「────ん」
変化、鎌鼬。
「っ……消え……?」
変化、詩菜。
「っと。うん、戻ったね」
「……は?」
バッ、と右腕を前に突き出せば、袖が翻って健康的な血色の腕がちらりと見えて、また紺色の布地に隠れていく。爪も自由自在に伸びたり縮んだり尖ったりしてくれる。
切断された手首を意識しても、傷が出現したりしない。うーん、素晴らしき健康具合。
幼くなっていた身体も、多少成長────もとい、元の体格に戻ったお陰で何とか幼女から少女からランクアップしたという感じ………………言ってて虚しすぎるな、これ。
足のサイズも変わって、下駄がようやくしっくり来る大きさになった。ずっと動きづらかったんだよね。能力で毎回位置を合わせるように動かしていたから。
私の紬も成長に合わせて、ちゃんとサイズが合ってくれている。
まぁ、この服も地下室に忘れたから変化時に出現しない、とかそういう拗ねた事をしてくれなくて助かった。またこんな地下で素っ裸になるのは困る。されたらまた置いていくけどさ。
何にせよ、幽香の所で行った、肉体の器の縮小・若返り等もようやく元に戻った。
実力が完全に戻ってないとはいえ、私の妖怪実年齢に合わせた姿を取っていても、さほど気疲れはしない程度には、粒子を取り戻せた。
……ま、それでも、肉体や妖力の器は以前と比べれば小さく、それでいて注がれている水の量は変わらないのだから、何処か不具合が起きそうな気もしないでもない。
これまた分かるヒトには分かるんだろうな……肉体は変わってなく見えても、妖力が薄く弱く見えたり、とか。
そんな事を考えながら、掌を握ったり開いたり体を動かしていると、ようやく再起動をしてくれた魔女が声を掛けてきた。
森の魔女の方が再起動もっと早いぞ。大丈夫か紅魔館の魔女。
「……いきなり驚かせないでよ」
「はは、ごめんごめん。ようやく全身に力が行き渡ったんでね」
先程掌から吸収した凝縮した粒子を、全て回収し、還元し終えることができた。
まぁ、それでもやはり足りないものは足りない。
何と言うか、こう、朝方によくある体温が上昇しきってないような感覚……何だこの表現。
軽く屈伸運動しながら階段を登れば、やはり問題点は戻ってきた力の操作云々ではなく、ようやく縮んだ身体に慣れてきた所への、急成長かもしれない。
足元を見ずに一段だけ階段を登る予定が、二段目の段差につま先をぶつけてよろけてしまう。うーん、この何とも言えない感じ。
まぁまぁ、このようやく半分といった所の、この階段を登り終える頃には、肉体の調子も整っているでしょう。多分。ていうか、そうだと、良いな……。
そんな現実逃避もしつつ、身体の確認を終える。
うん、やっぱり調子は良い。
「良い感じだね」
「……とてもそうには見えないけど」
「そう? それなりに力が戻ってきたんだけど」
「でも全快ではないのでしょう? 全て回収し終えても『足りない』なんて言うぐらいなんだから……」
「あー、まぁ、そうだけどね」
私としては、戻ってきただけでもかなり幸運だとは思うんだけどね。
肉体・器の質を落とさなければいけないほどの重体状態だったのを、粒子を回収して七割ほどまで回復できたんだから、それだけでもかなり凄い。
更に相手がフランで、直接『破壊』されなかった、っていうのもとてつもない程、幸運だと思う。
ま、それを踏まえても、パチュリーにとっては良いことには見えないんだろう。多分。
返ってきたのが奇跡に近くても、それでも全快でなければ、それは結果的に良いことではない、と。
魔女らしい考え方なのか、どうなのか……私は魔法知らないからどうとも言えないけどね。
とは言え、これから勉強しようと考えている身でもある。
相手側の考えなんて到底理解できるものではないとしても、それでも物の価値や世界観・魔法の常識ぐらいは知っておかないと、共有することもままならぬ。
共有する気が私にあるとして、の話になるけどね?
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長い階段を上がり終え、通った筈の通路をうろ覚えながらも曲がりながら図書館へと戻ろうとする度に、パチュリーから「そっちじゃないわ」とか、「こっち」とか言われながら、ようやく元の場所まで戻ってこれた。
あれ〜、おっかしいな〜……私方向音痴な訳がないんだけどなぁ……なんでこう覚えられないかなぁ……なんか術の影響でも受けてるのかなぁ……?
