魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

20 / 25
19話 王達は嗤い、蛇は蠢く

 

 青葉台の一角に、とある公立図書館がある。公立図書館と言っても、一般人が入館・利用する事は不可能であり、そもそもとしてどのような施設なのか、近隣の住民たちには認知されていない。

 しかし、それはある意味で当然である。その図書館は市や町が管理しているのではなく、正史編纂委員会が管理し、運営している施設の一つなのだ。

 この図書館に、一般人が手に取り読む様な普通の書物はただの一冊たりとも置かれていない。魔術や呪術、まつろわぬ神、神殺し等の非日常に関係する組織が運営している施設である為、書架に収める物は全て、必然的にそちら側の書物になる。即ち呪術書や魔導書、もしくはそれに類する研究書や専門書などだ。その数、実に数万冊。

 書架に収められた本は、その強弱こそあれ全てが魔力を宿しており、中には書自体が意思を持つ物も有り、弱い者なら手に取るだけでその精神を狂わせ、姿を変えてしまう危険かつ凶悪な物も存在する。この図書館の書架には、そんな魔導書達が収められているのだ。

 正史編纂委員会が発足し、活動を始めたのが、第二次世界大戦が終戦した直後。その時から実に約七十年もの間、委員会は海外から伝わって来る魔術の知識を制限する為に、持ち込まれた魔導書を人知れず、時には強硬手段を用いて回収して来た。

 静謐だが、禍々しく妖しい気配に満ちた空間。そんな図書館の中に、現在、万里谷祐理と甘粕冬馬は居た。目に見える範囲の全ての書架に、ぎっしりと収められた魔導書が珍しいのか、祐理はキョロキョロと書架を見渡している。

 

「そんなに珍しいですかね、此処は?」

 

 書架に収められた膨大な量の本を見渡す彼女に、隣に立っていた甘粕が問う。こういった場所に来慣れているのか、彼は祐理の様に本棚を見渡したりはしていない。普段と同じ様に、自然体で立っている。

 

「いえ、珍しいと言うか……青葉台にある、委員会直轄の『書庫』。多くの魔導書や呪術書を収め、秘匿し、保管している場所だと話に聞いてはいましたが、来るのは初めてですから」

 

 甘粕の言葉に、書架を見渡すのを止めて彼の方を向き、祐理は言った。

 媛巫女である彼女は正史編纂委員会に所属している身だ。一般人は出入り不可なこの図書館にも、委員会に関係する人間なら入る事は出来る。

 しかし祐理は、此処に来るのは初めてである。場所等は知ってはいたが、今までは特に何か用があると言う訳でもなかったからだ。今回この図書館に来たのは、甘粕からある依頼(と言う名の指令)を受けたからであり、おそらくそう言った物が無ければ彼女が図書館に来る事は無かっただろう。

 

「そうですか。まあ、用が無ければ来る必要なんてない場所ですからねー、此処は」

 

 祐理の言葉に、甘粕は軽薄そうにヘラヘラと笑いながらそう返す。そんな甘粕に祐理は僅かにだが眉を潜めた。生真面目と言う言葉がぴったりと当て嵌まる性格をしている彼女にとって、勤務態度として相応しくない甘粕の言動はあまり好ましいものではないのだろう。

 

「それで、私に視て欲しい物と言うのは……?」

「少し待っていてもらえますか? 例のブツは奥の方に保管してあるので」

 

 すぐに持ってきますね。そう言って甘粕は祐理を置いて一人、保管室に向かって書架の奥の方に進んで行った。

 その背中を見送った後、祐理は再び書架を見渡す。視界に入るのは当然ながら、その9割以上が書物だ。偶に書架の隙間や角にこの図書館の司書だろう人影(当然だが一般人ではなく、全員が委員会に関係ある術者達だ)が見えるが、彼等は殆ど言葉を発さず、書架に収められている書物の点検等をしている。祐理と目が合う事も有るが、その時も目礼をするだけだ。

