地球に降下したミネルバとオーディンはオーブに向かって航行していた。
本来であればミネルバはザフト軍の拠点であるカーペンタリアに向かうべきなのだろう。
アイラやマユはオーディンに移乗してもらえばわざわざオーブに行く必要はない。
だがそれは万全な状態であればの話である。
ミネルバはこれまでの戦闘により損傷を受け過ぎていた。
デブリでの戦闘で負った損傷も完璧な修復が行われた訳ではない。
あくまで応急処置である事に加え、ユニウスセブン破壊作業の無理がたたり、カーペンタリアまでもたない可能性が高いと報告が上がっている。
そこでアイラが提案したのがオーブに向かい最低限の修復を行った上でカーペンタリアに向かうという案だった。
若干躊躇わない訳ではなかったが、確かに現実的な提案としてはそれしかない。
クルー達も初めての実戦からここまでの連戦で疲れ切っている。
そろそろ休息も必要であった。
とはいえ艦長であるタリアの心情からすればオーブに行くのは避けたいという思いもあった。
同盟の中でもオーブとプラントはお世辞にも良い関係とは言えない。
前大戦の傷跡は未だにお互いに遺恨を残している。
だからこそアイラもそれを解消する道筋を探す為、アーモリーワンを訪れ、会談に臨んだのだから。
もちろん今回はアイラが仲介として間に入ってくれるという事だが、それでもタリアの気は晴れなかった。
仮にこれが逆の立場―――オーディンがプラントに入港するとなれば歓迎はされないだろう。
「……全く、こうも次から次へと良くも面倒事が起こるものね」
タリアは憂鬱な気分を抱えながら、ため息をついた。
◇
連日緊迫した情勢から一時的にも脱する事が出来たクルー達は生き抜きも兼ねて交代で休息を取っていた。
休む者達は皆が一様にグッタリとした様子で座り込んでいる。
それもその筈。
彼らにとってミネルバに乗り込んでの初めての実戦。
さらに予想外の任務であるユニウスセブンの落下事件まで発生したとなれば、疲れが出てしまうのも無理はない。
「あ~疲れたわね」
「うん、ホント大変だったね、お姉ちゃん」
ルナマリアはメイリンとレクリエーションルームで飲み物片手に椅子に座り込んでいた。
思いっきり背筋を伸ばしながら、背もたれに遠慮なく背中を預ける。
傍から見たらだらしがない姿にも見えるのだが、今日だけは別だ。
「ルナ、お行儀が悪いよ」
だがそんな姿が気に入らなかったのか近くに座るセリスから苦言が飛んできた。
横からの小言にルナマリアは何も言わずにジト目で視線を向ける。
そこにはシンの髪を梳き膝枕しながら、機嫌よさそうに微笑んでいる姿があった。
「……アンタ達ねぇ」
「何、ルナ?」
「ッ!……ハァ、何でもない。多分言っても無駄だろうし」
こいつらは本当に相変わらず場所を考えずに。
見ているこっちが疲れてくる。
現にレクリエーションルームにいる大半の人間はルナマリア同様ジト目でセリス達に非難の目を、残りは嫉妬の視線を向けている。
シンと仲が良いヨウランやヴィーノでさえやや呆れたように苦笑しているのだから、部屋の空気は察すべしといったところなのだが。
「……アンタって本当に神経が図太いというか」
「え、何が?」
どうやらセリスにはこの程度の空気はなんとも無いらしく、完全に無視である。
「い~え、別に何でもないですよ」
心底疲れたため息をつきながら飲み物を口に含むとレクリエーションルームを横切る人影に気が付いた。
「ん? アレって妹ちゃんじゃない?」
「えっ」
セリスの膝に頭を預けていたシンが飛び起きる。
命がけで大気圏を突破しミネルバに帰還してから、検査やら報告やらで結局マユとゆっくり話しをする時間が取れなかった。
話をするにはいい機会と思いマユの後を追おう立ち上がると、ヨウランとヴィーノが近づいてくる。
「えっと、彼女ってさシンの妹なんだよな?」
「そうだけど」
