Angel Beats! AFTER BAD END STORY   作:純鶏

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EP06 ― after the evening twilight time

《生前:トンネルの中に閉じ込められてから10日目》

 

 

 誰かのために。誰かを救うために。

 歩み始めたオレの人生。

 何の意味も持たない自分の人生。

 それを何かの意味のあるものにと決めた自分の人生の夢。

 

 だが、その人生の夢はもう叶うことはないのだろう。

 

 希望を捨てたわけでもない。

 無理だと諦めたわけでもない。

 決して叶わないと決まったわけでもない。

 

 ただ、自分という存在。自分の頭の中の意識が少しずつと無くなっていくのがわかった。

 

 

 周りは、ほとんど暗闇。さっきまで動かしていた手も、もう動かせる気力がない。

 息は苦しいし、視界ももうぼやけてきた。頭の思考だけが、かろうじて動いている気がする。

 

「なぁ……やっぱおまえはすげぇよ……音無」

 

 なにか、男の声が聞こえる。そうだ、この声はきっと五十嵐だ。

 

「見ろよ……あれだけ絶望していた連中がみんな、誰かに希望を託そうとしている……おまえがみんなの人生を……救ったんだぜ」

 

 ぼんやりとした思考の中で、オレは五十嵐が何を言っているのか上手く理解できない。ただ、彼の言っている言葉は、決してオレを非難しているものではないことはなんとなく伝わって来た。

 

「音無……」

 

 だめだ、もう何も感覚がなくなってきた。自分の手も足もあるのかどうかさえ分からない。全てが暗闇に包まれて、痛みさえも曖昧なものに変わってきている。

 

「なぁ、音無……聞いてんのかよ……音無っ……」

 

 暗闇の中で、光が見えた気がした。

 その光は少しずつ広がっていき、オレを包んでくれるような気がした。

 オレは何もかも、報われた気がした。

 

 

 そう、オレの人生は……“報われた気がしただけだった”

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 空はいつのまにか夕焼け空へと変わり、太陽も夕陽へと変わってオレンジ色に輝きはじめていた。

 

 学校の屋上で少し風に打たれながら、部活動に勤しんでいるNPCをただ眺める。

 

 

(なんで、あんなに頑張って走っているんだろうか)

 

 

 NPC達は、何を思い、何を考えて、1日の学校生活を過ごしているのだろうか。こうやって屋上で眺める度にそんなことを思ってしまう。

 けど、考えたところで自分にその答えが分かることはない。NPCに聞いたところで、自分が求めている答えが返ってくるわけでもない。それこそ“何を思って学校生活を送っているんだ?”なんて質問をNPCに対してする方が間違えている気さえしてくる。

 

 グラウンドでは、陸上部の生徒達が一生懸命に部活動に勤しんでいる。辛そうな表情を浮かべながらも、必死に走る男子生徒。そんなNPC達の姿を見ていると、なんだか自分がみじめな気持ちになってきてしまう。

 

 自分はこの世界で何をやっているのだろう。ただ塞ぎこんで、何もできず、ただ日々を送っているだけの毎日。好きでそんな日々を送っているわけではないけれど、だからといって今の現状をどうにか打開して変えようとする気持ちも以前と比べればもうないに等しい。

 

 

「……これから、どうしたらいいんだろ」

 

 

 心の中で思っていた言葉がつい口に出してしまった。でも本当にどうしたらいいのかが分からない。人間がいるかもしれないという希望が出てはきたものの、正直自分にできることは何もない気がしている。それ以上に何をしたらいいのか思いつかないという方が合っている。

 もしかしたら、誰かがその答えをくれないだろうかと、もう一人の自分である彼から何か返答が返って来ることを期待してしまう。

 

 

「…………」

 

 

 しかし、もう一人の自分であるナツキは何も答えてはくれない。むしろ、何も答えられないのだろうか。風が吹いている音だけがこの場で鳴り響いている。

 

 

(そんなこと……わかるわけないか)

 

 

 この世界で未だに見えない自分自身の未来。自分は今後どうすれば成仏できるのか。どうすれば、人間という仲間が増えるのか。それ以前にこの世界で、どう生活していくといいのか。今の生活を送ったままで本当に良いのか。

