知りたがりの魔王様   作:grotaka

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第三話

 

 

【バチカン強襲事件について、彩衛伊吹の章より抜粋】

 

 

 "求智の王"彩衛伊吹。神秘を求め世界を騒がす魔王が、最初に起こした事件がバチカン強襲事件である。

 

 諸兄も知っての通り、バチカンはローマ・カトリックの総本山。今でこそ『総本山』止まりだが、19世紀までは異端者狩りを専門とする秘密結社を有し、無法者の魔術師や敵対する魔術結社を抹殺してきた一大勢力である。

 

 当時は1880年代。イタリア王国が成立してまもなく、バチカンの秘密結社も活発に活動していた。

 

 そんな彼らは、紀元前から受け継がれてきた聖遺物を保管する巨大な宝物庫を地下に有していた。その内部には、世に出れば歴史を塗り替えかねないものや、あまりに強過ぎる神性故に厳重な封印を施されているものも数多くあったという。

 

 事件の発端は、1884年、その噂を聞きつけた彩衛伊吹が、バチカンに宝物庫の中身を閲覧させるよう要求した事である。

 

 

 当時、彩衛伊吹の知名度はそこまで高くはなかった。既に二つの権能を有し、北欧・中欧を拠点にしていた彼も、まだそこまで目立った活動はしていなかったのだ。

 

 それに、我々賢人議会がカンピオーネの情報収集を始めてから数十年程しか経っていないという状況下、バチカンは神殺しの魔王の恐ろしさを知る情報源自体が限りなく少なかった。

 

 伝承程度には伝えられ知られていたものの、現代の魔術結社程の徹底などされておらず、出来るはずもない法螺噺を御伽噺じみた武勇伝として信じていたのだ。

 

 結果として、彩衛伊吹の要求を拒んだバチカンとその秘密結社は、王によって容易く蹴散らされ、宝物庫に保管されていたものはそのほとんどが奪い去られた。

 

 当然、バチカン側は抵抗した。だが相手はカンピオーネ、人間の魔術など相手にもならない。そして彩衛伊吹は神術の行使者だ。

 

 バチカン側の戦闘員は、身体的損傷こそ無かったが精神的に大ダメージを負い、徹底的に無力化された。中には植物状態にまで追い込まれる者もいた。結果的にバチカンの秘密結社は、人員のほとんどを喪って崩壊、物的人的共に甚大な被害を受ける事になる。

 

 だが、それ以上に恐ろしいのは、その戦闘によってサン・ピエトロ大聖堂がその一切を破壊される事はなかったという事だ。

 

 彩衛伊吹が物理的攻撃を行わなかったから、という理由ではない。バチカン側は、それこそ完全武装の陸軍一個中隊が全火器を一斉射撃させるくらいの攻撃で、彩衛伊吹を迎撃したのだ。それを、彩衛伊吹は完全に無効化した。

 

 この行為は、彩衛伊吹が歴史的遺産を破壊するのは忍びないと配慮した結果、であるらしい。

 

 つまり、彩衛伊吹にとっては、百数十人程度の人間など全く相手にならなかったという事だ。その中に聖騎士級の戦士や術師が混ざっていようと、建物に被害が及ばないよう結界などを張った上で、目の前の邪魔者を一瞬で始末する。それが神術の行使者の力なのだ。

 

 

 この事件から数年ほどして、奪い去られた宝物の多くが、彩衛伊吹によってバチカンに返還された。だが、特に貴重な宝物――かの"ロンギヌスの槍"などの宝物は、未だに彼の手元に置かれたままだと言われている。

 

 これ程の行為を、新人の神殺しが容易く成し遂げてみせたという事実。これは我々人類に、カンピオーネという存在が、その経歴に関わらずいかに超越した存在であるかを知らしめるものであった。

 

 

 この事件を以て、彩衛伊吹は神秘の追求者としての名乗りを上げた。以後、彼はさらに活発な活動を開始し、数々の伝説を打ち立てていくことになる。

 

 

 

  ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 日本正史編纂委員会は、日本の呪術師やそれに関わる様々な事物を統括する機関である。

 

 平安の昔より呪術の統括を担う貴族として天皇に仕えてきた、沙耶宮、清秋院、九鳳塚、連城の"四家"。彼らが中心となり、沙耶宮惟道によって設立されたのがこの組織の始まり。

