ルイズが契約をしてすぐ、コルベールが中庭に姿を現した。
額から頭頂部にかけてきらきらと。月の光を反射していることから、窓から飛び出していった生徒を探してあちこち駆け回ったらしい。だが不思議なことに、汗の量に反してまったく息切れを起こしていない。
「ようやく見つけましたよ。急に飛び出していったと思ったらこんなところに……まったくあなたという人は」
「すみませんコルベール先生」
ルイズは謝罪の言葉を口にする。
まあいい事にしておきましょう、とコルベール。
「こうして何事もなかったのですから……ところで後ろの彼とは契約≪コントラクト・サーヴァント≫を完了したのですか?もしまだだということなら」
「いえ、ちゃんと契約≪コントラクト・サーヴァント≫しました」
「ふーむ、本来は立ち合いが必要なのですが……いいことにしましょう。では使い魔のルーンを確認します。君、ちょっと見せてください」
ルーン?といった顔を使い魔がしているのに気付いたルイズは説明した。
「さっき左手に何か光ってたでしょ。あれ見せて………言っとくけど脱がないでよ」
「……ム」
心外だとばかりにホッパーは黙って左手を差し出す。
「ふむ、これは珍しいルーンだ……少しスケッチしてもよろしいですかな?」
ホッパーは左手甲に浮かんだ文様をじっと見つめた後、ルイズの方を見る。彼が主人の許可を求めているのだとルイズは気づき。
「いいわよ。別に」
とりあえずお許しが出たので、コルベールはホッパーの手の甲のルーンをなにやらふむふむ言いながら紙にスケッチする。
それが終わると。
「このルーンについては後で私が調べておきましょう。あと……あっ、失礼ですがお名前を伺っておりませんでしたな」
「ホッパー、だ」
「ではホッパー君、あなたに新しい衣服を用意してありますから、持っていってください」
次にルイズに向き直り。
「今回は私の同行という事で特別に許可しましたが次はありませんよ、ミス・ヴァリエール。就寝時間はとうに過ぎています。さ、部屋に戻って休みなさい」
休息をとるように促した。
コルベールがルイズに同行していたのは、深夜ルイズが夜中に学院内を、こっそり徘徊していたのをコルベールが発見したからであった。
三日前に召喚してから、未だに目を覚まさない使い魔の容体をみようと、ルイズは就寝時間間際にこっそり寮を抜け出して医務室に向かおうとしていた。ところが当直で学院内を見回っていたコルベールに運悪く出くわしてしまったのだ。
本来ならば罰則を与えられて然るべきだが、事情を汲んだコルベールが「当直が同行する」という条件付きで特別に許可したので(結果的に罰則をも免れることにも成功)、一緒に医務室までやってきた、という顛末である。
「そうします。コルベール先生、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
ルイズがぺこりと頭を下げ、この場は解散となった。
幸いにも寮長に夜間外出を見つかること無く、ルイズは無事に部屋まで辿り着いた。途中で衣類を受け取るためホッパーがコルベールについて行った以外、別に何もない。
燭台に灯りを灯してから、ルイズは椅子に腰かける。そしてテーブルに頬杖を突き先程自分の使い魔となった男を眺めた。
しゃべることも無く静かに立っているこの平民改め使い魔。
使い魔と言っても自分が召喚したのは幻獣の類ではなくただの「平民」であった。しかも召喚したときには血みどろで瀕死の状態だったときている。
若い男だ。ぼさぼさの黒髪と、目鼻立ちの通った精悍な顔つき。すこし日に焼けているところが男ぶりを増している。それでいて野暮ったい印象が無いのは、農民ではなく町の出身だからだろうか。
甲斐甲斐しく医務室に足を運び、看病したり高価な薬を取り寄せたりとなぜあそこまでの情けを掛けたのかと今更ながら疑問に思う。
思わず溜め息がでた。
「疲れているのか?なら、眠った方がいい」
何にも知らないような顔で、ルイズを気遣うそぶりをみせるこの使い魔。
誰のせいだと思ってるの!!と声を上げそうにそうになるがそこはぐっ堪える。
命を救ってやった事実をこの平民に伝えれば、教養のない平民にしても感謝の言葉一つくらい口にするだろう。だがルイズはそれをしない。主人は使い魔の忠誠に応え、使い魔は常に主人に感謝を奉げるのは当然のこと。当然のことを改めて感謝されるのは貴族の、いや主人としてのプライドが許さない。
