魔法少女まどか☆マギカ [新編]救済の物語(完結)   作:曇天紫苑

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ワルプルギスの悪夢

 風が、吹き荒れている。

 

 髪をなびかせる風に対して、私は髪をかき上げて形を整えた。

 

 空は尋常ではない程に暗く、雲に覆われていた。

 青は一つも無く、陽光もまるで届かない。一つの都市を丸ごと埋め尽くす規模の巨大な暗雲が、不安を煽ってくる。巨大な嵐の前触れだ。

 ただの人間には、自然災害にしか見えないだろう。だが、私達魔法少女には分かる。この膨大な呪いと、張りつめた気配。歴戦の魔法少女ですら身体の震えを抑えきれない圧倒的な力の存在は、まさしく、最強の魔獣と表現するべき物だった。

 

「ワルプルギスの夜……か……」

 

 大きな川沿いの道に、私達は立っていた。そこからは、見滝原がよく見える。

 そうだ。ワルプルギスの夜。アレの気配がする。アレがやって来る時の、酷い圧迫感が有る。魔獣と言うには、記憶の中に有る物と殆ど違いが無かった。

 まだ姿を見た訳ではないが、分かる。恐らくは、私の知っている物と同じ姿をしているだろう。能力まで同じかは知らないが、力は殆ど変わるまい。

 今日の為にずっと特訓をしてきたが、大丈夫だろうか。改めてこの場に立つと、不安感が溢れてくる。どう考えたとしても、私一人勝てる相手ではないのは、確かだ。

 

「おい、大丈夫かよ」

「ええ……問題は無いわ」

 

 私の不安を見抜いたのか、杏子が心配そうに近寄ってくる。落ち着いて返事をすると「なら良いがな」と言って引き下がったが、そう言う彼女も心許ない気分なのだろう、妙に落ち着かず、何度かその場で足踏みをしている。

 それから、杏子はさやかの顔を見た。やはり、普段の冷静さや軽口が感じられない。肩に力が入っていて、緊張しているのが手に取る様に分かる。

 けど、本人は自覚が無いのだろう。さやかの顔を見て、心配そうな素振りを見せている。

 

「お前も大丈夫なのかよ、さやか」

「ん? あたしは大丈夫。あんたこそ、ちゃんとやれるの?」

「ははっ、誰に物言ってやがる」

 

 思いの外冷静なさやかの姿に戦意を呼び起こされたのか、杏子の口元に不敵な物が戻ってくる。しかし、それでも喉が乾いているのか、軽く咳払いをして、ケンナに向かって手を伸ばしていた。

 

「……ケンナ、ちょっとアレ飲ませてくれ」

「あ、うん。良いよ」

 

 瞬く間に現れたペットボトルを受け取ると、杏子は素早く蓋を開けて、口を付けた。コップを使わない豪快な飲み方をして、凄まじい勢いで半分まで減らす。

 喉を潤せた事で満足したのか、杏子は軽やかな息を吐いた。その時には、もう弱さは感じられなくなっている。

 

「サンキュ」

「杏子ちゃんが持っててくれないかな」ペットボトルを返そうとした杏子へ、ケンナが首を振って見せる。

「構わねえけど、何でだ」

「これからちょっと忙しくなるから、喉が乾いても出してる余裕が無いの」

「……ああ、成る程な。分かった、預かっておくよ」

 

 杏子がペットボトルを持って、ドレスの奥に仕舞い込む。何処に入れているのかは疑問だけど、気にしない事にする。

 その姿を見ていたマミは、一度真っ黒の空を見上げて、目を細めた。油断の欠片も無い所が、恐ろしい程の戦意を感じさせた。

 

「佐倉さん、どう思う?」

「……まあ、予想以上だな。こりゃ厳しい戦いになるぞ」

 

 二人は肌で危険を感じているのか、自分の武器を握る手に強い力が籠もっている。頼もしくも見えるが、どうも揃って緊張し過ぎている気もする。歴史上でも稀に見る巨大な敵の存在に、身体の力がまだ抜け切れていない。

 美樹さやかも私と同じ事を感じたのか、急に表情を思い切り明るくして、努めて楽しげに声を上げた。

 

「まあまあ。あたしらも特訓頑張ったんですし、大丈夫ですって!」

「……油断は禁物よ。でも、そうね。美樹さんの言葉にも一理有るかしら」

「そうだな。後は……全力でぶつかるだけか」

 

