風雲の如く   作:楠乃

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消失の予兆

 

 

 

 頭が熱い……。

 

 脈拍のように、後頭部の上から眉間の先まで、鈍い痛みが連続して走っていく。

 目蓋を開いてしまえば、見えてくる光源にすら酔ってしまいそうだ。

 あまりの痛みに、起きる気力もない。

 

「……ぐ……」

 

 自分の出す声すら、頭の中で無数に反響してこだましているようだ。

 目頭を抑えようとして、腕の感覚が一部無いことに気付く。

 

 

 

 頭蓋骨の中で発火しているのではないかとすら思う程の激痛の中、何とか身体全体の調子を確かめる。

 結果、腕の感覚どころではなかった。

 

 まだ視覚での確認はしていないが、身体全体において、複数箇所の感覚がなかった。

 奇妙なことに、左手首から先の感覚はあり、指を細かく動かすことは出来るのに……二の腕から途中から手首の間までの感覚が、全く無かった。

 左の二の腕部分ですっぱりと感覚が断絶してしまっている。

 そこから何かが漏れているような、得も言われぬ感覚があるのに、その先の手首手前の部分からはまた感覚が戻ってきている。

 

 右は腕の根本。肩から肘までの感覚がない。

 寝返りを打ってしまったら勢い良く首ごともげてしまいそうな気がする。

 左脇腹から下の左腰部分がない。心臓がむき出しになっているような、背骨が空気に触れているような……何とも言えない喪失感がある。

 実際に何度か身体に大穴が空いたことはあるけど、その時のようなボトボトと臓器が落ちるような感覚はなく、その部分だけが何も感じ得ない。

 右足は膝から指の付け根手前までがない。指を曲げて伸ばすだけ感覚が遠く離れた位置にあり、非常に気味が悪い。

 左足は足の付根から膝より上、それから足首から先がなかった。

 

 左半身に感覚のない場所が多く、布団に正常な姿勢、上向きで眠っているのが信じられない。

 

 非常に、気味が悪く……それがまた頭痛を加速さえ、吐き気を催させる。

 

 

 

「ぅ……」

 

 ゆっくりと、目蓋を開く。

 身体の喪失感が頭にはなくて良かったと思う。多分、その喪失感だけでも死に掛けたんじゃないだろうか。

 

 光が脳内に突き刺さる。

 自分が吸血鬼になったかのようだ。

 眩しいどころか長い針で、眼から直接脳を刺されているような激痛が走る。

 

 痛みに目蓋をギュッと閉じれば、今度はその感覚がハウリングして脳内の痛みを加速させる。

 痛い。

 

 辛い。辛い。痛い。煩い。辛い。痛い。痛い。

 

 

 

 解決できない地獄に延々と耐えていると、横に誰かが居る気配がする。

 次の瞬間には額や頬を冷たいものでなぞられた。不快な感触ではないけれど、決して頭痛が和らぐことはなかった。

 気付けば全身(感覚がある所だけ)汗だらけになっているらしく、多分今の感触は布だろう……布とすら判断できないぐらい、頭が痛い。

 

 うっすらと目蓋を開けば、また全方位から針が脳に刺されるような激痛が走る。

 片目だけ開いてもそれは変わらず、何とか隣に立った人物が誰なのか、必死にピントを合わせて確かめようとしても、全然調子が合わない。

 色が混ざってしまったように、物と物の輪郭線が分からない。遠近感も分からない所為か、色が変わっている箇所がぼやけ過ぎて、どういう形なのかも曖昧だ。

 

 

 

 ただ、紫色の何かと、強烈に脳内に突き刺さる紅い何かが見えた。

 

「……詩……ん、まだ起……目で…………まだ……少し、……て────」

「ぅ……」

 

 その人物が何を言っていたのか、音すらも脳内で複雑に広がり痛みへと変換されるため、全く聴き取ることができなかった。

 ただ、声の高さからして、恐らく女性だと思われるその人の眼の辺りを見た直後に、急速に意識がなくなった。

 

