十番目になれなかった男、ゼロへ   作:deke

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ep7 ロールモデル・ジャッジメント

 貴族の子弟といえど学生であるかぎりその本分は学業にある。朝食を終えてから一旦自室へ戻り羊皮紙やペンをまとめると、ルイズはすぐに自室をあとにした。ルイズの後ろを、長身のホッパーはまるで影のように寄り添って歩いている。

 気になることがあった。

 今朝ホッパーが『腐っていた』と報告した、自室の扉。割れてささくれた断面からは芳しい木の香りが立ち昇っていた。腐った木材にそんな匂いはしないはずである。ためしにつついてみた感触は固い木材のそれであったし、虫くいの痕跡も見受けられなかった。

 取れてしまった扉の取っ手はテーブルの上に放置されていた。今朝部屋を出るときは気も留めなかったが、筆記用具をまとめるときに何気なく手に取って見てみたところ、握りの部分が若干歪んでいるのを発見した。その変形の具合をみたルイズは、幼いころにやった雪遊びをおもいだした。雪玉を作ろうとして手にすくった雪をギュッと握りしめると、手の形に従って、節くれて圧縮された雪が出来る。取っ手の変形はちょうどそれに酷似していた。

 まさかとは思うけど、ホッパーは力任せに引きちぎったのか? しかも金属が変形するほどの握力を込めて? そんなまさか。

 ――ありえないわ。

 素手で金属を変形させるなんて普通の人間には到底無理な芸当だ。筋骨隆々の大男ならまだしも、あの使い魔にそんな怪力があるとは思えない。なによりもホッパーは大怪我が原因で昨日まで寝込んでいた病人だったのだ。となれば原因は、自室のドアにありそうだ。それなりに年期の入った代物だったし、乾燥してヒビでも出来ていたのだろう。

 だが仮にホッパーが触った拍子に壊れたと考えるのが妥当だとしても、今度はドアの握りのほうが説明つかなくなるし………

 なんて考えながら、教室に入る。

 トリスティン魔法学院の教室はこれまた石造りの段々の造りになっており、半円を描くようにそれぞれの段に机が配置されている。教師は一番下の段で講義する。

 入室した途端、先に教室にいた生徒のほぼ全員の視線が一斉にルイズに向けられた。それまで交わされていた会話の中に、わずかだが嘲笑が混じる。

 

 

 ―…――の前――……儀式―

 …平民……―――召………

 ――金で………―――

 ――…っぱり――ゼロ…――

 

 

 ―――ゼロってなんだ?

 囁き交わされる会話を一言一句聞き取りながら、ホッパーは思った。ルイズと行動を共にしているなかで、ルイズが“ゼロ”と呼ばれているのを何度も耳にした。面と向かって口にした者は今朝初めて見たが、多くはこっそり陰口のように――食堂で朝食をとっていた最中もだが――声をひそめる。かといって隠す気は無いらしく、あえてルイズに聞こえるか聞こえないかのギリギリの声量でいうのだ。すくなくとも、通り名ではあっても褒め言葉とは意味的に程遠い領域にある言葉らしい。

 当のルイズは特に気にした素振りは見せず、そのままてくてく歩いてゆき、教室の一番後ろの席に座った。ホッパーは、坐ろうとしたところ主に睨まれた食堂での一件を反省して、その傍らに立った。別に何か言われても、無視すればそれでよかったのだが。

 それにしても、入室してからの教室内のざわめきが未だ止まない。なにか面白いものでもあるのかと、ホッパーは教室をぐるりと見回した。

 騒音の原因は、キュルケだった。正確にはキュルケを取り巻く男子生徒らの発する、歯の浮くような口説き文句だった。取り巻きが一人なら特にうるさくも無いだろうが、それが十人強ともなれは話は別だ。かなり煩いはずなのに周りは平然としていることからして、ひょっとしてこれは日常のことなのだろうか。

 キュルケはまるで女王のようだった。動作の一つ一つが男心を惑わす色香を放っている。群衆(主に男)を操る術はここからきているのかとホッパーは納得した。

 ホッパーが見ているのに気づいたのか、教室の中段にいるキュルケはこちらに手を振ってよこした。

 その時ホッパーは自分に向けられた目線に気づいた。てっきりルイズだけが注目されているのだと思っていたが、好奇の目は――なぜか主に女子生徒からの――ホッパーにも向けられていたようである。

 平民の、というよりは人間の使い魔というのはやはり珍しいらしい。あのメイドに聞いたとおりだ。

 カラスやら大蛇やら猫やらフクロウやら。ここは動物園かと錯覚してしまうほど、視界に入るだけでもこの教室内には様々な動物がいた。あの動物たちが“使い魔”なのだろう。

 他にも半人半蛸に浮遊する目玉にキュルケの足元で眠る火トカゲ――――

 

 

 

「…………」

 

 

 

