Angel Beats! AFTER BAD END STORY 作:純鶏
序盤はサイドストーリー的なものにはなってしまいますが、
後半は本編の内容になりますので、楽しんでいってください。
ちなみに、今回は朝霧が音無と初めて出会った時のお話になります。
《2011年3月18日09時30分頃:学生寮裏道》
今は3月の中旬。桜の花のつぼみがそろそろ開き、学校は今に桜の花で桜色の景色が見えてくるようになる頃だ。
桜並木の下、私は学生寮へと歩いている。
「はぁ……さすがに重いなぁ」
学校指定の手提げカバンを左手に持ち、右手にキャリーバックを引き連れて、学生寮裏へと続いていく道を歩いていく。これだけの荷物を持っているのだから、重いのは仕方ないちゃあ仕方ない。
そういや、さっきから歩いている割には私以外の学生が見られないな。なんでだろ……って、それもそのはずか。学校はたった今、春休みの真っ最中なんだった。学園に残っている学生もいるけど、実家へと帰る学生も少なくない。私のような学園に残る人間なんて、きっと希少なんだろうな。
「あーもう! この坂道キツイよ。なんでこんなにキツイの?」
今歩いている道が思っていた以上に斜面が急な造りで辛い。ついつい、文句を言いたくなる。
一歩一歩歩くのがこんなに辛いものになるなんて予想していなかった。でも、ここまで辛く感じてしまうのは、私が色々と荷物を持っているせいなのか。それとも、私自身が滅多に通らない道だからそう感じてしまうのか。もう分かんなくなってきた。
(だけど、この道を通る機会も増えるから、今のうちに歩き慣れとかないといけないしなぁ……)
いつもなら大食堂と繋がっている渡り廊下を行くか、斜面が緩やかな坂道を通っている。だってそっちの方が楽で近いから。
けど、今は食堂の中は閉まっているし、いつも通っている道では今向かっている目的地に対して遠回りになっちゃう。だから、近道であるこの坂道を通っているんだけど……やっぱ道の選択を間違えちゃったなぁ。
(あっ、でも……見えてきた)
そういやこの坂道、斜面が急になっている分、道自体の長さは短い。やっと今、この坂道の終わりが見えた。その後はたしか平坦な道だったはず。今よりかは、絶対に楽になるはず。
「……よしっ! あと少しの辛抱だ、頑張れ私!」
自分にそう言い聞かせるように応援する。案外応援というものは、ゴールが見えた時にすると効果が増すのかもしれない。一気に坂道をのぼってしまう。
「……っ! やった、やっとのぼれたよ~!」
荷物を地面に置き、ひとまず休憩する。朝から少し体力を使い過ぎてしまったかも。
きっと、キャリーバックを引き連れているだけならそんなにつらくはなかったんだと思う。だけど、学校指定のカバンに色々と荷物詰め込んでしまったせいか、カバンを担ぎながら足を前へと運ばせるのがだいぶしんどかった。
一応、学校に必要なものと私物と分けといたのだけれど、案外学校で必要なものの方が多かった。それだけに、担いでいたカバンが重くなってしまったのが坂道を辛くさせてしまうことになるとはね。
再び荷物を持ち、学生寮裏の道を歩く。厳密には男子寮の裏道。第3棟のとこまで歩いて、学生寮のごみ置き場の前までやって来た。
「そういや円堂先生、学生寮の裏口から入れとか言ってたけど……あれはどう考えても“非常口”だよね?」
つい独り言を言ってしまったけど、さすがにツッコミを入れたくなって言ってしまった。聞かれてないか周りを見渡すけど誰も見当たらない。
よかった、だれもいなくて。いたらさすがに恥ずかしい。
「うーん、でもさすがにこれだけの荷物持って入れないしなぁ……もしかして、他にあるのかなぁ?」
私のいるところからは、学生寮の裏口の玄関らしきものなんて何一つ見当たらない。強いて言えば、ゴミ置き場の隣に上にあがれる梯子があり、ごみ置き場の上から階段に繋がる非常口の扉が見えたくらい。周りを歩いて探してはみたけど、結局は学生寮の中に入れる扉なんてものは、非常口以外なかった。
