知りたがりの魔王様   作:grotaka

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それでは二話目、参ります!


第一章
第一話


 

 ――思い出す。

 

 

 ――己が記憶の始まりを。何も知らぬ脆弱で矮小だった頃を思い出す。

 

 あの頃の自分は何を考えていたのか。それを全く思い出す事の出来ない、白く無垢な世界を。

 

 

 ――若き日の、まだ自分がただの人間だった頃を思い出す。

 

 幼少の頃からの友人達に囲まれて、何不自由無く暮らしていた。誰よりも多くを得ていながら、自分の知らないモノの存在に焦燥し生き急いでいた。何もかもが真新しく、今の自分とは程遠い日々を。

 

 

 ――初めて“彼女”に出会った、あの春の日を思い出す。

 

 何かに縛られる事を嫌っていた自分が、自分から縛られる事を望んだ。最早逃れられぬ何かに捕らわれた、しかし不快感はない不思議な感覚と共に。

 

 

 ――そして、己が人生を決定する事になった、あの事件(・・・・)の事を思い出す。

 

 傷ついた姿の老神と遭遇し、麗しき悪神との争いに巻き込まれたあの事件。己の知らぬ神秘を次々に目の当たりにし、自分の心が赴くままに行動した結果、神殺しに至った日の事を。

 

 

 あの時、自分は――

 

 

 

 

  ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 《2012年 四月下旬》

 

 

 ――その日、箱根は局地的な嵐に見舞われていた。

 

 温泉地として有名なこの地も、今日限りは一切の人気も無く、豪雨と暴風が路面や建物を叩きつける音ばかりが響いている。

 

 ――そして、箱根の観光名所である芦ノ湖。細長い形をした湖の中心に、饒舌し難い光景がある。

 

 湖面より、巨大な鉄柱から幾重にも分かれた杭が生えたオブジェーー枝と幹のみで構成された、70メートルもの鋼の大樹がそびえ立っていた。

 

 明らかに奇妙な物体が、水深20メートル以上の湖底より天へ屹立している。見るものがあれば目を疑うだろうが、しかしそれ以上に異常極まりないものがある。

 

 それは、幹より無数に分岐した杭の枝に垂れ下がって――否、貫かれているものだ。

 

 全長50メートル、太さ4メートル強の巨大な蛇体。紅く濡れながらも白光を放つ壮麗な鱗。剣の如く鋭い乱杭歯と三つ爪。優雅に靡く二筋の髭。

 

 純白の鱗を持つ、巨大な竜。それが頭部や長い胴体を杭に刺し貫かれ、無様に垂れ下がっているのだ。

 

 それも一体だけではない。占めて七体が鋼の大樹に縫い止められた状態となっている。滴る血が雨に混ざって流れ、輝く鱗を、杭を、鉄柱を伝い、湖を紅く染めていた。

 

 

 そして信じ難い事に、鉄柱の最頂部、唯一尖っていないこの部分に、悠々と腰掛けている人影があった。

 

 黒いレインコートを着た、細身の男性である。フードを被っているので顔立ちは分からないが、口元から若い青年であると判断出来た。

 

 青年は、この奇妙なオブジェに腰掛けながら、杭枝に刺さった竜を眺めているようだった。水面から70メートル以上の高さにあって、暴風や豪雨に曝されながらも、それを気に留める様子は全くない。否、それ以前に、レインコートを含めた衣服が全く水気を帯びていない(・・・・・・・・・・・)

 

「……さてさて。今日の材料調達(・・・・)はこれで終わりかな」

 

 知性を感じさせる涼やかな声で、青年はそう独りごちた。

 

「日本に帰ってきて早々、いい狩場が出てきてくれて良かったよ。いくら僕だって、神獣を呼び出せる程大々的に地脈を弄るのは止す事にしてるから、こういう資材は本当に貴重なんだよなあ」

 

 心底から嬉しそうに、今にも手を叩いてはしゃぎ出しそうな声色だが、発言内容は異常に過ぎた。

 

 神獣とは、神々が己の従僕として呼び出し、使役する存在――その中でも、獣や竜など人外の形を取るモノ達の事を指す名称である。

 

 主たる神々と比べればその足元にも及ばぬ存在だが、只人からすれば常識外の災厄、魔術師達からしても恐怖の対象となる。その強さとは関係無しに、超常の存在たるのだ。

 

 それ故に、この青年の発言は常軌を逸している。

 

