十番目になれなかった男、ゼロへ   作:deke

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ep9 犬

 その後、二人の間に会話らしい会話はなかった。ホッパーはひたすら無口なうえに、社会的に必須とされる場を盛り上げるための話術と相手をもてなすだけの社交的なスキルが決定的に欠如していた。話しかければ返事はする。が、この男はただそれだけなので、一度会話が切れてしまうとそれっきり話題の提供すら行わないのである。この場合、メイドのほうも口をつぐんでしまっているのでこの気まずい沈黙はもうどうしようもなかった。

 一度だけチャンスがあった。

 沈黙に任せるまま匙を口に運ぶうちに皿の中身が空になる。そのときメイドは「おかわりはいかがですか」とホッパーに尋ねた。

 食事は摂った。空腹も感じない。ホッパーはこの二つの事実を判断材料として、

「……いや。結構だ」

 と、ぼそりと返事をした。実に不愛想な態度である。

 ホッパーの行動基準に“他人”は選択されなかった。もっとも優先されるのは“ルイズ”と“記憶≪メモリー≫”。ルイズに対し従順であるという至上目的を除いてはこの男の行動規範を縛るものは何もなかった。

 シエスタが食器を下げた。ホッパーはテーブルに肘をつきどこか一点を見つめている。シエスタが去り際に挨拶にきてもうむともムウともつかない生返事で返す。結局、メイドが食器の片づけを終えて仕事に戻るまでの間、ホッパーは何の行動も起こさなかった。

 それからしばらくホッパーは石像のように身動ぎひとつせず、同じ体勢を維持したままだった。

 目線は中空をさまよい、一点をとらえてはまた漂う。持ちうる限りの集中力を駆使し、ホッパーの意識は思考の海に潜っていた。

 シエスタが見せたあの“表情”を思い出す。あの“表情”を見た途端、胸の奥が激しくざわついた。

 それを見せられて、俺はシエスタにそんな“表情”はしてほしくないと、そう思った。

 この動揺が俺の失った記憶≪メモリー≫に由来するものだとしたら。

 その原因を突き止めることが記憶≪メモリー≫を呼び覚ます手掛かりになるとしたら―――

 仮定と思索を繰り返し、やがてひとつの結論に至る。

 ホッパーは席を立つと調理場へ足をむけた。

 湯気たつ寸胴のそばにマルト―はいた。一列に並んだ寸胴の端から端まで行ったり来たりしながらかまどに薪をつぎ足しし、スープの味見をしては年若い料理人になにやらささやいていた。

「料理長。話がある」

 マルト―はホッパーをちらりと一瞥して、少し待て、と言った。マルト―はかまどの火勢について傍らにいた年若い料理人に指示をしてから、ホッパーの目の前のスープ鍋をかき回しはじめた。

「なんだ」

 とマルト―。このまま話せということだろうか。

「…シエスタのことだ」

「シエスタがどうかしたか」

「元気がない。というより、落ち込んでいる。何か知らないか?」

「…さあな。それだけじゃあ俺からはなんとも言えん」

 マルト―は下を向いたまま答えた。寸胴をみつめる視線が揺れたのを、ホッパーは見逃さなかった。

「厨房担当の野郎どものことならよく知ってるが、メイドのことはさっぱりだ。なあおまえら!」

 マルト―が大きな声を出すと厨房全体からへーいと返事が返ってきた。女の子の同僚とお話ししたことあったか。ないない。お前女の子とキスしたことある? ヤギとならある。という声がぽつぽつと聞こえた。

