今回はその事を念頭に置いて読んでください。
IS学園における杉下右京の評価は実のところ、かなり高い。去年一年間は体育の教師を務めていた杉下であったが、彼は基本的に職務には真面目で教え方も上手かった。
声を荒げることはほとんどなく、常に紳士的な対応で生徒たちに接する。それでいて生徒を叱る時には冷静に諭すように過ちを指摘し、生徒がきちんと反省できるように配慮する。ISが世に広まり、女性が台頭する時代になってからはめっきりと減ってしまった男性像が杉下にはあった。女性に優しく、それでいて卑屈ではなく、誇り高い高潔な精神を持つ彼の姿勢は某イギリスからの留学生をして、今は失われし英国紳士の真の姿と讃えられた。
そうした精神的部分以外でも杉下は高い素養を示している。僅か一年前まではISと何の関わりも持っていなかったにも拘らず、今ではIS学園の教師に勝るとも劣らぬ知識量を有し、体育の授業ではスーツ姿のまま陸上部の生徒に徒競走で勝利したという未確認情報もある。そんな杉下の事をラスボスだとか、警視庁が開発した生体サイボーグなどと陰で呼ぶ生徒も存在した。
しかしながら、この世には「完璧な人間など存在しない」という言葉がある。別の言い方をすれば人には誰しも苦手なものがあると言ったところだろうか。例えば、勉強もスポーツも得意な高貴な家柄が出自の少女が実は壊滅的に料理が下手くそだったり、世界最強の称号を持ち世界中の少女たちから尊敬と称賛を受けるお姉さまが実は家事が出来ず家の仕事を弟に丸投げしていたり等々、どんなに完璧に見える人間にも欠点はあるものだ。
つまり何が言いたいのかというと、杉下右京にも欠点があるわけで…
それは鈴が特命係の部屋に殴り込みをかけてきた翌日の事である。
その日の放課後、杉下は部屋で一人資料を確認しつつ日誌を記していた。現在亀山は部屋にいない。何でも、昨日の放課後、また生徒寮の設備が破損したとかでその修理に赴いている。どうやら生徒同士のいざこざがあったそうで修理がてら詳細を調査するそうだ。
杉下が今日あった出来事について記していると、部屋のドアが遠慮がちにノックされた。
「どうぞ、開いてますよ。」
杉下が素声をかけると、失礼しますという声とともにドアが開かれた。そこから顔を覗かせたのはIS学園で唯一の男子生徒である織斑一夏であった。
「これはこれは、こんにちわ一夏君。」
「あ、どうも、こんにちわ杉下さん。えーと、薫さんはいないんですか?」
「ええ。亀山君は仕事で少し出ています。何か御用がありましたか?」
「あ、はい。薫さんにちょっと相談したいことがあったんですけど…」
「…その相談事とは、もしや君の顔の腫れと関係があるのではないですか?」
「えっ!!」
杉下の指摘に一夏は思はず左頬を抑える。一夏が手で覆った場所は杉下の言う通り赤く腫れていた。通常頬が晴れるとなると虫歯やお多福風邪などが考えられるが、昨日会った時点で一夏にはそれらの病の兆候は見られず、現時点でも腫れ以外に体調を悪くしている様子は見受けられない。
となる外的要因による腫れ、例えば誰かから張り手を受けたことによるものと杉下は判断したのだった。それはつまり、一夏が何らかのトラブルに巻き込まれたことを示唆していた。
「昨日会った時点で君には悩みがあるような様子はありませんでしたから、トラブルに巻き込まれたとすると昨日の昼休みから今日の放課後の間になると考えられます。更に、昨日の夜、寮において君の同居人である篠ノ之さんと凰さんが言い争いをしていたという話も聞きましたので、その事が関係しているのではないかと思ったのですが…」
情報源は2年生の新聞部員だ。杉下たちは彼女の事を優秀な情報屋として利用させてもらっている。以前亀山は彼女たちの情報能力は生徒たちに関する事なら更識家よりも上を行くのではないかと語っている。
「すごいな杉下さん…まるで名探偵みたいですね。」
「いえいえ、細かい事が気になってしまう質でして。ところで、その相談ですが亀山君の代わりに僕が聞いてあげることはできないでしょうか?」
