シズクという名前の少女をあたしは住処にしている廃ビルに連れてきた。ここは原作で幻影旅団が宿として使っていた場所である。ぶらつき彷徨う間に偶然見つけたのだが、見つけた時は何かのフラグか?と戦々恐々としていたものだ。まあ廃ビルの強度に自信がないからなるべく強度の高そうなビルを使ってはいる。
それにしてもなんということだろう。偶然足を運んだ場所でまさか物語の登場人物に遭遇するとは思わなかった。最初名前を聞いたときは別人かと思ったが、よくよく見てみれば黒目と外にはねた黒髪は原作の「シズク」の面影を強く残していた。
だがそれ以上に彼女からは強い予感が伝わってきたのだ。
町中をぶらついているマフィアお抱えの念能力者とは比べ物にならない、強い強い輝きのようなもの。
言うなれば「一流」の、「天才」の気配。クロロと会ったときにも感じた同じものを感じたが、彼とシズクには大きな違いを感じる。シズクから発せられるそれは彼とは比べ物にならないほど清いものだ。……だが、彼女は幻影旅団の一員だったはず。どうしたものか。
「……はいっ、これでおしまい」
とりあえず一通りの治療を終える。かなりひどい傷ではあったが、手元の医療品でもなんとか事足りた。流星街のものではなく、ヨークシンで購入したものなので品質に関しては問題ないだろう。
「……ありがとうございます」
うーん、やっぱりこの子が悪い子のようには見えない。……そういえば旅団結成時のメンバーに彼女は入っていなかったっけ?だとするとここでシズクと会えたのは僥倖だ、彼女が旅団員になる未来を阻止できるかもしれない。
彼女は礼を言った後俯いてしまった。やはり詮索されるのが怖いのだろうか。だが今日はもう遅いし、彼女の精神状態を鑑みても早めに休んだ方がいいだろう。
「……さて、じゃあ今日はもう休もうか」
そういうと彼女は驚いたように顔を上げる。
「……あ、あの、何も……聞かないんですか?それに私、ベルゼフォート……マフィアの娘ですよ」
やっぱりマフィアの子だったのか、さっき家名を名乗ったときにちょっと震えていたのはそういうことか。ふつうマフィアの娘だと知られたら、厄介ごとだと思われて、助けてもらえないと考えたのだろう。それでも身分を明かしたのは、あたしに暗に伝えようとしたのだろう、「私は厄介者です」と。まあ、私がマフィアに疎かったせいで今まで気づかなかったけど。
やっぱり普通の子供じゃないなあ、と苦笑しながら答える。
「まあまあ、いろいろ気になることはあるけど、今日はもう休もう?
あなたも疲れたでしょ、話は明日ね」
そういうとしばらく俯いたのちに、こくりとうなずいた。
「これ汚いけど使って」
そういって毛布を二枚渡す。廃ビルはさすがに夜になると冷え込むから、子供の身体では厳しいだろう。
「さ、さすがにそれは悪いです。それに二枚とも貸したらマチさんのがないじゃないですか」
「気にしない、気にしない。私は別に平気だから」
確かにここにある毛布はそれで全部だが、纏を使っていれば問題なく眠れる。生命力で包まれているせいか、どんな堅い床だろうと平気だし、ある程度の気温になら耐えられる。念は使い道が多い。
それでもまだ納得がいかないのか、彼女は少し悩みこんだあげく
「……じゃ、じゃあ一緒に使いましょう!」
意を決してこういったのだった。
うーん、結局二人で一緒に寝ることになったが、この子、最初の警戒心はどこへ行ったのだろう。今はあたしの左腕にしがみついている。シズク?シズクは今あたしの横で寝てるよ……なーんて。
頬の傷が痛むのか、それとも悪い夢を見ているのか、時折びくりと震えて目を覚ますことがある。こんなに幼い子がこれほど怯えているのは酷く痛々しい。
ふるふる揺れる瞳を見返してやりながら、空いている手で頭をなるべく優しく撫でてやった。柔らかな髪の感触が心地いい。しばらくなでてやると、ふにゃりと表情を緩めてより強くあたしの腕にすりよってきた。ほんとにあたしが甘言であんたを騙そうとしている悪ガキだったらどうするつもりだ。