ま、それは後でまた考えるとして、
「……帰りなさいよ」
「いや、ちょうど良かったし、そういやこの前読んでる途中で止められちゃったし」
「私にとって邪魔なの」
「そこの風の記述────その設定、勢いだと暴発とまでは行かないけど、術者に影響出ると思うよ。威力そのままにしたいなら、範囲を絞るか、付与効果付けた方が良いんじゃない?」
「………………貴女が居るから集中できないの」
「へぇ」
とか、何とか言いつつ無理矢理追い出そうとしないんだもんね。
魔女は皆ツンケンしつつもどこか優しい所がある奴がなるものなのかしら。
何にせよ、私は机でいつぞやに読んでいた『魔術大全』とかいう安直なタイトルの分厚い本を読んでいて、パチュリーはその反対側で椅子に座りつつ、何やら術式を構築している。
私が知る紅魔館の住人全員が机を利用しても十分にスペースが確保できる程のテーブルに対して、こうして対岸で座り合う理由は果たしてないんじゃなかろうか、と思わなくもないけどさ。
そもそも、私がこう魔術について勉強している向かい側で、魔術の構築している辺りがねぇ……何て言うかねぇ……元々そんな予定だったのかもしれないけどさ……。
それにしても、この『魔術大全』。
前に読んでいた時も思っていたけれど、安直なネーミング過ぎる本だと思ったら、共通言語化された魔術しか載ってない。それもかなり初歩的なものばかり。
まぁ、完全初心者用なんだろう。前回一発でこれを引き当てて読んだ、ってのは運命じみたものを感じるけど……それにしても、内容が本当に初心者向けすぎて、ちょっとつまらない。
こうして長く生きている分、相当数の術式を構築してきたし、他人の術式用言語が読めなくてもあの部分は攻撃範囲の指定だろう、っていう予想は何となくできる。というか、それぐらい今まで見て生きてきたという、私なりの自負がある。
今この本を読んだからこそ、パチュリーの構築している術式の一部は解読できるようになった。
だからさっきの口添えも出来たし、もし仮にこの本を読んでいたなかったとしても、あの数値の記述は威力を表しているんじゃないか、っていう予想ぐらいは出来る。
仮にも一応、私も賢者の式神だ。
術式の運用なら藍にも負けるつもりはない……発動できる程の力があるかどうかは別にして、だけど。
とは言え、まぁ、術式構築・運用で勝負した訳でもないし、勝負しようとも思わないし、術式そのものならまだ自信がある、ってぐらいのものなんだけど……。
だからこそ、この本の対象人物は、『人間から魔法使いなりたてのヒト』が読むべき本じゃないのかって、そう感じてしまう。
いやぁ、私の術構築熟練度が高すぎるのか、それとも応用しまくる癖がある所為なのか、それ数十ページ前にあった奴でもっと短縮・高効率化できない? なんて事をどんどん思い付いてしまう。
あ、いかん。
なんか作りたい。何かどうでもいい術作りたい。
少し前にパチュリー先生から、『生兵法は怪我の元』とか言われてるのに。
くっそどうでもいい応用を利かせた術式作りたい。すごいウズウズしてしまう。
うし。
術式言語展開開始。
効果作用範囲設定、効果適用対象設定、適用対象作用効果設定。
代入変数設定、変数変換設定、変換結果設定。
術式言語展開終了。
「────よっと」
「……何をしてるの?」
「つい出来心で作った。後悔はしていない」
「何を作ったのかを訊いてるの────貴女の感想は訊いてないわ」
「あらそう」
そんな会話をしている私の肉体からは、現在進行形で、緑色に発光する粒子が次々と溢れ出ていた。私の妖力色である緋色とは全く違う、怪しく輝く緑色。
例えるなら……まぁ、アレだ。蛍光色に光る緑の粒子。
環境汚染とかしそうな程に、毒々しい緑白色に光。
そんな物質が私の肌から溢れ出ているのだから、そりゃあパチュリーも作業の手を止めてこちらを見るだろう。傍から見れば私自身が発光しているようにも見えなくもないぐらいだ。
ていうか、少し眩しすぎる。作用効果の設定をちょいと変えよう。
術式を起動しながら、設定を展開し発光量の値をいじる。
……うん。これぐらいの光量設定で良い筈。
