Angel Beats! AFTER BAD END STORY   作:純鶏

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とうとう、長い1日の幕開けです。


EP18 ― haze to hang

 窓の外から聞こえていた雨音はもう聞こえない。

 昨日まで強く降っていた雨も、今日には止んでしまったようだ。

 

 

(……ん?)

 

 

 突然、電子音が部屋の中で鳴り響いた。ベッドの上で横になっていたが、顔を上げては置時計を見る。

 時刻は“8:00”となっている。とうとう朝の8時になった。動くべき時間へと到達してしまった。

 

 

『……とうとう8時になっちまったけど、大丈夫か?』

 

「ああ大丈夫だ。落ち着いてるよ」

 

 

 ふと、大丈夫と答えてしまった。しかし今思うと、ナツキはどういった意味でオレに対して大丈夫かと尋ねたんだろうか。ナツキの問いかけは何に対しての心配なのか。ちょっと曖昧ではある。正直、落ち着いているという言葉が返答に適していたのかどうか……分からない。

 

 だけど、きっとオレの心の状態について大丈夫かと聞いてきたのだと思う。昨日の夜も史織のことで動揺していたオレを見て心配していた。少し声色が優しい感じがするだけに、ナツキはきっとオレがまた暴走しないか不安を抱いているのだろう。

 

 

(まったく、ナツキも心配性だな……)

 

 

 たしかに、不安や焦りが自分の心を締めつけてきて苦しい。史織のことが心配かと問われたら心配で仕方がない。心配ではないと言ったら嘘になる。

 だけど、ナツキの声が聞こえる辺り、本当に自分は落ち着いているんだろうな。本来なら今の状況で落ち着けるわけがない。じっとしていられるわけもないんだが、ここまで落ち着けるのは何故なんだろうか。

 

 それはきっと……考えないようにしているから。きっと考えてしまわないようにしているからだ。だって今、史織のことでもしものことや嫌な憶測など色々なことを考えてしまったら、正気じゃいられなくなる。

 自分の精神を保つためにも、史織を信じるためにも、待つことが最善であるという結論を覆さないためにも、考えることを止めた。

 

 

 以前のオレがそうだった。考えれば考えるほど精神が蝕まれていった。果ての無い答えを探すように何度も何度も考えて、不安と焦燥と絶望の感情が溢れていってしまった。深く考えることを制止させなければ、正常な判断さえも出来なくなる。そうしなければ、自分の精神を安定した状態に保てなくなってしまう。

 だからこそ考えない。嫌な予想ばかり膨らましてしまいそうなら、考えないのが最善策だ。そうすることが、自分が今の落ち着いている状態まで抑え込むことが出来る、ただ唯一の方法なんだから。

 

 

(それにしても、あれからどれだけ時間が経ったんだろうな……)

 

 

 長い時間が経った。19時過ぎから部屋の中で待って、今は午前8時頃。たまに眠ってしまったりもしたのだが、約12時間ちょっとの時間を部屋の中で待ち続けた。今思うと、今の今までよく耐えたなと思う。ちょっと自分を賞賛したくなる。

 でもそれは、信じていたからだ。史織はいつか帰ってくる。いつか部屋の扉を開け、“ただいま”という言葉と共に、帰られなかった理由を言ってくれると。事故なんて起きてなくて、元気な史織の姿が見られると。そう信じて、オレは待ち続けたんだ。

 

 

『じゃあ……本当に行くんだな。学校に』

 

「ああ。これ以上待ってても、きっと史織はこの部屋には帰ってこないだろうからな。それに、8時過ぎたら学校に行った方がいいってナツキも言っていたじゃないか」

 

『いや、それはそうなんだけどな。それよりオマエが学校に行けるのかなって。それで大丈夫かって聞いたんだが』

 

「あ、ああ。そういうことか」

 

 

