「どういう事だ……?」
文の後ろで彩目がそう呟いた。
予想通りというか何と言うか……やっぱり気付いてなかったのね。
そんな事を思いつつ、文は詩菜から目を離さずに後退し、彼女へと顛末を話し始める。
背中は彩目に見せたまま、けれども彼女にも警戒は向けつつ、茶番のオチを話す事にする。
「貴女達は本当に似ている。身内に対して親身になる所がまさにそっくり。それでいて、『仲間に攻撃して来た者に対しては必ず反撃する』所とか、文字通り母娘よね」
「……いきなり何の話だ?」
何故今、そんな話をするのか。
当惑している彩目からは、先程よりかは静まっているものの、文に対しての敵意が感じられる。
何かきっかけ、隙が出来れば攻撃してやろうと思っているかもしれない。それぐらいには彼女から圧迫感を感じている。
けれども、今はそんな事をしている場合ではないだろう。
そんな好機を彩目に与えてしまえば、恐らく詩菜が考えている茶番は崩壊してしまうだろうから。
まぁ、その彼女は未だに樹の上で、こちらを見てニヤニヤしているだけなんですけどね。
……あの様子からすると、私達の会話でも聴いて楽しんでるんでしょうねぇ……明らかに聴こえる筈がない距離と声量なんだけど。
「だって、そうでしょう? 私は詩菜を追い込むような伝言を残し、実際に彼女を死へと追い込んだ。それが許せないから、貴女は私を攻撃している」
「……だから、それがどうした」
彩目の声のトーンが更に落ちる。それと同時に持っている刃物を握っている拳に力が入り、ミシリという音が聴こえる。
おっと、危ない危ない。これ以上は流石に行けないか。
それじゃあ、ここらが落とし所って事かしらね。
「彩目、貴女は『どうして詩菜がここに居ると思う』?」
「な……?」
「うん、じゃあ質問を変えましょう。私が言った『詩菜の思惑通りにはしない』の『思惑』って何かしらね?」
「それは。母親殿の事だから……なにか、私達を振り回すような計画とか……」
「そうですね、それは恐らく正解。また『私達』を振り回すような事が、彼女の思惑」
「それじゃあ『もしもの話』として、
『今、この状態がその詩菜の計画通りだとしたら』……貴女は今、どういう立場になるのかしらね?」
「っ……!?」
私と彩目は、詩菜が原因の争い事で戦っていた。
けれども詩菜が出てきて、私は未だに敵対状態だけども彩目に背を見せ、詩菜と睨み合っている。
そして今、声を聴き取っている筈の詩菜は、未だに攻撃の姿勢すら見せていない。
「この里に帰ってきた私を貴女が襲う前に、私が彼女と話していた事に気付かなかった。いえ、詩菜が気付かせないようにした辺りから、彼女の思惑に私達は嵌っているのよ」
もし私と詩菜が話していた時の情景を彩目が見たのなら、彼女は必ず攻撃を躊躇う。
彼女はそういう優しい性格だし、復讐の原因である本人の目の前で復讐はしないだろう。そもそも当事者が復讐を望んでいないのだから。
……うん。今思うと流石に復讐を望んでないは断言出来ないかな……詩菜さんだし……。
まぁ、恐らくは、私と詩菜が話している時に、天狗の誰かから聴いて私が居る事を知った彩目は、私を襲いにここまで来た。
けれども現場の到着よりも早く、詩菜は彩目の移動に気付いてしまった。そして襲われる私は全く気付いていなかった。
彩目が到着するよりも素早く思考を巡らして、詩菜は今回の騒動を思い付いて、実行に移した。
……そんな感じかしらね。
「そして、私がここまで貴女の思惑を話し始める事までが、詩菜の思惑通り、って事かしら?」
「うん。大体は正解」
そこまで話し終えて、ようやく彼女は口を開いた。
……そんなに大声を出しているような感じでもないのに、簡単に声が聴こえる。すぐそばに居るような錯覚を起こすも、どう見ても彼女はまだ樹の上に立っていて、移動は何一つしていないようにしか見えない。
予想通りとはいえ、本当に会話の内容が聴こえていて、それでいて声も簡単に届かせるという事をしてくれるわね。