「美人だけど、その、ちょっと怖いよな」
「あれで明るかったらヨウランの好みど真ん中なのにね。スタイルもいいし」
「だよなぁ」
隣の会話を聞きながら、シンは鋭い視線を二人に向ける。
「シ、シン?」
「ど、どうした?」
「……二人とも、マユに手を出したら、分かってるよな?」
声色からもシンが本気だと分かった二人は息を呑み、顔を引きつらせながら手を振った。
「そ、そんな事する訳ないだろ」
「そうそう」
「……ならいいけど。それで、何なんだよ?」
シンが訝しげに問いかけると二人は気まずそうに顔を見合わせると意を決したように口を開いた。
「その、さ。ユニウスセブンが落ちる前に……その、色々あったろ? それでさ、謝りたいんだけど、シンの方から言っておいてくれないか?」
「いや。自分達で言うのが筋なのは分かっているけど、彼女こっちを随分嫌ってたみたいだからさ」
どうやらヨウランもあの時の事を気にしていたらしい。
「……分かった。俺から言っとく」
「頼むよ」
「あ、それから、さっき言った事は本気だぞ」
シンは固まるヨウラン達を尻目にセリスに断ってレクリエーションルームから出て行く。
その後ろ姿を見ながらルナマリアがポツリと呟いた。
「……アイツ、シスコンだったのね」
「お姉ちゃん、それは言わない方が……」
歯を着せない姉の言い分にメイリンは苦笑しながらシンに聞こえてなくて良かったとホッと胸を撫で下ろした。
◇
マユを追い、甲板までたどり着いたシンは外の光景に思わず顔を顰めてしまった。
空はどこまでも厚い雲に覆われ、何時雨が降り出してもおかしくない。
遠くに目を向ければユニウスセブンの破片が落下した影響で大きな噴煙が巻き上がっているのが見える。
破片の直撃を受けた所の被害は計り知れない筈だ。
マユはそんな周囲の様子が見える甲板に立っていた。
その背中はシンが見ていない二年の間にまるで別人のように変わってしまっている。
一瞬だけ近づくのを躊躇ってしまったシンだったが、すぐに気を取り直すと一歩足を踏み出した。
「マユ」
振り返った妹はやはり別人のように冷たい表情をしていた。
「どうかしましたか?」
「いや、その、ちょっと話しがしたくてさ。あ、その、宇宙での事だけど、悪かった。あんな迂闊な事を……言ってた、ヨウランも謝っておいてくれってさ」
「……そうですか」
隣に並び、外の光景を眺めると意外にもマユの方からシンに話しかけてきた。
「……あのオーブに到着したら少し時間を戴く事はできますか?」
「え。あ、ああ、許可が下りたら時間を作ることは出来ると思うけど」
「では少しで構いません、付き合ってください」
「どこに行くか聞いてもいいか?」
その問いにマユは一瞬だけ泣きそうな表情で言葉を詰まらせるが、すぐに何時も通り感情を見せない無表情で淡々と告げた。
「……病院です。お父さんとお母さんがいる」
◇
どうにかトラブルも無く、オーブにたどり着いたミネルバとオーディン。
オノゴロ島に入港してきた二隻の艦の出迎えに来た者達の大半はタリアの予想通りミネルバを冷たい表情で見ている。
歓迎していないのは誰の目から見ても明らか。
だがその中には少数ではあれど、悪意の感情を向ける事無く真剣に見つめている者達もいた。
金色の髪をなびかせた少女カガリ・ユラ・アスハもその一人だ。
かつては同盟軍の指揮を取り、自身もモビルスーツに搭乗して戦った彼女は現在オーブ代表首長となっていた。
もちろん経験の浅い彼女に政治を取り仕切るのは厳しいだろうという指摘もある。
それは正しく、同時に彼女自身が一番理解している事だ。
だから現状は政界から身を引いたウズミやホムラの助言を受け、なおかつ政治に精通した補佐官がついていた。
それが隣に立つ男ショウ・ミヤマである。
補佐官としても優秀であり、カガリがアスハ家の人間であろうと媚び諂う事も委縮する事もない。
