ウルトラマンゼロ The Another Lyrical Story 第一章 作:フォレス・ノースウッド
STAGE32 - 静寂の夜
いきなりで恐縮だが、初めに少し寄り道をする。
ここで述べておかなければならない重要なことだ。
フェイトが、なのはたちの通う聖祥の学び舎に行ける、その制服を実質プレゼントな形で勇夜から受け取る―――この喜びのつるべ打ちによるショックで気絶という天国と、一転父セブン譲りの鬼畜さ全開な彼の個人指導と言う名の地獄を体験したあの日。
前述のイベントで頭から払われたきらいがあるが、その日は臨時対策本部を兼ねた引越作業が行われていたことを思い出して頂きたい。
あの日のフェイトに制服を届けるより前の時間帯に勇夜は、六畳の畳の間にて、部屋一帯を掃除しつつ、家具やダンボールから梱包された備品を設置していた。
ふと、ある物の梱包を解いた際、思わず彼は作業を中断してそれに目に止めてしまう。
壁に掛けるタイプの写真立て、写真も挟まれている。
印画紙に投影された写真に写っていたのは、左から現在より10年くらい若いリンディ、4歳くらいのクロノ、彼を精悍な成人に成長させたかのような男。
その男性こそ、リンディの夫で、クロノの父。
七年前の闇の書の輸送事故で殉職した……クライド・ハラオウンその人。
撮影当時から切り取られた家族の姿は、みんな眩い笑顔で写っている。
眩し過ぎて、見ている自分の瞼に影が入り、目胸の奥が絞めつけられた。
だって……二人の肉親であるクライドの命を奪ってしまった者たちと浅くない縁を結んでいるのは、自分の仲間だから。
「こら、何油を売っている?」
「へ? あ、師匠…」
「この部屋の整理が終わってからでいい、家電の運搬を手伝ってくれ」
「お…おう、分かった」
これ以上はサボって感傷には浸れないと、勇夜は写真立てを壁に貼り付けて、整理を再開させた。
高町家屋内の洗面所から、タオルで髪を拭く寝間着姿の光が風呂から上がってきた。
寝巻はシャツタイプで本人の性格通り、ボタンは全て留めてある。
あの戦闘の後も人間サイズの『怪獣』を含めた情報整理の会合で時間が割かれ、結局自宅に戻れたのは午後九時過ぎであった。
家族からは、無論心配された。
いくら父方がかつて要人警護の関係上、修羅場に身を置いた身であったとしても、家族が命がけで戦地で相まみえていた事実は、気が気でなかっただろう。
一方で光にも、気が気でないことがあった。
闇の書に守護騎士、ゼットンやインペライザーなどと言ったウルトラ戦士でも手こずり、時に打ち負かしてきた強敵たち、戦友とはミッドでの小学校からの友人なクロノのこともある。
それらのそうだが、何より。
「光さん……」
二階に上がると、部屋に通じるドアの前でユーノが立ち尽くしていた。
言っておくが、ちゃんと人間の姿である。
P.T.事件後、なのはの勧めでもうしばらくは高町家に暮らすことになった際、家族に改めて魔法のことを話す際、ユーノが人間であることも明かした。
光が異世界から迷いし超人で、末っ子なのはが魔法使いになると言うことにも受容できる心の広き高町家でも、彼女が拾ったフェレットが魔法少女もので言うところのマスコットキャラで、13歳の男の子が変身していたことは、言うまでもなく、家族全員に驚かれた。
しかれど、一悶着はあったが最終的にユーノも温かく迎えられた。
その一悶着とは、偶然にも声が似通った兄たちのシスコン暴走寸前事態である。暴走を簡易的に要約すれば、『フェレットの姿だからって妹に変な気は起こしてないだろうな?』といったところ。
小動物の姿で、年頃の女の子と同じ部屋にて暮らしてた……と言われれば彼らの気持ちも解らぬわけではない。
が、暴走は高町家のご夫人によって阻止された。
なぜか多大なプレッシャーを与える効果を持つ、彼女の微笑みによって。
そんなこんなで、なのはが襲われた夜以降もユーノは高町家に居候させてもらっている身でいるわけである。
「どうですか? なのはは」
で、光が今一番気が気でないことはやはり、なのはのこと。
勇夜に、フェイトからも、今日のことで一番堪えているのは彼女かもしれないと、先刻彼らからも聞かされていた。
「ゲンさんの特訓から帰ってきた時はいつも通りでした……ただ士郎さんによれば、なのはは『いつも通り』を演じてるように見えたそうです」
そのゲンから聞いた話によると、今日の戦闘の旨を聞いたなのはとフェイトは、自分にも何か手伝えることはないかと進言したそうだ。
当然、修練が中途でレイジングハートたちの改修も完了していない現状では、ゲンがそれを許す筈も無く却下された。
あの後はフェイト共々熱心に修練に励み、家に帰ってからも、比較的いつものにこやかさを見せていた……ようではある。
今の彼女の場合、表向き、と付加せねばならないけども。
何しろドアの前に立った瞬間、聞き取れたからだ。
この板の向こうから、ほんの微々たる声量ではあったが、少女のすすり泣きが響き渡った。
光もユーノも、彼女の涙が、どういう味を秘めているのか察している。
今日真に受けた現実に対して、まだ年頃の女の子であるなのはが、心に何の波紋も起こさぬわけがない。
なのはが幼少時の経験から、独りでいることと他者に何もしてやれない現状(いま)に人一倍過敏に嘆き、彼女の主観ではあるが、当人から見てこれといって突出した〝なにか〟を見いだせない自身にコンプレックスを抱いて来たことはご存じの筈だ。
〝一人〟に関してなら今は問題ない。
周りには心強い仲間たちがいるからだ。
なのはを落ち込ませているのは、数刻前の激戦を、実質傍観するしかなかった自分自身。
今日の出来事は、その一端を浮上させるには充分過ぎた……たとえ自身がフェイトともども未熟で、今は己を高める時であったとしても。
それでも悔しい……未だに誰のことも助けられない自分が………あの人たちを止めてあげることもできない……光や勇夜のような捜査を手伝うことだって叶わない、そんな子どもである身分が、恨めしいとさえ感じているだろう。
「僕たち…どうしたらいんでしょう…」
「今は、そっとしておきましょう、なのはのことです、下手に気を使わせれば、相手に気を遣わせてしまった自分を攻めてしまう、あの子はそういう子です」
「っ…………はい」
けれど、二人は信じている。
なのはが、一時の挫折程度で折れる少女では無いと言うことを。
