IS学園特命係   作:ミッツ

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古狸

 

 亀山薫の朝は早い。なぜなら、勤め先が家からとても遠いところにあるからだ。車とモノレールを乗り継ぎ片道2時間。毎朝仕事に遅れないようにするために、早朝6時には家を出なければならない。行事が重なると日の出前に家を出るときも間々ある。

 ただそれでも、昼夜問わず緊急の招集がかかる以前の職場に比べれば、随分と規則正しい生活ができるようになったとはいえるだろう。

そういうわけで、亀山は今日も今日とて6時前に家を出ると8時前にIS学園に到着した。廊下にはすでに生徒の姿が見える。すると、廊下にいた生徒の一人が亀山の姿を確認すると近寄ってきた。彼女は首からカメラを提げている。朝からカメラを首にかけている生徒など亀山は一人しか知らない。

 

「おはようございます亀山先生。朝からご苦労様です。」

 

「おう、黛か。おはよう。」

 

 彼女はIS学園一年生の黛薫子だ。亀山と薫子は亀山達が学園に来た直後からの知り合いである。IS学園初の男性教師という事で、赴任したばかりの頃の亀山達に対する生徒たちの注目度はかなり高かった。当然IS学園の新聞部からの取材を受けることになったのだが、大人の男性が相手のためか流石の新聞部員も当初亀山達に対し遠慮気味に質問をしてきた。

 そんな中、上級生を差し置いて積極的に二人へ質問を振っていたのが当時入部したての新入生である薫子だ。彼女の好奇心と物怖じしない度胸は記者を妻に持つ亀山も感心させるもので、亀山の妻が帝都新聞の記者であることを知ると、薫子は更に目を輝かせて二人に質問を投げかけたのであった。

 それからというもの、薫子は頻繁に亀山達に取材を申し込むようになり、教官室にもたびたび訪れるようになる。その縁で楯無とも友人同士になったようで、学園内でも二人が話しているところをよく目にする。

 つまるところ、黛薫子という少女は亀山と杉下にとって、楯無の次に交流のある生徒と言ってよいだろう。

 

「実は亀山先生。今度新しく発行するうちの新聞で、先生たちのインタビュー記事を出したいんですけどよろしいですか?」

 

「おいおいまたかよ!ついこの間取材を受けたばっかしじゃないか!」

 

「それだけ読者は亀山先生たちのことを知りたがっているんですよ。大丈夫です。適当に世間話でもしていただければ、あとはこちらで編集しますから。」

 

「お前な、仮にもジャーナリストを目指すものがそれじゃダメだろ。」

 

「大丈夫ですよ。民衆が信じれば、一時的にもそれは事実になるんですから。」

 

「…あとで必ず訂正文と謝罪文を書かせてやるからな。」

 

 そう言って亀山は薫子から目を外すと、教官室に向かって歩き始めた。後ろからはいまだ薫子がしつこく食い下がってくる。

 そうしているうちに教官室にたどり着く。亀山はいつも通り元気よく教官室のドアを開け、部屋にいるであろう上司に挨拶した。

 

「おはようございます!右京さん。って、あれ?」

 

 教官室内には二人の人影が存在した。一人は亀山の上司に当たる杉下右京。そしてもう一人は…

 

「おうっ!久しぶりだな。元気にしてたか。」

 

「瀬戸内さんじゃないですか!どうしてここに。」

 

 教官室にいたのは元法務大臣の衆議院議員、瀬戸内米蔵であった。彼は杉下と亀山にとって共通の知人であり、昨今の女性至上主義の逆風にも負けず、いまだ議員の椅子を女に明け渡していない数少ない男性議員でもある。

 

「いったいどうしたんっすか、こんなとこまで?」

 

「いやなに、小野田がお前らを随分とおもしろい職場に飛ばしたって聞いてな。久しぶりにお前らの顔を拝んでやろうと思ってな。」

 

