Angel Beats! AFTER BAD END STORY   作:純鶏

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EP05 ― heart and personality

 この世界での学校の休み時間は、自分が生前の時にいた学校と変わらず10分間しかない。授業と授業の合間にある、学生にとっての休憩時間といえるものだが、大半は次の授業の準備時間で埋め尽くされる。休憩しようにも、10分程度では案外短くて、すぐに終わってしまう。それだけに学生達の中では、この10分間をどう過ごすかを考えたり、無駄な時間に費やしたくないと思い、少しでも意味あるものにしたいと考えている者もいるかもしれない。

 

 そして、目の前にいる男子生徒もそうなのだろうか。さっき廊下ですれ違った日向の面影をした男子生徒は、少し怪訝そうな表情を浮かべている。

 

 

「……えっ? すまんけど、なんて言った?」

 

 

 日向に似た顔つきの男子生徒は、オレが何を言ったのか聞き取れない様子でいるようだ。確かに、すれ違った人間に急に話しかけられたら、上手く聞き取れなくても仕方がないのかもしれない。

 

 

「あ、いや……日向、なのかなって」

 

「えっ? ひなたなのかな? どういうこと? 言っている意味が分かんないんだけど……」

 

 

 もう一度言い直してみるも、目の前の男子生徒はオレの言葉がまったく理解できない様子だ。こんな反応をされると、自分もちょっと戸惑いを隠せなくなってくる。

 だって、日向のような顔をした男子生徒が廊下を歩いていたわけだ。もしかしたら日向なのではないだろうか。そんな考えがすぐに頭の中に浮かびあがった。そのせいもあって、自分はとっさにその日向かもしれない男子生徒に話しかけてしまった。

 

 だが、目の前の男子生徒の反応や様子を見る限りでは、日向かもしれないという自分の淡い期待は打ち消されてしまう。よく見れば、顔つきが日向にそっくりというだけで、髪型も短いし、体格も割と大きいし、何より声質も日向より低い気がしてきた。

 

 もし目の前の男子生徒が日向の髪型をして死んだ世界戦線の制服を着れば、そりゃあ日向にそっくりなのだろう。だけどそれは、そっくりであるというだけで、日向本人ではない。単なるそっくりさんというだけでしかないのだ。

 

 

「えっと、その、名前は?」

 

「名前? 名前は“倉橋 透(くらはし とおる)”だけど……」

 

 

 やはり、日向ではなかったようだ。以前、死んだ世界戦線の仲間である高松がNPC化したことがあった。その時の高松は、メガネを外していたり、髪型も少し変化していつもとは違った雰囲気をしていた。それでも、名前を聞いた時は自分の名前が高松であると、そう答えていた。

 つまり、目の前の男子生徒が日向本人であるならば、名前が日向であるはず。そういう意図を持って、今回も確認のために名前を聞いてみたのが、予想とは違って別の名前が出てくるあたり、本当に日向ではないのだろう。

 

 目の前の倉橋という男性生徒は相変わらず怪訝そうな表情は崩さず、いかにも少し急いでいるような雰囲気が伝わって来る。

 

 

「あ……ああ、そうか。すまない、どうやら人違いだったようだ。引き止めて悪かったな、気にしないでくれ」

 

「お、おう……じゃあな」

 

 

 そう言うと、倉橋という男子生徒は足早と歩いて去って行った。そんな様子を見る限り、本当に用事があったのかもしれない。そう思うと、少し申し訳ない気持ちになってくる。

 

 

(……なにやってんだろ、オレ)

 

 

 冷静に考えればわかることだ。こんなところに日向がいるわけがない。日向は確かに成仏して、この世界から旅立っていった。日向は生まれ変わったはず。

 きっと今頃、生まれ変わったユイに会えるかもしれないというとても可能性の低い確率の賭け事。それこそ奇跡のような運命的な出会いを信じて、新たな人生を頑張って歩んでいるに違いない。むしろそうでなければ、この世界から成仏していった意味がない。それに、この世界に未練を残して、この世界の中に留まるようなヤツではないのは、百も承知している。それは他の死んだ世界戦線の人間達にも言えることで、誰一人としてこの世界の中にいるわけがないのだ。