 目礼に軽くお辞儀を返しながら、祐理は数多の書物が収められた書架を見渡す。収められている書物のタイトルのおおよそ7割程はドイツ語やラテン語等の横文字で、日本語や漢文等の縦文字で書かれている物は3割にも満たないだろう。収められている書物の殆どは古めかしい紙や皮張りの本だが、中には魔導書と言うには不釣り合いな、真新しい装丁の本も有る。

 しかし類稀な霊視術者である彼女は、それらの本の新古を問わず、秘められた術や呪力の気配を読み取っていた。

 この図書館には洋の東西、国の内外問わず、希少な、或いは危険な魔導書が数多く保存されている。魔導書と言う物は――と言うよりも、これは呪術に関係する諸々の道具全てに言える事なのだが――年月を経るごとにその内に秘めた術の知識や効果、呪力の影響を受け、自ら呪力を溜めこむ性質を持つ。それらの呪物は作られてから経過した年月の数だけ呪力をその内に蓄え、力を増して行く。さらにその性質から、手書きであり、古ければ古い程強力かつ危険な物となる傾向が強い。

 しかし例外も有り、中には印刷機等で作られた大量生産品の魔術書とも言えない魔術書が、突然変異の様に魔力を宿す事もある。此処に収められている新書も、おそらくその類の物なのだろう。

 それらの本を見渡しながら祐理は甘粕を待ち、約5分後、彼はその手に一冊の薄めの本を持って戻って来た。

 

「いやー、お待たせしました。祐理さんに今回視ていただきたいのはこの本なんですよ」

 

 言って、甘粕は机の上に手に持っていた本を置く。書かれているタイトルは横文字で『Homo homini Lupus』。洋書である。

 

「19世紀前半に出版されたとされる魔導書で、エフェソスで信仰されていたとされる『獣の女王』の秘儀について記された研究書と聞いています。研究対象の場所柄と『獣の女王』と言う単語から考えて女神アルテミスに関する研究書だと思いますが、『神の子を孕んだ黒き聖母』と言うのも有るのでキリスト教の聖母マリアの可能性も有るんですよね。『黒い聖母』がマリアかどうかは分かりませんが、彼女はエフェソスで余生を過ごしたと言う伝承も有りますし、そもそも彼女自身が地母神と同様に見られる事も有ります。カトリックでは否定されていますがね」

 

 机に本を置きながら、尋ねても居ないのに甘粕は自身の蘊蓄を祐理に披露する。

 彼が言う様にエフェソスではかつてアルテミス信仰が盛んであり、彼の女神の荘厳な神殿が存在していた。天空と雷の神であり、最高神であるゼウスと大地の女神レトとの間に生まれたこの女神は、今日ではギリシアの最高神格である『オリュンポス十二神』の一角に数えられ、月と狩猟、純潔を司る女神とされる。

 しかし実際にはヘレネス――ギリシア固有の女神ではなく、彼等以前に存在した先住民族の信仰していた地母神を彼等が征服し取り込み、ギリシア人好みの神格に作り変えた物だと考えられている。月を司ると言う神格も本来彼女が持っていた物ではなく、太陽神ヘリオスと混同され太陽神の属性を得た弟神アポロンと同様、月を司る女神セレネーと混同されて得た物だとされる。

 また、月は女性や魔女と関係深い事から、アルテミスは魔女神ヘカテーとも同一視される。へカテーの由来はアポロンの別名であるヘカトスの女性形であるとも、エジプトの女神であるヘケトとも言われている。ヘカトスの意味は「遠くへ射る者」であり、アポロンに付けられたこれは陽光の比喩表現だ。ヘカテーは「闇月の女神」とも呼ばれているので、この女神の場合は月光の比喩表現だろう。

 この事からヘカテーはセレネーと同一視され、さらにセレネーとの同一視からアルテミスとも同一に見られる。アルテミスとアポロンを共通して表す「遠矢射る」と言う言葉も、ヘカテーとアルテミスの同一視に一役買っているのだろう。

 