「そんな面白くなんかないっすよ。こっちはこっちで大変なんっすから。」

 

「へへっ、そうかい。まっ、相変わらずよろしくやってるようで結構なことだ。それはそうと、そちらのお嬢ちゃんはお前たちに用があったんじゃないのかい?」

 

 そう言うと瀬戸内は亀山の後ろにいる薫子に指をさす。亀山は瀬戸内の登場で薫子の存在をすっかりと忘れていたらしく、慌てて後ろを振り向いた。信じられないものを見たとでもいうように目を丸くしている。

 

「も、もしかしてもしかしなくても、瀬戸内米蔵衆議院議員ですよね!元法務大臣の!」

 

「お、おう。そのとうりだけどよ…」

 

 政治の世界という魔窟を生き抜いて来た瀬戸内をたじろがせる勢いで薫子が詰め寄る。こんな大物を相手にしながら己の好奇心に忠実とは…亀山は呆れつつも感心した。

 

「あの!先ほど亀山先生と親しげに話してたようですけどお二人は知り合いなんですか!もしかして亀山先生たちは前から瀬戸内議員のお仕事に関わっていて、今回もそのような用件で…」

 

「黛さん、そろそろ勘弁していただけないでしょうか?瀬戸内先生も何かとお忙しい身の上ですので、そういったお話はまた次の機会という事で…」

 

 いつの間にやら取り出したメモ帳を片手にまくしたてる薫子を杉下が冷静に制する。その様子を見て瀬戸内は苦笑いを浮かべていた。

 

「そ、そんなぁ。せっかく永田町の大物が学園に来てるんですから、新聞部としてインタビューしないわけには…」

 

「黛さん。」

 

「ううん、でも…」

 

 粘ろうとする薫子に対し、杉下は少々厳しめの声で彼女の名を呼んだ。しかし、それでも引き下がれないのか、薫子は瀬戸内の方を未練がましく見つめている。

 すると瀬戸内は薫子に近づき、懐から一枚の名刺を取り出した。 

 

「ほら、嬢ちゃん。こいつは俺の名刺だ。これに書いてある連絡先に連絡してくれりゃあ、いつでも取材に来てくれても構わねえぜ。」

 

「そんな!いいんですか!」

 

「ああ、もちろんだ。嬢ちゃんみたいな威勢のいい記者は最近は見かけねえからな。こっちも楽しみってもんだ。」

 

そう言って快活に笑ってみせる瀬戸内の姿は、強かな政治家というよりは孫の相手をする好々爺をほうふつとさせる。薫子はそれに甚く感動したようで、頬を上気させながら頭を下げた。

 

「瀬戸内先生、ありがとうございます!必ず連絡させていただきますので、その時はよろしくお願いします!」

 

「おう、こちらこそよろしくな。さあ、急いで教室に戻らねえと授業が始まっちまうぞ。」

 

「あっ、本当だ!それじゃあ、後日またあらためて連絡させていただきますね。それでは、失礼します!」

 

 最後にもう一度深々と頭を下げると、薫子は教官室を出ていった。亀山は苦笑いがこみあげてくる思いだったが、瀬戸内の手前それを表には出さない。

 

「いや、ほんとすいません。なんか、うちの生徒がご迷惑をおかけして。」

 

「いいんだよ。棺桶に片足突っ込んだ爺にとっちゃ、ああいった元気のいい若者と話すのは百薬の長ってな。」

 

 そう言って笑う瀬戸内を見て、亀山はこの人も相変わらずだなと笑みをこぼした。女尊男卑が色濃い時代で彼がいまだに現職議員である理由は、彼自身の能力はもちろん、こうした人間的な魅力があるからだろう。一方で、大臣であった時はこうした彼の気風が官僚たちから毛嫌いされていたのだが…

 

「ところで瀬戸内さん。本日はどういったご用件でこちらにいらしたのでしょう?まさか、ただ僕たちに挨拶をしに来たというわけではないでしょうからねえ。」

 

