「お、なんだ盛り上がってるな」
とそこへリゼが戻ってくる。手には一枚のお皿。まだ前に置かれてもいないのに、甘く香ばしいにおいが漂ってくる。チノが淹れているコーヒーに負けず劣らずいい香りだ。彼女は賑やかな私達の様子を微笑ましそうに見て、カウンターから出ると優雅な動作でお皿を私の前に置いた。
「うわ……高そうな……」
見事なフレンチトーストだった。
白い雪が降ったような砂糖がコーティングされた美しいきつね色のパンに、ほんのりとパンの温度で溶けた白い生クリーム。単調になりがちな料理に味の変化を持たせるために添えられているのだろう。色合いが美しく、盛り付け方もまたいい。食欲をそそられるにおいに、見た目――味もいいのだろうと想像を掻き立てられる。
「リゼちゃん料理上手なんだね。憧れるよ」
どっかの高級ホテルで出てきても納得がいきそうな品に、私は心から感心する。こんなものを高校生――であろうリゼが作れるなんて驚きである。
「ありがとう。ま、何回も作ってるからな」
当然のことのように答え、しかし恥ずかしげに目を逸らすリゼ。うん、可愛い。
「わー……美味しそう。リゼちゃんいいなぁ。お料理上手で」
「ありがとう。ココアはまず材料から見直すべきだな」
「なんかサヤちゃんの時とリアクション違うよね!?」
すっと真顔に戻ったリゼに指摘され、ココアが叫ぶ。リゼにまで言われるとは、ココアの料理はどれだけひどいのだろうか。ちょっと興味が出てきた。
「おまたせしました、サヤさん。キリマンジャロです」
少し間を空けて、チノが私の前にやって来る。そして相変わらずな丁寧な口調で言い、コーヒーのカップを私の前に置いた。
真っ白のカップに入れられた黒いコーヒー。コーヒーならではのいい香りが鼻に入り、フレンチトーストにとろけていた私の意識をしゃっきりとさせる。あんまりブラックコーヒーとやらを飲んだ機会はないけれど、これは何も入れずに飲むことができそうだと感じられた。やはり値段相応なのだろうか。質が全然違うような気がする。
「じゃ、いただくね」
早速食すことにしよう。私は手を合わせていただきますと一言。三人がじーっと見つめてくるのが気にかかるものの、これほど美味しそうな物を目の前にして止まる気はない。熱い内にいただこうと、まずはコーヒーに。カップを手にし、私は一口飲む。
口に広がる苦味、そして香ばしい香り。ジュースのように手放しに美味しいと言えるような飲み物ではないが、それでもいいものだと思えた。口の中が、頭の中が、身体の中ですら、すっきりする思いだ。ただ幼稚な味覚には少し苦味が強いかもしれない。私はカップを置き、続いてフレンチトーストに手をつけた。
ナイフとフォークを手に。柔らかいトーストを切り、まずはそれだけを口にする。
コーヒーですっきりしていた口内に、甘い味わいが広がる。しっとりとしたくちどけ。まるでチョコレートのように甘くとろけ、上品な甘みが口に広がる。なるほど。クリームをつけることを前提に、本体は甘さ控えめなのか。私の想像するフレンチトーストの味よりもインパクトは小さいものの、コーヒーと合わせるにはこれが正解なのだろう。
リラックスし、またコーヒーを一口。口の中の甘さがちょうどよく中和され、またフレンチトーストを口にしたくなる。はやる気持ちを抑え、今度は生クリームとともにフレンチトーストを一口大に。食べる。うっとりするような甘さに、とろけるような食感がさらに増す。バターとはまた違う、単純な糖分による甘味。ものによってはやり過ぎなくらい甘く感じることもあるが、これは違う。卵と砂糖の甘味に自然と混じり、食感の良さを増してくれる。生クリームを付けるときは、
のんびり食べた方がいいね、これは。しっかり咀嚼し、呑み込み、口の中の甘さがちょうどよくなった頃にまたコーヒー……これでまた飽きずに食べることができる。
しつこくなりがちな甘みも、コーヒーによって完全に中和されている。嗚呼、やっぱりこの組み合わせはいい。甘さと苦味の繰り返しが心地良い。いわばお酒とおつまみみたいな感じだ。飽きずにコーヒーとトーストを食べることができる。
「美味しいよ、二人とも」
半分ほど食べ進めたところでようやく手を止め、私は感想を告げる。三人はそこでようやく気を抜いたようにホッと息を吐き、笑顔を浮かべた。