 

 知恵者の一族である沙耶宮家を主軸に、政治や軍事に鑑賞力を持つ清秋院家、“とある社”の管理を受け持つ九鳳塚家、さらに“とある聖域”の管理を受け持つ連城家。彼らとその分家が集い、ヨーロッパの魔術結社にも負けない統率力と諜報力を誇っている。

 

 彼らは政府や警察、自衛隊にも関係を持ち、表の社会への干渉力を有しつつ様々な実力を備えた呪術師達を傘下に置いている。そして媛巫女と呼ばれる呪的能力者達の協力を受け、この国の裏社会の秩序を保っているのだ。

 

 そして、彼らの上に君臨する王が、彩衛伊吹。世界に八人しかいない神殺しの魔王達の中でも、100年以上を生きる古参の魔王達四人の一人である。

 

 世界最高の術師である彼によってもたらされた知識や魔術具は、委員会の発展に大きな役割を果たしているのだ。

 

 それ故、委員会の者達、特に重鎮達は彼を大師と呼び、最大限の敬意を払っているのである。

 

 

 /◯/

 

 

 《2012年 四月末》

 

 

 東京都千代田区麹町。東京都に存在する高級住宅街の中でも歴史あるエリアだ。その一角に、やや古風な邸宅がある。

 

 外観はともかく、大きさでいえば周囲の邸宅に紛れる程度。雰囲気こそ明治風で、大正時代から建っている歴史ある邸宅だが、そういった要素はあまり目立つ事はない。その主こそが、この邸宅の特異性の原因たる存在であった。

 

 別荘的意味合いが強いらしいこの邸宅は、基本的に人気がない。何ヶ月かに一回、雇いの清掃員達が大掃除をしているのは知られているが、主人らしき人物を見たという人はほとんどいない。そして、見たという人のほとんどが50歳以上の高齢者で、彼らはその事を問われれば、自身が子供であったり20代の若者であった頃にはちらほらと見かけた、と一様に答えるのだ。つまり、もう40年以上は使われていないという事になる。

 

 しかし、住人がそれだけの期間不在にも関わらず、この邸宅は売りに出される事もなければ取り壊される事もない。それ故、地元ではどこか不気味な屋敷として認識されていた。

 

 

 ――だが、数日前から、この屋敷は唐突に賑やかさを取り戻した。

 

 清掃員が大掃除をしに来たという訳ではない。ある日、何やら物騒な黒スーツの集団が邸宅の敷地内に入り込み何かをしていたと思うと、次の日には一人の青年が邸宅で生活を始めたのだ。

 

 その日を境に、何人もの訪問客が邸宅を訪れるようになった。その客が、どこかの業界のお偉方のような、明らかに一般人ではない者達ばかりだったから、周辺住人は色々な意味でその青年を気味悪がった。

 

 

 そしてその日も、この邸宅を訪問客が訪れた。

 

「……確かに、僕らの管理体制もまずかったかもしれないけどさ。主にあの人の気まぐれのせいだよね、今の風評って……ねえ、甘粕さん」

 

「仰る通りです、馨さん」

 

 正史編纂委員会東京分室室長、沙耶宮馨。そしてその部下にして委員会のエージェント、甘粕冬馬。二人はどちらも渋い表情で目前の邸宅を眺めている。

 

「甘粕さんは会うの初めてだっけ?」

 

「はい。……まあ、本音を言うなら、お目にかかりたいとは思った事ないですけどね」

 

「身も蓋もないねぇ……ま、気持ちは分からなくもないけど」

 

 普段は割とテンション高めに、胃が痛くなりそうな会話をしている二人だが、今日は甘粕のテンションが妙な程低かった。

 

「とりあえず、有り得ないでしょと思う事を色々見聞きする事になるけど、精神を平常に保つよう努力していれば大丈夫だから」

 

「なんか物凄く帰りたくなってきました」

 

「ダメだよ甘粕さん。諦めるんだ。慣れないと、この先やっていけないよ。――さすが神殺しの君だけに、常識なんて簡単に壊すんだからさ、先生のやり方は」

 

 