「ッ……じゃあ私が文を殺しかけたのも考えに入っていたって言うのか!?」
そんな風に詩菜のやり方を呆れていると、彩目さんはそう叫んだ。
……彩目、その指摘は墓穴を掘る事になるわよ。
彼女にどのような言葉を返そうかと一瞬だけ考えている間に、彼女の母親があっさりと、
────実にあっさりと、彼女の墓穴を指摘してしまった。
「ん? そうなの? 私には彩目が『文にギリギリで対処出来るような攻撃しかしてない』ようにしか見えなかったけど」
「なっ!? ……ッ」
初めに、彩目が私へと急襲をしてきた時。
私は何処かへ行こうとしていて詩菜を追おうとしていて、辺りの警戒を全くしていなかった。
……まぁ、言い訳をすると、天狗の里の中だから警戒する意味も無いに等しいのだけどね。
それでも、いきなり攻撃してきた彩目の実力なら、私に気付かせる事なく攻撃できる筈なのよ。詩菜へと注意を逸らしていたのなら襲撃が成功する筈だった。
けれども彼女は急襲に失敗し、攻撃を私に受け止められた。
他にもある。
本気で私を倒そうとするのなら、天狗に対して畏れのある刃物を創造して、風を斬り裂くなり、天狗の弱点を突くなりすれば良かった。
私が刃物を受け止めた時には、何でも斬れる刀を出してすべてを斬れば良かった。
わざわざ苦無を連続して撃たなくても、霊力を纏わせた刃物で衝撃波を次々と出せば良かった。自慢の罠の技術を使って追い込めば良かったのに、彼女はそうしなかった。
何故そうしなかったか。恐らくは『私も彼女の仲間内に入るから』だ。
無意識に、攻撃の手を緩めていたのだ。
そうだったというのに、私は一度は諦めかけて、攻撃を受けようとしていた。
その時だけ、詩菜は介入して私を助けた。場所を移す────スキマを使って移動という事で、状況を一旦元に戻した。
母親に言われ、ようやく自覚したのか彩目は顔を俯かせていく。
私へと向けていた敵意も小さくなっていき、消える頃には手に持っていた刃物も消滅させていた。
まったく、鎌鼬のくせにこういう心情とかの操作に関しては無駄に巧いわね。特に知り合いに対して。
私と彩目の仲直りが今回の目的なんでしょうけど……それにしたってもうちょっとやり方って物があるんじゃないかしら?
思い付いたとしても、私だったらやらないわ。今回のだって上手く行かなければ全員が敵になったかもしれないのに。
「本当、よくやるわね」
「ん? 何の話?」
「……なんでもないわよ」
……こうも簡単に会話が成立しているこの状態に、貴女は疑問を抱かないのかしらねぇ……?
そんな事を思いつつも返事を返して、羽団扇を仕舞う。
地面へと降りて、私の後に続くように彩目が地面へと降りた所で、背伸びをする。
あー……色々と骨が鳴りそう……。
とにかく疲れたわ……詩菜の元を訪れて話を聴いて謝った後で、ようやくの休みだと思っていたのに、もう昼じゃないの……まったく……。
背伸びを解き、深く呼吸をした所で、
全身が、猛烈な悪寒と鳥肌で包まれたように感じた。
「ッ!?」
即座に振り向いて飛び立ち、辺りへ視線を巡らす。
しかし、周囲には何の異常もない。彩目もいきなり飛び立った私に驚いているだけだし、詩菜は……。
彼女は、まだ樹の上に立っていた。
そんな彼女の顔にはまだ、ニヤニヤとした笑い顔が浮かんでいた。
「おやおや、そんな簡単に私の思惑を見抜けると思ったのかい?」
そんな声が彼女から届き、思わず羽団扇を抜く。
まだ、何かあるっていうの!? どんだけ計略を謀っているのよ!?
彼女を睨んでいる間にも、悪い予感と冴えていく全身の感覚はまだ続いている。
……違う。この感覚は、詩菜からじゃない……。
そう気付いた所で、今度は強烈な視線を背後から感じた。
また背後へと振り返る。今度は詩菜へと背中を見せる形になった。
既に顔からは汗が流れ落ち始めている。
「お〜う、なんか面白そうな事になってるね。私も混ぜてよ」
「随分と暴れまわった跡が残ってるねえ。ハハハ」
あや、やや……や……。
あれ? もしかして、私って終わってますかね……?
