IS学園特命係   作:ミッツ

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今回は少々詰め込み気味になっています。物語の今後を占う上で重要な回になっていますのでご了承ください。


夏夜の記憶

 青い空、白い雲、そして真夏の日差しが降り注ぐ中を赤き鳥が舞い遊ぶ。

 そんな情景を目の当たりにした生徒たちは感嘆の声を上げていた。その声を背にし、篠ノ之束が惜しげも無くその豊満な胸部を張る。一方彼女の横では横では千冬が仏頂面で腕を組んでいる。

 

「ねえねえ、凄いでしょちーちゃん!そん所そこらのポンコツを置き去りにする唯一無二の第4世代!白と対を為すたった一つのさえた紅!やっぱり時代はNo.1でオンリーワンだよねっ!」

 

はち切れんばかりの笑顔を幼馴染に向けながら束は、自身が制作した第4世代型IS『紅椿』の説明をする。

 現段階ではIS先進国と呼ばれる国々でさえ第3世代型の試験運用の域に入ったばかりである。第4世代などコンセプトさえ定まっていないのだ。

 だからこそ、束の造り出した紅椿は現時点での世界の最先端、並ぶもののない世界最高の機体と言ってよいのだ。

 ゆえに、千冬の眉間にはますます深い皺が出来る。

 

「ああ、確かにすごいな。だが、機体の性能に操縦者の技量が追い付いていないのが問題点だ。」

 

 あらゆる競技の勝敗は道具の優劣によって決まるものでは無い。当然、ISにもこれは当てはまる。

 紅椿は間違いなく現時点での世界最強のISと言える。だが、その操縦者である箒の実力はIS学園の生徒として並の域を出ない。いや、学園に入学するまでISに関わる事を避けてきた箒のISの操縦技術は、1年生内でもかなり下の方だと千冬は見ていた。持って生まれてきた才能か、それとも剣道で培われてきた実戦経験の賜物か、かろうじて人並みには動かせると言ったところである。

 少なくとも、紅椿の性能を十全に発揮するには余りにも実力が不足していると断言できる。

 

 そんな千冬の指摘を受けても、束は楽観的な笑みを浮かべる。

 

「うん?そんなん大丈夫っしょ!いっくんだって、ついこの間まで素人だったんだし。これからの訓練次第でどうにでもなるっしょ!」

 

「…だからと言って、始めから高級な玩具をやる必要はない。それに、あいつだって白式の能力を生かし切れているわけではない。まだまだ実力不足だ。」

 

 身内の所為か、千冬の口からは普段より辛辣な評価が出る。

 そもそも、篠ノ之箒は代表候補生でもない唯の生徒である。前回のタッグマッチトーナメントでもハプニングがあったとはいえ、目を見張る成果を上げているわけではない。そんな生徒がいきなり専用機、それも既存のISの性能を大きく上回る機体を与えられれば周囲はどう思うか?

 指導者としても、教師としても、今回の束の行動は千冬にとってあまり喜ばしい事では無かった。

 だがそれを言ったところで、自分が興味を向ける人物以外には冷酷なほど無関心な束が考えを改めるとは思えなかった。むしろ、妹に危害を加えるかもしれないクラスメイトに対し、何らかの手段を持ち出すことを考えると迂闊な事は言えなかった。

 

「しかしながら、箒さんの安全といった観点からすれば、それほど悪くは無いと言えるかもしれませんよ。」

 

 不意に千冬達は背後から声を掛けられた。振り返るとそこには杉下と亀山がいた。

 

「篠ノ之博士の名はISのコアを作れる唯一の人物として世界中で知られています。そのため、何が何でもISが欲しいと言った人間からすれば、博士の身柄を自分達の下に置いておきたいと考えるのは必定です。しかしながら、当の本人は行方知れず。どこにいるか分からない以上、自分たちの下に置いておくなどできません。それならば、博士の身内を人質に取り、意のままにしようとする輩が現れぬとも言えません。」

 

「そう成ると、真っ先に狙われるのは血の繋がった妹である箒ってことになるわけっすね。それに、博士は家族の中でも箒だけには特別な親愛の気持ちを持っているって聞いたことが。」

 

「そうなんですよ亀山君。しかも博士のご家族は政府の重要人物保護プログラムを受けているため、名前を変え、居住地も転々としていると聞きます。ですが、箒さんは今年度よりIS学園に入学するため名前を本名に戻しました。そして、篠ノ之束の妹がIS学園にいるという情報は世界的に知られています。」