 ――この邸宅の主の名は、彩衛伊吹。魔術業界にて最も妖しき存在として知られ語られるカンピオーネである。

 

 

 /◯/

 

 

「やあ、馨じゃないか! よく来たね、さ、上がって上がって」

 

 門の横に備え付けられたインターホンのボタンを押すなり、待ち兼ねていたと言わんばかりの早さで、ドアを開けて伊吹が現れた。黒いワイシャツと紺色のジーンズというラフな格好である。

 

 にこやかに笑いながら馨を迎え入れ、その後ろにいた甘粕にも同様に笑いかける。やたらと機嫌が良いらしい。馨は肩をすくめて屋内に入り、甘粕はどこか憮然とした顔で続いた。

 

「久々に戻ってきたけど、ちゃんと手入れしてくれてたんだね。助かったよ、大掃除しなきゃいけないかと思ってたんだけど」

 

「先生は気まぐれ過ぎるんです。いつ帰ってくるか解らないですから、僕らも前々から準備しとかないとやってけないんですよ」

 

「ああー、それはごめんよ。何かに夢中になってると他事が思考に入ってなくてさ、はははは」

 

 快活に笑う伊吹に、馨はやれやれと肩をすくめる。そして思い出したように周囲に目をやった。

 

 邸宅の内装は落ち着いた雰囲気のいわゆる洋館スタイルだ。壁紙は深緑と純白で、所々金箔で蔓枝模様の装飾がある。華美さを抑えつつも高級感を損なわない――これが伊吹の好みであり、また馨の好みでもあった。

 

 伊吹は二人を階段横のドア――応接室に案内した。二人にソファに座るよう勧め、自分も向かい側に腰掛ける。

 

「悪いね、茶も出せずに。その辺の備蓄は、昨日切らしてしまってね……他の皆(・・・)も出払っちゃってるから、用意してくれる人もいないんだよ」

 

「え……あの先生、昨日切らしたって、僕の記憶じゃ数日分はあったはずなんですが」

 

「ああうん、皆でパーティを」

 

「えぇー……」

 

 思わず本心が口から出た。

 

 神秘の知識を操って世界の秩序を乱す存在というのが、世間での彩衛伊吹の人物評価である。

 

 しかし、彼のプライベートを知る者達は決まってこう言う――『彩衛伊吹は世界を混乱させようとする狂人ではない。ただ単に、自分の欲望に忠実なだけだ』と。

 

 そして、彼の欲望はあらゆる方向に向く。神秘の知識に向き合っている時はそれこそ超常の術者となるが、こういう平和な日常においては、ただ思いつきで行動するマイペース人間になり下がるのだ。

 

 もっとも、この傾向は伊吹にのみ見られるものというわけではないが。

 

「12人で派手にってなると、案外消費も早いものだね。さすがに一夜で切れるとは思わなかったよ、ハハハ」

 

「ハハハじゃないですよ先生……まあ食料くらいなら用意するのは楽だから、いいですけど。もう少し考えて行動して下さいよ、いい歳して……」

 

「僕の場合いい歳ってレベルじゃないけどね、ハハハ」

 

「そこで笑わないで下さい、こっちとしても突っ込みにくいので」

 

 ――古参の大魔王と委員会の幹部がするとは思えない、何とも気の抜けた会話に甘粕は半ば呆然としたまま傍観に徹していた。まあ正直その気分は分かるのだが。

 

 12人という事は、伊吹とあと11人。おそらく"八瀬童子"の事だろう。人ならざる存在達が賑やかにパーティとは、何とも自由過ぎではないだろうか……。

 

「前にも言った気がしますけど、久しぶりに戻ってきてこの有様っていうのは、本当に何とかならないんですか。本当に何しに戻ってきたのか解らなくなりそうですよ」

 

「久方ぶりに家に戻ってきたって実感で、気が緩んでしまったんだよ。それに何しに戻ってきたのかなんて、そんなのは言わなくても分かってるだろう?」

 

「ええ、そうですね先生」

 

「ははは」

 

「ふふふ」

 

「「あっはっはっはっはっは」」

 

 ……あまりに居心地の悪い空間に、甘粕は胃に穴でも開きそうな程ストレスの溜まった顔をしていた。

 