感じていた悪寒が、なんだか絶望へと変わっていくような感覚。
鬼の四天王の二人。
『
▼▼▼▼▼▼
その鬼の二人がゆっくりとこちらへと歩いてきている。
明らかに力を溜めながら、攻撃的な意思を見せながら、歩いてきている。
「えっと……何か、御用ですかね……?」
「用も何も、この状態を見たら分かるだろう?」
「私は暇だからついて来ただけだけどねー」
それは、まぁ、これだけの気配を辺りに出していたら望んでいるであろう事は分かるけど……何故、今?
訳が分からずに、後ろに居る今回の企画者へと振り向く。
一体どういう事よ。と、そういった顔を彼女に向けても、相変わらず詩菜はニヨニヨとした笑い顔を崩そうとはしない。
……ほんと、一体何を考えているのよ?
後ろを見てもやっぱり訳が分からないので、仕方が無しに正面へと向く。
取り敢えず、嘘を軽々と吐く鎌鼬よりかはまだ鬼の方が分かりやすい筈。
そして、視線を鬼へと戻した私に躊躇いもなく右腕を振りかぶっている、勇儀さん。
「な!?」
「おお? 今のを避けるかい!」
咄嗟に地面へと急降下し、地面スレスレで方向転換して更に距離を取る。
まさか音も無く攻撃してくるとは思わなかったわ……飛翔していて地面を蹴る音が聴こえなかったのは兎も角、私が風を切って動く彼女の動向に気付けないなんて。
へぇー、と感心しながら先程振り抜いた右の掌を握ったり開いたりしながら、私が勇儀さんから感じる重圧は更に増して行く。
しまった。ここはなんとか受け止めて勝負をするような相手じゃないと誤解させた方が得策だったかも……。
「流石は注目の天狗。期待を裏切ってくれないねえ。楽しみだよ」
「……余計に状況が分からないのですが……?」
私が『注目の天狗』?
ま、まぁ、期せずして今の私は注目を集める状態にはなっているでしょう。今日の朝からあれだけの仲間天狗に出迎えられて、天魔様と長時間話していたのですから。
仕方が無いと言えますけど、しかし『期待』……?
「分からないかい? 天狗なんだからそんな事はないだろう?」
「……私が天魔様から特別な任務を命じられていたからですか?」
「惜しいねえ」
今この状況で思い付くとするならば、直後にあった天魔様との会議を知ってここへ来た、というのしか思い当たる節がないのだけれど……他にもある?
今この状況だからこそ、鬼達は私に逢いに来た。
そう考えるべきなの?
私が居る、今この状況。
鬼が私へと戦いを求める理由、原因は一体何か?
数秒考えて、一つだけ思い浮かんだ。
それは当事者の私としては、それほど良いとは言えない事。
いや、別に『そういった立場に居るという事』自体に不満があるという訳では無いのだけれど、それほど羨ましいか? という点については疑問がある所。
そのとある一つの案を思い浮かんでしまって所為か、咄嗟に後ろへと振り向いてしまった。
視界に飛び込んでくるのは、相も変わらずニヤニヤとした笑い顔。
そんな彼女が唐突に樹の枝から飛び降りていく様を、普通に眼で追ってしまい、
「正解だけど、余所見している暇なんてあるのかい?」
その直後に、向き合っていた鬼の力が目の前へと迫っているのに気付いた。
先程のように振りかぶっている勇儀さんの拳は、既にかなりの距離まで押し迫っていた。
「ッッ!?」
不味いと思うも、回避は間に合わず、
何とか被害は抑えようと考え、腕を交差して防御して後ろへと飛ぶ。
避けれる、という事はありえない。
こんな不安定な防御では、最悪行動不能か、最低でも腕の骨が折れるか。
そのように考えていたけれども、予想していた筈の暴力はなかった。
それどころか、吹き飛ばされるであろうと考えて後の事を考えていなかった私の、後ろへと飛ぶ回避の飛翔は何事も無く終わり、私が地面へと尻餅をつく結果に終わる。
まぶたを開き、目先の情景を見る。
無様に地べたへ着地してしまってから思い付いた予想は、ぴったりと目の前の絵と重なった。
「やぁ、勇儀。人の弟子を勝手にイジメるのはやめてくれないかな?」
「イジメる? おやおや、詩菜もひどい言い方してくれるじゃないか」
別にもう習っている対象だという訳でもないけど、
崇めてる訳でも尊敬している訳でもないのだけれど、
師匠が、鬼の拳を難なく受け止めていた。
実に難産だった……そしてもうちょっとだけ続くんじゃよ?