Angel Beats! AFTER BAD END STORY   作:純鶏

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このプロローグでは、
アニメの最終回である13話の内容を主軸としたお話です。

色々と補完されていますので、
どのような話だったかを思い出していただくのも含め、
本編の音無に続く物語としてお楽しみください。


Vol.0 プロローグ
EP00 ― prologue part 1


 4日前、突如として死後の世界に“影”と呼ばれる存在が出現した。

 人間を襲い、NPC化させるという“影”の存在は無限に増え続け、死んだ世界戦線に所属する人間達は窮地に追い込まれていた。

 

 そんな中、死んだ世界線のリーダーであるゆりはその影を操っていると思われる、謎の存在がいる場所を突き止める。何とか最深部の第二コンピュータ室へと侵入し、見事に影の発生を阻止。影は消え、NPC達が影と戻っていった。

 

 あれから3日が経った。

 とうとう、ゆりが深い眠りに入って3日が過ぎたことになる。

 

 死んだ世界戦線のメンバー達のほとんどが成仏していき、成仏していないのはリーダーのゆりのみとなった。

 それ以外でこの世界に残っている人間は、人間の成仏を手伝うと決めた者。

 かなで、直井、日向。そしてオレだ。

 

 

「これでいいか? かなで」

「ええ。それで大丈夫よ、結弦」

 

 

 そんなオレは今、かなでと2人で体育館にいた。

 かなでの願いもあって卒業式の準備をしている途中だ。

 

 時刻は11時頃。今は授業中といったところだろう。

 とは言っても、影の事件があってかNPC達はごくわずかしかいない。日に日に増えてはいるみたいだが、本来の人数の3分の1も満たしていない。そのおかげか、体育館を使用する予定は無いようだ。

 

 

「ぉ~~い! たいへん、たいへんだぁっ!!!」

 

 

 体育館の入り口の扉から、日向が嬉しそうな声でそう叫んでいるのが聞こえた。

 声のする方へ視線を向けると、そこには扉を開けたまま息を切らした様子で立っている日向がいた。そんな日向の表情からは、嬉しそうというか喜びの感情が溢れて見える。

 

 

「あっ…………」

 

 

 突如、オレの隣にいたかなでが声を漏れ出していた。さっきまで卒業証書の紙を長机に置いては筆ペンで文字を書いていたのだが、今は少し焦ったように視線を卒業証書に向けたまま体を硬直させている。

 そして、少し物憂げな表情をして溜め息をついていた。どうしたのだろう?

 

 

「どうしたんだ、かなで? 溜め息なんてついて」

「……彼のせいで、大事な卒業証書を間違えてしまったわ」

 

 

 長机の上に置かれた卒業証書の紙を見てみる。卒業証書の紙には「卒業証券」と書かれていた。どうやらかなでは驚いてしまったせいで書いていた字を間違えてしまったようだ。

 かなではその字を見つめながら、どうしたものかと困惑した表情を浮かべている。

 

 

「どうしましょう……」

「また新しく書き直せばいいじゃないか」

 

 

 かなでは間違えてしまった“卒業証券”を両手に持ちながら悩んでいた。

 でも、卒業証書の紙はまだあるのだから、新しい紙でまた書き直せばいい。なにも悩む必要なんて全くない。

 

 それにしても「卒業証書」を「卒業証券」なんて書き間違えるなんてことはあるだろうか。

 かなでは書き損じたわけじゃないのだから、日向が叫んだせいで驚いて書き間違えたようには思えない。というよりも、何か他のことを考えていたせいであって、単に素で間違えたようにしか思えないんだが。

 

 

「でも紙がもったいないし……そうだわ。これは彼の卒業証書にしましょう」

「えっ!?」

「うん、そうね。きっとそれがいい」

 

 

 かなではいいことでも思いついたかのような、まるで何かを悟ったかような表情をしてそう言った。

 つまり、間違えたのは日向せいなのだから、この卒業証書は日向のものにすればいい。かなではそう考えついたのだろう。

 

 

「いや、待ってくれかなで。せっかくの卒業式なんだ。日向だけ卒業証書が『卒業証券』じゃあさすがに可哀想だ」

「でも、彼のせいで間違えたのだから、至極当然のように堂々ともらってもらわないと」

「それでもだ、かなで。よく考えてくれ。きっと日向なら“卒業証券? なんで俺だけ証券なんだ!? 取引にでも使えってことなのか? WHY!?”とか言いかねない。それこそ、執拗に絡んで執拗に粘って執拗にツッコミをしてくる。それはさすがに困るだろ?」