 マミと杏子が表情を明るくして、笑い合う。良い雰囲気だ、流石は美樹さやかと言うべきか、振る舞いだけでこの場の空気を軽くした。

 相変わらず怪しげな所は見受けられたが、いっそ忘れておく。ワルプルギスの夜を倒してから、ゆっくりと聞けば良い。少なくとも、今の美樹さやかは味方だ。

 

 私達が心の準備を整えたのと同時に、風が一気に強くなる。溢れ出す呪いの気配も更に強く、体中に嫌な感覚を与えてきた。

 

「ほむらちゃん」

「まど……いえ、ケンナ……」

 

 ケンナが、私の指に手を絡めてきた。私もそれに答え、愛情を片手に乗せる。

 昨日の会話など一つも無かったかの様に、彼女は笑いかけてくれた。彼女の正体にはもう九割の確信が有ったが、この場で改めて尋ねようとは思わない。

 

「ワルプルギスの夜を倒したら、きっと全部話すよ。だから今は、ね?」

「ええ、分かってる。分かってるわ」

 

 全ては、これを越えた後だ。勝って、ケンナの正体を聞こう。

 私の現出させた弓を、ケンナが撫でてくれる。その手つきは、何処か懐かしげな感慨が含まれている様に見える。

 

 風が、より強くなる。

 周囲が霧に包まれ、多種多様な姿をした魔獣がサーカスの行進の様に通り過ぎていく。

 

「さて……そろそろ来るかな」美樹さやかが剣を握り、身体を前に倒す。

「ああ、来るぞ」杏子は槍を掴み、口元に不敵な笑みを浮かべた。

「ええ。みんな、勝つわよ」マミの腕にはマスケット銃が握られていて、威圧感を放っている。

「はいっ!」ケンナはその足下から影の様な黒色の何かを発生させ、元気良く頷いた。

 

 私の横に並んだ四人の姿は頼もしく、彼女達が揃ってワルプルギスの夜に挑む事が、私にとっては夢にまで見た理想的な状態だった。全員、コンディションは絶好調だ。多少の緊張は有っても、恐怖は無い。

 固有魔法を失った事で、大型兵器は使用出来ない。でも、それを補って余り有る程に、私達の戦力は充実していた。

 これで勝てなければ、という恐怖は有る。でも、期待の方が遙かに大きかった。

 

 

 そして、魔獣の行進が止まり、吹いていた風が、完全に止まった。

 

 

「……来るっ!」

 

 

 私の言葉を合図にして、空が光った。

 すると、雲の中から大きな歯車が姿を現して、幾度か回転したかと思うと、人形の様な物が歯車の上に出現した。青を基調とした、ドレスに似た服を着ている様に見える人形だ。

 出現と同時に嘲笑と思わしき笑い声が響き、不快感を煽る。だが、私にとっては聞き慣れすぎて、もう気にもならない。

 空に浮かぶ舞台装置、常に逆さで飛ぶ、ただ現れるだけでその場を蹂躙する存在。

 それは確かに魔獣だったが、私がかつて戦い続けたあのワルプルギスの夜に、大部分が酷似していた。あの圧迫感も、存在感だって、何もかもが懐かしくもあり、それ以上に忌まわしい。

 少なくとも、外見上の差は大きくない。内心で安堵を覚えつつ、私は弓を構えた。

 

「今度こそ、決着を付けてやる……!」

 

 最初から、全力だ。魔力の矢を全速力で構築し、即座に打つ。その攻撃が合図となって、私以外の四人もまた、攻撃を始めた。

 一斉に動いた五人の魔力が混ざり合う様にうねり、ワルプルギスの夜に対抗していく。勝たねばならない、絶対に、勝たなければ。

 

 

+----

 

 

「みんな、始めるよっ!!」

 

 まず、最初に派手な動きを取ったのはケンナだった。

 彼女は祈る様に手を合わせ、目を瞑って座り込む。その背中から黒が溢れ出して、見て取るのも難しい程の速度で広がっていった。

 それは空を覆う様にして、建物から魔獣達を隔離する。あらゆる攻撃を防ぐ、強い壁となっていた。

 これは、私の提供した事前の情報を元にした対策だ。ワルプルギスの夜は都市を破壊する規模が凄まじいので、見滝原を守りたいなら、最低限でも建物と人命を守らなければならない。

 普通の方法なら、圧倒的な力を持つ相手に対して、建造物にまで気を付ける余裕なんか無い。でも、それを可能とするのがケンナだった。

 