常に遠慮なく発言してくれる、カガリにとっては得難い人物であった。
「アイラ王女がまさかザフトの艦を連れて戻ってこられるとはな」
「仕方がありませんよ、父上。アイラ王女もこうなると分かっていた訳ではありませんからね」
宰相であるウナト・エマ・セイランの呟きに息子のユウナ・ロマ・セイランが肩をすくめて答えた。
明らかな皮肉であるが二人の言いたい事も分かる。
正直な話、現状オーブは国内の事だけでも精一杯の状態。
いや、オーブだけでなく世界中がそうだ。
ユニウスセブンの破片落下により各地で大きな被害が出ていた。
身も蓋も無い言い方をしてしまえば今ザフト艦に構っている余裕などないのだ。
しかしカガリ個人としては地球を救う為に尽力してくれた彼らに対して感謝と畏敬の念を持っている。
彼らがいなければもっと悲惨な状況になっていた筈だからだ。
「その辺にしておけ。アイラ王女を送り届けてくれたのだ。失礼のないようにな」
「「はっ」」
ミネルバが停泊すると一人女性が艦から降りてくる。
カガリが見慣れた姿そのままで歩いてくる彼女に内心安堵すると、急ぎ歩み寄った。
「アイラ王女、ご無事で何よりです」
「ありがとう、カガリ。心配をかけてしまって申し訳ないわ。同盟国の状況はどう?」
「はい、オーブやスカンジナビアは破片が落下してくる事もありませんでしたが、赤道連合は津波による大きな被害が出ているようです。わが国の沿岸部も高波による被害が出ています。現在はこれらの救助活動や支援に全力を上げています」
アイラは直接的な被害がなかった事にホッとするが、同時に深刻な状況である事も理解できた。
「分かりました。詳しい話は後で聞かせて貰います。こちらも会談での話をしないといけませんから」
「はい」
カガリはアイラの後ろに並ぶミネルバのクルー達の前に立つ。
真っ直ぐな視線でこちらを見てくるカガリに好感を持ちながらタリアも一歩前に出る。
「ザフト軍ミネルバ艦長タリア・グラディスであります」
「同じく副長のアーサー・トラインであります」
周りにいる閣僚は努めて感情を出さないようにしているが、歓迎していない事はタリアにもすぐ分かった。
だが目の前にいるカガリや一部の者は本当に感謝しているようで穏やかな表情を浮かべている。
「中立同盟オーブ連合首長国代表カガリ・ユラ・アスハだ。このたびはアイラ王女を無事送り届けていただき感謝する」
「いえ、不測の事態とはいえアイラ王女には多大なご迷惑をおかけし大変遺憾に思っております。また今回の災害についても御見舞い申し上げます」
「お気づかい感謝する。ここまでの事でさぞ疲れている事と思う。ゆっくり休んでほしい」
タリアは掛けられた気遣いの言葉を素直に受け取った。
ミネルバクルーから視線を外したカガリはタリア達よりもさらに後方に立っていた護衛の少女であるマユ・アスカに歩み寄った。
メイリンから聞いたのだが彼女がシンの妹であると知った時は驚いたものだ。
「マユ、今回の任務ご苦労だった。よくアイラ王女を守ってくれた」
「いえ、至らぬ事ばかりで逆にご迷惑をかけてしまいました」
真面目なマユにカガリの傍に立っていたアイラは思わず苦笑した。
「そんな事はないわ。あなたがいなければ私もきっと戻ってこれなかった。ありがとう、マユ」
「はい!」
そして今度はオーディンの艦長であるテレサに向き直る。
「アルミラ大佐、話は聞いている。大気圏での危険な破砕作業を良くやってくれた」
「ありがとうございます」
「オーディンの修復が終わるまでは大佐も休んでくれ」
「了解しました!」
一通りの挨拶と説明が済むと、アイラはタリア達に一礼してカガリ達と共に歩いて行く。
それを見届けるとテレサはタリアに向き合い笑みを浮かべた。
「ではグラディス艦長、私も指示を出さねばならないので失礼させてもらう」
「はい。ご協力感謝します」
「こちらもな」
お互いに敬礼をするとテレサはオーディンに向かって歩いて行く。
