗闇に染まっていき、真っ黒になっていった。
× × × ×
夢の内容を思い返していたら少し気分が悪くなってきた。ぼんやりとしている部分も多いが、内容が内容だけに頭の中から消えずに残っている。
この死後の世界で自分を救ってくれる人間はいない。人間のいないNPCだらけの世界で、人間である自分を救ってくれるわけがない。
しかも、死んだ世界戦線のメンバーの3人と立華かなでが出て来るなんて。それに、あいつらと楽しくキャッチボールをしていたなんて思うと……最悪だ。
夢であったとしても自分に対して嫌悪感が襲ってくる。まるで自分の心の奥底ではみんなに会いたいと、そう願っているように感じてしまう。
最近までは死んだ世界戦線のメンバーのことなんて、すっかり忘れていた。
しかし、人間というものは忘れたいことを忘れようとしても、忘れることなんてできないようだ。記憶から無くなったつもりでも、頭の片隅にはしっかりと存在しているのかもしれない。
そのうえ、今回は最悪なことに悪夢という形で思い出してしまう。なんて最悪な目覚めだろうか。なんだか、自分自身に嫌がらせをされている気分になる。
この苛立ちをぶつけようにも、どこにぶつければいいんだろう。なにせ、夢を見せているのは自分自身なんだから。わざわざ思い出させるような夢を見させたのは自分なのだと考えれば、自分自身に対して苛立ちをぶつけるしか他がない。
死んだ世界戦線の卒業式した日からどれくらい経ったんだろうか。
あの時はたしか季節は秋頃で、あれから冬も過ぎていって、今はもう桜の花が散った春頃。そう考えると、半年くらいは経っていることになる。
あの出来事を思い出す度に、“気にするな”“考えるな”と何度自分に言い聞かせてきただろう。自分の中から湧き上がってくる苛立ちと憤りを抑えて、気持ちを落ち着かせてきたっけ。
それでここ最近になってやっと、普通の状態まで保てるようになってきた。ようやく、あいつらのことを忘れることができていた。
なのに、今日の夢でまた思い出してしまうなんて、本当に最悪だ。今でもこんな夢を見るのは、やっぱり自分の精神的な部分が弱いせいなのだろうか。まったくもって、メンタルの弱さも含めて自分という人間がいやになる。
そういやあの頃は、死んだ世界戦線の幹部メンバー全員を成仏させようと必死に頑張っていたな。
なにせあの頃の自分は、この世界で生きていくことに必死だった。まだこの世界に来て分からないことがたくさんあり、この世界での生き方を教えてくれる存在が必要不可欠になっていた。それだけに自分は死んだ世界戦線という人間の集まりに与していくしかなかったと言える。
「…………ふっ」
でも、そんな昔の自分のことを思い出していたら、つい苦笑いが出てきてしまった。
この世界に来た頃の自分は、周りに流されてしまうほど未熟で無知であった。本当に心が弱い人間だったんだろう。そう思ってしまう度に、自分が馬鹿らしくなってくる。
あの時、わざわざ彼らのために自分の骨身を削ってまで成仏させてやる道理なんてなかった。何もしなくても、彼らは勝手に成仏していたに違いない。それにあいつらがどう成仏しようが、自分の出る幕ではなかったんだ。
なにせあの頃の自分は、みんなのことばかり考えて、自分のことに対しては何も考えていなかった。そんな自分自身が今では成仏出来ない状況にいる。成仏を手伝っていた自分が成仏出来なくなってしまったのだから、ほんと笑えてしまう。笑えないけど、笑うしかない。ほんとそんな状態だなと思える。
それだけに、仲間のためにと必死に成仏させていた自分が馬鹿らしくなってしまう。どうやっても成仏出来なくなってしまったのだから、そりゃあ後悔の念ばかりが頭の中に残って消えない。そのことが頭の中でよぎる度に、成仏することが出来た死んだ世界戦線のメンバーが羨ましく、また憎くもあり、同時にその頃の自分もぶっとばしてやりたい。そんな淀んだ感情が頭の中で渦巻いていた。
「……日向、今頃はユイと一緒なのかな」
昔の自分をぶっとばしてやりたいと思ったら、夢に出て来た日向の顔が頭の中で浮かんでくる。
