一夏がクラス代表を掛けて模擬戦をすることが決定した翌日の放課後、亀山は剣道場に向かって歩いていた。自称IS学園一の情報通を名乗る馴染みの新聞部員から今日の放課後、一夏が模擬戦に向けての訓練をやると聞いたからだ。
何故ISの試合なのに剣道場で訓練するのか、という問いは一先ず置いておき、一夏の様子を確かめるのも込みで訓練を見学しようと亀山は考えたのだ。ちなみに杉下は昨日部屋を出て行ってから姿を現さない。携帯に連絡を入れてみたが電源が切られていた。
剣道場に着いてみると、女生徒たちが黒山の人だかりとなって入り口を塞いでいた。なんとかその人ごみをかき分け、道場の中に入ると、ちょうど試合の真っ最中らしい。防具をつけた二人が互いに向かい合い、竹刀を向け合っている。体格から推測するに片方は一夏で間違いなく、相対しているのは女子のようだ。
しばしの間、互いに間合いを計るように剣先を相手の剣先にぶつけていたが、女生徒の方が鋭い掛け声と共に右足で踏み込み、強烈な面をさく裂させる。一夏は為す総べなく真面にその一撃を喰らい、勢いのままに尻もちをついて呻いていた。
「ほう、すげえな…」
亀山は思わず感嘆の声を上げる。剣道に関しては毛が生える程度の経験しかない亀山にも、相手の女生徒の圧倒的な実力を察することが出来た。一夏との隔絶した力量差もだ。
少女はおもむろに面を外す。その下には憤怒の表情が浮かべられていた。
「どういうことだ。なぜそこまで弱くなっている!」
少女は一夏を睨み付け、怒気を含んだ声で問いかける。一夏も少女に倣って面を外すと、困ったように頭を掻きながら答えた。
「………受験勉強をしていたからかな?」
「そんな代物ではないだろう! 剣道部で何をやっていた!!」
「いや、俺は剣道部じゃなくて帰宅部だ。それも、三年連続皆勤賞。」
「なん…だと…」
少女はショックを受けたように顔を引きつらせると、そのまま視線を床に落とした。
「お、おい、大丈夫か箒?」
少女の様子を見て不安になったのか、一夏は心配そうに声をかける。
「………………なおす。」
「ん?なんだって?」
「お前の鈍った腕を鍛えなおす!これから毎日3時間、放課後みっちり鍛えてやる!」
「はあ!ISの練習はどうするんだよ!」
「黙れ!IS使う以前の問題だ!そんな腕でまともな戦闘などできるか!」
「そういわれるとそうだけど…ん?」
ここで一夏は人ごみに紛れた亀山と目があった。それに気づいた亀山は軽く手を上げてみせる。するとどうだろう、一夏は困り顔を綻ばせ、立ち上がると亀山の元に駆け寄ってきた。
「薫さん!来てくれたんですか!」
「おう!一夏が模擬戦に向けて鍛錬をするって聞いてな。けど、随分と派手にやられちまったみたいだな。」
「ああ、さっきの試合観てたんですね。恥ずかしいとこ観られちゃったなあ。」
そう言って一夏は頬を赤らめる。その瞬間、様子をうかがっていた女生徒たちの群れが俄かに騒がしくなる。
「何、あの男の人と織斑君ってすごく仲がいいの?」
「大人の男性に恥ずかしいところを見られちゃった織斑君……キタわよこれ!」
「ああ、IS学園にも理想郷はあったのね…」
幸いにしてこれらの会話は亀山や一夏には聞こえなかった。聞こえてたらいろいろとアウトです。はい…
「おい一夏!何時までそうして駄弁ってるんだ!」
先ほどまで一夏と試合をしていた少女が厳しい声色で一夏と亀山の会話に割り込んできた。その表情はどこか不機嫌そうで、亀山を見る視線も睨み付けるモノとなっていた。もっとも、何人もの凶悪犯と対峙してきた亀山からすれば、女子高生の眼光など野良猫のそれと大して変りはないのだが。
「あ、悪ぃな箒。薫さんを見つけたらなんか興奮しちまって。」
一夏がそう言うと、女生徒の群れから再び歓声が上がる。一夏はそれに気づかず亀山に少女を紹介する。
「亀山さん、昨日のSHRの時会ってるからもう知ってるかもしれないけど、こいつは篠ノ之箒って言って俺の幼馴染なんです。箒、この人は亀山薫さん。俺が前からいろいろとお世話になってる人なんだ。」
「改めまして、亀山薫です。よろしく!」
「………篠ノ之箒です。」
亀山が元気よく快活に挨拶をしたのに対し、箒はぼそりと無愛想に名前を告げたのみだった。亀山としては箒の反応は若干寂しさを感じるものだったが、初対面の中年男性に愛想よくできる女子高生の方が珍しいと自分を納得させた。