「これは読み解いた人間を『人ならざる毛深き下僕』に変えたとも言います。もしこの本が、私が考えた通りアルテミスに関する研究書なら、毛深き下僕に該当するのは熊か狼辺りが有力ですな」

 

 アルテミスは元来山野や森の女神であり、当然獣との関係性も深い。彼女を象徴する聖獣は牝熊や鹿、猟犬だ。実際、彼女は彼女に仕えていたニンフであるカリストーを牝熊に、彼女の裸身を目撃したアクタイオーンを鹿に変えている。「毛深き下僕」が熊ならば、アルテミスに関する研究書と言うのも可笑しくはないだろう。狼も森の女神である彼女の僕であり、アポロンの聖獣であり、そして母神であるレトだ。関係がないと言う訳ではなく、寧ろ関係深いと言える。

 しかし、祐理はそれとは別に気になる事があった。

 

「あの、人間を変えたと言われましたが、そう聞くと研究書や魔導書と言うよりも、呪いの本なのではないのですか?」

「ええ、正解です。流石は当代最高の霊視術師ですね、鋭い。実はこれには、狼男を量産する呪詛が込められていまして。魔術の伝道書ではあるんですが、まあ、ぶっちゃけてしまえば呪いの本ですね。本物でしたらかなりのレア物です」

「そんな危険な事を嬉しそうに言わないで下さい!」

 

 甘粕の言葉に対し、祐理は文句を言う。「読み解いた者を」と言う彼の言葉が確かなら手に取り、開かなければ大丈夫なのだろうが、好き好んで見たい物でもないだろう。前情報も無く手に取り開いていれば、下手をすれば自分が獣に変わってしまったかもしれないのだ。

 

「まあ、ページを開かなければ大丈夫ですよ。ささ、ちゃちゃっと視てしまって下さい」

「あなたは……」

 

 軽い口調でそう言う甘粕に、祐理は呆れると共に軽い諦観を抱いた。溜息を一つ吐き、机に置かれた薄い洋書に向き直り、心を澄ませ、目を凝らす。それを甘粕は、先程とは違いやや引き締まった顔で見ていた。

 祐理の、と言うよりは、これは霊視術師全員に言える事だが、霊視と言う物は本来、自らの意思で望んで得られるものではない。心を空にし、直感を始めとした感覚を研ぎ澄ませ、神霊の気まぐれと導きによって初めて得られるものだ。しかしその導きによって得られた天啓も全てが正しいと言う訳でなく、知りたい情報を得られる時も有ればまったく関係のない、役に立たない情報しか得られない時もある。的中率が6割を超え、当代最高の霊視術師とされる彼女も、それは例外ではない。

 甘粕が彼女をここに連れて来て、危険な魔導書を霊視させたのには、この魔導書が本物かどうかを調べる為と言うのも有るが、別の理由がある。彼女はアテナ来襲の際、彼の女神と死闘を繰り広げた和泉咲月によって何らかの権能を掛けられ、得た情報を奪い取られている。

 情報を奪い取ると言う能力から、咲月が祐理に掛けたのはおそらくは精神や思考と言った、内面的なものに干渉・作用する権能だろうと甘粕や馨は予想を立てている。

 しかし馨は、4年の間存在を知られることなく潜み続けて来た咲月が祐理に行ったのは、情報の略奪だけではないと判断している。

 権能は様々な能力があるが、元が神々の力である為に、どれもこれもが規格外と言って良い能力だ。内面への干渉が可能な権能なら、霊視や遠見の術を始めとした能力に干渉し、弄る事も可能だろう。甘粕もそれを聞き、自身も以前、身をもって情報の略奪を経験している為、彼女の懸念は理解できた。

 もしかしたら、祐理の霊視能力も咲月の権能によって何らかの干渉を受けたのではないか。

 

「……これは呪いの書ではありません。読み解く者に十分な見識と力は有るなら、呪詛に毒されず、知識のみを汲み取る事が出来る筈です。ですが……」

「それが無かった場合、私が言った様に呪詛に侵され、獣になってしまう……と」

「はい。おそらくこの呪詛は選定……資格ある者のみが読み解ける試練なのだと思います」

 