 ナツキはどうやら、オレが学校に行くことの方を心配していたようだ。

 史織を待っている間、もし8時になっても帰ってこなかった場合、学校に行くことを2人で話し合ったけど、自分自身そこまでは考えていなかった。

 でも、そんなことは心配するまでもない。こんな状況なのだから学校に行かないわけにもいかないじゃないか。たとえ、自分が血反吐を吐こうが行くつもりだ。何があっても学校に行くくらいの決心はもうついているんだ。

 それこそ、学校に行かなくてこのまま待つという選択肢は、すでに消滅して無い。待つことを選ぶことはもう出来ないんだから、今は学校に行くことしか他にないだろ。

 

 

「そんなの大丈夫に決まってんだろ。とりあえず、朝食でも食うよ」

 

『そうか、それならいいんだけどよ』

 

 

 さすがに、朝食は取っておきたい。あまり寝てない状態だし、ご飯も昨日の夜からあまり取ってはいない。学校へ行くのなら多少は眠気も覚まして、ご飯くらいは取ってから行った方がいい気がする。

 

 冷蔵庫を開けては中に何かないか探す。しかし、腹の足しになるような物は何もない。こりゃあ大食堂で何か買って食うしかないな。

 ただ、授業が始まる前には行きたい。いや、行かないと教室に入ることが面倒になる。それ以前に誰かと会話が出来る状態じゃなくなってしまう。それでは、史織を探すのに時間が勿体ない。

 

 そうなるとだ。悠長に朝食を食ってる時間はないから、できるだけ急いで朝食を食べることにしなければならない。最悪、朝食は学校に向かいながら食わなければいけないかもな。

 

 冷蔵庫からパック入りのコーヒーを取り出し、そのままラッパ飲みで中のコーヒーを飲み干す。ぼーっとしていた頭も、コーヒーの甘さのおかげか少しずつ冴えていく。

 

 

 史織……できるなら、教室にいてほしい。部屋に帰って来てないのに教室にいるというのは不思議な話だが、そうであってほしいと願ってしまう。

 そう願うしか、今はできそうにない。

 

 

 

 ×    ×    ×    ×

 

 

 

「おはようございますっ」

 

「はい、おはよう」

 

 

 学習棟の玄関には教師達が何人か立っていた。登校時間までに間に合わなかった生徒を見張るために、きっと玄関に立って見張っているのだろう。

 適当に教師に挨拶しては玄関の中へと入った。下駄箱から内履きの靴を取り出して履き替えると、そこから3年の教室のある第3棟の3階を目指して歩いていく。

 

 学習棟の中では1限目の授業が始まるからか、そそくさと廊下や階段を走っていく学生が多い。ここまで来るのにだいぶ急いで来たのだが、壁にかけられた時計を見ると現在の時刻は8時28分だ。8時40分には授業が始まると考えるとゆっくりしている余裕もなさそうだ。他の学生達の流れに乗るように、オレも他の学生と同じように走ることにした。

 

 

「そういや史織の教室って、たしか3年E組だったよな?」

 

『……………………』

 

 

 ナツキの声は聞こえない。やはり、学習棟の中ということで学生達が多すぎるせいなのだろうか。それとも、単に教室に行くことに自分自身が緊張しているせいなのか。まぁ、原因が何なのかは分かんないけど、ナツキの声が聞こえないという状態であることには違いない。なら、今は自分で判断して行動していくしかないか。

 

 

(たしかE組の教室は、東側の階段を上がってから曲がってすぐだったはず。教室に間違いがなければそこにいるはずだ)

 

 

 学習棟の第2棟から第3棟へと繋がる渡り廊下を歩いていき、3階に繋がる東側の階段を上がっては史織のいる教室へと向かっていく。

 

