ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~   作:ドラ麦茶

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Day 3 #02

 目を覚ますと、低い天井が見えた。一瞬考えた後で、二段ベッドだと気付く。上半身を起こし、周りを見回すと、十畳ほどの部屋に、二段ベッドが6台も並んでいる。

 

 ここは世界最大級のクルーズ船・オータム号の中。しかし、この部屋はホテルの客室ではなく、操舵室の、クルー用の仮眠室だ。

 

 夢か……と、思った。

 

 夢ではあったけど、あれは、実際にあった出来事だ。半年ほど前の、武闘館コンサートでのこと。コンサートは武闘館の観客動員記録を塗り替え、大成功となったけれど、その裏では、こんなことも起こっていたのだ。

 

 とは言え、小さな出来事と言えば小さな出来事ではある。あの後紗代は真理にちゃんと謝り、今、2人の仲は良好だ。亜夕美はさばさばした性格だし、紗代とはもともと仲がいいので、こちらも今は何の問題も無い。

 

 まあ、それよりも、だ。

 

 今のは夢だったけれど、どうやら昨日の出来事は、夢ではなかったらしい。

 

 昨日の朝、目を覚ますと、船の中はゾンビだらけ。襲い掛かってくるゾンビどもを退け、由香里たちと合流し、この操舵室に立てこもったのだ。それがすべて、まさかの夢オチであることを期待して眠ったのだけど、やはり、世の中そんなに甘くないようだ。

 

 ま、しょうがないか。

 

 昨日一緒に眠ったはずの由香里の姿は無い。時計を見ると9時を過ぎていた。すでに起きて外に行ったのだろう。あたしも部屋を出る。洗面所で顔を洗って歯を磨き、食堂へ入る。中には、美咲と祭がいた。

 

「あ、若葉先輩、おはようございます!」美咲がいつもの天真爛漫な笑顔を向ける。あたしも笑顔で、おはようと応えた。

 

「若葉さん、朝ごはん、食べますよね?」と、祭。もちろん、お腹はペコペコだ。あたしがお願いすると、祭は厨房に入って行った。あたしは美咲の前の席に座った。

 

「先輩、昨日はずっとチーフと一緒にいたんですか?」美咲が訊いてきた。チーフとは、キャプテンの由香里のことである。

 

「うん。ちょっと、この後のことについて話してた」

 

「そうですか……昨日、先輩がいてくれなくて、あたし、寂しかったです。チーフとなら仕方ないですけど、あたしのことも忘れないでくださいね」

 

 仕事で帰りが遅い夫に甘える新妻のような上目づかいの美咲に、あたしは苦笑いを返した。

 

「お待たせしましたー」

 

 厨房から祭が戻って来た。パンとコーヒーでもあれば十分だと思っていたのだけど、なんと、出てきたのは、炊き立ての白ご飯に味噌汁、納豆に生卵に海苔、さらには焼き魚まである、立派な和朝食だった。

 

「すごいね。これ、祭が作ったの?」感心するあたし。

 

「はい。あたし、料理くらいしかできないので、せめておいしいご飯でも作って、みんなのお役にたてたら、と思って、早起きして作りました」少し照れた表情で、祭は答えた。

 

「ありがとう。いっただっきまーす」

 

 あたしは納豆に卵を入れてかき混ぜ、そこにほぐした焼き魚の身を入れ、しょうゆを垂らしてさらにかき混ぜる。それをご飯の上にかけ、上から海苔を散らして、そして、一気にかき込んだ。うん! うまい!! やはり日本人の朝はこれに限る。まさかハワイに向かうゾンビだらけの船の上で、焼き魚のほぐし身入り納豆TKGを味わえるとは思っていなかった。生きてて良かった。

 

「お代わりもありますから、たくさん食べてくださいね」祭が言った。「あたしみたいな『シスター』は、これくらいのことしかできませんから」

 

「なに言ってんの」と、あたしは答える。「昨日ケガをしたみんなを治療して、大活躍だったじゃない。あたしたち『ナイト』も、『シスター』がいてくれるから、安心して戦えるんだから」

 

 ねえ、と、美咲を見る。美咲は「はい!」、という笑顔で頷いた。

 

「そんな……治療をしたのはほとんどエリさんですから。あたしなんて、何の役にも立ってませんよ。でも、ありがとうございます」祭は、嬉しそうに笑った。

 