「……そうね。たしかに結弦の言う通り、彼ならやりかねないわね」

「な、そうだろ? 新しい紙はあるから、また書き直そうぜ」

 

 

 良かった。どうやら、かなでは納得してくれたようだ。

 なにせ、何でもかんでもツッコミ癖のある日向のことだ。執拗にかなでに絡んでくるに違いない。

 

 べつにかなでに対してツッコミを入れたいのは分からないでもないのだが、かなではそれを苦手としている。

 日向にはなるべくツッコミを入れないように頼んではいるのだが、やはり癖なのか治らない。そのせいか、ここ数日でかなでは日向を避け気味になっている。

 

 ……まぁ、オレの発言にかなでがすぐに納得したと思うと、すこし日向が可哀想に思えてくるけれど。

 

 

「でも結弦。この紙だと、卒業証書っぽくはなくなってしまうのだけど」

「ん?」

 

 

 よく見てみると、卒業証書用の印刷がされていない。どうやら、オレが渡した紙は何も印刷されていない無地の紙だったようだ。

 

 

「ほんとだ……あれ? 印刷してある紙ってもうないのか?」

「ちょうど印刷機のインクが切れてて……人数分しか印刷出来なかったの」

「それなら、コンピュータ室の先生に頼むか買わないといけないな」

「……それが、今はまだ先生が戻っていないみたい。売店もまだ閉まっているから買えなかったわ」

「そうだったのか」

 

 

 NPC達は影となってしまったことでほとんど消えてしまったが、その弊害がここまで来ているとはな。

 そうなってくると、新しい紙を使って書き直すという方法は使えないことになる。

 

 

「じゃあ、新しい紙に書くのはダメだな。どうしたものか」

「……仕方ないわ。彼のせいではあるけれど、私が間違えたことには変わらないから。嫌だけど、誠意を持って謝るしかなさそうね」

 

 

 かなでは眉毛を眉間に寄せて、明らかに嫌そうな表情を浮かべている。

 きっと、謝るということよりもその後。日向に色々と言われるのが嫌なのだろう。

 

 色々言われると言っても、単に日向はツッコミを入れるだけだとは思うが……まぁ、かなでが嫌がっているのなら、ここはオレが日向に説明するべきかもしれないな。

 

 

「なんなら、オレが日向に説明してこようか?」

「……いいえ、ここは私が謝るわ。結弦にばかり頼るわけにはいかないもの」

「かなで……」

 

 

 意気込んでいるかなでを見て、少し胸が熱くなる。

 べつに特別難しいことでも何でもないのだが、かなでがそう言ってくれたことに何故か感動してしまった。

 

 

「でも、彼にどう謝ったら一番いいのかしら。なるべくなら、事を荒立てたくないのだけれど」

「そうだなぁ……日向だからなぁ。日向が一番許してくれそうな謝り方というと……そうだ。ユイっぽく謝ったらどうだ?」

「ゆい? ゆいって……誰だったかしら?」

「ほら、以前オレが最初に成仏させたじゃないか。ピンク髪のちんちくりんのギター持ってたヤツ」

「……ああ、彼女ね。でも、なぜ彼女なの?」

「それは……だって日向はユイが好きだったからさ」

 

 

 ユイが成仏する前、日向は自分の想いをユイに告白した。

 なんで好きになったのかは詳しく知らないが、今でも好きだという気持ちに偽りはないはず。

 

 

「……そう。でも私、彼女のことはあまり知らないから、彼女らしくするにはどうしたらいいの?」

「そうだな。ユイはよく“ユイにゃん”とか言ってたし、こんな感じで謝ればきっと許してくれるはずだ」

 

 

 ユイっぽく手振りもつけて、かなでに見せる。

 それを見て、かなでも真似をし始めた。

 

 

「ゆ、ゆい……にゃ、ん」

「ダメだかなで。それだと逆に日向に反感を買われてしまうかもしれない。もっと感情を込めて、“かなでにゃん! ごめんにゃん!”と言うと良いかもしれない」

「そ、そう……分かったわ。結弦」

 

 

 オレの言葉を聞いて、かなでも決心したようだ。

 目を閉じて深呼吸をすると、真剣な面向きで、オレを見つめた。

 

 

「かなでにゃん! ごめんにゃん!」

「っ!!?」

 

 

 やばい……やばいやばいやばいっ!!

 なんて、なんて可愛いんだ!!! マジ天使じゃね?

