ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~ 作:ドラ麦茶
公園に現れたのは、ランキング2位のロスヴァイセ・本郷亜夕美だった。薙刀の使い手で、高校時代に全国大会で優勝をしたこともある。
亜夕美は無言で薙刀を構え、舞を睨んだ。
「……いっつもいっつもいいところで邪魔しやがって……気に入らないね」
舞は不敵に笑い、警棒を握る右手の甲で、左頬を伝う汗をぬぐう。
その、手の甲を見て。
「――――!」
あたしは息を飲む。
舞の顔からも笑みが消えた。
手の甲には、どろりとした紅い液体が付いていた。汗なんかではない。
――血!?
そうとしか見えない。
舞は、信じられない、という表情で、手の甲の血を見つめる。今度は左手のひらで頬を触った。べっとりと、血が付いた。
舞の左頬は。
ぱっくりと大きく裂け、血が溢れ出していた。
薙刀による傷には見えなかった。競技用の薙刀で、あんなに鋭く切れるはずがない。
亜夕美の薙刀を見る。
それは、通常の薙刀ではなかった。
薙刀の先には――本物の刃が付いていた。
もちろん、本物の薙刀など船内に持ち込めるはずはない。恐らく、適当な棒の先に、包丁の刃でも取り付けたのだろうけれど。
競技用の薙刀などよりも、遥かに殺傷力は高いだろう。
だけど、わざわざそんなものを作る意味があるのだろうか?
ゾンビから身を護るために作ったのだろうか? ゾンビどもはそんなに強くない。競技用の薙刀でも十分に戦えるはずだ。あたしですら、この木刀でここまで戦ってきたのだから。もちろん、より殺傷力の高い武器の方が心強いだろう。それは分からないではないけれど。
それを、生きている人間に――それも、アイドル・ヴァルキリーズの仲間に向け、そして、実際に傷つけた。
今、あたしの目の前で起こっていることは、本当に現実なのだろうか?
ゾンビが徘徊していることよりも、仲間同士で争っていることが、傷つけあっていることが、信じられない。
舞は、血にまみれた左手を見つめ、
「あ……あたしの顔に……傷を……」
震える声で言った。
亜夕美は動かず、鋭い目で舞を睨んでいる。
「あたしの顔にぃ! 傷をぉ!!」
舞が吼えた。憎しみの目を亜夕美に向け、鬼相を浮かべ、警棒を振り上げ、走った。
だが、警棒と薙刀とでは、リーチが違いすぎる。
向かってくる舞に向け、亜夕美は薙刀を突き出した。競技用ではない、本物の刃の付いた刃先を、ためらくことなく舞に向けて突き出したのである!
「――――!!」
舞は足を止め、上体を左に逸らした。舞の胸の数センチ先に刃が突き刺さる。避けなければ、刃は確実に舞の胸を貫いていただろう。
と、空を刺した薙刀の刃先が、急に動きを変え、警棒を握る舞の右手に襲いかかった。手の甲を引き裂く。鮮血がほとばしった。舞の顔が苦痛にゆがむ。警棒が地面に落ちた。すかさず亜夕美は薙刀で警棒をはらい飛ばす。武器を失った舞は、警棒と亜夕美の顔を交互に見た。その顔には、戸惑いの色が浮かんでいる。亜夕美の薙刀は容赦なく舞を襲う。反転した薙刀の柄の部分が舞のみぞおちに食い込む。前のめりになった舞の顔に、亜夕美の回し蹴りが炸裂した。舞の体は半回転し、そのままうつ伏せに倒れた。
亜夕美はその姿を冷ややかな目で見下ろすと、今度は紗代に視線を向けた。そして、新たな獲物を見つけた獣のように、走る。
舌打ちをし、紗代は構えた。
亜夕美の薙刀が、まるで生き物のような動きで紗代に襲いかかる。突き出され、横薙ぎにされ、1度引いたかと思うと、今度は上から襲い掛かる。刃先に気を取られていると、今度は柄の部分が飛んでくる。武器を持たない紗代は、リーチの長い薙刀に対して防戦一方だった。
いや。
紗代は、巧みな動きで亜夕美の攻撃をかわしつつ、踏み込むタイミングをうかがっていた。その目はまるで、獲物に襲いかかる蛇のようだった。
左から横薙ぎに襲い掛かる刃を、紗代はしゃがんでかわした。そのまま踏み込み、一気に間合いを詰めた。
薙刀はリーチが長いけど、間合いが詰まってしまうと、今度はその長さが仇になる。完全に紗代の間合いになった。
紗代は亜夕美のボディにアッパーを打ち込んだ。空手家の美咲のガードを吹き飛ばした強烈な拳だ。亜夕美の表情が、苦痛に歪む。
――いや。
亜夕美は、平然とした顔をしている。全く効いていないかのように。
亜夕美は右手で紗代の首の後ろを掴み。
そして、自分の方に引き寄せつつ、右の膝を紗代のボディに叩き込んだ。
「――――っ!」
紗代は膝をつき、胃液を吐いた。
「……腹筋の鍛え方が足りないよ」亜夕美はほこりを払うように自分の腹筋を払い、抑揚のない口調で言った。地べたに這いつくばる紗代を、冷めた目で見下ろす。
「こ……の……」
