イオリアを送り出したユーノ。彼はひっそりと一人で譲り受けた屋敷で暮らしていた。
生まれて間もないイノベイドは常識や知識はあっても、人間的に欠けたものが多かった。
ヴェーダは観察対象として、イノベイドを彼の下へ送る。
Celestial Being 2152 前編
地中海にある孤島の上に、一軒の広壮な屋敷がある。
波も風も穏やかで、やや陽射しは強いが透きとおるような青空は、見る者の目を吸い寄せ、心に一瞬の空白を作り出してしまうほどに、深く、清く、美しかった。
その屋敷は年期が入り、つる草が壁をつたって屋根まで伸びている。壁の色も日に焼けていて、年代を感じる屋敷でもあった。けれど、不釣り合いなアンテナが屋根の一角から伸びており、手入れの行き届いていた庭は所々枝が伸びている。窓からのぞくカーテンは閉められていた。
そのような状態から屋敷に人が住んでいるとは
しかし、表札らしきものは、
遠くはるばるやってきた男は、敷地内の駐車場に車を止める。煉瓦とタイルで区切られたそこに、他の車はない。
玄関口で呼び鈴を鳴らす。やけに古びた音が屋敷の中で響いている音が聞こえる。
しばらく待っても、応答がない。
ドアに手をかけ、力を込めるが鍵がかかっていて開かない。
もう一度押した。男は、中に人が居ることを知っているからである。
***
遠くの方で音が聞こえた。やけに古びた音だ。どこかで聞いたような音は、しばらくして、また鳴った。
カーテンの隙間から差し込む陽射しは、薄暗い部屋に居る住人にとって眩しすぎるほどだ。
住人はだるい体を起き上がらせ、目をこする。床の上に転がる酒瓶は中身が空っぽだ。
動かない頭でぼーと部屋を眺めた住人は、ふらふらとベッドから降り、よたよたとふら付く体で玄関までたどり着く。そこに行くまでに何度かぶつけ、転んだ。
二日酔いで頭に響くその音を止めようと、ドアのカギを開けて外を覗く。
住人は外の眩しさに目を細めた。
「……どちらさま……?」
光が慣れた目に入って来たのは、自分よりも頭一つ半高い男がそこに立っていた。
***
出てきた住人は、青臭さが残る10代後半の少年だった。
「“ヴェーダ”からあなたの世話役ミッションを受けました。登録番号07362-AW641です」
「…………」
住人はぽかんと口を開けて、男を下から上までじろじろと眺めていた。
20代前半に見える男は、男には珍しい黒髪の長髪を腰の下まで伸ばし、中性的な顔つきをしているものの、体は引き締まっており、筋肉質であることが分かるため、男性だということを認識できた。顔の真ん中に丸いサングラスをかけ、その奥にある瞳は金色に輝いている。
「シルト・スクライア……さん、ですね?」
07362-AW641は確認のため、もう一度、目の前にいる人物に声を掛けた。
「…………」
反応がない彼にヴェーダという単語や名前の代わりに番号を答えた自分を怪しんでいるのかと男は思った。
しかし、口を一度閉じたシルトが開いた口から発せられた言葉は男の予想を大きく外した。
「ダサい」
「は?」
今度は男がぽかんとした。サングラスの奥の瞳は黒く染まる。
「何それ。いまどき、それはないでしょーが。……まったく」
無知な子供に着せた服を見て、親のセンスの悪さに悪態をつく。シルトのつぶやきは子供を通して、親が聞いていることだろう。
彼はドアを開けたまま中へ入っていった。男はシルトが言った意味が理解できず、この状態から動くことができなかった。
「……なにやってるの? ……入っておいで、“チルドレン”」
“子供”と呼ばれ男は首を傾げる。しかし、ここには自分しかいなかったので、屋敷の中に入った。
ドアが閉まるとひとりでに鍵がかかる。07362-AW641は後ろで鳴った鍵のかかる音でドアを横目で見る。一風変わったところがない洋風のドアだ。
「この屋敷は古い建築様式を真似て建てられてるけど……実際は近代的な建造物だから」
シルトはそう答えて階段を上る。07362-AW641もそれにならってシルトについていった。
長い廊下を歩き、ある部屋に入る。ドアを開けたままなので07362-AW641も続いて中に入った。
部屋は広々としていて、ベッドや机、クローゼットといった最低限のものが備わった部屋だった。
「……こっちにあったはず……」
シルトはクローゼットから服を引っ張り出し、ベッドの上に投げ捨てる。
「……君の名前……番号以外にヴェーダからもらってないの?」
タンスの中からもズボンや上着などの服を引っ張り出し、眺め、男と見比べてから床やベッド、椅子やテーブルの上に大雑把に乗せる。広々とした部屋もシルトが散らかした服で狭く感じた。
「はい。ありません」
07362-AW641は「No.」と答えた。
「…………」
クローゼットの中を探しながらシルトは07362-AW641を横目で見た。
「じゃあ……名前あげる……番号で呼ぶの長いし……そうだな……」
シルトは手を止める。考える素振りを見せてから彼を見る。
「――“グラーベ”……“グラーベ・ヴィオレント”――」
「了解」
07362-AW641はヴェーダとリンクした。瞳が金色に輝く。
シルトが付けた名前を人間名として登録するためである。
「それと……僕の名前は“ユーノ”だから」
「了解」
付け足しで注文されたデーターの更新をヴェーダに送る。更新を終えるとグラーベの瞳は再び漆黒に戻った。