 

 

「天使だ……」

「え、天使? 私は天使ではないのだけど……」

「いや、かなでは天使のように可愛いなって。かなでを見てたらそう思えたから、つい」

「結弦……」

「かなで……」

 

 

 オレ達は見つめ合った。もう、視線を逸らすことなんて出来ない。

 自分の体に心臓はないけれど、かなでに対するドキドキが止まらなく感じる。オレの頭はかなでで段々と満たされていく。幸せなこの時間でいっぱいになっていく。

 

 ああ、この時間が、永遠になればいいのに…………

 

 

「って、こらこらこらぁ!! おまえらいつまで会話を続ける気なんだ!!」

 

 

 そんな空気も束の間、オレ達の良い雰囲気をぶち壊すように日向が立ちながら長机に手を置いて割って入って来た。

 その瞬間、かなでは驚いたかのように立ち上がってはオレの後ろへと隠れた。

 

 

「……なんだよ日向。ユイがこの世界にいないからって、オレ達のことをひがんでいるのか?」

「ひがんでねぇよ!! てかおまえら、絶対に俺のこと忘れてただろ!?」

「そ、そんなことないぞ。なぁ、かなで。そんなことないよな?」

 

 

 そう言うと、かなではオレを見て“うんうん”と頷いた。

 

 

「オレ達は今までずっと日向の話をしてたんだ。日向のことを忘れるわけないじゃないか」

「いや、それ単に俺のことが話題に出てたってだけですから。明らかに俺が体育館に来たってこと忘れてただろ! そもそも、卒業証書を新しい紙で書き直すってところくらいから話だだ漏れで聞こえてましたから!!」

「ううっ……頭が……」

 

 

 かなでが急に頭を抱えながら苦しみ出した。

 どうやら、いつもの日向と接していると発生する頭痛がきたようだ。

 

 

「おい日向。かなでが苦しんでるじゃないか! オレならまだしも、かなでまで一緒にツッコむのはやめろよ!!」

「あ、ああ。すまない……って、なんか俺のツッコミで頭痛するってのは腑に落ちないんだが!」

 

 

 でも実際にかなでは痛そうにしているのだから、かなでに対してはツッコミを控えてもらわないと困る。

 

 

「それに音無! おまえに限っては、なんでかなでちゃんとイチャついてんだよ! 俺がここに来た時、俺の方に視線向けて目が合ったはずだ。完全に俺の存在に気付いていたよな!?」

「まぁ、分かってはいたんだが、かなでと話しているとつい周りが見えなくなってしまったみたいだ。それだけオレにとってかなでの存在が天使のように大きいってことかもしれないな」

「それにしたって、周り見えなくなり過ぎだから。それと他にも色々とツッコミたいところはあるが、最大のツッコミどころは、なんで俺に謝るのにユイっぽくする必要があったんだってところだ!!」

「いや、かなでの可愛さで日向も許してくれるかなと思ってさ」

「いやいやそれは音無、たぶんおまえだけだと思うぜ」

 

 

 そんなことはないと思うが、まぁ日向にはかなでの天使級の可愛さは理解出来ないのだろう。

 実際、かなでに一目惚れされたら困る。ある意味、理解出来ない方が救いなのかもしれない。

 

 

「それにユイっぽくするってなんだよ。ユイっぽくする必要あったか?」

「だって日向、ユイのこと好きだっただろ? ユイっぽくすればきっと許してくれると思ったんだよ」

「だからってなんで“ユイにゃん”なんだよ! 俺がユイのことが好きだからって、謝るのにそれだと単にバカにしてるようにしか思えませんから!! 普通に謝ればいいですから!!」

「ううっ! また、頭が……」

 

 

 かなでがまた頭を抱えて苦しみ出した。

 もしかしたら、日向のツッコミを聞いていたら頭痛が起こったのかもしれない。

 

 

「大丈夫かかなで!! おい日向、かなでが苦しんでるじゃないか!!」

「あ、ああ。すまない…………って、なんで俺謝ってるんだ。俺が悪いのか?」

「あなたのその敬語口調になったりするのが、私の生理的に受けつけないみたい」

「どういうことなんだそれ! しかもなんで敬語に限定してんだよ!? WHY!?」

「ううっ! また頭痛が……」

 

 

 かなでがまた頭を押さえて苦しみ出した。

 もしかしたら、日向の“WHY!?”を聞いたら頭痛が起こったのかもしれない。

 

 

