Angel Beats! AFTER BAD END STORY 作:純鶏
ゆりはこの世界から旅立っていった。体育館にゆりの姿はもう見えない。
きっとゆりなら、新たな人生へと迷うことなく旅立っていけたはずだ。
オレはふと、かなでに視線を向ける。かなでは、しょんぼりした様子でうつむいていた。
どうやらかなでは、ゆりがいなくなってしまったことに心の寂しさを隠せないのだろうか。
またしても沈黙した空気が流れ込んでしまっている。この静寂の時間だけは何回体験しても慣れない。
「ふー……まぁ、俺だわな。順番的にいって」
日向はそう言うと、体の緊張をほぐすように体や腕を動かし始めた。
その行動は、まるで今からこの世界から旅立とうとするように感じさせられる。
「いや、オレでもいいぜ」
「なに言ってんだよ! かなでちゃん残して先にいくなよ。まだやるべきことが残ってるだろ? 俺がいくって」
日向はかなでのことを考えてなのか、オレが先に成仏するという提案を断った。
しかし、日向の言う“やるべきこと”とは何か。それはもしかして、オレがかなでに自分の想いを伝えるべきであることを言っているのだろうか。
以前、日向は言っていた。
後悔しないように、自分の想いだけは伝えるべきだと。
かなでのことを想っているのなら、本心を言ってやるべきだと。
そうだ、お節介焼きな性格の日向のことだ。きっと、オレとかなでが2人きりになれるようにと思って、気を使って自分が先に成仏しようとしているに違いない。
たしかに、かなでの最期を見届けるのはオレでなくてはいけない。かなでを一番最後に残して成仏するのは、なんとなくいけない気がしていた。
だからこそ、せっかくの日向の厚意を裏切るわけにはいかない。日向が先に成仏することを決心したのなら、その覚悟を邪魔するわけにはいかない。きっと、頷いてやるべきなんだ。
「……そうか」
「ああ、俺がいくよ……」
日向は目を閉じて、優しく笑ってそう言った。その表情からは、心に余裕があるような何か大人びたものを感じる。
元々から日向は、オレとかなでより先に成仏することを心に決めていたのかもしれない。だからこそ、日向からは寂しさとか悲しさとかそういったものが全く感じられないのだろうか。
それに、日向はゆりの最期をしっかりと見届けることができた。日向は仲間の旅立ちを見届けるという自分の役割を最後までまっとうすることができた。それはきっと、日向にとっての心残りはもう何一つ無くなったということなんだろう。
そのせいか日向の表情は、何かをやり遂げたかのような、とても晴れやかで優しさに満ちたものになっていた。
「いろいろありがとな……おまえがいなけりゃ何も始まらなかったし、こんな終わりも迎えられなかった。ほんと、感謝してるぜ」
「いや日向、それはきっとたまたまだよ。よく考えたらオレ、ここに来ることはなかったんだよな」
「ん? どういうことだ?」
日向は不思議そうに問いかけた。
オレの言っている言葉の意味がどういうことなのか分からないのだろう。
「オレはちゃんと、最後には報われた人生を送っていたんだ。その記憶が閉ざされていたから、この世界に迷い込んできた。それを思い出したから、報われた人生をこの世界で知ることが出来た」
「……つまり、本当はこの世界に来ることのなかった人間だったからこそ、みんなを成仏しようと思えたってことか?」
「まぁ、そうなるな」
「そうだったのか。本当に特別な存在だったんだな、おまえ」
日向は少し驚いた表情を浮かべては、オレの言葉を聞いて納得した様子でいた。
日向はオレの生前の時のことを知らない。どうやって死んだのか、何を後悔していたのか、それについて日向は何も聞かなかった。そんなこと、聞くべきではないと分かっていたからだ。
「ああ。だからみんなの力になれたのも、そういうたまたまのおかげなんだよ」
「たまたまなんてこたぁねぇよ。みんなが成仏出来たのは、まぎれもなく音無。おまえ自身のおかげさ。ほんと、ありがとな」
日向は両手をズボンのポケットに突っ込みながら、ニコやかに笑ってそう言った。
そんな日向の言葉に、嬉しさで胸がいっぱいになる。そう言ってくれるだけで、なんだか自分が報われた気持ちになる。