魔法知らぬ日本人であった彼女を担い手として選んだデバイス、レイジングハート。
彼女らの出会いは、一種の運命的なものがあると思えてならない。
だから今は、彼女の名にもなっている―――〝不屈の心〟―――でなのはが己が身を立ちあがらせるまで、静かに待つことにした。
静謐な真夜中。
電灯は全て消され、物体の輪郭を灯す光は月光のみなリビングにて、リンディは寝巻にも着替えず、黙然とソファーに身を置いていた。
ソファーと座る彼女の前に据えられたテーブルの机上には、彼女が自分で淹れた緑茶が入った湯のみが置かれている。
無論、常人には下手すると吐き気が嫌でも込み上げる程に大量に甘味料が投入済み。
どうやら重い物思いに耽る余り、自分で淹れたことを忘れていたらしい。
既に湯けむりは消え失せ、すっかり冷めきった茶を全て飲み干す。
なぜだろう? あんなに大量に甘味を放り込んだのに、緑茶からは甘さがほとんど感じられなかった。
むしろ舌の中で残留するまでに、苦さが口内を駆け巡る。
元々その苦味を和らげる為に淹れて飲んだというのに、飲む前より苦々しさが酷くなった気がした。
「プレシアさん…」
「眠れないのかしら?」
「ええ…」
どうもこのマンションの一室で起きているのはリンディのみではなかったようで、淡い紫のワンピースタイプの寝巻にカーディガンを羽織い、ウィスキーが入った酒瓶とコップを持ったプレシアがお目通りと相成った。
「一杯付き合って下さる?」
「ですが…」
「少しぐらいなら支障はないわよ」
プレシアの体のことを踏まえれば、お酒を勧めるには憚れる心境ではあるが、自分だけ飲む気にもなれず、隣に座ったプレシアの手に収められたグラスに、酒瓶の中に貯められた液体を注ぐ。
しばしの間、二人は静かなる時間、お酒を味わうのに費やした。
具体的に明記はしないが、おふた方とも齢を重ねている為か、飲酒する様がしっくり来る。空気感だけなら、室内はリビングからバーの店内に様変わりしていた。
「やっぱり、不眠なのは今日の…」
「はい」
リンディが眠れない夜を過ごしている因は、実のところ一つでは収まらない。
主に占めているのは、守護騎士ヴォルケンリッターを結界に封じ込め、確保寸前にまでいったにも拘わらず、逃走を許してしまったこと。
「迂闊でした…相手があれほどの巨体な怪獣たちを転移、操作できるだけの技術力を持つなら、ああいう事態も予測できてしかるべきであったのに」
相対する相手は騎士だけではない。
勇夜によれば、向こうの次元世界をかつて君臨していた生命体の仕業かもしれないとのことだが、今はまだ推測の域を出ていない。
まあ意図や一物はどうあれ、未だどれくらいの規模なのかすらはっきりと掴めない、騎士たちの蒐集を助力する者たちと、先刻勇夜たちに奇襲をしかけた人間大の怪獣たち、間違いなく彼らの放った戦力、兵士たちだ。
結界内への転送を阻害するプログラムを敷くなど、警戒と対策は怠っているつもりはなかったが……反芻するほどに悔やまれる。
今日ほど恵まれた好条件下なチャンスは、もう巡り合えないだろう。
騎士たちもあの戦闘で、自分たちが海鳴(ここ)を重点的に捜索している事実を察したろうから、網を張る一手はもう通じない。
否…逃走を許したのは由々しくもあるが、それ以上に自分の胸にしこりとなっているのは。
「クロノ君のこと…もよね」
それをプレシアが口にした。
図星だったのもあり、思わずガラス瓶に蓄えられたお酒を一気に飲み干す。
カランッ…と中の氷がガラスに当たって音を立てた。
「察しがよろしいですね」
「あなたの、母としての顔に書かれてたのよ」
今日の戦闘で、ある意味に於いて、一番痛手を被ったのが自身の息子。
しかも、湖の騎士の特殊な転移魔法によって、リンカーコアを言葉の通りに手中に収められながら、蒐集の激痛すら憎悪で耐えしのぎ、呪殺させんばかりな勢いでバインドによる圧迫を続けた一部始終が映されたS2Uが記録していた戦闘記録から、自分たちの家族を奪ってしまった『闇の書』への負の感情を発露してしまったことを、明確に付きつけられた。
いくら局員としても執務官としても魔導師としても優秀であっても、まだ15の少年。
大人でさえ、不条理を付きつけた存在には激情の炎を燃えあがらせてしまう。
リンディもそうであった。
〝クライドォォォォォォォォォォォォ―――――――――――!!!!!!〟
七年前の闇の書護送中に起きた暴走事故。
リンディも、そして彼女の夫でクロノの父であるクライド・ハラオウンも、その護送の任に就いていた。
本体を確保し、本格的に解析を始める前に本局の護送の最中、書の暴走を起こし、クロノの父クライドの艦『エスティア』をほぼ掌握、さらにグレアムの乗る友軍艦にも宇宙空間を伝って浸食しようとし、連鎖を避ける為、エスティアは手動でグレアムの艦から遠ざけねばならなかった。
これが、クライドがただ一人艦に残らねばならなかった理由。
その上、この案件の責任者でもあったあのグレアム提督もまた、苦渋の選択を切りださなければならなかった。
浸食が叶わぬならばと、艦を乗っ取った魔導書が、第一級ロストロギアでなければ搭載すらできない破壊力の大型艦砲を向けてきたからだ。
助かる方法は、撃たれる前に落とす。
だがそれを選ぶことは、浸食の被害をこれ以上広げぬ為に抑えの利かぬ舟を制御し続けたクライドを見殺しにするということ。もうエスティアに残った脱出艇は書の浸食で使い物にならなかった。
部下を殺さなければ生き残れない。ジレンマによる逡巡に苛むグレアムに、クライドは自ら撃沈を求めた。
最終的にグレアムは、クライドからの提言通り、こちらの艦砲でエスティアを轟沈。
これがハラオウン親子を引き裂いた七年前の事件の大まかな流れである。書にジャックされた次元艦と終りの運命をともにし、彼女は脱出艇の中で、介錯の光の中へ消えゆく艦を目に焼き付けることしかできなかった。
あの日から暫くは彼女も、何度もこの手で愛する人を奪いし者たちに引導を渡してやりたい、そんな空恐ろしいことが過っては無理に抑える毎日だった。
ましてデリケートな年頃な上、幼少時彼に影を落とし者たちと直面すれば……クロノと言えど、否…実直に職務を全うする真面目な彼の性分なら、だからこそと言えるかもしれない。
思えば自分は、あの子に今まで何をしてあげられたのか?