 そんなことは誰も何も教えてはくれない。結局は自分で考え、自分で生きていくしかない。

 

 だから、必要なんだ。考えて、ひたすら考えて、今後どうしていくべきか、どうやったら自分は成仏できるのかを。ただ平凡に日々を過ごしたところで、何も変わらない。この世界から旅立つためにも、成仏する方法を見つけるためにも、この世界で生きていかなくてはいけない。それに、人間という仲間がいないと、自分が成仏することができない。そんな気がしていた。

 

 

 グラウンドを眺めるのをやめ、地面に横になっては空を見上げた。大きい夕焼け雲が空の中でいくつか浮いていて、少しずつ動いている。たまにこうやって空を見上げていると、現実世界のみならず、この世界の中でさえ自分はちっぽけな存在なんだなと感じさせられる。

 

 

 (……もう、考えるのも疲れたな)

 

 

 実際、自分がどうしたらいいかなんて毎日のように考えてはいた。正直ここでの生活の中で、考える時間はたくさんあった。何もせず、ただ考えている時間の方が圧倒的に多かった。

 

 それだけに、余計なことまで考えてしまう。

 それだけに、答えが見つからないまま、同じことばかり考えて、先に進まない。

 それだけに、考えたところで何も変わらない現実を思い知らされる。

 

 そう。考えるだけ無駄だと結論に至ってしまう。

 ほんと、“それだけに”結局自分は考えるということを止めてしまう。

 

 

「……帰るか」

 

 

 誰かに聞こえるようにそう呟いては立ち上がる。しかし、呟いたわりにはもう一人の自分からは何も返ってこない。

 昼頃、もう一人の人格であるナツキは、大食堂にいた時はよく喋っていた。あの時は彼の声はよく聞こえていた。なのに、大食堂の外に出てからはなにも聞こえないのは、何故なのだろうか。

 

 

(……まぁ、別にいいか。疲れたのかな)

 

 

 近くにあった時計を見てみると、もうとっくに5時半を過ぎていた。そろそろ彼女も帰って来る時間帯になる。さすがに、部屋に戻った方がよさそうだ。とりあえず、学生寮へと向かおう。

 屋上から学校の中へと入る扉を開け、夕陽から背を向けるように学生寮へと向かうことにした。

 

 

 

   ×    ×    ×    ×

 

 

 

 学生寮へと戻り、自分の部屋の前まで来てドアを開けようと鍵を差し込んで回してみる。

 ところが、いつも鍵を開ける時の感触がなく、違和感を覚える。

 

 

(ん? 開いている?)

 

 

 鍵で開けるまでもなく、部屋の扉はすでに開いていたようだ。昼頃、閉めたつもりだったのだが、鍵をかけるのを忘れたのだろうか。

 そんな疑問が頭によぎったが、扉を開けた瞬間にその疑問は消えうせた。

 

 どうやら扉が開いていた理由は、同居人の女子生徒がオレより先に帰っていたからだ。

 

 

「ただいまー」

 

「あ、音無くんおかえり。私が帰ったら部屋のどこにもいなかったから、ちょっとびっくりしちゃった。珍しいね部屋の外にいるなんて」

 

「あ、ああ。まぁ、ちょっと……散歩にな。部屋にこもっていると体がなまるし、多少は歩かないとね」

 

「……うん、そっか。それもそうだね」

 

 

 目の前にいる女子生徒は、朝霧史織。自分と同じ部屋に住んでいる女子生徒のNPCなのだが、なぜか少し暗い表情を浮かべている。その表情をうかがう限りでは、さすがに散歩というオレの言い訳は彼女にとっては苦しかったのかもしれない。

 

 

「そういや、朝霧も今日はいつもより帰るの早かったんだな。普段は6時過ぎなのに」

 

「今日は委員会の仕事もなかったの。だから、たまには早く帰ろうかなと思って。いつも、ついつい図書館とか教室にも長居しちゃうから」

 

「そうか、じゃあいつごろ帰ってきたんだ?」

 

