冷たい雨が降る。
かなめの腕時計の針は8時25分を指しており、まだ教室にやって来ない宗介の事を気にして居た。
チラチラ何度も見る度に秒針が少しずつ進み長針がカチっと動く。
(もうすぐなのに何やってんのよ)
モヤモヤする気持ちを抑え、教室の扉が開かれるのをじっと眺めるかなめ。
時間が迫って居る事もあり殆どの生徒は自分の席に座っており、次に扉を開けたのは遅刻寸前で慌てて走って来た小野寺だった。
「ギリギリセーフッ!! 寝過ごして電車1本乗り遅れてよ。あっぶね~」
(違う。あと3分しかないのに)
かなめが心の中で呟いた時にはチャイムが鳴り響くまで残り2分を過ぎた。
背もたれに体重を預けて今日はもう来ないと諦めようとした時、不意に後ろから誰かの気配を感じ取る。
反射的に振り返った先に宗介は居ない。
「ヒイロ君……」
「後で話がある」
「話って?」
内容を聞こうと続きを求めるが、8時30分を知らせるチャイムが鳴ってしまう。
結局宗介が間に合わず、担当の教師だけが最後に教室にやって来た。
かなめは話を聞く事もままならず1時限目の始まる。
「全員、筆記用具以外はカバンに入れろ。携帯の電源も切ったな? 今から答案用紙を配る」
教卓に立つ男性教師は全員に聞こえるように声を張り、答案用紙を列の先頭に配りだした。
誰も言葉を発したりせず、部屋の中は雨の音しか聞こえない。
宗介だけが教室に来ないまま、2学期最後の期末テストが開始される。
欠席が多い為出席日数も少なく、テストの点数も悪くては進級は絶望的。
かなめはシャープペンシルを握り答案用紙に答えを書き込む間、宗介の心配をして居た。
///
マンションの入り口に荷物を積み込む為にトラックを駐車させる。
宗介は雨の中を誰の手伝いを受ける事もなく、1人で淡々と段ボール箱を入れて行く。
使い慣れた武器もいつも通りに手入れをしてしまい込んだ。
テレビや冷蔵庫などの家電製品、生活必需品も全て部屋の中から出した。
半年住んできたマンションの一室は、何も残っていないもぬけの殻。
最後の1つをトラックへ積み込んだ宗介は荷台の扉を閉じロックを掛ける。
シトシト降る雨の中で着ているYシャツが濡れるが、今の宗介にとっては些細な事。
灰色の雨雲に包まれた空は晴れる事はなく、心のわだかまりも解けない。
「命令だ。もう、ここには居られない」
ポツリと呟く声は雨音にかき消される。
納得出来た訳ではないが、上層部からの命令を拒否する事など出来ない。
かなめと接触する事を一切禁じられ、別れの挨拶すらしないまま日本から離れる。
諦めにも似た感情が心を支配し、宗介はトラックの運転席へ乗り込んだ。
エンジンを始動させ揺れる車内でアクセルペダルへ足を載せるが、心の奥底が最後の抵抗をしてトラックは発進しない。
(俺がここに居る意味はなくなった。元に戻るだけだ、半年前に。俺は命令に従い任務を遂行する兵士に。千鳥は平和に毎日を過ごす。何も変わらない、元に戻るだけだ)
意を決した宗介はサイドブレーキを下ろしアクセルを踏んだ。
濡れたアスファルトの上を進み、フロントガラスをワイパーが定期的に動く。
ミスリルの回収班が待って居る目的リへ向かうが、宗介は感情を振り切る事は出来ず、ぼんやりした視界のままハンドルを握る。
(俺の後任にはレイスが付いた。完全に信用は出来ないが、俺にはもうどうにも出来ない)
かなめがミスリル以外の機関に狙われる事はA21の騒動以降は起こってない。
けれどもウィスパードの情報が何者かに狙われるのを用心して、情報部のレイスが宗介に変わり日本に残る事になる。
現状ではかなめがウィスパードだと知っているのはミスリルだけ。
狙われる可能性は限りなく低い為、宗介は前線に戻される事になった。
迷いを振り切るようにさらにアクセルを踏み込む。
加速する窓の外に見える景色には傘を指して歩く男女が2人。
宗介は兵士に戻る、もうあのようにかなめと街を歩く事はなくなった。
和気あいあい話しながら歩く2人を見ながら、色が赤に変わった信号を見てブレーキを踏む。
トラックが停止、そして不意にあの男の姿が脳裏をよぎる。
(ヒイロ・ユイ、明日からはアイツが千鳥の隣に居る。訓練を受けて来たヤツなら並大抵の敵に負ける事はない。敵だと思って居たアイツを、今は信用するしかない。本当はわかって居たんだ。いや、わかろうとしなかったんだ。俺と違ってアイツはここでの暮らしに順応して居る。俺みたいに千鳥や他のみんなに迷惑を掛ける事もない。千鳥を怒らせる事もない、傷付ける事もない。これで良かったんだ……)
信号が変わり、またアクセルを踏む。
もう会えないと理解すると心の中で半年間の思い出が蘇って来る。
転校して来たばかりの頃。
同僚であるクルツとマオに教えて貰わなければ日本がどのような国かすら知らなかった。
(あの時はまだ、千鳥には苗字で呼ばれて居た。もう半年も前の事なのか)
飛行機ジャックの時に再会してしまったガウルン。
そして彼女に全てを打ち明け、窮地を乗り越える。
かなめの護衛任務はそこで終わる筈だった。
(そうだ、終わる筈だったんだ。俺の任務は終了して居た!!)