厳しさも時に見せながら、愛情は惜しまなく示して注ぎ、育て見守ってきたつもりではあったけど、もし……今日が生きた姿を見る最後の日になったとしたら……そんな最悪な事態になったら、何もしてやれなかったと……後悔で押し潰されたかもしれない。
同時に、母としての自分が表に出てくるほど、ある想いも一緒に浮上して彼女を攻め立てる。
「〝母〟……、そんな大層な肩書きなんて、名乗るのはおこがましいです、私には……」
なら……自分は、まだ15な息子に、一体何をさせている?
あの子の境遇を嘆き、胸を痛めるのなら、自分……否、自分たちは、我が子やなのはにフェイトのような少年少女たちに何をさせている?
まだ心も体も発展途上な身でありながら、魔法という名の武器を持たせ、凶悪な犯罪者と、凶暴な過去の遺物相手に命の遣り取りに等しいことをさせているではないか。
こういうのは、確か地球では《少年兵》と呼ぶそうだ。
管理世界……特に管理局では、さすがに強制はしていないものの、〝資質〟さえあれば、10代に入った段階から、局の仕事に従事することができる。
〝人員が少しでも欲しい〟という組織事情もあるが、どこかに大人の甘え、または打算があるのは否めない。
少年兵の最大のメリットは、情操が発展途上な無垢なる存在ゆえ、従順な兵士として扱いやすいということだ。
あくまで子を兵士にするのに問題になってるのは現代の地球の国々ぐらい、魔法世界ではそういうものだ、当り前のことなのだ、と開き直る手もある。
だがその言い訳が通用するのは、乱世の時代か、戦局が膠着した時期に戦力としての大人が乏しくなったか、発展途上で国が貧しく子の方が人口の多い国ぐらいだ。
少なくとも魔法世界は現代で、国力は豊かな方であるし、大規模な大戦は起きておらず、一応の秩序は保たれている。
諸々考えると、どうしても自分たちの世界は子どもと言う〝未来〟を食いぶちにして無理に〝今〟維持しようとしてるとしか思えない。
フェイトたちも、恵まれた魔導の資質を持っている以上………いつか。
こんな………〝未来〟を食いつぶしながら生きているも同然な自分たちは、この地球にまで過去の火種をあわや飛び火する瀬戸際にまで密かに追いつめて。
あまつさえ、勇夜―――ウルトラマンゼロたち、異世界からの戦士たちに尻拭いとも呼べる汚れ仕事をさせている。
漠然とだが、ウルトラマンたちが戦う理由が何となく分かった。
どんな困難、苦難、逆境、窮地、絶望を突きつけられ、阻まれても、それでも望み捨てず、進もうとする人々の希望を守ろうとしているのだ。
なのに、その一人と仲間たちにさせているのは、むしろ希望の簒奪だ。
理由はともかく、ヴォルケンリッターにはもう無慈悲なマシンとしての彼らではない。それは勇夜たちと相対した時の反応から見ても窺える。
そして行為の是非はともかく、彼らは〝最後の希望〟として、魔力蒐集に手を染め、何らかの運命にもがき足掻いている。
騎士たちに相まみえるということは、そのなけなしの希望を奪ってしまうということ……これを簒奪と言わずして何だ? 汚れ役と表現せずして何だ?
アルコールの効果が巡ってきたのか、気づけば彼女の表情は沈みに沈み、泣き上戸となっていた。
同時にこの瞬間、プレシアの前まで、ずっと隠し、誰にも言わなかったものが涙と一緒に流れ出ていた。
「リンディさん…」
「ごめんないさい…お酒が回り過ぎちゃったみたい、ダメですね、こんな調子じゃ…」
鼻をすすらせ、人差し指で目じりの雫を取りながら自嘲混じりに微笑むリンディ。
「いいのよ、時には溜まった淀みを出してあげないと、人間壊れてしまいますから、私がいい例です、それにあなたであこがましいと言うなら、私など反吐が出る邪悪になりますよ、娘たちへの仕打ちもですが、例の一味に怪獣という戦力を与えてしまった一因ですから」
プレシアは彼女から、遠い日の自分が写った感覚を捉えた。
母として至らなかったのでは?
愛する子に何もしてあげられなかったのでは?