 アイドル・ヴァルキリーズには、上位9名に与えられる称号とは別に、クラス、というものがある。これは、ロール・プレイング・ゲームの『職業』のようなものだ。主に、『ナイト』、『シスター』、『ソーサラー』の3つに分かれていて、メンバーはそれぞれの条件を満たしたクラスに属することになる。

 

『ナイト』は、ヴァルキリーズの最も基本的なクラスだ。ほとんどのメンバーがこのクラスに属していて、条件は、何らかの武術を習っていること。例えば、あたしは剣道を、美咲は空手を習っているから、このナイトになる。ヴァルキリーズに入ってから週2回の剣道実習をやり始めた娘も、みんなナイトだ。二期生までの娘は、基本的にはみんなナイトになる。

 

『シスター』は、三期生の募集時から設定されたクラスで、戦いで傷ついたナイトを癒すためのクラスである(もちろん、あくまでも設定上の話である)。それまでヴァルキリーズの体育会系で汗臭いイメージを払拭するために作られたクラスだ。条件は、看護資格を持っていること。ヴァルキリーズのプロデューサーが、看護資格を取得した藍沢エリを見て、思いつきで始めたとのウワサだけど、本当のところは不明だ。現在シスターは4名いて、その1人が祭だ。

 

 シスターは剣道の稽古を受けなくてもよいのだけど、その代わり、たとえランキングで9位以内に入っても称号を持つことはできない。称号はあくまでも戦乙女のものなのだ。なので、称号が欲しい場合は、エリのように剣道の稽古に参加し、ナイトのクラスの条件も満たさなければならない。

 

『ソーサラー』は、四期生募集時から設定されたクラスで、ナイトの戦いを、魔法で後方から援護するためのクラスだ。条件は大学を卒業していることで、現在2名がこのクラスに属している。四期生募集時の期待とは裏腹に、応募者があまり集まらなかったクラスだ。まあ、それも当然と言えば当然で、大学卒業ということは、少なくとも22歳以上になる。メンバー最年長のあたしが言うのもなんだけど、アイドルのデビューとしては遅すぎる年齢だ。今のところ、スベった感が否めないクラスではある。

 

 ただし、三期生までのメンバーの中には、すでに大学を卒業している娘もいて、その娘たちには自動的にソーサラーの資格が与えられた。また、現在大学に通いつつヴァルキリーズの活動をしている娘もいて、その娘たちも卒業後、ソーサラーの資格が与えられる。

 

 ソーサラーもシスター同様、ランキング9位以内に入っても、称号を持つことはできない。称号を得るためには、やはりナイトの資格が必要だ。

 

 さて、すでに気付いたと思うけど、シスターやソーサラーなど、新たなクラスが設定されたことにより、それまでナイトのクラスだったメンバーの中にも、シスターやソーサラーの条件を満たしたメンバーがいる。2つのクラスの条件を満たした場合、『混成職』と呼ばれるクラスに属することになる。ロール・プレイング・ゲームで言えば、上位職のようなものだ。

 

『ナイト』と『ソーサラー』の混成職は『ダークナイト』と呼ばれている。イメージ的には、魔法を使う騎士だ。現在、キャプテンの橘由香里と、ランキング8位の水野七海の2名がこのクラスに属している。また、ランキング9位でグリムゲルデの篠崎遥は、現在大学に通いながらヴァルキリーズの活動を行っているので、卒業後はダークナイトになる予定だ。

 

『ナイト』と『シスター』の混成職は『シルバーナイト』と呼ばれている。イメージとしては、癒しの騎士だろうか。現在このクラスに属しているのは、「武術もできる白衣の天使」というキャラでブレイクした、ランキング3位の藍沢エリ1人だけだ。

 

 最後に、『シスター』と『ソーサラー』の混成職。これは、『ウィザード』と呼ばれている。魔術を極めた天才、というイメージである。このクラスに属しているのも1人だけ。日本の大学ランキングで上位に入るK大学の看護学部を卒業し、クイズ番組や討論番組などで活躍するインテリアイドル、緋山瑞姫だ。

 

 以上の6つが、アイドル・ヴァルキリーズで設定されたクラスである。ファンの間では、「何の意味があるんだ」というような意見もあるけれど、各メンバーのキャラを分かりやすくする1つの目安となるので、いいんじゃないか、と、あたしは思っている。

 

「はあ! おいしかった! ありがと、祭!」

 

 ペロリと朝食を平らげ、最後に熱いお茶を啜って日本の朝を満喫していると。

 

「若葉さん。ここにいたんですか」

 

 食堂に現れたのは、武術もできる白衣の天使・藍沢エリだった。「すみません。ちょっと、デッキに来てもらえますか?」

 

 真剣な表情のエリ。何かあったのかな?