(……仕方がない。今日は学生寮の正門から入るしかないかな)
しぶしぶ学生寮前の渡り廊下を通り、学生寮の正門であるエントランスから学生寮へと足を運ばせる。さすがに、重たい荷物を担いで梯子を登り、非常口から入って階段をのぼるなんて無理だ。それこそ非力な私には出来やしないし、傍から見たら“どれだけパワフルなんだ!?”とか思われちゃいそうだよね。
学生寮の中庭を歩いては、第3棟の学生寮の玄関から中へと入っていく。玄関から入ってすぐの管理室の前まで来たら、そこで立ち止まっては荷物を置いた。
さすがに、学生寮の管理人さんには挨拶しないといけない。男子寮の特に第3棟の管理人さんに会うのは始めてだから、ちょっと緊張しちゃうな。
「あの、すみません」
「はいはい、どうしたのかね?」
管理室の扉をノックすると、中から白髪でメガネをかけた男性が扉を開けて出て来た。たぶん70代くらいかな。おじさんと呼ぶにはさすがに相応しくなさそうな年齢だと思う。
管理人のおじいさんは、私を見て少し不思議そうな表情を浮かべていた。確か連絡はしてあるはずだから、私のことは分かるとは思うんだけど……そんな反応をされると少し戸惑ってしまう。
「あっ……えっと、私……」
「……ああ~、あんたか。この男子寮に入る予定の子というのは。はいはい、先生から聞いとるよ」
管理人さんはしばらくすると何かを思い出したかのように口を開いた。少し不安になってしまったけれど、思い出してくれたようで助かった……
「はい。この度この寮に引っ越すことになりました、朝霧史織です。ここの管理人さんですよね? この度はよろしくお願いします」
「ほぅ。そうかそうか、あんたも大変じゃ。女子寮の改築とか何とかで女の子を男子寮なんかに住むなんて。最近の学校は色々すすんどるのぅ」
「あ、あはは。そうですね、普通はありえないですよね……」
とりあえず、私は適当に受け流した。どうやらこの管理人さん、なんで私が男子寮に住むことになったのか知らないみたいだ。先生がこの管理人さんに私がここに来た理由を伝えてないのは、話さない方がいいと判断したからなのかな?
……まぁ私にとっては、その方が都合がいいかもしんないや。正直、知られてない方がだいぶ気が楽だもん。
「えっとたしか……あんたの部屋は3200号室だったかの? カギはあるのかい?」
「あ、はい。大丈夫です。先生からもらいました」
「そうかそうか。それじゃあ、もし何かあったらいつでも呼びなさいな。まぁ、あそこの階はよくオバケとか何かが出るとか騒いどる学生さんもいるが、別に気にすることはないじゃろ。人間だろうが、オバケだろうが、扉の鍵さえかけときゃ何も入ってこれんよ」
「ははは……」
(お、おばけ? 人間ならまだしも、おばけなら扉の鍵を閉めたところで入って来るんじゃ……)
って、おばけなんているわけない。ただの噂だし、そんなの……いるわけない、よね?
考えれば考えるほど変に不安が募っていってしまいそうだから、考えるのはよそう。
「そ、そうですね。ありがとうございます。それじゃあ荷物もあるので……」
「すまんのぅ、もうちょっと若けりゃ荷物を運ぶのも手伝っても良かったんじゃが……」
「いえいえ、そこまでは大丈夫ですよ。そんなに荷物もないので一人で大丈夫です」
「そうかい? なんなら、どっかから人手を呼ぼうと思ったんじゃけど」
「いえ、本当に大丈夫です。それじゃあ、管理人さんありがとうございました」
そう言って管理人さんに会釈して、管理室の扉を閉めた。
本当に手伝ってもらうほどの量じゃないし、誰かに手伝ってもらうと逆に気をつかって疲れてしまいそう。エレベーターもあるんだし、疲れることもないでしょきっと。
荷物を持ちながら近くのエレベーターまで歩いて、エレベーターのボタンを押す。
「ん? あれ?」
しかし、ボタンを押してもエレベーターが動く気配がない。いつもボタンを押すと明かりがつくのに、何回押してもつかない。なんでだろ?