「えーと……でも、5時半頃じゃないかな? 多分、それくらい」

 

「そっか。まぁ、そのくらいか」

 

 

 普段はなんだかんだで6時ごろに帰る朝霧だが、今日は珍しく早い。とりあえず、今後のことを考えてもう少し早く部屋に帰らないといけないな。そうでないと、朝霧に怪しまれてしまう。

 

 

「あれ? でも、この机の上に置いてある本は見たことがないけど、図書館には行ったんだ?」

 

「そうそう、返さないといけない本もあったから。ついでに、クラスの子が言ってた本もちょっと借りてみたいと思って。ぱぱっと借りて来たの」

 

「へー、じゃあそれがこの置いてある本か」

 

「そうそう。一番上に置いてあるのがクラスの子が言っていた本で、なんだか、最近そういうのが流行っているみたい。私もそういうのは今まで読んだことなかったから、この機会に読んでみようかな~って」

 

 

 机の上に平積みされているいくつかの書籍本。その一番上に置かれた本が、朝霧の言うクラスの子の本であるようだ。

 しかし、その表紙のイラストに目がいってしまう。それはマンガなのではないかと思ってしまったほど、マンガのようなイラストが表紙カバーに全面に押し出されある。

 タイトルも“君と私が流転した世界は、深海の彼方まで落ちても孤独じゃないの!?”という何とも斬新なものになっていた。本にだいぶ厚みがあるが、もしかしたらけっこう長編ものなのかもしれない。

 

 ところが、一通りパラパラっと中身をめくって見てみるが、挿絵が無駄に多く、字自体の大きさがやけに大きい。それに上下の空間というか余白が多く、字が真ん中に寄り過ぎて、無駄に行を割り増ししてページ数を増やしてある。

 ここまで来ると、もしかして中学生とか小学生などの子ども向けの小説なのではないかと疑ってしまいたくなる。

 

 

「……これが高校生達の中でほんとうに流行っているのか?」

 

「さ、さぁ……詳しくは知らないけれど、最近の高校生の内ではそうなのかも。でも、クラスの子が言うには、読みやすくて、キャラも可愛くて、主人公が強くてカッコイイんだって。だから流行っているとかその子は言っていたけど」

 

「えっ、それだけなのか? それじゃあ面白いのかも流行っているのかも分からないじゃないか。その子はもっと内容に関してとか読んだ後の具体的な感想とかは何も言ってなかったのか?」

 

「さぁ……そこまでは聞かなかったや。聞いたら面白味がなくなっちゃうかなとも思ったし。それに、クラスの子は面白そうに話してはいたけど、読んでみないと分かんないから。それと最近はこういう感じの本は敬遠して読んだことなかったから、試しに読んでみようと思って」

 

「そ、そうか……」

 

 

 自分が生きていた頃はこんなにアニメっぽい小説はあんまり見たことがないが、現実世界では流行っているのだろうか? それ以前に、ライトノベルとかならまだしも分厚いカバー本でこういう感じの本があること自体が新鮮だ。

 たしかに図書館に置かれてある書籍に関しては、新しいものが入荷されることがある。見た感じ偏りが大きい時もあるが、どうやらこの世界独自で新しく作られた本ではなさそうな感じではあった。

 

 自分の予想ではあるが、現実世界で発売されている書籍がここの図書館にやってくることがあるのではないかと思っている。この世界だけの本である可能性も考えられるが、現実にないものをこの世界で生成できるとは考えにくいし、本を作っているようなNPCがいるとも考えにくい。

 そう考えると、現実世界でもこういう類の本が売られて、この世界でも同じような本が売られては高校生達の中で流行っている可能性がある。それが一番考えられる推測のひとつだった。

 

 

「なぁ、ちょっと読んでもいいか?」

 

「うん、べつに読めばいいよ。私は今から、大食堂で弁当を買いに行くから」

 

「ん? 帰って来たついでに夕食を買ってきたわけじゃないのか?」

 

「えっと……うん。ひとまず、部屋に戻って荷物も置きたかったし、他に買い物で寄りたいところもあったから、一旦帰ってきたの」

 

