今回よりepisode2を開始します。
ロシアより、思惑を込めて
7月某日の都内高級ホテル。
この日、そこではロシア大使館主催で、日本とロシアのIS関係者による懇親会が行われていた。
世界を引っ張るIS産業の重役、両国の政府関係者などVIPが集まる会だけあって、料理や内装も非常に凝ったものとなっている。また、出席者の多くが妙齢の女性という事も、場をさらに華やかなものにした。
そんな中、華やかな場に似合わぬ、くたびれたフライトジャケットとジーンズという組み合わせの男が一人。明らかに周りから浮いている。本人もそのことを自覚しているのか、非常に居心地が悪そうである。
「どうして俺がこんなところに…。」
その男、亀山薫は自分の今の境遇を呪わずにはいられなかった。
本来、こういう場で違和感無くいられるのは自分の上司だ。自分はこういった場はあまり得意ではない。なのに何でこんな目に…。
亀山はすべての元凶であり、今はロシアのIS技術者と親しげに話している一人の少女を恨めし気に見やった。
その少女、更識楯無は亀山の視線に気づくと、茶目っ気たっぷりのウインクを亀山に投げかけるのであった。
亀山はため息を一つ吐くと、三日前に彼女と交わした会話を思い出した。
「亀山先生、今度の土曜日暇ですか?」
いつものように教官室に入ってきた楯無は、日誌をつけている亀山を見つけるとそう聞いてきた。
校内は既に放課後を迎えていることもあって、部活動に精を出す生徒たちの声が響く以外は静かなものである。杉下は他の先生から呼び出されたとか言って教官室にはいない。
「いったい急になんだ?それと、部屋に入るときはノックくらいしろ。」
「すいませーん、今度からは気を付けまーす。で、どうなんですか?今度の土曜日、暇?」
「…はあ。まあ暇だけど。」
本当なら妻と夕飯にでも行くと言ってやりたいところだが、現在亀山の妻である美和子は海外に取材に行っている。何でも、フランスやイギリスで起きたIS関連企業を狙った連続爆破テロの記事を書くためらしい。そのため、亀山はこの一週間ほど独り身である。
「やった。それじゃあ、今度の土曜日の夜にパーティーがあるんですけど、一緒に行ってくれませんか?」
「パーティー?いったいなんの?」
「実は私、今度代表候補生になることが決まったんです。」
「ふーん……って、それ本当かっ!」
思わず亀山は席を立ってしまった。亀山もIS学園に赴任して三か月になる。当初はISについて素人もいいところであったが、環境のおかげか、それとも杉下の指導のおかげか、何とか人に説明できるくらいにはISに詳しくなった。当然、代表候補生の言葉の意味も熟知している。
代表候補生
その名が示す通り、各国の代表候補、ISの国際大会『モンド・グロッソ』への登竜門というべきものである。しかし、その登竜門でさえ万人にとってはとても狭き門なのだ。高いIS適性、それに見合った技術、そして何より国の威信を担える程の高潔な精神が求められる。国家間代表の候補なのだから当たり前ともいえるが。
また、ほとんどの候補生は国から専用機が与えれる。世界にわずか467機しかないISの一つを与えられとあって、その責任は重大なものだ。IS学園内にも専用機を与えられた人間は片手で数えられる。
「けど、まさかお前がその代表候補になるなんてな…。」
亀山はいまだ楯無の発言のショックから抜け出せていなかった。楯無が人並み以上の才能を持ち、人一倍努力をしていたことは亀山の知るところだ。特に4月にあった事件以降、楯無は今まで以上に自己鍛錬に力を入れるようになり、その能力を飛躍的に伸ばしていた。彼女自身、あの事件で己の未熟さを自覚しただけに、足りない経験を技術でカバーしようとしていたのだ。その結果、先の学年別トーナメントではほかの一年生を圧倒する実力で優勝し、一躍学園中の注目を集める存在へとなっている。学外からの勧誘があってしかるべきなのだ。
「そう言う事なんで、お祝いも兼ねてパーティーを開くことになったんですけど、折角ですから日ごろお世話になっている亀山先生たちにも出席してもらえないかなと思ったんですけど。どうですか?」