 神獣を狩る(・・)。そんな行為は、如何なる人間にも成し遂げられるものではない。聖なる殲滅の力を有する聖騎士達でさえ、複数体の神獣を相手にしては苦戦せざるを得ないのだ。一介の魔術師からすれば、その暴威に曝されれば死以外の選択肢はない。

 

 さらに、神獣に対し『資材』という言葉を使うのも、まず考えられない事である。

 

 ――そう、人間であれば。

 

あの爺さん(・・・・・)とやり合ってから四年。傷が癒えるのに随分かかったけど、もう一切の制約はない。そろそろ、僕も研究室に籠らず、本格的な活動を始めてもいい頃合だろう」

 

 不可解な発言はまだ続く。だがそんな雰囲気を打ち切るように、さらなる異常が唐突に発生した。

 

 まず、鉄柱の根元(?)の水面が急に波打ち始め、すぐに湖全体に大波となって広がっていく。

 

 続けて、青年が鉄柱の最頂部に立ち、指をパチンと鳴らした。嵐に見舞われる芦ノ湖一帯に、しかしその音は響き渡る。

 

 そして、青年の行動を合図に、湖面を突き破るようにして黒い膜が鉄柱の周囲から出現した。布でもビニールでもない、ただ黒い膜としか形容出来ぬモノが凄まじい速さで天へ上り、鋼の大樹を覆い隠すように広がってドームを形成する。

 

「さて、まずは資材を持ち帰ろうか。“みんな”への挨拶は、それからだ」

 

 漆黒のドームの中。青年は眼下の獲物を見下ろして満足そうに頷くと、再び指を鳴らした。

 

 その音が、ドーム内に響き渡るが早いか。

 

 奇妙なオブジェとそれを覆い隠す黒いドーム、そして正体不明の青年は、音もなく消え去った。

 

 

 箱根に現れた全ての異常が消え去った後。今までの天候が嘘だったかのように、暗雲が消え青空が広がり始めた。大雨も暴風も止み、大きな虹が天に掛かる。

 

 

 そんな中で、湖を見渡せる位置にある旅館の屋上に、一人の男がいた。

 

 灰色のレインコートを着て、メガネを掛けた男だ。どこかくたびれた印象があるが、しかし薄く開かれた眼孔から覗く瞳は強い輝きを放っている。

 

 男はポケットから携帯電話を取り出すと、素早く電話帳機能を開き通話を開始した。

 

 男は落ち着き払った様子で一部始終を伝えると、通話相手の指示を待たずに通話を切り、素早くその場を後にした。

 

 

 ――"求智の王"彩衛伊吹の帰還が日本中の魔術師達に知れ渡ったのは、二日後の事だった。

 

 

 

  ○  ○  ○

 

 

 

 その日、沙耶宮家の別邸にて、馨は久方ぶりに頭を抱えていた。

 

 昨日発生した、箱根での局地的な暴風雨。原因は、箱根神社の呪具にここ数年溜まった地脈の霊力から生まれ出でた白竜七体が呼び寄せたため。こんなニュースが部下から伝えられた。

 

 

 神獣。それは神々の従僕として呼び出される超常の生命体だ。

 

 それがこの世界に姿を顕す要因は様々あるが、最も頻度が高いものが『神具の呪力によって生み出される』というものだ。

 

 神具はこの世に形を保つ神々の力の象徴である。上手く制御出来れば持ち主に絶大な力を与えるが、あまりに莫大な力を蓄えると周囲に超常的な影響を及ぼし、様々な形でこの世に災厄をもたらす。常人には過ぎた宝物といえる、禁忌の代物である。

 

 そしてこの災厄の内に、神獣の顕現も当てはまる。

 

 神が自分の手で召喚する限りにおいて、神獣は召喚した主の命に従い、自分の意志に基づいた越権行為を行う事は有り得ない。だが、神具による顕現の場合主が存在せず、己の内にある暴走せんばかりの力を持て余して、本能のままに行動する。それがどのような結果をもたらすかは運次第だが、大抵人にとっては幸いならざるものである。

 

 

 とはいえ、ここまでなら、馨は忙殺こそされるが、頭を抱える程に悩まされはしなかっただろう。

 

 確かに自分達には神獣を妥当する事など出来ないが、大規模な儀式を行えば純粋な呪力に戻した上で地脈に還す事が出来る。

 

 日本の魔術業界を統べる四家の一角、九鳳塚家には竜に限って神獣であろうがまつろわぬ竜神であろうが打ち破る事の出来る手段がある。色々と制約付きではあるが、今の時代は幸いこの手を打つ事が可能だ。