 史織がどこにいるのか、実際今でも検討がつかない。史織の教室に向かったところで史織がいる可能性は低いんだろう。

 だけど、教員棟に行っても教師達が史織の行方を知っている可能性も低い。一晩中も学生と一緒にいる教師がいるんだろうかと考えたら、余計に知らないように思える。教師が学生と朝までずっと一緒にいる理由なんて、ほぼないに等しい。あったとしても、生徒が精神状態が不安定で心配な場合か生徒と恋人であること以外では思いつかない。きっと聞いてみたところで時間の無駄になりそうだ。

 

 ひとまず、史織が教室にいるかどうかを確認してからになる。それから史織のことを知っていそうなヤツに会って、本格的に探していく。それしか今は方法がない。きっとこの世界で大きな事故なんて起きないだろうし、NPCが事故とか何かで死んだなんて話は今までに聞いたことがない。

 一応は大ケガをして医療棟に運ばれている可能性も思って、学習棟に向かう途中で医療棟にも寄ってもみた。

 けれど、案の定医療棟に入院している学生は誰もいなかった。いつも思うが、医療棟だけはこの世界であまり機能していないように思えてしまう。医療棟でこの世界の学生の姿を見ることは全くないだけに、余計にそう感じてしまうのかもしれない。

 

 また、先日の円堂という教師のように消滅してしまったわけでもない。昨日、三河というNPCが史織を覚えていたのだから、消滅したわけではないことは実証された。それなら、この世界のどこかに史織は存在しているはずだ。

 きっと昨日は連絡をするのと部屋に帰る都合がつかない状況に陥ってしまったのだろうと思う。史織もオレも携帯電話を持っていないし、ケガもしていないと考えるとその方が妥当な気がする。

 

 

 階段を上りきり、一番近くにあるE組の教室の前まで来た。扉は開いたままになっているから、さっそくE組の教室の中を覗いては中を見渡してみる。

 しかし、史織らしき人物はどこにも見当たらない。

 

 

(……やはり教室には来てないのか? だれかに聞いてみよう)

 

 

 とりあえず、廊下側に位置する机の上で顔を伏せて寝ている一番近くの男子学生に尋ねてみることにしよう。

 中に入ると不審がられそうだから、廊下側の窓から話しかけてみるか。

 

 

「なぁ、あんた。ちょっといいか?」

 

「んあ? なに?」

 

「朝霧っていう女子、ここの教室にいないか? カバンとかないか?」

 

「あ? 朝霧? えーっと……多分、ここの教室にはいないんじゃね? そいつのカバンもなさそうだし……」

 

「そうか、わかったよ」

 

 

 うーん、教室には来ていないのか。この教室にいないのなら、やはり史織の身に何かあったのだろうか。教室にいないとなると、本当に検討がつかないな。

 ……仕方がない。こればかりは、史織の知人である三河か柔沢に聞くしか他になさそうだな。

 

 自分のクラスはB組だ。このまま廊下を歩けばすぐにたどり着く。

 問題は自分のクラスの教室の中に入れるかどうかなんだが、別に授業を受けろというわけではないのだから気負う必要は全くない。三河か柔沢にすぐに話しかければ、きっと面倒なことにはならないはず。教師が来るかもしれないが、授業が始まるまでに2人に会ってささっと話をしてしまえばいい。それに柔沢もいることだし、きっと何とかなるはずだ。

 

 

 B組の教室の前まで来ると自分の手に少し手汗が出てきていることに気付く。でも、まだ精神は安定している。気分は落ち着いているから大丈夫だ。

 教室の中を見ると、クラスメート達の大半が机に座っていた。次の授業に備えてカバンから教科書などを取り出していたり、近くの学生同士で喋っていたりしている。そんな学生達の中で、教室の窓際で日焼け止めを塗っている三河が見えた。隣の席は誰も座っていないし、誰かと喋っている様子もない。今のうちに話しかけた方がよさそうだ。

 

 

「三河、ちょっといいか?」

 

「あ、音無くんじゃない。おはよう!」

 

