第一話 始まりの朝
公立IS学園。本日、そこに世界で唯一の男性IS操縦者が入学した。
-というのは正しいようで、一部正しくない情報なのである。なぜならこのIS学園へと入学した生徒達の中にもうひとり、言われてもわからないほど巧みに女子生徒に変装した……というか、元から女顔の少年が、世界には知らされていないもうひとりの男性操縦者として、このIS学園に入学していたのである。
「いやー、IS学園へようこそ! 君が香港代表のアイリーン・ブルックスさんかな? 私の名前は更識楯無。このIS学園の生徒会長をしてるよ、よろしく」
楯無と名乗った、空色の髪を元気よく外側に向けてはねさせている彼女は、手にした扇子をぱっと開いた。そこには歓迎、の二文字があった。
「ロシア代表が生徒会長か。アイリーン・ブルックスだ、よろしく」
「こらこら、おねーさんは一応年上だぞ? まっ、いいや。もう聞いてるとは思うんだけど、生徒会への入会が決定事項になってるから、とりあえず明日の放課後に顔合わせね。明日の授業が終わったら、生徒会室まで来てちょうだい」
「わかった」
「それじゃあ、教室まで案内するね。アイリーンちゃんのクラスは1年1組! 担任の先生を見たら、きっとびっくりするだろうね」
アイリーン・ブルックス。彼女のファミリーネームが、世界に名を轟かせる天才、ミカエル・ブルックスと同じであることには、理由があった。そして生徒会長が自ら出迎えをしている理由は、彼女のファミリーネームや、彼女の香港代表という立場によるものではなかった。アイリーン・ブルックス。彼女-いや、彼こそが、世界には知られていない、本当の「最初の男性IS操縦者」なのである。
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コンコン。1年1組のドアがノックされた。ちょうど、俺が自己紹介をすべく、席を立ったところだった。副担任の山田先生が、ノックに気付いてドアの方を見遣り、どうぞと声をかける。
開いたドアの先からは、水色の髪をした女子が立っていた。多分制服と思われるものを着ていることから、この人がこの1年1組の担任……というわけではないのだろう。
「アイリーンちゃん、やっと到着したので連れてきました」
「そうですか! ありがとうございます、更識さん」
扉の外にいた女子、もとい更識さんと呼ばれたその人は後ろを振り返り、そしてとても小さな何かを前に押し出した。そしてその小さな何かとは、黄金色の髪にワインのような瞳をした女子だった。彼女の服装もIS学園の制服っぽいから、彼女も担任じゃないんだろう。
「更識さん、ありがとうございました」
「いえいえ、それじゃあ失礼します」
更識さんはにこっと微笑んで、教室のドアを閉めた。教室の入り口にはえーと……アイリーンさんが、ぽつーんとひとりで突っ立っていた。
「ブルックスさん、この席にどうぞ」
身の丈に合わない服の大きさや眼鏡のズレ、そしてあわあわと落ち着かない雰囲気から、やはり同い年と言われると納得しそうな雰囲気の山田先生だったが、きびきびとアイリーンさん、もといブルックスさんに俺の真後ろにあたる席を指定して着席を促すあたりは、ちゃんと先生なんだなって妙な関心をした。
「では織斑くん、自己紹介をお願いします」
ブルックスさんが着席したのを確認してから山田先生が俺に続きを促した。いや続きっていうか、まだ一言も紹介してないけどな。
「あ、はい。えー……えっと、織斑一夏です。よろしくお願いします」
それだけ言ってぺこりと会釈をすると、クラスの大半から何かもっと喋れよ的な視線を感じたんだが……自己紹介をするにあたって、尻を向けて喋るのも失礼な話だろうと思って、後ろを向いていた俺の目の前の所為と、もといブルックスさん。彼女だけは、さして興味もなさげに、ぼうっと頬杖をつきながら窓の外を見ていた。うんうんわかるぜ、外の陽気は気持ちよさそうだもんな。しかし、もう話すことはないぞ。その意味も込めて、こういった。
「以上です」
がたたっ。クラスの何名かがこけた。おい椅子から落ちたぞ……大丈夫かよ? ていうか俺にどんだけ期待してたんだ。
「あ、あのー……」
後ろから山田先生が涙声になりながら声をかけてくる。おっと、何かまずかったのか。その時、鋭い痛みが頭に走り、それに遅れてパアンッ! と凄まじい音が聞こえた。おい待て音より痛みの方が速かったぞ。これは俺の神経超鋭いって喜ぶべきところなのか?