 声が高すぎて、より一層脳の痛みが酷くなったのに。

 痛すぎて気絶しようにも出来なかった、筈なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▼▼▼▼▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に目を覚ませば、あの激痛は綺麗サッパリなくなっていた。

 一体どれだけの時間を睡眠していたのか。

 どれだけの間、気を失って無意識下に回復に専念していたのか。

 ……まぁ、それは多分、私が寝ているこの家の住人に訊けば良いだろう。

 

 あの時感じていた身体の喪失感もなく、不愉快な汗の感覚もない。

 全身の隅々まで妖力を行き渡らせることが出来る。五体満足そのものだ。

 

 ……力のほとんどを使い切った所為か、妖力は五割程度、神力に至ってはほぼ無い、っていう状態だけど。

 

 

 

 ゆっくりと目蓋を開けば、光で頭痛を感じることもなく、天井が見える。

 何処かで見たような天井だと感じ、布団を捲って起き上がってみる。

 ……気付けば見に覚えのない服を着ている。淡く薄い青色の、言うなればガウンのような服だ。

 別に術式を埋め込まれている様子もないし、そんな衣服よりもその下の肉体の方の調子を見ることの方が大切だろう。多分。

 

 まぁ、実際に動いてみても、身体に異常はなく、精々が少しだるいという所。

 妖力は全然回復しきっていないが、肉体に傷は残っていない様子。

 

 やっぱり力を消費し尽くした後の回復力はいつもよりもかなり悪い……。

 身体もだるさも、多分寝すぎた影響に寄る筋肉の衰えだろう……っていうか、そんな感覚を覚えてしまう程、無茶を昔からしてきたっていう……。

 

 とか、そんな現実逃避は置いといて、ようやく部屋の内装を見渡して気付いた。

 

 ここ、輝夜の所の、永遠亭だな。

 

 天井は目透かし天井、床は畳で、何やら荷物の入れることの出来るベッドに寝ていたらしい。敷布団を捲ればそこも畳。すぐ横には何も置かれていないテーブルと椅子が一セット。

 出入り口は障子戸が一つのみ。どうやらお昼時らしく、太陽光らしい光が障子に当たっているのが分かるものの、相も変わらず全体的に薄暗い。

 

 壁を見れば私が今まで来ていた浴衣が掛けられている。

 

 

 

 起き上がって、外に出てみるか。

 掛け布団をもう一段畳み、両足をベッドから下ろした辺りで、右手の指先に違和感を覚える。

 

 髪の毛が引っかかったような、蜘蛛の巣が引っかかったような────おいおい、純和風の医療施設だからって、そういうのは嫌だぞ私は。

 蜘蛛なんて、見た瞬間にプチっとしちゃうからな? 止めろよ?

 

 

 

 そんな警戒をしつつ、立ち上がって、一歩進んだ所で────急激な目眩を起こした。

 

 

 

「う────」

 

 地面の感覚が分からなくなる。

 

 戸までの遠近感が分からなくなる。

 

 視界が急激にぼやける。

 

 

 

 

 

 

 いきなりなんだと思う間もなく、ぐらり、と視界が動き、慌てて後ろに下がってまたベッドに座り込む。

 眉間を抑えて深く呼吸をしていると、目眩はすぐに収まっていった。

 

 もう一度部屋を見渡しても、何か起きた様子はない。

 あえて言うなら、術式が張り巡らされている様子もない。

 

 ただ、立ち上がっては不味い、ような気がした。

 

 

 

 誰かに何かされたか……? と考えてみれば、そういえば、とすぐにある人物が思い浮かぶ。

 そんな予想を立ててすぐに、部屋の外から廊下を誰かが歩いてくる音が聴こえる。

 

 

 

 十数秒の後にその少女は、戸を開けて、

 

 そして、ヘラヘラと笑いながら手を振っている私を見て、腰を抜かした。

 ……大きな籠の中身を、盛大に周りに散らかしながら。

 

「ぅわあっ!?」

「……患者を見て驚くとは酷いなぁ。鈴仙」

「いっ、いつ起きたのよ!?」

 

 若干涙目になっている。

 ……あれ、鈴仙ってこんな弱虫だったっけ……?

