魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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遅れてしまい、本当に申し訳ありません。スランプ気味になっていたと言いますか、仕事が忙しかったと言いますか……ともかく、五月に更新できず、申し訳ありません。
20話、更新です。戦いは次話になります。


20話 戦場二つ、踊るは誰か

 

 イタリア、トスカーナ州。ルネッサンスの中心となったフィレンツェを始めとし、斜塔で有名なピサ、そしてシエナと言った古都を数多く擁している、文化遺産や自然の景観に恵まれた州である。その中でもゴシック様式の建築様式が美しいシエナの郊外、なだらかな丘陵を初夏の緑が彩っている。

そんな穏やかな、見渡す限りを覆っている野の一角を流れる小川のほとりに、彼は座していた。

 まず目に入るのは金の髪。陽光を反射し、黄金色に輝いている。

 次いで目に入るのはアロハシャツにも似た、花の模様が所々に入った派手な赤色のシャツ。しかし純粋な赤と言う訳ではなく、ワインレッドと言った方が正しいだろう、やや暗い色合いの赤だ。派手ではあるが、センスが悪いと言う様な色合いとデザインではない。

 歳は二十代前半か半ばと言うところだろう。線は細いが、しかし弱々しさは微塵も感じさせない青年だ。彼は足元に布を幾重にも巻き付けた細長い奇妙な何かを置き、手には釣竿を一本持っていた。腕白坊主の様な、好奇心旺盛そうな輝きを秘めた青い瞳は、水面に垂らされた釣り糸を見ている。

 青年の名はサルバトーレ・ドニ。世界に8人しか居ない魔王の一人であり、『剣の王』とも呼称される、6番目の神殺しだ。8人目の王である草薙護堂との戦いで負った傷が完全に癒えた彼は、シエナの郊外の小川でのんびりと釣りを楽しんでいた。

 

「さて、護堂はあのじいさま相手にどこまでやれるかな。もしかしたら勝つかも知れないけど、流石に難しいかな?」

 

 釣り糸を川に垂らし、微笑みながらサルバトーレは誰に言うでもなくそう零す。

 彼が戦った草薙護堂は、ペルシャの軍神ウルスラグナを弑逆して化身の権能を簒奪し、神殺したなった男だ。ウルスラグナを倒し、ウルスラグナが呼び起こした神王メルカルトとも戦った護堂とドニが出会ったのはシチリア島の都市パレルモだ。

 当時アルゼンチンへと出向いていたドニは、サルデーニャ島にまつろわぬ神が二柱現れたと聞き、急遽とんぼ返りしたのだ。理由は勿論、現れたまつろわぬ神と戦う為である。

 しかし二柱の神が現れていた当時、サルデーニャ周辺では大嵐が吹き荒れ、海は荒れ狂い、海路も空路も全て欠便、運航不可の状態だった。流石にそんな状態の海に出る気は無かったので、仕方なく嵐が治まるのを待ち、治まった所でサルデーニャ入りしたのだが、着いた時にはまつろわぬ神は新たに現れた同族に倒されていた。

 せっかくアルゼンチンから戻って来たのに神と戦う事が出来なかったドニは、そのまま何処かに行くのも何なので新たに現れた同族の顔を見ようと思い、現地の魔術結社等から情報を集めて向かったシチリアで、現れた二柱の神の片割れである神王メルカルトを撃退した護堂に出会ったのだ。

 そして彼は、ゲームにでも誘うかのような軽過ぎるノリで護堂に決闘を申し込んだ。すげなく断られてしまったが。だが戦う事を諦められないドニは色々と手を廻し、護堂をイタリアに呼び寄せることで目的を果たした。

 結果は相打ち。当時の時点で既に4つの権能を簒奪していたドニに、神殺しとなったばかりで未熟な護堂。明らかな格上相手に護堂は奮戦し、見事相打ちに持ち込んで見せた。それにドニは喜び、護堂を自分のライバルとした。彼がウルスラグナの化身全てを完全に掌握したその時、再び決闘すると心に決めたのだ。

 