 

 馨を悩ませたのは、同時に報告された他の案件だった。

 

 突如顕現した七体の神獣。その呪力が感知され、正史編纂委員会のエージェントが調査に赴くよりも早く、神獣達は討ち果たされていたのだ。

 

 それを為したのは、黒いレインコートを着た青年。そしてその青年が造り出した鋼の大樹だった――そんな報告が入ってきた。

 

 あまりに大雑把で詳細が見えて来ない報告内容だが、残念ながら馨にはおおよその内容が理解出来てしまった。そして、レインコートの青年の正体についても。

 

 まだ物心ついて間もない頃、両親に連れられて向かった先で出会った青年。編纂委員会の重鎮達全員をかしづかせながら、のんびりと本を読む姿が脳裏に浮かぶ。

 

「帰って来ちゃったかあ……っと」

 

 思わず漏れた言葉に、馨はやれやれと肩をすくめた。

 

 このところ姿を現さず、また他地域でも確認されたという話は一切無かったが、ようやく活動を再開したらしい。“彼”に対して色々思うところの多い馨としては、喜んでいいのか悲しんでいいのか、正直悩ましいところだ。

 

 とはいえ、あの御仁がこの国に帰ってきた以上、自分達も出迎えの準備をしなくてはならない。その為にしなければならない事の内容を考えると、馨は目眩がしそうだった。

 

「また年寄り連中が騒ぎ始めるかな……どこの誰を嫁入りさせるとか何とか。全くあの人の女好きも大概にして欲しいよ」

 

 

「――とか言ってる君もどうなんだろうねえ、馨。女の子のくせに同性とお付き合いだなんて、新しすぎやしないかい?」

 

 

 不意の声に馨は一瞬身を強張らせ、しかしすぐに力を抜いて嘆息した。振り返る事なく、先の呼びかけに応じる。

 

「出入りは玄関から、いえせめてドアからお願いしますよ。いきなり部屋の中に転移した上、そのまま隠業で気配を消すなんて事はしないでください」

 

「お生憎様、これでも神出鬼没でいる事にはそれなりの誇りがあってね。いかなる時でもスタイルを貫くのは当然の事だろ?」

 

 いけしゃあしゃあと返した声の主は、一拍置いて腰掛けていた棚から立ち上がると、馨の正面に音もなく現れた。

 

「久しぶりだね、馨。見ない内に随分と成長したものだ。――随分と、美男子らしく」

 

 声の主は青年だった。首筋まで伸ばした黒髪の、細身の青年。美男子とまではいかないがそれなりに整った顔立ちの優男である。

 

 それらだけを挙げれば、まだ街中にいそうな青年に過ぎない。だが、彼の纏う雰囲気――全てを見通しているような達観したそれが、青年を得体の知れない存在へと変えている。

 

 馨は改めて嘆息してから、極めて丁重かつ優雅な仕草で立ち上がり、青年に向き直った。そしてその場に膝を突くと、深々と首を垂れる。

 

「ご帰還、心待ちにしておりました。我ら四家の王、偉大なる大師――"(すべ)の王"彩衛伊吹様」

 

 名を呼ばれた青年――伊吹は、「やれやれだなあ」と言うように首を振ると、すぐ脇にあったソファに腰を下ろし、そして飄々とした笑みを一変、慈しむような柔らかい笑みを浮かべ馨を見下ろした。

 

「うん、ただいま。視た限りじゃ皆元気そうで何よりだよ。また厄介になるけど、よろしくな」

 

「畏まりました。――先生」

 

 冗談めかして馨が呼びかけると、伊吹は肩をすくめ「はいはい」と応じた。それを合図にして、馨はゆっくりと立ち上がる。

 

「それで、先生。帰ってきたのには何か特別な理由でも?」

 

「あー、いや、まあね」

 

 馨が自分の対面に座るのを流し見ながら、伊吹は微妙そうな表情を浮かべた。そこから先は明言をしようとしない辺り、だいぶ怪しい。

 

「……何か不味い事が起きそうですね」

 

「ハハ、そう心配するなって。僕がいるじゃないか」

 

「そうじゃなくて、僕が不安なのは貴方が起こす事についてなんですが」

 

 カンピオーネという存在は、皆が皆周囲を騒がせるような事を起こすもの。ただ目の前の御仁に関しては度合いが違う。その中身が凶悪極まりないのだ。

 