つまりこのまま威厳を保ち、かつ主従の関係をはっきりとさせる必要があるのだ。
「別に疲れてなんかないわ。ただあんたの扱いをどうしようか決めてただけよ」
「……そうか」
返事は不愛想。まあいい、言う事をこっちが先に言ってしまえばいいのだ。
「じゃ、あんたについてこれからの事を話すからよく聞きなさい。まず食事。私に逆らわない限り、とりあえず朝昼晩の三食は補償するわ」
罰として飯抜きも有りだという事を事前に示す。最初に食事の話をしたのはそれさえ保証しておけば大概の平民はいう事を聞くと思ったからだ。名誉と誇りよりも金か食、これがルイズの平民に対する認識だった。
「次に寝るところ。隣に部屋を用意したから、あんたはそこで寝起きすること」
通常、使い魔は主人とおなじ部屋で生活を共にする。しかしこの場合、使い魔は人間であり性別は男である。成人男性と同居では、さすがに不味いと急きょ特例で、実家の都合で学院を退学した女子生徒が使っていた部屋を、ルイズの使い魔専用としてあてがったのである。
「これで最後。一生をかけて私に仕えなさい。私の下から離れるなんてことは絶対に許さない。いいわね」
やっと出会った(平民とはいえ)使い魔なのだから。とは決して言わない。
「…………」
使い魔は、主人が話している間一言も口を挟まなかった。確認をとることもしない。
文句を付けられるだけ面倒なのだが、使い魔がもう少し何か言ってくると予想していたルイズは少々拍子抜けした。
まあ、別に不満がないならそれでいい。ただ男の黒い瞳が、ルイズをじっと見据えて放さない。
椅子から立ち上がり、話はこれで終わりだと一言。寝衣の用意をさせた後、ドアを開けて使い魔に部屋を出ていくように告げる。ただの召使いならまだしも、この使い魔(成人男)にレディの着替えを手伝わせるつもりはなかった。
使い魔が回れ右して退出しようとしたときに、そこでようやく大事なことを言い忘れていたことに気付く。
「あぁ、あとそれから―――」
「『―――明日の朝に洗濯物をメイドに預けること。その後に私を起こしに来ること。わかった?』か」
前者は普通だ。だが後者については。なんともまあ。
子供っぽいというか。
二つの月は山の向こうに沈み、今は日の出を待つばかり。
主の部屋の前に立ち、昨夜のことを思い出す。かなり尊大な口調で言われた条件其の三。
『私の下から離れるなんてことは絶対に許さない。いいわね』
前にも似たようなことを言われた。正確には、一人にするな、とあの夢の中で。本人は否定していたがやはりあれはルイズではないだろうか。
いやしかし。考えても仕方がない、か。ともあれ頼まれごとは実行せねばなるまい。
ドアノブに手を掛けてゆっくりと回す。
がちっ
鍵が。
がちゃがちゃ
洗濯物を取りに来いと言いつけておきながらながらドアに鍵を掛けたな我が主人。そもそも昨夜の時点で自分に預けておいてもよかったのではないか?そもそも合鍵すら受け取っていなかった、と思わず手に力が入る。
それがいけなかった。
ぎりぎりぎりりりりり バッキャン
何かが破壊されたような音と同期して、右手が感じていた負荷が消える。しかし未だ右手にある金属の感触。何だと見てみると。
若干変形したドアノブ、とそれにつながる施錠部分。
ドアから外れてまるごと『ホッパー』が握っていた。
そしてドアノブが収まっていたはずの箇所を視れば、木目にそって見事にささくれている元ドア。
「…………」
普通の大人がちょっと力を入れたところで、ドアは壊れるものだったろうか。ふつうありえない。考えられることは、元から壊れやすかったという事。
ということは。
材木が腐っていたのだ、きっと。
一人うんうんと頷いて納得するホッパー。ドア材木部腐食の件についてはルイズに報告すると決めて、とりあえず入室する。
部屋に入りまず目につくのは、奥に設置されているベッドの上ですやすやと寝息をたてて、眠りについているルイズである。ドアが破壊された際かなり大きな音が出たはずなのだが、それに気づかず睡眠を続行するとは、主の眠りは相当に深いらしい。ドア材木部腐食による破損事故の報告は後になりそうだ。
そして次にルイズが昨夜着ていたシャツやら下着やら入った洗濯物の入った籠を化粧台の前に見つけた。
これをもっていけという事だろう。