「実はさ。朝霧のことなんだが……昨日は結局帰ってきていないんだ。三河は何か知らないか?」

 

「……えっ? あさぎり? どういうこと?」

 

 

 三河は不思議そうな表情を浮かべてこちらを見ている。昨日も知らなかったようだし、やはり三河も史織の行方については全く知らないのかもしれない。

 

 

「それが……あれからずっと帰ってないんだ。オレが思いついたところは行ったし、朝霧の教室も行ってみたんだが、まだ学校には来てないみたいなんだ。それで三河に聞きたいんだが、他に朝霧がいそうなところとかどこか思いつくところとか知らないか? 最悪、今からでも探そうとは思ってるんだが……」

 

「ね、ねぇちょっと。ちょっと待ってよ音無くん。ひとまずね、ちょっと聞きたいんだけど……」

 

 

 三河も動揺しているようで、オレの言葉に焦りを感じる。頭の中が整理できていないのかもしれない。少し急いて喋ってしまったかもしれないな。だからといって、そんな悠長にしている時間があるわけでもないけど。

 

 

「その“朝霧”って、だれ?」

 

「…………はあっ?」

 

 

 戸惑いの表情を一向に変えない三河は、オレにとって戸惑いを与える発言をしてきた。まさかこんな状況で、冗談でも言ってはいけないような言葉を口に出してきた。なんでそんなことを言うのか、わけが分からない。

 

 いや、わけの分からないことじゃない。分からないわけじゃないけど、そんなことを言ってくること、三河がそう言ってきた理由が分からない。

 

 

「ごめんね。その朝霧って人の名前は初めて聞いたけど、その人は音無くんの友だちか何かなの?」

 

「いや、ちょっと待て! 朝霧史織だ! 同じ学年の朝霧史織だよ! あんたとは友だちだったはずだ!! 昨日は、覚えていたじゃないか!!」

 

「そう言われても、そんな名前の子は初めて聞いたんだけど……えっと、朝霧史織さん? だっけ? さすがの私だって友だちの名前を忘れるわけないし……何か他の子と勘違いしてないの?」

 

「そ、そんな…………」

 

 

 ありえない……史織を知らないなんてことは、絶対にありえない。昨日はいたのに、今日はいないなんていう話があってたまるか。

 そんなこと、信じたくない。きっと三河は、今は忘れているだけだ。忘れ癖があって思い出せないだけなんだ。きっと、こいつはそういうやつなんだ! もっと問いただせば、時間をかければ、きっと史織のことを思い出してくれるはず!!

 

 

「そ、そんなわけない! 史織のこと覚えてないわけないんだ! だってあんた、昨日は友だちのことは絶対に忘れないって言ってたじゃないか!! なあ本当は覚えているんだろ? 単に今は思い出せないだけじゃないのか? 史織はいるって、昨日は言ってたはずだ! いないなんてそんなわけない、そんなわけないだろぉっ!!」

 

「いっ! いたいっ! 音無くん離してっ! 痛いんだけどっ!!」

 

「あっ……」

 

 

 つい力を込めてしまった。酷く肩をしっかり掴んでは大声を出してしまったせいか、教室が一気に静かになる。いつの間にか視線がオレの方に集まっている。

 

 

「……おい、おまえら。朝霧史織っていう女の子を知らないか? E組の女の子なんだが、誰か朝霧のことを覚えてるやつはここにいないか!?」

 

 

 クラスメート達にも問いかけてみたが、誰も知っている様子はない。それ以前に、クラスメート達はみんなオレに畏怖の念を抱いているのか、みんな顔が引きつっている。普通の人間ではない何かを見ているような、そんな表情。黒く冷たい差別的な視線が、このオレに集まっていく。

 

 

「…………ううぅっ!!」

 

 

 まただ。一気に胸の奥が締め付けてきて、胃液が逆流しては口から今にも出て行きそうな感覚。またしても、こいつらはオレを化け物のように見ている。デジャヴのようなこの光景と感覚が、根付いた心の奥のトラウマを引き起こして、オレの体を苦しませてくる。