「あっ、ここのエレベーター。使えないんだ」
エレベーターの扉には張り紙が貼ってあって、“使用禁止”と達筆な字で書かれてある。どうやら私が今いる場所。玄関近くのエレベーターは故障しているみたいだ。わざわざ張り紙を貼ってあったのに、なんで気付かなかったんだ私……
(仕方ない、もう一つ奥のエレベーターに乗るかな)
仕方なく、渡り廊下を進んでいき、男子寮の中へと入っていって奥のエレベーターへと向かう。基本、建物の中の造りは女子寮と一緒なので迷うことはない。
(あ、でも……まさか、奥のエレベーターも壊れてる、とかないよね?)
そうだったら最悪だなぁ。重い荷物を持って階段をあがらないといけなくなるわけだし。そうなるとさすがに自分一人では大変だし、困ったことになっちゃう。
でも、奥のエレベーターの扉には張り紙はなかった。上の階にあがるエレベーターのボタンを押すと、エレベーターはすでに1階でとまっていたようで、すぐに扉が開いてくれた。
良かった、動いている。2つともエレベーターが壊れていて、階段しか方法がないということにはならなくて済んでほんと助かった。
エレベーターの中へと入り、“5”と書かれているボタンを押しては、ついでに扉を締めるボタンも押した。
女子寮の時もエレベーターに乗る機会が多かったから、1人の時は何も確認せずに扉を閉めてしまうクセがあるけど、これって誰もいないか確認してから押した方が良いんだよねきっと。これからはもうちょっと意識しないとなぁ。
(それにしても……男子寮なんて初めて入ったな。ちょっと緊張してきた)
今まで、玄関近くの集合・娯楽室か学習室くらいしか入ったことはないし、その奥は基本侵入することは禁止されている。それは女子寮でも一緒で、異性である学生は部屋までは入れないようになっている。
とは言っても造りは一緒だし、多少のインテリアとか置物くらいしか違いはないんだよね。むしろ、男子寮の方がある意味キレイな感じがするな。
(……でも、とうとうここまで来ちゃたんだな)
正直、女子が男子寮の中に入るなんてことは異例だ。普通なら異常だし、特別なことだと思う。
だけど私はそれなりの理由があってここまで来た。成り行きではあるけど、この男子寮に住むことになった。私は例外として、男子寮の中へと入ることを許可してもらった。まぁ特別であったとしても、そんな許可がおりてしまうなんてことは常識的にありえないんじゃないのかな。てか、誰だって普通にそう思ってしまうと思う。
でも、実際こうやって男子寮にいるのは、男子寮に住むことになったのは、円堂先生あってのこと。ほんと頼りになるというか、生徒のことを考えて行動する先生だなと思う。そう思うだけで、円堂先生の凄さを感じて胸が熱くなってくる。
(あ、そういやどこに入れたっけ……部屋の鍵)
私は思い出したかのように鍵を探す。学生服の上着のポケットを触ると、なにか固い感触を感じる。手を入れて取り出すと、やはり円堂先生にもらった鍵があった。新品のようにきれいな鍵に、部屋の番号が分かりやすいようにプレートがついている。
この鍵が私に新たな居場所をくれる物だと思うと、私にとってとても大事な物のように感じてくる。絶対失くさないように、しっかりと学生服の胸のポケットに入れておこう。
エレベーターの動きがゆっくりになっていくのを感じる。見てみると4から5の数字に変化して、エレベーターの動きが止まった。扉が開いたのと同時に、荷物を持ってエレベーターから降りる。
エレベーターの扉の開いた先は5階の渡り廊下。その奥にはいくつか、机とイスが置かれているティールームがある。これに関しても、女子寮と一緒なんだと思う。
「……ぁっ!?」
声に出そうになった言葉を必死に抑えた。エレベーターを降りてすぐのティールームで机に座っている男子の姿が目に入った。驚いてしまったせいか、まるで息が詰まりそうな感覚になって、進めようとした足取りを止めてしまう。
でも、ティールームにいる男子は私には気付かない様子で、手に持っている本を読んでいる。本の大きさとカバーのイラスト絵を見る限りでは、ライトノベルに見える。どうやら、ライトノベルに夢中になっていて、私の存在に気付かないみたい。
(よ、よぉし……今のうちに、そっと静かに行こうっと)