だけどあたしもこの世界に来てずっと一人でいたことは、知らず知らずのうちにストレスになっていたんだろう。誰かが隣にいてくれるということに、何か温かい思いを感じながらいつも以上に穏やかに寝ることができた。
翌日、目を覚ますと案の定シズクはあたしの腕に抱きついたままだった。起きた時に身じろぎしてしまったせいか、同時に彼女も目を覚ます。
「おはよう」
「……おはよ…ぅ……ござ……ます」
まだ寝ぼけているのだろう。瞼をごしごしとこすりながら、途切れ途切れに挨拶を返してきた。昨日まで見せていた子供らしからぬ振る舞いとは正反対のそのあどけなさに自然と笑みが浮かぶ。あたしの精神年齢が高いのはかなり特殊な理由があるからだが、彼女はきっとそうではない。周りの環境が彼女をそうさせてしまったのだろう。
そう考えれば、彼女が子供らしい一面をまだ持っているということは良いことなんだろう。子供は、子供らしい幼少期を過ごすべきだとあたしは思う。
寝ているときのように頭をなでてやると、彼女は今自分がどんな状況にいるのか思い出したらしく、あわてて跳ね起きた。頬もほのかに赤く染まっている。
「あ、あのすいません!」
「ふふ、何も謝ることなんかないよ」
「で、でも、その……」
恥ずかしそうに何かを言い淀んでいる。初対面の人間に抱きついてしまったのが恥ずかしかったんだろう。
「……まだ寝てなさい。慣れないとこで寝たんだから、眠り足りないでしょ」
「いえ、大丈夫です!」
その後も、まだ寝ておけと主張するあたしと、起きてあたしを手伝うという彼女の押し合いがあったが、結局あたしが折れることになった。思いのほか頑固なシズクに苦笑しながら、朝食の準備を行う。
といっても準備するほどのこともなく、店売りのパンをほうばる程度だが。持ち運びのコンロを使ってもいいが、金を手に入れる手段がない以上、あまり無駄遣いはできない。それにもしかしたら旅の道連れが増えるかも、という期待もあった。
「悪いね、こんなものしかなくて」
「い、いえ。ただでさえ助けてもらった上に、かくまってもらって、その上食事を分けてもらえるなんて、申し訳ないです」
「いいのいいの、パン一つや二つで恩に感じてたらきりがないよ」
そういっても、彼女は「このご恩は絶対に忘れません」などと言ってくるから困ったものだ。そんな話をしながらも、のんびりと朝食を取り終えたあたしたちは、いよいよ昨日から先送りにしていたことを話すことにした。
「……さて、と。じゃあシズク、あんたにいくつか質問してもいい?」
「………はい」
やっぱりまだ自分のことを話すのが怖いのか、それとも、何か嫌な事情でもあるのか、少し俯きがちになってしまった。おそらく両方だろう。昨日のような出来事があったというのに、家に帰りたくないというのは何かしら彼女の家庭事情に問題を抱えているのではないだろうか。なんといってもマフィアだし。
「……まず、そうね。あなたは昨日なぜ攫われそうになっていたの?」
「……昨日の男たちはおそらく私の家の、ベルゼフォートファミリーの敵対マフィアだと思います。昨日は偶然あの男たちにつかまってしまって。敵対マフィア間ではああいうことは日常茶飯事なので」
「あんなのが日常茶飯事って……物騒すぎるんじゃない?マフィアの子供は外も出歩けないじゃない」
「はい。基本的にマフィアの子供は外を一人では出歩かないんです。ファミリーにとって子供は弱みになってしまいますから」
なるほどね。子供はマフィアにとって格好の的なのね。
「……じゃああなたはなんで昨日あんな目に?それに一人だったわよね?」
「……それは……昨日、私はあの家から逃げ出そうとしていたんです」
「……逃げ出そうと?」
「はい。私はベルゼフォートファミリーのボス、ガラディア=ベルゼフォートの娘として生まれました.