「よかったぁ……サヤちゃんに気に入ってもらえて」
「そうですね。嬉しいです」
料理やコーヒーを淹れたりしてはいなのだが、安堵するココア。彼女に同調するようにチノは頷く。
「そんな不安になるような腕前かな。驚くくらい上手なんだけど、二人とも」
「それでも好みというものがあるだろう。ま、美味しいと思ってくれたならなによりだ」
リゼが髪をいじりつつ言う。しっかり私の言葉に照れてくれたようで、素っ気ないことを言いながらも顔はほんのりと赤かった。
「もっと自信を持ってもいいと思うよ。あぁ、美味しい……」
ジャンクフード好きな私ですら、気を抜くと感嘆がもれそうな出来なのだ。もっと高級店並みの自信をつけてもいいと思うのだけど……まぁ、謙虚なのもいいことか。しっかり味わい食べていく私。この値段でここまで楽しめるなら最早お得なレベルである。コーヒーの値段にも納得だ。
「あの、良かったらまた今度も来てください」
「ああ。遊びに来てくれ」
「注文しなくても、お話に来てくれて大丈夫だよ」
なにより三人の美少女が話し相手になってくれるのだから……そこらのメイド喫茶よりもお得だろう。もっとも、友達である私の特典なのだろうけど。他人はこうもいかない筈だ。
チノ、リゼ、ココアからの嬉しい言葉に私の顔は思わずゆるくなる。アドレス登録五件の私が、一日でこんな人数の少女と会話を――これはもうリアルが充実していると言っても過言ではないのでは?
「うん。絶対に常連になる」
お金はまだまだあるし、これからも増える。とりあえず携帯電話が欲しいから節約しないといけないけど、ここへ来るくらいのお金の余裕はできるだろう。他で無駄遣いをする予定もないし、ゲームで使う予定も今のところもない。完全に毎日ペースで通う自信があった。
「ほんとっ? 嬉しいよ、サヤちゃんが来てくれると」
ココアが今日一番の笑顔を浮かべる。ここまで喜んでくれると、私も嬉しいを通り越してなんだか恥ずかしい。
――そういえば、ココアは妹が好きみたいだったし、お姉ちゃんって呼んだら喜んでくれるだろうか。
「ココアさん。あんまりしつこくするとサヤさんに迷惑が――」
「私もココアお姉ちゃんとすぐ会えて嬉しいよ」
「わーっ! 今の聞いた!? ココアお姉ちゃんって!」
予想通り、テンションを急上昇させるココア。彼女ははしゃいだ様子で、今にも万歳でもしかねない様子で喜ぶ。喜ぶとは思っていたが、あまりの喜びように若干驚く私。
喜んでくれて良かった……と思うものの、私とココアに台詞を遮られたチノは不機嫌そうに頬を膨らませていた。
――まずい。タイミングが悪かった。
「ココアさん、うるさいです」
見るからに不機嫌となったチノが頬をぷくっと膨らませて言う。ふてくされるその様子すら可愛らしいと思える。が、不快な思いをしているのは確か。私は慌ててフォローを入れようとする。
「ココア。少しは落ち着いたらどうじゃ」
が、それよりも早く誰かが言う。なにやらダンディな、この喫茶店のメンバーに似つかわない声だったが……誰だろうか。他に誰かいたのかもしれない。周囲を見回す私。が、特に誰も見当たらない。ココアとチノ、リゼがいるだけだ。とてもあのダンディな声が出せるメンバーがいるとは思えなかった。ただ……いつの間にかカウンターに白い毛玉みたいな、謎の生物が乗っかってるんだけど、これは何なのだろうか。まさか彼が今の声を――ってあり得ないよね。メルヘンすぎる。
「はしゃいでいる暇があったら、少しはバイトの練習をしたらどうじゃ、練習」
と思って毛玉を見つめていたのだが、あながちメルヘンでもないような気がする。なんとこの毛玉、台詞と同じタイミングでぴょんぴょんと跳ね出したのだ。まるで彼が話しているように。可愛らしい見た目をしているのに、随分とおじさんっぽい声で話すものだ。
多分マイクか何かで誰かが話しているのだろうと推測。落ち着くべくコーヒーを飲むと、私は店員らへ顔を向けた。
「あの……これって誰が?」
「私の腹話術です」
意外にも、毛玉の声を出していたのはチノだったようだ。なるほど。このお店は彼女の家らしいし、きっと家族に小さい頃から仕込まれていたのだろう。どこのサーカスだという話なのだけど、メルヘンの欠片もない現実ならば納得だ。まさかあの毛玉が声を出しているなんてあり得ないし。