大気圏での作業が上手く行ったのはオーディンの協力あればこそ。
ミネルバ単艦であればどこまでやれたか分からない。
感謝を込めてその後ろ姿を見送ったタリアに今度はマユが向き直ると頭を下げた。
「グラディス艦長、色々ご迷惑をおかけしました」
律儀に頭を下げるマユにタリアは笑みを浮かべた。
「いいのよ。アイラ王女も言っていたけど貴方に助けられた事もあったもの。だから私からもお礼を言っておくわ、ありがとう」
彼女の協力のおかげでデブリ帯での危機も救われ、ユニウスセブンの破砕作業もあの程度の被害で済んだのだ。
「いえ、では私はこれで失礼します」
「シンには何も言わなくていいの?」
「……艦を降りる前に言うべき事は言っておきましたから」
マユは一度だけミネルバを見上げると足早に港を離れた。
◇
アイラがそれを見た瞬間、感じたものは紛れも無く呆れであった。
よくもまあこんな物を送りつけてこられるものだと逆に感心してしまう。
案内された部屋で見せられた書類は正直ため息をつきたくなる類のものだった。
書かれていたのは大西洋連邦からの同盟案。
そういえば聞こえはいいが、要するに中立同盟に対する降伏勧告にも等しいものだ。
「……この期に及んでまた戦争を仕掛けるつもりのようね、大西洋連邦は」
「ええ、こんな時だというのに」
同盟の条約の中には被災地の援助や救援なども盛り込んではある。
だがそんなものは建前で要は戦力を集結させプラントに対して戦争を仕掛けようという魂胆である事は明白だった。
そして前大戦において高い戦果を残した中立同盟の戦力を引きこめば盤石とでも考えたのだろう。
しかも動機は十分であると、とある映像が世界中に流されている。
その映像とはユニウスセブン破砕作業で交戦したジンやシグルドの戦闘映像だった。
さらに御丁寧な事に主犯格と目されているパトリック・ザラの演説まで一緒に流しているのだから用意がいい。
この映像はどこから持ってきたのかという疑問はアイラにはすぐに分かった。
「……やはりボギーワンは地球軍に所属する部隊だったのね」
あの戦いの中でこの映像を持ちかえり、連合に渡した存在などあの部隊しかいない。
だがそれにしても早すぎる。
あらかじめ用意されていたのではないかと思えるほどの用意周到さであった。
いや、何時でも始められるように用意していたのだろう。
これではプラントが何を言おうと無駄だ。
要は連合は初めからプラント側が何を言っても無視して開戦をするつもりなのだ。
「お姉さま、問題はそれだけではありません。オーブの氏族の中にも連合側に同調するような動きもあるのです」
「本当に?」
アイラの問いかけに後ろに控えていたショウが口を開いた。
「同調しているのは主にセイラン家を中心とした勢力です」
セイラン家は前大戦のおり職を辞した閣僚と入れ換わる様に入閣し急速に台頭してきた。
政治家としては優秀なのは間違いない。
だからこそ宰相を任されているのだから。
ただ、同時に油断のならない男だともアイラは思っていた。
「彼らの具体的な動きについては?」
「調査中ですが、外部から来た者と何かしらのコンタクトを取っているという話もあります」
それだけでは動く事もできず、調査を継続しながら様子を見て状況に合わせて対応するしかない。
外と内、両方に目を向け続けなければならないという事だ。
どちらにせよ気は抜けないと結論を出すと一段落した所でカガリは立ち上がった。
「今日はこの辺に。お姉さまもお疲れでしょう」
「そうね。確かに今回は疲れたわ」
アーモリーワンの騒ぎに始まりユニウスセブンの破片落下。
これからの事を考えればため息の一つも出るだろう。
「……なんであれ出来る事はしておかないとね」
「そうですね」
カガリ達が退室するとアイラはソファーに身を沈め目を閉じて再び考えをまとめ始めた。
◇