 祐理の言葉に、甘粕は唸ると同時に内心で安堵する。完全に安心はできないが、どうやら彼女は情報を奪われただけで、霊視能力に権能の影響は無い様だ。

 自分達の判断は杞憂だったかもしれない。そう判断し、甘粕は礼を言おうと祐理に声を掛けようとした所で、魔導書から視線を外さない祐理に僅かな疑問を抱いた。

 本物か否かの判断の為の霊視は既に終えている筈である。それにも関わらず、彼女は視線を僅かにも魔導書から外そうとしない。何故、とも思ったが、彼女の体から呪力が溢れている事に気付いた。どうやら、より深い知識や天啓を得られる状態になったらしい。

 彼女はどんな知識を得られるのか。興味深そうに甘粕は見守っていたが、その数秒後、異変は起こった。

 

「……太陽、狼……大地の……っ、あ、あああああっ!?」

「っ、祐理さん!?」

 

 ブツブツと何かを呟いていた祐理だが、突如悲鳴を上げ、頭を抑え悶え始めた。突然の彼女の変調にただならぬものを感じた甘粕は声を掛け、どうしたのか問おうとする。

 しかし声を掛ける直前、バヂン!! と言う大きな音を立てながら祐理と魔導書の間に稲妻が発生した。その稲妻は祐理の頭に直撃し、彼女はビクン、と一度痙攣した後、床に倒れ込んだ。

 

「祐理さん! 祐理さん!? しっかりして下さい、祐理さんっ!!」

 

 倒れ伏した祐理に駆け寄り、甘粕は状態を確かめる。口に手を当ててみると、呼吸はあった。額に電撃痕があるが死んだと言う訳ではなく、しかし呼んでも軽く頬を叩いても反応がない事から、気絶しているらしい。意識が戻る様子はなく、ぐったりとしている。

 権能の影響がない等と、楽観が過ぎた。やはり七人目の魔王は祐理の霊視に対し、何らかの干渉を行っていたのだ。即座にそう判断した甘粕は祐理を抱き上げ図書館を出て、車に乗せて七雄神社への道を走って行った。

 魔導書の上に浮かび、人形の様に虚ろかつ冷たい眼差しで図書館を出て行く二人を見ていた半透明の存在に気付かないまま……。

 

 ●

 

 それを咲月が感じたのは、家に戻り、出された課題を進めていた時だった。感じた呪力の反応に、ピクリと一度身を震わせ、ノートに文字を書き込んでいた手を止め、顔を上げる。その視線は窓の外の、ある方向へと向いた。

 

「……ふうん、やっぱり何かを通して霊視しようとしたのね。予想していたよりも遅かったけれど……」

 

 言いながら咲月は窓の外、先程の呪力を感じた方向を冷めた目で見ていた。

 咲月が感じたのは万里谷祐理が行った霊視と、直後に発生した稲妻の呪力……否、正確に言えば、祐理の霊視によって発生した稲妻の呪力のみを感じていた。

 青葉台の正史編纂委員会の図書館と言う、離れた場所で発生した呪力を咲月が感知出来たのには理由がある。咲月はアテナとの戦いが終了した時、祐理に対して神託の権能を使い、彼女が霊視によって得たマーナガルムの情報を奪い取った。その時咲月は情報を奪い取ると同時に、ある細工を権能によって祐理に施していた。普通の霊視では発動しないが、ある一定の条件を満たした場合にのみ作動する細工。

 先程咲月が感じた呪力の波動は、その細工が作動した事を表す物だった。

 

「何を通して霊視しようとしたのかは分からないけど、諦めが悪いわね。まあ、一応分からないでもないけれど……」

 

 気分の良い物じゃないわね。そう言って咲月は視線を窓の外から外し、時計を見る。課題を始めてから既に2時間近くが経過していた。夕飯にするには丁度良いか、やや遅い位だろう。