「まあ、そういう事なら断る理由はないな。分かった、そのパーティー参加するよ。」
出会ってまだ3か月弱とはいえ、警視庁からここにきて最も付き合いがある生徒からのお願いだ。無碍に断るわけには行けない。それを抜きにしても、楯無の努力が認められたことは彼女の努力を知る亀山にとっては、とても喜ばしいことであった。
亀山の返答を聞いて楯無も嬉しそうに胸の前で手を合わせる。
「ほんとですか!よかった。じゃあ、今度の土曜日にご自宅まで迎えに行きますのでよろしくお願いします。」
「いいよいいよ。何もそこまでしてもらう必要はないさ。場所さえ言ってもらえれば自分の足で行くから。」
「そうですか…。分かりました。えーとですね、場所は…。」
この時亀山は気づくべきであった。楯無の言った場所が日本屈指の高級ホテルであることを…。適当な会場を借りて、家族や友人を呼んでのちょっと豪華なホームパーティーを想像していた亀山は思いもよらなかったのだ…。そしてもう一つ、亀山は大きな思い違いをしていた。亀山は楯無は日本人なのだから、当然日本の代表候補になったものだと思っていた。全ての間違いに亀山が気付いたのは当日、会場についてからであった。
「まさか、あいつが成ったのがロシアの代表候補だったとはなあ…。」
亀山はパーティー会場である大ホールを抜け出し、男子トイレに逃げ込んでいた。お祝いのパーティーだと聞いていたから、てっきり家族や友人を招いてのホームパーティーのようなものを想像していた亀山だったが、実際にはロシアと日本のIS委員会関係者や政府高官などが招待された政治的意味合いの強い集まりである。居心地が悪いというレベルではない。
どうやら楯無は自由国籍というものを取得し、ロシアの代表候補になったらしいのだが亀山にはその意図が皆目見当つかなかった。なぜ、わざわざ外国の国籍まで取得するのか?何か事情があるのかもしれないが、楯無が日の丸を背負って活躍することを想像していた亀山には、そのこともショックだった。
「はあ、いつまでもここに至って仕方がねえな。一旦会場に戻るか。」
そんで、楯無を探して、適当な理由をつけて帰ろう。
本当なら、このまま家に帰りたいところではあるが、主役にに一言もなしに帰るのは、大人として間違っている。なんだかんだ言って、根は真面目な亀山である。こうした場が苦手とはいえ、大人として最低限のマナーは持ち合わせているのだ。
気を取り直した亀山がロビーに出ると、黒い帽子を目深に被った人影が足早に亀山の方に向かってくる。そして、そのまま亀山とぶつかった。
「いてッ!?」
「キャッ!?」
亀山に比べるとだいぶ小柄であったその人影は、亀山にぶつかると可愛い悲鳴をあげ尻もちをついた。声の高さから、その人影は若い女性のようだ。
「す、すいません!急いでいましたものですから!」
「いや、俺は大丈夫だよ。君こそ大丈夫?」
亀山は身を低くして、尻餅をついている女性に手を伸ばした。
「あ、ありがとうございます。本当にすいませ…。」
女性は亀山の手を握ろうと顔を上げたが、亀山の顔を見ると驚愕したように眼を見開いた。
まるで、なんであなたがここに、とでもいうような様相だ。
そして、亀山も相手の顔を見て彼女が金髪の白人女性であることに気が付いた。
「ん?どうかしたかい?俺の顔に何かついてる?」
女性の様子を怪訝に思い亀山がそう聞くと、女性は慌てたように立ち上がると早口でまくしたてた。
「あ、すいません!もう大丈夫ですから!じゃあ、失礼します!」
「あ、ちょっと君待って!」
亀山が止める間もなく、女性は足早にその場を去っていった。残された亀山は茫然とその後姿を見送るしかなかった。
「いったい何だったんだ、あの人は…。」
まるで、自分のことを知っているような素振りだったが、果たして自分の知り合いに白人の女性などいただろうか?もしかしたら、過去に自分が関わった事件の関係者かもしれない。あとで詳しく調べてみる必要があるだろう。亀山は金髪の女性の事について、そう結論付けた。
「亀山先生!こんなところで何してるんですか!」
「げえ!楯無!」
亀山が後ろを振り向くと、ロシアの新たな代表候補生が腰に手を当て仁王立ちしていた。どうやら、かなりご立腹らしい。