急いで港を離れたマユは急いで自分の住んでいる家に車で向かっていた。
オーブに破片は直接落ちてはいないと聞いてはいるが、それでも自分の目で確かめるまでは心配で仕方が無かった。
マユは不安を押し殺すものの、自分でも気がつかない内に自然とアクセルを踏みスピードを出していく。
「……皆、怪我とかなければいいけど」
やがて見えた海岸線で見慣れたピンクの髪をした女性と金髪の女性が子供達と共に遊んでいるのが見える。
マユは自然と笑顔になり道の端に車を止める。
子供達も気がついたのだろう。
全員が笑顔でこちらに走ってきた。
「マユ姉ちゃんだ!」
「お姉ちゃん!」
「みんな、大丈夫だった!?」
マユは駆け寄ってきた子供達を抱きしめ、一人一人の無事を確認すると歩み寄ってきた二人の女性に声をかけた。
「ラクスさん、レティシアさん、今戻りました」
「お帰りなさい」
「無事でよかったです、マユ」
ラクスとレティシア、そして子供達も皆無事だった。
それだけでここまでの苦労も吹き飛ぶというものだ。
「本当に良かった」
「家に戻りましょう」
「はい」
レティシア達と一緒に家に戻ると久しぶりにみんなと食事を取りながら子供達からの話に耳を傾けた。
彼らの話によるとものすごく怖くて泣きだす子もいたらしいが、その間ずっとラクスが歌を歌ってくれたらしい。
子供達は皆ラクスの歌が大好きだ。
良く彼女の歌を聴きながら昼寝をしている子もいるくらい。
かつてはプラントの歌姫と呼ばれた彼女の歌を子守唄しているなんてプラント市民が知ったら「なんて贅沢な」と言われるかもしれない。
まあラクスは「こちらの方が良いです」と笑っていたのだが。
二人との穏やかな会話と出迎えてくれる子供達。
やはりここが自分の家なのだとマユは再確認した。
皆との楽しい食事を済ませるとほっとしながら食後のお茶を飲む。
こんな気分になったのは久しぶりな気がする。
それだけあのミネルバで過ごした日々が精神的にきつかったのかもしれない。
子供達が部屋に戻り寝静まった頃にラクス達にプラントから起こった一連の事件を話した。
もちろん話の中には兄であるシンがザフトに入隊していた事も含まれている。
「そう、そんな事が」
「今回の件で再び地球側と戦争になるかもしれません」
いや、今の状況では確実に起こるだろう。
また前大戦のような悲惨な戦争が繰り返されるのだ。
「中立同盟も無関係とはいかないでしょうね」
「ええ、おそらくは」
現状地球軍と敵対関係にある同盟も間違いなく巻き込まれる。
マユはため息をつくともう一つ、すでに日課になってしまった事を聞く。
「あの、アストさんとキラさんは?」
二人は一様に暗い顔で首を振った。
予想はしていた。
それでも落胆してしまう。
アスト・サガミとキラ・ヤマトは今オーブにはいない。
ユニウス条約が地球軍とプラントで締結された少し後から二人は突然姿を消した。
何度も探したのだが手がかりも無く、未だにどこにいるかすら分からない。
今では死んでいるのではなんて噂も出てくるくらいだ。
それでもレティシアとラクスそしてマユも何時か二人が帰ってくると信じていた。
だが今回の一件でマユは気になっていた事が一つだけあった。
あの機体、エクリプスといっただろうか。
デブリ戦やユニウスセブン破砕作業で見た機体の動きは―――
いや、確証がある訳ではない。
マユは余計な事を言わず話を変えた。
◇
ミネルバがオーブのドック入りしてから、一番タリアの頭を抱えさせたのはミネルバの状態であった。
はっきり言って酷い。
この一言に尽きるだろう。
アーモリーワンを出港してからボギーワンの追撃、デブリでの戦闘に加え、大気圏に突入しながらのユニウスセブン破砕作業。
まったくこんな状態で良くここまでもってくれたと言える。
こんな状態ではオーブの外に出る事も出来ず、せめてスラスターと火器だけでもここで修復しておきたかった。