「というか馨、前にも言ったじゃないか。僕が帰ってきた理由」

 

「ああ、そうでしたね。――確か、新しい恋人が欲しい、でしたっけ」

 

「いやいやいや、何がどうなったらそんな話になるのさ!?」

 

「先生の日頃の行いからですが」

 

「え、僕最近はそんなに女性と接点持った記憶がないんだけど……」

 

「それは先生、僕は色んな人から話を聞いていますから。例えば僕の母方のお祖父様とか、冬姫のお祖母様とか――」

 

「ま、まあその頃は色々あったから! というか馨、そういう事はあまり君にはどうこう言われたくない! 女性同士が付き合うって、今の日本じゃちょっとおかしい事なんだぜ!?」

 

「恋愛は個人の自由ですよ先生。それに今じゃ割とメジャーですよ?そういう漫画はたくさんありますし」

 

「………えっ」

 

 割と衝撃を受けたらしく、伊吹が表情を硬直させる。馨はそれを見てどこか誇らしげな顔になり、甘粕は空気になる事を決め込んだようだった。

 

「……漫画ってそういう世界もあるのか……ちょっと興味が出……いやいや何を言ってるんだ僕は。と、とにかく、馨! 今回僕はそういう目的で来たんじゃない。それだけは間違いないから」

 

「はいはい、分かりました」

 

「………」

 

 満足げに笑った後、馨がふと横にいる甘粕を見やると、彼は驚く程疲れ切った顔をしていた。それもそうだろう、あの大魔王が恋愛事になるといきなりただの若者のようになるという、あまり信じたくない光景が目の前で繰り広げられていたのだから……。

 

 その発端は自分なのだが。

 

 

「そういえば馨、今日は何の用件で来たのかな?別段用件が無くても構わないし、僕の所に遊びに来てくれたのは嬉しいけど、ほら、君のお供がそろそろ本題に入りたそうな顔をしてるからさ」

 

「………あ」

 

 思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。

 

 すっかり忘れ切っていた。ツッコミどころが多過ぎて、本題に入る事を忘れていた。

 

 馨は咳払いをして居住まいを正す。伊吹は面白いものを見たかのような表情をしていた。

 

「……では先生。本題に入ります」

 

「はいはい、どうぞ」

 

 軽い調子で応じた伊吹だが、馨が眼光鋭く睨みつけると真顔になって沈黙した。

 

「先日から続いている神獣顕現事件について、御相談させて頂きたい事が幾つかありまして」

 

 ――伊吹が帰還してから数日の間に、神獣が顕現するという事態が四件も発生した。そのいずれもが竜や蛇など、大地に属する神獣であり、それら全てに対して伊吹が対応した。今は落ち着いた状態にあるが、油断は出来ない。伊吹も馨達も警戒を怠る事が出来ない状態である。

 

「神獣が顕現した場所で、媛巫女達に霊視をさせました。そこで得られた情報ですが……どうやら、何らかの神具が用いられた可能性が高いようです」

 

「……へぇ」

 

 馨に代わって発言した甘粕の言葉に、伊吹の瞳が細められる。

 

 神具。その名称には、彼も興味をそそられたようだ。

 

「彼女達曰く、おぼろげながら地面を打ちつける縄状や棒状の何かが視えた、と。ああ、色は黄金のような気がするとも言っていましたね……。しかしそれを扱っている者が何者かまでは不明です。神力の名残らしきものも見つかっていないので、まつろわぬ神による行為ではないと判断出来ましたが……」

 

 馨の話から情報を得、伊吹は思案を開始した。顎に手を添え、膝を組み、肘を膝について考え込む。

 

「なるほど……黄金の縄と棒……打ちつけるというのだから、鞭と杖か?竿状武器はこれでもかっていうくらい数が多いから、特定は難しいが……」

 

「で、それらで地面を打ちつけた結果、地脈に莫大量の精気を与えたと考えるのが妥当かな……とすると地母神や豊穣神にまつわる神具か」

 

「すぐ思いつくのは聖王イマの黄金の鞭と杖か。イマは太陽神の息子であり原初の世界の王。日本でいう閻魔様――インドの冥府神ヤマと同じ神格だ。ゾロアスター教での役割は、人も悪魔も支配下に置き、世界に富と繁栄をもたらす黄金時代の支配者。楽園の支配者であるが故に豊穣神の神格も持つ」

