ZMB48~少女たちは、ゾンビの徘徊する船上で戦い続ける~   作:ドラ麦茶

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Day 2 #07

「どうするのよ!? 船員たちもゾンビ化してたら、どうしようもないじゃない!!」わめく睦美。

 

 あたしは何も言えない。どうしていいのか分からない。キャプテンの由香里も、さすがに黙ったままだった。

 

 操舵室のゾンビどもを一掃し、外に放り出して、操舵室の制圧には成功した。でも、操舵室の人たちがゾンビ化しているということは、船を操縦する人がいないということである。

 

「救命ボートとか、あるんじゃないですか? それで脱出したらどうでしょう?」千恵が言った。

 

 救命ボート……乗船前に、非常時の対応方法は一通り説明を受けている。しかし、救命胴衣の着用方法と、避難路、救命ボートの場所の説明までで、ボートの降ろし方や操縦方法までは教わっていない。基本的に、「船員の指示に従って、落ち着いて行動してください」としか言われていないのだ。船員のいない今の状態で脱出して大丈夫だろうか? 船を下ろすことはおそらく可能だ。操作方法を知らないと降ろせない、というのでは、本当の非常時に脱出できない。分かりやすい説明板みたいなのがあるだろうから、それに従えば大丈夫だろう。でも、果たしてそれが正しい決断なのだろうか? 分からない。由香里も決断をしかねている。当然だろう。こんな経験、初めてなのだから。

 

 脱出か? 留まるか? それとも別の方法があるのか? 決断するには、あたしたちには経験も知識も少なすぎる。でも、何かの決断をしなければいけない。

 

 その時。

 

「――ここに残った方が、いいと思いますよ」

 

 落ち着いた声。みんなの視線がそちらに集中する。言ったのはエリだった。

 

「な……何言ってるの!? こんなゾンビだらけの船内に残るより、脱出した方がいいに決まってるでしょ!!」睦美、エリに食って掛かる。

 

「いいえ。ここの方が、絶対に安全です」エリは、まっすぐに睦美を見つめ、そう言い切った。

 

「……な……何を根拠に!」

 

「まず、この操舵室への入口ですが、由香里さんの言った通り、シージャックへの対策が施されています。入口はドアの1ヶ所のみ。内側から鍵をかければ、多分、プラスチック爆弾でも持ち込まない限り、破壊は不可能でしょう。いえ、もしかしたらそれくらいなら十分耐えられるかもしれません。道具も使えないゾンビに、破れるとは思えません」

 

 確かにエリの言う通りだった。下の階の扉はともかく、この操舵室の金庫のようなドアは、厚さが五センチくらいある金属製のもので、閉ざしてしまえば、ゾンビなんかには絶対に破れないだろう。内側からは簡単に開けることができるし、船員ゾンビから回収したカードキーと、ご丁寧に暗証番号が書かれたメモも見つけたから、これさえあれば、あたしたちは簡単に出入りできる。

 

「……で、でも! 船の操縦はどうするのよ!? 船員が全員ゾンビ化してたら、誰も操縦できないじゃない! このままじゃ、沈んじゃうわ!!」

 

 睦美が叫ぶように言うけど、エリの表情は変わらない。

 

「大丈夫です。さっき確認しましたけど、自動操舵になってます。まあ、最近の船の操縦はほとんど自動ですよ。人が操縦するのは、出港の時と、入港の時。あとは、緊急の時くらいなんです。あたしたちがこの操舵室を守っている限り、沈むなんてことはまずありません。これだけの大きさの船ですから、他の船とぶつかることも無いでしょう。向こうから近づいてこないでしょうからね。タイタニック号みたいに、氷山にぶつかる心配もないです。今は五月ですから、横浜より南のこんな場所まで流れ着く流氷なんてありませんし、万が一流れてきたとしても、今の自動操舵なら避けられます。ですから、放っておいても、7日目にはハワイ近くに着くと思います」

 

 淡々と語るエリ。睦美は反論することができない。

 

「さらに、ここには水も電気もガスもあります。クルー用の食堂もありますから、食糧の心配も無いです。さっき確認しましたが、このメンバーなら、半年は持つだけの量がありました。医務室に薬品も沢山ありますから、わざわざまたゾンビの群れの中に出て行って、太平洋のど真ん中を小さなボートで漂流するよりも、ここにいた方が、ずっと安全ですよ」