「もし、本当に神様がいるっていうなら……きっとこの世界でくすぶっているオレ達に、新たな人生へと踏み出せるようにおまえをこの世界に呼び込んでくれたのかもな」
体育館の窓の方へと見上げては、日向はそう言った。
神様がいたからこそ、こんな運命的な奇跡が起こってくれたのだと。日向はそう信じたいのかもしれない。
「ああ。日向言うように、オレは運命の糸によってこの世界に引き寄せられたんだろうな。」
「運命の糸……か。やっぱおまえ、これなのか?」
日向は左手の甲を顔の右頬に持って、若干引きつった表情を浮かべる。
それは以前、オレが日向に対して男が好きなのかという疑問を聞いた時にした仕草だ。日向はそれを思い出したのか、その時と同じようにしてオレにやり返してきた。
なので、そんな日向にやり返す。
「むしろ、これじゃないのか?」
「いやいや、でもこれだろ?」
「だけど、日向はこれもあるからな。さすがにこれはちょっと……」
「ああ? 音無のこれも言うようになったな」
「それでも、日向のこれには負けるぜ?」
「そりゃあ音無も……って、もう何が何なのか分からなくなってるから! これ酷過ぎるだろ!」
「ははっ、そうだな。もうわけが分からないよな」
「ほんとオレ達、酷過ぎるな……くくっ。思い出したら、笑えてきたぜ」
「ふふふっ……」
日向がツッコむと、おかしくて笑った。日向も、オレにつられてか笑い始めた。
そして、オレ達の謎のやり取りにかなでも笑っていた。
いつだって、オレ達みんな酷かった。
ゆりもかなでも、死んだ戦線のみんなも、みんなおかしくて、みんな酷かった。
それは今も変わらない。変わってないんだ。
理不尽な人生に抗いながらも、理不尽な生活を強いられながらも、共に酷くおかしくこの世界で生きてきた。
きっと、このままいれば何も変わることはない。
これからも変わることはなく、こうやって笑い合ってこの世界で生きていくはずだ。
だけど、そんなわけにはいかない。
このまま、日向と共にこの世界にいることはできない。オレと日向は、ここで別れなければいけないのだ。
この世界に踏み留まるということは、新しい人生へと旅立つことが出来なくなるのだから。
「……まぁ、長話もなんだ。じゃ、いくわ……」
「……ああ。会えたらユイにもよろしく」
「おう! 運は残しまくってあるはずだからな。使いまくってくるぜ!」
日向は親指をたてて、これからの旅立ちに向けて意気込む。
もっと語りたいことはたくさんあるのだろうが、さすがに日向もこれ以上はそういうわけにもいかないと感じているのかもしれない。
多くを語ってしまえば、この世界から旅立つ決心が鈍ってしまう。それが分かっているから、日向はそれ以上に何かを語ろうとはしない。
「…………」
「…………」
そんな日向に、かける言葉が見つからなかった。何一つ、言葉をかけることが出なかった。
もう日向とは別れなければならないのに、日向に対して“行ってこい!”とさえ口に出すことができない。
日向に対して何も言えない、そんな自分がとても歯がゆく、情けなさが身に染みる。
「……ようしっ!!」
日向はオレの様子に気づいてか、この沈黙した空気を仕切り直すように声をあげる。
そして、オレの目の前へと近づいてくると、右手をあげた。それに反応するように、自分の手のひらを上に向けながら下から出した。
何かの任務で日向に教えてもらった“男同士の合いの手”というやつだ。日々の鍛錬でもよくやっていたから、自然と手が反応してしまうな。
最初は日向が右手を上から下に振り下ろし、オレの右手の手のひらを叩く。今度はオレが右手を上から下に振り下ろし、日向の手のひらを叩く。最後にオレ達2人が右手を上げると、日向はオレに別れを告げる。
「じゃあなっ!! 親友!!!」
いつもみたいに右手を叩き合うように、オレ達はハイタッチをした。
オレの手のひらに日向と強く叩きあった痛みが残る中、日向の姿はもう見えなくなっていた。
どうやら日向も無事、この世界から旅立つことが出来たみたいだ。
またしても、静かな時間が流れ始めた。
さっきまでこの体育館に5人がいたということが嘘だったかのように、オレとかなでだけがこの体育館に取り残された。オレは右手の痛みが消えていくにつれて、下へと右手を下ろしていく。
