密かに行われる、身内のパーティ。
そこには、彼にとって懐かしい顔ぶれがそろっていた。
これはひとつの
私設武装組織《ソレスタルビーイング》が活動を開始する、およそ220年前――西暦2091年――の話。
当時は石油
地中海にある
波も風も
その屋敷の一室に、ひとりの科学者がいた。
いくつものモニターに囲まれたデスクの前に座っている。
どうやらその部屋は、彼の研究室兼書斎兼プライベートルームであるらしく、デスクの左側には山積みになった本が、右側には描きかけの油絵がイーゼルに立てかけられていた。
その部屋には、科学者の他にもうひとり、青年がいる。
青年は屋敷の主と同じ科学の道をきわめんとする者だったが、科学者のように“天才”の
ただし、系統だった理論の構築や冷静で的確な情報
科学者と青年は、自分が持ち合わせていない才能を相手に認め、親交も深い。
もしかすると、彼らの共通の
部屋の主に勧められた
「……意識を伝達する新たな原初
モニターに目を向けたまま、
「……私が
「それがきみの求める世界か……」
「……人類は知性を正しく用い、進化しなければならない……」
そこで、科学者が振り向いた。
「そうしなければ、宇宙へ、大いなる世界へ旅立っても新たに火種を生むことになる……それは悲しいことだよ……」
彼の言葉に嘘がないことは、その表情が物語っている。
眼鏡をかけた科学者の顔には、人類の未来を
天才であるがゆえに、彼は預言者のごとく人類の未来が見えてしまうのかもしれない。
青年は、彼に共感したように薄い寂しげな笑みを浮かべて、科学者の名を呼んだ。
「……イオリア……」
これがソレスタルビーイングを組織した天才科学者イオリア・シュヘンベルグの四十歳当時の姿であり、のちにリボンズ・アルマークを名乗るイノベイドのモデルとなった浅緑色の髪をした青年――E・A・レイ――の姿であった。
コンコン
レイが感傷しているとドアのロックの音と共に、少年が紅茶と細やかなお菓子を用意して持ってきた。
肩より少し長いハニーブロンドの髪をひとくくりにした少年――シルト――は、ひょろりとした体形だが、よく見ると体が引き締まっており、筋肉質であることがわかる。
「イオリアさん、レイさん。お茶にしませんか?ローレンがおいしいお菓子、持ってきてくれたんだ」
そういって、ティーセットをテーブルに置いて三人分のお茶を用意する。
ドアの向こう側では人の話し声の雑音が聞こえる。しかし、ドアを閉めたことで騒音も聞こえなくなる。
「随分と外が騒がしいね」
レイは持っていた紅茶をいったんテーブルに置くと、それまで座っていた椅子をテーブルの近くまで持ってきた。
「それはそうですよ。なんたって、呼び出したのはこの人で、更に聞けば組織名を決めたっていうんですから」
この人と指して、イオリアを顎でしゃくる。
イオリアは無言でいそいそとテーブル脇の椅子に座る。
「『ソレスタルビーイング』……」
レイは名前を口に出した。ピクっとシルトは反応したが対して気にも留めずに、再び紅茶を入れるべく手を動かす。
「いい響きだ」
入れられた紅茶の香りを楽しみながら紅茶を飲んだ。
「へぇ……それが名前ですか?」
シルトは同じく香りを楽しんでいるイオリアに聞いた。
「ああ。……まだ、他の者には言っていない」
イオリアは紅茶からシルトに顔を向け、まっすぐに答える。
「そう……今夜はそのパーティーってところかな」
シルトも自分の分を入れて席に着く。
「あぁ、そうそう」
ついでとばかりに、持っていたファイルをイオリアに渡す。
「はい、これ。例のヤツのね」
黒いファイルに入っているそれは、極秘ファイルだとわかる。それをレイが居る所で渡した。
「提供者、決まったんだね」
けれど、極秘と言ってもすでにレイはそのファイルに見覚えがあった。量子型演算処理システムの補助プログラムとして特殊な端末を作ることに同意した者達。そして、彼もまた賛成する側だった。
「……フム……」
イオリアはじっくりと同意者の名前を観覧した。見終わるとシルトの顔を見た。
「君はしないのか」
「え? 意外だな。やらないのかい?」
レイはその意味を悟り、シルトを見て驚く。
「遺伝子の提供……でしょう? 興味ありませんから」
シルトは澄まして紅茶を飲む。
イオリアに協力する科学者たちは自分たちの持つ優秀な遺伝子を残すことに同意し、その準備を始めていた。生体型端末として、『イノベイド』と呼ばれる人間の遺伝子をベースに作られる人造人間。その試作機がすでに実験途中だった。
「そうか」
シルトの答えにイオリアは肩を落とす。
レイは年の差が開いたこの二人を見比べた。
数年前にイオリアを狙った暗殺事件でたまたま居合わせたこの少年が助けたというのだから驚いた。相手はプロの殺し屋だったにも関わらずだ。それ以来、イオリアの護衛は彼に一任された。
彼、シルト・スクライアに。
なので、彼は科学者ではない。そういう事には本当に興味がないのだろうとレイは解釈した。
イオリアが他の科学者に呼ばれて席を立った後、シルトはボクに言った。