「…そうか」

 あてが外れたと思うのが半分、この場に居座っても仕方が無いとおもうのが半分。どちらにしても事情を説明する気が料理長に無いのなら問い詰めようとするだけ時間の無駄だ。

 仕事の邪魔をしてすまなかった、と言ってホッパーは踵を返した。

「なあ、ホッパー」

 振り向くと、マルト―がこちらに顔を向けていた。

「平民は貴族に逆らっちゃいけねえ。何をいわれようが平民は貴族様の言いなりになるしかないのさ」

「…………」

「わかってるだろう? それがこの世の中の原理原則なんだ。他人の問題に首を突っ込むと自分が命を落とすことになる」

「…………」

「まあナニだ。己可愛さで、ってのは誰しも覚えがあって、むしろ責められるもんじゃあないってことさ……おいおいそんな怖い顔しないでくれよ」

 貴族と平民。魔法が使える者と魔法が使えない者の間に横たわる溝は深いようだ。

 …………。

 いやいやいやいや。その返答は問いの答えになっていない。

「料理長。それが、シエスタと何の関係が?」

「察しが悪いなおめえさんは」

「なにか、言ったか?」

 当然聞こえている。聞き返したのはわざとだ。相手に面倒に思われたとしても、目的のためなら嫌がらせに等しい行為もやってやる。

「ああ、うん。なんでもねえよ……だからそんな睨むなよ。どうしようもないことだから、な」

 マルト―は、はあ、とため息をついて、

「シエスタだって年頃の娘だ。他人の俺たちからしたら傍観していられることでも、当の本人にとってはこの世の終わりのように思われて悩むこともあるだろ。そっとしといてやんな」

 最後はホッパーに語りかけるというよりは自分に言い聞かせているような口調だった。

 

 

 

 階段を下りながらホッパーは考えた。

 だれかにいじめられたとか、年頃だとかで一々気落ちしてメイドは勤まるはずがない。それで挫折するならシエスタはとうに職を辞しているはずだ。マルト―の奥歯に物が挟まったようなものの言いようからしてなにか事情があるとみるべきか。あの態度は普段豪快に振る舞う人物らしくない。二人ともなにか隠している。しかし、嘘を嘘としておくにしてはあまりに隙だらけな態度だ。あれでは関わってくれ、なんとかしてくれと主張するようなものではないか。

 そのくせかかわるななときた。

 

 知ったことか。

 

 俺は記憶≪メモリー≫がほしい。目前に記憶≪メモリー≫を得るチャンスがあるならば、ルイズ以外の人物の都合を顧みる必要もない。

 首を突っ込むなと言われたくらいで引き下がるなら使い魔なぞになっちゃいない。俺は俺の動機で動く。

 さて事情を探るならばシエスタの同僚のメイドに尋ねるのが一番いいだろう。問題は誰が誰の同僚なのか分からないことだが、使用人宿舎に行けば手掛かりはあるだろう。数をこなしているうち当たりを引くはずだ。

 今後の方針を決定したところで広場に出た。

 正面に正門が見えた。宿舎はたしか水の塔と風の塔の間にあるはずだ、と向きを変えて歩き出そうとしたその瞬間、何かにぶつかった。わっ、と短い悲鳴をあげて尻もちをついた人物をホッパーが見下ろすと――――

 特徴ある桃色髪がそこにいた。

 いたたと尻をなでさするのもつかの間、鳶色の瞳がホッパーを睨めつける。

「手」

「手、とは」

「私は、ホッパー、あんたのせいで今まさに転んだの。起こして」

 うっかり力加減を間違えたホッパーがルイズの手をぐしゃりと握りつぶしてしまう事態が懸念されるにもかかわらず、若干頭に血が上ったルイズはそこまで思い至らないようだった。自分に非があることは明らかだったので反論することもできず、ホッパーは半ば戦々恐々としながら、慎重にルイズを助け起こした。長々と我が主の純白の下着を衆目に晒すわけにもいかぬ。

