十番目になれなかった男、ゼロへ   作:deke

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それとメイドのピンチ




ep12 明るい日曜日

 ホッパーは少し離れた物陰から、洗濯場を見ていた。まだ日は昇る前で、乳色のもやが地面を這っている。人通りは少なく、使用人がせいぜいである。籠を抱えて通路の端に立っているホッパーも、さして目立たないほどだった。

 先ほど、いつものように洗濯物を預けようとしたことろ、メイドに逃げられていた。ホッパーからすれば、何気なく声をかけただけである。だが先方はきゃっと悲鳴を上げるとさっさと立ち去ってしまったのだった。早朝の薄暗がりから、大男が出てきたのでびっくりしたらしかった。

 さしあたり、シエスタにでも声をかけようと思って来たものの、胸の内に別な思いが惹起している。使い魔の名目はどうあれ、傍からすれば俺は正体不明の、さもなくば傭兵だと思ったのだ。

 己の素性を知るものは誰もいない。強いて挙げれば主人のルイズにメイドのシエスタだけである。

 そのほかの人間から見れば、ホッパーはただの乱暴者にすぎないのだ。流布する評判と、昨日の決闘騒ぎを目にした者ならば、なおさらそう認識するに違いない。

 ――早く、シエスタが通りかからないか。

 行き来する人々を眺めながらホッパーはそう思った。学園に、知り合いらしい人物といえば料理長のマルト―とシエスタぐらいなもので、その他は顔を知っていても、名前が出てこない。だんだん待つのにも飽きてきて、そこら辺の使用人に洗濯籠を預けてしまおうという気になっている。

 そう思っているとき、本塔からメイドが二人、出てきた。一人はシエスタだった。もう一人はホッパーが逃げられたメイドである。

 声をかけようか迷っていると、偶然にも、メイドと目が合った。口が「あ」と開いて、こちらを指さしている。それでシエスタはこちらに気づいたようだった。

 二人は足早に近づいてきて、ホッパーの前に立った。

「あの、さっきはすみませんでした」

 とメイドが言った。そしてぴょこんと頭を下げた。たっぷりの金髪が額にかかって、さらさらと揺れている。

「…いや。こちらこそ、驚かせてすまなかった」

 ホッパーも頭を下げた。

「ほら、言ったとおりでしょう。見た目は怖いけど、ホッパーさんはいい人なんだから」

 シエスタは何故かニコニコしている。メイドのほうに向けていた顔を、今度はホッパーに向けた。

「おはようございますホッパーさん。洗濯物ですね。どうぞ、お預かりします」

「…頼む」

 メイドはようやく顔を上げた。シエスタより背が高いぶん大人びて見えた。くりっと大きめの目をした、利発そうな娘である。

 メイドは短い時間で、再度顔を合わせるとは思ってもみなかったのだろう。ホッパーの視線を浴びたメイドは、途端に間が悪そうな顔になって、

「私、先に行くね」

 と言って半ばひったくるように洗濯籠をシエスタから受け取ると、洗濯場のほうに駆けていった。

「…悪いことを、したな」

 ホッパーは、メイドを送った目をシエスタに戻した。

「…最初に、あの娘に声をかけた。が、驚かせてしまったようで、な。聞いていないか?」

「ええ、ローラは私と同室なんです。逃げたのはあんまりだったって、本人も反省してました……ですので、その、あんまり怒らないであげてくださいね?」

 おずおずといった感でシエスタは言った。自分がしでかしたことでもないのに、我事のような口ぶりだった。

「…別に、怒ってなどはいないが」

「本当ですか?」

「…そうか。怒っているように、見えるのか。俺は」

「…………」

「…………」

「ひょっとして今落ち込んでます?」

「…そんなことは、ない」

 シエスタは、ホッパーの顔を下から覗き込んだ。己を見つめる黒い瞳を、ホッパーは見返す。

 数秒、にらめっこのような状態になる。

 参った、とホッパーは思った。シエスタはのんびりしているように見えて、妙に勘が鋭いところがある。まるで内面まで見透かされるようで、この娘の視線はどうも苦手だ。

 分が悪いと判断して、少々強引だが話題を変えることにした。

「…そういえば、今日、買い物に行くことになった。行先は、トリスタニアという街だ」

 昨晩のルイズとの会話の内容を、かいつまんでシエスタに話してきかせた。

「まあ、それで今日は街まで?」

「…うん。まあ、そういう運びになった」

 とホッパーは言った。

「…品評会が開かれるとかで。俺に、まともな恰好をさせねばならんと、そう考えたようだ」

「品評会は品評会でも、『使い魔』の品評会ですわ。ということは…」

「…当然、俺も出る」

「人と幻獣を比べられるはずありません。ヴァリエールお嬢様も、あまり無理なことはおっしゃらないと思いますが…」

「…空を飛べるでもなし、炎の息を吐けるでもなし……皆の前に出て、お辞儀して、引っ込む。それくらいのものだ」

「まあ、それが無難ですよね」

 見世物にされるようで、それを考えるとあまり愉快な気分にはなれないが、致し方のないことだ。これも契約の範疇と思ってホッパーは自分を慰めている。

「でもちょっとだけ、ホッパーさんがうらやましいです」

「…何が、だ?」

「あ、いえ、服のことです。購入するときは、お金に余裕のある人でない限り、普通の人は古着屋で購入しますので。卸したての新品なんてとても手が出せません」

「…『普通の人』が、衣服を新調する場合は、どのように?」

「古着屋に行かないのであれば、自前で布と糸を用意するしかありませんわ。あとは自分で縫うか、知り合いに頼むかですが……きっとお嬢様は、仕立屋に行くと思います…古着屋なんかじゃなくて」

「…一応、着替えを用意するようなことは、言っていたが……」

 ホッパーは己の主人を思い浮かべた。器量良しだが、その性格は短気、わがまま、高飛車の三拍子。口の端々に「貴族の~」が出るあたり、シエスタの言う『普通の人』とは程遠い生活を送ってきたことは容易に想像できる。おそらくは欲しい物をねだれば、何でも買い与えられてきたに違いない。