 

 力強いエリの言葉に、みんな顔を合わせ、「確かにそうね」と、納得して頷きあっていた。睦美も今のエリの言葉を吟味するように、何か考えている。

 

「……ところで、可南子の様子はどう?」

 

 あたしはみんなに聞こえないように、そっと、エリに訊いた。さっき、みんなで退治したゾンビたちを外に捨てている間、エリは、医務室で可南子の治療をしてくれていたのだ。

 

「大丈夫です。抗生物質と解熱剤があったので、飲ませておきました。傷も小さいですし、これで、感染症になることはまずないと思います。明日の朝、熱が無ければ、もう安心です」

 

 にっこりと笑うエリ。良かった。あたしはほっと胸をなでおろした。

 

「でも……そうだ!」と、睦美が声を上げる。「カスミと可南子はどうするのよ!?」

 

「ど……どうするって、何を?」今のひそひそ話が聞かれたのかだろうか? 思わずうろたえた口調になってしまうあたし。

 

「だって、2人はゾンビに噛まれたのよ? 危ないでしょうが!」

 

 どうやら話を聞かれたわけではないようだけど、睦美、とんでもないことを言い出した。

 

 ゾンビに咬まれたり爪で引っ掻かれた人は、ゾンビになる――映画なんかでよくある設定だ。あんなものは映画の世界だけの話で、現実的ではない――とは言えない。そもそもゾンビ自体が現実的ではないのだから。正直言って、あたしもそれを考えなかったわけではない。でも、みんなの前で、わざわざ言わなくてもいいだろう。

 

 しかし、エリの表情は変わらない。

 

「それも、心配ないと思いますよ」相変わらず涼しい顔で答える。「ゾンビに咬まれたり引っかかれたりしてゾンビになる、ということは、ゾンビの口内や爪に、なんらかのウィルスが付着していて、それが体内に侵入するから、と考えられます。仮にそのウィルスを、ゾンビ菌と呼びましょうか。カスミがゾンビに咬まれたのは、昨日の午後4時ごろ。ゾンビ菌に感染したとすれば、すでに20時間以上経過しています。普通なら、体内の免疫細胞が、侵入してきたゾンビ菌に攻撃を仕掛け、なんらかの拒否反応が表れるハズです。高熱や嘔吐や下痢なんかですね。でも、カスミにはそんな兆候はありません。ぴんぴんしてます。それに、昨日の段階では、船内にいたゾンビは、コンサート会場でカスミを咬んだあの1体だけでした。今のところ、船内にゾンビ化していない人は、あたしたち以外にいません。たった一晩で、船中ゾンビだらけになってます。咬んだり引っ掻いたりでゾンビ菌の感染が広がるにしては、あまりに早すぎます。だから、咬まれたり引っかかれたりでゾンビ化することはありえません。安心してください」

 

 なるほど。確かにエリの言う通りだ。さすがは看護師。感染とかの勉強もしているのだろう。

 

 でも、睦美は納得しない。

 

「そ……そんなこと、わかんないだろ! 今からゾンビになるのかもしれないじゃないか!!」

 

 なおも食い下がる睦美。でも、非常に説得力のあるエリに対し、根拠も何もない反論だ。そんなにカスミたちをゾンビにしたいのだろうか? 仲間だぞ? なんか、腹立ってきたな。

 

「よしなさい、睦美」由香里が言った。「あたしはエリの言うことを信じるわ」

 

「そんな!?」裏切られた、と言わんばかりの表情で、由香里を見る睦美。

 

 由香里は、そんな睦美をまっすぐに見つめる。「睦美は、カスミたちをどうしたいの? ゾンビになるかもしれないから、追い出そうってわけ?」

 

「……そ……そんなつもりはないけど……ただ……もしゾンビになったら、あたしたちが襲われるのよ? 危険じゃない! だから、どこか別の場所に行ってもらうとか……」

 

「同じことよ。カスミも可南子もヴァルキリーズの仲間よ。追い出したりはしない」

 

 由香里は、力強く言い切った。

 

 あたしも睦美を見て、大きく頷いた。

 

「それに――」

 

 由香里は、右腕の袖をめくった。

 

「――――!」

 

 全員が、一斉に息を飲んだ。

 

 そこにはくっきりと、歯型のような傷が残っていた。血も、少し流れている。

 