立ち上がろうとする紗代の胸を、亜夕美が蹴り上げた。バランスを崩し倒れそうになった紗代だが、何とか踏みとどまった。再び構えようとして。
そこに、亜夕美の薙刀が襲い掛かる。
突き出されたその刃が。
紗代の、左脇腹を捉えていた。
「――――」
何が起こったのか分からないという表情で、亜夕美の顔と、自分の脇腹を交互に見る紗代。
刃の突き刺さった服に、紅黒い染みが広がっていく。
それを見つめる亜夕美の顔には、何の感情も浮かんでいない。
薙刀を引き抜いた。
こぽっ、と、紅い液体が溢れ出し、地面を濡らす。
紗代が左手で腹をさわった。溢れ出した紅い液体は、紗代の左手も染めた。べっとりと濡れた左手を見つめる紗代。
「あたしを……刺したのか……」
小さな声で言った。
亜夕美は、相変わらず感情のない目で紗代を見ている。
「あたしを……刺したのかぁ!!」
叫ぶ紗代の顔に。
右から、薙刀の柄が飛んできた。
弾き飛ばされ、半回転し、うつ伏せに倒れる紗代。
立ち上がろうとするけど、脇腹から血が溢れ出し、それが紗代から立つ力を奪う。
亜夕美がゆっくりと紗代に近づく。
気配に気づいた紗代は、倒れたまま、亜夕美の方を向いた。
その、紗代の左脇腹を。
亜夕美が踏みつけた。
言葉にならない悲鳴が公園内に響き渡る。
見下ろす亜夕美の目は、氷のように冷たかった。
亜夕美は、まるで虫けらをいたぶるかのように、紗代の腹を踏み潰す。悲鳴が上がる。血が溢れ出る。
「……痛い?」低い、恐ろしい声で、亜夕美が言った。紗代は答えない。激痛で、言葉を発することができない。
それが気に入らなかったのか、亜夕美は、さらに強い力で、踏みつける。さらに悲鳴を上げる紗代。
「……痛いだろ? でもね……」
亜夕美が足をどけた。
「夏樹たちの痛みは、こんなもんじゃなかったんだよ!!」
急に。
亜夕美の感情が乱れた。
夏樹たちの痛み? 何のことだ? 高杉夏樹。二期生で、ランキングは13位。2日前のコンサート終了後、亜夕美のグループにいた娘の1人だ。亜夕美はいったい、何を言っているのだろう?
亜夕美が、紗代の腹に足を振り下ろす。
悲鳴が上がる。
血が飛び散る。
もう1度足を上げ、振り下ろす。悲鳴が上がる。血が飛び散る。
それを、何度も何度も繰り返す。
飛び散る血が、亜夕美の足を、体を、顔を、染めていく。
なんなのよ、これは……。
あれが、亜夕美なの?
あの、鬼のような形相で、紗代をなぶっているのが、亜夕美なの?
アネゴ肌のさばさばした性格で、同期の娘にも後輩の娘にも慕われる、ヴァルキリーズナンバー2の、亜夕美なの!?
信じられない。
信じたくない。
と、亜夕美の足が止まった。
しかしそれは、残酷な儀式の終了を告げるものではなかった。
亜夕美が、薙刀を振り上げた。
その目は、激痛と出血で意識を失いかけている紗代を、じっと捕らえている。
何を、する気なの……。
何をする気なの!!
叫ぶよりも早く、体が動いた。
走り、亜夕美と紗代の間に割って入る。
振り下ろされる薙刀を。
がしん!
木刀で受け止めた。
重い一撃だった。身体が沈むような錯覚。しかし、それに耐える。紗代に蹴られた右足の痛みは、今は感じない。
その右足で亜夕美のおなかを蹴った。
「――――」
紗代の強烈な拳にも耐えた亜夕美の腹筋は、あたしの蹴りなんかには何の興味も示さなかった。それでも、相手の体勢を崩すことはできた。亜夕美が数歩下がる。邪魔が入ったのが気に入らないのか、亜夕美は不快そうな目であたしを睨む。
あたしは木刀を構えた。
同時に、周りの状態を確認する。背後の紗代は、意識が混濁して1人では動けそうにない。紗代に頭を蹴られた美咲は、まだ立てないようだ。舞は――。
舞は、ふらつきながら立ち上がっていた。そして、血の海に倒れている紗代を見て、言葉を失う。
「舞! 紗代を連れて、逃げて!」あたしは叫んだ。
状況が理解できないのか、困惑の表情で立ち尽くす舞。
「早く! 逃げて!!」
さらに叫んだ。
返り血を浴びた亜夕美の姿を見て、ようやく何が起こっているのか理解したのか、舞は紗代に駆け寄り、肩を貸し、ゆっくりと走り出した。
後を追おうとする亜夕美の前に、あたしは立ちはだかった。
木刀を握りしめ、亜夕美を睨む。
亜夕美も薙刀を構え、あたしを睨み返す。
勝てるとは思えない。痛みを感じないとは言え、右足を痛めている。どこまで持つかは分からない。たとえ足を痛めていなかったとしても、勝てるかどうかは怪しい。剣道と薙刀。畑は違うけど、お互い高校時代に武道を習い、全国大会を経験している。しかし、10年近く前に1度だけ出場しただけのあたしと、数年前に全国制覇をした亜夕美とでは、そもそもの実力が違いすぎる。あたしなんかに止められる相手ではない。それは分かっている。
それでも。
ここは絶対に、通さない!