 

 あたしはお茶を置き、もう一度祭にお礼を言って、食堂を後にした。美咲も付いてくる。

 

 デッキにはキャプテンの由香里がいた。正面のガラスに顔をくっつけるようにして、下を見ている。

 

「おはよ、由香里。何やってるの?」そばに立ち、視線の先を追いながら訊いた。

 

「おはよ、若葉」由香里が、窓の下を指さした。「あれ、見て」

 

 遥か下方に見えるのは、船の船首部分、フロントデッキだ。中央に噴水があり、その周りにはベンチがいくつか並べられていて、ちょっとした公園のようになっている。そこに、人影がいくつか見える。ふらふら歩いているから恐らくはゾンビだろうけど、みんな、中央の噴水の方へ向かっていた。

 

 そこには、2人の人がいた。近づいてくるゾンビたちを、パンチやキックで、あるいは手に持つ武器で、撃退している。

 

「あの2人、ゾンビじゃないよね」由香里が言った。

 

 確かに、ゾンビはゾンビを襲うようなことはない。ゾンビが襲うのは正常な人間だ。もしかしたら、メンバーの誰かかもしれない。

 

 目を凝らしてよく見てみるけど、あまりに小さくて誰なのかは分からない。ここ操舵室は、船の中で最も高い19階に位置している。フロントデッキは確か5階だ。つまり、15階建てのビルから下を見下ろしていることになる。誰かなんて判るはずもない。

 

 と、美咲があたしの隣に立ち、そして、同じように下を見て言った。「あれ、紗代先輩と舞先輩ですね」

 

「ホントに?」驚いて、目を細めたり、逆にパッチリ開いたりして見るけれど、やっぱり遠すぎて誰だか分からない。「あんた、よく分かるね?」

 

「はい。あたし、視力が6.0ありますから」えへん、と、胸を張る美咲。

 

「サンコンか」思わず突っ込むあたし。しかし。

 

「さんこんって、何ですか…?」美咲は不思議そうな顔になった。

 

「何って、サンコンさんよ。オシメン・サンコンさん。外国人タレントで、視力が6.0あるんだけど、知らないの?」

 

「はい。知りません」

 

「あ、そう。いや、知らないならいい」

 

 最近の若い娘はサンコンさんを知らないのか。軽くカルチャーショックを受けながらも、気を取り直し。

 

 さて、どうしようか。

 

 吉岡紗代。一期生。朝、夢で見た娘だ。かつてはランキングで上位にランクインしていて、称号も持っていたけれど、最近はずるずると順位を落とし、現在は22位と低迷している。

 

 もう1人は森野舞。同じく一期生で、ランキングは30位だ。

 

 2人とも、亜夕美と同じグループだったはずだけど、他のメンバーの姿は見えない。はぐれたのだろうか?

 

 紗代はキックボクシングを習っていて、アマチュアのチャンピオンになったこともある腕前だ。向かってくるゾンビたちにパンチやキックの連続技を叩き込み、全く寄せ付けていない。舞の方は特に武道は習っていない。ヴァルキリーズで義務付けられた週2回の剣道の稽古のみだ。しかし、鉄パイプのようなものを振り回し、ゾンビを撃退している。2人とも、簡単にやられたりはしないだろうけど、放っておくわけにはいかない。

 

「とりあえず、あたし、迎えに行くよ」あたしは由香里に言った。

 

「うん。その方がいいね」

 

 由香里の許可が下りた。もちろん1人で行くのは危険なので、一緒に来てもらう人が必要だ。

 

「美咲、一緒に来てくれる?」そばにいる美咲に頼んでみる。

 

「もちろんです! どこまでもお供しますよ!」美咲は嬉しそうに答えた。ゾンビと戦うことになるのにこんなに喜ぶのは美咲くらいのものだろう。

 

 あたしは一度部屋に戻り、木刀を持ってきた。

 

「ゴメンね、若葉」由香里が急にすまなさそうな顔になる。「昨日から、若葉には無茶をさせてばかりだね」

 

「え? 無茶だなんて、とんでもないよ。あたしなんて、ホント、何の役にも立てなくて、せめて、こんなことでもしないと、みんなに申し訳ないって思ってるくらいだもん」

 

 そう。本当に、そう思う。

 