私の目的地である部屋は、東側の奥。つまりは、この5階の渡り廊下の先に私の部屋があるということになる。周りを見渡し、ゆっくりと男子にバレないように廊下をゆっくりと歩いて行った。
「えーと……あった! 3200、ここだ!」
とうとう私は、新しい居場所となる部屋の前までやってきた。ふと、ここらへんの周りの部屋を見渡すと、生徒はみんな不在なのかな。部屋の扉のドアノブの方に、不在を知らせる札がかかっている。
もしかしたら、使われていないのかもしれない。そこらへんは聞いてないから、また後で聞いておこうかな。
私は今まで担いでいた学校指定のカバンを床に置き、目の前の部屋の扉を開けようとドアノブに手をのばした。
「…………」
ドアノブを握って回す。ただ、それだけなのに、体の中の心臓の鼓動が慌てているように早くなる。なんでだろ、ただ扉を開けるだけだというのに、何故かすごく緊張してしまう。
もしかしたら、この部屋に入ってしまった最後。もう後戻りはできなくなってしまうのではないだろうか。そんな気がしているから緊張しているのかな。
でも、だからといって、女子寮に私の居場所なんてない。他に安心して帰れる場所なんて今はない。そもそも、あの場所に戻りたいなんて微塵も思わない。
じゃあ、学校に行くのを辞めて遠い故郷にある実家に帰る? ……いや、今さら実家に帰ることなんてできないよ。この学校から出て行くという選択肢は、そもそも存在しないんだから。それに学校の敷地外は森林しかなくて、住める場所なんてないし、学校の敷地内で考えるなら男子寮だけなのかもしれない。男子寮しか居場所がないというのなら仕方がない。諦めるしかない。そうするべきなんだ。そうなんだよ私。
(……でも、それで本当にいいの?)
自分に対する問いかけが脳裏によぎった。
いいや、考えちゃいけない。考えたところで戻れないのだから。新しい居場所に入るということ、後戻りが出来ないということ自体が怖いだけなんだ。進んだ一歩を今更になって躊躇してどうするの。
「……ふぅ~~」
目を閉じ、ひとまず大きく深呼吸をする。両手を胸に当て、自分の中にある空気全てを入れ替えるように深呼吸した。何度も思いっきり息を吸っては吐いてを繰り返した。
「……ようし! 入らなくっちゃね!」
私は意を決し、自分の手をドアノブの方へ伸ばした。
たしかに私自身、迷いはあるし、不安もある。けれど、もう後戻りはできない。後戻りをしてはいけない。そう、私は勇気を出して逃げて来たのだ。今更、ここで逃げてしまったら、あの時勇気を出した意味がなくなってしまう。
もう、退路は断っていくしかない。振り返っちゃいけない。このまま進んでいくしか、他はないのだから。
「……進むしか、行くっきゃないんだよ、私!」
私は目を開き、決心してドアノブに手をかけた。部屋の扉を開けようと、手をひねるようにドアノブを回す。
……しかし、開かなかった。鍵が閉められ、扉は開かなかった。
「ん? あれ? ……あっ、そうだった!」
そりゃそうだ。部屋の鍵が開いているわけない。だから先生から鍵をもらったというのに、私としたことが恥ずかしい。もしこんな姿を他の誰かに見られてたら、恥ずかし過ぎて赤面してしまうとこだった。
学生服の胸のポケットの中に入っている新品同様の綺麗な鍵を取り出して、ドアノブにその鍵を差し込んでみる。鍵はしっかりと中へと入っていき、鍵を回してみると扉から鍵が開いた音が鳴る。もう一度ドアノブを回すと、今度こそ扉は開いてくれた。
廊下に置いといた学校指定のカバンとキャリーバックを持ち、部屋の中へと入っていく。部屋の中は、何があるのか分からないくらい真っ暗だった。これでは歩くのも困難だから、部屋の扉から入ってすぐに部屋の電灯のスイッチを探すことにした。
手当たりしだい、電灯のスイッチがありそうなところを壁伝いに触って探す。
「えーと、どこ? どこにあるの?」
しばらくして、やっとそれらしきものを見つけた。とりあえずそれを押してみる。
すると、部屋の中の電灯が光り出した。思っていたよりも眩しい。電灯の明るい光に、つい目を閉じてしまう。
「うぐっ、眩しいな! 誰だ!?」
「うぇっ!? ……えぇっ!?」
驚いた。部屋の中から声が聞こえた。変声期を終えた男子のような声に、驚きを隠せなかった。まさか、部屋の中に誰かがいるなんて想像もしていなかったから、つい驚いた声を出してしまった。
(えっ……なんで?)