「あの浮かぶ目玉は?」

「バグベアー」

「あの半人半蛸は?」

「スキュア」

「じゃああの赤いトカゲは?」

「それはキュルケの…………なに? 使い魔がそんなに珍しいの?」

 ルイズは前を向いたまま、矢継早に繰り出されるホッパーの質問に、不機嫌そうな声で答えた。それでも異変を感じとったのか、ホッパーを見上げた。

「まあ、幻獣といっても種によってはそうそう見れるものでもないわね。平民のあんたが驚くのもあたりまえか」

 いや珍しいとか以前にそもそも記憶に関して何も覚えてないし。俺の記憶≪メモリー≫は空っぽの『ゼロ』なのですが。

「にしてもあんた、本当に驚いてるの?」

 ルイズはホッパーの、なんの変化も窺えない表情を見た。

「………これでも。充分驚いてるんだが」

 案の定『使い魔』が動物であることに。もっと言えばファンタジーや空想の産物である幻獣なんてものが目の前にいることに。

「…………」

 ファンタジー?

 幻獣が空想の産物だと、この思考はいったいどこから湧いて出たのだ? いまの無意識は、この思考は記憶≪メモリー≫の片鱗なのだろうか?

 考えに耽るホッパーの隣で、あんたどんだけ鉄面皮なのよとルイズがぼやいた。

 扉が開くと、教室のざわめきは治まった。入ってきたのは紫色のローブにこれまた紫色のとんがり帽子をかぶった中年の女性だった。

 その女性は教室正面中央に立つと、

「皆さん。春の使い魔召喚は大成功のようですね。このシュブルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 と前置きしてから教室をゆっくり見渡した。ふくよかな顔に浮かぶ微笑みが、優しそうな雰囲気を漂わせている。

 ルイズは俯いた。おそらく起こりうるであろう今度の展開を予想すると気が滅入る。大抵は気が滅入るよりも先に、自前のプライドと反抗心でもって対抗するのだが。

「おやミス・ヴァリエール。あなたは一風変わった使い魔を召喚したようですね」

 ほらきた。教室中が笑いに沸く。

「“ゼロのルイズ”! 召喚できないからって、そのへん歩いていた平民連れてくるなよ!」

 今朝といい今といい日に二度も同じことを聞かされた。よりにもよってヴァリエール家の怨敵に告げられたことを、今ここで再び聞かされたのだ。怒りの沸点を一瞬で超過するには充分な理由だった。

 ルイズは椅子を蹴って立ち上がった。そして怒声を張る。

「だ、か、ら! 私はちゃんと召喚した! なのにこいつが来ちゃったのよ!」

 嘘つくな、と誰かから声がして、さらに言い返そうと口を開きかけて。

 はたと気づいた。

 何時の間に移動したのか、視界に映る、となりにいたはずの長身の男の背中。

 最初にルイズを小馬鹿にした男子生徒の正面に、ホッパーが立っていた。

 教室を包んでいた笑いは治まり、好奇に満ちた囁き声に変わる。囁きの内容はこうだ。この平民はいったいなにをやらかしてくれるのか、と。

 そんなざわめきなど意にも介さず、ホッパーは眼下の生徒を見おろしていた。

「…………」

 本当になにをやらかすのだと別な意味でルイズが心配するなか、ホッパーはようやく口を開き。

「――『貴族は魔法をもってしてその精神となす』。この言葉を……オマエは、知っているか?」

 今度はホッパーの代わりに皆が押し黙った。地獄のような沈黙が教室に漂う。脈絡のへったくれもない発言のおかげで、ある意味ホッパーはやらかしてしまった。教室の後ろの席ではルイズが頭を抱えていた。

 唖然とする男子生徒が頷くのを認めてから、ホッパーは左手を掲げて。

「契約の、ルーンだ。主が俺を喚び、魔法とやらを使ったなによりの証拠だ。疑いの余地など、どこにも、ない」

 今度は男子生徒の反応を待たず、教室中にそのルーンを翳してみせる。

「それでも、嘘だというのなら。『貴族の精神』を持つ、我が主を笑うのなら。これだけは………覚えておけ」

 

 

 この教室の意識のすべてが、ホッパー唯一人に向けられている。

 正念場だ。次に何を述べるかで、この勝負は決する。

 さあ、これで終わらせよう。道化はこれにて退場だ。

 一度言葉を切ってから、たっぷり数秒の後。

 

 

「その行為はオマエたちの名誉を、誇りを、地に落とす。いつか相当の対価を支払うと、覚悟することだ」

 

 

 反駁も抗議も無かった。抑揚の乏しい淡々とした口調と一切の表情を見せぬ鉄面皮により、今のホッパーは酷薄ともとれる奇妙な凄味を漂わせていた。それに気圧されて、誰も何も言えなくなっていたのである。