 こんな、船の中がゾンビだらけになって、由香里はキャプテンとしてみんなを導いてくれているし、エリはケガした娘を治療し、みんなが弱気にならないようケアしてくれている。深雪も、最初は怯えていたけれど、エースの自覚に目覚め、先頭に立って戦ってくれた。

 

 それに比べてあたしは、メンバー最年長として恥ずかしいくらいに、本当に、何の役にも立っていない。情けない限りだ。

 

「そんな! それこそ、とんでもないよ!」由香里が手を振って否定する「若葉がそうやって積極的に動いてくれるから、あたしも、みんなも、すごく助かってる」

 

 由香里の言葉に、エリも笑顔で頷いた。お世辞だとしても、嬉しい。

 

「でも、若葉。無茶だけは、しないでね」由香里が言った。

 

「――分かってる。大丈夫。こんなとこで死なないよ。だってあたし、みんなには内緒にしてたけど、実は、来年公開予定の映画の、ヒロイン役に決まりそうなんだ!」

 

「え? ホントに? スゴイじゃん!」驚く由香里。エリも美咲も、目を丸くしてビックリしている。

 

「うん! 自信が無かったから誰にも言わなかったんだけど、先月、こっそりオーディション受けてきたの。ベテランの女優さんとか、売出し中の新人さんとか、本業の人たちがいっぱいいてね、あたしも緊張してうまく演技とかアピールとかできなかったし、たぶんダメだろうって、ほとんど諦めてたんだけど……この前、なんと監督さんから直接メールが来たの! 『この前のオーディション、すごく良かった』って!」

 

「すごいすごい!! じゃあ、来年は日本アカデミー主演女優賞獲得だね!」

 

「へっへーん。ま、そんなところだね。もちろん正式な決定じゃないけど、もう、ほとんど決まったも同然かな。だから、こんなところで、あたし、死なないよ。だから絶対、生きて帰って来る。」

 

「うん。約束だよ」

 

 由香里は拳握り、胸の前に出した。あたしも同じように拳を握り、こつん、と、合わせる。

 

「じゃあ、気を付けてね」親指を立てる由香里。

 

「頑張ってくださいね」エリも笑顔で見送ってくれる。

 

「うん。行ってくる!」

 

 あたしはドアを開け、そして、外に出た。

 

 だけど。

 

「……美咲? 何してるの?」

 

 振り返る。美咲が来ない。由香里のそばで、祈るようなポーズで手を組み、あたしを見つめている。その目には、気のせいか、涙が溜まっている。

 

 何だ? あたしの映画ヒロイン決定が、泣くほど嬉しいのかな? でも、その表情は悲しそうだ。どうしたんだろう? まさか、ゾンビと戦うことに怖気づいてしまったとか? ありえない話ではない。美咲だって、1人の女の子なのだから。

 

 あたしは、美咲に優しく微笑みかけた。「どうしたの? 美咲」

 

「若葉先輩……あたし、あたし! 先輩に、死んでほしくありません!」美咲はうるうるした目で訴えかけた。

 

 なんだ。あたしの心配してくれてたのか。フフ。優しい娘だ。あたしは美咲の心配を拭うために、力強い口調で言う。「何言ってんのよ。大丈夫。あんなのろまなゾンビどもにやられたりしないって」

 

「でも、でも!!」美咲の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。「出陣前に夢を語ったり、『こんなところで死ねないよ』とか、『絶対生きて帰って来る』ってセリフは、完璧な死亡フラグです! 先輩、絶対死んじゃいます!」

 

 ぼか。あたしはグーで美咲の頭を殴った。「……いいから早く来い」

 

「……はい」頭をなでながら、美咲も操舵室を出た。

 

 階段を降り、18階の客室へ出る。フロアには昨日と同じく沢山のゾンビがいた。いちいち相手にしていてはきりがないので、極力無視して、エレベーターホールへ走った。ホールの状況を素早く確認する。ホール内のゾンビはそれほど多くない。エレベーターを見ると、階数を表すランプは14階で点灯している。比較的近い。ボタンを押すと動き出した。よし。これならエレベーターを使った方が安全だろう。そのまま待つ。エレベーターが到着するまでに3体のゾンビに襲われたけれど、美咲とあたしで難なく撃退。そのまま到着したエレベーターに乗り込み、5階まで降りた。

 