「…………」

「…ムウ」

「どうなさいました?」

「…まさかとは思うが……普段使いを度外視して、見映えのするような派手な服だけ、購入するようなことにはならないかと」

「そんな贅沢なお悩みは、私初めて聞きましたわ」

「…贅沢? 贅沢、だろうか? ルイズならば、やりかねんと、思わないか? ん?」

「名家のお嬢様ですもの。私たちとは、ものの見方が違いますわ。そんな時は、それとなく一言申し上げればよいのです」

「…そういう、ものだろうか」

「そういうものですよ。ホッパーさんがしっかりしないと。貴族が相手だとお店の人は高い値段で買わせようとしますから。トリスタニアはどちらかといえば治安の良い街ですが、それでも、裏通りに入ると危ないことも多いんですからね」

「…生憎、不調法者だ。シエスタがいてくれれば、助かるのだがな」

 不意に、シエスタが笑い声をたてた。ころころと響く屈託のない笑い声だった。

「ホッパーさんさえご迷惑でなければ、是非ともヴァリエール家にお仕えしてみたいものですわ」

「…ルイズに話してみようか? 勅使殿なぞに奉公するより、ずっといい」

「はい」

 と返事はしたが、シエスタは下をむいた。暗い声で言った。

「お聞きになったようですね」

「…ああ」

「私、兄弟多いんです。とても家族が食べていけなくて……知り合いの伝手を頼ってこの学院へご奉公に上がりました」

「…………」

「学院より給金を弾むと言われたけれど、きっぱり断りました。そうしたら急に怒り出して……あの人、私に何て言ったと思います?」

 シエスタは伏せていた顔をあげた。目に強い光が宿っていた。

「平民風情が頭に乗るなって、小娘のくせに生意気だって言ったんですよ」

「…それは、ひどいな」

 言葉だけでなく、ホッパーは事実そう思った。マルトーは、周りから見捨てられたことが原因のように言っていたがそうではなかった。あちらは貴族で男、ましてこちらは平民の少女。力の差が歴然とした相手に、正面からくさされたことにシエスタは強い衝撃を受けたのだ。うまくその場を逃れたとはいえ気落ちするのも当然である。

 だが今、抑えつけていた憤懣の念がその眼に表れていた。

「…シエスタが、悲しく……いや、怒って当然のことだ」

 とホッパーは言った。

「…仲間には…同僚には話したのか?」

「皆、慰めてくれました。それから、しばらくの間、仕事の当番を変わってくれたんです。『あのエロ親父と鉢合わせにならないように』って」

 この様子なら大丈夫そうだ、とホッパーは思った。この考えは、シエスタが見せた気丈さが裏付けしていたが、なにより使用人らの結束を垣間見た気がしたからである。

 だが、シエスタは蓮っ葉な口をきいたとき、彼女の名を呼ぶ声がした。洗濯場のほうでローラが手招きしている。洗濯になかなか参加しない同僚に痺れを切らしたのだ。

「あら、ちょっと話し込んじゃったかしら」

 シエスタは呟いて、くすりと笑った。17歳の娘らしい明るい表情を取り戻している。

 

 

 

 昼前にキュルケは目を覚ました。平日であれば大寝坊だが、今日は虚無の曜日、休日である。起きあがって、うーんと伸びをした。

 ちらと見やった窓に、ガラスが入っていないことに気付く。一部炭化した桟が残るばかりであった。はて? と首を傾げて昨夜のことを思い出す。

 ホッパーにすげなくふられた後、キュルケが部屋に戻ると、窓の外に恋人が大勢ふよふよ浮いているのが見えた。

 複数の男子生徒とデートの約束をしていたのだが、その時キュルケはホッパーに興味津々だったのですっかり忘れていたのだ。約束を反故にされてはたまらぬと部屋に押し入ろうとした彼らを、得意の火系統の魔法で窓ごと吹き飛ばしたのだった。

「そういえば、そんなこともあったわね」

 只の一言で憐れな男子学生らの存在を忘却の彼方へ押しやる。顔を洗ってから化粧台の前に座って化粧を始めた。デートをすっぽかされて、今頃は気落ちしているであろう連中などどうでもよくなっている。

 今日はどうやってホッパーを口説こうか、などと化粧をしながらキュルケは考える。そもそもの印象からして、ただ普通に色気で落とすだけは効果が薄いことは分かっていた。現に昨夜は、身体を寄せ手まで握ったというのに、彼ときたら脈アリな素振りを全く見せなかったのだ。となれば、純粋に大人の魅力でアプローチしてみよう。まずはお友達から始めて、徐々に私に夢中にさせるのだ。うん、それがいい。鏡の中の自分の顔が、恋の狩人の笑みを浮かべる。男の気性に合わせて男を悦ばせることなど、己の美貌も色気も十分に心得ているキュルケにとって造作もないことだった。

 化粧を終え、ルンルンとした気分で部屋を出た。ちょうどお昼だから、まずはランチにでも誘ってみよう。

 ふと視線を前に向けると、男子生徒が一人、意中の殿方のいる部屋の様子を窺っているのが目に入った。ギーシュ・ド・グラモンだった。いざ訪いを入れようとしてまた躊躇し、何か悩む様子で扉の前をうろうろとしている。誰がどう見ても不審者だった。

 このギーシュという少年は、女子寮に正面から堂々と出入りしているのにも関わらず、不思議なことに一切お咎めを受けないのだった。ギーシュの場合、目当てはモンモランシーの部屋と決まっている。彼の浮気癖で、寮内の他の女生徒が迷惑するよりかはさっさと恋人のところへ行かせてしまえ、と女生徒全員が示し合わせている空気がある。当の本人はそれを知ってか知らずかその特権を大いに行使しているのだった。

 キュルケは正直に無視を決め込みたい気分になったが、そこにギーシュに居座られると目的を達せないので、やむなく声をかけた。

「何してるの?」

 びくりと肩を震わせて、ギーシュがこちらを見た。

「なんだ、君か。驚かせないでくれたまえよ」

「あなたが勝手に驚いただけでしょ……モンモランシーのところへは行かないわけ?」

「ああ、それなら心配いらないよ。なにせ夕べ振られたばかりでね……それでも、勇気を出して朝食に誘ったら『話しかけないで』って言われたよ」

 ギーシュはどこか遠い目をして、はは、と乾いた笑い声を立てた。恋人からきっぱりと拒絶されるのは、浮気性な彼にとってもそれなりにショックだったようだ。

「自業自得ね」

「…君には気遣いってものがないのか」

「自業自得」

「二度も言わないでくれ! いくら僕でも傷つくんだぞ!」

「大事な人がいるのに浮気するからでしょ。その人が一番って思えるなら余所見しないことね」

 ギーシュは無言でキュルケの顔を見返した。キュルケは顔に薄笑いを浮かべているが、口調に嘲りの響きが無いのをギーシュは感じ取っている。学生同士の色恋を、普段の態度からして遊びと割りきるキュルケだけあって、こういった話題を口にしてもなぜか嫌味に聞こえないのだった。