「おい日向っ! またかなでが苦しんでるじゃないか!!」

「あ、ああ。すまない…………って今、敬語使わなったよな? なんで苦しむんだよ!」

「やっぱり、あなたの存在自体が生理的に無理みたいね」

「どんだけ俺とかなでちゃんとの相性最悪なんだよ! わけが分からない、ガ~ッデム!」

「おまえがTKみたいになってるからな」

 

 

 日向は理不尽だと言いたげに、頭を抱えて叫んでいた。

 ツッコミを入れるのも敬語口調になるのもTKっぽくなるのも、きっと日向の癖なんだろう。きっとその癖を無くさない限りは、かなでとの相性を良くすることは出来なさそうだ。

 ……というか、生まれ変わって別人にでもならなきゃ相性は良くならないだろうな。

 

 

「てか日向。それより何の用だったんだ?」

「そうだ、こんなことしてる場合じゃないんだった! 実はゆりっぺが息を吹き返して、やっと生き返ったんだよ!!」

「えっ!! なんだって!? それは本当か日向!!」

「ああ、本当だ!!」

 

 

 まさしく朗報だ。今まで目覚める気配もない状態だったゆりが息を吹き返したということは、ついに生き返るということだ。

 厳密には生き返るというより目覚めるということだが、心臓だけ動いている状態から息をする状態まで回復したと思うと、とうとうゆりが目覚める可能性が出てきたことになる。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 突然、かなでが口を手で押さえて声を漏らし始めた。

 見るからに笑っているように思えるが、どうしたのだろうか。

 

 

「え、どうしたんだかなで」

「いや、ね。面白いなって」

 

 

 面白いとはなんだろう。ゆりのことだろうか?

 かなでの言っている意味が分からない。

 

 

「ん? 何がだ?」

「“息”を吹き返すと“生き”返るがよ。腹が割れそうだわ」

「え、そんなに面白かったか?」

「ええ。あなたにしては、なかなかに面白いダジャレだったわ。少し親近感が出て来たわね」

「それで!? そんなんで!? てか、ダジャレにもなってないと思うんだが」

 

 

 相変わらず、かなでの笑いのツボが見えない。まぁ、そこがかなでの良いところなのかもしれないな。

 とりあえず、日向との距離が縮まったのなら喜ぶべきことなのかもしれない。

 

 

「とりあえず日向。ゆりが目覚めるのなら早く保健室に行くか」

「あ、ああ。そうだな」

「ええ、ゆりが目覚める前に行きましょう。起きて保健室から消えたりでもしたら困るもの」

「……ああ、そうだな」

「かなでちゃんがそれ言っちゃうんだな」

「……え? どういうことかしら?」

「いや、なんでもないさ」

 

 

 日向の言葉に、かなでは少し首を傾げていた。

 かなでは知らないのだろうが、実際、かなでが保健室で寝ていた際にいなくなったことがあった。

 あの時はたしか、かなでが作り出した分身が本体を連れ出したんだったな。少し懐かしく思える。

 

 とりあえずオレ達3人は体育館を出ては、学校の離れにある医療棟の保健室へと向かった。

 その道中、かなでの表情は心なしか嬉しそうにしている。

 そんなかなでを見て、オレもよりいっそう嬉しい気持ちになった。

 

 

 

   ×    ×    ×    ×

 

 

 

 医療棟の保健室の扉を開けると、そこには学生帽を頭に被った直井がイスに座っていた。腕を組んで堂々としている姿を見ると無駄に偉そうに思える。

 オレ達が来たことに気がついたのか、こちらに視線を鋭く向けて立ち上がる。

 

 

「おい、遅いぞ貴様! 神である僕を呼び止めておいて、どれだけ待たせるつもりだ。さっきから10分も待ってたんだぞ!」

「音無達のせいで遅れたんだ。俺は悪くねぇよ!」

「そんなこと知るか! 茶菓子も何も用意せずに僕をこんなに待たせるなんて、貴様の神経はどれだけバカなんだ。中小企業に入社した新入社員でも出来ることだぞ!」

「はぁっ!? 俺達はまだ高校生だ。社会人と高校生を比べるんじゃあない!」

 

 

 直井は人指し指で日向を指しながら、堂々と言い放った。

 それに対抗するかのように、日向もまた直井を指で指しながら言い放っている。

 

 年齢的にはこの中で最年少のはずなんだが、相変わらず直井は誰にでも上から目線でいる。

 元々の直井の性格がこういう性格だったのか、この世界に来てこの性格になったのかは知らないが、生前の話を聞いた限りでは前者なんだろう。

 

 