普通この部屋の中に誰かがいるわけない。だって、鍵がかかっていたから、誰かがこの部屋に入れるわけがないから、絶対おかしい。
となると、私は部屋を間違えた? 入る部屋を間違えたということになるのかな? いや、そんなわけない。部屋の番号は確認したし、実際に扉の鍵も開けた。何かの手違いでない限り、私の行動に間違いはないはず。
眩しくて開けられなかった瞼も、しだいに光に慣れて来た。思い切って瞼を開いて、私は部屋の中を見る。
誰かの私物のようなものが周りにはたくさん置かれている。明らかに、他の誰かが今も住んでいるような生活感のある部屋だ。決して、空き部屋なんかじゃない。
「……え、女子っ!?」
驚いたような声を上げているのは、男子。布団にくるまってるから体全体は見えないけど、オレンジ色の髪色をしているのは分かる。やや、やつれた顔つきをしている男子は、私を見てとても不思議そうな表情を浮かべている。
きっとこの出会いは、偶然。さすがに予想できない。むしろ誰が予想できるんだろうか。
いっそ、部屋の中におばけがいた方がまだ予測できた。しかし、中にいたのは人間。扉の鍵がかかっていたのに、まさか人間が部屋の中にいるなんて……
私と目の前の男子はただ呆然としたまま、見つめ合う。
部屋の中の時間だけが、まるで止まってしまったかのように。
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《2011年3月19日01時40分頃:男子寮第3棟の3200号室》
目の前はぼんやりとした世界が広がっている。まるで私がぼんやりとした暗闇の中を漂っているみたいだ。
そんな世界の中で、1人の女の子が私に近づいてくる。忘れられるわけがない、大切な私の友人。
でも今は懐かしいような感覚を抱いてしまう。きっと私自身、彼女の存在を忘れていたからかもしれない。絶対に忘れるわけないのに、記憶から抜け落ちていたかのように、彼女という存在が空白になっていた。
友人の名前は“木田紗也乃”という、同じクラスの女子。忘れもしない顔立ち、懐かしくも感じる彼女の面影は、もう死んでしまっているとは思えない。
彼女は私の前に立ち止まった。やや悲しげな表情で私に何かを告げようとしている。
「うちはしーちゃんのために死んだよ? なんで目を背けようとするの? 逃げないでよ、しーちゃん!」
(わ……私は、ただ……)
「だって、うちら……友達でしょ? 親友でしょ? しーちゃんの代わりにうち、死んであげたじゃん。親友なら当然のことだよね? だから、ねぇ。しーちゃんもうちのところに来てよ」
(そ、そんなの……できるわけ……)
「なんで? じゃあ、うちはなんで死んだの? しーちゃんのために死んだのに、しーちゃんはうちのために死ねないの? そんなの酷くない? 結局しーちゃんも姑息な人達と一緒じゃない」
(ち、違う! 私は……)
「何が違うの? 違うんなら、死んでよ! 死ねないなんて、しーちゃんおかしいよ。しーちゃんは、友達想いの良い子でしょ? うちのことを想ってくれるんなら、うちのために死んでくれないの?」
(だって……だって私は……)
「………言い訳ばっかり。結局、しーちゃんは一緒だったんだね。あの人達と一緒だよ! いいや、一緒なんかじゃない。しーちゃんの方がよっぽど姑息だね。私を上手く利用して、殺したんだ。私を殺したのは……しーちゃんだ!」
「ち、ちがうっ!!!」