ですが私が生まれたのは、父が、ガラディアが母に乱暴してできた子なんだそうです。もともとガラディアが町で母を見初めて誘拐してきたらしいのですが、私が生まれて以来、あの男は私たち親子に興味を失ったみたいで」
本当に聞くに堪えない。その男は人をなんだと思っているんだ。
それにこの話を聞いてすぐ一つ不安が生じた。なぜシズクがこんな話を知っているのか。そしてこんな経緯で生まれてきたシズクを、母親は愛することができたのだろうか。
「興味を失ったとは言っても、ファミリーの勢力拡大のための駒としては利用するつもりだったようで、そのために教育は一通り施されました。
でも駒として利用されることに不満はなかったんです……つい最近までは」
「最近まで?」
「一カ月ほど前のことでした。私はあの男にある場所に連れられて行ったんです。
そこは私が住んでいた屋敷なんかよりずっと大きな家で、あの男が何度も人に頭を下げているのを見ました。あの時はほんとに驚いたんです、いつも家では好き勝手に振る舞っていたのに。
そうやって少し驚きながらも、あの男が進む先についていきました。しばらく歩いてたどり着いた先はとっても大きな、それにすごく怖い感じがする男の人二人が立っている扉の前に到着したんです。ガラディアは震えながらその二人の男に挨拶してたのもよく覚えてます。確か「ヌエ」と「マムシ」って言ってたような。
ガラディアが何かを話すと男たちが扉を開いたんです。
扉の先には円状になった大きな机が置いてあって、そこには何人かの……おじいさんが居たんです。まるで本で見た「妖怪」みたいな、とても嫌な感じがしたんです。
父に連れられてその人たちの前に行って、そしたら突然……体を触られたんです。とても気持ち悪くって。
そこからのことは……あまりはっきりとは覚えていません。必死になって走って逃げました。逃げて、部屋の扉を抜けるとき、後ろからガラディアの怒鳴る声と、おじいさんや二人の男たちの薄気味悪い笑い声が聞こえたのだけはなんとなく記憶に残っています。
その後いつの間にか屋敷の中庭にいて、ガラディアに殴られて、引きずられながら家に帰りました。
その後私はあの男に笑いながら言われたんです。私はあのおじいさんたちへの貢物にされるんだと。そうすることであの男はもっと偉くなれるんだと」
その話を聞いたときは、本当にはらわたが煮えくり返るようだった。本当にこの世界は、向こうの世界と違いすぎる。人権が守られていない世界はここまで悲惨なのか。いや「俺」が知らなかっただけで、同じような話は向こうにもいくらでもあったのだろう。だがこの世界はあまりにも堂々と下衆がのさばっている。
「それからは必死でした。死んでもあのおじいさんたちのところに行くのは嫌だった。
なんとか見張りの動きや、屋敷の状況を確認して……昨日やっと……外に出れたんです。そしたらあんなことになってしまって」
「そうだったのね……」
昨日は彼女にとって千載一遇のチャンスだったということか。
「あのさ……一つ聞いておきたいの」
「何でしょう?何でも聞いてください」
「……あなたの、あなたの母親は今どうしてるの?」
「母は……もうファミリーを抜けています。ガラディアはもう母に完全に興味を失ったらしくて、「出してといったら出してもらえた」と喜んでいました」
「……じゃああなたの母親は、あなたを一緒には……」
「はい、母は私のことを嫌っていました。私がどうして生まれたかも全部母から……」
その時彼女の瞳からどうしようもなく、光が失われたのを感じた。きっともう何度も何度も絶望したのだろう。それに気づいたとき、あたしは涙がにじんで仕方なかった。
これは所詮、彼女からすれば陳腐な同情だ。昨日会ったばかりの人に、まるで何もかも分かったかのように同情され可愛そうだと思われるなんて、彼女だって嫌だろう。だけど、どうしても涙が止まらなかった。
「マ、マチさん!?」
気づいたら、俯く彼女を抱きしめていた。とてもじゃないが痛々しく見ていられなかった。出会ったばかりだけど……多少なりともあたしに気を許してくれているだろうから、あたしにできることをしてあげたかった。
「……マチさん、ありがと」
そういって涙する彼女を見て、私は一つの決意をした。
シズクの口調は成長するにつれて原作に近づけます。