 

 杉下が人差し指を上に向けながら話す様子を千冬は静かに見つめ時折相槌を打つが、束は杉下たちに背を見せたまま一言も発しない。

 

「IS学園もセキュリティといった点では国内でも屈指の施設です。しかし、いかに強固なセキュリティシステムであったとしても絶対という保証もありませんし、箒さんの周囲を常に監視しておくわけにもいきません。であるなら、箒さん自身が自衛するための手段としてISを所持するのは当然の事と言えるかもしれませんねぇ。」

 

「は?別に自衛の為じゃなくても箒ちゃんが最高のISを持つのは当然じゃん。なに勝手な解釈して得意になってんだよ。」

 

 恐ろしく無機質で、冷たい声がその場に流れる。持論を正面から否定され、罵倒に近い言葉を投げかけられながらも杉下は表情を一切変えず、黙って声の主を見つめていた。

 その視線の先で篠ノ之束は心底呆れたとでもいうように杉下に見下した視線を向けている。そこに、つい先ほどまで千冬に向けていた親愛の情は一切含まれていない。

 

「大体なんなのお前?いきなり私とちーちゃんとの会話に割り込んできてさ。正直言ってお前みたいなやつに割く時間なんて束さんには一秒もないんだよね。いまだってちーちゃんと愛を語らいたいのを我慢して話してやってるんだよ。そこらへん解ってんの?解ってるならその口を閉じて二度と開かないでくれゲフッ!」

 

「口が過ぎるぞ。年長者に対する態度というのを少しは弁えろ。」

 

 手加減なしの拳骨で強制的に黙らせ、千冬は束を窘める。その様子を見た周囲の人間は呆気にとられる。

 世界で最も頭が良いと言ってもよい人間と、名実ともに世界最強の人間が目の前で殴り殴られている光景を見れば無理もないだろう。

 ただ一人、杉下右京だけが動じていなかった。

 

「いえいえ、篠ノ之博士の言うことは尤もです。まずは突然会話に割り込んでしまった非を謝罪します。そのうえで自己紹介を。私はIS学園特殊事例命令管轄係の杉下右京です。どうぞよろしくお願いします。」

 

 そう言って杉下は束に向かって手を差しのべながら、柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

 

 その日の夜、亀山と杉下は夕食後に旅館の露天風呂で一息ついていた。源泉を使っている温泉なだけあって、中年の体に溜まった疲れも一気に抜けていく開放感を二人は味わうことができた。

 ふー、と大きく息を吐くと亀山は手でお湯を掬い顔を洗う。

 

「ああ、いい湯だなあ~。ほんと生き返るっすね。」

 

「ええ、風呂は魂の洗濯とも言います。体の汚れを落とし、お湯で温ったまり代謝を活性化させ疲れを取る。そうすることで明日への活力が生まれ、一日を健やかに過ごすことができるというものです。」

 

 いつになく饒舌な様子から杉下がすこぶる上機嫌だということがわかる。英国趣味を愛好しているとはいえ杉下も生粋の日本人。お湯に浸かってリフレッシュする文化を心から楽しむことができる。

 すると亀山が声を潜めながら切り出す。

 

「それにしても、強烈でしたね篠ノ之博士は。今までになかったタイプの人ですよ。」

 

「はい。彼女に関する噂は以前聞いたことがありましたが、まさかあれほどとは…」

 

 杉下が昼間のことを思い出しながら言うと場に静寂が流れる。杉下への束の対応は失礼や無礼と言い表せるものであり、IS学園の生徒をしても眉を顰めるものであった。

 特に杉下を尊敬するセシリアなどは最初こそ束に羨望の眼差しを向けていたが、束が杉下に向けて発言するたびに瞳に険が帯び始め、もしその後の事が起きなければ束に物申していただろう。

 その事を思い出し、亀山が盛大にため息をつく。

 

「ほんと、なんで俺なんすかねぇ…」

 

「…ある意味理由としては当然だと思いますよ。」

 

「いや、でもだからって!」

 

 そう、それは篠ノ之束の人成りを垣間見た者たちにとってはあまりにも予想外のことだった。まさかあの篠ノ之束が初対面の亀山を気に入るとは…

 

 

 