 

「杖に関しては矢という説もあるけど、どちらも王権に関わる道具である事に間違いない。イマの持つそれらは大地を広げて民の住む土地を増やした神具。このパターンにもある意味似通ってはいる……」

 

 わずかな情報から一瞬で推測を立てていく。有する情報量が桁外れなのだから、もっともな話ではあるが。

 

「……まあ、推測はいつでも出来る。問題は誰がその神具を使ったか、だね」

 

 落ち着いた、しかし真剣そのものの声色に、馨も甘粕も気を引き締め直す。

 

「……ああ、間違っても僕が主犯じゃないからね。そこは弁明しておくよ、絶対だ」

 

「いや、僕らは何も言ってませんが」

 

「ごめん反射で」

 

 ……すぐに気を緩めさせられたが。

 

「まあとりあえず、僕の推測を言おう。相手はおそらく神祖だね。――とはいえ、君が今考えたであろう彼女(・・)じゃない」

 

 馨の開きかけた口は、伊吹の一言によって閉じた。

 

「彼女は神獣を呼び出すのに神具なんて必要としないよ。他の神祖とてそれは同じなんだが、彼女には神獣どころじゃ収まらない存在を呼び出す一手がある。何気にデメリットも大きいらしいがね」

 

「……なるほど」

 

 馨が思い浮かべた神祖――伊吹の長年の宿敵である神祖については、馨もある程度知っていた。伊吹の武勇伝には彼女が頻繁に関わっているということもそうだが、伊吹本人にもよく聞かされていたのだ。――幼いがなかなか厄介な"魔女王"である、と。

 

「でも、それならその神祖は何故わざわざ神具を使って神獣を顕現させるような真似を? 神具を使わずとも、神獣を召喚出来るんですよね?」

 

「ああ、その疑問はもっともだね。僕の予想じゃ、理由は二つある。一つは、単純に普通より強い神獣を召喚したかったからだろう」

 

「通常より……強い?」

 

 疑問の声をあげたのは甘粕だった。

 

「箱根の件の時、実は私、あの場にいたんですが……かなり簡単に倒されてたので、その実感がどうもないのですが」

 

「それは当たり前さ! 神獣なんて、どれだけ強かろうと僕の相手にはならないよ。数が多いと掃除するのは面倒だがね」

 

 さらりと恐ろしい事を言ってのける伊吹。だが全く以てその通りだろう。成って一年も経たないカンピオーネでも、神獣を倒すのに手間など掛けないというのが一般常識なのだ。古参の魔王からすれば、その視点よりさらに上の段階に立つ事になる。

 

「強い個体とはいったけど、まあ箱根の場合は例外かな。あっちはほら、七体の竜がいただろう? 質より量を選んだって事だろうね。その逆のパターンが、一昨日の戸隠山の九頭竜さ」

 

 戸隠山の九頭竜。一昨日、長野県の戸隠山に顕現した竜である。名前の通り九の頭を持ち、頭部には鬼角を生やした独特な風体であった。

 

 この神獣は、地下水脈を暴発させて山の荒々しい岩盤を砕き、洪水や大規模な土砂崩れを起こし、また天候を操って長野県や新潟県など広域に台風並の豪雨を降らせた。戸隠山自体がその標高を三分の二程に縮めてしまい、周囲の地形にも多数の変化が見られるなど甚大な被害をもたらしたのである。

 

 そして、伊吹に一瞬で斃され、彼の"研究室"に運ばれた。

 

「あれは神獣にしては、結構広い範囲に影響をもたらしてただろう? 神獣自体の力がそれだけ強かったって事さ。カンピオーネやまつろわぬ神が呼び出す神獣はそれ以上の力を持ってるし、まあそれなりに強い、ってくらいだけど」

 

 言われてみれば、といった様子で甘粕が頷く。彼も心のどこかで疑問に思う節はあったようで、納得したようだった。

 

「で、二つ目、これは完全に僕の推測だけど……多分“野良”にする事に意味があったんじゃないかな」

 

「“野良”にする事に、意味……?」

 

 “野良”とはつまり、使役する主人がいないという事だ。

 