「いま日本に居るのは護堂とじいさま……あと、もう一人居たっけ」

 

 しかし現在、彼の関心は護堂だけでなく、新たにその存在が表舞台に上がって来たもう一人の同輩にも向けられていた。

 和泉咲月。護堂よりも前に神殺しと化した、本当の意味での7人目の同朋。賢人議会からのレポートを取り寄せた彼の友人にして付き人の大騎士、アンドレア・リベラから聞けば、自分がカンピオーネになったのと同じ年に、なった場所、倒した神こそ不明だがカンピオーネとなった少女らしい。権能の数は護堂より多く、ドニより少ない3つだとか。

 だが、権能の数はドニにとっては別に気にする程の事でもない。彼にとって重要なのは、自分達神殺しの領域に、新たに仲間が増えたと言う事だけだ。それは彼にとって、腕を競い合い、実力を高める為の相手がまた一人増えたと言う事に他ならないからだ。

 ドニは戦う事が好きだ。強者と戦い、討ち勝ち、己の実力を高める事が好きなのだ。しかし4年前、色々とあって聖ゲオルギウスの神霊に取り憑かれ身体を乗っ取られ、紆余曲折の末に渡ったアイルランドでアストラル界に迷い込み、身体を乗っ取っていたゲオルギウスを滅ぼされてから愚かにも腕試しとして神王ヌァダに戦いを挑んだ。彼を倒し神殺しと化してからは、彼はただの人間相手では、たとえ欧州最高の剣士、師でもある聖騎士ラファエロが相手であろうと満足できなくなってしまった。命の危機を、人間相手には微塵も感じなくなってしまったのだ。

 その時に、師から言われたのだ。剣の境地に至りたいなら、神や神殺しと言った、自分と同等以上の存在と戦え、と。そうして初めて、神殺しとなった自分の血となり肉となるだろう、と。

 それからだ。ドニが人間相手に興味を殆どと言って良い程示さなくなり、神や神殺しとの戦いを積極的に求め始めたのは。全ては偏に、己の実力を高める為。ありとあらゆる状況に対応し、全てを切り裂く剣の境地へと至る為に。護堂にヴォバン侯爵の事を教えたのも、彼の実力を高め、強くなった彼を打倒し自分の力を上げる為だ。

 

「護堂が実力を高めるのも重要だけど、その子の事も気になるな……」

 

 どうしようか。7人目のカンピオーネの事を頭に浮かべながらドニは考える。出来ればイタリアに来てほしい。自分の方から日本に向かうと言う選択肢もあるが、来てくれたらすぐにでも決闘を申し込めるからだ。イタリアの付近に来るのでも良い。出向いて行って、戦いを申し込める。探し出すのは、ちょっと魔術結社等を脅せばすぐに見つけてくれるだろう。

 だが、自分から日本に向かうのも良いかもしれない。新しい同胞と戦う事が出来、さらに運が良ければあの国のまつろわぬ神や英雄とも戦う事が出来るかもしれないからだ。

 アンドレアがまた口喧しく言うだろうが、そこはいつも通り何とかなるだろう。和泉咲月と言う彼女もまたカンピオーネ。自分や侯爵と同じく、戦いは好むものだろうと、ドニはそう思う。

 

「…………」

 

 考えながら、ドニは顔に笑みを浮かべる。何故かは分からないが、咲月とは非常に仲良くなれそうな、そんな気がするのだ。そしてこの感覚は、決して間違っていないだろうともドニは思っていた。

 水に糸を垂らしながら、剣の王は槍の姫との出会いを望み、どのような戦いになるかを想像した。

 

 ●

 

 曇り空。黒く、雷すら鳴りそうな重い、暗い雨雲が空を覆っている。重苦しい雰囲気を醸し出す、嵐を呼ぶ様な雲だ。

 天気予報では雨が降る確率は10%程度で、今日一日は雨が降る事はないだろうと言う程度のものだった。実際、朝には雲は多少あったが色は白く、快晴と言っていいくらいに晴れ渡っていた。急速に天気が崩れ始めたのは、昼を過ぎて少し経ってからだった。