 

 

(……とりあえず、学生寮に戻るか)

 

 

 人間がいるかもしれないという希望が出てきたからか、自分はどうやら少々舞い上がり過ぎてしまったようだ。寝て起きてから水分を含んでいなかったため、さきほど喉の渇きを潤すためにもコーヒーを買おうと思っていたけれど、お金を持ち合わせていなかったという始末。それに加え、変な期待を持ってはNPCである男子生徒に話しかけてしまった。そんな自分がちょっと嫌になってくる。舞い上がるのも仕方のないことかもしれないが、少し落ち着かないといけないな。

 休み時間も、あと3分ほどしか残っていない。ひとまず少し深呼吸をした後、足早に足を学生寮へと向かって前に運ばせていく。休み時間が終わってしまうと面倒なので、その前に颯爽と自分の部屋に帰ることにした。

 

 

 

   ×    ×    ×    ×

 

 

 

「……やっぱコーヒーは美味いな」

 

 

 大食堂の3階の正面入り口側である隅っこのテーブル席にゆったりと座る。コーヒーを口に含んだ後、コーヒー缶をテーブルに置いては天井を見上げた。いまのところ、学校はまだ授業中。なので学生はいないも同然であった。もしこの食堂に他の誰かがいたとしても、それはフードコートの職員か清掃員くらいだ。ある程度は学校の時間ことや人気のないところは把握しているから、よくNPCがいない時間をめがけては、こうやって大食堂で軽く食事したり、コーヒーを飲んで休んだりしている。

 

 自販機で買ってきた缶コーヒーを飲んだおかげか、少し頭が冴えてきた。実際は単なる気のせいなのかもしんない。でもなぜか、コーヒーを飲んだだけで、ちょっと頭の中の回転が速くなったような、そんな気がしてくる。

 生前はあんまりコーヒーは飲まなかったというか、どちらかというと苦手だったのだが、この“Keyコーヒー”は絶妙な甘さと苦みのバランスが取れていて、コーヒーが苦手だったオレでも美味しく飲めた。今では、最低でも1日1・2本は飲まないとやっていられないくらいは中毒になってしまった。よく年のいったおじさん達が喫茶店でよくコーヒーを飲んでいるイメージがあるが、その理由が少し分かる気がする。

 

 それにしても、今日はコーヒーが一段と美味しく感じる。何故だろうか? その答えは特に考えるまでもない。人間がこの世界にいるかもしれないという事実。自分と同じ人間がこの世界に存在しているかもしれないという希望が見えたから。そこからきているものなのだろう。希望が見えるだけで、人間という生き物は心に余裕が生まれ、こんなにも活力が見出せるものなのだなと実感させられる。

 

 

 実際、問題は多い。今後どうしていくと良いかなんて検討もつかない。本当にこの世界にオレとは違う人間が存在しているのだろうか。それすらも怪しい。それこそ、単に自分自身で、この世界に人間がいるかもしれないと思っているだけでしかないと言えばそうだ。人間がいるかもしれないという確たる証拠になりえるものがないのが現状ではある。

 

 だからと言って、この世界には自分以外の人間がいないという断定もできない。もしかしたらこの世界に誰か一人くらいはいるかもしれない。絶対に人間がいないという根拠もないわけだ。

 オレがこの世界に来て以降も、この世界に迷い込んだ人間は確かにいた。それも、1・2人の話ではない。今でもこの世界に迷い込んできてしまう人間はいるはずなんだ。絶対に人間はこの世界のどこかで存在しているはず。そうでなければ、ガムのことや見たことのない電子機器があったことなど、今までにない変化がこの世界の中で起こるわけがない。

 

 

「人間、か……」

 

 

 ただ、問題は人間を探して見つけること。これが最大の難関と言っても間違いではない。この広い世界の中で、人間を探すということは、休みの日に電車の中で同じ学校の生徒を探すくらいに難しい。ただでさえ、外見からはNPCと人間は見分けつかない。見分ける方法なんて、喋ってみて人間っぽいか人間っぽくないかという曖昧な感性で判断するしかない。