手に持っていたドアノブをテーブルの上にそっと置き、籠を手にする。
とりあえず次の目標は、洗濯物を引き取ってくれるメイドを発見することだ。
そっとドア(壊)を閉め、廊下を渡り、階段を下って寮棟から出る。そして建物内へ。
朝特有のひんやりと湿った空気で廊下は満たされていた。その中を、一人彷徨う。
昨夜、衣服を受け取るためコルベールという中年の男に同行した際にこの建物の構造については説明されていたが、実際に歩いてみるとやはり勝手が違う。ましてメイドが待機している場所なんて聞いていなかった。第一廊下と言っても石造りと相まって殺風景すぎる。装飾といってもたまに額縁に収まった絵画が壁に掛けてあるくらいだ。
それに、さっきから歩き回っているというのに誰ともすれ違わない。朝のうちに洗濯物を届けておけという事は、洗濯が早朝のうちに行われるからだろう。という事はそもそもメイドが取りに来ても良いのではないのだろうか。などと云々。
そうしているうちに廊下のむこうから、何やら白くてゆらゆらしたものが現れる。
よく見れば、ゆらゆらしているものは籠にうずたかく積まれた洗濯物の山だった。さらに言えばその洗濯物が乗っかっている籠、の下から人間の足が二本覗いている。大量に詰め込んだ洗濯物が抱えている人の姿を隠してしまっている。
なにやら「おっとっと」とか言いながら、声からして女性だろうか、右にふらふら左にふらふら。それに合わせて山も右に左にゆらゆら。見ていて相当危なっかしい。
と、ホッパーが思っているうちに。
ついにバランスを崩して、コケた。
さらに運の悪いことに、崩れた洗濯物の山が、転倒した運搬者の上にどさどさ降り積もる。
わーわー
きゃーきゃー
じたばたじたばた
「…………」
さながら一人コントのような珍事を見せつけられたホッパーは暫し呆然とした。早朝廊下のど真ん中で人間が洗濯物に埋もれている。もし人に事情を聞かれたらどう回答したものだろうか。
まさか見捨てて放置するわけにもいかないので、埋もれた人物を洗濯物のなかから救出するべく発掘に取り掛かる。
かき分け。
白いカチューシャ、黒髪。
かき分けかき分け。
そばかすのついた少女の顔。そしてエプロン。あつらえたようなメイド服――
…………もしやこの少女は。
確認のため、少女の腋に手を差し入れ、そっと高い高ーいの要領でそっと持ち上げてみる。
確認して。
確認したうえで、だ。この格好は間違いなく。
「メイド、だ」
メイドを発見した。あとはこの洗濯物をこのメイドに託した後、ルイズを起こしに戻らなくてはならない。だがこのメイドは一人では抱えきれない量を抱えていた。現にさっき転んでいる。
ルイズの言いつけを守らなくてはいけないとはいえ、ここはやはり運ぶのを手伝ったほうが良いだろうか。
そう思う一方、記憶はなくしていても「メイド」がなんなのかは覚えているのだな、とホッパーは思う。自分の本当の名前も思い出せないくせにと、何だか滑稽な気がしてくる。
「あのう、そろそろ降ろして頂けませんか?」
「ム、すまん」
そういえば抱え上げたままだった。すとん、と少女を床に降ろす。
「どうして私持ち上げられたんでしょう……あ、ええと、助けて頂いてありがとうございました。」
「いや、こっちも失礼なことをしてしまった。すまない」
「そんな、謝らないでください。全然気にしていませんから……あ、もしかしてあなた、四日前に召喚されたっていう、ミス・ヴァリエールの使い魔さんですか?」
メイドはホッパーの顔をみて思い出したというように。
瞳に好奇心を宿しているのが見て取れる。
「知っているのか。俺の事を?」
「それはもちろんですよ。使い魔召喚の儀に平民が召喚された、って使用人たちの間ですっかり噂になってるんですから」
――有名になったものだ。
望んだことではないにしろ、だ。
「でも本当に人が召喚されるなんて…誰かがふざけて流した噂だってそう思ってたんですけど」
そう聞かされて、疑問がわいた。
「俺一人だけ、なのか?他のみんなはどうなんだ?」
「えと、召喚の儀は毎年恒例の行事ですし、それに召喚されるのはたいていが動物か幻獣です。人が召喚されたっていうのは聞いたことありませんね。ひょっとしたらオールド・オスマンなら何か知っているかもしれませんが……」
「そう、か」
一つ尋ねただけでここまで答えてくれる。おしゃべり好きというのは年相応の少女らしい。