 重苦しく、気分を沈ませるような黒い雷雲。そんな雲を、咲月は教室の自分の机について見上げていた。

 

「随分と曇ったねー。こりゃ結構強いのが降るかな?」

「サイアクー、今日傘持ってきてないのに。天気予報のウソ吐きー」

「せめて家に着くまでは降らないで欲しいなぁ……」

「ふっ、折り畳み傘を常に鞄に入れている俺に死角はないぜ」

「……殴ってでも奪う」

「ぬおっ! 何をする貴様ァー!?」

 

 窓の外を見上げている咲月の耳に、クラスメイト達の嘆きの声が聞こえる。一部嘆きとはとてもではないが言い難い言葉が聞こえたが、おおよそクラスの8割程が傘を持っていないようだ。

 

「男子連中はまた馬鹿な事してるねー。雨が降る降らない、傘が有る無いで何が楽しいのやら」

 

 クラスの喧騒を耳に入れながら、しかし顔を向けずにいた咲月に聞き覚えのある声でそんな言葉が聞こえた。顔を向けると案の定、美智佳が若干呆れた表情で騒いでいる男子達を見ていた。

 

「濡れるからでしょ。風邪を引く事になるかもしれないし。そう言う美智佳は大丈夫なの? 見た感じと空気の感じから、あと40分もすれば降りはじめると思うけど」

「ん? あたしは大丈夫だよ? 今日なんか嫌な予感がしてさ、念の為に傘を持ってきたら……ね」

「なんて言うか、相変わらずの的中率ね……」

 

 咲月の言葉に、笑みを浮かべながら美智佳が答える。彼女はどうやら、直感とかそう言った物でこの雨雲を感知したらしい。その事に、咲月は僅かに引き攣った様な苦笑を浮かべた。

 美智佳と咲月は小学4年からの付き合いである。その為、二人は互いの性格や嗜好、行動の傾向など、互いに関するほぼ全てを知り合っている(もっとも、咲月が神を殺した存在だと言う事は、当然ながら美智佳を始めとした友人達は知らないが)。

 知り合った当時から、美智佳は非常に勘が鋭かった。小さな落し物を「何かある気がする」と言って草叢の中から見つけ出し、悪戯として落とし穴が仕掛けられていた場所を通ろうとすれば「何か嫌な感じがする」と言って別の道を通り、体育の授業で行ったドッジボールやサッカー、バスケットボールでは背後からの攻撃を見ずに避けたり、パスをしたい最良の場所に既に居たり(本人曰く、「ここに居た方が良い気がした」との事)と、一種異様なほどに。今回の様に天気の事で勘が働く事も幾度かあり、その勘は一度たりとも外れた事がないのだ。さらに羨ましい事なのかどうなのか、きちんと勉強し、常に復習を行う咲月には今一つよく分からないのだが、テストの選択問題を一問すら間違えた事がない(別に美智佳が勉強しないという訳ではない)。

 高等部になってからもその勘は健在で、咲月は中等部最後の年に、そのあまりの的中率に「実は巫女ではないのか?」と友人に対して疑いを持ち、独自に色々として美智佳の家系を調べたのだが、結果は白。巫女や呪術師、魔術師と言った「こちら側」の要素は欠片も見つからず、一般人の家系でしかなかった。美智佳の家族にも天才や優秀な人物が居るが、やはり一般人で、しかも美智佳程の直感を持ち合わせている者は誰も居なかった。それらの事から咲月は、美智佳は巫女等ではないが、一般人から極稀に生まれるタイプの、直感が恐ろしく鋭い人間なのだろうと結論付けた。――それでも、やはりいささか鋭過ぎるとは思っているのだが。

 

「あたしは傘持って来てるけど、咲月はどうなのさ? 傘、あるの?」

「有るわよ。折り畳み傘はいつも鞄に入れてるわ。言い過ぎかもしれないけど、人生何が有るか分からないし、備えあれば憂いなしとも言うしね」

 