「あ、音無さんは違いますよ。音無さんは高貴なお方でいらっしゃいますから。大手企業の社長のように、堂々と構えてゆっくりと歩いて来て下さればいいんです」

 

 

 直井は手のひらを返したかのように、媚びるような表情でオレに言う。

 ほんと、こういうところも相変わらずだな。

 

 

「それで、ゆりの様子はどうなんだ?」

「見た感じでは、寝息をたててぐっすり眠っています」

 

 

 ベッドの上に寝ているゆりに近づいてみると、たしかに寝息をたてながら静かに眠っている。

 ゆりが息をしていることに、ゆりが生き返ったという実感と喜びがこみ上げて来る。

 

 

 3日前の“影”という存在と戦ったあの日。

 オレ達4人は影が勝手に消滅していくのと同時に、ゆりがいる最深部の第二コンピュータ室へと駆けつけた。

 

 すると、ゆりは誰かと争ったのか、部屋の中はパソコンがたくさん破壊されていて、その残骸だらけの中でゆりは倒れていた。

 オレ達はゆりに駆け寄ったが、ゆりは息をしていなかった。

 それはまるで、魂のないただの肉体がそこにあるだけのような感じで、外傷は全くなく、死んだように脱力していた。

 

 そんなゆりを見て、ひどく慌てたオレ達ではあったが、ゆりは息をしていなくても死体となってしまうことはなかった。体の中の血は流れていて、時間がいくら経っても肌の血色は良く、心臓も鼓動を打って活動していた。

 

 どうして息をしていないのに、体内の活動が止まることはないのか。どういう原理でそうなっているのかなんて、さすがに分からなかった。

 だけど、色々な推測が飛び交う中で、ゆりは先日の影との闘いの影響で深い眠りにはいっていることだけは分かった。

 そして今日の今まで、ゆりをこの医療棟の保健室のベッドの上で横にさせ、オレ達4人でゆりの看病をするようにしていた。

 

 

「結弦……ゆりはどう?」

「ああ。たぶん大丈夫だと思う」

 

 

 オレはベッドの上で眠るゆりに、腕についていた点滴の管を取り除く。

 この世界において、何かの病気にかかることはなく、ケガをしても時間が経てば治る仕組みになっている。

 ただ、厄介なことは水分や栄養は取らないといけないこと。時間が経てば勝手に体に補給してくれる仕組みにはなっていないことだ。

 

 たしかに、水分や栄養を取らなかったところで、死ぬことはないんだろう。

 だけど、死なないからといって、死ぬ苦しみを味わわないわけではない。

 水分や栄養を補給しないと、喉は渇くし、お腹は空いてしまう。ついには頭がもうろうとしたり、体が思うように動かせなくなったりして、最終的に栄養失調で死んでしまう。

 

 問題は、栄養失調の場合は完全回復をしないこと。一度息絶えたとしても、体が元気な状態に戻るわけではなく、死ぬ5分前のような状態に戻されることだ。そんな状態では、誰かに助けてもらわないと起きることもままならなくなってしまう。

 つまり、瀕死の状態に戻ってはじわじわと死ぬということ。そんな地獄のような苦しみを繰り返し体験できるわけだ。

 だからこそ、ゆりの体に栄養が行き届くように点滴を与えなければならなかった。

 

 他にも、色々とゆりの身の回りの世話をする必要もあったため、必ず何時間かに1回はこの保健室に来てゆりの看病をするようにしていた。

 本来なら医療棟の先生や職員がいたのだが、今回に限ってはこの医療棟のNPCがまだ誰もいない。結局、オレ達4人がゆりを看病するしかなかったというわけだ。

 

 

「この状態なら、今日には起きるかもな」

「そう。それは良かったわ」

 

 

 今思うと、自分にこういった看病が出来る知識を備えていて本当によかったと思う。まさかこんなところで、生前に妹を見舞いに行った際に得た経験や自分で勉強して得た知識が役立つとは思わなかった。

 これを、“不幸中の幸い”と言うのかもしれないな。

 

 

「おい貴様! 茶菓子はまだか!? 音無さんが看病している間に“和菓子”的なものとか“ケーキ”的なものとか“KEYコーヒー”的なものとか出したらどうなんだ!」

「いや直井、そこまで用意してもらわなくてもいい……あ、でもKEYコーヒーはあったら欲しいかな」

「いやいや、そうじゃねぇだろ。ツッコめよ音無……」

「でも、ゆりが起きたら水とか欲しくなるかもしれないぜ。みんなも何か飲みたいなら買いに行ってこいよ。オレがゆりを看てるからさ」

 