 自分が今の東京分室室長という地位に就くずっと以前から、伊吹が日本や世界で起こしてきた事件を見てみれば、さて、他のカンピオーネと比較してどちらが酷く映るだろうか――。

 

「というか、昨日の件だってそうです。神獣を討伐してくれたのはありがたいですけど、何だって死骸――いえ、死にかけの神獣を持ち帰ったりしたんですか?」

 

「何でって馨、あの手のはその場殺ししちゃったら地脈に悪影響が出かねないんだぜ?だから隔離した上で息の根を止めたんだ」

 

「だとしても、あの世界(・・・・)に持ち込んだのは何でですか?」

 

「有効活用というやつだね」

 

 あっけらかんと言ってのける伊吹に、馨は深々とため息をつく。やはりこの人の思考は読めないしデタラメだ。神獣の死骸を有効活用だなんて、一体何に使うというのか――そんな事、自分達凡人には解るはずもない。

 

「まあでも、先生は例の式神(・・・・)達を造った張本人な訳ですし。何が出来ても不思議じゃないですかね」

 

「酷いなあ、人を化け物みたいにさ。僕にだって出来ないことはあるんだぜ?運動苦手だし、料理とか無理だし」

 

「神様殺した人が何を言ってるんですか、貴方は充分化け物ですよ。あと槍持って神様と戦う人が運動音痴な訳ないでしょう」

 

 えー、と口をへの字に曲げる伊吹。馨はしばらく半目で彼を見つめた後、どうしようもないと首を振った。

 

「ここら辺で雑談はやめましょう。――帰ってきた理由。恐らく、先生が今やってる研究に関係する何かが、この国で起きるかもしれないからじゃないんですか?」

 

 物心ついてから続いてきた、伊吹との関係。彼が色々と自分を気にかけ、時にお節介を焼いてくる内に、馨は彼の伝説や彼の行ってきた“研究”の事を知るようになった。

 

 当代の神殺し七人の中で最も妖しく、そして神秘的な存在である彩衛伊吹。彼の伝説の全ては、魔導の探求とその研究に起因するものばかりである。

 

 彼が現れる場所に未知の神秘有り。いつからか東西を問わず魔術師達の間で口にされるようになった言葉だ。それは実際の所ほとんど正解と言えた。

 

 例え故郷であろうと、伊吹は何の意味も無く動く事はない。その意味が必ずしも探求の為という訳でもないが、やはりほとんどはそうだったりする。"求智の王"の呼び名は、正しく彼の本性を顕すものなのだ。

 

 馨の問いに伊吹は渋るような表情を見せたが、すぐに顔を引き締め、頷いた。

 

「――例の神祖がね、最近活発に動き出してるみたいなんだよ。六年前からしばらく沈黙してたっていうのにさ」

 

「例の神祖というと、先生が何度も戦ってきたっていう――」

 

 首肯。

 

「それに、最近面白い噂を聞くようになったからね。君も知ってるだろう、新しく生まれたかもしれない、八人目の神殺しの噂を」

 

『八人目の神殺し』。その名前を聞いて、馨は口元を引き結んだ。それは一ヶ月程前から、委員会の上層部でも議題にされてきた事だった。

 

「――確証は持ててませんし、正直信じたくないですけど……存在するんでしょうか?」

 

「多分ね。僕も色々調べさせてみたけど、いない可能性の方がよっぽど低いよ」

 

 少し肩をすくめた後、伊吹は語り始めた。

 

「少し前まで、サルデーニャやその付近の海域には二つの強力な神力が存在した。占った限りじゃ、それは二柱のまつろわぬ神――ウルスラグナとメルカルト」

 

「この二柱の神は、お互いがお互いに甚大な痛手を与えて、どっちも弱っていた状態だったんだけど……片方が完全に回復する手前までいった後、いきなり消滅した」

 

「占いの結果と世間で出回ってる情報とを照合すれば、消滅したのはウルスラグナの方だ。そして、サルデーニャ付近にあったもう一つの神力――メルカルトは、シチリア近海に移動した。そのメルカルトも、3、4日後には著しく衰弱して大陸の方に逃げ去った」

 

「状況から予測するに、ウルスラグナの方は八人目に倒され、メルカルトは八人目と戦って負けたか、痛み分けになって終わったんだろうね」

 