 そう言って、咲月は鞄の中から水色の折り畳み傘を取り出した。何の前触れなく突発的に出現する事のある神や神獣等と戦う神殺しにとってその言葉は、ある意味無意味でしかない言葉なのだが、咲月はせめて戦いのない日常では唯の人間の様に生きたいと思っているのだろう。常に武装していると言って良い身の時点で、既に唯の人間ではないとは思うが。

 同じ様に備えていたと聞いて何やら喜んでいるクラスメイト(主として男子)が何人かいたが、咲月は気にせずに取り出した折り畳み傘を鞄にしまう。しかし咲月のその言葉を聞いて、美智佳は僅かに顔を曇らせる。

 

「人生何が有るか分からない、か……何か、咲月がそれ言うと洒落になってないよ。種類とか規模が全然違うって分かってはいるんだけど……」

 

 美智佳の言葉に、咲月は小さく苦笑を漏らす。彼女が4年前の、両親を喪い、自分だけが生き残る結果となったアイルランドでの自動車事故の事を言っていると分かったからだ。色褪せる事のない記憶の中に、まるで自分の事の様に涙していた彼女の姿が有る。

 

「まあ、確かに私も旅行先で事故に遭う事になるなんて思ってもみなかったわ。事故とかで家族を亡くす話はニュースやドラマ、小説とかで割とよく知っていたけど、まさか自分が経験する羽目になるなんてね」

 

 当時の事を思い出して重い雰囲気を出している美智佳に、咲月は軽い感じの口調でそう言う。それは理不尽な出来事で家族を喪った当事者の言葉とは、到底思えないほどにあっさりとしたものだった。言葉の中に、微塵も負の感情が見られない。

 

「……咲月、前も聞いたけどさ、何でそんなに軽く言えるの? 普通そんなにあっさりと言う事なんて出来ないよ?」

 

 美智佳が問う。その言葉に返す咲月の言葉も、やはりあっさりとしたものだった。

 

「私にとって、もうあの事は過去の事、思い出でしかないのよ。最悪と言ってもいい思い出だけどね」

「悲しいとか、憎いとか、思った事はないの?」

「悲しみは有るわよ? でも怒りや憎しみは無いわ。事故を起こした人は父さん達と一緒に死んでるもの。死者に対してその感情を向けるなんて事はしないわ。悼みはするけど、怒りとかを向けるのは無意味だって思ってるもの」

「無意味?」

 

 咲月の言葉に美智佳が問い返す。その声音には、何故そんな事が言えるのかと言う疑問がありありと見て取れた。それに咲月は内心で苦笑しながら、美智佳に言う。

 

「だってそうでしょ? 怒りや憎しみを死んだ人間に向けた所で、得る物なんて何もない。他の遺族を否定するつもりはないけど、無駄に感情を使って、疲れるだけ。忘れない為だって言う人も居ると思うけど、事故の事を忘れない様にするなら、新聞の記事を切り抜いたり、日記を書いたりして記録を残しておけば良い。死んだ人の遺品を持って故人を偲ぶ事もできる。実際、私は父さんの時計を使って忘れない様にしているけど、それだけ。強い感情を向けるほどの事ではないわ」

 

 咲月の言葉は、記憶に留めてはおくが強い感情を向ける事はしないと言う、ある種無関心とも言えるものだった。普通の人間なら言う事はせず、まして被害者遺族当人の口から出る様な言葉ではないだろう。それは喪った家族にすら、強い感情を向けないと言う事だからだ。

 しかし、咲月か変わらずのあっさりした口調で言い切った。その事に美智佳を除いた、話を聞いていたクラスメイトのほぼ全員が絶句する。

 

「これが無差別殺人とか、そう言うのに巻き込まれたとかだったら私も怒りとか憎しみを向けたんでしょうけど。事故だし、事故を起こしたバスの運転手は一緒に死んでるし。事故を起こしたのはあくまで運転手であって、その家族は無関係だもの。怨むなんて筋違い、無駄な事だわ。恨みや怒りは他の遺族が向けているだろうしね。事故が有った事を忘れず、唯覚えている。それだけで良いじゃない」