A21の襲撃、ラムダドライバ搭載機ベヘモスと初めての戦闘。
そして自分の搭乗機であるアーバレストとの出会い。
(俺は命令された任務を普通の装備で普通に遂行して入れば良かったんだ!! ラムダドライバなどと言う欠陥装置を使うはめに!! アイツが乗って居た機体、ガンダムはラムダドライバがなくてもベヘモスと対等に戦って居た。俺はもう、アーバレストに乗って千鳥を守る為に戦う必要もなくなった)
宗介の中には複雑な感情が入り乱れ、かき混ぜられて居る。
もうかなめとは一緒に居られない事、ヒイロの存在。
未だ使いこなせないアーバレストとラムダドライバ。
強すぎるガンダムの存在。
そのどれにもかなめの表情が浮かび上がって来る。
思い出すのは最後にボウリングをした時に彼女が浮かべて居た笑顔。
何よりも眩しく、何よりも輝いて居る。
その笑顔が自分に向けられる事はなく、残ったもう1人に奪われてしまう。
(ヒイロ・ユイ、思えばお前とまともに会話した記憶がない。敵だからか? だが、それだけでは言い表わせられない何かを感じる)
宗介がヒイロの事を信用出来ないのは彼が工作員だからと言う理由だけではない。
でも宗介が答えに辿り着く事はなく、その感情に気が付く事もなくなった。
(でも今は、レイス以上にお前に託すしかない。彼女を守ってくれ。こんな所で思った所で、お前には届かないだろうが)
降り止まない雨の中をトラックは進んで行く。
///
6時限目も終わり雨も降り止んでしまった。
雨雲の隙間から西日が光を覗かせ、授業が終わりやる事のなくなった生徒は帰路に付く。
期末テストで生徒会の仕事もないかなめは恭子とヒイロを連れて、自宅マンションに向かって歩いて居る。
テストの手応えが余り良くなかった恭子は心底落ち込みながら、かなめに愚痴を零して居た。
「数2の最後の問題間違えた~。もう絶対平均点下回ってるよ」
「赤点取る訳じゃないんだから大丈夫だって」
「良いよね、かなちゃんは急にテストの成績が上がったから。どうしたら出来るの?」
「ま……まぁ授業ちゃんと聞いてれば何とかなるもんよ」
ウィスパードの能力が目覚めてから、かなめの数学と科学の成績は飛躍的に上昇した。
ブラックテクノロジーは引き出せなくても、普通の人が知っている筈もない専門知識がいつのまにか頭の中に入って居る。
AS、レーダー装置、軍事に関わる装置全般を知っており、今のかなめからしたら高校生レベルのテストは簡単過ぎた。
恭子には適当にごまかして、右隣で歩くヒイロの表情を覗く。
その表情はいつもより眼光が鋭いように見える。
「それで、ヒイロ君? 朝言ってた話って何?」
かなめが問い掛けてもヒイロは無言を貫き眉1つ動かさない。
「ヒイロ……君……」
不思議に思うかなめを他所に、恭子のテストへの不安は拭えずヒイロにまで絡んで来る。
「ねぇ、ユイ君はどうだった? 今日のテストは今までに比べても絶対に難しかったよね?」
恭子に話し掛けられてもヒイロは口を開かない。
それどころか足を止めてしまう。
2人も数歩進んでから歩みを止め、後ろのヒイロに振り返った。
「ヒイロ君、どうしたの?」
「先に行け。やる事が出来た」
「先にって。結局あの話は何だったのよ?」
「今は関係ない、早くマンションまで進め。後はこれを俺の部屋まで運べ」
立ち止まる3人を次々に通り過ぎて行く通行人。
ヒイロは持っていたカバンをかなめに手渡す。
けれどもそれだけでヒイロはその場から動こうとはせず、納得出来ないがかなめは言われた通りにマンションに帰ろうとする。
「わかったわよ。ならまた明日ね」
恭子と一緒に再び歩き出そうとした時に、最後に一言だけヒイロが告げる。
「かなめ、絶対に振り向くな。立ち止まらずに進め。良いな」
「う、うん。変なの」
その言葉を最後にヒイロの視線から2人はどんどん遠ざかって行く。