 問題が有るとすれば、その魔法の維持を優先しなければならない事だ。まあ、ケンナは立ち回りの面で新人らしい不安の有る子なので、下手に動かすよりは、此処に居てくれた方が頼もしい。

 

「ケンナ、ありがと! これで思う存分やれるね!」

「さやかちゃん!」

「うん、それじゃあ、ま、ちょっとした隠し技、行って見よっか!!」

 

 美樹さやかが前に出る。彼女は躊躇う事無く、その剣を川の中へ投げ込んだ。

 唐突に行われた謎の行動に、杏子が戸惑う。勿論、私だって困惑させられた。

 

「おい、何を」

「良いから見てなって! そら、行くよっ!」

 

 悪戯っぽく、隠し事を明かす子供の様な顔をすると、彼女は剣に繋がっていた魔力の糸で何かを釣り上げた。

 川の中から飛び出した物を見て、私は思わず目を見開く。そこに居たのは、人魚だった。それも、剣を握り締め、凶悪かつ恐ろしい姿をした、周囲に青い楽譜を纏わせた人魚だ。

 人魚の魔女。それは、まさしく美樹さやかの魔女の姿だった。

 そこからは呪いや絶望を感じなかった。世界の外側に満ちた、慈悲深き概念の気配だけがその魔女からは溢れ出している。

 この世界に居る筈の無い魔女の姿を見て、私は驚愕の余り、意識をワルプルギスの夜から外らしそうになった。

 

「はっ……さやかの奴、あんなのを隠してやがったとはな! 負けてられねえぜ……マミ!」

「ええ!」

 

 人魚の魔女を見た杏子は驚きを隠さなかったが、すぐに勝ち気な表情を取り戻して、マミへと目配せをする。かつての師弟は即座に意志を伝え合うと、二人で並んだ。

 

 杏子が空いている手を虚空へ伸ばしたかと思うと、杏子が数十人に増えた。事前の作戦会議で聞いていなければ、特訓中に何度か見ていなければ、また驚かされていた所だ。

 それは、佐倉杏子の固有魔法だった。彼女の強さを数段階引き上げる、幻覚魔法だ。彼女は、それを復活させていた。

 

「杏子っ、あたしに付いてきて!」

「ああ、行くぜっ……」

 

 美樹さやかが楽譜の上に飛び乗ると、大量の杏子が同じ様に楽譜へと降り立った。凄い早さでワルプルギスの夜へと向かっていき、人魚の魔女と共に突撃していく。

 二人の斬撃がワルプルギスの夜の頭部に刀傷を作る。それと同時に、マミが千丁にも及ぶマスケット銃を放ち、杏子とさやかの隙間を縫って器用にその傷へ弾を叩き込んでいった。

 頭部に幾つもの攻撃を受けて、人形で出来た頭が部分的に穴が空く。だが、それは瞬く間に修復していき、元の形へと戻っていく。

 この再生が厄介なのだ。高出力の攻撃で仕掛けても、すぐに直ってしまう。

 

「一気に畳み掛けるわ!」

 

 なら、大量の攻撃で再生力を上回るしか無い。幸い、暴れられても周囲への被害はケンナが防いでくれる。

 全力の魔力を使い、次々に矢を射る。周辺に居る大量の邪魔な魔獣を消しながら、本体に対しても幾らかの攻撃を続けた。

 数百本の矢を当てた為か、反撃の炎が放たれる。以前なら盾で防いでいた所だが、今はそんな物など無い。即座に回避し、黒い翼を現出させる。

 避けた先にも炎が迫っていた。私は空中で完全に静止して、直角に曲がる事でそれを回避する。無理な動きをした為に身体が少し痛んだが、その程度が何だ。追尾能力の有る矢を数本打って牽制を加えつつ、相手の隙を窺う。

 さやか達は二人で左右から仕掛けて、時には交差しながら見事な同時攻撃を成功させていた。呼吸のペースが完全に噛み合っていなければ、こうはならない。

 

「暁美さんっ」

「……マミ」

 

 リボンを建物に引っかけて縦横無尽に飛び回っていたマミが、私の隣を通り過ぎた。そこから少し行った所でマミは一度回転し、私の元へ戻ってくる。

 特訓の際に考えた『アレ』をやろうと言いたいのだろう。少々気乗りしないが、有効なのは確かなので、頷いて答える。

 私の同意を得た為に、マミは凄い勢いで私の元へと飛び込んでくる。その表情が微妙に嬉しそうなのは、目の錯覚ではあるまい。

 