杉下の申し出に一夏は悩む素振りを見せる。実のところ、一夏は杉下の事を少々苦手としていた。一夏は杉下と以前から何度か会ってはいるが、別に杉下から何かをされたわけではないし、気に入らない点があるわけではない。ただ、杉下の教師然とした姿を見ると、どうしても委縮してしまう。職員室に入ると意味もなく緊張してしまう男子としての性質を一夏もまた保持しているのだ。
しかしながら、現在一夏が抱えている問題は彼にしては割と深刻なもので、できれば早急に対処しておきたいものだった。確かに杉下の事は苦手だが、あの亀山が信頼している人物なので悪い人では無いと一夏は思っている。せっかく相談に乗ると言ってくれてるので、ここで断りを入れるのも失礼に当たるだろうと一夏は意を決した。
「じゃあ、聞いてもらえますか?」
「ええ、君の身の回りのサポートが僕たちの仕事ですので。」
そう言うと、杉下は一夏に出すお茶の準備を始めた。
「なるほど。それでは君は篠ノ之さんと凰さんが言い争いをしているのを仲裁しようとしたところ、凰さんから1年前にした約束を覚えているかと聞かれてそれに答えると、凰さんが怒り、君にビンタを浴びせたというのですね。」
「はい。俺、どうして鈴があんなに怒っていたのかわからないんです。理由を聞かせてもらおうとしたけど目も合わせてくれなくて…アイツとは付き合いが長いけど、あんなに怒ったのを見るのは初めてかもしれないです…」
そう言うと一夏は顔を暗くし溜息をつく。その様子からも鈴と喧嘩している状況が彼の本意でないことが分かる。だが、なぜ相手が怒っているのかが分からない以上、何に対して謝っていいのかが分からないのだろう。
「僕も凰さんと会ったのは昨日の一回だけですからねえ。一夏君、君が凰さんについて知っている情報を話せる範囲で聞かせてもらってもよろしいですか?」
「鈴についてですか?はい、わかりました。」
それから杉下は一夏から鈴に関する情報を集めた。趣味、好み、家庭環境、特技、苦手なもの、好きな異性のタイプ、将来の夢、一年前に日本を離れた経緯、小中学生の頃の印象的なエピソード等々…
そう言った情報の中から今回の出来事に関係のありそうなことを抜き出し、それを一夏と鈴がしたという約束事と絡ませていくうちに、杉下はある仮説にたどり着いた。
「一夏君、君が凰さんと1年前にした約束というのは『料理がうまくなったら、毎日酢豚をおごってくれる』というので間違いないですか?」
改めて聞くと、誠に珍妙な約束事だと思う。だがしかし、この約束事が鈴が激怒した原因であると杉下は確信していた。
「うーん…多分そんな感じだったと思うんですけど、一問一句間違えてないかと言われると自信が…」
「おそらく、君は約束事を勘違いしています。正しくは『料理がうまくなったら、毎日酢豚を作ってあげる』ではないでしょうか?」
「あ、そういえばそうだった気がします!でも、それって何か違いがあるんですか?おごってもらうのとあまり変わらないような気がするんですけど…」
「表面上は同じように聞こえます。しかし、この場合重要なのは、凰さんが料理を作ってくれる、という点です。一夏君、凰さんは料理が得意でしたか?」
「いや、どちらかというとあまりうまくなかったと思いますけど…」
記憶の中にある鈴の作った料理はお世辞にもおいしいと言えるものでは無かった。もっとも、姉である千冬に比べれば大分マシではあったが、鈴の父親の作る中華料理とは雲泥の差があった。
「つまり、料理がうまくなったらというのは凰さんの決意表明だったわけです。彼女にとって重要だったのは自分の作った料理は君に食べてもらう事だったんです。」
「俺に料理を食べてもらうことが……そうだとしたら、どうして鈴はあんなに怒ったんですか?」
「それについてですが、一夏君から見て凰さんのご両親の夫婦仲はどう見えましたか?」
「え?そうですね…普通に仲が良い夫婦に見えてました。だから、急に離婚するって聞いた時は本当に驚いたんです。」
「ご両親が離婚したために凰さんは母方の実家がある中国に移ったのでしたね。そして日本人である父親の方は日本に残ったと。」