「まさか君に、愛について説教されるとは思わなかったよ……」

「自業自得」

 三回目でギーシュはついにその場にくずおれた。視線は空中を彷徨い、ぶつぶつ呟いている。もはや完全に危ない人である。

「ま、傷心なのはわかったわ。で、ヴァリエールの部屋の前で何してたわけ? 用が無いならどいて頂戴」

「ぶつぶつ」

「ねえ、ちょっと」

「ぶつぶつぶつぶつ」

「あら、あそこにいるのモンモランシーじゃない?」

 恋人の名前を聞きつけたことで急に生気を取り戻したギーシュは顔を上げ、辺りをきょろきょろと見渡した。

「何だって! ああ、モンモランシー、なんだかんだ言って君はやっぱり僕のこ」

「ごめん、人違いだったみたい。マントの色が違うわ」

 希望をあっさりと打ち砕かれたギーシュは、はあとため息をついた。

「…いいさ。僕が悪かったんだ」

 と、はつぶやくように言った。そして、まあどうにかするさと付け加えた。

「ここに来たのは、ルイズに謝罪しようと思ったからでね」

 ギーシュは真面目な顔をして言った。

「あのルイズの使い魔の平民……いやホッパーは、ケティとモンモランシーに謝罪しろとは言ったけど、ルイズに謝れとは言わなかったんだ」

「そういえば……そうね。でも決闘には彼が勝ったんだから、それでチャラってことにしたんじゃないの?」

「多分、そうだと思う。でも僕だって筋は通したい」

「その割には踏ん切りがつかない様子だったけど?」

 途端にギーシュはバツの悪そうな顔をした。

「いや、まあ、いざ顔を合わせるとなるとだね? 昨日の今日で色々と心の準備が……」

「どっちかって言うと、気まずいのはホッパーに対してでしょう? ヴァリエールの方じゃなくて」

「うっ……」

「冗談よ。あなた、正直すぎるわ」

 そう言って、キュルケはふっふと笑った。グラモンは軍人を多く輩出する家である。そんな家柄だけあって、思い切りのいいところがあるギーシュに清々しさを感じたのだった。少しはこの少年を見直す気分になっている。

「さてギーシュ。あなた良いところに来たわね」

「良いところ? どういうことだね?」

「私はダーリンと二人きりでお話がしたいの。邪魔っ気なヴァリエールから、彼を引き離すのを手伝って頂戴」

 ギーシュは微妙な顔をした。

「一応確認されてくれ……ダーリンとはホッパーのことかい?」

「御名答。でも悪い話じゃないでしょ」

「まあ、ね。けど、ラ・ヴァリエールとフォン・ツェルプストーの不仲を僕が知らないとでも? 君と示し合わせたことがルイズにバレたら、僕は酷い目に合わされるよ、きっと」

「大丈夫よ。部屋に入ったら、『ルイズと話がしたいから、君は席を外してくれ』って一言うだけ。何も心配することはないわ」

 乗り気にはなったが、何となく二の足を踏むと言った様子のギーシュに、キュルケは背を押すようなことを言った。

「うん、決めた。その話乗るよ」

「分かりがよくて助かるわ。じゃ、早速お願い」

 ようやく決心したギーシュが、訪いをいれる。が、部屋の中からは何の反応もなかった。もう一度試してみたが、やはり返事はない。扉には鍵がかかっていた。

「なんだ。留守か」

 ギーシュが鼻白んだように肩をすくめるのを見て、キュルケは杖をとりだした。

「仕方ない。出直すとするよ……ん? 何をする気だい?」

「『アンロック』」

「んなあ!?」

 がちゃり、と鍵が開く音がする。キュルケはそそくさと入室した。ギーシュの言ったとおり、ルイズは不在であった。案の定ホッパーもいない。

「ふん、居留守使ったんじゃないんだ」

「君、いくら何でも無断で部屋に入るなんて無礼な……第一校則違反と知ってやってるだろう」

 廊下からギーシュが言った。

「『恋の情熱はすべてに優越する』……それが我が家の家訓なの」

「とんだトンチキ家訓だな!」

「あなたも他人のこと言えないでしょ。聞いたんだから。半年前にモンモランシーの部屋に押し入ったんですって?」

「あれは最初の一回だけさ! つい気持ちが高ぶってしまってね。普段紳士な僕らしからぬ軽率さだったことは認めよう。けど今は君の」

「んー、カバンが無いわね……出かけた? じゃ、行先は…」

「おーい、無視かね」

「こうしちゃいられないわ……私、急用ができたから、またねギーシュ」

「…もう好きにしたまえよ」

 何事か呟いた後、 意気揚々と引き上げるキュルケを見てギーシュは力なく言った。大したことはしていないのに、何故か疲労感を覚えたギーシュだった。

 

 

 

 馬に乗って三時間。魔法学院よりトリステイン王国の城下町、トリスタニアまで歩けば二日かかるという。

 ホッパーが学院を出るのは今回が初めてである。歩いていくのかと尋ねたら、日が暮れるどころかエオーの曜日になっちゃうわ、とルイズに笑われた。

 二人は朝食をとった後に学院を出発し、城下町に到着したのは昼前だった。二人乗りする手前、馬の疲労を加味して速度を落としたのだ。

 厩にて、ホッパーが近づくだけで、人に慣らしたはずの馬が怯えだしたのである。馬丁が、ゲルマニアで従軍したことがある牝馬を貸そう、と気のきいた申し出をするまでの間厩は大変な騒ぎだった。どうやらホッパーは動物に嫌われる性質ようで、気の短いルイズが気を揉んだのは言うまでもない。

 とはいえ、なにかにつけて使い魔に厳しいルイズが、馬に乗れる自信がないと申告したホッパーを貶すどころか、自分の後ろに乗せ、さらには馬上での注意点を細々と説明したのだから破格の待遇というべきだろう。ホッパーは内心感激した。だが、馬上で身体が密着することを鑑みてのことか、最後に付け加えた、