そうしてずるずると底なし沼に沈んでいった経験があるだけに、プレシアはリンディにかつての自分が見えていた。
違う点があるとしたら、こうして聞き手となってくれる存在の有無。
こうしてそっと受け手となるだけでも、清涼剤となってあげられるということこと。最近になって悟れたことだ。
それに、今この状況を作り出した原因は、かつての狂った自身にもある。
昔、ネットワークのチャット越しに、何者かから提示された……プロジェクトFATEの基礎理論、ゼロの姿を模したマシンと、怪獣召喚システムを備えたアイテム。
交換条件として自分は、基礎理論から発展させた研究データを相手に渡した。
他にも、次元を渡る船として、設計したあの時の庭園もデータも一緒にだ。
間違いない。あの時の提供者は例の一味の一人、そして異世界の存在。
その何者かが、何らかの悪意を持ってるのも確か。
我が子への執着のあまり、生物の理を超えようとして自分は、悪意ある者に禁断の果実を齎してしまった。
果実を手にした誰かが、よからぬ企てを秘めているのも明白だ。
贖罪の為にも、この一件は絶対に最悪のケースになる前に止めなければならない。
「それに、まだ何も終わっていないですよ」
「え?」
「世界にある歪さというか暗部といいますか、それと後悔、それらに自力で気づくことができたではないですか、まだ救いがあります、荒療治でもされないと狂ったまま死ぬところだった私と違って、でもこんな私たちでも、できることもあります」
自己の内にしろ、外の世界にしろ、一度生まれ出てしまった闇と向き合えるのなら、それを手遅れになるまでに肥大化させまいと、人は全力で尽力することができる。
それでもと、這い上がることができる。
それを為す可能性も、確かに存在はしているのだ。
「ありがとうございます、何だか肩にしょってた荷が下りてきた気がします」
「私は隣で一緒に酒を飲んだ、それだけよ」
「それでも、お礼言わせて下さい」
まだ、間に合う筈だ……我が子のことも、魔導書のことも、世界。
淀みを流しに流した分だけ、それをもう一度身を立たせる力としよう。
過ちを直視したのなら、それを変える力へと変えよう。
まだ、何も終わってない。
ならば、プレシアの言う通り、自分が確かにできることを続けていこう。
たとえ若き戦士たちに少女たちより非力だとしても、少しでも彼らの力になれるなら。
たとえ微々たるものでも、それが今を変えていく流れを生むのなら。
きっと、〝あの子たち〟もそれを信じて、時に迷って悩みつつも歩を進めているのだから。
そう思うと心に何となく、光が差してくると感じ、部屋へと注ぐ月光も、光量が増していく気がした。
まどろみという名の重みが伸し掛かりながらも、瞼はゆっくりと開かれていく。
開かれた当初は、目を閉じていても大差ない暗闇だったが、次第に窓越しの微かな月明かりを糧に瞳はぼんやりとなのはの部屋を映しだした。
横向きの体勢から起き上がると、90度傾いた世界が元の位置に戻る。
目じりに溜まった目垢を指で取ると、指先が濡れていた。
なぜ自分は泣いていたのか? まどろみから意識が晴れて行く内に思い出した。
悔しかったんだ……みんな必死に闇の書の守護騎士の人たちを止めようとしてるのに、その助けにもなれない現状の自分に。
だから帰って来てから部屋の中で泣いて、そのまま眠ってしまったんだ。
涙の意味を思い出すと、今度は喉の渇きを感知した。
夜遅くだから、少し水を飲んだら直ぐまた寝よう。明日の朝もゲンさんからの特訓があるから。
光たち家族や居候しているユーノを起こさぬよう、音をできるだけ立てず忍び足で部屋を出て、階段を下りるなのは。
段の半分まで降りて気が付いた。
一階から微かに明かりが灯っている。
誰が起きているのかと気になって微光のある方へと歩いていくと。
「あら、起きちゃったのなのは?」
「お母さん…」
台所の電灯光のみで照らされたダイニングルームのテーブルに、一人座る桃子がいた。
STAGE33-静寂の夜 後篇
夜は子ども、特に両手で数えられる年頃の子たちには、特権であり義務でもある、大人になると難しくなる安定した睡眠を行う時間帯である。本来は意識を夢の中に放り込まなきゃならないところを、中には起きていることを知られれば親から大目玉と雷をくらう羽目になるのを承知で諸々の理由で中々寝付かない不真面目者もいるがだ。
喩えが少し古臭いが、20世紀の中ごろの子の場合だと、こっそりテレビを点けて、お子様にはちと刺激の強い性的要素を含んだバラエティを見てたり。無論、子はこんなことをしていれば、相応の躾が必要となる。中にはこともあろうにお子さんを夜更かしに付き合わせ、その夜見ていた深夜番組の描写にいちゃもんをつける不条理なお方も、悲しきかな…現代人の中に存在していたりする。
話がズレてしまった。何を言いたいのかというと、その日の夜のフェイト・テスタロッサも、今日に限ってそんな不真面目者の一人だということ。ただ、詳細を知らない者が見れば、これは彼女が見ている夢の世界なのでは? などと考える者がいるかもしれない。
何しろ、彼女は今、〝宇宙の真っただ中〟にいるのだから。
四方が果てを感じさせない黒い色合いの空間内に、反して乳白色な指でつまめそうなサイズの光る球体が、雪、はたまたはマリンスノーに似た様相で漂っていた。とは言ったが、雪たちと違って球体たちは自ら光を放ち、地の底に落ちずに漂っていると、付け加えておく。
この不可思議な空間に於いて、フェイトは体育座りでじっと佇んでいた。
当たり前ではあるが、ここは本物の宇宙ではない。人間であるフェイトが、冷徹な真空に生身で出られるわけがない。
「フェ~~イト」
背後から光が照らされる感覚と自分を呼ぶ声がして、フェイトは振り返った。
「姉さん…」
黒味な空間を切り取ったかのような長方形状の光の中に立つ小柄な人影、フェイトとは同一の遺伝子と容姿を持つ小さな彼女の姉、アリシア・テスタロッサだ。
妹より小柄な姉はこの室内に入ると、フェイトの横に座り込んだ。
「わざわざ夜中にプラネタリウムを見なくてもいいのに、明日も早いんでしょ?」