気づけば、かなではオレを見つめていた。そのことに気付いて、とっさに何か言おうと慌てて口を開いた。
「あ、えーと……どうだった卒業式? 楽しかったか?」
「うん、すごく。でも、最後は寂しいのね」
「でも、旅立ちだぜ。みんな、新しい人生に向かって行ったんだ。良い事だろ?」
「……そうね」
かなでも、みんなが旅立っていったことは良い事なのだと分かってはいるんだろう。
だけど、やっと仲良くなってきた人達と別れなければならないわけだ。さすがに、まだ上手く割り切れないのも仕方がないと言えばそうだ。
それにかなではきっと、今までこの世界では人間とあまり深く関わってこなかったのかもしれない。
……いや、だからこそだ。深く関わろうとしなかったからこそ、この世界の人間を成仏させることが出来た。自分の心をすり減らさずに済んだに違いない。
オレは少し考えて、ステージの方を見る。
とうとう、かなでと2人きりになってしまった。結局、オレとかなでの2人だけになってしまった。
それはある意味では好都合だったのかもしれない。だが、実際にオレが以前から密かに決意していたことをかなでに伝えるべきか今になって迷ってしまう。こうやって、いざ2人きりになってしまうと、かなでに何も口に出せなくなってしまう。
それはきっと緊張しているからなのかもしれない。
オレの言おうとしていることが、かなでに賛同してもらえるのだろうか。そう思うだけで、緊張が高まってしまう。段々と頭が真っ白になってしまう。
……ダメだ。少し落ち着かないと。ここで、焦ったり動揺したりしちゃいけない。
かなでに伝えると決めたんだ。それがたとえ否定されても……いいや、かなでは否定しない。きっと、オレの提案に賛同してくれるはずだ。だから今は、一旦落ち着こう。
「あのさ、かなで。体育館の外に出ないか? ちょっと、風に当たりたいかなって」
「……え? うん? わかったわ」
とりあえず、体育館の外に出ることを提案する。かなでは不思議そうな表情でオレを見つめている。
どうやらかなでは、オレ達も今のこと時にこの体育館の中で成仏するものだと。みんながこの世界から旅立っていった勢いで、オレ達もこの世界から旅立つのだと思っていたようだ。
それだけに、オレのどこかに行こうという提案に少し驚いてしまったのかもしれない。
だけど、オレが今やろうとしていることを、この場所で言う気持ちにはなれなかった。
気が引けているのか、緊張しているからなのか。何が原因かは分からないが、なんとなくこの場所にいることが耐えられなくなってしまった。
オレは何かから目をそらすように、かなでと一緒に体育館を出ていくことにした。
× × × ×
オレはかなでとそこら中を歩きながら、学校の敷地内を見て回った。
様々な場所を訪れては、この世界でのことを思い出すかのように思い出話に花を咲かせた。しばらくの間、この世界での出来事や思い出に浸っていった。
それは長いようで短いようで、何とも至福のひとときではあった。この時間が永遠に終わらないでほしいと願いなら、かなでと2時間ほど一緒に過ごした。
学校の敷地内をひと通り見て回ったところで、空にはもう夕焼けが見え始めていた。
学校の玄関前まで来たところで、グラウンドへ行く階段を下りていき、階段のそばにある水が流れる噴水の前で立ち止まった。かなでもオレについてくるように階段を下りては途中で立ち止まり、グラウンドを見つめる。
オレもかなでの視線の先であるグラウンドを見つめ、必死に部活に打ち込んでいるNPC達を眺める。
さすがにもう時間切れだ。学校の中で行けるところは行きつくしたし、さすがにこれ以上は行く場所はない。
だけど、おかげでだいぶ落ち着いた。それ以上に、自分の中の決心はより強く固まった。オレの抱えている想いをかなでに伝える覚悟はもう出来た。
グラウンドからかなでへと視線を戻し、自分の重たい口を動かした。
「あのさ、かなで。ここに残らないか」
「……えっ?」
かなではオレの言った言葉が何なのか分からないような、まるで絶句したように茫然とした表情になる。ただ、階段の上で目を開きながらオレを見つめていた。
かなでがそうなるのは仕方ない。いや、そうなるだろうなとは思っていた。