 そりゃあ、この世界に来たのであれば、少なくともNPCとはかけ離れた行動を取るはずだから見つけやすいと言えばそうだ。普通にそんな人間を探せばいい。だが、逆に順応性の高い人間であったならば、この世界に溶け込んでしまい、NPCと区別出来なくなってしまう。

 

 最悪、教室をめぐって行っては、人間はいないかを聞いて回るのも手ではある。だがこれは本当に何も良い方法が浮かばなかった時の最終手段として考えている。なぜならこれには、リスクが大きいことがあげられてしまうからだ。

 

 まずは、時間を気にせず授業中でも聞いて回る方法。これが一番効率が良く、人間を見つけるのに最適と言えばそうなのだが、これでは大いに目立ってしまって、先生や生徒会のNPCに目をつけられてしまう。なので、この方法はほぼ不可能に近い。

 そうなると、時間はかかるが休み時間に聞いて回る方法。これなら、2日くらいあればできそうではある。しかし、これもまたクラスメートに自分の注目がいってしまう。注目がいくと、NPCにより認知されるようになる。もし変な人間ということで噂なんか立てられたら、結局は先生や生徒会のNPCに目をつけられてしまうことになる。それでは意味がない。

 さらには、休み時間であると何かしら教室から出て行く生徒も多い。その中に人間がいる可能性も少なくはない。そう考えると、この聞いて回るという方法が人間を見つけ出す方法としては正直どうなのかなと思ってしまう。

 

 

 天井を向いて椅子に座ったままで目を閉じて、腕を組む。正直言って、自分一人で人間を探すのには限界がある。どれほど、良い方法がないか考えただろうか。約半年間ほど期間はあったが、いまだに良い方法が浮かんだことはない。ひっそりとこの世界で静かに暮らしているだけに、注目を浴びて面倒なことになってしまったらと思うと、思い切った行動もできやしない。

 

 

(やれやれ、どうしたものか……)

 

 

 それでも、ずいぶん気持ちが楽なのは、人間がいるという希望の光が見えたからなのだろう。こうも心に余裕ができて、気持ちが楽なのは初めてだ。それも当たり前なのかもしれない。だって今まで人間がいるという気配も感じなかっただけに、効率の良い手段はなくても、地道に探していけば見つかる可能性があるのだから。その可能性が出て来ただけで、心の中の気持ちが高まってくるし、心臓の鼓動も嬉しさで高鳴っているのが聞こえてくるってもんだ。本当にこれほど嬉しいことはない。

 

 

(……ん? あれ? 鼓動? この鼓動の高鳴りは、心臓!?)

 

 

 確かに今、心臓の鼓動を聞いた。心臓が高鳴っているのが確かに聞こえた。それに腕を組んでいたのもあってか、右手に心臓の鼓動を若干ながらも感じることが出来た。左胸に右手を添えてみると、確かに心臓の鼓動を感じた。今までなかったはずの心臓が、自分の体内の中に確かに存在していることが確認できた。

 

 しかし、何故心臓があるのだろうか。心臓が体内にあるなんて当たり前のことではあるが、自分の場合は違う。この世界に来てからずっと、心臓がなかった。オレの心臓は、立華の体の中にあったはず。

 だが、自分の中に心臓があるということは、それは立華の体内にあった心臓が自分の中に戻ってきたということになる。本当にそうなのか確認する方法はないが、考えられることはそれしかない。

 

 

『……ぉい!』

 

「えっ!?」

 

 

 わずかだが声が聞こえた。近くにNPCでもいるのだろうか。目を開いて周りを見渡してみる。だが、周りには誰もいない。どこを探しても、人らしき存在は見当たらない。

 

 

『お、やっとだな。さすがにもう聞こえてるだろ?』

 

「……!?」

 

 

 またしても声が聞こえて来る。よりいっそう周りを見渡してみて、天井を見たり地面を見たりしてみるが、どこにも誰もいない。

 

 

(……どこから聞こえてくるんだ?)