そうだ。元はといえば日向、あいつのせいだ。あいつがオレにあんなことを、あんな話さえしなければ……
今思えば、本当に後悔している。
あの時日向は言った。“好きな人には後悔してしまわないうちに告白した方が良い”“言った後悔より、言わない後悔の方が大きいぜ”そう言って日向は、立華に告白をすべきだと告げた。その言葉を聞いて、成仏する前に立華に自分の想いを伝えるべきだと思うようになった。
でも今考えると、自分の想いを立華に伝えるなんてことを思うべきじゃなかったんだ。
いや、今だから分かる。立華が成仏した出来事があったからこそ、今の自分はひどく後悔することになったんだ。
あの時立華かなでにあんなことを、自分の想いを告白しなかったとしたら……ここまで後悔することはなかったはずだ。好きだという告白も、この世界に残ろうなんてことさえ考えついたりしなければ、自分は成仏出来たんだ。
そう思う度に、気分が悪くなる。後悔と苛立ちばかりが募っていく。どうしようにもどうしようもない自分の中の感情が、最後にはいつだって絶望感になって残る。
「……っ!」
つい、右手に力が入って拳を握る。力を込めたその手でベッドを叩くと、少しだけ振動を感じた。
ちょっとした気の迷いだったんだ。本当は立華にあんなことを言うつもりじゃなかったんだ。
本来なら後悔や未練なんてものは、時が経てば甘酸っぱい思い出として置き換えられて、いつか忘れ去られてしまうものなんだろう。
しかし、この世界では自分の心に大きなダメージを負うことになると、成仏することが不可能になってしまうみたいだ。死ぬことも成仏することも出来ない世界からずっと成仏することが出来なくなってしまうんだから、本当に地獄だ。
「…………はぁ……」
もう溜め息しか出ない。自分の取った選択がどれほど愚かだったかを感じてしまうだけに、溜め息を吐くしかなくなってくる。
あれからもうだいぶ月日が経っているけど、未だにオレは成仏できない状態だ。心残りなんてもう何も無い。それなら、自分はもう成仏することができるはず。
だけど、どうあがいても成仏が出来ないという現状を踏まえると、原因はどう考えても立華が成仏してしまったことに違いない。
立華が成仏して以降、ずっと塞ぎこんだ毎日を送っている気がする。あまり自分からは行動しないように部屋に閉じこもってばかりの日々だ。
自分が成仏する方法がないかと色々と模索したりすることもあったが、今はもう諦めている。かつての仲間も人間もいない世界でどうしろというのか。この世界でオレは独りぼっちになって取り残されてしまったんだから、どうすることもできない。
そうなると、頼れるのはNPCという存在だけになる。人間が見つからない間はNPCと一緒に暮らすのが妥当とは言える。
ただ、そうは言っても、自分の中でNPCという存在をなかなか受け入れがたい何かを感じているのは確かだ。なにせNPC達は、一度は影という脅威の存在になって自分達人間を取り込もうとした存在だ。あれを見て以来、NPCがどうしても人間に近い生き物ではなく、化け物のような生き物にしか感じられなくなってきている。
それに、あくまでNPCという存在は“この世界のNPC”なんだ。人間じゃないし、自分達人間とはこの世界に存在する意義も違う。この世界の住人にとってしてみれば、自分達人間は仲間ではなく敵なのかもしれない。
それは逆も同じで、自分達人間にとっても、もしかしたらNPCが脅威になる可能性は十分にある。現にNPCは影となって人間を取り込もうとした前科がある。
だからこそ、いつ自分を取り込んではNPC化させてしまわないかが怖い。そのせいで、夜はあまり眠れない日々が多いし、NPCとはなるべく慎重に接するようにしている。
「…………んっ!?」
急に部屋の扉をノックする音が聞こえた。やや強めにドアを叩いているが、もしかして“朝霧”だろうか。少し慌てているような感じがする。
「……はい。今出る!」
まだ授業のはずだが……忘れ物か? とりあえず開けてやらないと。鍵は持っているはずなんだが、慌ててそれさえも忘れたのか?