「由香里、それ……!?」言葉がうまく出てこないあたし。

 

「そう。あたしも、さっき咬まれた。ここに来る途中に、ね」みんなに見えるように、由香里は腕を上げた。「ゾンビに咬まれたって理由で、カスミと可南子を追い出すなら、あたしも出て行く。そうじゃないとおかしいでしょ?」

 

 決意に満ちた目で、そう言った。

 

 睦美は何も答えなかった。ここまでみんなを導いてきたのは由香里だ。そんな由香里がいなくなることへの不安は、睦美にだって分かっているのだ。

 

 あたしは睦美を見た。

 

「由香里が出て行くなら、あたしも出て行くよ。たとえゾンビになったって、由香里は由香里だもん。あたしは、見捨てたりはしない」そう言って、あたしは、由香里の側に立った。

 

「えー。若葉先輩も出て行くんですか?」美咲もあたしの側に来た。「じゃあ、あたしも一緒に行きます」

 

 続いて、エリも側に立つ。「もちろん、あたしも一緒に行きます。ゾンビに咬まれてもゾンビ化はしませんし、何より、ケガ人を放っておけませんからね」

 

 そして、エリに続き、深雪に祭、千恵たちも、次々とあたしたちの側に立ち、そして、批判的な目を睦美に向けた。

 

「何よ……何よ、それ!? まるであたしが悪者みたいじゃない!」叫ぶ睦美。いや、この場合、どう考えてもそうだろう。

 

「分かったわ。好きにすればいい。あたしも好きにさせてもらう」

 

 そう言うと、睦美は操舵室の奥へ行った。奥の扉の向こうには、クルーたちの仮眠室がたくさんある。そのひとつのドアを開けた。

 

「この部屋、あたし1人で使わせてもらうわ。中から鍵がかけられるから、ここに閉じこもっていれば、あんたたちがゾンビになっても、安全だからね!」

 

 そして、勢いよく扉を閉める睦美。ガチャリ、と、鍵を掛ける音がした。みんな、やれやれと言う表情で、肩をすくめた。

 

「睦美先輩、大丈夫ですかね? さっきから死亡フラグが立ちまくってますけど」心配げな口調の美咲。

 

「何? 死亡フラグって?」あたしは訊いた

 

「死ぬことへの伏線です。ドラマとか映画とかでよくあるじゃないですか? ある行動をすると、その人は必ず死んじゃう、ってやつです」

 

 ああ、ナルホド。確かに、ホラー映画やミステリー映画で、今の睦美みたいな行動をとった人は、大抵死ぬよね。

 

「……って、不謹慎なこと言わないの」あたしは握り拳を振り上げた。美咲は、ゴメンなさい、と、頭をかばった。

 

「まあ、睦美の気持ちも分かるよ」と、由香里がため息を吐く。「こんな状態だもん。誰かに当たりたくなっても、しょうがないよ。しばらくほっとこう。落ち着いたら、出てくるって」

 

「そうだね」あたしはそう言った。

 

 とりあえず、しばらくはこの操舵室に立てこもるということで決まった。もし生存者がいれば、あたしたちと同じようにここまで来る可能性もあるし、もしかしたらその中に、船の乗務員もいるかもしれない。他のメンバーのことが気がかりだったけれど、どこにいるのか分からない以上、うかつに探しに行くのはかえって危険だ。今はみんなを信じるしかない。

 

 方針が決まり、一旦解散となった。美咲たちは食堂に行き、深雪たちは医務室の加奈子の所へ向かった。デッキには、あたしと由香里とエリが残った。

 

 エリが応急手当の道具を取り出した。「由香里さん、傷、見せてください。治療しますから」

 

 操舵室の隅には小さなテーブルとソファが置かれてあった。3人でそこに座る。由香里は袖をめくり、エリに見せた。エリは手際よく手当てをしていく。

 

「由香里さん、これ、ゾンビに咬まれたんじゃないでしょ?」包帯を巻きながら、エリがイタズラっぽい表情で言った?

 

 は? ゾンビに咬まれたんじゃない? どういうことだ?