「いやらしいこと考えたら、お仕置きするわ」

 との一言が余計だった。

 駅舎に馬を預けるなり、最初に服ね、と言ってルイズはすたすたと歩きだした。空は晴れ上がって、あたたかい日射しが建物と道行く人を照らしている。初夏の陽気が城下町を包みこんでいるようだった。

「財布、しっかり持ってなさい。スリが多いんだから、盗まれないようにね」

 とルイズは繰り返し念を押した。

「…この重さでは、なかなか盗まれないように……思うのだが」

 財布は出立の際渡されたものだ。手に持てばずしりとした重みを感じる。貴族は財布を持たず、従者が持つのが一般的らしい。

 ルイズ曰く、魔法を使ったスリがいるのだという。没落した貴族、様々な理由で勘当されたり、家を捨てたりした次男三男坊が身をやつして盗賊になることが多いのだそうだ。犯罪には賛成できないが、糊口を凌ぐためとはいえ、なんとも身につまされるような話だった。

 さて、ホッパーを驚かせたのは、仕立屋での待遇だった。

 狭い間口をくぐると、年取った用人が店の奥からとんできて、いらっしゃいませお嬢様大奥様にはいつもご贔屓になどと歯切れよく世辞を述べ立てた。すると用人の口上を聞きつけたのか、主人らしき中年の女が出てきて、二人を店の奥へと案内した。どうやら馴染みの店のようである。馴染みの店ならばぼったくられる心配もあるまい、とホッパーは思った。

 人前に出して恥ずかしくないよう仕立てほしい、というようなことをルイズが言うと、女主人は流行りの品を収めたカタログを持ち出してきた。だが、ホッパーのことと分かると万事飲み込んだ顔をして、先ほどの用人に採寸を言いつけると、また別のカタログを持ってきた。

 採寸の間、ルイズは肘掛椅子にゆったりと腰掛け、出された茶と茶菓子をつまみつつカタログを眺めている。生地の色はこれがいいだの、袖の飾りが気に入らないだのと注文をつけると、その注文内容を女主人が細々とスケッチにしていた。採寸を終えたホッパーがそれを覗き見ると、黒を基調にした落ち着いた印象に仕上がっている。使い魔が思う以上に、使い魔の主人はまともな感性の持ち主だったようである。

 それならばとダメもとで、できれば普段用のシャツにズボン、替えの下着も数枚欲しいと言うとルイズは、

「いいわ」

 と意外にもあっさり承諾した。

 必要なものは揃える、という昨夜の言葉に嘘はなかったのである。

 最終的に、ルイズも一着購入することで話がまとまった。ただし品評会に間に合うよう期日は一週間あまりである。そのことをルイズが告げると、

「よろしゅうございます」

 と心得た様子で女主人は言った。さて勘定かとホッパーが思っていると、ルイズは退店の構えを見せている。さすがにそれはないだろうと、ルイズにそっと耳打ちした。

「…勘定は?」

「ここ、ツケがきくの」

 とルイズは言った。金額を確かめもせずにツケか、とホッパーは呆れた。

 かかるものはかかるという思考なのか、ルイズをいいとこ育ちのお嬢様と見当をつけてはいたが、店の者の対応ぶりからして、彼女の実家は単に金持ちの上客というだけではないようである。ツケなどと、客に信用がなければできないはずである。

 次に行った店では羊皮紙とインクを購入した。こちらは現金払いである。ホッパーが購入した物を受け取ろうとするとルイズに制止された。品物は、後日学院まで郵送されるよう手続きしたので荷物持ち不要とのことである。その後向かった雑貨店でも同じような対応だった。

 買い物を終えて、雑貨店の者に見送られて外へ出ると、通りは人でごった返していた。さして広くもない道の脇に商人らが露店を構え、さらに老若男女入り乱れて歩くのでなおのこと狭苦しい。うっかりすると昨晩のような多重視界を形成してしまいそうなほど賑やかだ。

「…狭いな」

「ブルドンネ街。王都でも一番広い通りなんだけどね。ここをまっすぐ行った先に王宮があるわ」

 と言うと、行先を告げずにルイズは歩きだした。駅舎とは別の方向である。

「…どこへ?」

 とホッパーが尋ねると、

「武具屋」

 素っ気なくルイズは答えた。

「さっき思いついたの。品評会であんたに剣を持たせたら、少しは立派に見えるかもしれないじゃない?」

 その妙な気配に気づいたのは、まだブルドンネ街にいるうちだった。二人は、ブルドンネ街から裏路地に踏み込んでは行ったり来たりを繰り返している。ホッパーが感じたのは、この二人と同じ方向に歩いている何者かの気配だった。

 ――まさか。

 ホッパーは緊張が漲るのを感じた。出かけると聞いて、いつかの夜のようにBARE、そしてSPIDERの襲撃を警戒しなかったわけではない。しかし連中も昼日中には仕掛けてはこないだろうという油断がホッパーの頭にあった。

 角を曲がるときにそれとなく左右に目を配る。

 視界の端に、物陰に慌てて頭を引っ込める赤毛が映った。なんとキュルケである。

 ホッパーは緊張を解いた。つけてくる理由は不明だが、何か意図があるにしては、ぎこちない追跡のやりようである。せいぜいいたずらが目的であろう、とホッパーは思った。とりあえずは杞憂で済んだ。

 ところで。さっきからうろうろするだけでいっこうに目的地にたどり着かないのはどういうわけか。時たま路地を覗いては、ルイズはしきりに首を捻っていた。

「…ルイズ」

「…………」

「…まさかとは、思うが……道に迷ったのか?」

 指摘を受けて、ルイズはぴたりと足を止めた。このままでは往来の邪魔になるので、ホッパーはルイズを通りの脇に寄せた。

「迷ってなんかないもん」

「…………」

「ちょっとど忘れしただけだもん」

 ルイズはそっぽを向いて言った。口調が幼稚になっていることからして、図星を突かれ気まずくなっているのに相違ない。道行きなどは、出くわした知り合いか、そこらに出張っている商人にでも尋ねればいいだろうに、とホッパーは思う。だが、それができないのもルイズの不器用さたる所以であった。

 ここは俺が動かねば、とホッパーが思ったとき、脇腹に尖ったものをあてられた。

「兄ちゃん、ちょっと顔貸してくんねえかな。そこのお嬢さんと一緒によ」

 いつの間に目をつけられたのか、人相のよくない男たちにとり囲まれていた。先ほど感じた妙な気配はキュルケではなく、この強盗たちのものであったようだ。人数は五人。そのうちの二人は、周りには見えぬよう袖の下に忍ばせた杖をちらと覗かせた。