この提案は、今まで誰もが口にしなかったもの。厳密に言えば、絶対に口にしてはいけないという、暗黙の中での決まり事であった。それを、オレが口にしたのだから、かなでの反応は予想通りではある。
「……じ、実はさ、急に思いついちまったんだ。だってさ、また、ゆりや日向達のように報われない人生を送ってここに来てしまうやつがいるってことじゃん」
「……そうね」
かなではオレの言葉にうなづきながらも、心の中の動揺が消えないのかまだ戸惑っている様子でいる。
そんなかなでを無視して話を続けていく。
「そいつら、またゆり達のようにここに居着いちまいかねない。ここでずっとさ、苦しんで、生きることに抗い続けてしまうかもしれない。そうなるかもしれないだろ?」
「……そうね」
「でもさ、オレ達が残っていたらさ。そいつらに今回のようにさ。生きることの良さを伝えてさ。卒業させてやることが出来る」
焦りか、緊張か、出て来る言葉が少しつたないものになってしまう。
かなでは目を細めている。一向にかなでの表情は曇ったままだ。その表情は、どことなく悲しげに見える。
きっとかなではオレが何を言いたいのか、薄々気付いてしまっているのかもしれない。そうだとしても、オレは話を止めないで話を続ける。
「もしかしたら、そういう役目のためにオレはここに来たのかもしれない。神様がいるとしたらさ、きっとそのためにオレをこの世界に呼んだんだ。だからさ、かなで。オレと一緒に残らないか? かなでがいてくれたらさ。こんな世界でも、オレは寂しくないから」
風が吹き抜け、かなでの髪の毛はなびいている。そんなかなでの髪の毛は、夕焼けの光のせいかキラキラと輝いて揺れていた。その姿は本当に天使のように可憐だった。
かなでは自分の髪に触れ、風で乱れた髪の毛を少し整える。女の子らしく髪の毛を触る、そんなかなでをオレは可愛らしく感じてしまう。
それだけに、自分自身の想いが強くなった。可愛くて愛しいかなでと一緒にいたい。そんな想いが心の底から溢れ、つい自分の本心の言葉を口に出してしまう。
「前にも言ったかもしれない。オレはお前と一緒にいたい……これから先も、居続けたい」
かなでは何かに我慢したような表情で階段を下りていき、オレのそばまで来る。
だが、決してかなではオレの顔を見ない。ただ、悲しげにグラウンドを見つめている。
それでも、オレの口は止まらない。オレのこの溢れていく想いは、もう止めることが出来なくなっていた。
「だってオレは、かなでのことがこんなにも……好きだから!」
かなでを抱きしめる。かなでは少し驚いた表情をするも、オレを拒むことなく、そのまま抱かれたままでいた。
そんなかなで反応に、かなでに受け入れられたと感じて、よりいっそうかなでの体を強く抱きしめた。
分かっている。さっきはここに滞在するということを急に思いついたなんて言ったが、本当はかなでと別れたくないだけだ。
正直言って、オレがこの世界に来た役目とか他の仲間のことなんて、もう今更どうだって良くなってきた。
オレはかなでと一緒にいたい。ただ、かなでとこの世界に一緒に居続けたい。ただそれだけだ。
なんでだろう。かなでのことを思うと、自分の中の一緒にいたいという感情を抑えきれなくなってしまう。特にかなでと一緒に学校の敷地内を歩き回ったことで、その想いがとても強くなっていた。仲間達を裏切ってでも、自分の想いを叶えたいと思えてしまった。
「好きだ……かなで!」
オレの告白を聞いても、相変わらずかなでは無言のままだった。
何故、かなでは何も言わないのだろうか。何故、そんな暗い表情をしているのだろうか。
何も答えてくれないかなでに、オレは耐えきれずかなでに問いかける。
「どうして……何も言ってくれないんだ?」
かなでもきっと、オレのことが好きなはずだ。今までオレだけは、出会った時からかなでをずっと見てきた。かなでと一番長く一緒に過ごしてきたのもオレだ。
かなでだって、オレのそばにいた。いっぱい話をして喋ったりしてくれた。内気な性格のかなでも、オレにだけは心を開いてくれた。好意を持って接してきてくれた。きっと、かなでもオレのことが好きでいるに違いないんだ。
かなではオレの問いかけに応じたのか、苦しそうな表情を浮かべながら、重たい口を開いて答えた。
「……言いたくない」