気迫だけでも負けるつもりはない。そんなものでどうにかなる相手ではないけれど、それでも、ここを通すわけにはいかない。絶対に、止める。
仲間を護るために。
紗代と舞があたしたちを襲い、殺そうとしていたことなど、すでに頭から飛んでいた。今は、亜夕美が紗代たちを殺そうとしているのだ。そんなことを許すわけにはいかない。
背後で声がした。
「覚えてろよ……この借りは……絶対に……絶対に返すからなぁ!!」
紗代の声だった。あれだけのケガをしながら、どこに叫ぶ力が残っていたのか。その声は、亜夕美を呪う言葉のように聞こえた。
その後、ばたん、と、ドアの閉まる音がした。2人が船内に入ったらしい。
睨み合う、あたしと亜夕美。
「……先輩?」
美咲の声だ。どうやら意識がはっきりしたようだ。何があったのか分からない様子で、あたしと亜夕美の姿を交互に見ている。
と、亜夕美は、大きく息を吐き出し。
「美咲、大丈夫?」
視線はあたしを捉えたまま、訊いた。
「あ……はい。ちょっとくらくらしますけど、多分平気です」美咲が答えた。
亜夕美が視線を落とした。同時に、薙刀も下ろす。懐から白い布を取り出し、刃先の血を拭った。そして、その布を刃に巻きつける。
「あんたもいい加減、その木刀下ろしたら? 別に、あんたと戦う気はないから」
亜夕美の目は鋭いままだけど、さっきまでの鬼のような表情は消えていた。確かに、戦う意思はなさそうだ。それでも油断はできない。あたしは木刀を構えたまま、亜夕美を睨み続ける。
亜夕美はため息をつくと、背を向け、歩き始めた。
「どこへ行くの?」あたしは言った。
「どこって、帰るのよ。七海たちが待ってるから」振り向かずに答える亜夕美。
七海――ランキング8位のジークルーネ・水野七海だ。初日のコンサート終了後は、確か、亜夕美と同じグループで、7階後方にある部屋に泊まったはずだ。
「七海たちは無事なの!?」そう言って1歩踏み出した時、右足に激痛が走った。興奮して忘れていた痛みが戻って来たようだ。そのまま崩れ落ちるように倒れる。
「せ……先輩?」
美咲が駆け寄ってくる。肩を借り、立ち上がった。
亜夕美は足を止め、振り返った。「……七海たちはこの近くのレストランに立てこもってるわ。一緒に来る? ケガの治療くらいしてあげるわよ?」
「だ……誰があんたなんかの世話になるか!」嫌悪をこめて言った。
「そう? まあ、好きにしたら」
興味が無さそうな口調で言って、亜夕美は再び歩き始めた。
「あの……」と、美咲が言う。「若葉先輩、あたしもまだ頭がくらくらしてますし、先輩に肩を貸したままだと、ゾンビと戦えません」
周りを見た。公園には、再びゾンビが集まりつつある。このままここに居るのは危険だし、操舵室に帰るにも、ゾンビとの戦いは避けられないだろう。それに、七海たちの様子も気になる。
それに。
さっき、亜夕美が紗代をいたぶっていたときに言った言葉が、よみがえる。
――夏樹たちの痛みは、こんなもんじゃなかったんだよ!!
あれはいったい、どういう意味だったのか。
あの言葉を口にした途端、突然亜夕美の感情が乱れ、鬼になった。
一体夏樹に、何があったのだろう? 『たち』、と言うからには、1人ではないのだろうか? 痛みとはなんだ?
そして。
紗代が、舞が、亜夕美が。
ほんの2日前まで、一緒にステージの上で歌い、踊り、笑い、泣き合った、アイドル・ヴァルキリーズのかけがえのない仲間が。
何故、戦い、傷つけ、殺し合うまでになってしまったのだろうか?
訊くのが怖かった。真実を知るのが怖かった。
でも、確かめないわけにはいかない。
あたしは無言で頷いた。そして美咲に肩を借りて、亜夕美の後を追った。