おそるおそる振り向く。黒のタイトスーツに身を包み、すらりとした、だが貧弱というわけでもごついというわけでもない肉体に、狼のように鋭い瞳。
「げえっ、関羽!?」
「誰が三国志の英雄か、馬鹿者」
再び俺の頭を襲った痛みと音。間違いなく、俺の姉でありながら、普段なかなか家に帰って来ず、実の弟である俺ですら職業を知らない人物、織斑千冬で間違いなかった。
「あ、織斑先生。もう会議は終わられたんですか?」
「ああ、山田くん。クラスへの挨拶を押しつけてすまなかったな」
「い、いえっ。副担任ですから、これくらいはしないと……」
さっきまで涙声だったはずの山田先生の声の元気が、復活していらっしゃる。むしろ熱の入った声だ。どうしたどうした。
「諸君、私が織斑千冬だ。君達新人を一年で使い物になる操縦者に育てるのが仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。私の仕事は弱冠15歳を16歳までに鍛え抜くことだ。逆らってもいいが、私の言うことは聞け。いいな」
ところどころ矛盾してる千冬姉の自己紹介というか教育方針というかの暴力っぷりったらない。しかしクラスメイト諸君はそう思わなかったようだ。そこかしこから黄色い声が飛び交う。……千冬姉、すげー人気だ。
「毎年、よくもこれだけ馬鹿者が集まるものだ。感心させられる。それとも何か? 私のクラスにだけ馬鹿者を集中させてるのか?」
千冬姉はこれを本気で鬱陶しがっているのだが、しかし黄色い声は止まない。千冬姉、すげー人気だ。大事なことではなかったが、二回言ってしまった。
「で? 挨拶も満足にできんのか、お前は」
「いや、千冬姉、俺は」
パアンッ! 本日三度目のコレと、織斑先生と呼べとの有難いお言葉である。はい、織斑先生。しかしこのやり取りはまずかった。クラス中に俺と千冬姉……じゃなくて、織斑先生が姉弟なのがばれてしまった。いやばれたからと言ってどうってわけじゃないんだが。
「山田先生。あと自己紹介をしていない生徒は?」
「あ、はい。途中で来たブルックスさんだけです」
「そうか。そういえばブルックスは遅れるとの連絡があったな。ではブルックス、自己紹介をしろ」
千冬ね、織斑先生にそういわれて、俺の真後ろが動いた気配。そっちをそれとなく見遣ると、ほんの一瞬、その妖しげな紫の瞳とかち合った。その短い時間にすべてを吸い込まれそうな気がして、ぼうっとしてしまった。
「アイリーン・ブルックス。趣味という趣味はないけど、強いて言うならフェンシングが楽しい。以上」
それだけ言って座ったブルックスさん。一礼もよろしくの一言もなかったが、千冬、織斑先生が何も言わないのはどういうことだ。
「さあ、SHRは終わりだ。諸君らにはこれからISの基礎知識を半月で覚えてもらう。その後実習だが、基本動作は半月で体に染み込ませろ。いいか、いいなら返事をしろ。よくなくても返事をしろ、私の言葉には返事をしろ」
その時揃ったクラスの返事。……うん、返事が揃うっていいことだよなあ。この時の俺の目は遠いどこかが見えていた気がする。
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一、二限目と続けてISの基礎知識の授業だ。教鞭をとるのは、どちらも山田先生。ちふ、織斑先生は、教室の隅に立って、時折うんうんと頷いている。それとは対照的に、俺はもう何がなんだかわからないところまでやってきている。分厚い教科書群の中の一番上のを適当に手に取って、ぺらりとページをめくること一枚。既になんのことだかさっぱりである。両隣の女子ふたりは、せっせと手を動かし、ノートを取り、山田先生の言葉に相槌を打っている。後ろはなんとなくだが……つまらなさそうに頬杖をついている気配しかしないが。
「織斑くん、何かわからないところがありますか?」
わからないところがあれば、是非聞いてほしい。そういって胸を張った山田先生。これは、意外に頼れる先生なのかもしれない。そう思って、素直に言ってみた。ほとんどまったくすべてがわからないということを。おいそこ、ほとんど、まったく、すべてが全然等しくないとか全然累加になってないとかいうツッコミはいらん!