「…………」
アリシアが口にしたように、この部屋はプラネタリウム、天像器。地球のものと異なり、星図を立体映像で表示できる機能を持っている。
宇宙船としては決して大型では無いジャンバードには、長期間機体に搭乗する人間への配慮の為、このような娯楽施設も置かれていた。
「ちょっと、寝付けないんだ……何か頭が熱心に働いてる感じで、寝よう寝ようと言い聞かすんだけど、そしたら…余計ベットで横になるのがきつくなっちゃって……」
「分かる分かる、寝たい時に限って体は言うこと聞かないのよね、目はパチっと開くし、無性に手足は動きたいと駄ダこねるし、逆に起きようとすると天の邪鬼に眠らせちゃうくせに、ママが仕事から早く帰って来る日はい~~っつもそうだった…」
「反対に母さんが遅い日は眠れなくて、起きてるところ見られたらどうしようと不安で寝てる振りもしてたよね」
「あ~~そんなこともあったな…………ところで、おねんねできないレベルな悩み事って、何かな?」
世の中にありふれた兄弟姉妹とは、少し境遇が異なっている彼女たちだからこそできる雑談を間に挟ませた後、姉のアリシアは話題を本題の線路に戻した。
「い……色々…かな」
と、フェイトは答える。だって一言で表すならそう応えるしかない。
頭に芽となって生えてきた眠りを妨げる悩みの種は、一つではないからだ。
まず一つを取り上げるなら、〝最初に出会った男の人〟で、〝初めて好きになった人〟でもある光の戦士。
諸星勇夜ことウルトラマンゼロ。
彼が、この世界に来る前からの友であり、仲間だった炎の戦士グレンファイヤーがヴォルケンリッターと身内な間柄であることも驚きだったのに、この世界に来てからの友なクロノが、騎士たちの一人との戦闘でリンカーコアを負傷し、さらには彼の父の仇でもある騎士たちに憎しみを露わにした―――という話は、フェイトにとっても幼い身なりに衝撃的だった。
そんなクロノからも、色々と恩を自分は受けてきたから。
最初彼に会った印象は、なんか色々と堅物で真面目すぎて融通が利かなさそうそう……な印象を持たされたものだ。
よくよく考えてみると、初見はとっつきにくそうに見えたところとか、完敗を喫したところとか、結構勇夜と初めて会った時と似通ってる気がする。
一見近寄り難いけど、実は誰よりも優しさを秘めているところも、よく似ていた。
確かに勇夜がクロノに『鉄頭』なんて渾名を付けるくらい、お堅い一面もあるけど。
執務官の仕事で多忙なのに、的確な教導込みで模擬戦を付き合ってくれたし、公平さを忘れずに自分たちの裁判のサポートもしてくれた。
なのはたちとの交換日記ならぬ交換ビデオメールだって、クロノたちの尽力あってこそだ。
彼にだって色々感謝している。
だから今回の件、絵に描いた生真面目さを持つ彼にも、あんな暗闇があったのを知ったのは、結構響いた。
もし自分もクロノみたいな体験をしたら………多分同じく、守護騎士や魔導書に憎しみをぶつけてしまうだろう。
きっと……一生許さない………一生掛けてもその気持ちは色あせずに朽ち果てることなく縛り付けるかもしれない、それどころか、騎士たちが生き地獄で苦しむ様に悦びを見出してしまう可能性もある。ついそんな恐ろしくて性質の悪い想像をしてしまい、背筋が一瞬凍えた。
勇夜も、クロノがそんな瀬戸際に立っている現実は響いてる筈だ。
騎士たちの蒐集行為に今でもどこかで心を痛めているグレンファイヤーの現在に、憂いていると言うのに。
顔には出さなくてもそれが分かる。
とても恥ずかしがり屋さんだから、つい不良ぶって斜に構えた態度で隠してしまうだけで、勇夜――ゼロの根は、どこまでも善玉で優しい、他人の為に涙を流せて、迷わず人の為に頑張れる人。
そういえば彼のその心様は、フェイトの〝初めての友達〟とも似つかわしかった。
高町なのは、勇夜と一緒に、闇の底に落ちるばかりだった自分を救ってくれた女の子。
彼女もまた、他人の為に全力で力を尽くせる子………なんだけど、ビデオメールとのやり取りに、毎日直に会えるようになってなのはと触れ合う内に、何か無しだが……『他者の力』になることに捕らわれているような気が最近芽吹いていた。
自分は彼女のその善意によって助けられたのだ、それを愚かだとは断じて言いたくない。
だけど……今日最後に見たなのはの顔を思い出すと、不安が込み上げてくる。
ひょっとして、自分以上に、今日何もできなかった己を悔しがってるのでは? と。数時間前に光に念話で聞いてみたら、やっぱり部屋の中で一人すすり泣いていたらしい。
と、ここに来てハッとする。
不眠を誘発する悩みの種を、『色々』以外の言葉で表せれたではないか。
要は、〝自分の大事な人たちに、何をしてあげられるんだろう〟だ。
「私ってば……勇夜やなのはたちに何もまともにお返しできてない……もらってばっかり…」
せめてもしもの時はその背中を守りたい、と怖い力であると自覚した上で以前より熱を入れた魔法の特訓を重てきたし、勇夜の師匠、おおとりゲンさん――ウルトラマンレオからの手厳しい指導にも負けてたまるかと喰らいついて着いてきたけど……そう簡単に明瞭な結果として出てこない。
しいてはっきりしたのは、まだまだ烈火の剣士と互角に戦えるのは、まだ遠い道のりだということ。
今日の戦闘記録を見せてもらって、よりずしりと突きつけられた。
人間体とはいえ、勇夜ですら手を焼かされて苦戦したシグナムのデバイスが変形したあの蛇腹剣。
スピードが自慢な自分でも、あの不規則で変幻自在な刃の軌道を無傷で躱すのは、現状限りなく不可能な話だった。
なによりも、守護騎士たち自体、自身が経験してきたものよりも、遥かに多くの回数と、より熾烈で苛烈で予断を許さない、慈悲が皆無で死神の気まぐれに踊らされる命がけの戦場を駆けてきた戦士である。
母さんたちにパワーアップされたバルディッシュを持って、相手から大幅に手加減に手加減を重ねてもらったとしても、ようやく五分五分がいいとこ……それさえ贅沢な考えなのかも……だから悩ましくもなる。
どうしたらいいんだろう?