「そういえば、自己紹介のときから気になってたけど、名字が篠ノ之ってことはもしかして篠ノ之博士の…」
そう亀山が口にすると、箒の顔が目に見えて強張る。それを見た一夏は素早く亀山の耳元に口を処せる。
「箒は束さん、篠ノ之博士の妹です。でも、なんだか色々あるみたいでその事を言われるのはあんまり…」
「…ああ、そういう事か。」
亀山は一夏の話を聞いてなんとなく納得した。家族の問題と云うのは外側の人間からはとても理解できないほど根深いものだ。ちゃんとした統計があるわけではないが、殺人事件の半分は被害者の家族による犯行と言われている。
おそらく、世界的有名人を姉に持ったこの少女も相応の気苦労をしてきたのだろう。だとすれば、この話題にこれ以上触れるのはやめておくべきだと亀山は結論付けた。
「まあ、そんな話は置いといてだ、模擬戦に向けての訓練だっけ?一夏の剣道の腕を鍛えなおすとか言ってたけど。」
「ええ、そのつもりですが。何か問題がありましたか?」
再び箒は鋭い視線を亀山に向ける。この時点で亀山は箒という少女が一夏に対して執着しているような気がしていた。その気持ちがどういうものなのかは確証が得られないが、幼馴染という関係性から亀山は一つの可能性にたどり着いた。
「なあ一夏。ひょっとしてこの子はお前の彼女か?」
「なっ!!!!!!!」
途端に箒を顔を真っ赤にし何か言おうとした。しかし、うまく言葉にできないのか、魚が酸素を求めるように口をパクパクさせている。一方で一夏は完全に気を動転させた箒を尻目に涼しい顔でこう言った。
「いやだな薫さん。俺と箒はそんな関係じゃないですよ。ただの幼馴染ですって。なっ、箒。」
「………………………ああ、そうだな。私とおまえは何のことはない、ただの幼馴染だな!」
「ん?おい箒、お前なんで怒ってるんだよ?」
「怒ってなどいない!」
「いや、怒ってるじゃねえか!」
一夏と箒は亀山を放置して言い争いを始めた。その様子を見て亀山は二人の関係性を察し顔をにやけさせる。今まさに、青春真っ只中を謳歌している二人を見ていると、なんとも懐かしい気分になったのだ。
恋する少女の初々しい反応や、それに気づかない少年の鈍感さは社会の荒波にもまれた自分たちでは出せない甘酸っぱい雰囲気を醸し出し、そこにあるだけで学園青春ドラマを見ているような微笑ましい感慨を起こさせた。
もっとも、その要素である少年の鈍感さは後に亀山を大いに悩ませることになるのだが…
「どうしたんですか薫さん?何だかニヤニヤしてますけど。」
「いやいや、何でもねえよ。ていうか、ISの訓練だったか?俺はISの専門家じゃねえから詳しい事は分からねえけど、剣道がISの練習には成らないとは思わねえぞ。ISバトルは体を使った戦闘なんだから剣道を通して実戦への勘も鍛えられるだろうし、体を鍛える意味もある。確か、ISの武装には刀もあったしな。」
「うーん、そう言われればそうですけど…」
「それにな、今から訓練機の貸し出しを申し込んでも一週間以内に貸し出されるのはまず無理だぞ。貸し出しの予約はたいてい一週間後まで埋まってるからな。だから一夏、これから一週間は篠ノ之に練習を見てもらうのが得策なんじゃないか?」
「うん、確かにそうっすね。薫さん、ありがとうございます。じゃあ箒、さっそくだけど一から指導してもらってもいいか?」
「うっ!一からとは…」
「お前が言うには俺の腕は完全に錆びついてるみたいだしさ。基本から教えてくれないか?昔、おまえんちの道場で教えてくれたみたいに。」
そう言って一夏は箒の手を取ると、再び箒の顔が赤くなる。しかし、亀山は箒が口元が上に上がりそうになるのを必死に抑えようとしてピクピク動いているのを見逃さなかった。
「し、仕方ないな!そこまで言われたのなら教えてやらんわけにはいかん。しかし、やるからにはトコトンやるからな!覚悟しておけ!!」
「おう!元よりそのつもりだぜ!!」
勢いよく声を出し、二人は防具をつける。
亀山はそれを見届けると静かにその場を後にした。若者の恋愛に年寄りが口を挟むべきではないかもしれない。それでも、淡い恋心が成就するように応援し、見守るくらいなら罰は当たらないだろう。