布団を払いのけては、ベッドから降りて立ち上がる。髪の毛を触ると髪がぼさぼさの状態ではあったけど、今は気にせず部屋の扉の鍵を開ける。
“朝霧史織”という名前の女子生徒。
彼女は一ヶ月ほど前に、大きな荷物を持ってこの部屋を訪れてきた。理由があって住める場所を探していた彼女を、無理矢理追い返すことが出来ずにいた。ましてや彼女は、この部屋で暮らすことを譲ろうとはしなかった。
そんな彼女から、急に一緒に暮らすことを提案され、逆に暮らして欲しいとさえ言われた。自分にとっても他に行く当てがあるわけでもなかっただけに、最終的には同じ部屋に住むことを了承するしかなくなっていた。
一緒に住むことになり、最初はさすがに自分も朝霧に対して警戒はしていた。
だが、彼女は割とおっとりとした性格でもあったせいか、いつのまにか彼女に対しての警戒心はなくなっていった。今では彼女といると少し気分が落ち着くぐらいになってきている。
今まで会ってきたNPCと違って、何というか彼女は優しい雰囲気だ。なんだろうか、物静かな彼女はかつての立華とは違って大人びている印象と言える。優しく思いやりのある心の持ち主で、読書が好きな彼女と過ごしているとオレはなんとなく心が落ち着くことができた。
もしかしたら、彼女は人間じゃないのだろうか。そう考えたこともあったが、結局一緒に暮らしていく中でNPCであることは分かった。
なので、自分は持病があって授業には出られないことが多いという設定にしている。そのことに対して、彼女は何も疑問に思わず、普通に信じてくれている辺り、本当に良い子だなと思ってしまう。
そんな彼女も学校の授業には出るので、朝から夕方まで部屋に帰ってこない。
しかし今、昼頃になろうとしている時間帯に部屋をノックしている。何かあったのだろうか。彼女のことだから忘れ物をしたのかもしれない。
「……えっ?」
部屋のドアを開けると、黒い服が見えた。この学校の男子生徒の学生服だ。本来ならオレの知っている女子生徒の顔が見えるはずなんだが、自分が想像していた人物とは違ったようだ。
少し上の方を見上げると、男子生徒が真面目そうな表情でこちらを見ている。長身の金髪で目は細く、いかにもケンカ好きそうな、まるでヤンキーのような顔つき。今まで見たことのない顔だが、誰なんだろうか。入る部屋でも間違えたのではなかろうか。何の用だというのか。
すると男子生徒は、顔を見るなり急に左腕をがっちりと右手で掴んできた。
「おまえ、音無だな!?」
「あ、ああ。そうだが。なんだ? オレに何か用か?」
自分の名前を知っていることには、何も疑問は持たなかった。自分の名前を知っているNPCはたくさんいる。自分を知っているということは、ある意味目の前の男子生徒がNPCであることが分かってしまう。
すると、目の前の男子生徒は目を大きく開く。まるで、“見つけたぜ!”と言わんばかりの強みのある表情を浮かべている。
そして男子生徒は、自分の腕を引っ張って歩き始めようとした。まるで、どこか別の場所に連れて行こうとでもいうのだろうか。
「さぁ来てくれ! やっと見つけたからな。お前にはクラスに来てもらわないと困るんだ!」
「お、おい! いったいなんなんだ? おまえ、誰なんだよ!? 」
言葉を聞いて、目の前の男子生徒は立ち止まる。決して腕を離そうとはしない。
わざわざこちらへと振り返っては、左手で親指を立てては自分に突き立てるように、彼はこう言った。
「やっぱり、覚えてないのか? 俺の名前は“柔沢 謙”だ。おまえと同じクラスでクラスリーダーだ。だからこそ、今日こそはおまえを教室に連れて行く!」
クラスリーダーと名乗る男子生徒は、やけに堂々としていた。よく見ると、学生服が第二ボタンまで開けている。首元の下が開放的なのもあってシルバーネックレスが見えるし、手首には高級そうな大きい腕時計をつけている。だいぶラフな格好をしている男子生徒だが、これでもクラスリーダーらしい。
どちらかというと、不登校してそうな落ちぶれたヤンキー学生と言われた方が似合っている気がする。身長も体格も自分より一回り大きいし、強気な物腰だ。クラスのリーダーよりもヤンキーのリーダーの方が相応しいと思ってしまう。
「連れて行くって……なんでだよ!」
「とりあえず来い! 話はそれからだ!!」
自分は何が起きているのか分からず、力強く引っ張って歩いていく柔沢という男子生徒に、ただ呆然とついて行くことにした。逆らうこともできたんだろうが、それはしなかった。何故か、そのまま引っ張られたままでもいいかなと思ってしまったからだ。
理由なんて分からない。けれど、こうやって誰かに引っ張られるのは久しぶりだな。こんな風に強引に引っ張っていこうとする姿を見ると、かつてのゆりの面影を思い出してしまう。それだけに、懐かしいという感情が思い浮かぶ。その懐かしさが少し心地よくもあり、逆らう気持ちが湧いてこなかった。
まぁ、実際にこういうタイプは逆らおうとする方が後々面倒だったりもする。ましてや、こんなケンカ好きそうで体格も良い強気なNPCに逆らおうとする方が、殴られたりして危険だ。死なない体だからと言って、ケンカはしたくないし、痛いのも出来るなら受けたくない。ここはこのままついて行った方が無難かもしれない。ついていく理由としては、こっちの方が当てはまっていると言えばそうだ。
目の前の男子生徒は、自分の世界にこもっていた自分自身を連れ出そうとする。どうやら今は、過去の仲間達ことや昔の思い出に浸っている余裕はないようだ。
柔沢という男子生徒に引っ張られながら、自分は学生寮を後にした。
1話:indulge in reminiscences ー “思い出にふける”