 

「一応あたし、みんなの状態は常にチェックしてますからね」ニッコリと笑うエリ。「操舵室のゾンビを全員倒した時、由香里さんの腕に、こんな傷は無かったはずですよ?」

 

「……まったく、エリちゃんにはかなわないね」由香里、苦笑い。

 

 何を言ってるのか分からないので、あたしは由香里とエリの顔を交互に見る。

 

「由香里さんは、自分で自分の腕を咬んだんですよ。多分、みんながあたしのゾンビ菌の説明を聞いている時に」

 

 エリの言葉に、由香里は恥ずかしそうに笑った。

 

「……つまり、由香里は自分も追い出されるかもしれないのに、ゾンビに咬まれたことにした、ってこと?」あたしは言った。そんな自己犠牲を伴うような決断、よくあんな一瞬でできるな。

 

「……まあ、あたしが出て行くって言えば、睦美の性格だもん。絶対折れると思ったよ。でも、まさか若葉やエリたちも一緒に出て行く、って言ってくれるとは思わなかった。ありがとうね」由香里は頭を下げた。

 

「そんな! お礼を言うのは、あたしたちの方だよ。ホント、由香里がいて助かったんだから。ね?」あたしはエリの方を見た。

 

「そうですよ。あたしたち、由香里さんがいなかったら、どうしていいか分からず、オロオロしていただけでしたから。本当に、ありがとうございます」エリも頭を下げた。

 

「いやいやいや。あたしなんて、適当に考えたことを自信たっぷりに言って、説得力があるように見せかけてるだけだもん。うまく行ったのは、みんなのおかげだよ」

 

 恥ずかしそうに謙遜する。そんなところも、何とも由香里らしい。

 

「それに引き換え、エリはすごいよ」由香里はエリを見る「ちゃんと冷静に状況を分析して、睦美を説得してくれた。ホントに助かったよ」

 

「そうだね」あたしも同意する。「ゾンビ菌の話とか、あたしたちじゃ絶対分からなかったよ。さすがは看護師だね」

 

「ああ、お礼なんていいですよ。あんなの、ほとんどデタラメですから」涼しい顔で、エリは言った。

 

 …………。

 

 はい? デタラメ?

 

「はい。デタラメです。だって、あたしみたいなタダの看護師が、ゾンビ菌なんて未知のウィルスの生態なんて、分かるわけがないじゃないですか」当然のように言うエリ。

 

「じゃあ……カスミたちがゾンビにならないって言うのは……?」

 

「うーん、どうでしょうね? ゾンビになるかもしれませんし、ならないかもしれません。あたしには分かりませんよ」

 

「でも、感染してたら発熱とか下痢や嘔吐があるって言ったじゃない」

 

「もちろん、それもデタラメです。ウィルスの潜伏期間なんて、ウィルス次第です。潜伏期間が3日のウィルスもあれば、1週間のウィルスもあります。中には、数ヶ月や数年のウィルスもありますからね。感染から20時間程度で症状が出るウィルスの方が、むしろ少ないと思いますよ?」

 

「じゃあ、さっき言ってたことって、ホントに全部、デタラメ?」

 

「もちろんです」

 

 エリは、ニッコリと笑った。

 

 みんな、さっきのエリの言葉を信じている。あの言葉を聞いて、安心している。それがデタラメだと言うのなら、エリはみんなをだましたことになる。

 

 もちろん、だからと言ってエリを責める気にはなれない。エリは、カスミと可南子を護るためにデタラメを言ったのだ。あのままだったらカスミたちは追い出されていたかもしれないし、そこまではならなくても、みんなの胸の中には疑惑は残るだろう。いつかその疑惑が膨らんで、取り返しのない事態になっていたかもしれない。だから、例えデタラメであったとしても、エリがとった行動は正しいのだ。

 

「……でも、よくあんなデタラメ、とっさに出てきたもんだね」あたしも由香里も感心する。

 

「はい。必死に考えましたから。追い出されたら、たまりませんからね」

 

 ん? 追い出されたら? どういうことだ?

