ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~ 作:ドラ麦茶
それはまるで、ビデオのスローモーションのように、ゆっくりと、流れて行った。
深雪が背を向けた瞬間、舞が起き上がり、ナイフを振り上げて襲い掛かる。
深雪は、それに気づかない。
亜夕美が走った。
右足には銃弾を受けている。分厚い袴越しに、血が噴き出し、床に飛び散る。
でも、まるでそれに気づいていないかのように、痛みを感じていないかのように、亜夕美は、全力で走る。
舞が、ナイフを振り下ろす。
深雪が振り返る。
その間に。
亜夕美が立った。
振り下ろされたナイフが。
――――。
亜夕美の左の手刀で、払われた。
驚愕と悔しさに歪む舞の顔に。
亜夕美の右拳が炸裂した!
その反動で。
舞の体は、ぐるんと回転し、うつ伏せに倒れた。
亜夕美の足から、さらに血が噴き出す。
忘れていた痛みが戻って来たかのように。
亜夕美の体が、がくんと、崩れ落ちる。
それを。
深雪が抱きとめ、支えた。
二人の目が合った。
お互い、しばらく無言で見つめ合い。
そして、恥ずかしそうに、目を背けた。
「……トドメさしてないのに、敵に背中を向けるな、バカ」亜夕美が言った。
「バ……バカとは何よ! バカとは! バカって言った方がバカなんだからね!」頬を膨らませる深雪。
「子供かよ……まったく……」笑った亜夕美の顔が、憐れむような表情になる。右手を、深雪の頬に当てた。深雪の顔は、舞に蹴られ、大きく腫れ上がり、傷つき、ヴァルキリーズ一のルックスと言われた顔は、見る影もない。「……ゴメン、あたしのせいで、可愛い顔が台無しだね。あんた、そこしか取り柄が無いのに」
おおっと。亜夕美、言いますね。
しかし、深雪は動じることも無く。
「大丈夫よ。あたしの可愛さを甘く見ないで。ちょっとくらい傷がついても平気なんだから。これくらいなら、まだみんなに勝ってるでしょ?」深雪は胸を張った。
「……いや、例え本気でそう思ってても、一応否定しろよ」
まったく同じことを、今、あたしも思った。
二人はまた無言で見つめ合い。
同時に笑い始めた。
おかしくてたまらないという風に笑い続け。
そしていつの間にか、泣き出していた。
泣きながら、抱きしめあう二人。
そこにはもう。
お互い嫌い合い、言葉を交わさない二人は、もういなかった。
いや、最初からそんな二人はいなかったのだ。
言葉を交わさなかったのは事実だけど、決して、嫌い合っていたわけではない。
二人は、お互い競い合い、認め合い、そして、尊敬し合ってきたのだ。
ただそれを、表に出すことができなかっただけなのだ。
二人とも、ただ不器用なだけだったのだ。
でも、もう。
そんな不器用な二人は、もういない。
深雪と亜夕美は、言葉を交わさなかった時間を取り戻そうとしているかのように、長い時間抱き合い、そして、泣き続けた。
うん、いいシーンだな。
…………。
まあ、それはいいんだけどさ。
「あのー。いい雰囲気のとこ悪いんだけど、あたし、そろそろ頭に血が上ってクラクラしてきたから、先に下してくれない?」
あたしは、恐縮しながら言った。
そう。
二人が戦って、勝って、それからラブラブしてる間も、あたしはずっと、逆さ吊りで、ぶらぶらしているのだ。
深雪と亜夕美がこちらを見る。
そして、同時に噴き出した。
五分後。あたしはようやく宙吊りから解放された。
「――ふう。あと一〇分遅かったら、頭の血管が切れてたかもしれないよ。いや、その前に、足がちぎれてたかも」
冗談っぽく言うと、深雪と亜夕美は見つめ合い、そして、また一緒になって笑い始めた。
あたしは、そんな二人の姿を、微笑ましく見つめた。
「……何? そのキモい顔」深雪の顔から笑顔が消え、汚いものを見る目つきになる。
「大丈夫。深雪には指一本触れさせないから。今度から変な人がいたら、いつでも知らせてね」亜夕美が深雪をかばうように立つ。そんな光景も微笑ましい。
「でも、よくスタンガンとか持ってたね」あたしは深雪に言う。「そんなに変質者とか多いの?」
「まあね。さすがに使ったのは今回が初めてだけど、危ないと思ったことは、何度もあるよ。あと、盗聴機や盗撮カメラを見つける機械も持ってる。自宅とかでもそうだけど、特に気を付けないといけないのが、宿泊施設とかなの。ホテルなんかに泊まる時には、あたし、絶対先に調べるようにしてるもん。実際盗聴器を見つけたことも、何回かあったし」
……そんなことがあったのか。それは怖いな。あたしも気を付けないと。
なんて言ってる場合でもないか。
「二人とも、とりあえず一度、操舵室に戻ろう。ケガを治療しないと」あたしは言った。深雪も亜夕美も、さんざん殴られ蹴られ、もうボロボロだ。特に亜夕美は、足に銃弾を受けている。もしかしたらエリの手には負えないほどの大ケガかもしれない。深雪もそのことを思い出し、心配そうな表情で見つめる。
「大丈夫だよ」亜夕美は笑顔で言った。「弾は貫通してる。この出血量なら、血管に損傷も無だろうし、すぐに良くなるよ」
それを聞いて少しほっとしたけど、完全に安心はできない。亜夕美のことだ。強がって言ってる可能性もある。
亜夕美に肩を貸す深雪。ここが十八階のエレベーターホールで良かったよ。操舵室から近いし、亜夕美が倒したから、ゾンビもほとんどいない。
「……ねえ、あの娘はどうする?」深雪が言った。見つめる先には、今度こそ本当に気絶し、倒れている舞。このままここに放置しておくと、どうなるかは言うまでもない。今、ゾンビはほとんどいないけれど、すぐにまた集まってくるだろうし、倒れているゾンビも復活するだろう。
もちろんあたしは、見捨てるつもりなどない。
深雪と亜夕美を殺そうとした。あたしと美咲も殺そうとした。実際に夏樹と由紀江を殺している。
それでも。
舞は、アイドル・ヴァルキリーズの仲間なのだから。
あたしは、決して見捨てない。
反対されるかもしれない。深雪は分からないけど、亜夕美は反対するだろう。操舵室に連れて帰って事情を話せば、みんなも反対するかもしれない。
それでもあたしは、絶対に見捨てない。
ふん、と、亜夕美が鼻を鳴らした。さあ、何と言おうとも、あたしはあたしのポリシーを貫き通すぞ。例えまた言い争いになったとしても、これだけは譲れない。身構えるあたし。
亜夕美が言う。「……いいよ。連れて帰ろう」
…………。
……あれ? 今、連れて帰るって言った?