「え……。ぜ、全部、ですか……? え、えっと……織斑くん以外で、今の段階でわからないっていう人はどれくらいいますか?」
途端に最初の印象通りに戻った山田先生が、おどおどしながらクラス全体を見回し、問う。しかし、俺以外にその状態に該当するやつはいないみたいだった。
「……織斑、入学前の参考書は読んだか?」
「古い電話帳と間違えて捨てました」
「必読と書いてあっただろうが馬鹿者」
本日5回目のアレだ。一度叩くと脳細胞は5000個死ぬらしいから、俺の尊い脳細胞はもう25000個も死んでるな。尊いとか言うと俺がバカみたいだが、けっしてそんなに頭は悪くない、はず。
「あとで再発行してやるから一週間以内に覚えろ。いいな」
「いいよ千冬さん。私の、要らないからあげる」
後ろからそういった内容の、硬い声が聞こえてきた。後ろに座っているのはあの、ブルックスさんだ。そして俺の頭の上に、何かがずしっと圧し掛かった。それが電話帳、もとい入学前の参考書であることに気付くために俺は数秒を要した。そしてそれを受け取る。またちょっとずしっと重たくなった気がして、ブルックスさんが手を放したんだろうということが容易に想像できた。
「まあお前にはこの程度の参考書はいらんだろうが……。しかし、ここは学校で、私は教師で、お前は生徒だ。織斑先生と呼ぶように」
「善処する」
日本語で言う、改善する気のない返事をやはり硬い声でブルックスさんはした。一応お礼を言おうと思って、後ろを振り返ると、想像通り、頬杖をついて、教科書も開かず、むしろ筆箱すら開けずに窓の外をぼうっと眺めていた。しかし、それにしても綺麗な人だ。長い睫や薄いけど綺麗な色形の唇。女性らしい体つきではないにしろ、美少女と呼ぶに相応しい容姿ではあった。
「ありがとう、ブルックスさん」
「別にいい」
もらったそれには何の跡もなく、開かれた形跡もない。ち、織斑先生の言うとおり、彼女にはこの参考書は必要なかったんだろう。
後ろの小柄な少女は動く様子もなく、授業は穏やかに続いていった。
そして二限目も終わり、休憩時間。ブルックスさんが、俺の前に現れた。目が若干半開きなのは、もしかしてさっきの授業で寝てたんだろうか……織斑先生もいるのに、怖いものがないんだろうか。まあ織斑先生相手にほぼタメ口をきいてる時点で命知らずだと思ったけど。
「さっきの参考書貸して。あと色ペン、2本ぐらい」
そう言って手を差し出すブルックスさん。意図はよくわからんが、筆箱に入っていたピンクの蛍光ペンとオレンジの蛍光ペン、そして参考書を渡すと、それを持って自分の席に再び座った。一体どうするんだろうか。
「ちょっと、よろしくて?」
その時、ブルックスさんの硬い声とは違って、女子らしい、けれどちょっと尖った声が俺に話しかけた。その声の主は縦巻きロールの、ブルックスさんより淡い金髪の女子だった。いやこの学園で女子と呼べない人は俺以外には女性である先生達ぐらいしかいないけど。透き通ったブルーの瞳から、西洋人だと窺い知れた。
「聞いてます? お返事は?」
「あ、ああ。聞いてるけど……どういう用件だ?」
「まあ! なんですの、そのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度があるんではないかしら?」
「悪いな。俺、君が誰か知らないし」
俺が答えたら、目の前の金髪の……自己紹介があったはずなんだけどな。名前が思い出せん。青いカチューシャをしてるから、青カチューシャさんでいいだろうひとまずは。青カチューシャさんは俺の言葉を聞いた途端、吊り目を細めて、見下したような声をあげた。
「わたくしを知らない? このセシリア・オルコットを? イギリスの代表候補生にして、入試主席のこのわたくしを!?」
「まあそう怒るなオルコット」
腰に手を当てて俺を見下ろす青カチューシャさん、もといセシリアを宥めた声には聞き覚えがあった。ブルックスさんだ。あの分厚く、俺でも片手で持つのに苦労する参考書を片手で軽々と持ち、セシリアの横に並んだ。……すごーく失礼な話かもしれないが。ブルックスさんの小柄さが、とってもよくわかる。セシリアも女子の中で大きい方ではないと思うんだけどな。