 そう、あの時と一緒だ。一ヶ月の前の初めて教室に行った時と変わらない。またしても繰り返してしまった。いや、どうしたとしてもNPC達と関わろうとする限りは永遠に繰り替えされるのだろうか。

 

 くそっ、なんでだよ。なんでオマエらはそうなんだ! なんでそうやって、オレを苦しませるんだ! オマエらNPCは、またしてもオレの居場所を奪っていく! 居場所だけじゃない、今度はオレの大切な人まで奪うのか!? オレのような化け物には相応しくないと、化け物はこの世界で淘汰されて孤独に生きるべきだと、そう言いたいのか!? ちくしょう……

 

 

「うっ……ぐぅっ!!」

 

 

 必死に耐える。ここでまた胃液をぶちまけたくない。ぶちまけてしまったら、余計に辛くなる。出した方が楽かもしれないが、それでは自分が弱ってしまう。耐えて、必死に腹を手で抑えて耐えて、頭を上げて前を見る。NPC達を睨むと、余計にNPC達は後ろに後ずさりして距離を取っていた。

 

 なんだその目は! なんだよ、その表情は!! 一体なんなんだよっ!! いかにも信じられないようなものを見てるみたいに見やがって……くそっ!

 最近になって、もしかしたらNPCといても違和感がなくなるんじゃないかって。いつかオマエらとは仲良くなることも出来るんじゃないかって。いつか一緒の教室で授業を受けらえると思ってたのに。そのために、頑張ろうと思ってたのに。なのに、オレに対してこんな仕打ちってねぇよ! 悪いことなんてなにもしてないのに、オレを化け物のように見やがって……ここまで苦しめて追い込んでくるオマエらこそ、化け物じゃねぇかっ!! 

 

 

「……くそっ、オマエらそこどけよっ!!」

 

「ひっ、ひぃっ!」

 

 

 教室の扉の近くにいるNPCに睨みを効かせて言ってやると、逃げるように立ち退いていく。

 オレの何が怖いのだろうか。人間でしかないオレを化け物のように見やがって……もう、うんざりだ!

 

 

「ちょっ、ちょっと音無くん落ち着いて!?」

 

「うるさい! 触るなこの化け物っ!!」

 

「きゃっ!!」

 

 

 三河はオレの腕を掴んで止めようとしてきたが、それを振り払って突き飛ばした。周りからは悲鳴が聞こえ始めるが、今はどうだっていい。今はこの場所から出たい。この場所にいるだけで気分が最悪になる。この教室にいればいるほど、状況が悪化してしまいそうだ

 それにここにいる必要はない。ここの連中にはもう用はない。NPC達に頼ったところで、史織は……

 

 

「うぐっ!?」

 

「おっと、すまねぇ! って、音無じゃねえか!?」

 

「……柔沢っ!」

 

 

 教室の扉を出てすぐに柔沢とぶつかってしまう。柔沢は慌てて教室まで走ってきたみたいだが、扉から出て来たオレを避けることが出来なかったみたいだ。死角になって見えなかったせいで、オレは勢いよくぶつかってしまった。

 

 

「おいどうした? なんか、教室の中が騒がしいぞ?」

 

「……………っ!」

 

 

 心配そうにオレを見る柔沢に対してどう接したらいいか分からなくなってくる。柔沢とは少しは仲良くはなったが、こいつもまたNPCだ。人間くさいかもしれないが、あくまでNPCに過ぎない。そんな柔沢と今は面向かって話すという気持ちにはなれない。

 言葉が出てこない上に、柔沢の顔を見ていると心が揺らぐ。無視するように下を向いて歩き出す。

 

 

「お、おい待てよ音無っ! 一体なにがあったんだ?」

 