「おっと、妙な真似しなさんな」

 強盗の一人がドスを聞かせた声で言った。杖を抜こうとしたルイズの手が止まる。

「ホッパー…!」

 焦った声でルイズが言った。

「…まあ、言うことを聞くしか、ないだろうな」

 ホッパーは淡々と言うと、さりげなく周りを見渡した。視線を送った物陰からは、キュルケの姿は無くなっている。どうやら救援は当てにできそうもない。

 どやどやと男たちに連れ込まれた裏路地には、熟れた果物が酸敗したような匂いが漂っていた。足元には汚水が溜まっており、端にゴミが積みあがっている。

 ルイズを背に庇うようにしてホッパーは立っている。

「とりあえず、財布だしな。あと服脱げ、服」

 リーダー格のメイジが言うと、男たちから忍び笑いがもれた。

 ふう、とホッパーはため息をついた。

「食うに食われず。泥棒稼ぎ、か」

「あん?」

「…明日は我が身。と、思ったのでな」

「うるせえ、うだうだ言ってねえでさっさと金出しやがれ!」

 いきり立った強盗の一人が、ホッパーに掴みかかった。

 次の瞬間。

 人間が宙を舞った。

 ルイズの目には、胸ぐらをつかまれた使い魔が、振りほどこうと身をよじったように見えた。たったそれだけの動作で、大の男が吹っ飛ばされたのである。リーダー格のメイジを巻き込んで、積んであったゴミ山に頭から突っ込むと、ゴミに埋もれてそれきりのびてしまった。

 仲間二人を、たちまちのされて、残りの強盗たちはそれぞれの得物を抜き放ったが、ホッパーはずいと踏み込むと、健在な方のメイジの胸に掌を当てがって、ぐいと押しこんだ。

 再び人間が宙を舞う。今度は表のブルドンネ街まで吹っ飛ばされて、石壁にびたーんとぶち当たると、ずるずるとくずおれて、地面に転がった。

 残る強盗は二人。カモと見た相手に逆襲され、完全に気勢を殺がれたようだった。震えていた。震えが腕に伝わって、握るナイフの刃先が小刻みに上下している。

 強盗の意識はホッパーに向けられている。一方のルイズも杖を抜き放つと、短くルーンを唱えた。とっさ選んだのは『ファイアボール』のルーンである。

 だが、何も起こらない。杖先からは蝋燭ほどの炎すら現れなかった。。

 ――失敗した。

 自分の魔法的欠陥に絶望しかけたその時、対峙する彼らの足元が、派手な音を立てて爆発した。もうもうとした煙がはれると、そこには黒コゲになった強盗が、二人仲良く目を回して気絶していた。

 裏路地が、静寂に包まれる。誰一人、動く者は無かった。

「ルイズ……怪我は、ないか?」

 地面に横になったホッパーが言った。爆発の巻き添えを食って、ルイズの足元まで吹き飛ばされた恰好である。

「私は大丈夫よ」

「…………」

 ホッパーは黙ってルイズの顔を見ている。ルイズはホッパーの顔をじっと見たが、不意に間の悪い顔をした。

「…悪かったわね、あんたまで吹き飛ばしちゃうなんて」

「…ムウ」

 表通りが賑やかになっていた。数人の人影が裏路地を覗いている。騒ぎを聞きつけた誰かが衛士に通報したようで、遠くから呼笛が聞こえた。

 

 

 

 駆けつけた衛士たちは現場を見て胡乱な顔をした。ごろつき同士の喧嘩だと思ったのだろう。初めぞんざいな口をきいた。だが、大勢目撃者がいたことと、ルイズの胸元に五芒星を認めたことで、態度を変えてきぱきと事後処理にかかった。

 あの強盗たちと自分を分けたものはなんだろう、とホッパーは思った。記憶を失う以前も、おそらくはまともな人生を生きてはいないだろう、と頭の中で別の声がする。己への警句だ。

 飢えず、寒さに震えずに済んでいるのは、一重に貴族のルイズに召喚されたからだ。シエスタをはじめ学院の使用人らに親切にしてもらったからだ。俺とて身の置き所を無くせば、食う口を養うために犯罪に手を染めたかもしれない。彼らとの間に大した差はないのだ。

 縛り上げた強盗らを街の衛士が引っ立てていったころには、日射しが黄色くなっていた。西の空は茜色にそまり、おだやかに日は沈もうとしている。

「ほら、立てる?」

「…ああ。大分、回復した」

 ホッパーは衣服についた埃を払って立ち上がった。

 衛士隊が駆けつけてからこれまで、ホッパーは石壁に背を預けて座り込んでいた。乱闘で消耗したのでなく、ルイズの爆発に巻き込まれると、だるいといった感じに倦怠感を覚える。身体の調子が悪くなって、動くのが億劫になるほどだ。

「行くわよ、ホッパー」

 とルイズに言われ、その場を立ち去ろうとしたとき、

「おめえら! ちょいと待ってくれ!!」

 背後から声をかけられた。

 さては強盗の仲間かとホッパーはルイズを庇うようにして立ったが、どうやら声自体は下から聞こえたようである。

「おおい! ここだよ、ここ! ゴミん中だ!」

 試しにゴミをかき分けると、下から鞘と一緒に長剣がでてきた。柄まで含めればルイズの身長ほどの長さの、ところどころ錆の浮いて古ぼけた様子の片刃である。たしか、ホッパーによって真っ先に気絶させられた強盗が持っていたものだ。杖など武器になりそうな物の一切を衛士は取り上げたが、こちらはゴミに紛れていたためさすがに見落としたようである。

「おお、助かったぜ。ありがとさん」

 鞘ごと手に取って確かめてみると、なんと剣が鍔のあたりをがちゃがちゃ鳴らしてしゃべっていた。

 それを見たルイズの目が驚きで丸くなる。

「珍しい……インテリジェンスソードじゃない」

「…インテリ…何?」

「インテリジェンスソード、魔法で知性を与えた剣のこと。それなりに高価なはずなのに、なんで強盗なんかが…」

 すると剣が勝手にしゃべりだした。

「俺、この先の武器屋で売られてたんだよ。でも、おめえさんたちがのした連中に盗まれたんだ」

「…盗まれた。というのは、何時のことだろうか?」

 とホッパーが尋ねると、

「夕べだ」

 と剣が答えた。

「手向かわなきゃよかったんだ。あの親父ときたら、まだ縛られてんじゃねえかな」

 そんな話を聞かされては見て見ぬふりはできない。とルイズが言ったので、ホッパーは衛士を呼び戻しに行った。ぞろぞろと連れ立って剣の指図の通りに行くと、強盗に遭った場所から離れていないところに、確かに武器屋があった。