 

 この世界には大食堂以外にも大型量販店が存在する。朝霧が荷物を置いてまで買いたい物があるということは、大食堂に売っているものではなく、大型量販店のとこで売っているものを買いたいのだろう。

 本当なら今回に関して自分は外に出ていたわけだから、夕食ぐらい自分で買いに行っても良かったのだが、朝霧が他に買いたいものがあるのなら仕方がない。自分が彼女と同伴して買い物に行くわけにもいかないし、ここは潔く部屋の中にいて彼女に買いに行ってもらうほかなさそうだ。

 

 

「……悪いな、いつもいつも買いに行ってもらって」

 

「いいよいいよ気にしなくても。自分のを買いにいくついでだし、それに……」

 

「……それに?」

 

「音無くんのためだもの。弁当もあなたのためなら、買いに行く甲斐があるから」

 

 

 朝霧は可愛らしく微笑んで、オレにそう告げた。そんな優しい表情でそう言われると、さすがの自分も少しドキっとして動揺してしまう。マジでこいつ、オレに気があるんじゃないか? とか本当に思ってしまいそうになる。

 だが、そういうのは自分自身の現状としては求めていないし、そう考えるのは早計過ぎる。以前の立華のことを踏まえ、そういう考えを持つことはよくないことだ。

 

 

「そ、そっか。ありがとうな」

 

「だって、一人で食べるより、誰かと喋りながらの方がご飯もおいしくなるでしょ。特に大食堂に行って一人で食べてるみたいに思われるのも嫌だから。とりあえず、そろそろ行ってくるね」

 

 

 朝霧はそう告げると、制服姿のまま買い物袋を手にぶら下げて部屋を出て行った。

 とりあえず、彼女が弁当を買いに行って帰って来るまでは、自分は読書に専念することにしよう。先ほどの小説を持ちながら、布団の上で横になり、小説を開いて読み始める。

 

 物語は、海の底に住む人間が生活する話から始まっていった。

 

 

 

   ×    ×    ×    ×

 

 

 

「そのケンカしてた2人の女の子の内の1人がさ、イラ立ってかロッカーを思いっきり蹴るから、近くで見ていた私もビックリしちゃって。止めようにも誰も止められないって感じだったの」

 

「へぇ、そりゃあ怖いな。入学して早々そんなんだと、担任の先生も今後が大変だろうな」

 

「その時に、新しくテニス部に入って来た後輩の牧野って子がいるんだけど、覚えてる?」

 

「ああ、前言ってたテニス初心者の子か。顧問の先生をよく困らしているっていう問題児のやつだっけ」

 

「そうそう。それでね、その後輩の牧野っていう子がほんとすごくて。教室から出て来たと思ったら、右手にトンカチ持っててね。急にヘコんだロッカーを直し始めちゃったから、同級生の子達みんな呆然としちゃったの」

 

「え、トンカチをか? その牧野って子すごいな。その場で割って入るのもすごいが、学校にトンカチなんか持ってきて、ヘコんだとこ直そうとするなんて、普通の人間じゃないぜ」

 

「結局そのまま、その子達のケンカも収まっちゃったみたい。イライラしてたのも失せちゃったんだろうね」

 

「ははっ、そりゃ確かにそうなるだろうな」

 

 

 夕食の弁当を買いに行ってくれた朝霧が戻ると、さっそく2人で弁当を食べることにした。彼女はいつも普段着として学校指定の体操服とジャージを着ているので、帰るとすぐに荷物を置いては部屋の中のバスルームで着替えていた。

 

 食事をしながら朝霧の話を聞いていると、どうやら今日は廊下を歩いている時に後輩達がケンカをしている場面に遭遇してしまったらしく、その一部始終を朝霧は見ていたようだ。途中から、ある女子生徒の一人がイラ立ちを抑えきれず、ロッカーを蹴ってやつ当たりをしたので、ロッカーがヘコんでしまったという。結果的には、トンカチ女子である牧野が登場してくれたおかげで、場は丸く収まったという話であった。

 