術式を更新し、起動状態の設定を改変したものを、そのまま連結させて動かしてみる。
緑色の狐火かと思う程のコブシ大ほどの光が、蛍が放つようなごく小さな光へと縮小し、小さな点が次々と周囲に溢れ返っていくようになった。
私の肌からそれらがポコポコと生まれ出てくる様は……まぁ、控えめに言っても気味が悪いけれど。
今度は、変数変換の設定を少しいじる。
先程までは、代入された妖力を全て魔力っぽい力に変換していたけれど、今度は意識して変換するものとしないものに分けるようにする。
まぁ、具体的に言えば妖力の濃度がある一定レベル以下のものを識別して変換していく、対象識別設定の追加と、変数変換設定の変更だ。
簡潔に言えば、ある特定範囲内の粒子濃度によって、性質・色彩を変えて光らせる条件の追加、って所かな……いや、簡潔じゃないなコレ。うん。
ついでに、識別と変換の際に使うエネルギーを密度の高い妖力から自動的に供給するよう、自動更新設定を冒頭と末尾に付け加えておく。
冒頭の自動更新の供給範囲を体内、末尾の自動更新を皮膚から数センチの範囲に設定し、末尾が更新され始めたら冒頭の自動更新をストップするフラグも追加しておく。
……正直に言えば、末尾の自動更新による供給が足りなくなった際に、体内の自動更新から補う条件式も追加したい所だけど、まぁ、面倒なので後回しだ。
上手く供給設定が起動・停止すれば、条件を追加すれば良いだけなんだし、そこまで慌てて追加しなくても良いでしょ。
……よし。
術式の更新を終えた所で、一度術式を完全終了し、再度立ち上げてから、両手を前に差し出し、掌を上に向ける。
私の皮膚から、直接緑色の粒子、全身の皮膚から数センチ離れた所から、緋色の粒子が、それぞれ発生し始める。光の強さは先程と変わらず、蛍火のような小さな輝き具合。
そして左手の上に、赤に輝く粒子が溢れ出し、緋色の火の玉が出来た。
同時に右手の上には、緑に光る粒子が集まり、緑色の火の玉が出来る。
緋色の正体は、私の純粋な妖力。魔術の基礎とやらの項目で見た『属性の確認』の変換設定を、私の術式言語にアレンジして作ったもの。
緑色の正体は、今『魔術大全』を読んで大雑把にこんなものでしょ、とテキトーに設定した魔力なるもの。多分魔女が見たら「魔力じゃない何か」と答えるような力。
……うん、それなりにきちんと動いているのではなかろうか。
冒頭の自動更新設定が上手く動いているらしく、緋色と緑色のタイムラグが出ないのは非常に嬉しい。
判定式が皮膚からの距離で設定しているから、緋色の粒子は手から完全に浮いた位置に集合しているように見えるのに、緑色の粒子は皮膚から発生して球体になっているように見える。
んー、判定式をもうちょいイジれば、完全に別の粒子として発生させるように出来るんだろうけど……体内での自動更新のみにして、供給元の判別式をもっと効果があるものに変えれば良いのか。何があるかな……?
……ある一定範囲内の妖力を三等分し、ある一つの粒子グループは変換せずに妖力のまま、ある一つの粒子グループを魔力っぽ緑色の粒子に、残り一つの粒子グループをその変換のための自動更新に費やせば良いのかな?
いやコレかなり燃費悪くないか? これだと既存エネルギーの三分の二しか使えない計算に………………いや、お遊びだしこれで良いか。
うーむ、どうも新しい術式を作るとこう、無駄な機能と高効率化を付け加えたくなる。
まぁ、個人的にはいつも見ている妖力の色────緋色なのだけれど、他人の力の色を知る機会なんてのは良く良く考えてみれば滅多にないので、いっそ分かるように着色してしまえ。というような気持ちで術式を追加した。
いやぁ、こういう凄いどうでもいい所にこだわって小さいアレンジを積み重ねることのなんと楽しい事やら。ホント。
それにしても、これは果たして第三者から見て『魔術』と呼べるのか、それともまだ『妖術』の部類なのか……まぁ、そんなの術式言語を管理してる私が決めるべき事なんだけどさ。
さてさて、とりあえずそこの魔女に感想を訊いてみよう。
何も言わずにただじっと観察するだけ、ってのは、ちょいと対価が安すぎるんじゃないかい?