いくらオーブとプラントの関係が悪くともここで襲撃を受ける事はないとは思っている。
だが流石に戦えないままというのは艦長として不安が残るのだ。
しかしモビルスーツの補修や艦の装甲も出来得る限り何とかしておきたい。
そんな余裕は今のミネルバには無かったのだが、意外な所から助け舟が出た。
マリア・べルネスという女性がモルゲンレーテと掛けあい様々な都合をつけてくれたのだ。
正直ありがたい話だ。
これでカーペンタリアにたどり着くまで何とかなるだろう。
タリアは修復されていくミネルバの姿を見つめているとマリアが苦笑しながら歩みよってきた。
「ミネルバは進水式前だと聞いていましたけど、何と言うか歴戦の艦になってしまいましたわね」
「ええ、残念ながら」
本当にその通り。
本来ミネルバは就航もまだ先になるはずだったの。
それが今では激戦を潜り抜けた歴戦の戦艦に変貌していた。
全く何と言えばいいのか、実に複雑な気分である。
「こんな事になるなんて思っていなかったけど、仕方ないわよね。いつだってそうだけど先の事なんて分からないし。特に今はね」
「そうですわね」
お互い暗い顔で見詰め合う。
これからの事を考えれば明日には彼女とも敵同士になっているかもしれない。
「本当は同盟もザフト艦の修復に手を貸している余裕はないんじゃない?」
「かもしれませんわね。でも同じでしょう。先の事は分かりませんから、私達も今思って信じた事をするだけです。後で間違いだとわかったら……その時は泣いて怒って、それから次を考えます」
タリアはマリアの言葉に不思議と重みを感じた。
もしかすると彼女もまた何かしらの修羅場を潜ってきたのかもしれない。
二人の女性はお互いに苦笑しあいながら修復されていくミネルバを見つめていた。
◇
オーブに入港してきたミネルバは現在修復中であり、その間クルー達には現在上陸許可が下りていた。
要するに艦の修復作業が行われている為に他のクルーたちにやる事がないのである。
ならばとここまでの激戦を労う意味で短いながら休暇の許可が出たのだ。
シンは私服に着替えを済ませ部屋を出ると上陸の前にセリスの顔を見ておこうと彼女の部屋を訪れる。
「セリス」
「あ、シン。どうしたの?」
セリスは着替える事無く、軍服のままだ。
彼女は今回の休暇は艦で過ごす事になっている。
それにはもちろん理由がある。
セリスは前大戦で被災してしばらくは昏睡状態が続き、家族も失い、記憶もほとんど残っていないらしい。
その為今でも定期的に健診を受けていた。
今回はこの休暇中に済ませてしまうとの事で彼女は艦に残る事になったのだ。
セリスは残念そうにしていたが体に関する事、仕方が無いだろう。
「えっと、出かける前にセリスの様子を見ておこうと思って」
「子供じゃないんだから大丈夫。それよりマユちゃんときちんと話をしてきて」
セリスはずいぶんシンとマユの関係を気にしているらしく、やたらと話をしてこいと言ってくる。
もしかすると家族を亡くしているだけにこっちを気にしてくれているのかもしれない。
「ああ」
シンはこれから両親がいる病院にマユと二人で行く事になっている。
おおよそ三年ぶりの故郷だ。
「じゃ、行ってくるから」
「うん、行ってらっしゃい」
セリスに見送られながらシンはミネルバを後にした。
◇
ミネルバを降り、街を歩くシンは複雑な心情で周囲の様子を見渡していた。
「……なんか変な感じだな」
街の様子は変わっている所もあればそうでない所もある。
故郷である筈なのに異邦人のような気分だ。
そんな風にしばらく街の様子を見ながら歩いていると待ち合わせ場所に車に乗って待つ妹の姿が見えた。
「マユ!」
こちらに気がついたのかマユはミネルバに乗っていた頃と変わらぬ無感情でシンを出迎えた。
「乗って下さい。距離はさほどありませんからすぐにつきます」
「あ、ああ」
シンは助手席に乗り込むと車は走り出した。