 早く準備しなければ。そう思い、咲月は開いていたノートを閉じて台所に向かい、冷蔵庫の中を確認する。ジャガイモと肉、玉ねぎに人参と、肉じゃがを作れる材料が揃っていた。

 丁度いいと思い、咲月は材料を全て取り出し、いつの間にか足元に来ていたマーナをチラリとみて小さく笑みを浮かべ、包丁を器用に使って食事を作りはじめた。

 

 ●

 

 東京都内にある、とあるホテル。かつては貴族の別邸だったとも言われる屋敷を改装したそのホテルの敷地内には美しく広大な庭園が広がり、所々に存在している小川や池、橋等が雅な雰囲気を醸し出している。東欧や西欧には見られない独特の雰囲気を持つその庭園は、イタリアで生まれ育ったリリアナにとっては興味深く、時間と状況が許すならゆっくりと見て回りたいと思える物だった。

 が、彼女はそう感じても、彼女の連れである魔王はそんな物は気にも留めず、ホテルに着くなりすぐに部屋に引っ込んでしまった。

 彼女達が取った部屋は敷地内に造られた別棟にあるスイートである。外見は古風な日本家屋でありながら部屋の内装は現代風で、所々に畳や障子を組み込み和と洋の雰囲気を壊さない様に合わせている。日本人だけでなく、欧州人にも馴染みやすい様に作られているのだろう。

 しかしそう言った雰囲気も彼は「知らん」と言った風で、出された食事を食べ、酒を飲んでいた。戦闘欲以外では、食欲にしか興味がない彼らしいと言えばらしいのだが。

 

「クラニチャール、例の巫女の消息と所在は掴めたかね?」

 

 天ぷらや刺身等、日本の料理を食べ、酒を飲みながらリリアナの連れ――ヴォバン侯爵は彼女に問う。彼が食べるスピードは速く、行儀や作法と言う物は有った物ではない。ただ有る物を喰らい尽くし、飲み干すだけの作業に見える。

 

「申し訳ありません、使い魔を動員し探しては居りますが、未だ所在は掴めておりません」

 

 そんなヴォバンに対し、騎士の礼を取りながらリリアナは問いに対する答えと謝罪を返す。しかし、実際には既にヴォバン侯爵が求めているだろう巫女が居るだろう場所は、ある程度だが絞り込んでいた。彼女が所属する組織、『青銅黒十字』の情報網を使い、来日前に調べていたのだ。

 だがリリアナはそれをヴォバンに報告しては居なかった。かつて一度見た祐理の勇気を思い出した事も有るが、それ以外にも他の魔王の動向が気になったからだ。

 草薙護堂と、和泉咲月。草薙護堂は万里谷祐理とそれなりに関わりがあり、仲も良い様だ。遠目に見た人柄と賢人議会の報告書、さらに呪術界の噂によればかなりの女好きらしいので、仲の良い万里谷祐理に手を出せばほぼ間違いなく攻めてくるだろう。

 逆に和泉咲月は、関わりは殆ど無いと言って良いが、情報がない分何をしでかすか分からない不気味さがある。人柄を知ろうと遠見の術を使って見てみたが、気付かれて術を弾かれてしまった。術越しに叩きつけられた殺気は今でも忘れられない。容赦なく心臓を打ち抜く様な、鋭く冷たい殺気だった。

 

「ふむ……そうか。まあ良い、狩りは獲物を追い詰める事も醍醐味ではある。儀式の時が整うまで、まだ多少だが時間は有る。それまでにゆっくりと探していけばよかろう。しかし、惜しい所であったな」

「惜しい、とは? 何か気になる点でも御座いましたか?」

 

 耳に届いたヴォバンの言葉に、リリアナは騎士の礼を取ったまま問う。

 

「うむ、籠の中に小鳥が自分から飛び込んで来ていたのだが、あと僅かで捕えられると言う所で邪魔が入ったのだ。おそらく強力な霊視術師だとは思うが……惜しい物だ」

 