「ウルスラグナが何者かに倒されたって判断するのは割と簡単だったよ。サルデーニャ島には僕の旧知がいてね、彼女から聞いた話じゃ、プロメテウス秘笈っていう神具を持った日本人の少年が衰弱状態だったウルスラグナと接触してたっていうんだ。そしてその付き添い役としてイタリアの大騎士エリカ某がいて、島の状況に切迫したような様子だったともね」

 

「まあ、それらの情報から、少年がウルスラグナを殺し神殺しになった――って考えたんだけど。神殺しである僕自身がそう考えるんだから当たりだろう――なんて言うのは、少々強引かな?」

 

 ――伊吹が語り終えるまでの間、馨は無言だった。というか、口を開く余裕もなく聞き入っていた。

 

 伊吹はどこかの国に滞在していない間、自らの"研究室"に篭っている。そこからサルデーニャ島での神力の動きをリアルタイムで観察していたという事は、ほぼ毎日、世界中の神力の動きを(間接的ではあろうが)監視しているという事にはならないだろうか?

 

 それに、仮に監視していたとするとその方法も桁外れだ。恐らく、監視の方法自体は地相術と呼ばれる欧州版風水呪術――一定領域の霊脈や呪力の流れを読み取る魔術を使っているはず。しかしそれをほぼ世界全域、さらに恒常的に行使するなど、常識外れにも程がある。

 

 正直、彼が自信を持って話す――その時点で彼の語る内容に疑いなど持ちようがなかったというのが、馨の正直な心情であった。

 

「……まあ、それなら八人目の羅刹の君が誕生したというのは確かという事ですね。――それで、その八人目殿の事ですけど……」

 

 理解したようなしていないような、微妙な表情で馨が話を振ると、伊吹はニヤリと笑った。

 

「ああ、僕も詳しくは知らないから、また君らに調べてもらう事になりそうなんだけど。どうも彼、サルデーニャの友人曰く一般の出らしくてね。色々と興味深いと思わないかい?」

 

「……どうか戦闘だけは避けて頂けませんか」

 

「いやいやいや、人を血気盛んな後輩達やあの爺さんと一緒にしないでくれよ。僕が言いたいのはそういう事じゃないって」

 

 僕は武闘派じゃないんだよーと宣う伊吹の表情は未だ軽薄ながら、その眼は笑っていない。そこまで嫌なのか、と馨は思わず苦笑してしまった。

 

 途端に伊吹が憮然とした顔になってこちらを見据えてきたので、その笑顔はすぐに引っ込めたが。

 

「……何だい?」

 

「いえ何でも。――とりあえず、八人目殿については私達の方で調べさせて頂きましょう。一般の出なら探すのはそう難しくもないですし」

 

 この御仁から今まで承った命令の中では、今回の件は比較的容易く完遂出来る内容だ。とはいえ、手を抜いて行うつもりもないが。

 

「相変わらず頼りになるねえ。じゃ、よろしく頼むよ――草薙護堂。この少年の素性を、洗えるだけ洗ってきてくれ。彩衛伊吹が、沙耶宮馨及び日本正史編纂委員会の総員に命令する」

 

「慎んで拝命致します、王よ」

 

 改めて馨は跪き、伊吹に首を垂れた。それを確認して、伊吹は満足気に頷くと、次の瞬間には姿を消していた。恐らく、彼お得意の転移術で、“研究室”にでも戻ったのだろう。

 

 本当に、神出鬼没にも程がある――。馨は肩をすくめると、執務机に戻り、電話機を手に取った。

 

 と、

 

「……あ、そういえば、聞きそびれた事があった」

 

 四年前に、伊吹が何者かと戦って回復に何年も掛かるほどの重傷を負ったという事は前から知っていた。だが、その何者かが誰かという事は知らなかった。

 

 馨自身も、初めに聞いた時はそこまで興味があった訳ではなかった。100年以上を生きた神殺しが戦ってそこまで追い詰められた相手など、詳しく知ったら寝覚めが悪くなる事この上無しだ。

 

 ただ、しばらく経って、馨にとって無視出来ない情報が、全く同時に自分の耳に届いた。

 

 その情報は、大きく分けて三つ。

 

 初めに、馨の媛巫女見習い時代からの友人が、欧州渡航の際に東欧の狼王デヤンスタール・ヴォバン侯爵に捕らわれ、儀式に無理矢理参加させられた事。

 

 次に、新たなる魔王、サルバトーレ・ドニの介入によって儀式が破綻した後、参加していた巫女達は何者かの手引きで無事逃げおおせた事。

 

 そして最後に、儀式の破綻した後にヴォバン侯爵が何者かと交戦、回復に何年も掛かるほどの重傷を負った(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)事。

 

 全く同時期に、二人の魔王が同程度の負傷を負い、実に四年もの間隠遁していた。これだけの条件が揃っていれば、彩衛伊吹とサーシャ・デヤンスタール・ヴォバン、互いに100年以上生き抜いてきた古参の大魔王であるこの二人が交戦したと考えるのは容易な事ではないだろうか――。

 

 だからこそ、馨は気になっていた。

 

 自分の友人である万里谷祐理を救ったのは、伊吹なのだろうか?