 神獣を使役するのはまつろわぬ神かカンピオーネである。彼らは自身の権能、あるいは魔術・呪術で神獣を召喚し、自らの手足として戦闘やその他様々な事を手伝わせる。神獣も主人の使役下にある事で能力が強化され、統率された動きを取るようになるのだ。

 

 野良の神獣は、主人がいない為にそういった恩恵を受ける事は出来ない。呪力は自前のもののみで、制御する者がいないので自らの衝動に突き動かされて行動する。

 

 突如顕現した神獣が周囲を破壊するのは、自意識が明確でない事と、自身の内にある溢れんばかりの精気(エネルギー)に突き動かされての事なのだ。

 

 こういった面から見て、野良の神獣というのはメジャーではあるが比較的弱い個体というイメージがある。わざわざそれを選ぶというのは、一体何のメリットがあっての行為なのだろう?

 

「これは分かりにくいメリットだし、あまりメリットにも思えないようなものなんだけどね。――首輪を繋がない、手綱を握っていないって事は、逆にその首輪や手綱を伝って自分に辿り着かれる事がないって事なんだよ」

 

「「………?」」

 

 馨と甘粕は揃って眉を潜めた。いまいち、伊吹の言うところのメリットが理解出来なかったのだ。

 

 制御せずに放置というのは、つまり時限爆弾のタイマーを目隠ししてセットするようなもの。何が起きるか全く予期出来ず、自分の計画がそれによって頓挫する可能性があるということである。

 

 そんな事をするメリットが果たして存在するのだろうか? ただ単純に破壊力を求めた、というだけではないのだろうか?

 

 そんな彼らの疑念を見透かしたように、伊吹は肩をすくめて苦笑した。

 

「まあ、このメリットを考えた時、ちょっと自意識過剰かとは思ったんだけどね。彼女達(・・・)とはもう長いこと喧嘩し合ってたから、あっちも僕の事意識して行動するだろうって考えが定着しちゃってるみたいだ」

 

「自意識過剰……? つまりどういう事です?」

 

「制御下に置かない事で逆探知をされない。これは裏を返せば、制御下に置かれている神獣なら必ず神獣の主を逆探知出来るということなんだ。とはいえ、そんな真似が出来る奴なんて、まつろわぬ神を除いたらほんのわずかだぜ」

 

 そこまで言うと、伊吹は少しばかり恥ずかしげに頬を掻いた。その仕草で、ようやく馨は彼の意図を読む事が出来た。

 

「……ああ、なるほど。対先生用の対策ですか」

 

「そ、そういうこと」

 

 納得する反面で、馨はやや呆れの気持ちも得た。何故この人は、普段は堂々としているのに、自分の事を自賛する時にだけ照れ臭そうにするのだろうか……。

 

「まあこの理由に関しては、一回やられた事があってね。逆探知が出来ないせいで仕掛けた相手がすぐには解らなくて、それを解き明かすのに手間取ったせいで痛い目見たんだよ。それを参考にして、今回は可能性の一つとして考えておくことにしたのさ」

 

 伊吹にとっては二度目の出来事のようだ。確かに彼なら呪的な繋がりを辿って神獣の主とその居場所を探るような真似も可能だろう。それを可能にする知識と力を、彼は有しているのだから。

 

「なるほど。そういうことなら、納得ですね」

 

「とりあえず先生が神祖の方々に相当恨まれてる事も充分に分かりました」

 

「な、なんか棘のある言い方だな……。とりあえず、今は伊亜と伊雨に地脈を視させているし、他の皆にも全国各地を巡回させているけど、彼女の居場所を特定するのは難しい。何せ神祖ってのは神出鬼没だからね」

 

「神出鬼没なのは先生の専売特許ですよ」

 

「何故確定事項のように言うんだ……」

 

 釈然としないと言いたげな顔をしてから、伊吹はパンと軽く手を打った。

 

「とりあえず、霊視での情報収集なんかは任せていいかな? 僕は神獣が出た時に備えて待機しておくよ。それと、犯人の捜索も僕がやる」

 

「承りました。全国の媛巫女達に協力を仰ぎましょう。あと、九鳳塚には、例の秘儀は使わないようにと指示を出しておきます。それでよろしいですか?」

 