 

 

 ただ、聞こえてくる声はどちらかというと空気が響いて耳から聞こえて来る感じではなく、直接頭に響いてくる感じで聞こえてきた。まるで、テレパシーでも送られているかのような。

 

 

「……誰、なんだ?」

 

『分かんねぇのか? お前だよ』

 

「……え? どういうことだよ?」

 

『って分かんねぇのかよ……ま、そりゃそうか。今まで俺の言葉なんて聞こうとしなかったんだからな』

 

 

 お前、ということは、オレ。自分ということになる。まさか、“誰なんだ”と聞いて“自分だよ”という答えが返って来るなんて想像してなかった。本当にどういうことなのか、戸惑いを隠せないだけに余計にどういう意味で言っているのかわからない。

 

 

『つまりな、俺はもう一人のお前だよ』

 

「……え? どういう……もうひとりの、オレ?」

 

『お前が理解できるように言ってやると、お前の心臓に存在するもう一人のお前の人格って感じかな』

 

 

 たしかに声を聞いてる限りでは、自分に近い声質のようには感じる。だからといって、もう一人の自分が話しかけてくるなんて、そんなファンタジーにも似たことがこの世界で起こるわけがない。体も心も病まないと言われているこの世界で、もうひとつの人格が出て来るなんてありえない。

 

 

「オレのもう一人の人格? いや、そんな……ありえない」

 

『ありえない、か。でもこの世界は、そんなありえないことがありえる世界じゃなかったか?』

 

「そうかもはしれないが……でも、まさかそんな」

 

『まぁお前が信じられないっていうのも、分からなくもないけどな。正直、この俺自身でさえ、自分ってなんなんだろうなって思ってしまうくらいだし』

 

 

 たしかにこの世界では、ありえないようなことが現に目の前で繰り広げられるような世界ではある。現実世界ではありえないと思えるようなことも、この世界では平然と当たりまえのように起こったり、出来てしまったりする。でも、だからといって、もう一人の人格が出て来るなんて、信じられない。

 

 そりゃあ、多重人格者がこの世界に来たのであれば、その人格が残っていてもおかしくはないのだろう。もしくは、この世界で暮らしていく中で頭がおかしくなって、もう一人の人格を作りだしてしまうこともあるのかもしれない。だけど自分は違う。生前から別の人格があったわけでもないし、この世界に来てからもう一人の自分という人格を作りだそうなんて考えたことすらない。どう考えても、自分とは違った人格が体内にいるようには到底思えないのだ。

 

 

『だけど俺が言えること。そうだな、現時点でお前も分かっているであろうことは、立華かなでの中にあった心臓がお前の中に戻ったこと。お前は空洞であった心臓の部分に、もう一人の自分という何かを作ってしまっていたこと。心臓が戻った時、俺という存在が生まれたということだ』

 

「そんな、心臓が戻っているってだけでも驚きなのに。そこにもうひとりの人格だなんて……いつのまに。それに、なんでそんなことが分かるんだ?」

 

『だって、俺はお前なんだぜ。お前の頭の中の知識と記憶があれば分かるさ。とは言っても、推測の域でしかないけどな。さっきも言ったが、正直なところ俺自身が本当にどういった存在なのかは分からないんだ。俺が俺であった時には、もう心臓と同化してたんだからな』

 

「ん? つまり、オレの心臓にひとつの人格が存在するようになった。そういうことなのか?」

 

『そんな感じだろうなっては思う』

 

 

 どうやら、このもう一人の自分という人格は、気付いたら自分の中の心臓と同化していたというらしい。普通別の人格なんて、心というか頭に存在するはずなのだが、心臓に同化して宿っているなんてなんとも不思議な存在だ。本当にそうなのか疑わしくて、どうにも心の底から信じられないことだ。

 

 

「でも、オレの中にもう一人の自分なんて……だって、新しい人格を生みだそうなんて考えたこともないし、そんなものを生み出すことさえオレには出来るわけがない」

 