“言いたくない”とはどういうことなんだ? 少し考えてはみるが、かなでの真意が分からない。その言葉の意味が理解できない。
またしても、かなでに問いかけた。
「どうして?」
「……今の想いを伝えてしまったら、私は消えてしまうから」
かなでは地面へとうつむきながらも、ゆっくりと目を開いていく。そして、思い詰めたその表情でそう告げた。
だが、オレにはかなでが何を言っているのか分からない。どういうことなのか、まだ分からない。何故、消えてしまうのか。かなでの言葉が全く分からない。
「……どうして?」
「だって私は、ありがとうをあなたに言いに来たんだから」
かなでの表情は変わらない。かなでは、ただオレの問いかけに答えていくように話すだけだった。
そんなかなでの話を聞いても、オレの頭は思考停止しているのか言っている意味が理解できない。かなでの言う言葉を理解しようとしても、頭がついていかない。
結局、かなでの言っていることがどういうことなのか。いまだにさっぱり分からないままだ。
「どういう、ことだよ?」
またしてもかなでに問いかけてしまう。かなでを抱きしめながらも頭の思考が全然回らないでいるオレは、ただただ、かなでに問いかけることしかできないでいる。
そんなオレに対して、かなではオレの左胸に手を置いて優しく答え始めた。
「私は、あなたの心臓で生きながらえることが出来た女の子なの」
「なっ!?」
かなでの衝撃の告白に、驚きを感じて体が硬直してしまう。
かなでは押しやるように、自分の手でオレの体を押しのいて、抱かれていた腕の中から離れていってしまう。オレも驚いたせいで抱きしめる力が弱まっていたようで、簡単にかなでを離してしまっていた。
「今の私の胸では、あなたの心臓が鼓動を打っている。ただ一つ、私の不幸は……私に青春をくれた恩人に、ありがとうを言えなかったこと」
かなでは胸に手を置き、切なく悲しみを帯びた表情で自分の心残りであったことをオレに告げた。
かなでのその言葉は、まるでオレの体の空虚な部分に何かが突き刺さったように感じさせられた。
「それを言いたくて、それだけが心残りでこの世界に迷い込んだの」
「そんな……」
かなでは階段の隣にある、水が流れている噴水のそばに近づいていった。
なんでかなでは……オレがかなでに告白してから、ずっとオレの顔を一度も見てはくれないんだ。ずっと悲しげな表情を変えずに、噴水の水が流れる様をただ眺めている。
「いや、でもどうして……どうして、オレだってわかった!?」
「初めて会った時、最初のひと刺しで気づけた。あなたには心臓がなかった」
「あっ……!!」
オレは左胸に手を置く。分かりきっていることだが、心臓の鼓動は感じない。
たしかに、オレはこの世界に来て自分の体の中に心臓がないような気はしていた。意識はしていなかったが、薄々感じてはいたのかもしれない。
だが、普通に生活できている状態で自分の体の中に心臓がないなんて普通は思わない。平然と息をし、体を動かせる状態でありながら、体の中のとても大事とされる臓器の一つが欠けているなんて誰も考えない。
それこそ、わざわざ自分を解剖して心臓があるかないかなんて、普通は確かめない。たとえ、心臓を感じないことに不思議には思っていても、深く考えないと思う。あって当たり前なんだから、意識しない限りは心臓がないことに気づかないと思う。
「で、でも、それだけじゃあ……」
「……あなたが記憶を取り戻せたのは、あたしの胸の上で夢を見たから。自分の鼓動の音を聞き続けていたから」
「そんな……」
かなでの言っていることを信じたくはない。
でも確かに、かなでの看病で眠った際にオレは記憶を完全に取り戻した。自分は誰かを救い、自分が誰かの命を救うことができた。もう、自分の人生の心残りはなかったのだと思い出せたんだ。
かなでは髪を風になびかせながら、より悲しげな表情になる。少しの間、辛そうに思い詰めるように目を閉じると、今度は何かを決心したかのように悲しい表情を変えて微笑んだのだった。
「結弦、お願い……」
かなではオレの方へと振り向く。微笑みながらも、その表情からは切なさがにじみ出ている。辛いことを承知の上でかなでの願いであることは、言葉だけ聞いても伝わってきた。