 弁当を食べながら彼女の色々な話を聞いていると、時間が経つのを忘れる。いつの間にか、時間は7時を過ぎていた。買って来てもらった弁当も食べ終え、コップに入ったお茶を飲む。

 

 

「じゃあ、ごちそうさま」

 

「はい、お粗末さま」

 

 

 自分は朝霧より先に夕食である唐揚げ弁当を食べ終えたので、空になった容器を捨てにいく。ついでに箸とプラスチック製のコップを洗面台のところまで持っていき、洗剤で洗い始める。さすがにそれくらいは食べ終えた後に洗っておかないと、後々が面倒だからな。

 

 この部屋での自分の仕事といえば、部屋の中の掃除か後片付けか食器洗いになる。掃除に関しては、なるべく3・4日に一度部屋の中で掃除機をかけるくらいはしている。一応は自分の部屋でもあるし、彼女の部屋でもあるので、お互いプライバシーの領域を侵害しないようにはしないといけない。

 

 そりゃあ、生きていた頃はあんまり自分の部屋を掃除することはなかった。掃除なんてものは面倒だったし、1週間に一度くらいすればいい方だった。しかし、今は違う。一応は他人と一緒な部屋で住んでいるわけだ。たまたま、部屋の中が散らかしてあってもそこまで気にしない相手だったので、そこまで整理整頓しているわけではないが、ある程度は部屋をきれいにしておくのがマナーだ。

 

 それに、この世界では曜日がない。春休みや夏休みなどの長期的休みは存在するが、土曜日と日曜日は存在しない。学生はみな毎日のように学校に行かなければならない世界だ。それは、同居人である朝霧も例外ではない。毎日のように、学校に行っては授業を受けに行っている。そのあたりは、ほんとうにこの世界の学生はマジメであるなと感じさせられる。まぁ、そういうこともあって、ある程度の家事は手伝うようにしている。

 

 

「ふー、美味しかった。よし、私もごちそうさまでした」

 

 

 朝霧も食事を終え、箸と飲み終えたコップを持ってくる。彼女はイチゴ大福入り弁当というものが好きなようで、今日もそれを買って来ては、食後のデザート感覚でイチゴ大福を食べていた。イチゴ大福が好きというよりも、和菓子系統が好きなのかもしれないが。

 

 

「あ、ついでに洗っておくよ」

 

「ありがとう。それじゃあ、お願いしてもいい?」

 

「ああ」

 

 

 朝霧はいつものように箸とコップをオレに渡すと、部屋の中のテーブルを台拭き用の布巾で拭き始める。汚さないようにしてはいても、食事をするとどうしても多少は汚れてしまうものだ。本来ならそれもオレがするべきことなのかもしれないが、先に朝霧がやってしまったのだから、わざわざそれを止めさせるのも悪い気がしてくる。

 

 

「……あっ!」

 

 

 朝霧は何かに気付いたのか、急に声を荒げる。その声につられて振り向くと、彼女は学校指定のトレパンを見ていた。

 

 

「はぁ……とれないや。これは洗わないといけないかなぁ……」

 

「どうしたんだ?」

 

「なんか、ジャージにソースがついちゃってたみたい。ソースなんていつのまについちゃったんだろ、はぁ……ショックだなぁ」

 

 

 朝霧は落ち込んだ様子で、布巾の汚れていない部分でジャージを拭いている。弁当の中に入っていたハンバーグのソースがついたのだろう。

 そりゃあ朝霧はよく喋りながら弁当を食べていたのだから、もしかしたらその時についてしまったのかもしれない。

 

 でも、そのことを彼女に告げるのはやめておこう。それはショックを受けている彼女に対して追いうちをかけているようで、せっかくの楽しい食事が台無しだ。それこそ、今後の食事で朝霧との会話が減るかもしれないと思うと、自分としては避けたい。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 オレはつい笑みを浮かべてしまう。その笑みは彼女に対してではなく、自分自身に対してのもの。自分の想いに微笑んでしまった。食器を洗っていて背を向けていたおかげか、幸い朝霧には見られなかったようだ。

 

 