『そうかい。ま、お前はきっと意思のないまま、無意識に俺という人格を作ってしまったんだろうよ。本意にせよ不本意にせよ、土くれから何だって創造できるこの世界の中なら、人格という存在も創造できてもおかしくないとは思うけどな』

 

「…………っ」

 

 

 そう言われると、何も言えなくなってしまう。なぜなら、絶対にありえない話ではないからだ。なにせ半年以上も周りに人間がいないという孤独の状態であったし、部屋の中で塞ぎこんでいた時期もあった。それだけに、絶対にそんなことはないと断言することが出来なかった。

 

 

『でも、俺は確かにここに存在している。俺という人格のような概念が、今も鼓動を鳴り響かせて生きているんだ。それにお前は自分の心臓の鼓動を聞いているからこそ、俺の言葉が分かるんだぜ。お前本人が聞こうと思ったからこそ、俺の声が聞こえてくるようになったんだから』

 

「でも、本当にそうだとしても、やっぱ信じられないな。だって、今初めてあんたの声が聞こえてきたわけだし」

 

『そりゃそうさ、今まで聞こうとしなかったんだからな。心臓の音を聞こうと思ってわざわざ聞く機会なんて滅多にないだろ? それにお前は今になってやっと心臓が戻ってることに気付いたはずだ。本当ならもっと早く気付いてもおかしくはなかったんだが、お前自身が心に余裕がなくて、それどころじゃなかったはずだ。まったく、そのせいで半年以上も話かけていたっていうのに、今になってやっとお前に気づいてもらえたんだぜ』

 

「そ、そうか……」

 

 

 半年以上もとか言われると、さすがに申し訳ない気持ちになってくる。だからといって、自分の中にもう一人の人格がいるなんて普通は気付かない。別に自分が悪いわけでもないのだから、自分が気に病む必要もないわけではある。

 

 

『だから、お前が聞こうと思わなければ、俺の声は届かないというわけさ。もしくは、左胸に手を当てて心臓の鼓動さえ感じていなければ、俺からはお前に何も伝えることはできない』

 

「ん? それじゃあ、逆にオレ以外のやつにも左胸に手を当てたりしたら、あんたの声は聞こえたりするのか?」

 

『んー、どうだろうな。そこまではちょっと分からない。でもきっと他のやつには聞こえないだろうよ』

 

「そうなのか、それならいいんだが」

 

 

 聞こうとしなければ聞こえないのなら、変に気にする必要もない。このもう一人の人格であるこいつの声をわざわざ聞かなければいけないわけではないのなら、最悪、聞かなければいいだけだ。それに、他の人間達に聞こえてしまうと後々面倒だなと思ってはいたが、聞こえないのであればそれに越したことはない。

 

 

「じゃあ、オレが頭で考えていることとか心の中で思ったこととかは、あんたに伝わるのか?」

 

『さすがにちょっとのことだと伝わらないな。考えていることはなんとなくは分かるが、心の声はさすがに聞こえない。思ったことを言葉に変えるくらいはしないと、こうやって会話も出来ない。だから、せめてでも口にするという行為が必要で、声に出さなくてもいいから、多少なりとも口パクする必要はある』

 

「……そっか」

 

『ま、変に分かりやすく口パクしなくても、口の中でちょっと歯を動かす程度に動かしてもらえれば十分さ。周りの人間から見ても、それくらいなら何も思われないだろ』

 

 

 何でも知っていそうな雰囲気だったから、もしかして心の中まで見透かさせられているのではないかと思った。もしそうだったらちょっと気持ち悪いなとは思ってはいたのが、さすがにそこまでは感じ取れないようで安心した。喋る時に関しても、そこまで声を出さなくていいのなら、手間も省けるし、楽でいい。まぁ、逆にちょっとやそこらのことを呟いてしまうと聞かれてしまうわけだから、下手に喋れなくはなってしまったわけだけど。

 

 

「じゃあ、これからあんたはオレの中でずっと住み着くことになるのか?」

 

『むしろ、移住しようにもできないんでね。嫌かもしれないが、ずっとこのままだ』

 