「……レイさん。あなたは彼が人間嫌いと言ったけれど、僕はあれほど人間を愛している人は、他に居ないと思いますよ」
そう言い残して、イオリアについて行った。
「…………」
ボクは呆気にとられたが、そう言われてみればそうかもしれないと、一人紅茶をすすった。
***
その日の夜。孤島の屋敷でパーディーが開かれた。イオリアに賛同する科学者たちの新たなプロジェクトへの祝いとして。
「ローレンちゃん。最近どう?ちゃんとお付き合いしてるの?」
ひとりの青年がローレンと呼ばれた黒髪の青年の肩に寄りかかる。
「そういう話はここでするものじゃない。それと酒臭いぞ、フェルミ」
のんきな話を持ちかける青年はムードメーカな人物で、寄りかかられている人物は性格が堅物の青年だ。
この二人も、科学者でイオリアに賛同する者だった。グラーベ・ヴィオレントとヒクサー・フェルミの遺伝子提供者。
(ふふ、またやってるよ)
シルトは、そんな二人を視界の端に収めながらも会場の中を進んでいく。
ここにいるほとんどの人間が遺伝子提供者だ。イノベイドとして生まれた者達は、人間の中に混ざり、ヴェーダに情報をアップし続け、人間を理解するための手助けとなるだろう。中には、特殊な任務に就く者もいるかもしれない。
肩で切りそろえられた濃紫色の髪をした
「……やあ、“ティエリア”。今日は来てくれたんだね」
女性的に見られてしまう外見とは不似合いなほど、呼ばれて振り向いた彼の眉間に刻まれたしわはいっそう深くなっている。
「……いい加減、僕をその呼び方で呼ぶのはやめてほしいんだが?」
その顔は苛立つような険しい表情をしていた。
「えぇー。どおして?」
ボクは気にしないよ?と首を傾げるシルトに、ティエリアと呼ばれた青年は肩を震わせる。
「……君は……っ!」
「ところで、お姉さんは?」
彼の言葉を遮り、彼の傍にいない、彼と同じ容姿をした女性の姿が見えないので、青年に聞いた。
「……姉さんなら、病院で養生中だ」
「え! どこか悪いの?」
青年の言葉にシルトは驚く。青年は首を振って否定した。
「いいや、妊娠中だからな。安静のためだ、問題ない」
「そっかぁ」
シルトはホッと胸をなでおろした。
「それと、“例の件”は僕がすることになった」
「え……君が?」
“例の件”というのはもちろん遺伝子提供者のことだ。
「君は見ていないのか」
彼から用紙を渡されて提出したのに、その様子では見ていないようだ。
「うん。一応、機密事項になるからね」
なるほど、彼も小さいながらもプロとしてそれなりの事は心得ているらしい。
青年は感心した。
「じゃあ、またね。“ティエリア”」
「!……君はっ!」
青年が名前の訂正する前に、シルトは人込みのなかに隠れてしまった。
「……っ」
青年は手を震わせて、手に持っていた残りのワインをグイっと一気飲みした。
イオリアを探して会場を進む。中々見つからないと思ったら、彼はバルコニーで夜風に吹かれていた。
「探したよ。イオリアさん」
シルトはイオリアの隣へ行く。
「……まだ、始まっていない」
「?」
芯の通った力のない声が隣から聞こえ、シルトは顔を上げる。
どうやら、少し酔っているようだった。
「……急ぐつもりはない。だが、私が不安なのは計画が実行する前に、人類が滅んでしまうことだ」
「……そうだね」
イオリアが自信をもって進めている計画は、彼がいなくなった後も継続していけるように、“ヴェーダ”を作った。その手足となる“イノベイド”も。そして、
それでも、不安はあるのだろう。この世界に絶対はない。世界はこんなはずではなかったと後悔する。
僕自身にも、そういう経験があった。
イオリアはそうなる前に、世界ではなく、人類に気づいてほしいのだろう。
人はこんなにも簡単に解りあえることが出来るのだと。
それと同時に計画を開始する前に、組織が崩壊することも
そうなってしまえば、もう人類は滅びの道を一歩、また一歩と確実に歩むだろう。
「……そうならないためにも……私は……」
手すりに置いた手に力がはいる。その上に僕は自分の手を重ねた。
覚悟はしていても不安は尽きない。
それが例え、人類の未来のためだと言っていても、戦火の被害者たちのことを思うと心が締め付けられる。戦場に出るのは自分ではないから。もしも、計画が実行される時代まで生きられるというのなら、イオリアは自ら武器を取り、実働部隊の一人として活動するかもしれない。
あり得ない“もしも”に口元が緩む。しかし、やりかねないのも確かで、想像しただけで
「……何がそんなに面白いんだ、シルト。……こっちは真剣に考えているのに……」
「ふふ……ごめん、ごめん。……“もしも”を考えたら笑えて来てね……」
「あり
シルトは笑って答え、イオリアは自分でもあり得ると考えてしまった。
ひとつ咳払いをして前を向く。
「……君は……人を笑わすのが得意だな」
「そうかな?」
にこにこと笑って答えた。
笑った。よかった。
バルコニーの様子に気が付いた科学者が何の話?と話に食いつき、みんなで笑った。
フェルミあたりが特に話に食いついてきたのも余談だ。