 正面扉に鍵はかかっておらず、店内を窺うと店内は真っ暗だった。手燭を掲げた衛士隊長が踏み込むと、手足を縛られた店主が床に転がっていた。強盗らはさんざん物色したようで、刀剣や槍、甲冑が床に散乱していた。店の奥も大分荒らされているようだった。

「やれ、とんだ災難に遭った。お有難うごぜえます、隊長殿。お陰で助かりました」

 手向かったというのは事実のようで、店主は顔に青痣を作っていた。助け出された後ぐったりとしていたが、言う事ははっきりしている。

「礼ならこちらの方に言え。貴様のことだけではない。強盗の逮捕にまで協力して下さったんだ」

 衛士隊長は店の外にいる二人を指した。

「本当でごぜえますか? いやいやいや、こいつは目出度い……で、盗まれた品なんですがね」

 店主はニコニコと笑顔になった。だが不思議なもので人間笑顔になっても全ての人間が福相に見えるとは限らない。青痣と相まって店主もなかなか悪相である。

 店主と衛士隊長が話し込んでいるので、店の外にいる二人は手持無沙汰であった。すると、長剣がホッパーの腕の中でカタカタと振動した。何か言いたいことでもあるのだろうと思い、ちょっとだけ鞘から出してやる。

 この時初めてホッパーは直に剣に触れた。

 瞬間、左手のルーンが僅かに輝きを帯びる。人気のない薄暗い路地が薄青く照らし出された。衛士はみな店内にいるので、それを目撃したのは隣にいるルイズだけである。

「え、何? 何の光?」

「…左手の文字が光っている」

「あんた何したの!? まさか呪いをかけられたんじゃ!?」

 剣から手を離す。輝きが消える。もう一度触れると、また光る。少し面白くなって何度か繰り返すと、遊ぶな! とルイズに脛のあたりを蹴られた。

「この剣が…何か話したいことが、あるのかと、思い……つい」

「ああ、もう、あんたこれに触るの禁止! 没収!」

 ルイズへ剣を引き渡そうとすると、鍔のあたりが鳴った。

「よせやい。別に、呪いなんかかけちゃいねえよ」

 と剣が神妙な声で言った。

「おでれーた。おめえさん、使い手だったのか。あっという間に三人ぶちのめしたから、タダ者じゃねえとは思ったんだ」

「…使い手?」

「おうよ。んで、物は相談なんだが、おまえらのどっちかが俺を使ってくれよ。さっきそれを言おうとしたんだ」

「…そういえば剣が、欲しいと」

 ホッパーはルイズを見た。ルイズは困った顔をした。

「確かに言ったけど……もっと他のにしましょう? こんなボロ剣じゃなくて」

「誰がボロ剣だ貴族の娘っ子! 俺にはデルフリンガーって名前があるんだぜ」

「失礼ねー。ホッパー、こんな剣返してきなさい」

「あ、待った。今の無し。謝る。とにかく、あの店に戻されるのは御免なんだ、頼むよ」

 ルイズがびしっと店を指さしたのをうけて、長剣改めデルフリンガーは弱った口調で懇願する。

 ルイズは見た目が悪いのでいらないと言う。ホッパーとて、剣など格別欲しい品物ではない。そもそもが、使えと言われたところで実際に使う場面があるとは思えないのだ。

 ただし、『使い手』と言われたことだけが気にかかる。失った記憶と関係があるような、そんな直感が働いたのだ。

「…ルイズ。この剣でも、いいのではないだろうか」

「えぇ、あんなこんなのがいいの? ただしゃべるだけのボロ剣じゃない」

「品評会で、『持つだけ』であれば…鞘さえ、立派なら……問題ないのでは?」

「おお、おめえさん話がわかるな。やっぱりタダ者じゃねえぜ」

 デルフリンガーが嬉しそうに言った。一方でルイズは不服そうだった。

 そんな時、扉からぬっと店主の顔が出てきた。暗闇から青痣作った不気味な顔面が出てきたので、ルイズが悲鳴を上げた。

「失礼、旦那方。そんなボロ剣でよけりゃ貰っちゃくれませんかね」

 と店主が言った。どうやら先ほどからのやり取りを聞いていたらしい。

「錆が浮いちゃおりますがね、なに拵えはしっかりしてまさあ。研げばそれなりに使えますぜ」

「よう、クソ親父。生きてたな。干からびて死んだかと思ったぜ」

 デルフリンガーが楽しそうに言った。前々から思っていたがこの剣、かなり雑言を吐く。

「こきやがれ、デル公。盗人もさっさと鋳溶かして鍋釜にすりゃいいものを」

 店主が舌打ちした。剣が剣なら店主も大概だった。

「もうお判りでしょうが、このデル公ときたらおしゃべりで口が悪い。何度も商談を台無しにされやしてね。おまけにしゃべる剣なんて、客が気味悪がって買い手がつかないんでさあ」