部屋の中で私の声が響いて聞こえる。目の前の光景は暗闇で私はベットの上にいた。周りを見渡しても、死んだはずの友人はどこにもいない。友人らしき人間どころか、部屋の中には私しかいない。目の前には……誰もいない。
なのに、この世界にはもう存在しない友人の面影が、私の脳裏に焼き付いている。彼女の顔だけが、今はどうしても思い出してしまう。どうして今まで記憶から抜け落ちていたんだろう。
でも分からないわけじゃない。きっと私は忘れようとしたんだ。考えないようにしたんだ。自分を守るために、友達の存在を消して空白にしたんだ。きっとそうだ。それ以外、理由が思いつかない。
今になって、全てが思い出されていく。死ぬ間際に笑った友人。死ぬというのに彼女は満足そうな表情をしていた。明らかに彼女は幸福そうだった。人のために死ねることこそ、最高の幸せだと。友達のために死ねることこそ、本当に親友であると。
死を選んだ彼女は、至高の幸せを手に入れたように、笑顔で死んだ。死ぬことに幸せを感じながら、彼女は地面に落ちるまで微笑んだままでいた。そんな彼女を忘れようとして忘れることなんて出来ないのに、まるで神様に記憶を抜き取られてしまったかのように生きていた自分が不思議でたまらなく感じてしまう。
(……ああ、ダメだ。これは……ヤバイやつだ……)
友人を殺したのは誰なのか。そんな問いは、決してしてはいけない。その問いの答えは、私を殺そうとする。
答えのない答え。きっと誰かに問いかけたら、友人が友人自身を殺したというのが返ってくるのかな。
でも、私は違う。当事者の一人である私が私自身に問いかけたら、答えは違う。
だから問いかけることはしなかった。言葉にしなかった。そのことを考えないようにしてきた。決して、自問自答という行為は縛っていた。
しかし、夢までは無理だった。眠りについた自分のおぼろげな意識は、無意識に考えてしまった。脳裏に焼き付いてしまった友人のことを思い出し、考えてはいけないことを、気付いてはいけないことを、思ってしまった。とうとう考えてしまった。答えを見出してしまった。
木田紗也乃という友人を殺したのはだれか?
…………“朝霧 史織”。まぎれもない……私自身だ。
「ううぅっ!!」
ベッドから跳ね起き、洗面台に向かった。両手で口を押さえ、嘔吐物がはみ出ないように覆い隠す。しかし、喉から出て来てしまったものは戻らない。口のすき間からはみ出るように、胃液の混じったものがこぼれ、地面に落ちていく。
でも関係ない。洗面台に向かうことだけを一心に、全速力で向かう。口からはみ出た液体が手につこうが、パジャマにつこうが、地面にこぼれようが構わない。構わずに向かうだけ。向かうだけしか考えられない状況に今いる。
洗面台の前に来た瞬間に、両手と口で塞ごうとしていた力を緩めると、一気に嘔吐物をぶちまける。
楽になりたい。這い上がった液体を、出してしまいたい。自分の中の気持ち悪いものを、汚いものを、辛いものを、何もかも全て、出しつくして、空っぽにしたい。
「うえええええっ!! うえええええええええええっ!! えぇっ、おええぇぇっ!」
死にそう。もう、死にそうなくらい吐いている。ただ、楽になりたいだけ。
なのに、体を蝕んでいく汚物を吐き出しているのに、一向に楽にならない。自分という存在全てを吐き出してしまいそうな勢いだ。
きっと私はここで死ぬのかもしれないや。友人を殺した私は、ここで惨めに死ぬのが相応しいということなのかな。いや、死にたくない。まだ私は死にたくないよ!