「そんな考え、普通なら出来ないよ?」

 

 咲月に対する美智佳の言葉に、咲月は「でしょうね」と肩をすくめる。

 怒りや憎しみ、恨みと言う感情は対象となる存在だけでなく、その家族や友人、果ては顔見知りと言った関係者にも向けられる事が多い強い感情だ。負の感情は皆その傾向が強いが、怒りと憎しみはその中でも突き抜けていると言えるだろう。そしてその感情は、理不尽な悲劇に見舞われた被害者と、その近しい者が抱く事が多い。咲月も、理不尽な事故によって家族を喪った被害者だ。

 しかし咲月は、そんな事はしないと言った。そう言った感情を向けるべきは加害者当人に対してであって、その他の人間にはたとえ罪悪感を抱いているだろう家族であろうと向けるのはお門違い、筋違いだと言った。そして自分に対する加害者は既にこの世には居ない為、その感情を抱くことこそ無駄であると言うのだ。

 咲月自身、自分のこの考えが被害者側としては有り得ない物だろうと言う事は理解している。被害者故に、被害者側が加害者だけでなく、その家族等に恨みを向けるのも仕方ないのだろうとも理解している。だが、咲月はそれでもその感情を向ける事はしない。何故なら、一切無駄だと思っているから。

 

「騒ぐのは良いが、もう時間だぞ。お前ら席に着けー」

 

 咲月がそれを言った所で、教室の扉を開けて教師が入って来た。教師の言葉を聞いて、全員がそれぞれの席に着く。

 筋違いと言う言葉で、図らずも話を聞いていたクラスメイト達の大半が咲月の事を、加害者の側に許しを与えている、器が大きい、優しい少女だと思った。それは咲月と長年付き合って来た美智佳を始めとした友人達も同じであった。

 だが、実際は違う。

 咲月は悪感情を加害者の関係者達に向けては居ない。それは確かだ。だが、それはイコールで許していると言う訳ではない。そもそも、許しているとは一言も言っておらず、感情を向ける事が無駄だと言っているのだ。それは悪感情のみならず、好意的な感情すらも向ける事がないと言う事。関心の欠片すら、微塵にも抱いていないと言う事。

 彼女がこのような感情を抱いているのは、単純に事故の原因となった存在を知り、既に殺して自分の力、糧としているからだ。

 クー・フーリン。ケルト神話で最も有名だと言っていい、太陽神の息子たる鋼の英雄。旅行中、突然顕現した彼が原因であの車両事故は起こり、咲月を除いた全員が命を落とした。咲月も、彼を殺し神殺しとならなければ今この場にはいなかっただろう。実際、咲月は死ぬ半歩手前まで行っていた。

 あの時あの場所、あのタイミングで何故彼が顕現したのかは分からないし、咲月は分かろうとも思っていなかった。まつろわぬ神は天災、災厄の様に、突然現れては気まぐれに消えていくと分かっているからだ。天災は防ぐ事が出来ないものであり、あの事故も間が悪かっただけなのだとしか思っていない。天災を責めることなど誰にも、何者にも出来はしない。それを加害者の関係者は勝手に勘違いして、勝手に謝罪に動いただけだ。

 咲月のこの言葉、この思考はある意味、最も加害者の関係者に傷を与える物だろう。何せ、どれほど謝罪の念を示そうと、どれだけ行動しても向けられる感情などは善悪関係なく一切ない。無関心。

 罪の意識に塗れるのなら、勝手に抱いて溺れていろ。私は知らないし、興味も無い。故に、私にそれを押し付けるな。お前達の感情、行動、全て偏に私にとっては気にするに値しない、どうでも良い事なのだと、咲月はそう言っているのだ。

 彼等彼女等がどう思おうが知った事ではない。誰にも言わず、しかし確かにそう思いながら、咲月は教師の言葉を適当に聞き流しつつ、天を覆う雷雲を見ていた。

 

 ●

 