「…………」

「…………」

「こいつをお気に入りでしたら、お代は結構です。鞘をお求めでしたら、いいのがありますぜ。新金貨五枚でご用意しますよ」

 ホッパーはルイズの顔をじっと見た。

「…………」

「…何よ」

「…………」

「買わないからね」

「強盗を…撃退し、挙句爆破され、この始末」

「分かったわよ。買えばいいんでしょ、買えば。そんな捨てられた子犬みたいな目でみないで!」

 半ばやけくそ気味にルイズが叫んだ。

 とりあえず主人の許可が下りたので、ホッパーは財布から金貨を五枚抜いて店主に手渡した。店主が鞘を取りに店内に引っ込むと、ホッパーはデルフリンガーにそっと囁いた。

「デルフリンガー」

「デルフでいいぜ」

 剣がカタカタと鳴る。

「…デルフ。『使い手』とは、一体どういう?」

「あん? 細かいことは忘れちゃったもんね」

「…………」

「そんなおっかねえ顔するない。要は『担い手』の使い魔が『使い手』だ。それ以上でもそれ以下でもない。ま、そのうち思い出すから、気長に待ってな」

「この剣すごく適当な事言ってないかしら? あんたが欲しいって言ったんだからね」

 胡乱な声でルイズが言う。この買い物は失敗だったかもしれないとホッパーが思ったとき、衛士隊長と一緒に店主が戻ってきた。

 店主が言うには、

「どうしても煩いなら、鞘に納めれば静かになりますぜ」

 という事らしい。

「では我々はこれで失礼します」

 真面目そうな顔をした衛士隊長は敬礼すると、衛士らを連れてその場を去ろうとした。

 ホッパーが鞘を受け取る直前、鍔のあたりをがちゃがちゃと鳴らしてデルフリンガーが言った。

「クソ親父の顔もこれで見納めか」

「黙れデル公」

「最後だからな、いいこと教えといてやる。下町の川向こうの四辻に『髭と黒猫亭』っちゅう酒場がある。この店のだけじゃない、盗んだ物ぜーんぶそこに保管されてる」

「何、それは本当か?」

 衛士隊長が言った。

「ホントだよ。丸一日連れまわされたからな。表に堂々と看板掲げといて、裏じゃ盗人宿やってんだ。仲間が捕まったことに気づいたら、奴らきっとトンズラするぜ」

 こうしてはおれぬ、と隊長は衛士を引き連れてあわただしく駆け出して行った。その盗人宿とやらに向かうのだろう。

 一方の店主は店に引っ込む際、二人の方を向くと深々と頭を下げた。ホッパーは店主を悪相だと判じたが、見かけによらず義理堅い面があるようだ。ホッパーも礼を返し、その場を後にした。

「おうデル公。粗相して旦那方の機嫌損ねるんじゃねえぞ」

「心配すんなクソ親父。風邪ひくなよ!」

 店主も剣も最後まで口が悪かった。ここまでくると、いっそ仲が良いのかもしれない、とホッパーは思った。

 手形を返却して駅舎を出るころには日はとっぷりと暮れて、頭上に薄墨の空が広がっていた。日中暖められた空気も、油断すると下から思わぬ冷えとなって這い上がってくる。二人と一本が馬に揺られて行く道を、それぞれが半分に欠けた双月が青く照らしていた。

 駅舎の役人によると、街道筋の盗賊や危険な生物は根こそぎ討伐されているとのことで、女子供が夜でも安全に行き来できるほどらしい。王都の近くは警邏隊も出張っているので何かあれば申し出よと役人は言った。

 デルフリンガーはホッパーの背中に背負われていた。この長剣は腰に佩くには長すぎるため、このような運搬法に落ち着いたのだった。

「いやーこうして外に出れるなんて嬉しいね。おめえさん、名は何て言うんだ? 聞いてなかったな」

「…『HOPPER』、だ」

「おうおう、ホッパーってのか。これからよろしくな!」

「…ああ。よろしく、頼む」

「全く、いい日だぜ。空気がうまいったらないね! 深呼吸しちゃお」

 どこに肺があるのかと。

 武器屋を離れたのがよほど嬉しいらしく、二人に買われてからというものの、デルフリンガーはしゃべりっぱなしだった。あたりかまわず話しかけ、挙句の果てに駅舎の役人にまで声をかける始末である。おかげで街行く人には変な目で見られた。

 だがせいぜい品評会までの短い付き合いである。今のうちに楽しませておこうとホッパーは思った。上機嫌に浮かれているところへ水を差す必要もあるまい。

「ホッパー、その剣を静かにさせて」

 と、低い声でルイズが言った。せっかくの気遣いが不意になったことをホッパーは悟った。

「私ね、賑やかなのは好きなの。でも煩いのはダメ、イライラしちゃうから」

「…すまん。デルフ」

「ん、なんだ? んおおっ?」

 柄を押し込んで、剣を鞘にすっぽり納める。鞘の中では金具を動かせないので、武器屋の店主の言ったとおり、デルフリンガーは静かになった。ただし、突然の強制執行に抗議するかように、剣全体が細かく振動しているのがホッパーの背中に伝わってくる。すまん、と心の中で手を合わせた。

 ホッパーは眼前の主人を見下ろした。身体が密着しているので、つむじしか見えないが、機嫌を悪くしている気配が伝わってくる。

「品評会は姫様がいらっしゃるのよ…もし、もし姫様の御前で下品な冗談でも言ってみなさい。その時は……」

「…その時は?」

「爆破してやるわ…………欠片も残さず、徹底的に。その時あんたがデル何とかを背負っていても構わないと思ってる私がいるの」

 物騒なことを言った後、ルイズはふ、ふ、ふと暗い忍び笑いをした。相当頭にきているらしい。

 理不尽すぎる、とホッパーは思った。デルフリンガーを購入するよう薦めたのは確かだが、ルイズがこのような反応を示すことは予想出来なかった。夕べといい、アンリエッタ姫が絡むとルイズは神経質になるようである。さすがに彼女の怒気を察したのか、デルフリンガーもおとなしく背負われていた。

 それから暫くの事だった。

 正面から、二頭立ての馬車が一台ぐんぐん近づいてくる。かなりの速度を出しているようだ。ルイズは手綱を操って街道の端に馬を寄せた。

 思わぬことに、その馬車がルイズらのいる手前で減速し、止まったのだった。街道は二者がすれ違うには十分な幅がある。単に道を譲っただけのルイズは困惑した。

 すると勢いよく車室の扉が開いて、人が飛び出してきた。続いて男が二人、その後を追う。街道をそれて草原へ向かっている。追われているのは女である。しかも若い女だった。

 ――シエスタだ。

 ホッパーは馬から飛び降りると草原を疾駆した。背後でルイズが何か言ったが、構わず走った。

 月光の下、あたりは薄暗い。それでも強化されたホッパーの視力は、彼らをしっかり捉えていた。その眼に、シエスタを抑え込もうとする男たちの姿が映った。

 引き倒されてなお、シエスタは手向かっていた。悲鳴が聞こえないのは猿轡でも噛まされているらしい。

「待て、貴様ら!」

 健脚を発揮し、たちまち彼らに追いすがると、十メイルほど手前でホッパーは叫んだ。

 男たちはちらと振り向いた。すると猛然と襲い掛かってきた。

 手前にいた男は、勢いよく拳を突き出してきた。ホッパーは身を低く沈めると、相手の膝を掬って肩越しに後ろへ投げた。どすんと落下音が聞こえる。

 二人目の男はわめきながら掴みかかってきた。組ませておいて、相手の腰を支え、脇に腕を差し入れて投げ飛ばした。二メイルほど先に男は背中から落ちた。カエルが潰されたような悲鳴を上げると、くたりとなって動かなくなった。