じっと見つめたまま距離が離れたのを確認し、ヒイロは1人で行動に移る。
歩いて来た方向を全力で逆走した。
(気配を感じた。もう近くまで来て居る)
姿も見えない相手を探してヒイロは路地裏に入り込む。
障害物で走りにくい通路を物ともせず、速度を落とす事なく駆け抜ける。
迷路のように繋がる路地裏の先は突き当りになっており、中国系の女の姿が見えた。
黒髪の短髪、スラリと伸びたまつ毛から覗かせる瞳からは生気が全く感じられない。
「近頃、この当たりを嗅ぎ回って居るヤツだな。目的はかなめか?」
「誰? 邪魔になるなら消す」
現れた刺客、シャ・ユイランは懐からサプレッサーを装着させた携帯銃を取り出し、照準をヒイロの頭部へ定める。
何1つ武器を持ってないヒイロだが、臆する事もなくユイランを睨む。
「邪魔なのはお前だ」
「そう、なら消えて」
躊躇なく引かれるトリガー。
消音された銃声が鳴り弾丸が発射される。
寸前早くに動くヒイロ。
逃げるのではなく正面に向かって突き抜け、かすめた弾丸が髪の毛を散らす。
銃を握った右手に組付き銃口を明後日の方向へ向かせ、みぞおちに拳を叩き込む。
「っ!?」
考えるのではなく咄嗟の反応。
ユイランは足を上げ膝で拳を受け止める。
ヒイロが着ている制服の襟を掴み、ゴミが捨ててあるポリバケツへ投げ飛ばす。
雑音が響き、体制を立て直すユイランだが右手に握って居た筈の銃がなくなって居た。
立ち上がったヒイロの手にはユイランの銃が握られており形成が逆転する。
「終わりだぞ」
「このくらいで勝てたと思うの?」
不利な状況になってもユイランは決して動揺を見せない。
ヒイロも躊躇なくトリガーを引き、サプレッサーの先から弾丸が飛ぶ。
ユイランも逃げはせず、姿勢を低くして相手に向かって走った。
発射された弾丸は捨てられたゴミ袋に突き刺さる。
もう1度照準を定めるがユイランの動きの方が早い。
通常のナイフよりも刃渡りの長いマシェットナイフを取り出し、目にも留まらぬ一閃を繰り出す。
切っ先がサプレッサーに刺さり、ヒイロが握って居た銃が弾かれてしまう。
「死んで……」
「くっ!!」
マシェットナイフがヒイロの制服ごと左腕の皮膚を切り裂き鮮血が散る。
苦痛に一瞬だけ顔が歪む。
次の攻撃が来る一瞬にヒイロはユイランに組付きコンクリートの壁へ背中をぶつける。
狭い空間で自由に動けなくなるが、握ったマシェットナイフはまだ手放してはない。
突き放そうと反対側の壁へ突き飛ばそうとするも、ヒイロは組み付いた時に掴んだ上着を手放さず、2人もつれたまま壁にぶつかる。
ヒイロは離れない、また反対側の壁へ。
建造物の天井にまで伸びた排水用パイプにぶち当たり、途中で折れ曲がり破損する。
またさらに反対側に。
体を音を立てて激しくコンクリートにヒビが入る。
駐車されて居たスーパーカブを邪魔だと言わんばかりになぎ倒す。
そしてまたコンクリートの壁。
2人は組み付いたまま硬直状態に入り、ユイランは眼前に迫るヒイロの瞳を見つめ漂う血の匂いを嗅ぐ。
「血の匂い……私と同じ匂いがする」
「俺とお前は違う。決定的にな」
「そう。少し残念かな」
そう言ってユイランは唇と唇を密着させた。
マシェットナイフのグリップを固く握り、脇腹に突き刺そうとする。
油断させる為に交わしたキス。
だが動きを感じたヒイロはすぐに離れ、滴り落ちて血で濡れた左手で手加減なしで顔面を殴った。
「油断したな」
「ぐっ!! しぶとい」
ユイランの顔が赤く汚れる。
飛び散った血が右目に入り込み、視界か効かなくなってしまう。
履いているブーツでヒイロの腹部を蹴りつける。
左腕をかばいながら両腕でそれを受け止めるが、靴底が固いブーツでの蹴りは強烈でヒイロを吹き飛ばした。
背を丸くして1回転し衝撃を受け流しながら受け身を取る。
立ち上がりと同時に敵を視界に収め、横たわったスーパーカブの車体を起き上がらせ刺さりっぱなしのキーを捻った。