 その言葉にリリアナは愕然とした。カンピオーネの直感は凄まじく、人間離れした物があると聞いてはいたが、霊視による幻視を見破る等と、聞いた事も無い。いや、それも有るが、ヴォバン侯爵の直感を邪魔したと言うのは本当なのか。

 

「私の感覚を妨げるのだ、おそらくだが、若造どものどちらかであろうな。……マリア・テレサよ、来るが良い」

 

 酒の注がれた杯を片手に、ヴォバンは虚空に向けて声を投げる。すると彼の背後に、全身を黒い衣装で包み込んだ女性が現れた。しかしその顔に生気はなく、その瞳はガラス玉の様に無機質で、濁っていた。顔に浮かんでいるのは見違えようも無い――死相だ。

 『死せる従僕の檻』。ヴォバン侯爵の第2の権能であり、彼が殺めた人間をゾンビ化し、支配下に置く凶悪無比な権能の一つである。彼はこの権能により、歴代の多くの大騎士や魔女を殺し、支配下に置いていると言う。人権も糞も何も無い、非道極まる権能だ。

 

「かつて魔女なりし者よ、貴様の力で私に霊視を行った者か、邪魔をした者を見つけ出せ。探索は得意な方であろう……出来るな」

 

 マリア・テレサと呼ばれた魔女に投げられたのは、問いかけではなく命令だった。横暴極まるヴォバンの命令に、死者たる魔女は何も言わず、ぎこちなく頷いただけで姿を消した。探索の術を使う為に、別の場所に移動したのだろう。

 それを当たり前の様に、ヴォバンは酒を飲み続ける。そんな彼を見ながら、リリアナは思う。魔王同士の戦いは、思った以上に早く起こるかも知れない、と。

 

 ●

 

 東京から見て、遠く、遥か西の方角にそれは有った。

 道を塞ぐかのように存在する大きな岩と、古ぼけた一本の木。そして注連縄を掛けられた鳥居と小さな池と言う、寺とも神社とも言えない様な場所。

 月明かりを受け、夜の闇にぼんやりと浮かんでいるそれらからは神秘的な印象と同時に、酷くおぞましく、不気味で、禍々しい何かを感じ取れた。

 ザワザワと、風が木の枝葉を揺らして音を立てる。それはこの場所の不気味さをさらに引き立て、聞く者の恐怖を掻きたてる。

 その恐怖、その禍々しさ。見る者が見ればその正体にはすぐに気が付くだろう。膨大な呪力がそこに集まっていた。

 一月前の、アテナの東京来襲の時から、この場所は自然の呪力を集め始めていた。どうしてかは分からない。だがアテナ来襲に呼応するようにして、呪力が集まり始めたのは確かだ。たった一月で、異常なまでの呪力が集まっている。

 正史編纂委員会は当然、それを察知していた。だが彼等は報告こそしたものの、それ以外は手を出していないと言って良い状態だった。いや、正確に言うなら、「手を出せない」と言った方が正しいか。呪力の集束を抑えようにも堪った呪力で内側から破られてしまうのだ。何度かそれを繰り返し、手に負えないと判断したのか、呪力を隠蔽する結界を敷いて見守る事にしたのだ。

 そして今、溜まりに溜まった呪力は何かを成そうと蠢いていた。

 風が強まる。それと同時に音は大きくなり、溜まった呪力も滾りはじめた。属性に染まり、土地の神話に影響を受け、自然の呪力が形状を形成して行く。それは岩の前に発生し、岩から這い出るように蠢いた。

 ズルリと、何かを引き摺る様な音がした。ビチャリと、何かが滴る音がした。同時に肉が腐敗した様な悪臭が漂い、周囲に呪詛を撒き散らす。

 

『……ァ…………ギ……』

 

 岩より這い出るように現れたそれは、長い黒髪から覗く、煌々と不気味に輝く金の瞳を月に向け、一瞥してから東を向いた。何かを探しているのか、微動すらしない。

 しかし数秒後、目的の物を探し当てたのか、それは不気味に笑みを浮かべて、現れた時とは想像も出来ない速度で東に向かい、進んで行った。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。