 

 分かってはいたけれど、やはりそうだよな。下手したらこの世界にいる限り永遠に存在する可能性があるわけだ。これからはずっと一緒なわけだから、まぁ、多少は仲良くしておいて損はないのだろう。

 

 

『もし、俺が口うるさいと思うんなら、別に俺の声を聞かなきゃいいだけの話ではあるしな。ただ、俺という存在がいる。それだけは分かっていてほしいなと思ってはいたから、こうやって会話できてほんとよかったよかったって感じかな』

 

「そうか。それは、こっちとしてもよかったよ」

 

『あ、あと、俺という人格はお前から生まれ、もう一人のお前であることはちょっと忘れないで覚えておいてくれよ』

 

「……?」

 

 

 このもう一人の自分の人格である彼の言っていることが、どういう意味でそう言っているのかちょっと掴めない。つまりは、自分自身であるわけだから、大事にして頼ったりしてくれよということなのだろうか。

 

 

『結局俺は、お前自身でしかないということ……それだけでも分かってもらえればいいわ。ったく、ガラにもなくたくさん喋り過ぎたぜ。さすがに疲れた』

 

「ああ……じゃあ最後に、オレはあんたを何て呼べばいいんだ?」

 

『呼ぶ? ああ、名前か。名前というか俺を呼ぶ時の名称がほしい感じか』

 

「そうそう、一応もう一人の人格に対して“あんた”だけじゃあ呼び辛いしな」

 

『そうだなぁ……お前は音無結弦であって、俺もまた音無結弦であるし、心臓でもあるし、コアとかハートとかハツとか?』

 

 

 意味合いとしてはそれでいいのかもしれないが、さすがにそれでは紛らわしすぎる。特にハツは牛肉の心臓であって、自分の心臓に対してハツと呼ぶのはなんか間違っている気がする。

 

 

「……なんかもうちょっと違った名前がいいんだが。もう一人の自分に対してハートとか言うのはさすがにちょっと。横文字みたいなのじゃなくて、なんだろう……もっと名前っぽいのはないのか?」

 

『うーん、じゃあ心臓ということもあるし、音があるということで“音有”とかはどうだ? お前が音無で俺が音有で、面白いだろ?』

 

「面白いか面白くないかはどうでもいいんだが、それだとちょっと呼びづらいような……どちらかというと名字っぽいし」

 

『そうか? まったく、文句が多いな。それじゃあ、アリー……って横文字はダメだったんだっけ。何がいいかな……』

 

 

 思いのほか、もう一人の自分の人格は名前に関して悩んでしまっている。別にとやかく言うつもりはないが、さすがに呼びやすいものでないと、今後呼ぶ時に面倒くさそうだからだ。

 

 

「別になんだっていいなら、オレが決めるか?」

 

『いや、それは嫌だわ』

 

「えっ?」

 

『だって、お前だと変なのつけそうだし……呼ばれる立場としても気に入ったのがいいからな』

 

 

 そう言うのなら、自分が口出すことはないのだろう。ただ、自分が変な名前をつけるというのはちょっと心外ではあった。まさしく“自分”に言われたくない。

 

 

『コドーとかもいいんだけど……横文字縛りがちょっと厳しいな。んーじゃあもう、ナツキでいいよナツキで。これならいいだろ?』

 

「ナツキ、か。ああ、それなら呼びやすそうだ。でも、なんでナツキなんだ?」

 

『え、単にさっきの“音有”から“有”という字を分解して、“ナ月”から“ナツキ”にしただけ。ただそれだけだが?』

 

 

 ……なんとも安直な理由であった。

 オレの中にいる、もう一人の自分であるナツキという人格は、どうやら大雑把な性格らしい。

 




5話:heart and personality  ー  “心臓と人格”


まさかのもう一人の人格登場です。
これから急展開が次々と始まっていく感じです。

というか、心臓戻ってたんですよね。
天使こと立華かなでが成仏したのだから、普通に考えて戻ってるはず。
そう考えるのが妥当なのですが、音無はそのことを完全に忘れてましたね。

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