亜夕美があたしを見る。「何意外そうな顔してるのよ? まさかあんた、ここに放っておこうって言うの?」
「あ、いや、もちろんそんなつもりはないけど……なんか、亜夕美が連れて帰るって言うとは思わなくて」
「ふん。どうせあたしは、冷血人間ですよ」拗ねたように目を背けた。なんかそう言われると、あたしが悪者みたいじゃないか。
亜夕美は、もの悲しそうな表情で、気を失っている舞を見つめる。「あたしね……舞の気持ちも分かるんだよ。この娘だって、最初からこんなんじゃなかったはずなんだ。トップアイドルになることを夢見て、なれると信じて、アイドル・ヴァルキリーズに入って来たんだよ。でも、現実はそんなに甘いもんじゃない。すぐに壁にぶち当たる。それは誰もが経験することだけど、この娘には、それを乗り越える力が無かっただけ。普通はそうなんだよ。その壁を乗り越えられるのは、ほんのわずかな人だけなんだ。この娘は、自分にその力が無かったことを認めるのが嫌で、諦めることもできなくて、周りの環境のせいにしてきたんだ。それで、こんなゾンビ騒動に巻き込まれて……。もちろん、悪いのはこの娘だよ。それは間違いない。でも、この娘の気持ちは分かるんだ。あたしだって、もし三年前のあの日、こんなゾンビ騒動に巻き込まれてたら、絶対にこうなってたよ……」
亜夕美は、独り言のように言った。
深雪は、三年前のあの日というのが、いつのことなのか分かってないような表情だけど。
あたしはすぐに分かった。
三年前の、第2回のランキング。深雪にブリュンヒルデの座を奪われ、それに納得がいかず、舞台裏で2位のトロフィーを床に叩きつけ、蹴り飛ばし、荒れた亜夕美。
あの時亜夕美が言ったことは、はっきりと覚えている。
――アイドルだから容姿が第一なんでしょ? かわいければ歌もダンスも適当でもやって行けるんでしょ!? こんな茶番、やってられないわよ!!
そう、さっき舞が言っていたことと、ほとんど同じだ。
確かに、あの日の亜夕美ならば、舞のようになっていてもおかしくないだろう。
でもあの日、由香里に言われた言葉。
――本気でそんな風に思っているなら、あなたはこの先絶対、深雪には勝てないよ。
あの言葉を聞いた亜夕美は、誰よりも、深雪のことを見るようになったのだ。
深雪が、何故1位になれたのかを知るために。
そして、深雪の努力を知ったのだ。深雪の凄さを知ったのだ。
そしてそれは、同時に、自分の強さへとつながったのだ。
アイドル・ヴァルキリーズのランキングは残酷だ。グループ内での人気を順位づけされ、前に立つ娘、後ろに並ぶ娘、メディアに出る娘、出ない娘、それらが、明確に分けられる。自分の実力を、ハッキリと示される。嫌でも現実を見せつけられる。それは、ランキング上位にいる者でも、いや、上位にいるからこそなお、重いプレッシャーとなって、心にのしかかる。ランキングはまぎれもない、メンバー同士の戦いなのだ。
でも、それを乗り越えてこそ、得られるものがある。
あたしたちの心は、誰よりも強い。
あたしたちの志は、誰よりも高い。
そして。
あたしたちの絆は、誰よりも深い。
ランキングは、あたしたちを、確実に強くしてくれる。
だからみんな、これからも、戦い続けるだろう。
あたしたちは、ヴァルキリー――戦乙女なのだから。
――――。
さてと。
あたしは、横たわる舞の体を抱き起した。
しかし、さっきの亜夕美のパンチは凄かったな。舞の身体が回転してたもんな。空手家の美咲の正拳突きより強力なんじゃないか? 舞の顔、陥没してないだろうか? ちょっと同情する。
よっこいしょ、と、舞を背負って立ち上がる。
……うん?
ふと、エレベーターの方を見ると。
左側、舞が上がってきたエレベーターが、いつの間にか、四階に移動していた。
…………。
「若葉? どうかした?」深雪がこちらを見ている。
「ううん、別に何でも無い」あたしは特に気にすることなく、操舵室へと向かった。