 時間は昼間に巻き戻る。

 杉下が笑みを向けるも束は興味無さげに差し出された手を一瞥するのみであった。その様子に千冬が再び拳を振り上げようとするが、それより先に束は杉下の横にいる亀山に顔を向けると、途端に喜色を浮かべる。そしてそのまま亀山に突撃した。

 

「うわーい!初めましてカメ君!ずっと会いたかったよっ!」

 

「えっ!?なんっ、ちょっ!!」

 

 あまりにも突然の出来事に亀山は大いに狼狽する。似たような悪戯は楯無にもされたことがあるが、あの時には既に相手の性格もある程度知っていたため何とか冷静に対応できた。

 だが今度ばかりは勝手が違う。なんせ相手は世界中にその名を轟かせる大天才。しかもつい先程まで杉下でさえ無しの礫だった相手だ。そんな人物が何故いきなり自分に親愛の情を向けてくるのか理解できず、亀山を大いに慌てさせた。それに加え、当たるのだ。胸に宿った大いなる双球が。二回り近く年の離れた女性から男としての部分を刺激され、亀山に冷静な判断ができる状態ではなかった。

 こういった時に助け舟を出してくれるはずの上司も、この展開は予想外だったのか微笑みを向けたままの状態で固まっている。いや、よく見れば口元が先ほどに比べ僅かに上がっているので、単純にこの状況を楽しんでいるのかもしれない。

 一方で千冬はというと、こちらは完全に意表を突かれた様子であり、拳を振り上げたままの状態でぽかんと口を開けてしまっている。彼女がこのような間抜けな表情をするのは非常に珍しい。

 だが、篠ノ之束という人物よく知る者こそ、その反応は正しいといえるだろう。見れば、箒や一夏なども千冬と同様の顔をしている。それ以外の生徒たちも束のあまりの変わりように、すっかり毒気を抜かれてしまっていた。

 そうした状況の中で、亀山は何とか束の拘束から抜けると、混乱する頭で何とか意味のある言葉をひねり出した。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!いきなりなんなんだよ!俺と君とは初対面のはずだろ?なのに何でいきなり!?」

 

「うん?そりゃあ当然カメ君が箒ちゃんの恩人だからだよ!」

 

「恩人って…」

 

「ほら、クラス対抗戦の時助けてくれたじゃん!携帯投げ飛ばして無人機の気を逸らしてさ。」

 

 束の言葉に亀山は数か月前のことを思い出す。束が言っているのがクラス対抗戦で亀山が怪我をした事件を言っているのはすぐに理解できた。だがそれ故に、亀山の脳内にある疑問が浮かんだ。

 

「なあ、君はどうしてそのことを知ってるんだ?確かにあの事件は世間に公表されたが、俺が携帯を投げて気を引いたことなんて公表されてなかったはずだぞ。」

 

 件の事件において世間に公表されているのはIS学園が謎のISによって襲撃されたというものだけである。それ以外の部分は捜査機密として厳重に情報規制されているはずだ。それこそ、IS委員会や警察上層部でしか知られていない。にも拘らず、束は公表されていないことをさも当然のように知っていたのだ。

 加えて、特命係の間では襲撃事件の有力容疑者として束の名が挙がっている。亀山の目に疑念の色が帯びるのも致し方ない。

 

「ふふーん!そんなのIS学園のカメラのハッキングして見てたに決まってんじゃん!束さんを舐めてもらっちゃ困るよ。あんなセキュリティじゃ束さんは止まらないのさ!」

 

 さらりと不正行為を暴露されたがそれを気にする余裕は亀山にはない。先ほど杉下が言ったように、IS学園のセキュリティは日本でも屈指のものだ。それはサイバー空間でも同じであり、官省庁のデータバンクと同レベルのセキュリティが敷かれている。

 それを難なく突破し、潜入されたことさえ気づかせない辺りに篠ノ之束の非凡さを改めて知り、亀山は顔を引きつらせる。

 

「まっ、そういう事だからさ。今後何かお願い事があったら遠慮せずに連絡してね!箒ちゃんみたいにね。連絡先は後で送っておくからさ。どんなお願いことだって束さんの力で叶えてあげるよ!」

 

 そう言って溢れんばかりの笑みを浮かべる束。その姿に何か得体のしれない凄惨さを感じ、亀山は人知れず背筋が寒くなっていた。

 

 

 

 