 

「ああ。実は、あたしも咬まれたんです。ゾンビに」エリ、満面の笑みを崩さずに言う。そして、左の袖をめくった。そこには、くっきりと、歯型が付いていた。

 

「……それ、いつ咬まれたの?」記憶を探る。エリがゾンビと格闘になったのは、さっきの強烈なトラースキックを食らわせたゾンビだけだ。あの時は、咬まれたりはしなかったはず。

 

「みんなと合流する前です。朝起きたら、外が騒がしかったので様子を見たんです。そしたら、突然、ガブリ。抵抗するヒマもありませんでした」

 

 何と答えていいか分からず、あたしたちは黙っている。

 

 ゾンビに咬まれてもゾンビにはならない――さっきエリが言ったことがデタラメなら、エリも、可南子も、カスミも、ゾンビになるかもしれないのだ。

 

 でも、当のエリは平然としている。「まあ、ゾンビになるかならないかなんて、たとえ細菌学のエキスパートがいたとしても、分かりませんよ。だって、未知のウィルスなんですから。そもそもゾンビ菌なんてものがあるのかもわかりませんし、気にしたって、しょうがありません。なるようになるしかないんです」

 

 エリのあっけらかんとした態度に、あたしと由香里は顔を見合わせ、そして、思わず吹き出してしまった。エリも笑う。しばらく3人で笑い合った。

 

「――でも、あながちハズレてもいないと思いますよ」エリが言う。「やっぱり、咬んだり引っ掻いたりで感染するんだったら、一晩でこの状態は、感染があまりにも早すぎますから」

 

 確かに、それはそうだ。

 

 ゾンビに咬まれた人がゾンビになって、そのゾンビがまた他の人を咬んで、ゾンビになって――。こんなことを繰り返し、船中ゾンビだらけになるのは、さすがに一晩では無理だろう。この船には、何千人もの人が乗っているのだから。それに、あたしたちは今日1日ゾンビたちと戦いまくったけれど、ゾンビに咬まれたのは3人だけだ。ゾンビは凶暴だけど強くはない。抵抗すれば、そう簡単に咬まれたりすることはないのだ。咬まれることで感染が広がるのなら、一晩で船の中にいる人ほぼ全員がゾンビになるというのは、確かに考えにくかった。

 

「でも――だからこそ、怖いんですけどね」

 

 エリが、低い声でそう言った。

 

 それまで笑っていた顔が、急に真剣になった。

 

「……どういうこと?」由香里が訊いた。

 

「わずか一晩で、船内にいた人が殆んどゾンビ化した。これが本当にゾンビ菌なんてものの仕業だった場合、こんな早い感染ルートは、一つしか考えられません――空気感染です」

 

 淡々とした口調で、エリは語った。

 

 背中に冷たいものが走る。室内の気温が、2、3度下がったような、そんな錯覚。

 

 ――空気感染。呼吸するだけで感染する危険性がある。

 

 つまり。

 

 今あたしが吸い込んだ空気の中にも、ゾンビ菌がいるかもしれないのだ。

 

 息をするだけで、ゾンビになる可能性があるのだ。

 

 ゾンビにならないためには、息を止めるしかない。

 

 いや、今さら止めても無駄だろう。ここまでさんざん呼吸をしてきたのだから。

 

 それに、当たり前だけど、息を止め続けたら死んでしまう。

 

「……まあ、あまり気にしないでください。さっきも言いましたけど、あたしはただの看護師で、ウィルスの専門家じゃないんですから。本当のところなんて、誰にも分かりません」エリは再び笑顔になってそう言った。

 

 ……さんざん不安を煽ることを言っておいて、最後に「気にしないでください」と来たか。この娘、実は睦美より性質が悪いんじゃないか?

 

「せんぱーい。みんなで、サンドイッチ作ったんですけど、一緒に食べませんかー」

 

 食堂から出てきた美咲がのんきな声で言った。緊張感も何もない。

 

 まあいいや。エリの言う、「気にしない」というのは、多分正解だ。看護資格を持っているエリにも分からず、そのエリも「仮にウィルスのエキスパートがいても分からない」と言ってるんだ。あたしなんかが考えたって、答えが出るわけもない。

 

「うん! すぐ行く!」食堂に向かって言った。そう言えば、結局朝から何も食べていない。お腹ペコペコだ。

 

 操舵室の壁に掛けられている時計を見る。げ? もう3時過ぎてるのか。時間なんて気にしてる余裕、なかったからな。朝も昼もごはん抜きであれだけゾンビ相手に大暴れしたんだ。そりゃ、お腹も空くよ。

 

「じゃ、行こうか」

 

 あたしは立ち上った。エリも応急手当の道具を片付け、一緒に食堂に向かう。

 

 しかし、由香里はソファに座ったままだ。

 

「あれ? 由香里は来ないの?」あたしは訊いた。

 

「うん。あたしはいいや。お腹空いてないし。ちょっと疲れたから、部屋で休んでるよ。何かあったら、呼んでね」

 