「ああ、そうしてくれ。あれを出すと色々と面倒な事になるんだ、正直あのシステム嫌いだしね……まあ、九鳳塚の皆には必要なものだから、僕は手を出さないけどね。それがなきゃ、中身(・・)も含めて吹っ飛ばしてる所さ」

 

「……承りました。絶対に使わせません」

 

 一応あの秘儀は護国の為のものなのだが、伊吹からすればそんな事は瑣末な問題のようだ。彼にとって重要なのは、九鳳塚にどの程度影響が出るかどうからしかった。

 

「とりあえず、目下のところは腰を据えて待ちの態勢かな。まあ、相手の居場所が特定出来ない以上動くにも動けない訳だし――」

 

 ――途中で言葉を切り、伊吹は表情を引き締めて虚空を見た。

 

「――伊那? どうした? ……神獣? え、また箱根で出たのか?やれやれ、こっちの意表を突く作戦という事かな? まあ大した時間稼ぎにもなってないけどね……分かった、じゃあこれからそっちに向かうから――」

 

 誰かと交信をしているような話草の伊吹。馨にとっては何度か見た光景なので奇妙には思わなかったが、

 

「先生、今、箱根って言いました?」

 

「ん、言ったよ? それがどうかしたのかい?」

 

「――箱根には今、媛巫女を三人程派遣しているんですよ」

 

 やや緊迫した面持ちで馨が伊吹を見つめる。伊吹は怪訝そうに眉を潜めたが、次の馨の言葉で表情を険しくした。

 

「公里塚姫乃、九瀬真希、万里谷祐理。媛巫女の中でも、恵那を除けば特に秀でた才を持つ三人です」

 

「――万里谷だって?」

 

 伊吹の纏う雰囲気が豹変する。見慣れている馨もこれには肩をビクッと跳ねさせたが、意外にも甘粕は落ち着いた様子で、

 

「はい。万里谷祐理、万里谷家出身の媛巫女です。国内でも特に高位の霊視能力を持つ方で――」

 

 そこまで聞くと、伊吹は黙って立ち上がった。怪訝そうな顔をする甘粕にも、緊張した面持ちの馨にも構わず、パチリと指を鳴らす。――直後、彼の姿は一瞬の間に消え去った。

 

「――やっぱりだ。やっぱり、万里谷家とあの人には何かがあったんだ」

 

 馨が、強張った声のまま漏らす。甘粕は怪訝そうな顔を馨に向けたが、すぐに立ち上がって携帯を取り出した。

 

「私達も行動しましょう。あちらにいるうちの関係者に指示を出す必要があります」

 

「うん、そうだね……じゃあ、行動開始だ」

 

 馨も立ち上がり、甘粕に続いて部屋を出る。甘粕が携帯で電話を掛けるのを横目に見ながら、伊吹のあの様子について再び考えた。

 

 彼と万里谷家の因縁。それを明らかにしたいという思いは昔からあった。彼の教え子として、彼にとって最も深い関わりを持つ血筋の者(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)として。

 

 

 彩衛伊吹が帰還してから、まだ二週間も経たぬ間に、波乱は起きようとしていた。

 




皆さんこんばんわ!今回は二週間後の投稿になりました!早め(?)に投稿出来て良かった……

さて今回もキャラ達がお話するだけの回でした。伊吹さんの戦闘が見たい!と思ってらした方申し訳ありません……。

そしていくつか出てきたオリジナル設定について。

バチカンの宝物庫に関しては、説明にある通りローマ=カトリックの長い歴史の中で発生していった様々な聖遺物や、異教の宝物として徴集された魔道具・神具・聖具などが保管されている場所です。中には、"先駆者達"が作り出したエデンの果実も……あるわけないか。

バチカンお抱えの組織は、某型月でいう聖堂教会のような存在と考えて頂ければ。当然魔人級の御仁も何人かいますが、残念登場する事はないでしょう(黒笑

連城家が管理している“とある聖域”や、"八瀬童子"についてはこれからのお話で徐々に出てきますので、お楽しみに。まあ何となく察してる方もいらっしゃるかとは思いますが……

さて次回、ようやくヒロインの登場です。遅い(*゚▽゚)\(- -♯
それでは次回もお楽しみに!

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