 5階のエレベーターホールは、昨日あたしたちが泊まった11階と同じ作りだ。ホールの先に客室がずらりと並んでいる。しかし、このフロアは、上のフロアと違い、客室は船の前方と後方だけだ。中央には、大きなショッピングモールがある。乗船時に見たパンフレットによると、衣料品店に雑貨屋、化粧品店、食料品店、旅行用品店、書店から、家電量販店、なんと、携帯電話ショップまであるらしい。5階から7階の3フロアにそれらのお店が入り、その上の8階はレストラン街やフードコートが、この下の4階にはボウリング場やカラオケ店、ゲームセンターなどの娯楽施設が入っている。ホントに、街にあるショッピングモールと何ら変わらない施設だ。

 

 もっとも、今回はショッピングモールに用はない。行先は反対側。フロントデッキだ。

 

 ショッピングモールの方を名残惜しそうに見つめる美咲の手を引き、ホールを駆け抜け、建物の外に出た。潮の香りを含んだ風が頬をなでた。船が波を切る音が聞こえる。室内にいると忘れがちではあるけれど、ここは海の上なのだ。建物の外に出ると、そのことを思い出させてくれる。これでゾンビさえいなければ気持ちのいい朝なんだけどな……ため息をつき、あたしは右から襲い掛かって来たゾンビに面を打ち込んだ。

 

 気を取り直し、正面デッキに向かって走る。

 

 フロントデッキに着いた途端、美咲が目を輝かせた。全速力で駆け出し、デッキの先端、つまり、この船の一番先端に立ち、両手を広げた。

 

 ……やると思った。言わずと知れた、映画タイタニックの有名シーンのマネである。

 

「ちょっと先輩! 何やってるんですか! 後ろから抱きしめてくださいよ! あたし、子供の頃からこれが夢だったんです!」

 

 断る! 美咲とタイタニックなんて冗談じゃない、と、昨日も言ったはずだ。それに、抱きしめてくれる人なら、他にもたくさんいるだろ。

 

 案の定、背を向けている美咲に、そばにいたゾンビが抱き着いた。良かったね、夢がかなって。

 

「もう! サイテー!!」

 

 首筋にキス……ではなく、咬みつこうとするゾンビに、美咲は後頭部でヘッドバッドを繰り出し、続いてみぞおちに肘を打ち込む。怯んで美咲から離れたゾンビに、振り向きながらの後ろ回し蹴りでトドメを刺した。

 

 ま、バカはほっといて、だ。

 

 あたしはフロントデッキを見回した。ほとんどゾンビは紗代と舞によって倒されていた。しかし、2人の姿は無かった。フロントデッキは割と広いけれど、身を隠すようなところは無い。どこかへ行ってしまったのだろうか?

 

「先輩、チーフが何か言ってますよ?」

 

 美咲が操舵室を指さした。チーフとは、キャプテンの由香里のことである。あたしも見上げた。でも、ここは5階。操舵室は19階。何を言ってるか分からないどころか、あたしには由香里の姿さえ判別できない。

 

「向こうに行った……って言ってるみたいです」

 

 さすがは視力6.0。美咲は船の左側の通路を指さした。あたしたちがやって来た通路とは反対側だ。確かに、そちらの通路にもゾンビがたくさん倒れている。どうやら行き違いになったらしい。

 

 あたしは操舵室に向かって両手で大きく輪を作ってOKサインを出すと、紗代たちの後を追った。

 

 5階の中央、船の進行方向に向かって左側は、本格的な公園になっている。なんと、ここは人工芝が植えられていて、子供向けの大型の遊具も沢山ある。外周にはランニング用のトラックまであり、くつろいだり、遊んだり、体を動かしたりできる、多目的公園だ。

 

 その中央で。

 

 紗代と舞が、ゾンビと戦っていた。

 

 紗代は得意のキックボクシングで、舞は右手の棒――金属製の、伸縮式特殊警棒だ――で、襲ってくるゾンビを、次々と片づけていく。

 

 だけど、公園内のゾンビは、あまりにも数が多かった。すべてを2人で相手にするのはさすがに厳しいだろう。

 

「紗代! 舞! 助けに来たよ!」

 

 叫びながらゾンビの群れに突っ込む。木刀を振り回し、一気に3体のゾンビを片付けた。美咲も飛び蹴りでゾンビを吹っ飛ばす。

 

 紗代と目を合わせ、無言で頷き合った。再会を喜ぶのは後だ。まずは、ゾンビを片付けないと。

 