「さっきの言葉……もう一度言って」
その言葉にオレは身じろぎを隠すことができず、まるで何かから避けるかのように後ずさりをしてしまう。
「あぁっ……そんな、嫌だ。かなでが……消えてしまう!」
「結弦、お願い!」
かなではとても辛そうにしながらも、必死にオレの言葉を求めた。
そうだ。かなでのことを想うのなら、それは言わないといけない。自分の口からかなでに対してそれを言わなければならないんだ。それが、それこそが、かなでの最後で一番の願いなのだから。
だけど、それを言ってしまえば終わってしまう。かなでの存在は消えてしまう。かなではこの世界から旅立ってしまうことになる。それだけは嫌だった。オレはかなでと一緒にいたいという想いが、かなでのことが好きだという想いの言葉を口にしてしまうことを拒ませてしまう。
だって、これからもっともっと、かなでのことを好きになって愛したかった。このまま永遠に離れたくなんかない。自分の心の底からの想いや感情を覆すことなんて、絶対に出来るわけがない。
「そ、そんなこと……出来ない。できねぇよ、かなで!」
「結弦っ!!」
「うぅっ!?」
かなでは感情を露わにして、オレの名前を強く呼んだ。かなでがここまで感情を出して、まるで怒るように強く言うなんて初めてだ。
つい、かなでの言葉に驚いてしまい、何も言葉が出てこなくなった。かなでの本気の想いに、何の言葉を返すことも出来なくなってしまっていた。
「あなたが信じてきたことを、私にも信じさせて!」
「…………っ!」
真摯に訴えかけるかなでの言葉に、否定することが出来ない。かなでの想いであり心からの願いを、オレ自身が決して拒むことなんて出来るわけがない。
だけど、それではかなではいなくなってしまう。別れないといけなくなってしまう。かなでの願いをどうしても受け入れたくないと、オレ自身の心が拒絶してしまう。
だからオレは、どうしてもかなでの願いに頷くことが出来ず、必死に辛さや苦しみから耐えるしかなかった。オレは目を閉じ、顔をゆがませながらその場に立ち尽くしか出来なかった。もう、何も出来ない。何もしたくはない。
「生きることは、素晴らしいんだ! って。自分が生きた人生は、かけがえのないものなんだ! って。結弦、お願い……!」
「…………くぅっ!!」
目を開けて、かなでを見る。かなでは優しく微笑んでいた。その表情は慈愛に満ちたもので、とても優しいもので、オレとの別れを惜しんでいる。かなではそんな心境でいることが伝わる。かなでの想いが分かってしまうような、そんな表情でいた。
そんなかなでを見てしまったら、抗えない。この苦しみから逃れるしかなくなってしまう。ここまできて、耐えることなんて出来るわけがない。
いつの間にか、かなでの方へと歩き出してしまっていた。
「結弦……」
「かなで、愛してる!」
かなでを抱きしめる。かなでも、オレの胸の中で天使のように優しく抱き返してくれる。そんなかなでを、より強く抱きとめた。
「……ずっと、一緒にいよう!」
「……うん! ありがとう、結弦」
オレの告白にかなでは答える。“ありがとう”という言葉に、かなでの想いがいっそう伝わってくる。嘘偽りのない、本物の感謝の言葉だ。
「ずっと、ずっと一緒にいよう!」
「うん! ありがとう」
「……愛してる、かなで!」
「うん! すごくありがとう」
かなでの“ありがとう”という言葉を聞く度に、かなでをぎゅっと強く抱きしめる。
かなでの“ありがとう”という言葉を聞く度に、心が締め付けられそうな気持ちになる。
かなでの“ありがとう”という言葉を聞く度に、自分の中のかなでへの想いが強くなっていく。
途中で涙を我慢することが出来なくなって、まともに喋れないくらいに涙が流れてくる。目から涙がたくさん溢れ、目も開けれないくらい、涙が止まらなかった。
「うぅ……かなでぇ、うぅっ……!」
「愛してくれて、ありがとう」
強く抱きしめるごとに、かなでも強く抱きしめてくれる。精一杯の想いでオレを抱きしめてくれる。
そんなかなでをオレは決して離さない。絶対に離したくなんかない。そう思えば思うほど、かなでの存在全てを感じていたいと思う。このまま永遠に時が止まってくれればいいのにと思ってしまう。