 

 しかし、さすがに起きてすぐは冷たい水だと体に障る。できるなら水を温めた白湯を飲んでもらうのが好ましいか。

 そうなると、あとで誰かに家庭科室かどこかで水を温めてもらわないといけない。もし、飲み物を買いに行かないにしても、白湯だけは作って来てもらうかな。

 

 

「じゃあ僕はサン○リー食品インターナショナルのザ・ヨーロピアン ジャスミンティーが欲しい。あと、たくさん飲みたいから500ミリリットルペットボトルのやつで頼む」

「じゃあ私はキリン○バレッジ株式会社の小岩井ブランドシリーズのこだわりの小岩井生クリームとガーナ産カカオを100%使用したココアが使われている“ココアとミルク”が欲しいわ。あと、そんなに量はいらないから紙パックのやつでお願い」

「え、えーっと、なんだ? たしか直井がジャスミンティーで、かなでちゃんがキリンの…………って分かんねぇよ! おまえら、普通のお茶とかココアじゃダメなのか? てか、ココアならどれも一緒なんじゃねーのか!?」

「ただの“ココア”じゃないわ。“ココアとミルク”よ」

「そ、そうか。それは違うな……って、そもそもなんで俺が買いに行く前提なんだよ。パシリかよ。みんなで買いに行けばいいだろ!」

「だって冷めちゃうもの。ほら、冷めちゃう前に買って来てちょうだい」

「そんなに急がなくても自販機だから! ホットは冷めないから! むしろ、アイスなら冷めてますから!」

「違うわ。“ゆりの目”が覚めちゃうのよ」

 

 

 その瞬間、日向は固まった。思考が停止してしまったようだ。

 まさしく、場の空気が冷めて凍り付いたような感じで、日向は微妙そうな表情を浮かべている。

 

 

「おっ、かなでにしては上手いじゃないか。さすがだな」

「いいえ、結弦の“結弦だけに大人しく譲るぜ!”には負けるわよ」

「いやいや上手くないですから! 音無のもすごいくだらないですから! てか音無、本当にそんなこと言ったのか?」

「ううっ……頭が……痛い!」

「かなでっ!? くそっ、またかよ日向! どれだけかなでを苦しめれば気が済むんだ!!」

「あ、そうだった。すまない……って、何度このやり取りすればいいんだよ。もういやだ、理不尽過ぎるだろぉ!」

 

 

 日向は頭を抱えながら、天井を見てそう嘆いていた。

 その瞬間、オレの隣でベッドに横になっていたゆりが体を動かしたことに気付く。

 

 

「……みんな静かに!」

「「えっ!?」」

 

 

 みんなが騒いでいる声にゆりが反応したのだろうか。保健室の中の騒がしかった空気が一気に沈黙へと変わる。

 

 

「…………んんっ」

 

 

 さすがにうるさかったのかもしれない。ゆりの意識が戻りそうなのか、今にも目を覚ましそうに顔を歪めている。

 ゆりの声を聞いて、かなでや日向や直井がゆりの様子を見ようとオレのところまで近づく。

 

 とうとう、ゆりが目を覚ますかもしれない。みんなはそう思ったのか、心なしか嬉しそうに微笑んでいる。そんなみんなにつられてか、つい嬉しさを隠しきれずに微笑んでしまう。

 

 

「……ここは? どこ?」

 

 

 ゆりは眠たげに目を少し開いた。天井を見つめた後、オレ達に視線を向けて、ぼんやりとそう呟いていた。

 

 

「保健室だ」

 

「……保健室?」

 

 

 不思議そうな顔でぼんやりとオレ達を見つめている。

 3日ほど意識を失っていたこともあって、なんでこの保健室にいるのか分からないのだろう。

 

 

 だがこうして、死んだ世界戦線のリーダーであるゆりが目覚めた。永遠に眠ることなく、こうして意識を取り戻した。

 つまり、ゆりが起きたということは、オレ達はゆりに対して聞かなければならない。

 

 人生の心残りを。

 心に抱いている後悔を。

 今抱えている想いと願いを。

 

 すべてを聞いたうえで、オレ達はゆりの成仏の手伝いをする。

 心残りを無くし、後悔を捨てさせ、抱えている想いと願いを叶える。

 それが、オレ達の役目。自分達が成仏する前に決めたことだ。

 

 だから始めよう。

 オレ達にとって最後の活動を。

 ゆりがこの世界から旅立てるように。

 


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