「はい。鈴のおやじさん、離婚してから相当老け込んじゃって…店は今もあるんですけど、偶にすごく寂しそうな顔をするんです…鈴も親父さんと仲が良かったから…」
「そう、それです。今回の凰さんが激怒した理由は恐らくそこにあるのでしょう。」
「えっ!どういうことですか?」
「凰さんは両親の離婚が原因で父親と離れて暮らさなければならなかった。彼女は父親と仲が良かった云う事ですので、父親の作る料理にも特別な思いがあったとしてもおかしくないでしょう。そんな中、中国へ行く直前にした君との約束には特別な思いが込められていると考えられます。」
「料理がうまくなったら、毎日酢豚を作ってあげる…あっ!まさかこれって!」
「そうです!凰さんは敬愛する父親の料理に少しでも近づけるように中国に行っても料理の練習をしていたのでしょう。そして、店の常連であった君に自分の腕がどれほど上がったのか確かめてもらいたかったんです。父親を喜ばせるために。」
杉下の出した答えに一夏は愕然とし、己の頭を抱えた。
「なんてこったい…鈴が親父さんの事をそんなに思ってただなんて…それを俺は自分の都合のいいように解釈して…クソッ!俺はとんでもない馬鹿野郎だ!」
自分に対する怒りの為か、一夏は悪態をついて壁を殴る。
最早読者に対して説明する必要はないかもしれないが、今回の杉下の推理は全くと言っていいほど的外れなものだ。鈴は確かに両親の事を敬愛しているが、一年前に一夏とした約束に、父親の料理に対しての思いなどは込められていない。彼女が一夏にした約束には『私の作った味噌汁を毎日食べて!』的な意味が込められているのだ。そして、杉下が鈴の真意に気付けなかった理由こそ、杉下右京の欠点ともいうべきものなのだ。
要するに、杉下は恋愛感情の機微を察するのを不得手とする女心鈍感人間なのだ。しかも本人にはその事についてあまり自覚がないらしい。捜査一課の芹沢などからは、同じく女心に疎い伊丹と合わせて『女心わからないブラザーズ』と称されている。※公式設定です
ちなみに、杉下は数日前にセシリアから「と、殿方に振り向いてもらうにはどうしたらいいのでしょうか?」と聞かれた際、「……名前を呼べばいいのではないですか?」と、大真面目に答えている。
当然そのようなことは知らない一夏は杉下に解決策を求めた。
「杉下さん、俺はいったいどうしたらいいんですか?」
「まずは凰さんにきちんと謝る事です。誠意を持った対応をすれば、凰さんも分かってくれるはずです。そして、必ず約束を果たすことが大切ですね。」
「そうですね…ありがとうございます!おかげで鈴と仲直りできそうです。それと…最後に一つだけお願いなんですけど…今度から右京さんって呼んでもいいですか?薫さんみたいに…」
一夏からの申し出に対し、杉下は優し気な笑みを浮かべながら答えた。
「もちろんかまいませんよ。そもそも、僕たちは教員ではないのであまり畏まる必要もありません。」
「はい!ありがとうございます杉下さん…じゃなかった右京さん!じゃあ、さっそく鈴に謝ってきます。」
そう言って頭を下げると、一夏は部屋を出て行った。その後姿を杉下は満足げに見送っている。
こうして杉下と一夏はお互いに信頼関係を結ぶことになった。そしてそれは、のちにIS学園の生徒たちから『恋愛感情鈍感師弟タッグ』と恐れられる最強のコンビが誕生した瞬間でもあった。
そんなこんなでクラス対抗戦当日である。この日までの間、一夏の周囲ではこれといったトラブルは起こっておらず、自ずと特命係の仕事も少なくなっていた。基本的に一夏の生活面のサポートを主な仕事とする関係上、一夏が不足なく生活できていれば特命係の暇なのだ。亀山はちょくちょく一夏が訓練している様子を確認していたが、専門的な指導が出来ないため、遠くから声をかける位しかしていない。
そう言った状況下でありながら、一夏は着実にISに慣れつつあるという話である。元々素質はあるらしく、代表候補生のセシリアの指導や専用機のスペックなどもあり、代表候補生が相手であってもよっぽどのことがなければ無様な敗北はしないだろうというのが杉下の見立てである。