マユの運転する車に乗るだなんて、益々変な気分だった。
だがそれはそれだけの時間を離れて過ごしていたという事の証かもしれない。
若干暗い気分になりながら、外の風景を眺めているとすぐに病院は見えてきた。
「あそこです」
碌に話す事も無く病院についてしまった。
車を止め病院の中に入るとマユの後をついて歩く。
途中で医師や看護師といった人達とすれ違う度に挨拶を交わしていくところを見るとマユはこの病院に通いなれているらしい。
定期的に様子を見に来ているという事だろう。
しばらく歩きある病室の前でマユは立ち止まる。
病室のネームプレートには見慣れた両親の名前が書かれていた。
ここにいるのだ。
シンは思わず息を飲む。
マユはそんなシンを尻目に扉を開け部屋に入るとベットに横たわっている人が見えた。
そこにいたのは紛れも無く三年前に別れた両親の姿だった。
「……父さん、母さん」
シンの視界が涙で滲んできた。
死んだと思っていた両親が目の前にいる。
もちろん目の覚めない状態でいる事にはある種の憤りを覚えはする。
だが家族を亡くしたと思っていた時に味わった喪失感に比べればずいぶんマシだ。
そんなシンの姿にマユは何も言わずに窓を開けると穏やかな風が病室に入り込んできた。
シンは若干落ち着くと目元を擦り零れそうになっていた涙を拭い、意を決して話を切り出した。
「……マユ、ずっと聞きたかったけど、なんでお前がモビルスーツに乗ってるんだ? 一体前大戦で何があったんだ?」
「……そうですね。少し話をしましょうか」
マユ自身も話そうと思っていた。
少なくともシンには知る権利があるのだから。
マユの口から語られた事はシンにとってかなりの衝撃だった。
オーブ戦役で避難しようとしていた自分達を撃ったのはザフトの特務隊であり、あのアスト・サガミが自分達を救ってくれた事。
当時危険な状態だった自分を救うためにマユはリスクを承知で敵対していたプラントに潜入。
脱出時に初めてモビルスーツに搭乗した事。
それから特務隊との決着とジェネシス破壊までの激戦。
「これが私がモビルスーツに乗った経緯です」
シンは何も言えなかった。
何故ならマユが戦いに出た切っ掛けを作ったのはシン自身だったのだから。
だが同時に再び疑問が湧いてくる。
シンの記憶とはやはり大きな齟齬があるのだ。
かと言ってマユが嘘をつく理由はない。
これは一体どういう事なのだろうか?
自分の記憶をたどろうとするが再びノイズが走ったように上手く思い出せない。
これ以上考えるとまた頭痛が起きそうだ。
考えるのをやめ、疑問を抱えたままシンはマユと共に病院を出るともう一つだけ言っておきたい事を口にする。
「マユ、少しいいか?」
「なんですか?」
シンはマユと共に海岸線を歩いて行く。
でも―――
近くにいる筈なのに物凄く遠い。
一緒に歩いているはずなのに別々に歩いているかの様に距離がある。
そんな感覚を寂しく思いながらシンはマユに切り出した。
「マユ、モビルスーツを降りてくれないか? 俺はもうお前が危険な目に遭うのは嫌なんだ」
それは危険な事はして欲しくないというシンの願いだった。
しかし、それが届かない無いことも心のどこかで理解していた。
「……断ります。私にも守りたい物がありますから……逆に聞きますけど私がモビルスーツから降りて欲しいといえば降りるんですか?」
シンは言葉を詰まらせる。
マユが守りたいと言ったようにシンにも守りたい物はある。
脳裏に浮かんだのはセリスの事だった。
彼女を戦場で一人には出来ない。
「私からも聞きたい事がありました」
「えっ」
「これから貴方はザフトとして戦場に出ていく事になる。これから世界がどうなるかは分かりませんが……もし仮に中立同盟が敵になれば貴方はどうするんです?」
中立同盟が敵になったら、自分はどうするのだろうか?
マユや両親がいるこの国を撃つのか?