けど、楽にならない。吐くという行為も止まらない。しばらくこのままの状態でいたら、確実に死ぬ。抗うこともなく、意識を失って死んでしまいそう。
「お、おいっ! あんたどうしたんだっ!?」
誰かやってきた。誰だっけ? でも、今はそれどころじゃない。ひたすら吐き続けるだけしかできない。洗面台に必死に手でしがみつきながら、洗面台に口から胃液と共に汚物を吐き出していくだけ。
ふと、背中に何かを感じる。背中の中心に何かが触れてきたような感覚。
きっと、この人には何気ない行動だったのだと思う。とっさにとってしまった行動でしかないのかもしんない。
でも、それだけで十分だった。私の吐き気を抑え、嘔吐するという行為に抑止力をかけるには、とても十分で効果的な行動だった。
「う、うぅ……」
不思議だけど、吐き気が治まっていく。正直、止まるとは思わなかった。全てを吐いて、ずっと死ぬまで吐き続けているとさえ考えていた。
楽になりたい私を、本当に気分を楽にしてくれて救ってくれたのは、音無という男の子の行動だった。
私の背中を優しくさすってくれている男の子。音無くんは、私を労わってくれている。彼の優しさが伝わるからなのかは分かんないけど、確実に私の心が安らいでいくのは分かる。温かい何かが心の中から溢れて来る。背中をさすってもらっているだけなのに、なんで私はこんなに気持ちが楽になるんだろう。
不思議。不思議な感覚だけど……救われる。正直、ありがたい。何知れぬ感情が、湧いて出て来る。
「大丈夫か、朝霧さん!」
「うう……うわぁぁぁぁぁん!!!」
私は泣いた。吐き終えた私は、地面に崩れるようにして涙を流し続けた。
どうしてこんなことになってしまったんだろうか。
私はただ、友達と一緒にいられれば良かった。
仲の良い友達と楽しい日々を過ごしたかっただけなのに。
木田紗也乃のことは、みんな忘れた。私も忘れていた。彼女の存在なんてなかったかのように、みんなは普段の日常を送っていた。まるで、そんな女子は元々いなかったのだと。
だけど私は彼女のことを忘れていても、私を追い詰めた人物を忘れはしなかった。友人を忘れた私でも、心には友人の存在が根付いていた。
だから私は、あの姑息な女子から逃げた。息苦しい女子寮から出て行ったんだ。もうあそこに、私の居場所はない。あそこにいれば、私は永遠に苦しむことになる。
音無くんは、相変わらず優しく背中をさすっている。それだけで、優しさのような何かで満たされていく。その優しさのようなものが、私に涙を流させていく。
私はただ、涙を流していく。嗚咽でも吐露でも洗い流せなかったものが出て行く。涙が私の想いを洗い流してキレイにしていく。
きっと音無結弦という男の子がいなければ、私はこの時死んでいたかもしんない。死んでいなくとも、私自身で自殺をしてしまっていたかもしんない。どうなっていたかなんて分かんないけど、彼に助けられたことには変わらない。
それだけに私は彼に惹かれてしまったのだろうか。命の恩人という意識が彼を意識してしまう原因になっているのか。
でも、彼のやった行為は大層なものではない。実際、誰だって良かったのではないかと思ってしまうこともある。
でも……
たとえ、小さなことであっても
たとえ、誰であっても
音無くんが私を助けてくれたことに、私は感謝している。救われたという想いを抱いたことは変わらない。
だから、私は音無くんに惹かれ始めた。
彼のことを想うようになったのはその時から。
part2へと物語は続く。
朝霧回でした。
朝霧というキャラが少しでも知ってもらえたらなと思います。
ちなみに次のお話の内容は時間系列が飛び、
音無がロシアンルーレット勝負を終えた後の内容になります。
すこしばかりでも、本編の朝霧の行動面の理由が見えて来ると幸いです。