「と、そこのところは、どうだろうか。シュブルーズ『先生』」

 やや不意討ち気味に水を向けられて、シュブルーズは、はっと我に返った。

 コホン、と咳払いをして。

「そこの『使い魔』さんのおっしゃるとおりですよ、みなさん。たとえ学友の仲であっても、相手の名誉を汚すなど言語道断です。貴族は貴族に対して礼節をもって接するもの。それを忘れてはいけません」

 若干声が上ずっていたが、やや厳しい目で教室を見回した。あえてホッパーを平民と呼ばなかったシュブルーズの意図を察したのはこの教室でわずか数人程度だろう。それでも上々といえる成果だ。

 役割を完了したと判断したホッパーがルイズのところへ戻るのと同時に、教室を支配していた重い空気が消え去る。一斉に、誰ともなくため息をついた。

 ホッパーが戻ってくるなり、ルイズは小声で言った。

「あんた、何考えてんの?」

「………さあ」

「さあ……って、あれだけのことをして無事にすんだものだわ。ミセス・シュブルーズが味方してくれたのはただ運が良かっただけじゃないの」

「…………」

「あんたね」

 黙ってればそれで済むと思ってるのかと言いかけたところで、ホッパーは言った。

「二つ、理由(わけ)がある」

 教室の前段では、シュブルーズが授業を始めていた。土がどうとか前置きしてから、太っちょの男子生徒を指名して、何やら質問している。

「“魔法”が使える、使えない…その真偽を、はっきりさせたかった。もう、一つは」

 …………。

「気に、入らなかった………そう判断しただけだ」

「気に入らなかったですって? そんな理由で…」

「充分だ」

 ホッパーはルイズに視線を合わせた。

「‘ゼロ’だかなんだか知らないが。ルイズ、お前が、そう呼ばれるを嫌っているのは、傍にいればわかる。だから、空っぽの俺がなにかをするには、『そんな理由』で………俺にはそれで充分なんだ」

 記憶≪メモリー≫の対価を得るためには何でもやる。そういう意味でホッパーは言った。

 しばらくホッパーの顔を見つめたのち、ルイズはぷいと視線を外した。

 腕を組み、胸を反らせて、座っていても威厳を感じさせるようなポーズをとってから、少し早口で言った。

「ま、まあ、使い魔がご主人様に忠誠を慕うのはあたりまえのことよね。次も励みなさいな」

 ルイズはそれを、使い魔による主人への忠義立てと受け取った。ただ、自分のためにしてくれた――とルイズは思っている――については、ちょっと嬉しく思ったのは事実だ。

「言われなくとも、やるさ」俺は記憶≪メモリー≫のために。

「ふ、ふん。ちょっと褒めたくらいで調子にのらないでよ」不愛想でも実は良い奴じゃないかしら。

 なんてそれぞれ思っていたら。

「ミス・ヴァリエール!!」

 シュブルーズに見つかった。飛んできた叱責に虚を突かれ、ルイズは危うく椅子から転げ落ちそうになる。

「私語は慎みなさい。授業中ですよ」

「ぁ……す、すみません」

「おしゃべりをする暇があるのなら、丁度いいでしょう。この錬金をあなたにやってもらうことにします」

 教室がどよめいた。

「え、でも…」

「『でも』ではありません。何か問題でも?」

「大有りです。先生」

 シュブルーズに異を唱えたのは、キュルケだった。

「ミス・ツェルプストー、なぜ問題なのですか?」

「危険です」

「危険? いったい何が?」

 シュブルーズは怪訝な表情をした。キュルケは困った顔をしている。

 ホッパーはルイズを見た。先の戸惑いはどこへやら、”錬金”を実演する決心を固めたらしく、ルイズは少し緊張した表情をしていた。

 ルイズは立ち上がった。「私、やります」

 再び教室がどよめく。各々が動揺しているようで、不穏だった。

「ヴァリエール、頼む、思い直せ!」

「これか! これが対価なのか!?」

 皆がルイズの”錬金”を中止するよう懇願している。なにかをひどく恐れているようだった。

「ルイズ。やめて」

 段を降りるルイズに、キュルケが言った。だがルイズの決心は固い。「いや。私、やる」歩調を緩めず、ルイズはついに教卓へとたどり着いた。

 そんな一部始終を観察しながら、ホッパーは事態を把握できずにいたが、素早い動きで椅子の下に隠れようとする他生徒の様子を見て察した。これから起こる出来事は、おそらくロクでもない事に違いない、と。

「錬金したい金属を強く心に思い浮かべるのです。さ、やってごらんなさい」

 ルイズは目を瞑り、なにかを呟く。そして杖を振りおろした次の瞬間―――

 

 その現象が爆発だとホッパーが理解したのは、爆風に煽られて体制を崩し、後ろの石壁に後頭部をしたたかに打ちつけた後だった。

 










6/28 投稿のおしらせ  6/30 19:00に「ep8 閑話」を投稿します

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