「ああ、そうだったそうだった。いやなに、お前たちに少し頼みたいことがあってだなぁ…」

 

「頼みたい事っすか?」

 

「ああ。お前たちは芝浦真紀子っていう女を知っているだろ?」

 

瀬戸内が芝浦の名前を口にした瞬間、部屋の空気が一気に変わった。

 

 芝浦真紀子

 

 彼女は特命係を解散させられた杉下たちが最初に関わった事件の犯人である。彼女と夫である柳原和美が起こした事件は杉下たちにISの闇を知らしめることとなり、その結末もあまりにも苦々しいものであった。

 

 そんな彼女の名がなぜ瀬戸内の口から?

 

 二人が疑問に思いつつ知っている旨を伝えると、瀬戸内は更なる爆弾を落とした。

 

「その芝浦なんだが、一昨日、入院していた精神病院の敷地内で死亡しているのが見つかったそうだ。」

 

「なっ!どいう事っすか!?」

 

「どうもこうも言葉のままだ。殺人犯、芝浦真紀子は一昨日の朝、胸から血を流して倒れているところを病院の職員に発見された。すでに死後硬直も始まってたっていう話だ。」

 

 淡々と述べられる事実に亀山は言葉を失う。亀山にとって芝浦真紀子という人は忘れられない、いや忘れてはいけない殺人犯である。いずれ彼女の抱えた真実が明らかにされることを信じていただけに、芝浦の死という悲しい現実はショックの大きいものだった。

 一方、杉下はというと瀬戸内の語る言葉を一つ一つ吟味し思案していた。

 

「…瀬戸内さん、その話からすれば芝浦さんは病院内で殺害されたような印象を受けます。しかし、今日にいたるまで僕の知る限りではそのような話を聞いたことがありませんが、メディアはこのことを報道しているのでしょうか?」

 

「報道はされているはずだ。ただ、病院内で患者が変死としてだけどよ。」

 

「変死?」

 

 いまだ気を取り返しきれていない亀山は事情が呑み込めないように瀬戸内の言葉を繰り返す。ただ、何か変死事件という言葉の一端から何か嫌な予感を感じられた。その予感をを肯定する言葉を杉下が告げる。

 

「なるほど。上層部は今回の事件を殺人として扱いたくないという事ですね。芝浦さんは女性至上主義者にとって何かと都合の悪い事実を握っている方です。事件が殺人として報道されれば実名で彼女の名が報じられ、彼女の過去に行きつく記者もいるかもしれない。そうならないために事件ではなく、事故として処理するように警察へ圧力がかかっているのですね。」

 

「まあ、そういうこった。むしろIS委員会の連中なんざ芝浦が死んでくれてほっとしてるんじゃないか。自分たちの悪行を公にしてくれるやつがいなくなったんだからよ。」

 

「なんなんっすかそれ!そのなふざけたこと許されないっすよ!」

 

 ようやく事情を察することのできた亀山は憤慨し大声を上げる。瀬戸内の語ることが事実ならば、IS委員会の実情は腐っているといっても過言ではない。一人の少年が死に追い詰められた事実を隠ぺいし、その事実を公表しようとした者の死を喜ぶなど亀山にとって到底認められないものだ。

 瀬戸内も同じ思いなのか非常に苦々しい表情をしている。

 

「IS委員会が腐ってるなんざ前から分かりきってることだ。あそこは国際IS委員会の直轄だから日本政府も手綱を抑えきれねえ。だから役員のやつらは好き勝手し放題なんだ。おまけに最近じゃ法曹界まで手を伸ばしてきやがった。普通の裁判ならまだまともな判決が出るんだが、裁判員裁判じゃ露骨に女が有利になるような判決が多くなったからなあ。性犯罪なんかは特にな。」

 

 そう言って瀬戸内は懐から煙草を取り出し、それに火をつけると深く煙を吸い込んだ。口から煙を吐き出した瀬戸内の表情にはわずかに憂いの影が見える。

 