一体自分は………みんなに、どういう形で恩をくれた人たちに力になってあげられるのか。
「悩むのはいいけどフェイト、悩み過ぎてド坪に嵌らないようにね」
「え?」
「フェイトだって、少し思い詰め過ぎちゃうところがあるから、もう一度こうすると決めちゃったら、別にギリギリな状況でなくても『他に方法は無いんだ!』とばかりに突っ走っちゃう」
「そんなに……思い詰めちゃうかな……わたし」
「詰めちゃうね、リニスから『攻めに傾倒』しちゃうってよく言われてたのアルフから聞いたけど、あれをもっとストレートに言うと、『フェイトはごり押ししがちな猪武者』だって意味になるから」
「あう~~やっぱり…」
実際問題、本当のことであるがゆえ……いや本当で自覚できるからこそ、自身の気質の一つに落ちこまされるフェイト。
自覚できる材料だって、魔導師としての戦歴を見渡せば充分揃ってる。特に勇夜となのは、この二人と対敵し一戦交えて敗北した原因は、どちらも攻撃に傾いてしまう短所が仇になったからであった。
この辺は、やはり良くも悪くも含め、母プレシア譲りだとも揺るぎ無い確信を持って言える。
「お姉ちゃんが言いたいのは、こだわり過ぎは禁物ってこと、魔導師として強くなって一緒に戦うってのも有りだけど、それだって手段の一つでしかないんだよ」
「他にも、色々やり様はあるってこと?」
「そうそう、どうしたいかは、結局フェイト自身が決めて見つけなきゃいけないけどね」
自分で…決める。
姉の一言に、フェイトは前に勇夜から送られた言葉を思い出した。
〝時には、自分で見つけなきゃいけない答えもあるんだぜ〟
なぜだろうか?
まだ何も、悩みを打開する道筋は出てきていないのに、体に乗っかっていた荷やら、しこりやらが一気に軽くなっていった。
ああ…そうか、想いを自分以外の誰かと、共有したからなんだと、気づかされた。
たとえ最後には自分自身でどうにかしなきゃいけないことでも、一人で抱えるよりも、他の誰かと一緒に分けあって持った方が、微かでも前進する一歩になれる。
だって、私たち家族は、その共有と分けあいで、今こうして家族になれたから。
「あれ?」
突然、室内に浮かんでいた3D映像の星が消え、その直後に部屋の天井の灯りが点灯した。
「二人とも、これ以上の夜更かしは厳禁だぞ」
「ジャン! せっかく良いムードだったのにちょっかい入れないでよ! このKYバード!」
「KYで結構だ、君たちには早寝という特権があるのだから、それを有効活用しなくては」
「む~~~レディに子ども扱いするなんて失礼だよ」
「しかし君を大人としてみなせばそれなりの年齢になるぞ、例の魔導炉事故の日から現在までの年月を換算すれば、君の歳は今―――」
「ダメダメダメ! それを口にしちゃダメェェェェーーーーーーーー!!!」
漫才めいた姉とスターコルベットとの語らいに、フェイトの頬の肉は思わず緩みだし始める。
きっと、ウルティメイトフォースゼロが4人揃って旅をしていた頃も、こんな傍から見ると笑えてしまう会話が何度も起きて、それをゼロはやれやれと思いつつ微笑んでいたのだろうと妄想すると、余計笑みが零れてきた。
具体的にどうしたかはまだ分からないけど、ゼロたち異世界からの巨人たちがまたあのような日々を送れるよう、願いつつも、みんなで現実にするんだと、心に決めるフェイトであった。
フェイトのように寝ようにも寝付けない女の子もいれば、一度は眠ったのに半端な時間に起きてしまった子もいる。
その子こそ、なのはだ。
月面のジャンバードからところ変わり、ここは高町家のリビング。
「はい」
「ありがとう…」
ソファーに腰掛けるなのはの前に、蒸気が上げるホットミルクが入れられたカップがコンッとささやかに音を立てながらテーブルに置かれた。
それを両手で取り、真っ白な水面に何度か息を吹きかけ、さざ波を起こして熱を程度よく緩ませてから、そっと口に入れる。
少しずつ飲み入れながら時計を見た。既に短針は12時を過ぎ、日を跨いでいた。
翠屋の開店準備に朝の家事を踏まえると、母も早いところ眠っておかなければならない。さっきどうして起きていたのか? と聞いたが、何となくなのはが降りて来ると何となく予感していた、からだそうだ。
「目が腫れちゃってる原因は、やっぱり……魔法に関係することかしら?」
なのはと向かい合わせなる形で向かいのソファーに腰を下ろした桃子が投げかけた問いを、彼女は黙して頷いた。
「今日…わけがあって魔法の力を集めてる人たちを止めようと、光兄や勇夜さんたちが頑張ってて……」
「なのはも手伝いたかったけど、おおとり先生に止められちゃった…だっけ?」
「うん…」
今はなのはたちの訓練の教官的立場なおおとりゲンが、自分たちが戦場となった結界内の市街地に行くのを許さなかったのか、理屈ではというか…理由ならなのはでも理解はしていた。
自身とフェイトにとってパートナー同然なインテリジェントデバイスのレイジングハートとバルディッシュは、まだプレシアたちによる改修作業中で手元
には無かった。