 

「あー、ついさっき。いやぁ、起き上がろうとしたけど、出来なかったよ」

「……はぁ、もうバレてるんですか……?」

 

 そう言ってようやく立ち上がり、真っ赤な瞳で私を見抜いた────

 

 

 

 ────……気付けば、身体のだるさが少し抜け、先程腰を抜かした際に落とした荷物を鈴仙が片付けていた。

 

 ……視線を見た瞬間までは覚えているのに、彼女と視線が外れた瞬間、それと彼女が後ろを向いた記憶がない辺り、やはり術式、もとい、操られていたのは私自身だったらしい。

 

 

 

 改めて調子を確認しようと、片方ずつ肩をぐるぐると動かしてみる。問題なし。

 背中で指を絡めて組み、内側へちょいとひねりながら組んだ両手を全体的に上に引き上げつつ、両の肘を外側へ押し出せば、コキンと小気味良い音が肩から鳴る。

 次に、手は組んだまま尻の方に腕を伸ばして肩と胸を反らす。背中側で肘と肘をくっつけるつもりで、攣りそうなぐらいに反らす。今度はみぞおち辺りの骨がペキと鳴る。

 今度はその腕を曲げずに、肩から先を水平にするように持ち上げていけば、今度は肩よりも先の関節がピキンと鳴る。多分二の腕。

 そのまま手を離して、腕の水平を維持したまま、肘を曲げずに今度は目の前で手を組む。肘の裏側を天に向けて、思いっきり前に伸ばす、背中や首は曲げずに伸ばせば、首の付根がミチミチと伸びる。

 今度は手を組んだままで、手を組んだ時に上になった親指を胸の中心に当て、首を動かさないまま力強く両手を押し当てて、肩甲骨を上に数センチほどあげて伸ばす。ゴリと肩の骨が移動する。

 息を吐いて組んだ手を解いて合掌の形にして、そのまま上に持ち上げて肘をくっつけ、その肘が視線の高さまで来るよう、腕と背中の垂直を維持したまま持ち上げる。後ろの腰がべコリと鳴る。

 

 プルプルと腕が震え、ジワリと汗が出てきた所で、ストレッチを止める。

 大きく息を吐きながら腕の力を抜き、全身を脱力させる。首の後ろの血流が一気に流れ込んでいるような感覚。

 ついでに首を横に倒せば、七回ぐらい骨が鳴る。片方だけで。

 

「……医者の前でよくそんな事をしますね……」

「鈴仙はまだ見習いで、それも医者じゃなくて薬剤師見習いみたいなもんでしょうに」

「う……で、でもまだ完全に回復しきってないんですからね? 注意してくださいよ?」

「分かってるよ」

 

 少なくとも、考えてみればいまいち記憶が定かでない部分があるのも確かだ。

 私は一体どこまでやって、気を失ったのか、その辺りがよく思い出せていない。

 

 それに……それを思い出そうとすると、やけに頭の奥がピリピリするような感覚があった。

 思い出せないからか、それとも、思い出せないような何かがあるのか……。

 

 

 

「……とりあえず簡単な問診をしますよ」

「あいあい」

 

 籠をテーブルの下に片付け終え、改めて椅子に座った鈴仙が問い掛けてくる。

 先程見た瞳は、真っ赤と言う程ではなく、普通の妖怪らしい赤眼で……まぁ、やっぱりあれは何かの術式を操作している時の赤眼なんだろう。多分。

 

 ま、今はそんな事はどうでもいい。

 瞳をじっと見てたせいか、首を傾げられたけど、まぁ、どうでもいい。

 

「どうかしました?」

「いんや、綺麗な赤眼だな、って」

「……今の詩菜さんも、結構な赤眼ですよ」

「あれ、マジで?」

 

 やれやれ、という感じで籠から取り出された手鏡を受け取り、自分の顔を見てみれば……なるほど。確かに瞳が紅い。

 気分的にはそこまで躁鬱のどちらかに偏っているっていう意識はないし、精神的にも落ち着いているとは思うんだけど……。

 

 

 

 ……ん、ん?