 あの時の事を思い出し、温泉に入っているにも関わらず亀山は体を震わせる。

 今まで出会ってきた人たちの中で飛びぬけて個性的な人物であった。同時に底知れぬ恐ろしさを感じる狂気を宿しているようにも思えた。

 あの種の人種は自分の思想や目的の為に、躊躇せず法の壁の超え、他人の犠牲を無視して突き進んでいける。そう言った確信が亀山の中で芽生えていた。その一方で…

 

「なんだかなぁ…いや、でも…」

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、なんていうんすかね。親近感、じゃないっすけど、既視感みたいなのを束博士から感じるんっすよね。初めてあった人のはずなんすけど…」

 

 あんな人間一度でもあったら忘れられるはずがないのに、と亀山は付け加える。

 そうして亀山が首をかしげていると、入り口の扉が開き若い男性が入ってくる。一夏であった。

 

「あっ、薫さん、右京さん、お疲れ様です。」

 

「おう、お疲れ。なんだ、お前も今から風呂なのか。」

 

「はい。とはいっても2回目なんです。さっき部屋で千冬姉とセシリアのマッサージしてたら汗かいちゃったんで。」

 

 何事もなかったように宣う一夏に亀山は軽く戦慄した。姉に対してはともかく、同年代の女子、それも明らかに好意をもって接してきてると傍目からでもわかる相手にマッサージをし、平然とそれを人に話すことのできるとは。しかも相手は1年1組でもトップクラスのプロポーションを誇るセシリアである。

 相変わらずの朴念仁ぶりに亀山も苦笑いをせずにはいられない。

 

「ところで一夏君。織斑先生と篠ノ之博士は古くからの友人という風に聞いてますが、君とも昔から関係があったのでしょうか?」

 

「俺と束さんがですか?そうですね。俺が千冬姉にくっついて剣道を始めた頃からだから、小学校1,2年の頃からの付き合いです。」

 

「君から見て、篠ノ之博士はどういった人でしょうか?」

 

「…難しいですね。あの人はいろいろと規格外だから…」

 

 一夏の言葉に亀山と杉下は深く頷く。

 

「あの人、俺や千冬姉、それと妹の箒には滅茶苦茶甘いんです。偶に無茶な事もさせられましたけど。でも、それ以外の人には冷酷、というより最初から興味が無くて無関心でした。だから、今日みたいに薫さんに心を開いているのは正直意外なんです。」

 

「お前たち姉弟や箒以外に仲の良い知り合いはいなかったのか?」

 

「俺の知る限りはいません。親に対しても自分を生んでくれた、という感情以上の物を持てなかったそうなんです。ISが出来たばかりの頃はいろんな人が会いに来ていたみたいなんですけど…」

 

 一夏の言葉の先を察し、亀山と杉下は押し黙る。そもそもいくら優秀な人物であろうと、あのような性格の持ち主に自分から積極的に交流を持とうとする人物など、下心のある者か余程のモノ好きだろう。

 そして下心を持って接しに来る者は、束の様な自分の研究に誇りを持って取り組む研究者が最も毛嫌いする人種だ。彼らが束によってどのような仕打ちを受けたのか、想像に難くない。

 

「……あ」

 

 先ほど感じた既視感の正体を掴み、亀山の口から思わず声が漏れる。杉下と一夏がそれに反応し、訝し気に亀山に視線を向けるので亀山は慌てて取り繕った。

 とてもではないが言えたものでは無い。

 

 その優秀さから羨望と嫉妬を集め、他人を遠ざけ、孤立した天才。奇抜な行動で周りを振り回し、親しい人にも稀に無茶をやらせる。妙に芝居がかった話し方をし、本心を推し量らせようとさせない。人の好き嫌いが激しく、興味がある事にはトコトン向き合うが、それ以外には殆ど関心を向けない。そして何より、強すぎる理想の為に暴走することも辞さない。

 

 

 

 まるで、昔の右京さんじゃねえか…

 

 亀山は自分の胸中で小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 完全に日が落ちた夜の砂浜。そこに二人の女性が対峙している。昼間の暑さは疾うに過ぎ去り、潮の香りの纏った心地の良い風が、親愛の笑みを浮かべた片方の女の顔を優しくなでる。

 だが、対峙するもう片方の女性の眉間には深い皺が作られていた。

 

「どうしたのかな、箒ちゃん?こんなところにお姉ちゃんを呼び出して。もしかして、いっくんに関する相談事かな!?だったらお姉ちゃんが出来るアドバイスは一つだけだよ。まずは夜更けにいっくんが寝ている部屋に忍び込んで…」