兄たちが相手にしている騎士たちが、一筋縄ではいかない実力者だってことも分かる。スポーツで言うと、なのはたちは素質に恵まれていると言えど、まだジュニアリーグクラス、対してヴォルケンリッターはプロリーグの第一線に位置しているとも例えられる。けどそんな比喩表現を使わずにもっとはっきり言うならば、〝溝〟は確かに存在する……騎士たちが人間が生きられる何倍何十倍、下手をすると何百倍ものの頻度で、味わってきたもの。
〝戦いが巻き起る場〟に漂う………冷たい大気、というものを。
なのはも魔法使いの力を得てから、何度かは体験した感覚。
全身に冷気が混じる、やたら滑りと粘液が滴り流れるような寒気。心臓を鷲掴みにされ、簡単にその鼓動を無理やり停止させてしまいそうな圧迫感に、頭の奥をできたての白紙の如くまっさらにさせてその機能を狂わせる熱。
どうにか言葉に変換させると、先述の文体となる空気感、忘れる筈もない。
特に、初めてジュエルシードの異相体と相対した時と、オレンジ髪の鉄槌の女の子に完膚なきまで打ち負かされたあの時は、今でもクリアな記憶として頭に残っている。
本当にあの時あの場に居た瞬間ほど、生きた心地がしなかった……少なくとも鉄槌の女の子には、魔力を奪おうとはしても、命まで奪う気は無かったというのに。
けれど漠然とだが直感で分かるのだ………直に体験したあの空気すら、戦いの場では温いということを。
そして今日の中心市街で、激闘を交えた人たちは、あれ以上の極寒で、無慈悲で、命の瀬戸際に立たされる……いわゆる〝修羅場〟と呼べるものを、何度も、数えるのを止めてしまうくらい。
兄たちが主に怪獣や己と同じ大きさの巨人、騎士たちが魔法を使えども人間を相手にしてきた違いがあるけれど。
だから今日の《先生》は、いつになくドスの利いた怒声を上げて、結界の中で傍観する状況に焦ってしまった自分たちを制したのだ。
半端な状態で、修羅の世界に入ってしまえば、怪我では済まない事態が起こると警告したのだ。
小さな命たる幼子たちに、危険の何たるかを教え、危険の荒波から少しでも遠ざけよう…守ろうとするゆえ、敢えて厳格かつ断固とした大岩にも比喩できる態度で子と向き合う。それは厳しさの仮面を被る親が見せる愛の形の一つだった。
分かるのだ……おおとりゲンの厳格な様は、心からの思いやる気持ちによるものだって。
分かっているのだ……いくら才能あると評価されても、ウルトラマンら超人や、ヴォルケンリッターに比べれば、まだまだ自分たちなどひよっこな身の上なんだって。
理解はできるのだ………愛機も自身も半端者で、ゲンの言う《過去の自分》にすら打ち勝てるのか分からない今は、想いを訴えて騎士たちを止めてあげるどころか、みんなの助けにもなれないんだって。
解ってる……解ってる……それくらい分かるんだ……理屈では分かっているんだ。
なのに…それなのに、そう納得させようとすればするほど、却って納得できない気持ちが、どんどん膨れ上がっていく。
心が重傷を負った暴れ馬のようにのたうち回り、触り心地の悪い無念が、風船みたいに膨張していく。
何もできない自分、みんなに何もしてやれない、何の助けにもなれない、ただ待つことしかできない自分。
こんな自分が情けないと思ってしまう……そう考えてしまう自分が嫌になってしまう。
この上、傷口に塩を大量に塗り込む勢いではっきりと脳裏にあの記憶が流れ込んでくる。
気を紛らわそうと一気にホットミルクを飲み干したが、何の効果も示さなかった。
却って気が立ち、むしろ浮かんだイメージがより鮮明となる。
父が生死の淵を彷徨い、母たちが必死に家計を支えようと奮闘する裏で、家の中で外の日が沈み暗くなっても灯り一つ点けず、ひたすら家族が帰ってくるのを待ち続けた日々。
イヤだ! どうして今そんな思い出を思い出さなきゃならないの!?
たとえそれが、狂乱の渦に呑まれてしまった母から愛情の代わりに暴力の痛みを受けてきた親友よりも、巨悪に洗脳され…理性を失って守るべきものに手を下すまいと疼く体を抑えつけていた義兄よりも、自分が自分だと自覚できる年頃になる前に両親を失くしてしまった考古学者な魔法の先生よりも、家族が直ぐ傍に居る温かみを体験できず、一時は故郷の星の最大の禁忌に手を出してしまうまでに歪んでしまったウルトラ戦士よりも…………あの人たちが辿ってきた経験に比べたら、瑣末なことなのかもしれない……が、それでもこの少女にとってあの日々は、トラウマに相当する重くて苦過ぎる記憶だった。
振り払おうとする、頭の中に浮かぶソレを、死に物狂いに消そうとする。
しかし彼女が足掻けば足掻くほど、消えてほしいその映像は、より明細さを帯びて映しだされてしまう。何度も何度も直視される回数を重なる度、心の像が急に疾走を始め、鼓動と呼吸がリズム良くなどという言葉など意を介さず乱れ、体の奥に何らかの異物が入り込んだ圧迫感に似た息苦しさが襲ってきた。
そうだ……魔法の力に目覚める前は、時々自分の体の内で起き、臨海公園などの人気の無い場所で一人、喉の水気を蒸発させる勢いで叫んでは発散させて対処していた……心の悲鳴。
久方振りにそれが今、発生しようとしていた。
ダメだよ…今ここでそれをやっちゃ、寝ているみんなを驚かせてしまう。
呼吸を整えさせ、どうにか喉から迸ろうとする叫びを出すまいとするなのはだが、一度加速しだした現象は彼女の意志にお構いなく実行に移そうとする。
止めて―――止めて―――止めてェェェェェェーーーーーーーー!!