そう、この時だけは願ってしまう。今だけはオレは永遠というものを願い、心の底から求めずにはいられない。永遠なんてありえないと思っていても、願わずにはいられなかった。
「うぅ……消えないでくれっ、かなで。かなでぇ!!」
「命をくれて……本当に、ありがとう!」
かなでがそう言葉にした瞬間、かなではこの世界から消えた。
抱きしめていたかなでが、急にそこにいなくなってしまったことで、オレは前のめりになり転んでしまう。
それでも、地面に手をついても、そこにいたはずのかなでを決して離すまいと無我夢中になって掴もうとした。ただ必死に、空気しかない場所をひたすら捕まえるように掴もうと腕を動かしていく。
「あっ……ああっ! あああああああっ!」
だが、かなではもうこの世界にはいない。この世界からは存在が消え、新たな人生へと旅立った。
結局は何も抱きしめることも、掴むことさえも出来ないまま、また地面に手をついて呆然とする。
「あぁ……ぁ……」
オレは目を見開いて、かなでのいた場所を見る。そこには何もない。オレは、ただ必死に息を吸って吐くだけしか出来ない。呼吸をしながら、少しずつかなでがいないという現実に自分の全てが満たされていく。
「……っく、ううぅ……」
かなではいない。もうこの世界には誰もいない。自分一人だけだ。
かなでがいないという孤独感とかなでを失ったという喪失感が、一気に自分に襲いかかってくる。この絶望的な現実に、自分の肩を掴むように膝を地面につけながら頭を下げてうなだれた。
なぜ、こんなことになったのか。なぜ、こうなってしまったのだろうか。
何を間違えたのかを考えてみても、もう分からない。思考しようとしても、まったく思いつかない。何もかもが真っ白で、自分の感覚が薄れて行く。
“なんで、かなではこの世界からいなくなってしまったんだろうか”
“なんで、取り返しのつかないことになってしまったんだろうか”
“なんで、かなでに自分の本心を伝えてしまったんだろうか”
もう、ここには誰もいない。仲間もかなでも、誰もがこの世界からいなくなってしまった。誰かに問いかけようにも、返ってくることはない。問いかけに答えてくれる人間はいない。
自分を恨んだところで、かなでがこの世界から旅立ってしまったことは変わらない。起こってしまった事に、自分はもうどうすることできない。
溢れんばかりの虚無感と絶望感と行き場のない自分の本音の感情が絡み合っていく。自分の中に抑え切れず、全ての感情と想いを言葉に込めて、爆発させるように叫んだ。
「かなでえぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーっ!!!」
オレは空を見上げ、精一杯かなでの名前を叫んだ。声が枯れてしまってもいいと思うくらい、一心不乱に叫び通す。その声は、学校の敷地内中に響き渡ったはずだ。
それでも、まだ足りない。きっと、まだまだ足りないんだ。もっともっと、必要なんた。
はるか遠くに見える光の玉が、飛び立ったように夕焼けの空へと真上に進んでいく。あの光の玉まで、オレの声は届いたのだろうか。
……いいや、きっと届かなかったに違いない。決して進むスピードが緩むことなく、夕焼けの空へと光の玉は消えてなくなる。
その瞬間、自分の中から湧き出る感情だけが残留し、段々とその感情は自分自身を飲み込んでいく。
いつの間にか地面に転がり、自分はまぶたを閉じたのか、目の前の景色は暗闇へと変わっていた。
Angel Beats! AFTER BAD END STORY is to be continued.
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意識が混濁する中で、ふと脳裏に何かの言葉がよぎったような気がした。
ただ、その言葉が何だったか、どのような言葉だったのか。そもそも、それは言葉だったのか。段々と分からなくなってくる。
だけど、それは自分の胸を締め付ける。
銃で撃たれたように、胸の中を痛みつける。
そうか。これが、かなでの抱えていた哀しみ。
これが……かなでが本当に返したかったものだったんだ。
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