とりあえずこの会話で分かったこと。
其の一。召喚によって人が召喚されることはめったにない。自分はその特殊な一例である。そしてこれ以上の情報はない。
其の二。このメイドは人が善い。初対面の自分にも丁寧に接してくれている。少なくとも、初対面にもかかわらず跪けと命令してくる誰かさんよりは、だ。
其の三。オールド・オスマンに訊ねれば何かが判る。
さて。
「もう一つ聞いてもいいか?」
「はい。私が答えられる事でしたらなんでも!」
再びメイドの好奇心の炎が燃え上がったようだ。分かったこと其の四、このメイドは世話好き。
「洗濯場を、知らないか? 洗濯物を持って行けといわれて、ずっと探して歩き廻ってたのだが」
そこで、メイドの顔色が変わった。そう、だんだんと青ざめているような。
「……どうした?」
「いけない忘れてましたああああああ」
わたわたあたふた
「洗濯! いそいで!! 持っていかないと!!!」
急に慌てだした。
しゃがみこんで、籠を引き寄せ、洗濯物をかき集め。しかしそのあまりの量に、乱雑に詰め込むせいもあって、籠に収まりそうにない。
それを見たホッパーは、床に散乱している洗濯物に手をのばし軽く畳んで籠に放り込み始めた。
「……手伝おう」
「いいえそんな!仕事ですからこれは私が全部――」
「ルイズは、俺の主人は、洗濯物をメイドにあずけろ、と俺に言った。
洗濯場まで持っていくなとも言われていない。だから君を手伝ったとしても、なんの問題ない」
メイドの言葉を遮り、ホッパーは言う。
誰かの手助けをする、誰かに喜ばれそうなことをする。それでいい。何となくだが、それが当たり前でとても自然な気がする。
数十秒後。
お互い黙って作業に従事したおかげで、あんなに散らかっていた洗濯物がきれいに二つの籠に収まっている。布というものは雑に詰めるから嵩張る。簡単にでも畳んでしまえばそうそう山になるものでもない。
結局、洗濯場は近くにあった。メイドに連れられ、今通ってきた廊下を戻ったところにある角を左に、突き当りをまた左に行ったところに洗濯場はあった。
どうやら目的地の周りをぐるぐる回っていただけらしい。どうりで辿り着かない訳だ。
籠を他のメイドにあずけ、さてルイズのところに戻ろうとしたホッパーに、声を掛けるさっきのメイド。
「あのう、ええっと」
そういえば、お互いに自己紹介を済ませていなかった。
「ホッパー、だ。そう呼んでくれて構わない」
本名かどうか怪しいのでこういう言い方になる。そんなニュアンスを込めた言い回しに気付いたようでも無く、メイドは微笑んだ。
「えと、ホッパーさんですね。それじゃ改めまして、私はシエスタと言います。この学院でメイドとして働かせて頂いております。よろしければこれからも仲良くしてくださいね?」
「こちらこそ、よろしく、頼む」
シエスタ、か。ここにきて誰かに対してまともに口をきいたのはこのメイドが初めてかもしれない。従うと決めたルイズ以外の誰かと関わりを持とうなど考えもしなかった。
手伝いを申し出たのも、ただの気まぐれか。否、シエスタには人を引き付ける不思議な魅力があるように思われる。例えば、不愛想そうな初対面の相手にしても、だ。
くすくすと。メイドは楽しそうに笑う。
「そんなにおかしいか?」
何か言い方がまずかっただろうか。
「いえ、そうじゃなくって。今のホッパーさん、ちょっと照れてぎこちないように見えたものですから」
「……ムゥ」
そこに、シエスタ早く来て―と水場の方から声がかかる。なかなか仕事に加わらないので、メイド仲間の一人が痺れを切らしたのだろう。
シエスタは、はあいと返事をして。
「それじゃまだ仕事が残っていますので、私はこれで失礼します。手伝って頂いてありがとうございました」
別れの挨拶も笑顔のまま。ぺこりとお辞儀、回れ右して、他のメイドと一緒に作業に加わるべく水場へ駆けてゆく。
どうせおしゃべり好きな彼女の事だ、仕事をしながら同僚とのおしゃべりに花を咲かせるのだろう。きっと微笑みながら、だ。
ふと空を見上げる。
雲一つ無い晴れた空だった。夜が終わったのだ。東の空を白光で染めながら、日はまた昇る。
今回の投稿でストック切れです。次回の更新は遅くなりそうですが、また読んでいもらえると嬉しいです。
5/5、19:00に「ep5 ふりむけばアクユウ」を投稿します