 ホッパーは急いでシエスタへ駆け寄った。案の定、布で口を縛られている。抱き起して、布を外してやる。シエスタは無言だった。無言のまま、しがみついてきた。悪寒でもするように、ぶるぶると身体を激しく震わせている。

「…大丈夫。もう、大丈夫だ」

「…………」

「歩けるか? さ、行こう」

 手を引くと、シエスタはゆっくりとだが歩けた。

 草原から街道に戻ると、ルイズは馬から降りて待っていた。

「あの馬車、様子が変なのよ」

 馬車は先ほどから同じ場所に止まっている。御者はいない。おそらく、ホッパーが豪快に投げたうちの片割れがそうだろう。操る者がいなければ動かないのは当然だ。

「家の紋章も、公務の旗も立ててないんだもの。駅馬車にしては豪華だし……その子、学院のメイドでしょう? どうなってるの?」

 とルイズは言った。口調から困惑した色がうかがえた。

 その時、シエスタの唇が僅かに開いた。かすれた小さな声が漏れた。

 ――伯爵。

「何? 今何て言ったの?」

「…手癖の悪い、貴族様が、しでかしたことだ。人を馬鹿にするのも、大概にしろ」

 そう言うのと同時に、胸の内に冷えた怒りが渦巻くのをホッパーは感じた。

「何が、何が貴族だ。シエスタを、攫おうとしたんだ」

「まさか。いくらなんでもそんなこと……」

「猿轡を噛ませていた。助けを呼べないように、だ」

「何てこと」

 ルイズは茫然とホッパーを見た。だがすぐに激しい口調で言った。

「その不届き者は、どこの誰なの」

「モット伯。…勅使殿だ」

 ルイズはきっと馬車をにらんだ。そして固い口調で言った。

「なるほど、家紋も旗も掲げない理由があったのね……呆れた。正体を隠して、悪事を働くようなそんな人を、私は貴族と認めない」

「…………」

「だからね、ホッパー。そこの馬車の中にいるのは、勅使様ではないわ……ただの恥知らずよ。恥知らずなんかに、与える罰はないわ。意味がないもの」

「…………」

「もう行きましょう。そこのメイドを連れて、学院へ帰るわ」

「……ああ」

 ルイズはさっそうと馬にまたがった。ホッパーに肩を抱かれるようにして、シエスタは歩きだした。その指はホッパーの袖をしっかりと掴んでいる。

 すれ違いざまに、開け放たれた車室内を横目でちらと見た。明かりは消えて、中は真っ暗だった。ホッパーの耳に、じっと闇に潜む男の息遣いが伝わってくる。

「…たかが平民と、侮られますな」

 ぼそり、とホッパーは漏らした。

「この件、胸に納めよう。だが、今後、シエスタの身に不審なことが起こった場合は」

 一呼吸置いて、底冷えする声でホッパーは言った。

「全てを暴いてやる。これを企てた人間が、この世に身の置き所をなくすまで追いつめる。覚えておけ」

 きっと聞こえているだろうに、車室からは何の反駁も無かった。先を行くルイズも黙っている。

 皆、長いこと無言で歩き通しだった。

 その変事に遭ったのは、遠目に魔法学院が見えてきたころだった。時刻は真夜中近くになっている。

 ホッパーの眼には、それは人型に見て取れた。その背丈はゆうに人間を超えている。

 街道筋から逸れた草原の向こうへと闊歩する、デッサンと縮尺がアンバランスを極めた人型。方向的に、学院の方から来たようでもある。それが一歩踏み出す度にずずん、と地響きがした。

 魔法で礫と土で練り混ぜた巨大な土人形、ゴーレムである。怯えた馬が小さく嘶いた。

 シエスタはぽかんと口を開けている。ホッパーは思わずぎょっとして言った。

「…何だ、あれは?」

「すごい……あれを動かすなんて…トライアングルクラス以上の魔法じゃないと無理よ」

「…………」

「いけない、急ぎましょう。どんな人が操っているのか知らないけど、ちょっとアレは面倒そうだわ」

 確かに、夜中に魔法の練習でもあるまい。気づかれる前にさっさと退散するのが利口な選択だ。

 足を速めて、やっと学園にたどり着いたころには日付が変わっていた。ただ、夜中だというのに庭内がやけに騒々しい。先のゴーレムと関りがあるのか、何かが起こったに違いなかった。

 部屋で落ち合うことにして、ルイズは厩に向った。ホッパーはシエスタを連れて使用人の宿舎へ足を向けた。

 松明を持った衛兵が広場を走り回っている。教師の姿も見えた。皆、上を向いているので、ホッパーもそちらに顔を向けると、なんと本塔の上階に大穴が開いていて、そこからも人が顔を出して下を覗いていた。騒ぎの原因はこれらしい。

 宿舎の扉をとんとんと叩くと、すぐ鍵を開ける音がして、扉が開いた。入ってすぐの空間はちょっとしたホールになっているようで、夜中だというのに人が大勢いた。皆、一斉にこちらに顔を向けた。

 途端、わっと歓声が上がる。

 人混みをかき分けして、ローラが出てくると、二人に駆け寄ってきた。

「シエスタ」

 その声を聞くと、シエスタはホッパーから離れて、ローラに抱きついた。ローラがよろめくほどの勢いだったので、マルトーが手を伸ばして彼女たちを支えていた。

「私の可愛い妹、良かった、本当に良かった」

「ローラ……!」

 泣き声を出したのはシエスタだった。そんな彼女を、ローラはしっかりと抱きしめている。安堵が胸中に広がるのをホッパーは感じた。

 




一年前ライダーキック出すとか放言かましたdekeです。生きてました。
いっそモット伯にでもぶちあててやろうかとも思いましたが思いとどまった次第です。


伯爵を登場させると、話の都合上シエスタをひどい目に遭わせてしまうのでちょっと心苦しかったりします。
ところで縛るだとか猿轡を噛ませるだとかやってることは同じなはずなのに、美少女(シエスタ)と中年のおっさん(武器屋の店主)とでは、どうしても美少女の方に熱を入れて書いてしまいます なぜでしょう。不思議ですね。


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