それから一週間、一夏と箒は本当に毎日放課後三時間剣道の鍛錬を行っていたらしい。亀山もできる限り道場に顔を出していたが、一夏は毎回のように箒に吹き飛ばされ、日に日に体に青あざが増やしていっている印象であった。
それでも一応は結果は出ているらしく、教官たる箒によると、まだまだ錆は落としきれていないが初日に比べれば大分マシになっている、とどこか嬉しそうに亀山に語った。そう言われると亀山も一夏の顔が何となく精鍛になったように見える。
そしてついに、今日はセシリアとの模擬戦の日である。
残念ながら一事務員である亀山は試合前に一夏に会うことは叶わず、今は観客席で模擬戦の開始を待つ身であった。既にアリーナの中心ではセシリアがISを展開し、臨戦態勢で一夏を待ち構えている。
1年1組の生徒たちは亀山から少し離れたところで観戦している。傍目から、見れば中年のおっさんが周りに人のいないスタジアム席でポツンと座っている寂しい情景がそこにあった。
「はあ、まあ別に女子高生を周りに侍らせたいわけではないけど、なんというか侘しいもんだなあ。」
「おや、一人で観戦するよりも誰かと一緒に観戦するのが君の好みなんですか?」
「そりゃあ、まあそうっすよ。こういうのは誰かと一緒にワイワイしながら見た方が…」
ポツリと呟いた独り言への返答があまりに自然だった為、一瞬そのまま流してしまいそうになったが亀山は驚いて後ろを振り返る。するとそこには、この一週間まったく姿を見せなかった杉下が立っていた。
「右京さん!いったいどこに行ってたんっすか!?」
「ええ、少し調べ物をするためにこの一週間ロンドンの方へ行っていました。」
「へー、ロンドンに…って、ロンドン!!」
「そのおかげで、かなり興味深いことが分かりましたよ。」
杉下はそう言って澄ました顔で亀山の隣に座る。亀山としてはもう少し問い詰めたい所ではあるが、今更問い詰めたところでどうにもならないと諦め、大きくため息をついた。
「………今回の模擬戦のきっかけはクラス代表を選出するに当たり、オルコットさんが日本や男性を侮辱するような物言いを行い、それに一夏君が反論したのが原因だった。そうですね?」
「え?ああ、はい。俺も直接オルコットがどういう事を言ったのかは知らないですけど…」
「ですが、僕の知るオルコットさんのご両親、特に奥方はかなり厳しい方で、例え身内であろうと他国や初対面の個人を無闇矢鱈に批判する人を許す方ではありませんでした。その方の娘が男性差別を誘発するような発言をするとはどうしても信じられず、彼女について調べてみようと思ったんです。」
「……で、どうだったんですか?」
「どうやら彼女がああなってしまったのは父親が関係しているようでした。オルコットさんの実家はイギリスでも有数の貴族の家系なんですが、父親は婿養子であり、かなり肩身の狭い身分だったそうです。しかも、奥方は実業家としての顔を持ち、いくつもの企業を指揮する立場にあったそうでオルコットさんの父親は奥方に寄生する他ない寄生虫と周りから陰口を叩かれていたそうです。」
「……………」
「しかも、三年前ご両親が事故で亡くなった直後、オルコットさんの父方に当たる叔父がオルコットさんに取り入り、財産をかすめ取ろうとしたようです。この頃からオルコットさんは男性に対し屈折した感情を抱いていると思われます。」
「なるほど…確かにそんな事があっちゃ、男性不信になってもおかしくないですね。」
ましてやオルコットはまだ15歳の少女である。両親を失い、自分一人で何とかしなければならない状況が彼女に様々な重しを与えたのだろう。そう考えると、今アリーナの中心でISを展開させている少女が、周りからの重圧に耐えるため必死に自分を強く見せようとしているようで、ひどく痛々しげに見えた。もしかすると、日本を批判したのも、そうした虚勢だったのかもしれない。
「しかしながら、オルコットさんは一つ、大きな勘違いをしています。」
「勘違いですか?」
「僕としましては彼女にはその勘違いを解いていただいて、正しい認識というのを身につけてほしいのですが…おや、どうやら一夏君が出て来たようですねえ。」
アリーナ中心部に目をやると、白いISを纏った一夏がゆっくりとセシリアに向かて歩んで行っている。
世界初の男性IS操縦者の戦闘が、そして、セシリア・オルコットの運命を変える一戦が今始まろうとしていた。