「委員会は今回の事件をお宮入りさせる気満々なんだとよ。警察にもかなり圧力をかけてるみたいで小野田もだいぶ苦労しているらしいぞ。俺も力になってやりたいんだがなあ…」

 

「昨今では与党内部でもIS委員会の影響力が増しておりそれもできないと?」

 

「その通りだ。だから何かと身軽なおまえさんたちの協力してもらって、IS委員会のやつらに一泡吹かせてやりたいと思って聞きに来たんだが…ありゃ、聞くまでもなかったようだな、おい。」

 

 そう不敵に笑ってみせる瀬戸内の前には、既に正義の炎をその背に爛々と燃えたぎらせた男と、静かに冷たい正義の炎を目の奥で燃やす男がいた。

 

 

 

 

 

 

「ふふん、ふん、ふん♪」

 

 黛薫子はご機嫌だった。将来報道機関への就職を希望する彼女(ではなぜIS学園に入ったのか、という疑問はあるがそこはいろいろ事情がある) にとって、大物政治家とのコネが作れたというのは思ってもみなかった幸運である。しかもただ挨拶をしただけという関係ではない。名刺までもらい、後日取材を受ける約束までしてもらったのだ。政治家へのインタビューは報道を志す若者にとって憧れと言ってもよい。薫子は今日ほど記者を目指していてよかったと思ったのは初めてだった。

 そうしたわけで彼女は教官室を出た後鼻歌交じりで軽くスキップをしながら教室へ向かい、自分の席に着いたのだった。

 

「あら、どうしたの?ずいぶんとご機嫌じゃない。」

 

 薫子が教室に入って真っ先に声をかけてきたのは彼女がこの学園で最も仲の良い友人である更識楯無だ。

 

「あっ、たっちゃん。わかっちゃうかな~、えへへへ~、実はちょっといいことがあったんだよねえ。」

 

 そうってにやつく薫子に、楯無は若干引いたように苦笑いを浮かべる。

 

「へ、へえー…で、結局何があってそんなに機嫌がいいの?」

 

「へへぇ、実はね、さっき衆議院議員の瀬戸内米蔵と遭ったの。しかも名刺までもらって、いつでも取材に来ていいってさ。」

 

「瀬戸内米蔵?あの、元法務大臣の…なんでそんな大物がIS学園に…」

 

「うん、なんでかは知らないけど、なんか杉下先生たちに用があったみたいよ。いったい二人とどういう関係なんだろ?」

 

 そう薫子が答えた瞬間、楯無は目を細める。彼女の纏っていた空気が一変し、それが彼女が仕事モードに入ったことを表す。

 

「薫子ちゃん、その話他の人にはした?」

 

「ん?いや、私が話したのはたっちゃんだけだけど…」

 

「そう。なら、それ以上この話をほかの場所でするのは無しよ。それと、瀬戸内議員に連絡を取るのもしばらく待ってもらってもいいかな?」

 

「えっ!で、でも…」

 

「お願い。」

 

 そう言って楯無は顔の前で手を合わせ笑ってみせる。しかし、その眼が一切笑っていないことを薫子は理解した。とたんに彼女の背に冷や汗が流れ始める。どういうわけかわからないが今の楯無に逆らってはならない。薫子は本能に近い部分でそれを悟ったのだった。

 

「う、うん。分かった。誰にも話さないし、連絡もとらない…」

 

「本当!良かった。」

 

 楯無は薫子の返答を聞くと胸を撫で下ろすかのようなしぐさをした。そうして薫子から見えないように口元を扇子で隠すと静かに呟く。

 

「元法務大臣の瀬戸内米蔵か…相変わらず、予想外の人間を引き込んでくるわね。果たして今回は蛇が出るか、それとも虎が出るか…」

 

 そう呟いててため息をつく楯無。しかし、その姿はどこか楽しげでもあった。


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