 都内にある、ホテルの一室。スイートルームと言われるその部屋の中で、ヴォバン侯爵は一人、真昼から手酌で酒を飲んでいた。

 共に日本に来ている騎士、リリアナは居ない。侯爵の命令で4年前に招集した巫女の一人である、万里谷祐里の所在を探しているからだ。魔女術や使い魔を用いて、彼女は昼夜問わず、巫女の捜索に当たっている。

 が、侯爵は実際には、リリアナが既に巫女の所在を突き止めている事を知っていた。齢300を超える老魔王は、たかだか十数年しか生きていない小娘の時間稼ぎ等、とうの昔に見破っていたのだ。

 本来なら、侯爵に対し虚偽の報告をした彼女は何時手討ちにされても可笑しくない。だが侯爵はそれをせず、寧ろ面白い者を見る様に彼女の行動を黙認していた。理由は簡単だ。完全に従順な下僕等は己が従僕共で十分間に合っており、彼は己に対して僅かなれども敵意や叛意を抱く者にそれなりの好意を抱く。餌を与えられて喜ぶ様な駄犬ではなく、狼の様な誇り高さを持つ者をこそ彼は愛でるのだ。愛でると言っても、男女の関係等のそれではなく、玩具を大事にするかどうかと言う物だが。

 表面上は従っているものの、諫言等をして来るリリアナはそれなりに強い反骨精神を持っており、愛でるに値する騎士だった。だから見逃しているのだ。

 何も言わず、侯爵が酒を飲み進めていると彼の背後に、黒い人影が音も無く現れた。漆黒のドレスを纏った蒼白い顔をした女性――死せる従僕が一体、かつて魔女なりしマリア・テレサだ。彼女は一歩侯爵に近付くと彼の耳元に口を寄せ、何かを言って消えた。その何かを聞いた侯爵が、酒を杯に注いでいた手を止めて、口を笑みの形に歪める。その笑みは、獲物を目前にした獰猛な狼の様だった。

 

「そうか、見つけたか……」

 

 マリア・テレサからの報告。それは侯爵が探す様に命じた対象が見つかったと言う物。侯爵が探す様に命じた対象は、当初からの目的である媛巫女と、その巫女を見つけそうになった瞬間邪魔をした若輩の魔王のどちらかだ。

 対象の発見の報を聞き、侯爵は杯ごと酒を投げ捨て立ち上がる。酒が畳に染みを作るが、彼はそんな事を気にする魔王ではない。

 

「さて。巫女か、未熟者か。どちらかは分からんが……狩りの始まりだ」

 

 座して待つ時はもう終わった。これよりは狩りの時間。我が娯楽の時間なり。

 待っているが良い我が獲物たる巫女よ、神々よ。すぐに我が狩り場に呼び寄せてやろう。若輩共よ、我に抗え。せめて我を楽しませよ。それが貴様等の役割なり。

 興奮し、嵐を呼びよせながらヴォバンはホテルを出て、獲物が居る場所へと足を向けた。

 

 ●

 

 それは凄まじい速さで東へと向かっていた。野を駆け、山を駆け、川を、谷を、湖を駆け、一直線に東へと向かっていた。己が進路上に有る物を全て薙ぎ払い、駆け抜けた場所を身に纏うその呪詛で腐らせ、生命力を奪いながら、一直線に。

 それが目指すのは唯一点。東に感じた、ある力。それを目指してそれは進む。

 強い力。同じ属性の力。近しい力。忌まわしい力。それを喰らい、己は本分を取り戻す。劣化したこの身を、かつての高みまで引き上げる。理性ではなく本能で、それは目的を達する為に東へ向かう。

 距離は遠いが、関係ない。この身は千里を駆ける身なり。すぐに目的地に着こう。

 走る。走る。腐らせ、生命力を奪いながら、ただ走る。それは人の目には映らぬ速度。何かが通ったかと思った瞬間、その意識は奪われる。

 ただ一心に、目的地に向かって走る。走る。走って――

 

『……ミ、ツ……ケ……タ……!』

 

 獲物をその視界に収めた。

 


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