かつて家族が死んだと思っていた頃の自分なら怒りと憤りに任せ、引き金を引いていただろう。
だが今はどうだろうか?
マユが戦う理由も知ったし、当時の状況も分かった。
かつてほど中立同盟に憤りは感じていない。
いや、ここにきて歩いてみて分かった。
自分はオーブを嫌いにはなれないと。
だがそれでも譲れないものがある。
今のシンに言える事は結局マユと同じだった。
「……俺にも守りたい人がいる。もしも中立同盟がそれを傷つけるなら、俺は……」
「そうですか。私も同じです。私の大切な人達をザフトが再び傷つけるなら―――躊躇いません」
お互いが視線を外す事無く見つめ合う。
二人の距離はどうしようもなく離れている。
離れていた三年の間にお互いに譲ることのできない大切なものが出来ていたのだ。
この距離を縮める事は出来ないとそう悟ったシンとマユはお互いに背を向ける。
これで最後だと悟り、様々な思いを呑み込んで歩き出そうとしたシンの背中に声が掛けられた。
「……最後に一つだけ言っておきます」
「……何?」
「……死なないで」
囁いたような小さな声だったが確かに聞こえた。
咄嗟に振り返るとマユはすでに歩きだしていた。
そんな妹の背中にシンも叫ぶ。
「マユも絶対死ぬな!!」
その声に僅かに振り返ったマユの顔は夕日に照らされてはっきりと分からなかったが、確かにシンには微笑んでいるように見えた。
◇
『ブレイク・ザ・ワールド』によって地球は多大な被害を受けた。
これにより大西洋連邦を中心とした地球連合はプラントを激しく糾弾した。
今回の事件はプラント側の自作自演であると。
当然のごとくプラントは関与を否定した。
あれはテロリストの仕業であり、プラントは無関係だと。
だが今回はいささか状況が悪い。
使用されていた機体がジンやシグルドであり、途中からはザクまで現れた。
さらに死んだとされていたパトリック・ザラが生存していたという事実もプラントの立場をさらに悪くしていた。
地球側の要求であるテロリストを引き渡しも、ほぼ全員が死亡している為に引き渡したくとも不可能。
生き残っているだろう乱入してきた灰色のシグルドの行方も不明となればどうしようもない。
デュランダル達は粘り強く交渉は続けているがそれも限界に近づいていた。
現在地球から遠くない位置に存在する地球軍の宇宙要塞の一つ『ウラノス』には着々と戦力が集められているのが確認されている。
彼らの目標は明白。
このままプラントに攻め込むつもりなのだ。
そして地球軍が攻めてくるならばザフトも当然応戦の構えを取らざる得ない。
そんな緊迫した情勢の中でデュランダルは一人執務室でデータをチェックしていた。
だがその顔には緊迫感はなく、余裕さえ感じられる。
「失礼します」
執務室に入ってきたのはバイザーのようなサングラスをかけた男。
特務隊のアレン・セイファートであった。
顔を上げたデュランダルは笑顔でアレンを迎え入れる。
「やあ、よく戻ったね。ユニウスセブンではご苦労だった。いや、流石だよ」
アレンはデュランダルの賛辞にも表情を変えなる事無く淡々と答えた。
「いえ。任務を果たしただけですから」
「そうか。それよりここではそのサングラスを外したらどうかな? 私以外には誰もいないんだ、アレン、いや―――アスト・サガミ」
「……議長、私は名前はアレンですよ。それよりも状況はどうなのです?」
デュランダルは肩を竦めると端末を操作して情報を映し出す。
それを見たアレンは身を固くした。
思った以上に状況は進んでおり、開戦まで猶予はない。
「見ての通りだ。時間は無い。アレンにも出てもらう事になるだろう。その時は頼むよ」
「了解しました」
アレンはそのまま退室しようと背を向ける。
そんな彼の背中にデュランダルは声をかけた。
「彼女に―――マユ・アスカに会わなくて良かったのかな?」
「……なんの事か分かりかねます。準備がありますので失礼します、議長」
部屋を出ていくアレンの背中をデュランダルは終始笑顔で眺めていた。