 私へ向かって伸びてきたリボンを掴み、ケンナに向かって声をかける。

 

「ケンナっ!」

「うんっ!」

 

 合図の声を聞いて、ケンナは建物を守っていた黒色から幾つかの円錐形の物体を飛び出させた。

 周囲の防御に集中しているのに、私の声にはしっかり応えてくれた。それを喜び、また彼女の手を借りなければならない自分の身を少し自虐的に思いつつ、渡された物の先端に矢とリボンを瞬時に巻き付ける。

 そして、準備が終わると即座に撃つ。一発目が当たると、リボンがワルプルギスの夜を縛り、次の矢が外れない様に動きを止めた。

 それを見るより先に、次々と撃っていく。一発も外れずに当てる事が出来た。絡まったリボンは、一つのボタンの様な突起を作り出している。

 幾つも重なったリボンと円錐の物体は、至る所を縛っていた。相手が相手なので、今にも破られてしまいそうだが、それだけの時間が有れば十分だ。

 

「お見事、じゃあ……私も!」

 

 何時もの大砲を持ったマミが、引き金を引く。

 

「ティロ・エスプロジオーネ!」

 

 すると大きな砲弾がワルプルギスの夜へ向かっていき、リボンで出来た突起へ衝突する。

 起爆スイッチと繋がっていたリボンが一気に動き、円錐形の……自作爆弾が動いた。絶対に外れない様に縛る形で設置されていたそれらは、見事に巨大な爆発を起こした。

 籠められた魔力は私だけの物ではない。マミと、それを収納していたケンナの物も含まれている。私だけの魔力では不十分でも、彼女達の魔力が加われば、凄まじい威力を与える事が出来た。

 大きな爆発の為に、煙で姿が見えなくなる。だが、油断は出来ない。『前』の時は、此処で奴の使い魔が来て、攻撃を受けた。

 気は抜けない。何処から攻撃が来ても良い様に注意していると、ほんの微かに物が動く様な音が聞こえ、瞬時にケンナが顔色を変えた。

 

「ほむらちゃん!」

「分かってるわ!」

 

 そして、私の予想通り、煙の奥から少女の様なシルエットの魔獣が飛び込んで来る。だが、来ると分かっているのだから、素直に受ける気は全く無い。

 少女型の魔獣は、私の知る使い魔と殆ど同じ姿と、同じ力を持っていた。よって、普通に攻撃を仕掛ければ、倒せる!

 

「すっ……ふっ!」

 

 弓で少女型の頭部を叩くと、身体が簡単に四散した。速度こそ有るけど、強度は人間を遙かに下回るし、攻撃への反応速度も私より遅い。

 と、少し油断したのか、攻撃の一つが私の頬を掠めた。だが、その程度では何の意味も無い。大丈夫だ。まだまだ戦える。魔獣を五体程片付けつつも、全身に力を入れ直した。

 

「ほむらっ! ちょっと手伝え!」

「コイツ相手に二人じゃきついって!」

 

 杏子とさやかから応援の要請が来た。二人はダメージを受けたワルプルギスの夜が再生するより早く、的確にその傷口へ攻撃を続けていた。

 二人だけではない。杏子の幻覚魔法は殆ど実体化した分身体を作っていて、実質的に数十人分の攻撃が敵を削っている。

 

「ええっ、分かってるわ!」

 

 良いペースだ。そう思いつつ、私は一瞬だけ魔力を多く使い、全速力で彼女達の元へ到達する。

 杏子の槍を持った人魚の魔女が、ワルプルギスの夜を突き刺した。それを通り過ぎて、私は数十人の杏子が攻撃した箇所へ、手持ちの自作爆弾を放り込んだ。

 固有魔法が有れば安全で良いのだが、無い物は仕方が無い。爆破は確かな威力を持って、ワルプルギスの夜の腕と思わしき部分を崩壊させた。

 その反撃だったのだろう、ワルプルギスの夜の周囲に巨大な風が発生し、不意打ちの突風を叩きつけられる。

 

「やっべ……!」

「くっ……二人とも、あたしの魔女に掴まって!」

 