「ホッパー」

 さあ仕切り直しと言わんばかりにホッパーの目の前に立ちはだかり、ルイズは噛みつくように怒鳴った。

「いったい、いままでどこに行ってたのよ」

「どうした。ルイズ」

 声にも表情にも動揺が現れないホッパーが答えた。この様子では使用人宿舎を訪ねるのはあきらめたほうがよさそうだ。

「厨房で賄いをもらってくるってそういったわよね…………」

「ああ。確かに言った」

「今何時か分かってる? 3時よ。3時。使用人と同じものを食べてきたってのにどうしてこんなに遅いわけ?」

「食う前にまき割りをしていた。それで遅くなった………なにかあったのか」

「それで私の身に何かあったら、ただじゃ済まさないわ。一生ごはん抜きよ」

 死ねと仰る。

「ああ、もうどっかいっちゃわないように首輪つけよっか。紐をつけて私のベッドの脚につないでおくの。どう、ホッパー?」

「どうもこうも」

 それは是非とも避けたい。

「犬扱いは嫌だ」

「そうでしょうそうでしょう。なら、これに懲りて身を改めることね」

 ふふん、とつつましい胸をそらす。お説教はそこで終わったようだった。

 その後暴言を吐くでもなく、ホッパーが口を挟まなかったのがよかったか、やたら満足げな表情をしているところをみると、言いたいことを言ったせいかもしれなかった。

 ご機嫌なルイズが寮塔へむかって歩き出すと、ホッパーはその後ろについて歩く。てっきり機嫌がいいと思っていたルイズだが、聞こえてきたのは愚痴だった。

「そもそもご主人様が使い魔の視界も見れないってどういうことかしら。相手が人だと見れないってこと? こっちが探しようが無いじゃないの」

 魔法のことはホッパーに分からないので黙っていたが、どうやら使い魔に備わるはずの能力がホッパーには欠如しているようだ。ルイズはそれを嘆いている。

 どうやらホッパーの見ているものから居場所を突き止めようと試みたが無駄に終わったらしい。

 そのうちむなしくなったのか愚痴をやめて、ホッパーのとなりに歩を合わせた。

「故郷のこと少しは思い出した?」

「いや。まったく」

「私としても紹介するとき困るのよねえ………いままでどうしてたの」

「当然、生まれはどこだとは聞かれた。村や町の名を挙げられても俺にはわからん。だが、みんな最後にはロバールカリーとかいう名をだすから、そこの出身ということにしていた」

「ロバールカリー? ああ、ロバ・アル・カリイエのことね」

「それだ。どういう場所なんだ。そこは」

「ゲルマニアの東の砂漠のずーーっとむこうにある地よ。どういう土地なのか誰も知らないけど」

「あることは知ってるのに、知らないだと」

「行けないのよ。同じようにそこから来た人もいない。だから誰も知らないってわけ」

 時代が下るうちに交通が途絶えたということか。砂漠というのはかなり厳しい環境にあるらしい、とホッパーは思った。

「あんたがいいって言うならいいんじゃない」

「ロバ・アル・カリイエか…………ひょっとすると、存外その地が俺の故郷かもしれんな」

「だったらどうするの」

 ルイズはやや早足になった。

「そんなに故郷に帰りたいの? 家族や友達のことが心配?」

「俺の故郷と信じることのできる証拠があるのなら、すぐにでも」

「あっそう。大好きなご主人様がいようとご褒美が目の前にあれば他所に行っちゃうんだ…………やっぱりあんたには首輪が必要だわ」

 首輪はあまりに理不尽だとホッパーが抗議しようとしたとき、前方から1組の男女がやってくるのが見えた。少年のほうが少女のほうにしきりに話しかけている。すれ違いざまに少年のポケットからなにかが落ちた。

「ギーシュ。あなたなにか落としたわよ」

 ルイズは今しがたすれ違った少年に声をかけた。と同時に薫香と呼ぶにはあまりに強烈な異臭が鼻をついた。

 ルイズが匂いのもとをだとると、その異臭はホッパーの右手から発生していた。てのひらの上には割れた小瓶と芳香を放つ液体が滴っている。ホッパーはやってしまったと小さくつぶやいた。

 とても面倒な事態にまきこまれてしまったとルイズは確信した。


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