 あたしは「分かった」と答えた。由香里は立ち上がり、仮眠室の方へ向かった。睦美が閉じこもっている隣の部屋に入ったのを見届け、あたしはエリと一緒に食堂に向かう。

 

 クルー用の食堂とは言っても、そこは世界最大級の客船。一度に100人は食事ができるほどの広さだ。入ってすぐ右側がカウンターになっていて、その奥が厨房だ。奥から、祭たちが大きなお皿にたくさんのサンドイッチを乗せて出てきた。20人前はありそうだ。パンにハムとチーズとレタスとトマトをはさみ、マヨネーズをかけただけのシンプルなものだけど、おいしそうだ。医務室にいた深雪たちもやってくる。みんなでお喋りをしながら、おいしく食べた。さっきまでゾンビと大格闘をしていたのがウソみたいに、楽しい時間だった。

 

 みんなでお腹いっぱい食べたけど、まだサンドイッチは何個か残っていた。祭がその中から2つ取り、小皿に乗せた。そして、「睦美さんに渡してきます」と言って、食堂を出て行った。

 

 サンドイッチはまだ3つ残っている。由香里に持って行ってあげようかな。お腹は空いてないって言ってたけど、一休みしたら、食べたくなるかもしれないし。

 

 あたしも小皿にサンドイッチを乗せ、楽しくお喋りをしているみんなを残し、食堂を出た。由香里の入って行った仮眠室のドアをノックする。返事は無かった。寝ているのだろうか? ノブを回すと、鍵はかかっていなかった。

 

「由香里? 入るよ?」

 

 寝ているところを起こしても悪いので、小さな声で言って、ドアを開けた。

 

 部屋の中の電気は消えていた。窓のない部屋なので、真っ暗である。でも、入口から差し込む光で、中の様子は大体確認できた。部屋の大きさは十畳くらい。あたしたちが泊まっていたホテルの部屋と同じくらいの広さだけど、2段ベッドが6つも並べられていて、後はロッカーだけの、質素な部屋だった。まあ、クルーの仮眠室だから当たり前だけど。

 

 由香里は一番奥のベッドいた。こちらに背を向け、座っている。

 

「なんだ。寝てないじゃん」

 

 あたしは入口のそばのスイッチを押した。何度か瞬いて、明かりが点いた。「サンドイッチ、持ってきたよ。すごくおいしいから、食べてみて――」

 

 由香里の背中を見て。

 

 言葉を継げなくなってしまった。

 

 由香里の肩が、小さく震えている。

 

 ベッドの上で膝を抱え、子供のように、由香里は震えていた。

 

 ――――。

 

 あたしはドアを閉め、鍵をかけた。

 

 手前のベッドの上にお皿を置く。

 

 そしてあたしは、由香里を、背中からぎゅっと抱きしめた。

 

 由香里が、あたしの手を握った。その手も震えている。

 

「若葉……あたし……怖いよ……怖い……」消え入るような小さな声。

 

 さっきまでの、みんなを導いてきたアイドル・ヴァルキリーズキャプテンの凛々しい姿は、そこには無かった。冬の夜に置き去りにされた子猫のように、震え、怯えている。怖い……怖い……と、子供のように繰り返す。

 

「大丈夫……大丈夫だから……」あたしは、ささやくように言った。

 

 それはまるで。

 

 アイドル・ヴァルキリーズ結成当時の由香里に、戻ったようだった。

 

 今でこそメンバー全員からキャプテンとして認められている由香里だけれど、最初からそうだったわけではない。

 

 由香里をキャプテンに選んだのはヴァルキリーズのプロデューサーだ。由香里自身が望んだわけでも、みんなが選んだわけでもなかった。

 

「あたしはキャプテンに向いていない」

 

 当時、それが由香里の口癖だった。その言葉通り、あの頃の由香里は、みんなをうまくまとめることができず、よく泣いていた。あたしの前で。今のように。

 

 あれから五年経ち、由香里は立派なキャプテンに成長したけれど。

 

 由香里だって、女の子だ。

 

 アイドル・ヴァルキリーズ48人を束ね、誰もが認めるキャプテンであっても、やはり、1人の女の子なのだ。

 

 ゾンビと戦うなんてことに、慣れているわけがない。怖がるのが普通だ。

 

 もちろん、由香里は、ゾンビが怖いのではない。そんなものを恐れるような娘ではない。

 