今まさに少女の声量と思えない金切り声が唸りを上げようとした―――のだが、皮膚が触れられて伝わってくる何かによって、それは外に放出されることなく霧散していく。あれほど大きく乱れ手を焼かされていた呼吸も、出鱈目かつ乱雑な混沌と化した状態から、元の均等な網目に直された毛糸の編み物に喩えられるくらいに正常に戻りつつあった。
心の揺らぎが落ち着いたのもあり、ようやくここに来て気がついた。
体に伝わるほのかな温かみは、母の体温のものであったと。
自分の横から、母の腕が震えるなのはの体を抱き寄せていたのだと。
「おかあ…さん」
「悔しかったのよね? 〝魔法使い〟になれても、誰かの助けになれないと思ってる自分に」
桃子は抱擁から両の掌だけなのは肩に乗せて離すと、そう問いかけた。
母の言う通り、ベットの上で流した涙も、さっきの心身の乱れも、原因を簡単に表現するとそうなる。
嫌だった……あの頃みたいに無力な味を噛みしめられるは、まだ小さくて幼い歳であるのが呪わしくなる気持ちが芽生えそうになるまでに。
魔法の力に目覚めてから、毎日練習を欠かさなかったのは、少しでもそんな自分から変わりたい願いが含まれていたのも事実。
やっと自分が手にできた〝取り柄〟だ。手放したくなかったし、できるのなら、どこまでもこの能力を上達させて駆け上がりたくもあった。
そうすれば、あの頃からもっと遠いところまで走り抜けられると考えていたから。
「お母さんは魔法のことはよく分からない、でもこれは言える、そんなに無理して魔法の特訓をしなくても、なのは自身が、みんなの力になる魔法なのよ」
驚きで元より大きめななのはの双眸が、より大きく見開かれた。
母の発言が、彼女にとって意外過ぎるもので虚を突かれたからである。
「信じられないって顔ね、でも本当よ、頑張りすぎちゃって、もう明日の分まで元気が残ってないくらいへとへとに疲れてても、なのはの顔見たら、不思議と元気がじわじわと沸いて来たものよ、他のみんなもそう、お父さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんもだし、光に勇夜君、ユーノ君にフェイトちゃんたちだって」
当人の予想以上に、自分が他者に影響力を持っていることに、しばし放心させられる。
疑ってるわけでは無いのだけれど、謙虚過ぎる彼女の性分ゆえか、賛辞の言葉に実感が中々掴めない。
なのは本人はこんな有様だが、決して誇張でも過大評価でもないの如実であった。
光にこの世界で生きる礎となったし、異相体に敗れて無力感と自責の念に押し潰されそうになったユーノや、フェイトを悲愴な境遇からどう救えるか悩んでいた勇夜、アルフにとって活路にもなった。
何より、フェイトがこうして、血の繋がった家族と同い年の子たちと囲まれ、他愛はないようで実は得難い日常を送りながら、相手が色々と規格外なヒーローとはいえ、男の子に恋もする女の子でいられるのも、どんな障害にもめげずそれでもと諦めなかったなのはの不屈さが一筋の光となったからでもある。
なのはの想像以上に、なのはは確かに、袋小路に入ってしまった誰かの想いを前進させる〝魔法〟となっていた。
「それにね、そう急いでどんな自分になりたいか決めなくていいわ」
「どういうこと?」
「昔に比べたら、今は大人になるまでの時間は結構あるの、まあいつかは自分がどんなのになるか決めなきゃならないし、本格的に魔法使いになるにしても、他の職業につくにしても、なのはが大きくなって自分だけの道を選んだのなら、その時になればお母さんたちは無理になのはを引き留められないわ、でもそう焦らなくてもいいのよ、まだなのはには時間が一杯残ってるんだから」
母桃子がそっと語りかけるその言葉の数々で、ふと思い出した。
今日の訓練の終わりに、ゲンもまた桃子と似たような言葉を口にしていたことにだ。
〝焦ることはない、無茶をしてまで強くならざるを得なかった昔の私と違い、君たちには大人へと登るまでまだ猶予が残っている、その時間を上手く使って、急ぎ過ぎずに『自分』を作っていけばいい〟
あの時は、思い詰め過ぎてて、気張りすぎててその意味を理解する余裕は持ってなかったけど、今はどうにか意味を測ることができる。
「じっくり時間を掛けて、なりたい自分を見つけて目指しなさい」
何だか不思議な感覚だった。
母の口から紡がれる言葉の数々には、単に吐息の熱だけではない、詞そのものに仄かに籠った暖かさが感じられたから。
そのお陰なのか、今日の夕方くらいからずっと自分に苦しみを与えてきたしこりが、段々と消えていく気がする。
実は結構皆の助けになれてたんだ、と知ったなのかも、それはそれで、何と現金なのだろうと苦笑してしまう。
でも今となってはそれが何だ、嬉しいものは嬉しいのだ、と妙にポジティブに受け止められるようになっていた。
「さあ、そろそろ寝ましょう、なのはが眠らないといつまでも起きたままな夜更かし君が二人いるから」
夜更かし君? 一体誰のことだろう? となのはは首を傾げた。
「お二人とも、出てきなさい」
「あはは……ばれましたか」
「すみません、盗み聞きみたいな真似して」
「光兄………ユーノ君」
リビングからは死角になっていた廊下から、その不真面目な夜更かし君たちが出てきた。
二人とも、一度は就寝したものの、眠りが浅かった為か、なのはが一階に降りた際の微かな物音で起きてしまい、そして足音でなのはだと察し、彼女のことが気がかりとなって隠れて聞いていたのである。
ことの一部始終と聞かれていた。おまけに思い出せばとても人様に話すには恥ずかし過ぎる醜態の数々。
羞恥な心境で顔に熱が発生し、こうして兄たちに心配掛けてしまったことに申し訳なさも感じる一方、喜びも一緒に込み上げてきて、微笑ましくもなるなのはであった。
大丈夫……ゲン先生やお母さんの言う通り、焦らずに頑張り続けてみよう。
一人ではなく、皆皆で手を取り合って。
それが――――みんなを元気づける〝魔法〟になるのなら。
つづく。