「そうそう声を荒げては、イギリスの名が泣く。わからないやつには教えてやればいい」
独特な硬い声で、淡々と、静かにそう言って、持っていた参考書と、さっき貸した2本の蛍光ペンを俺の机の上に置いた。……なんでこの細腕一本でこの参考書が持てるんだ。
「そ、そうですわね……。こほん、お見苦しいところをお見せしてしまいましたわ。アイリーンさんのおっしゃる通りでしたわね」
「あ、そういえば質問いいか?」
俺がふと気になってそうふたりに問いかけると、ブルックスさんは無言で俺の方を見向きもせず、セシリアが得意げな顔でなんでしょうと応えた。
「代表候補生って、なんだ?」
なぜか俺達3人の会話に聞き耳を立てていたクラスの女子が数名、がたたっとずっこけていた。……さっきからよくこけるなあ。
「あ、あ、あ……」
「あ?」
「あなたっ、本気でおっしゃってますの!?」
セシリアの剣幕のすごさといったらなかった。それに対して俺が知らない旨を伝えると、セシリアは頭を抱え始めた。怒ったり悩んだり、忙しいやつだな。
「織斑、その参考書の572ページ、左から3列目上から17行目を見ろ」
ぶつぶつとセシリアが何事かを呟いてるうちに、ブルックスさんが指定したページを見た。そこにはちょうど、代表候補生についての項が、ほんのちょっとだけど、載っていた。
「代表候補生。これは前述の、国家代表たる人物の候補とされる人々である。その名の通り、これらの中から国家代表は選出される」
ブルックスさんがすらすらと読み上げたのは、ちょうど俺が見ていたところだ。……あの開き癖すらない参考書の内容が全部頭に入ってるって、どういうことだよ!? 開き癖付けずに読んでたってことか?
「要は各国の選ぶエリートの卵だ」
「単語から想像すればわかることでしょう……」
やはり淡々とブルックスさんは言い、セシリアはため息交じりにそういった。おお、言われてみればそうかもしれん。
「そう、わたくしや、ましてやアイリーンさんなどは世界でも屈指のエリートなのですわ! そんなわたくし達とクラスを同じくすることだけでも奇跡……幸運なのですわ。その現実をもう少し理解していただけます?」
「そうか。そりゃラッキーだ」
「……馬鹿にしていますの?」
セシリアがまた青筋を立てようとすると、オルコット、とブルックスさんが静かに嗜めた。おお、控えめな体格とは裏腹に、なかなか大きい人物なのかもしれん。器的に。
「ま、まあわたくしは優秀ですから、泣いて頼まれたら、あなたのような方にでも教えて差し上げてもよくってよ。なにせわたくし、入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートですから」
「入試って、あれか? ISを動かして戦うってやつ?」
「それ以外に入試などありませんわ」
「あれ? 俺も倒したぞ、教官」
あ、セシリアが目を見開いた。相当ショッキングな話だったのか。てゆーか、さっきからブルックスさんがヨイショされてたのに、ブルックスさんは試験で教官を倒してないのか……。
「わ、わたくしだけと聞きましたが?」
「女子ではってオチじゃないのか? ていうか、ブルックスさんはどうだったんだ?」
「私は学園側に招かれている身だから、入試は免除だったが」
おお。それなら納得だ。招かれるほど優秀なんだろうか、ブルックスさんは。……いや、セシリアからピシッなんて音が聞こえてるのは気のせいだ。気のせいのはずだ。気のせいではないはずがない。
「つ、つまり、わたくしだけではないと……?」
「いや、知らないけど」
「あなた! あなたも教官を倒したって言うの!?」
「うん、まあ、たぶん」
「たぶん!? たぶんってどういう意味かしら!?」
その時、キーンコーンとチャイムが鳴った。次もまたISの基礎知識の授業だが、正直セシリアのキンキンする声としばらくおさらばできるのはありがたかったので、これは俺にとっての福音だと思った。そしていつの間にかブルックスさんが席についていて、まだ座っていないのが俺だけな状況で、織斑先生の出席簿が降ってこないわけがなかった。