(……楽しい食事、か。そっか、いつのまにかオレは朝霧と一緒に食事をすることが楽しいと思うようになってたんだな)

 

 

 それは食事だけじゃない。いつのまにか朝霧と一緒に過ごす時間が、自分の1日の拠り所になっている気がする。彼女と過ごす時間が増えるためにも、彼女に不審に思われないように自分は行動するようになっているのは確かだ。

 

 

「ちょっと着替えてくるね」

 

「そうか、わかった。布巾は洗っておくよ」

 

「あ、ごめん。ありがとう」

 

 

 テーブルを拭き終えた朝霧はさっきまで拭いていた布巾をオレに手渡すと、寝間着を取り出してはまたバスルームへと入っていく。もしかしたら、ついでにシャワーでも浴びるのだろうか。

 ……まぁ、そのことはあまり深く考えないでおこう。

 

 布巾を念入りに水に浸しては、絞っていくことを何回も繰り返す。ふと匂いを嗅いでみると少し臭い。今度また洗濯しないといけないな。

 

 ひと通り食器も片付けたので、朝霧が戻るまでの間、とりあえずさっきの本の続きを読むことにしよう。

 そういえば主人公が、ヒロインを救うために地上へと向かうという展開になったところで読むのを止めたのだが、ちょっと今後の展開がどうなるのか気になる。その続きがどうなっていくのか期待しつつ、本に挟んだしおりを取り出し、座って読書に専念する。

 

 しかし、夕食を食った後からなのか、楽な姿勢で読んでいるからなのか、段々と瞼が重くなってくる。今日は色々あったし、疲れが残っているのかもしれない。本を机の上に置き、瞼を閉じて目を休めていると、段々と頭の中がぼーっとしていく。どこからか声が聞こえた気がしたが、少しずつ意識が朦朧としていくのだけは分かった。

 

 

 

   ×    ×    ×    ×

 

 

 

 バスルームの扉が開く音によって、朦朧としていた意識が覚めていき、眠たい瞼を開けて、背伸びをする。どうやらオレはうたた寝をしてしまったようだ。少し昔の頃の夢を見ていたような気がするが、起きたばかりのせいかどんな内容だったか思い出せない。

 

 

「ふー、さっぱりした~」

 

 

 着替えを済ませた朝霧はバスルームから出て来ると、すぐに冷蔵庫からお茶と取り出してはコップにお茶を入れる。シャワーを浴びて汗をかいたのか、おいしそうにお茶を飲み干しては、お茶をもう一杯コップに入れ始め、また飲んでいる。

 

 時計を見てみると、もう8時20分になっていた。夕食を食べ終えて、食器を洗い終えたのが7時20分くらいだったから、きっと居眠りしたのが30分か40分くらいか。少なくとも30分以上はうたた寝していたことになる。

 しかし今回は、朝霧はいつもより長くバスルームにいたようだ。きっと長くシャワーを浴びていたせいもあって、彼女は喉が渇いてしまったのだろう。

 

 そんな朝霧が少し可愛らしく感じてくる。実際、彼女からしてみればオレは同級生に見えるのだろう。でも自分からしてみれば、ある程度の年月をこの世界で過ごしているためか、オレは彼女が自分と同い年のようには感じられない。少し年の離れた女の子と接している感覚に近い。

 もしかしたら死んだ世界戦線のメンバー達も、そんな感覚を抱いてはいたのだろうか。今となっては分かる術はないが、自分にとってはこの世界で長く生活していると心の成長というのか、自分自身の精神面での成長を感じることがある。

 

 

(なんだか、朝霧って後輩というより……妹みたいだよな)

 

 

 オレはたまに朝霧と妹の初音を重ねてしまうことがある。失礼な話かもしれないが、妹の初音の病気が治って一緒に過ごす未来がもしあったらと考えたりすると、なんとなく彼女を妹と重ねて見てしまう。

 たまに優しい気持ちになったりして、彼女を妹のように接してしまいたくなることもある。初音のことは吹っ切れたつもりだったが、身長が低く、子どもっぽい朝霧と接していると、どうしても朝霧を初音の代わりとして依存してしまうようだ。

 