ユーノは服さがしを再開した。
***
「……ふう……まあ、こんなもんか」
ユーノは満足げに散らかした服を眺めた。
出された服は、ノーマルを始め、オールド・トラディショナル・ゴージャス・クレイジー・ブナン・ファンシー・モダン・ロック・スポーティー……多種多様な服が出てきた。中には女性が着るようなドレスやスカートもある。
「…………」
グラーベはその様子に首を傾げた。
「……何をしているのですか?」
「何って、君の服選び」
「オレの?」
「寝ていたところをたたき起こされたんだ。寝ぼけた頭を起こすのに手伝うつもりで付き合って」
どうやら拒否権はないらしい。全身が映るだけの大きい鏡を出すと多種多様な服を選び始めた。それに合う靴を選ぶと次々とグラーベを着せ替えた。
「……これがいいかなぁ……こっちもいいな……」
中には魔女のローブらしきものや、白いワンピースを着せられ、その度にそれを見たユーノがベッドに顔をうずめて、肩を震わせ笑っているのが鏡越しに見ていた。
今度は長い髪をブラシや髪留めで髪型を変えていく。
「…………」
グラーベは嫌な顔一つもせずに、されるがままだ。
「……まるで、人形だね……」
ユーノがそんなことを呟いた。
人形のようにされるがまま、何も言わないグラーベに、相手の反応を待っていたユーノが先に折れた。
「嫌なら、嫌だと言ったらどう?」
鏡越しに見えるユーノは薄く笑い、グラーベの反応を見ていた。
「眠気覚ましに付き合えと言ったのは貴方ですが?」
グラーベは首を傾げ、答えた。
「そうだった」
今、思い出したようにペロッと舌を出す。
「はい。終わり」
グラーベの髪をブラシで整えると、飽きたと言わんばかりにブラシをその辺に投げた。
「…………」
グラーベは鏡に映る自分を見た。黒を基準にしたノーマルの服装でワイシャツに黒いベストを身に着け、首元に黒いスカーフをあしらった服装だった。
髪型に変化なし。腰下まである黒い長髪はすこし来た時よりもブラシをしたことで髪の通りがよくなりツヤがでた程度。
グラーベはひとつひとつ、自身の状況を確認した
「服装はこれでいいのですか?」
「うん。今はとりあえずね……なんか、足りない気がするけど……まあ、いいや」
ユーノは椅子に腰かけ鏡を見るグラーベを眺める。自分が選んだにも関わらず、何かが足りないらしく首を傾げ、そう答えた。
グラーベもユーノが選んだ服なので、自身を見てもどこがどう足らないのかがイマイチ理解ができないでいる。ヴェーダとリンクし、確認を取ったがこれといった不審な点は見当たらない。
「……ヴェーダは何か言ってきた?」
グラーベは虚を突かれてユーノの顔を見た。なぜ、ヴェーダとリンクしていたことに気が付いたのだろう。
「……いえ、なにもありません」
「そう……なんで、解ったのかって顔してるね」
ユーノは無表情なグラーベの多少の変化を見抜いていた。
「君……旧型だけど、ヴェーダの“子供”であるのは変わりない……だから、“子供”は共通して脳量子波を使う時は……主に、ヴェーダとリンクをするときに、瞳の虹彩が金色に変わるんだ……知らなかった?」
ユーノは意地悪に答えた。
グラーベは今、サングラスをかけていない。遮光カーテンが窓を閉めているため、部屋を見渡せるだけの明るさはあるものの、サングラスをかけるほど強い日差しは中に入っていない。光に弱いグラーベにとって、裸眼でも最適な明るさの部屋だ。そのため、リンク中の変化がユーノに手に取るように分かったのだろう。
そして、グラーベは彼が“子供”と表現するときは“イノベイド”の事を指しているのだと理解した。
「以後、気を付けます」
真面目に答えるグラーベに、ユーノは困ったふうに笑った。
イノベイドの事情を知っている彼だからこそ、不審に思わないだろう。しかし、ヴェーダの“目”として人間を知らないヴェーダに人間を教えるためにはイノベイドが人間社会で暮らさなければならない。そのため、脳量子波を使用するときは気を付けなければ、なぜなら、人間は目は光らないからだ。
「そう、固くならないで」
「わかりました」
そう言っても、真面目さが表だって出るグラーベに、ユーノは肩を下ろす。
「さて……頭もだんだん、起きて来たし……朝食でも作るかなー」
ユーノは椅子から立ち上がる。
「もうお昼すぎです……それと、車に食料を調達していましたので……取ってきます」
グラーベはユーノの“ズレ”を指摘した後、食料を屋敷に運ぶべく部屋を出た。
「…………」
ユーノはタイミングを逃したかのように立ち上がった姿勢で固まり、椅子に座り直した。
「……もう、お昼だったんだ……時計、見てなかった……」
背もたれに体を
窓の外から玄関の閉まる音が聞こえた。
「……彼、967にそっくりだった……と言うことは……遺伝子提供者は、ローレンか……」
今は亡き、ユーノの相棒と友人の協力者だった科学者の顔がユーノの脳裏に浮かぶ。
「……なんの、因果かねぇ……わざわざ、ヴェーダが僕のところに“子供”を
古びた音が下の方で響く。
「・・・・・」
ユーノはオートロックのことを思い出し、ガバッと起き上がり急いで玄関に向かった。
「ごめん、ごめん……オートロックなのを忘れてたよ」
ユーノは自分の失敗を詫び、笑いながら誤魔化した。
「そういうことは事前に知らせてくれ」
無表情だった彼の表情にむくれた様子が見えた。そのちょっとした変化にユーノは
アルペジオネタ。