まっちんぐっ!   作:やと!

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第1話

 

 

 

臭い、煙い、汚い。

 

 

 

 

 

どう考えても衛生環境最悪のこの場所に適応できるようになったのが二週間ほど前。今では一応まともな食事もとれる程度に稼げるようにはなったし、あたしの中にある「二つの記憶」のどちらよりも、なんだか充実している気がしないでもない。

 

 

 

 

 

まあなんだ、初めてここに来たときは「俺」も「私」も随分と戸惑ったものだけど、今にしてみれば人間やろうと思えば何でもできるものなんだなあと実感するいい機会だった。かつての「俺」と「私」、二つの記憶が混ざり合うことで今のあたしが作られてくれたのは幸運だった。

 

あたしの名前は「マチ」。

突然この世界にやってきてしまった、異世界人の記憶を持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたしが住んでいる場所は「流星街」という。

そこはありとあらゆるものを捨てることが許され、しかしそこから何かを奪うことは断じて許されない。そこは国家の空白地とされ、そこに住む人々は世界から人間と認められることはない。戸籍さえ持たぬゴミ屑というわけだ。

 

本来であればあたしの持つ記憶の片方、「俺」がかつて住んでいた世界にこんな場所は存在しない。なぜならここは漫画にのみ存在する架空の場所だったから。

 

 

 

「HUNTER×HUNTER」

 

 

 

「俺」の世界でかなりの人気を誇った少年漫画であるが、その内容は普通の少年漫画とは一線を隔す残酷な内容が多い作品であった。主人公である少年が、記憶にない父親の背中を追って「ハンター」と呼ばれる特殊な職業につき様々な困難に立ち向かっていく物語だ。

 

このハンターという職業が曲者であり、ハンターはその職をきちんとこなしていれば大抵のことが許されてしまう。それには殺人さえも例外ではなく、たとえばハンターの資格を取るための試験会場では人をいくら殺しても処罰されず、ハンターの中には自らが賞金首であるような存在までいる。そういったかなり狂った世界観を持つ少年漫画だった。

 

「流星街」はその中で登場するいわば世界中のホームレスが寄り集まったような、いやむしろ戸籍だけはもっている分ホームレスの方が幾分ましかもしれない、そんな人々が集まった場所なのだ。

 

そんな場所に「俺」は突然やってきてしまった。何の前触れもなく、本当に気づいたらこの場所に立っていた。そしてその後「私」の記憶と混ざり合ってどちらかといえば「私」寄りの今の『あたし』という人格が作られた。あたり一面がゴミの山、ゴミとゴミの隙間から謎の煙がもくもくと上がる姿に目が点になってしまったのも当然だと思う。

 

ここに来る前は普通の、どちらかといえば真面目な男子大学生だったようで、「向こう」での最後の記憶は大学の図書館で自習をしているというなんとも地味なものだった。それが気づいた時にはここに来ていたのだ。「向こう」では一人称は「俺」だったし、天涯孤独の身ではあったがさすがにこんな苦境に立たされたことはなかった。今の一人称である「あたし」からわかるように今の性別は女だ。だがそんなことを意識する暇もなく、この二週間は怒涛のように過ぎて行き、その間に随分となじんでしまった。ふつう体と心で性別が一致していなければかなり重大な問題が発生するはずだが、「憑依」したのであろうこの体の記憶が自然と混ざり合ったようだ。あたしは「俺」ではなく、「私」はあたしではない。なんとも不思議な感覚だ。

 

 

呆然として辺りを見渡した後、視点が随分と低いことに気づき体を見回してみると「俺」の身体とはかけ離れたがりがりの骨と皮の姿に愕然とし、「私」の身体だと気づき納得した。そして不思議と自分の身体から立ち上る蒸気のようなものが目に入り、一体自分の身に何が起きているのかもわからないまま、慌てて心を落ち着けようと努力した。そこで咄嗟にその行動をとれたのは原作の知識を持っていたおかげだろう。

 

その蒸気は「念」と呼ばれる、あちらの世界にはないこの世界でのみ存在する特殊な能力である。わかりやすく言えば、あちらの世界で想像の存在だった「気」のようなものといえばよいだろうか。実際はそれ以上に多彩なことが可能なのだが、それは後々考えることにしよう。「念」はいわば生命エネルギーその物であり、初めてこの能力を発現したときはうまくそれを押しとどめない限り、生命エネルギーが枯渇して力尽きてしまうのである。

 

だからあの時ただ慌てているだけであったら、あたしは死んでいただろう。結果的に運よくあたしは「念」を習得することができ、これのおかげでその後の流星街での生活がかなり楽になったと言えるだろう。今まではがりがりの身体だったが、今は「念」のおかげでいくつか小さな仕事を大人にもらって食い扶持には困らない最低限の生活は送ることができ、多少は筋肉もついてきた。念がなければどうなっていたことか。

 

 

 

さて正直な話、流星街に来てしまった以上に、「俺」が憑依し融合したこの体とその持ち主である「私」が問題であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは「私」の「マチ」という名前である。

 

知る人が聞けば分かるだろう。あたしはどうやら物語の登場人物であるようだ。

そしてなまじ物語の知識を知っているために、この体がいかにスペックが高くかつ危険性に満ちたものであるかがよくわかる。というの物語の世界は当たり前のように殺人や犯罪が起きている世界であり、「マチ」はその世界において最も凶悪な犯罪者集団「幻影旅団」と呼ばれる賞金首の構成員だったのである。「幻影旅団」とは簡単に言えば強盗殺人の常習犯なのだが、おこなう悪行はまさに鬼畜外道、吐き気を催す邪悪という表現がふさわしい、ほかの犯罪者集団とは一線を隔す狂った人間たちだった。世界でも有名な美しい眼球を持つ部族を皆殺しにして目をくり抜いたり、マフィア主催の競売で出品された貴重品を奪うためにマフィア皆殺しにしたりとやりたい放題で、と聞けば聞くほどこの世から去ってほしい存在だ。

 

そんなかつての「私」の未来を知り一時は絶望したあたしだが、幸運にも犯罪を犯したような記憶はなく、幻影旅団とも出会っていない、一人の無力な少女だった。それを思い出したとき盛大に安堵のため息をついたのは言うまでもない。もし既に幻影旅団の構成員と出会っていたら確実に犯罪に手を染めていただろうし、それを諌めることも、旅団から抜け出すこともできなかったに違いない。そんなことをしようとすればクロロやらウヴォ―やらにぶち殺されてしまうだろう。拷問好きなフェイタンやフィンクスにつかまったりしたら目も当てられないことになる。

そう考えれば奴らとの出会いがないのは行幸だった。これだけでも勝手に「私」と融合してくれた「俺」に感謝である。「俺」の記憶がなければあたしは将来あんな殺人を楽しめるような人種になっていたのかと思うと背筋が凍るというものだ。

 

だが安心もしていられない。一応初めてここに来た場所、「私」がいた場所からかなり距離をとって隠れながら生活しているが、いつ奴らと接触する羽目になるかわからない。物語の中では流星街にいた時から既に旅団員は知己となっていたようだし、「私」がいた場所から離れる前は結構な頻度で嫌な予感がしていたから、あそこから離れたのは正解だろう。原作通り「マチ」であるあたしには驚異的な直感が備わっているようで、かなりありがたい。

 

だから私は早々に流星街を抜け出そうと思う。そのためにもある程度まとまった金、そして戦う力が必要だ。

 

そう考えながら二週間ほど、念の鍛錬をかねて流星街の居住地域で仕事をこなす毎日を送っている。

 

 

 

 

 

 


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