 たしかに朝霧はNPCであることは分かっている。人間ではないし、記憶は改変されるだろうし、オレのことだって全て忘れる可能性もある。いつか、自分にとって彼女と過ごす日々が苦痛になる日が来るかもしれない。そうだと分かってはいても、今あるこの日々を壊したくはない。彼女と暮らす生活を失いたくはない。

 それに一緒に暮らせなかった初音のことを思うと、余計にそう感じてしまう。

 

 それに彼女なら、俺を裏切らないはずだ。なにせNPCだ。何も知らないオレにここまで優しくしてくれる。これからもずっと変わらず一緒にいてくれるはずだ。自分自身が彼女に対して変なことをしない限りは、きっとこんな毎日が今後も続くはずだと、そう信じている。

 

 

「……ねぇ、そういえばさ。音無くん」

 

「ん? どうした?」

 

「学校には……まだ行かないの?」

 

「んー、いや、さすがにまだちょっと辛いな。なかなか持病が治らないから、医者にもまだ止められてるし」

 

「……そっか」

 

 

 お茶を飲み終えた朝霧は、曇った表情をしたままコップを洗いに行く。学校のことを聞いてきたあたり、彼女はオレに対して何かしらの不信感を抱き始めているのかもしれない。

 やっぱり、今日は朝霧が帰るまでに部屋に戻らなかったのはまずかったんだろうな。今日は本当に色々あったせいで、仕方がなかったにしても、ついつい学校の屋上に行って考え事をしていたのはよくなかったか。

 

 

「……未だに、人が多いところとか学校の中はちょっとな。少しずつ治ってはいるんだと思うんだけどな」

 

「じゃあ、今日はどこで何してたの?」

 

「……え? だから、散歩に行ってだんだが」

 

「えっと……そうじゃなくて。今日は教室に行った後、どこでなにをしていたの?」

 

 

 朝霧は少し不安そうでもあり、少し真剣な面向きの表情をしてオレを見ていた。それはまるで、彼女が意を決してオレに聞いてみたという様子だった。

 

 ここでようやくオレは分かった。分かってしまった。というよりも、彼女はどうしてもオレに何をしていたのかを聞かないといけないと思って、思い切ってオレに分かってもらえるようにそう言ったのだろう。

 

 今日の出来事。教室に行ったことを、彼女は知っている。彼女が知っているということは、今日の昼にクラスリーダーである柔沢がこの部屋にやって来たことは偶然ではない可能性が高い。むしろ、柔沢がここに来たことは必然であったという方が辻褄が合う。

 

 

 普通に考えて、自由奔放に行動する人間がどこにいるかなんて、NPCが把握できるわけがない。それこそ自分ですら、人間という存在がこの世界のどこにいるかなんて、分かりっこないのだ。

 それなのに、柔沢はオレを見つけ出した。昼休み時間という限られた時間の中で、わざわざ学生寮のこの部屋までピンポイントで来るなんてことは、誰かがオレ自身の居場所を知っている人間が口外しない限り不可能だ。

 

 そう、朝霧こそが、このオレをハメたのだ。

 部屋の中の空気がゆるやかに変化していくように、まるでオレの感情も変化していく。そして時間もまた、真夜中へと変化していた。

 




6話:after the evening twilight time  ー  “夕暮れの時間の後”


6話は、同居人である朝霧史織の登場回でした。
満を持しての女性オリジナルキャラ。作者的には辛かったです。

でも、女の子っぽく感じていただけたら幸いです。

あと、同居している設定を半年以上前から作っていましたが、今更になってその設定は辛いなと気付きました。
そのせいで、設定にとても試行錯誤しました。
彼女とかでもない限り、やっぱ1つの部屋の男と女の同棲って難しいですよね。

次回以降からは、やっと主人公である音無の葛藤が見られると思います。
ただ、次回のお話は音無と朝霧とのエピソード。
朝霧というキャラの説明回のようなものです。

朝霧とかどうでもいい。音無が気になるんだ。という方は、飛ばしても構いません。
読むことを推奨しますが、そこは飛ばしても話の内容は理解できます。

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