 言われるままに、私は人魚の魔女の鎧を掴んだ。魔女の事を知らない杏子は一瞬遅れたが、さやかが手を掴む事で吹き飛ばされずに済んだ。

 だが、猛烈な風は立つ事すら許さない。また飛ばされそうになり、人魚の魔女は地面に剣を突き刺し、その場に踏み留まる。

 

「やっぱり、貴女、魔女の事も覚えてるのね!」

「まどかの事を覚えてるんだから、当然でしょー! っていうか、やっとケンナに聞いたな、あの事ー!」

 

 風が強い為に、美樹さやかは語尾を伸ばし気味の大声で答えた。やけに楽しそうな口調で、この状況に対して何の危機感も覚えていない。

 そんな脳天気そうな態度は、どう見ても演技ではなかった。私へ向けられる妙に鋭い視線だけが、異様な物として目立っている。

 

「おい、魔女って何だよ! 変な事言うから吹っ飛びそうになったじゃねーか!」

「え、知らないのー!? あ、杏子が知る訳無いか。じゃなくて、大丈夫? あんたの分身、やられちゃったみたいだけど!」

 

 幻覚魔法で作られた杏子の分身は、吹き飛ばされて地面や壁に追突され、あるいは少女型の魔獣に攻撃を受けて、倒されたらしい。

 

「どっちにしてもヤバいぞ!」

 

 さやかの手をしっかり掴みつつ、杏子が危機感の含まれた叫び声を口にした。

 風は一向に止まなかった。ワルプルギスの夜は、受けた傷の再生が済むまで身を守るつもりだろう。何とか止めたいが、私達が動けないのではどうにもならない。

 

「くっ……撃ってみるわ!」

 

 放った矢は確かに直撃したが、あの巨体を揺るがせる事は出来なかった。

 吹き飛ばされる寸前の状態では、身体に力を入れられず、大した威力にもならない。自作爆弾は此処からでは届かない。

 私ではこれ以上の火力は出せない。そう思った時、遙か後ろからマミの大きな声が聞こえた。

 

「三人とも、伏せて!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、計画を立てた時に聞かされた技の一つを思い起こし、私達は言われた通りに頭を下げて人魚の魔女を盾にした。

 その瞬間、後方でケーキを乗せた列車の様な物が現れて、先端部に備え付けられた巨大な砲弾の上にマミが降り立った。

 

「ティロ・フィナーレ!」

 

 此処まで届く程の轟音を響かせ、列車砲が火を吹いた。砲弾の速度自体は遅く、目標に到達するまでに、何体もの魔獣を倒していく。

 着弾した瞬間、それは私の自作爆弾など鼻で笑える程に巨大過ぎる爆発を引き起こし、ワルプルギスの夜を吹き飛ばした。余りにも巨大な爆発は私達を巻き込んでしまったが、何とか倒れずに着地を成功させる事が出来た。

 

「みんな、無事?」

「あ、ありがとうござます、マミさん」

「……すげえ威力だな」

「ふふ、ティロ・フィナーレのバリエーションの一つよ。こういう場所じゃなきゃ、危なくて使えないんだけど……流石は、伝説の魔獣かしらね」

 

 ワルプルギスの夜は、健在だった。周囲の魔獣は跡形も無く消え去っていたが、奴だけは問題無く浮かんでいる。頭部は半分無くなり、片腕が無くなって、その人形の部分は傷だらけになっていたが、聞こえてくる笑い声には一つの衰えも感じ取れない。

 何て頑丈さだ。だけど、確実にダメージは負っている。再生は全く間に合っていない様で、動きも先程までよりずっと鈍く感じられた。これはチャンスだ、此処を狙わずして、何を狙えと言うのか。

 

「皆っ! 魔力を一つにして、一斉に攻撃しましょう!」

「分かったわ、暁美さん、技の名前は打ち合わせ通りにお願いね!」

「なんかテンション上がって来ちゃったよ、さやかちゃんの頑張り、見せたげようじゃん!」

「ああ、やるぞ……倒す!」

 

 この機会を逃してはならない。私達四人は一斉に各自の総力を尽くして魔力を生み出し、自分が最も得意とする攻撃、つまり必殺の一撃を行おうとする。

 私は弓、マミは大砲とマスケット銃、さやかは剣、杏子は槍だ。

 

「私もやるよ!」

 

 そこへ、ケンナも加わった。彼女は見覚えの有る弓を持ち、桃色の魔力を湧き立たせている。もう、自分の正体を隠そうとする姿勢の欠片も見えない。

 でも、それで良いんだ。むしろ、そうやってあからさまに正体を見せつけてくれれば、私は今までより何倍も頑張れる。その証拠に、放出される魔力が倍の大きさに膨れ上がった。