キックペダルを蹴りエンジンに火が付く。
「行けるか」
シートに跨がりアクセルレバーを握りしめ、フルスロットルでユイランにボディーをぶつける為に走らせた。
エンジンが唸りを上げて加速し、ユイランは反応して折れた排水パイプに飛び付く。
スーパーカブを跨ぎ越し、壊れて居た事もあり体重を支えきれずにパイプは地面に向かってさらに折れ曲がる。
ヒイロはブレーキレバーを全開で引き、停止寸前で車体を反転させたまたフルスロットルで突っ込む。
リヤタイヤがスキール音を上げ進むのをユイランは僅かな隙間を目掛けて飛び込んだ。
ゴミ袋に飛び込んだ所にはヒイロに奪われた銃が転がっており、素早くグリップを握り銃口を向ける。
方向転換したヒイロはまたユイランに目掛けて走り出す。
ユイランはトリガーを何度も引き、ボディーに穴が開く。
フロントタイヤがパンクしホイールが歪む。
バランスが取れずシートから飛び降り、アスファルトにボディーが擦り付けられる。
それでもまだ止まらない。
さらにトリガーが引かれスーパーカブはボロボロになって行く。
「殺す」
ジャンプで障害物を飛び越え、ヒイロにトドメを刺そうと殺意を漲らせる。
左手のマシェットナイフで袈裟斬り。
寸前で後ろに1歩下がり刃をやり過ごした。
フィギュアスケートの如く流れるように回転しさらに一閃。
これも制服の生地をかすめるだけで避ける。
最後には回転の慣性を利用してのミドルキック。
呼吸すら許さない連撃。
腹部にブーツの靴底が叩き込まれ体が飛ばされてしまう。
ヒイロはまたゴミ袋の塊へ背中から突っ込み、衝撃に肺から酸素を吐き出した。
「時間が掛かり過ぎた。1度引く」
「がはっ!! 逃がすか!!」
痛みは後回しにして逃げるユイランを追い掛けるべくすぐに立ち上がる。
走るユイランだったが一瞬立ち止まり、握って居た銃のマガジンが空になるまで横たわったスーパーカブのエンジンに銃弾を叩き込む。
燃料タンクには穴が空いておりガソリンの匂いが漂う。
閃光、衝撃。
弾がガソリンへ引火し狭い路地裏の通路が炎に包まれた。
2人を遮る炎のカーテン。
「また会う事もあるかもね。アナタの匂い、嫌いじゃない」
ヒイロの血が付いた顔を袖で拭い、口元の血を舌で舐めとる。
ユイランは銃を上着の中へ隠し、またすぐにその場から走り出した。
周囲を見渡すヒイロは相手の言葉には耳を貸さず、近くにあったポリバケツを掴み炎を燃える中へ放り投げる。
熱で解けてしまう数秒の間にそれを足場にしてここを潜り抜けた。
高熱と火の粉で皮膚がチクチク刺さるように痛む。
幸いにも衣服に火は燃え移らなかった。
アスファルトに点々と血の痕を付けながら薄暗い路地裏を走る。
夕日の光が当たる通路に出た時にはユイランは見当たらず、帰路に付く学生やサラリーマンの姿しか見えない。
ガソリンの引火爆発により野次馬が集まり始めちょっとした騒動になりかけており、耳を済ましても野次馬達の声しか聞き取れなかった。
遠くからは消防車のサイレンが響き渡る。
「不味いな。俺もここに長くは居られないか」
面倒に巻き込まれないように人混みに紛れてヒイロはこの場から速やかに移動した。
止血の為に斬られた腕を固く押さえ付け、捜索を諦めマンションへ向かう。
(前に現れたテロリストとは違う。アイツは確実にかなめを狙って居た。アレがまた必要になるかもしれない)
新たに現れた敵の存在に警戒するヒイロ。
彼女を守るのはテッサに頼まれたからではない。
新たに芽生えた自分の感情を確かめる為に、ヒイロは走り続ける。
かなめを狙う暗殺者の影、ヒイロはどのように立ち向かうのか!!
あと随分前にドクターJが作ていたネコ型ロボットの名前が思いつかない。
良い名前を送ってくれれば採用するかもしれません。
ご意見、ご感想お待ちしております。