そして今、すでに一回戦の第一試合は開始され、アリーナ中央では白銀のISを纏った一夏が赤黒いISを纏った鈴と相対している。杉下と亀山はその様子をピットのモニター室で観戦していた。前回の模擬戦を二人がアリーナの客席で観戦していたことを知った真耶が、折角だからモニター室で観戦してみないか、と二人を誘ったのだ。断る理由はなかったので杉下たちはそれを了承した。モニターの前には二人以外にも千冬と真耶、そしてセシリアと箒もいる。
「それにしても、見えない攻撃ってのは厄介っすね。今のところ一夏は避ける事しか出来てないですし…」
「衝撃砲…空気を圧縮し砲弾として打ち出す武器でしたか。砲弾だけでなく砲身自体も不可視であることに加え、予備動作の必要もなく、残弾数やリロードの心配もなく、射角も自由自在となれば、本当の意味で死角がないと言えますねえ。」
「何とかならないっすかねえ?」
「これに関しては僕ではなんとも…山田先生はどう思われますか?」
「えっ!私ですかっ!」
唐突に話を振られ、真耶は大げさに狼狽する。しかし、そこは天下のIS学園教師。すぐに持ち直すと一夏と鈴の戦闘を解説してみせる。
「えーとですね。確かに凰さんの機体の武装…龍砲には一見死角がないように思われます。しかし、攻略法がないわけではありません。衝撃砲の特性上、一旦空気を吸い込み、圧縮したうえで発射するという工程を踏まなくてはなりません。そのため機関銃のような連射性には乏しいです。更に砲弾自体が空気のため、衝撃自体は大きくてもエネルギーシールドを削る破壊力は通常の兵器に比べやや下回るところがあります。」
「けれど、攻撃が見えないんじゃ避けるのも難しいですし、結局はジリ貧になるんじゃないっすか?」
「不可視の攻撃とはいえ、まったく攻撃が見えないというわけではありません。空気の流れには当然変化が起きますし、周辺の温度との差も生まれますからハイパーセンサーの応用で攻撃の瞬間を見極めることもできます。後は相手の攻撃のタイミングさえ見極めれば、きっと反撃のチャンスはあるはずです。」
真耶の言う通り、一夏は段々と鈴の攻撃のタイミングが分かってきたのか、余裕をもって回避できるようになってきている。一方の鈴は攻撃が当たらないことに焦れてきているようだ。そんな心の隙を見逃さず、一夏は一気に鈴に接近すると剣を振り上げた。
その瞬間、それは天から降ってきた……
おまけ2 あの後、彼はどうしたのか
「鈴!ちょっといいか?」
「………何?」
「昨日は本当にごめん!俺、お前との約束を勘違いしてた!」
「えっ!ちょ、ちょっと、いきなり何なの!?」
「おごってくれるじゃなくて、作ってくれるだよな。あの約束にお前がどんな思いを込めてたのかが、やっと分かったんだ。」
「そ、それって…」
「なあ鈴、責任を取るってわけじゃないけど、お前の酢豚を食わせてくれないか?お前の思いに俺も応えたいんだ!」
「!!そんなの当り前じゃない!ちゃんと食べてくれるんでしょうね!」
「それこそ当り前さ!そうだ。今度の休み暇か?よかったら、お前の親父さんに報告しに行こうぜ。」
「えっ!そんな、いきなりお父さんに報告だなんて。い、いくらなんでも早すぎなんじゃない?」
「そんなことないさ。だって家族なんだから、早めに仲良くなってた方がいいだろう?」
「そ、そうね。わかったわ。じゃあ、今週の日曜日を開けとくから。あ、でも対抗戦じゃ手は抜かないからね!」
「ああ!正々堂々、恨みっこなしで行こうぜ!」
こうして、一夏と鈴は対抗戦を前に仲直りすることが出来た。認識の祖語という特大の爆弾を抱えたまま…
果たして一夏は生きて日曜日を迎えることが出来るのだろうか…
次回からは少々シリアスな展開になります。
最近の話ではあまり触れられていませんが、右京さんの恋愛に関するエピソードしては「大学で恋愛に関する内容が多いフランス文学の単位を落としてしまう。」などがあります。
ちなみに、たまきさんが言うには「頑固で不器用で天邪鬼な所に惚れ、頑固で不器用で天邪鬼な所が原因で別れた。」そうです。