 由香里が恐れているのは。

 

 自分の決断が、仲間の運命を左右することに対してだ。

 

 こんな状態でも、由香里は、キャプテンとして振る舞わなくてはいけない。

 

 こんな状態でも、由香里は、メンバーを導いていかなければいけない。

 

 由香里が、メンバーの運命を握っているのだ。

 

 決断を誤れば、メンバーが危険にさらされる。最悪、命を落としかねない。

 

 今日の決断だってそうだ。

 

 操舵室へ移動することが、ここに留まることが。ゾンビと戦うことが。

 

 本当に正しいのか、なんて、誰にも分からないのだ。

 

 今日うまく行ったからと言って、明日もうまく行くなんて保証はない。そもそも、今日もうまく行ったのかどうかさえも分からない。うまく行ったように見えるだけで、本当は大きな過ちをしている可能性だって、十分にある。

 

 そんな決断を、由香里は、これからもしていかなければならない。

 

 たった1人の女の子が。

 

 15人のメンバーの――いや、48人のメンバーの命の決断を、下さなければいけないのだ。平気でいられる方がどうかしている。怖いのが当たり前だ。

 

 それでも、あたしたちは。

 

 あなたに、頼るしかない。

 

 あたしたちを導いてくれるのは、あなたしかいない。

 

 この5年間、アイドル・ヴァルキリーズを引っ張ってきたのは、まぎれもなくあなただ。

 

 この5年間、アイドル・ヴァルキリーズを支えてきたのは、まぎれもなくあなただ。

 

 だからどうか、これからも。

 

 あなたは、みんなを導く立場であってほしい。

 

 みんなが、あなたを心の支えにしている。

 

 あなたの心が折れてしまうと、みんなの心も折れてしまう。

 

 大丈夫。あなたなら、絶対に大丈夫。

 

 あたしは知っている。あなたが、どんなに強いのかを。

 

 あたしはこの5年間、誰よりも近くで、あなたを見てきた。

 

 あなたは、「怖い」とは言うけれど、決して、「嫌だ」とは言わない。

 

 あなたは、弱音を吐くことはあるけれど、決して、投げ出したりはしない。

 

 あなたは、アイドル・ヴァルキリーズの中で、誰よりも強い。

 

 だからどうか、これからも、アイドル・ヴァルキリーズのキャプテンであってほしい。

 

 もちろんあたしは、全力で、あなたをサポートする。

 

 あなたが戦えと言えば、あたしは喜んで戦おう。

 

 あなたの意見を、例え全員が否定しても、あたしだけは、あなたの意見に従おう。

 

 そして――。

 

 あなたが弱音を吐きたいのなら、あたしは黙って聞こう。

 

 あなたが泣きたいのなら、あたしは黙って抱きしめよう。

 

 あなたの心の支えになれることが、あたしの小さな誇りだ。

 

 あたしは、あたしにできることで、あなたを護る。

 

 だからあなたは、どうか――みんなを護ってほしい。

 

 どうか――。

 

 

 

 あたしは、震える由香里を、いつまでも、いつまでも、抱きしめ続けた――。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

Day 2 生存者

 

 

 

生存者

 

 神崎深雪

 藍沢エリ(咬まれる・軽傷)

 遠野若葉

 桜美咲

 白川睦美

 沢井祭

 前園カスミ(咬まれる・軽傷)

 降矢可南子(咬まれる・重傷)

 橘由香里(軽傷)

 夏川千恵

 滝沢絵美

 倉田優樹

 宮野奈津美

 秋庭薫

 浅倉綾

 神野環

 

死亡・ゾンビ化

 

 なし

 

不明

 

 本郷亜夕美

 水野七海

 宮本理香

 高杉夏樹

 栗原麻紀

 藤沢菜央

 吉岡紗代

 朝比奈真理

 本田由紀江

 森野舞

 大町ゆき

 根岸香奈

 桜井ちひろ

 雨宮朱実

 黒川麻央

 一ノ瀬燈

 篠崎遥

 林田亜紀

 沢田美樹

 上原恵利子

 佐々本美優

 西門葵

 鈴原玲子

 藤村椿

 山岸香美 

 緋山瑞姫

 小橋真穂

 早海愛子

 白石さゆり

 並木ちはる

 村山千穂

 高倉直子

 

 

 

 

 

 


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