 とりあえず手鏡をテーブルにベッドに置き、瞼を閉じて、両手をそれぞれの膝の上に置く。

 

 深呼吸をして、とりあえず落ち着きのなかった妖力を体内に収めて、改めて、

 

 魔術式、終了。

 

 そうすると、スイッチが切れたかのような、フォンという脳内に響く音と、今までずっと同じ力で引っ張られていた髪の毛が、急に開放されたような脱力感が、頭を中心に広がっていく。

 

 どうやら、いつから気を失っていたのかは覚えてないけど、ずっと魔術式を継続して使用し続けていたらしい。そりゃ回復もままならない訳だ。

 

 再度手鏡を取って、目蓋を開いて瞳を見てみる。

 ……うん、まぁ、まだいつもより赤い気はするけど、緋色という程ではない。いつもの範囲内だろう。多分。

 

 ふぅ、と溜息を吐いて鈴仙に手鏡を返せば、何やら疑わしげな表情で見られている。

 

「どうしたの?」

「……どうやったら、そこまで簡単に波長を変えれるのかしら……」

「ん?」

「こっちの話────とりあえず、現時点で何か違和感はありますか?」

 

 お、仕事口調に戻った。とか考えながら、改めて体を確認する。

 魔術式をキチンと終了させたから、回復速度は恐らく向上するとは思うけれど、肉体的な損傷は今の所見付けられないし、妖力自体もほぼほぼ回復している。

 別にいますぐ本調子のまま駆け巡って実家に帰れるぐらいには、多分、体調に問題はない。

 

 途中で目を覚ました時の頭痛もないし、うろ覚えだけど、喪失感があった場所に違和感もない。

 足の指先、手の指先まで十全に妖力が行き渡っている。鎌鼬の爪も問題なく展開可能。

 能力に関しても、両手同時に指パッチンをして音を完全消滅出来たのを確────うん?

 

「……」

「……どうしましたか?」

「いや……右手の指先に違和感があって、さ」

 

 起きた時にも感じた、何か極々細い輪っかが指に取り付けられているような感覚。

 確認しようとすると感覚は消えてしまって、見ようとも触っても、全く確認が取れない、不思議な感覚。

 髪の毛が絡まったような、他人の妖力に手を突っ込んだような……。

 

「それはどの指か、分かりますか?」

「……感覚がすぐに消えちゃうから……けど、多分人差し指と中指が一番強い、かな」

「んー……その他には何かありますか?」

「……気を失う前の記憶が、イマイチぼんやりとしてることぐらいかな」

 

 先程まであった、思い出そうとすると頭の奥がピリピリと痛む現象は、どうやら魔術式の影響だったらしく、今はない。

 

 ただ、最後に見た記憶を思い出そうとすると、それが何だったのかが思い出せない。

 要所要所は覚えているし、全体的な流れも思い出せるけど、どうしてこうなったのか、が上手く思い出せない。

 

「……時系列順に話せますか?」

「うん、えーっと。まず……天子が私の家に来て……」

「……」

「……何でそんな目で見られないといけないのさ」

「……天人様と険悪の仲じゃなかった?」

「ああ、そっか。鈴仙はあの異変以来逢ってないもんね……」

 

 

 

 あのお嬢様、なんでか私の家に入り浸ってるのよ……。

 ……なんで?

 さぁ……?

 

 

 

 

 

 

 あれ? そういえば、私がスキマで地底に突入してから、声を聴いた記憶が無いな……?

 

 

 


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