 あたしたちは二手に分かれ、公園のゾンビをどんどん倒して行った。数は多いけれど、4人なら楽勝だ。数分で、公園内のゾンビはあらかた片づけてしまった。が、最後に残ったゾンビが、ちょっと特殊なヤツだった。巨漢ゾンビだ。それも、昨日の操舵室にいたヤツとは、少しタイプが違う。昨日のヤツは縦に大きかったけど、今日のヤツは横に大きい。そう。おデブちゃんゾンビなのだ。

 

 おデブちゃんゾンビはドスドスと地面とお腹を揺らしながら近づいてくる。

 

「はいはーい、まっかせてくださーい!」

 

 昨日と同じように美咲が前に出る。昨日も思ったけど、あの娘、ホント、楽しそうだな。

 

 おデブちゃんゾンビは、いつものように正面から抱き着き攻撃で襲い掛かってくる。美咲はしゃがんでかわした。そして。

 

「はい!」

 

 しゃがんだ状態から、ゾンビのおなかに右フックを叩き込んだ。

 

 って、おいおい。おデブちゃんのおなかは脂肪だらけだぞ? それは分厚い鎧みたいなものだ。最も攻撃が効きにくい場所なのに、美咲、何考えてんだ? それじゃあ捕まっちゃうぞ?

 

 と、思っていたら。

 

 お腹を殴られたおデブちゃんゾンビ、なんと、前のめりになって崩れ落ちる。すごい。効いてる。美咲のパンチって、そんなに威力があったのか。

 

 倒れるゾンビに、美咲は連続で技を叩き込んだ。立ち上がりつつの右アッパー。昨日のノッポゾンビを吹っ飛ばした蛙飛びアッパーではなく、腕を軽く振り上げるショートアッパーのような格好だ。しかし、相手が前のめりに倒れているところに、立ち上がりながらのアッパーはかなりの威力だ。ゾンビは大きくのけぞり、バタリと倒れた。

 

 見事な連続技だったけれど、何故か美咲の顔は浮かない。「……うーん、また浮きませんでした。最速風神拳は難しいですね」

 

「浮きませんでした、って、あんた、今のアッパーで相手を浮かすつもりなの?」半分呆れて訊いてみる。アッパーで人が宙に浮くなんてゲームの世界の話だろ。しかも相手はおデブちゃんゾンビ、浮くはずがない。

 

 でも、美咲はマジメな顔で言う。「もちろんです! 最速風神拳は、三島流喧嘩空手の使い手なら、必ずマスターしておくべき技ですから!」

 

 美咲はいつもの『押忍』のポーズをする。三島流喧嘩空手……昨日言ってた、三島平八とかいう心の師匠の流派だな。アッパーで相手を浮かすとか、どんな流派だよ。

 

 ……って、そんなこと今はどうでもいいか。紗代たちは無事だろうか?

 

 広場を見回す。紗代たちの戦いによって、ゾンビはほとんど倒されていた。スゴイな。さすがは紗代だ。

 

 紗代と舞を見つけた。ちょうど、最後のゾンビを紗代がハイキックで倒したところだ。

 

「紗代、舞、大丈夫?」

 

 2人に駆け寄る。身体中に点々と赤い斑点が付いている。でも、ケガをしているようには見えない。どうやら、全てゾンビの返り血のようだ。ここまで、何体のゾンビを倒してきたんだろう? いくら相手がゾンビとは言え、ちょっとやり過ぎのような気もする。まあ、向こうから襲い掛かってくるんだから、倒さなけりゃいけないんだろうけど。

 

 紗代と舞はあたしたちの方を見て、ニッコリと笑った。

 

 そして。

 

「……見て、舞。若葉ゾンビと、美咲ゾンビだよ?」紗代が言った。

 

 ……は? 若葉ゾンビと美咲ゾンビ? 紗代、何言ってんだ?

 

「ホントだ。ヘルムヴィーゲとヴァルトラウテだね。あのゾンビやっつけたら、あたしも称号が貰えるのかな?」

 

 舞も、おかしなことを言っている。

 

 …………。

 

「もう。2人とも何言ってんのよ? こんな時に冗談やめなよ。それより、ケガはなさそうだね。他のメンバーはどうしてるの? 2人だけ?」

 

 紗代たちの言葉を笑って流し、あたしはそう訊いてみた。紗代たちは亜夕美たちのグループだったはずだ。無事でいるか心配だ。

 

 だが、2人はあたしの質問には答えなかった。

 

 代わりに。

 

「じゃ、あたし、ヘルムヴィーゲ頂き!」舞が叫び。

 

 そして、特殊警棒を振り上げた――。

 

 

 

 

 

 


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