 

 そして何故、彼女や他の巫女達は、自らを救った何者かの事をほとんど忘れているのだろうか?

 

 伊吹は昔から、様々な事を自分に教授してくれた。自分だけに留まらず、四家とその血に連なる者達はほぼ全員が彼に何らかの形で教えを受けている。

 

 だが、それに反比例するように、彼は自分を語らない。自分の心の内を誰かに明かす事はない。

 

 だから、馨は聞いてみたかった。

 

 彩衛伊吹。貴方は何故ここまで“家族”に拘るのか。

 

 そして何故、彼は四家の縁者でもなく、かつて一介の華族に過ぎなかった万里谷家の血縁を、他の何より気にかけるのであろうか――。

 

 (……考えても解らないか)

 

 自問を自ら打ち切り、馨は改めて受話器を取った。

 

 

「――あ、馨、僕はソーセージスペシャルでよろしくー」

 

「宅配ピザじゃないです。いきなり帰って来ないでください」

 

 

 

  ○  ○  ○

 

 

 

 ――馨が伊吹に再会した同時刻、万里谷祐理は身支度の最中だった。

 

 茶色味の強い長髪を手に取り、櫛で丁寧に梳く。その仕草は淑やかさと艶やかさが入り混ざって、えも言われぬ雰囲気を醸し出していた。

 

 場所は東京都港区にある七雄神社。祐理はこの神社に務める媛巫女であり、今彼女がいる個室は彼女一人のために用意された一室である。

 

「……あら?」

 

 梳いていた櫛が不意にパキリ、という音を立てた。すぐ腕を下ろして見てみると、中央の部分の刃が中程から折れていた。

 

「……不吉だわ。何か良くない事が起きなければ良いのだけど……」

 

 何か胸騒ぎを覚える。今日だけではない、この所、何故か祐理は頻繁にこの感覚に襲われる事があった。そしてその度に心休まらぬ日々を過ごしていた。

 

 理由はさっぱり解らない。今の所、祐理の近くで良からぬ事は一切起きていない。

 

 だが、無視する事は出来なかった。祐理は霊視という特殊能力を持つ媛巫女であり、的中率六割強という高い資質を持つが故に、彼女が危機感を覚えたものは多かれ少なかれ良くない事に巻き込まれていた。

 

 ――それに、この所決まって見る夢がある。

 

 暗い空間と、そこに立つ人影。炯々と輝く紅い瞳。それが夢の内容だった。

 

 それが何を意味するのかは解らない。だが、最近感じる胸騒ぎと無関係であるとは思えなかった。

 

 櫛を脇の机に置き、そっと窓を開けて空を見上げる。一羽の烏が翼を打って、大空を翔ぶ姿が目に映った。

 

 直後。祐理が感じていた胸騒ぎが、不意に消えた。何だったのだろうと、祐理は首を傾げつつ、胸を撫でる。

 

 再び窓を閉め、鏡の前に戻る。棚の引き出しから新しい櫛を取り出すと、祐理はまた髪の手入れに戻った。

 




私の作品が初めての方は初めまして、「孤高の王と巫女への讃歌」を読んでくださっている方はこんにちは。grotakaで御座います。

お気づきの方はいらっしゃるでしょうが、今回の「知りたがりの魔王様」は、私にとってカンピオーネ!の二次創作の二作目。一作目と同時進行で進めて行くという暴挙を成し遂げんとしておりますハイ(汗

でも、これは一作目を投稿した時から決めていたことなので、何があってもやめるつもりはございません。ご理解下さい。

もちろん、その分内容の質は良いものにしたいと思っております。なので、感想やご意見大歓迎です。是非是非よろしくお願いします。

では、これからこの作品と私、そして主人公をどうかよろしくお願いします!


最後にですが、一作目も読んでるよーという方は、もし良ければ活動報告の方も読んでって下さるとありがたいです。些細なことですが、一作目と二作目の関連性云々について書く予定ですので。

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