 

「あなたに聞きたいことがあります…」

 

「うんうん!!何かな何かな?」

 

「一夏の、両親についてです…」

 

 その瞬間、束の表情が確かに固まった。薄明かりの中、ほんの一瞬の事ではあったが箒は間違いなくそれを確認し、己の中にある疑念をより強くさせた。

 

「……なんで箒ちゃんはいっくんの親の事を聞こうとしてるのかな?しかも私に。」

 

「…一夏の両親が失踪した時の状況を詳しく知っている方に会ったんです。その人によると、一夏の両親が失踪した状況は親が子供を捨てた状況にはとても当てはまらないそうなんです。むしろ何か事件に巻き込まれた可能性の方が圧倒的に高いと。にも拘らず、千冬さんや一夏は自分たちは親に捨てられたと言っているんです。」

 

「それが箒ちゃんにとって疑問だと言うなら、束お姉ちゃんはそんなにおかしくないと思うよ。だって、ちーちゃんやいっくんにとっては親が突然自分たちの前からいなくなったのには変わりないし、捨てられたも同然だって思っても不自然じゃないんじゃないかな?」

 

「…私には少し苦しいように思えます。それに、一夏の記憶には不自然な点があります。それこそ、私が本当に疑問に思っていることです。」

 

 再び笑みを浮かべていた束に対し、箒は強く言い放つ。いつの間にやら、詰問のような言い方になっていた。

 

「一夏は当時の事を全く覚えていないそうなんです。正確には両親が失踪した以前の記憶、いえ、両親の事さえ何一つ記憶にないんです。普通有り得ますか?いくら幼少期の事とはいえ、親との思い出が全く無いなんて。少なくとも私には幼稚園の頃に父や母と遊んだ記憶があります。けれど一夏には遊んだ記憶どころか、顔や面影すら思い出せないんです。まるで、親に関する事だけを綺麗すっぱり、抜き取られたみたいに…」

 

 箒はいったん言葉を切り、束を強く睨み付けるが先ほどのように表情に大きな変化は見られない。

 

「……話を続けます。記憶について少し調べてみました。現代の科学では人の記憶を一時的に思い出させない様な事は出来ても、完全に消し去る事は出来ないようです。ですが、10年以上前、日本のある女子小学生が人の記憶を自由に弄くれる装置を開発し特許を取って一部でちょっとした騒ぎになったそうです。結局眉唾物の奇天烈発明としてですけど…その装置を開発したとされ、新聞で紹介されたのが当時まだ無名だった篠ノ之束博士、あなたです。」

 

 箒から名を呼ばれても束の表情に変化はない。ただ、ニコニコと笑みを浮かべるのみである。その様子に箒は初めて不気味さを感じたが、心を奮い立たせ追及を続ける。

 

「確かに、記憶を自由にできる装置なんて普通は信用できません。でも、その開発者があなたならば、有り得ない物も有り得る物に変わる。あなたは一夏の両親のトラブルに関わり、その記憶を消すために装置を使って一夏の記憶を」

 

「それが真実だとして、箒ちゃんはどうするつもりなのかな?」

 

 箒に最後まで言わせず、束が唐突に質問をする。箒は頭に血が上るのを感じたが、次の瞬間気づいてしまった。

 束は無表情だった。普段なら自分が一切興味を示さない者たちに向ける視線を箒に向けていた。

 それは箒にとって初めて姉から向けられるものであり、知らず知らずのうちに寒気を感じ両腕を抱えていた。

 

「箒ちゃんはさ、私から答えを聞いていっくんにそれを話すつもりなの?それでいっくんがどう思おうと、いっくんからどう思われようと。」

 

「わ、私はただ、一夏が自分の両親について正しい真実を知らず、捨てられたなどと思っていてはいけないと…それに、あなたが関わっているというのなら、私はあなたに代わって一夏に真実を伝える義務が!」

 

「その真実がいっくんをどういう状況に追い込むか箒ちゃんには想像できる?ちーちゃんが教えない様な真実なんだよ。それを知って、いっくんはどう思うだろうね。知りたくもない真実を教えられて、酷く落ち込むかもしれないね。箒ちゃんの事嫌いになっちゃうかもしれないね。もしかしたら、死んじゃいたいと思っちゃうかも…」

 

 

 

 

 

 

 

「それでも箒ちゃんは真実が知りたい?」 


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