「まったく、こんなところで油売ってないで早く会場に戻りましょうよ。」
「あー、それなんだけど。俺はもう帰るわ。あんまり俺がいても意味がないみたいだし。」
亀山がそういうと、楯無は驚いたように亀山に詰め寄った。
「ちょ、ちょっと何言ってるんですか!まだパーティーは終わっていないんですよ!」
「だから、俺はもう帰ってもいいだろ。VIPゲストってわけじゃないんだし。」
「だめです!早く戻ってください!」
「…なあ楯無、お前なんか企んでないか?」
どうも楯無の様子がおかしい。亀山は先程から楯無の対応に違和感を感じていた。なぜ、楯無は執拗に亀山をパーティー会場へ連れて行こうとするのか?たった3か月の付き合いだが、今までのパターンを考えると楯無が何か仕掛けている可能性が高い。亀山は刑事の勘でそう確信していた。
案の定、楯無は目に見えて動揺し始めた。
「な、何を言ってるのかしら亀山先生は!お、おねーさん何の事だかわかんなーい!」
「…おい、楯無。俺と目を合わせろ。」
そう言って亀山は楯無の肩を持ち、まっすぐに楯無の眼を見つめた。はじめは亀山の眼を見つめ返していた楯無であったが、自然と視線が左へとそれていった。
「やっぱなんか企んでるじゃねえか!」
「だから何も企んでないですってば!」
さて、二人は人目も気にせず言い合っているが、ここは天下の高級ホテル。当然人の眼はあるというもので、外野から見れば大柄な男が小柄の女性の肩をもって何やら騒いでいるように見える。つまり、これがどういう結果を生むかというと、
「ちょっとあなた。女の子捕まえて何やってんの?」
当然警備員が出張ってくる。警備員は楯無の肩を持つ亀山の手をがっちりとロックした。亀山と楯無が慌てて周りを見渡すと、周囲には遠巻きに亀山達を見てくる人だかりができていた。
「あ、いや違うんです!俺はIS学園の教師で、こいつはそこの生徒なんすよ!」
「はあ?そんな恰好でここに来る奴がIS学園の教師なわけないだろ!もう少しましな嘘をついたらどうだ!」
「いや、本当なんだって!楯無!お前からも何か言って、」
「あっー!更識さん、こんなところに居たんですか!」
と、楯無に助けを求めようとした亀山の声をさえぎって、人ごみの中から一人の女性が現れた。ヨーロッパ系独特の白磁のような白い肌と、ライトグリーンの瞳を持つ美しい女性だ。何より目につくのは、ヒールを履いていることを加味しても明らかに180㎝以上ありそうな身長である。スーツを着こなしていることもあって、有名雑誌のモデルと言っても通用しそうなスタイルだ。
「アレンスキーさん!どうしてここに!」
「どうしたもこうしたもありませんよ!パーティーの主役が突然いなくなって会場は大混乱ですよ!いったい何があったんですか?」
アレンスキーという女性がそう聞くと、いまだ亀山の腕をつかんで離さない警備員が口を開いた。
「この男がそちらの女性の肩をつかんで怒鳴り散らしていたんです。」
「なんですって!」
アレンスキーはその言葉を聞くと、キッと亀山を睨みつけ、亀山の頬へ自分の右手のひらを振りぬいた。早い話がビンタである。
「へぶっ!?」
予想外の一発を受け亀山は無様に床に倒れてしまった。アレンスキーは倒れた亀山に向かって尚も言葉を続ける。
「あなた何を考えてるんですか!16歳の女の子に対して強引に迫るなんて、許されることだと思ってるんですか!」
「いや、だから俺は、」
「Молчи!あなたの話なんか聞きたくないです!彼女はわが国の代表候補生なんですよ!それを分かってやったんですか!だとしたらとても愚かな行いです!恥を知りなさい!」
「あの~、アレンスキーさん…実はその人は私の…。」
「た、大変だ!」
楯無もさすがにこれはまずいと思い、亀山を助けようと事情を説明しようとしたその時、今度はホテルのスタッフらしき男性が人ごみを割って走ってくる。彼は警備員を見つけると力の限りこう叫んだ。
「すぐに救急車と警察を呼んでくれ!人が血を流して倒れているんだ!」
4月の事件から3か月。IS学園を揺るがす新たな事件は、カオスとも言っていい騒ぎの中から始まった。