 揃った魔力の巨大さは、もう身体が保つかどうかも怪しい程だ。だけど、私達は、決して負けない。

 

 

「さあ、みんなタイミングを合わせて……今よっ!」

 

 

 

 

 

「セイクリッド・ペンタグラム!!」

 

 

 

 

 

 

 マミが合図を取った瞬間、私達は、打ち合わせ通りの技名を叫び、全力の一撃を放った。人生で最高の一撃だと確信が持てる程の、強烈な技だった。

 青、赤、紫、黄、そして桃色の五色がワルプルギスの夜を包み込み、一気に飲み込んでいった。これは並の攻撃などではない。私達が使える限りの、最大の魔法だ。

 結果、ワルプルギスの夜の人形部分は完全に吹き飛んだ。歯車も大量の傷が入り、軋む音の様な物が漏れている。間違いなく、有効打となっている。

 これで沈んでくれれば、良いのだが。そんな私の甘い希望を否定するかの様に、地上に居たケンナが叫んでいた。

 

「まだだよ!」

「ケンナっ!?」

「まだ、終わってない!」

 

 その声に呼応する形で、歯車が高速回転を始めた。嫌な予感というのは当たる物で、多量の傷を負わせたというのに、奴の呪いは少しも減っていなかった。

 煙が吹き飛んで、歯車は限界まで回転した。まるでゼンマイ仕掛けの機械の様に動いたかと思うと、再び人形を出現させる。

 姿は、先程までと変わっていない。だけど、それは情報を持っている者ならば、誰でも顔面蒼白となる恐るべき物だった。

 

「あれは……!?」

 

 人形の向きが違う。常に逆さで、地面へ向かって頭を倒していた時とは違い、今は空へ頭を向けている。

 ワルプルギスの夜が、反転していた。その姿を、資料で見た事が有った。そうだ、この状態になった舞台装置の魔女は、一瞬にして文明をひっくり返してしまう、らしい。

 私ですら、あの姿は一度も見た事が無い。実際にどの程度の力を持っているのかは知らないが、話半分でも明確な脅威となる事は間違い無かった。

 

「みんな、気をっ……」

 

 ワルプルギスの夜の脅威を知る私は、即座に皆へ警戒を促そうとする。だが、しかし、その時には既に遅かった。

 轟音が響き、地面が抉れる様な音がする。先程までの暴風が遊びに思えるくらいの、地表が全て吹き飛ぶ規模の風が吹いた。

 為す術も無く、私達は飛ばされた。身体が引き裂かれなかったのは、恐らく奇跡だ。ただ受けるだけで、その身が四散しそうな力を加えられている。

 

「暁美さん!」

 

 一番行動が早かったのは、やはりマミだ。彼女は痛みを堪えつつも、自分のリボンで私達を掴まえる。私達が彼方まで飛ばされない様に、彼女は必死でリボンを握っていた。

 それでも、風が強すぎる。ケンナが守っていなければ、今頃は地面も文字通りひっくり返っていたに違いない。

 そのケンナは、尋常ではない風と呪いの中でもしっかりと両足で立ち、少し顔を辛そうな物に変えながらも、相変わらず動いていない。

 力強い姿を頼もしく思ったが、それどころではなかった。ワルプルギスの夜は、私達が動けない所を狙って、反転する前の十倍以上の大きさの炎を吐き出す。

 あんな物を受けたら、瞬く間に消し炭になってしまう。

 

「やばっ!」

 

 状況の不味さを理解したさやかが叫び、人魚の魔女が私達の盾になった。炎を真っ向から受けた瞬間、その鎧が溶けて魔女に直撃した。

 それでも人魚の魔女は私達を守る事を選び、その場を動かなかった。時間にして僅か数秒程度の事だっただろうが、私達にとっては半ば永遠にすら見えてしまう。

 炎が消えた時には、人魚の魔女は消え去っていた。さやかは相当に無理をしたのか、汗を浮かべて、フラフラと身体を揺らせている。

 

「ぐっ……さやかぁ!」

 

 風の中で、杏子が形振り構わずさやかを抱き止めた。

 自分が助けられた事を理解して、さやかはニッコリ笑う。その笑みは陽気だったけど、普段の様な強さは一つも見られない。

 