「………くっ! 離してくれ柔沢っ!」

 

 

 柔沢がオレの肩を掴む。柔沢自身、本当に何が何だか分からない様子だ。ここでオレをほっといてしまったら、何があったのか事実を聞きそびれてしまうと察したのかもしれない。

 でも、柔沢と話しをする余裕はない。オレは柔沢のその手を振り払おうとする。振り払おうとするが、柔沢ががっしりと掴んでいて、振り払うこともこの場から立ち去ることもできない。

 

 

「少し落ち着け。な? 本当にどうしたっていうんだ?」

 

「……もう、うんざりなんだよ……史織もいないし、オレは……どうしたらっ……」

 

「しおり? 史織って……ああ、朝霧のことか! え、朝霧がどうかしたのか?」

 

「どうかしたって……え? 待ってくれ! 史織のことを知ってるのか!? 柔沢! 朝霧史織を覚えているのかっ!!?」

 

 

 まさかだ。柔沢の口から史織の名前を聞くことになるなんて。てっきり、覚えているわけがないと思っていた。実際、三河が覚えていないのだから柔沢も史織の名前を忘れていると、そう思っていた。

 ところが実際は違った。嬉しいことに、柔沢は“朝霧”と言葉に出してくれた。もしかしたら、史織のことを覚えてくれているのかもしれない。

 

 

「そりゃあ当たり前だろ。え、朝霧って同じ学年のE組の女子のだよな?」

 

「あ、ああそうだ。その朝霧だ。あんたは覚えているのか……」

 

 

 てことは、朝霧はまだこの世界に存在しているのかもしれない。いや、いるんだ。完全にこの世界から消えてしまったわけじゃない。三河が覚えていない理由は分からないが、とりあえず良かった……本当に良かった!

 

 

「と、とりあえず、何があったのか事情を話してくれ……」

 

「……実は、しお」

 

 

 柔沢にオレの周りで何があったのか言おうとすると、学校のチャイムが鳴り始めた。ちょうど、授業が始まる8時40分になってしまったみたいだ。なんというか、間が悪い。

 

 

「待ってくれ、もう授業が始まる。先生が来ると面倒だし、仕方ねぇからちょっとトイレに行くぞ!」

 

「あ、ああ」

 

 

 そう言うと、柔沢はオレの手を引っぱって走る。オレもついて行くように走っていく。

 心なしか柔沢が頼もしく感じる。まるで柔沢がNPCではなく人間であるかのようだ。まるで柔沢は自分の敵ではなく、自分の仲間のような感じだ。

 いや、別に元から敵じゃないけど、よりいっそう自分の味方という感じがした。本当に他のNPC達とは違う何かがあるように感じられる。

 

 柔沢の手の体温がやけに安心するのは、柔沢の体の熱を感じ、何知れぬ信頼感が自分の中で芽生えているからなのだろうか。

 

 理由なんてわからないけど、今はただトイレへと走っていく。暴走していた気持ちが静まっていく中で、何も考えず走っていく。

 今までのことを柔沢にどう話すか、そんなことを考えながら。




18話:haze to hang  ー  “立ち込める靄”


今回も話の内容が長くなったのですが、
本編の内容にだいぶ関与しているため、
パートごとに分割するより区分けしました。

さて、今回で音無さんにとって長い一日が始まりました。
ここから話数に対して時間の進みが一気に遅くなります。

元々、三河はここでは出る予定のなかったキャラでしたが、
今回の役割も含め、出番を増やした所存です。(誰得なんだよ…

次回は、クライマックスを匂わせる回になっています。
トイレに向かった2人は一緒に連れションした後、
どうなるんでしょうね?

余談(裏設定)ではありますが、
音無が話しかけたE組の男子は人間です。
人間なだけに、受け答え方が雑で曖昧だったという感じです。

忘れがちですが、音無以外にも人間はいるんです。
音無は探してもいないので気付いていませんが。

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