「どうよ?」
「……まぁ、初歩的な術式のアレンジみたいだけど、読み始めて数時間でそこまで立ち上げれるなんて思わなかったわ」
「ああ、絶妙な感想だね……」
褒めてるような、褒めてないような……良いけどさ。アレンジ云々は大正解だし。
ふと思い立って、掌の上で停止させていた火の玉を徐々に浮かせていく。
狐火、もとい『鼬火』とでも呼べば良いのか、その二色の火の玉はふんわりと図書館の天井へと向かっていく。
それも、4mを超えた辺りで、徐々に形が崩れていく。
私の粒子操作の範囲外だ。
……ほぼ同時に妖力の玉と魔力の玉が消えたのは、やはり性質を完全に変換しきれていない証拠なのかしら。
でもまぁ、妖力が消えかけている時に、魔力へと変換されていないのは、やっぱり変換範囲設定と条件が上手くいっている証拠だとは思うんだけどね。
目測で5mを超えようかという頃には、もはや完全に粒子が離散してしまい、私の意識的には『その位置で鼬火を操っている』という感覚があるだけで、どこを見ても鼬火は見当たらない。
風とか衝撃とか、そういうのを意識して操るなら別なのだけど、粒子として操ろうとすると途端に操作可能範囲が狭くなる。単に不慣れなのか、それともそういう気質なのか……まぁ、森の魔女宅で大体調べたんだけど。
これ以上は無意味と判断し、粒子の操作を取りやめた所で、術式を操作していたという意識があった場所には何ら変化が起きていない。そもそも操っていた粒子が霧散してしまっているから、当たり前といえば当たり前なのだけれど。
私の周囲にはこれほど二色の粒子が溢れているにも関わらず、それらの粒子は外へ向かう度に輝きを失って消えていく。
……一応、効果範囲は私を中心に半径10mくらいは粒子が飛び回れる設定になっているんだけどねぇ……そもそも力の性質を変化させたとしてもそれに対応できない、ということなのかしら。
「……それが、弾幕が出来ない原因?」
「原因の一つって所。遠隔操作が極度に苦手、って感じかな」
私自身の周囲でなら、幾らでも細かい事とか出来るんだけどね。
っていう感じで、緑の巫女と赤の巫女を真似た実寸大サイズの人形をさっと作る。二色しかないから人型と装飾で幻想郷の巫女、って分かるぐらいしか再現できないけどね。表情とかも作れやしない。
これがまぁ、例のチルノとの戦いの時に出た、《偏在》の思考なしバージョンだ。
というか、こんな模造品を作ったって巫女にバレたら粛清ものな気がする。
……いや、もしかすると紫が先かもな。なんやかんやで溺愛してるっぽいし。
「……ふぅん……?」
「ん、どうかした?」
「いえ……確かに、言うだけあって操作は巧いのね」
「まぁね。それなりに自信はあるよ」
と言っても、ここから更に詳しく表現しようものなら何かしらのアクションが外から飛んできそうなので、この似非巫女の二人は消滅させる。
現れた時と同じように、外側から粒子状となって崩れていき、作ったばかりの術式を終了すれば、光が空気中へと溶けていくように消えていく。
まぁ、人型状の粒子を操る技術は、元より《偏在》と《遍在》のために努力して覚えた技術だし、人形の出現位置も私から2m以内じゃないと上手く動かせないし、使えるか使えないかで言えば……あまり使えない方の技術かな。
……ん、うん。
「帰ってきたみたいだし、私もそろそろ帰るよ」
「帰ってきた?」
「ヨロシク伝えといてね」
「あっ……ちょっと」
パチュリーの返事も待たずに、スキマを作って逃走完了。
紫の姿が見えない辺り、巫女云々の事は見られてなかった様子。
まぁ、別に隠すようなものでもないし、怒られるようなものでもないとは思うけど……。
そうしていつも通り、自宅にスキマを開いて帰宅。
彩目はやっぱり帰ってきていないらしい。
おかえりの挨拶をしてくれたぬこを抱きかかえつつ、
紅魔館の図書館で何やら会話がされているのを確認しつつ、
誰も居ない自宅をふと、見渡す。
まだまだ日は高く、おやつの昼八つ時という所。
「……彩目でも迎えに行く?」
「ご自由に」
ま、そりゃそうか。
という訳で、ぬこを頭に乗せながら、人里へと向かう事にする。
「……格好、恥ずかしくない?」
「別に」
「そうか……」
年内にもう一回更新したい所(するとは言ってない。