「っつ……こりゃヤバいかな?」

「無理しやがって、心配させんじゃねえよ」

 

 さやかの無事を知り、杏子は安堵の息を吐いている。だが、そんな事をしている場合では無いと思ったのか、すぐに表情を改めた。ワルプルギスの夜は全く止まらないまま、まさしく都市を一瞬で破壊する程の力を無造作に放っているのだ。

 私達がどれだけ耐えた所で、奴を倒せなければ何の意味も無い。さっきの合体魔法を耐えきられてしまった以上、私達にはアレより強い攻撃手段が無い。

 

「これじゃ埒が開かねえぞ!」

「幻覚魔法は!?」

「あんなのに通用するか!」

 

 杏子は唇を噛み、眉を顰めていた。相手がどれほどに恐ろしいかを理解したからこそ、これほどに悩ましげな顔をしている。

 マミにしても、色々な方法を考えては却下しているのか、瞳に酷い迷いが見受けられた。彼女も、手詰まりになっている事を理解してしまった様だ。

 少女型の魔獣を叩き落としつつも、私達は交差しながら話をする。あの圧倒的なワルプルギスの夜を相手にして、どう戦えるのか。

 

「とりあえず、この風を何とか出来ねえか!?」

「ほむら、あんたそっち関係に有効な魔法を持ってない!?」

「今の私がそれを持っていない事くらい、さやかは知ってるでしょう」

 

 昔の私なら時間操作で何とか出来た。停止した時間の中で五人揃って攻撃を仕掛け続ければ、あるいは動きを止められるかもしれない。

 だが、今の私は持っていない。五人が揃った時は、自分の固有魔法なんて無くても大丈夫だと思ったけど、そうでは無かった。むしろ、五人揃っているからこそ、私の魔法は必要な物だったんだ。

 

「っ……もうっ!」

 

 ワルプルギスの夜がビルを操ろうとして、ケンナの黒色の何かがビルを固定し、建物と地面を守っていた。もし建物を投下する攻撃が来たら、それこそ即死物だ。有り難いと思うと同時に、彼女に頼りたくない気持ちが強まっていく。

 私は、まどかを戦わせるのか。ワルプルギスの夜を彼女に倒させるつもりか。そんな弱さ、許されて良い訳が無い。

 そんな意識が隙を作ってしまったのだろうか。少女型の魔獣が私に体当たりを叩き込んできた。

 

「ぅ、かはっ……」

「暁美さんっっ!!」

 

 マミの叫び声が聞こえるが、派手に吹き飛ばされた私の耳には殆ど聞き取れない。

 明らかに、不味かった。ただでさえかなり魔力を消費している中で、この一撃は痛い。

 

「あうっ……わ、たしはっ……!!」

 

 その衝撃からか、酷い痛みと共に、また、私の頭の中で何かが動いた。慈悲にも似た気配と包み込まれる様な快感と不快感が同時にやってきて、私は思わずそれを拒絶する。

 だが、そんな事をしている場合ではなかった。ワルプルギスの夜が騒ぎ出し、笑い声が更に邪悪になったかと思うと、風が一気に強くなる。

 杏子とさやか、そしてマミは互いに支え合ったまま地面に伏せ、何とか踏ん張っている。でも、不思議と私の方に風が来る事は無かった。

 何のつもりだろうか。そう考えた時、ワルプルギスの夜が取ろうとしている行動を理解して、私は思わず弱音を漏らしそうになった。

 風が作っているのは、一つの道だ。ワルプルギスの夜自身も巨大すぎる台風の様な物を纏っていて、それが向かう先は、私だった。要するに、私へ突撃しようと言うのだ。

 

「この……野郎!」

「不味いね……ほむらの奴……!」

「暁美さんっ」

 

 状況を理解した杏子とさやか、マミが私を助けようと動くも、風と魔獣によって動きを抑えられて、こちらまで来る事が出来ない。

 そして、予想通りと言うべきか、ワルプルギスの夜は自身の周辺に漂う全ての呪いと魔力を回転させて、一気に接近してきた。避けたいのに、身体が上手く動かない。

 

「っ、う……」

 

 頭が、痛い。何か、私は大切な事を忘れている。今はそんな事を考えるべきじゃないのに、頭はその何かへ意識を向けてしまう。

 何だ、これは。これは何なんだ。私は、一体……

 

 

 

 

 

「ほむらちゃん!!」

 


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