BLEACH Fragments of Remnant   作:ヴァニタス

3 / 23
死神統学院

「破道の三十一、赤火砲(しゃっかほう)!」

 

 朗々と響く詠唱が虚空に消え去った後、音の波紋が消えた空気を吸い込むように轟々と渦巻く炎の球が現れる。大人が二人、縦に並んだとしても届かないほどの巨大な火球は伸ばされた腕の先から発射され、煌く炎の線を残して直進し、的と周りの空間を巻き込んで爆散した。

 火球に圧縮されていた熱と衝撃が弾け、熱い風圧となって広がっていく。手で風を遮っていた者たちは風が止んだ後、跡形もなく燃え尽きた着弾点を見て感嘆の声を上げた。

 

「――ふむ。やはり鬼道の腕は他の追随を許さぬようじゃな。よろしい、そこまでじゃ! もう下がってよいぞ、御蔭丸」

「ふう……御教授ありがとうございました、元柳斎様」

「うむ。次の者、前へ出よ!」

 

 同期の者たちから称賛の目を向けられる赤火砲を放った男、大神御蔭丸は緊張を解くために一息つくと、背後で指南してくれていた元柳斎に頭を下げて、自分の場所に戻る。

 ――試験というのはいつやっても肩がこるな。

 こり固まった肩をほぐそうと御蔭丸は力を抜いて首を回す。それから軽く筋肉を揉みほぐそうとしたその時、いきなり隣の同期に勢いよく背中を叩かれた。「うわっ!?」とびっくりして目を白黒させる御蔭丸に、同期は笑いながら褒め称える。

 

「流石だな、御蔭丸。やはり今期一番の期待の星はお前のようだ」

「え、ええ、ありがとうございます。褒めてくれるのは嬉しいですが、ちょっと強くたたき過ぎですよ、雅忘人(アシド)さん」

「ははは、悪かったな。それはそれとして、俺の事はアシドでいいと言ってるだろう。相変わらずお堅い奴だ」

「これは癖ですから、申し訳ございません。僕自身、直す気もないのですよ」

「なんだそれは、せめて直す努力はしろ」

 

 御蔭丸がそう微笑むと、アシドはわざとらしいため息をついて、ニヤリと唇の端を曲げた。

 

「まあいい。そっちの方が付き合いやすい。普段から模擬戦の時のような凄味をだされたら、話しかけるのも気後れしてしまう」

「分かっていただけてなによりです。アシドさん、そろそろ貴方の番ですよ」

「おっと、もうか。お前に負けないよう、俺も気合いをいれていこう」

 

 丁度元柳斎に呼ばれたアシドは立ち上がろうとして、ふと何かを思いついたような顔をする。それからニッと唇を吊り上げると、御蔭丸に手の甲を向けてきた。その意味を察した御蔭丸も、同じように手の甲をかかげる。

 

「頑張ってくださいね」

「ああ、行ってくる」

 

 軽口を叩きあって、お互いの手の甲を合わせた。それで気が引き締まったのか、アシドは自信を(みなぎ)らせ余裕のある足取りで的の前に向かう。御蔭丸は手を振ってアシドを見送ると、微笑みながら息をついた。

 ――死神統学院の院生となって早半年、か。

 ――最初はかなりいざこざがあったものだがな。

 ――こうして友人ができるくらいに馴染めて良かった。

 

 御蔭丸は死神統学院に入学させられた時の事を思い出す。季節外れの入学で、試験免除の上に特待生ばかりが集まる一年一組に入らされた。しかも元柳斎直々の推薦という形で。誰が見たって特別扱いされていると分かるし、何よりあの容姿だ。問題が起こらない方が不思議だろう。御蔭丸も馴染むまでかなりの苦労を強いられた。

 ――もっと穏やかな方法で入学させてくれても良かっただろうに。

 ――まったく、元柳斎様も人が悪い。

 

 鬼道に失敗したアシドを叱り飛ばす元柳斎を遠目で眺めて、御蔭丸はくすりと軽く笑う。口ではあんな事を言っていたが、アシドは鬼道が大の苦手だ。だから試験の時はいつもああして元柳斎に雷を落とされている。

 ――あいつ確か、「今日は秘策がある」と言っていたはずだが……

 ――どうやら、失敗したみたいだな。

 鬼道の何たるかを一通り叩き込まれたアシドは、最後に拳骨を食らって解放された。それと同時に時間を告げる鐘が鳴り、元柳斎が試験終了の声を上げる。

 

「む、もうこんな時間か。これ、狩能(かのう)雅忘人(あしど)! これに()りたら、二度と儂を(たばか)る真似はするでないぞ! 良いな!」

「は、はい、分かりました……」

「うむ。ではこれにて試験を終了する! なお、ここにおる狩能雅忘人を含めた不合格者は後日、改めて試験を行う! これに不合格した場合、進級も危ういと知れ!」

「「「はい、ありがとうございました!!!」」」

 

 元柳斎の厳然たる言葉に皆、一斉に頭を下げる。それから元柳斎が試験場を後にしてから、皆が帰り支度を始めた。今日の日程は試験のみ、終われば自由行動を許されている。

 御蔭丸も例にもれず、今日は早く帰ろうと手早く帰り支度を整えていたら、周りに数人の人影がやってきた。同じ一組の女性達だ。一体何の用だろうと声をかけようとすると、おさげの子が恥ずかしそうに聞いてくる。

 

「あ……あの、御蔭丸さん……この後のご予定は、あ、空いていますか!?」

 

 最初は細い声だったが、途中から羞恥心が強くなりすぎて声が上擦ってしまっている。それでもっと顔を赤くして小さく委縮するおさげの子を微笑ましく思いながら、御蔭丸は申し訳なさそうに眉根を下げた。

 

「申し訳ございません、実は友人との先約がありまして」

「あ……そ、そうですよね……予定、ありますよね……ごめんなさい……」

「……ひょっとして、僕をどこかへ誘ってくれるつもりだったのですか?」

 

 しゅんとするおさげの子にそう尋ねると、下を向いたままこくんと頷く。御蔭丸は少し考える素振りをしてから、おさげの子の頭に手を置いた。びっくりして上を向く彼女に、にっこりと笑いかける。

 

「どうもありがとうございます。今日は予定がありますが、明日は誰との約束もありませんので、明日連れて行っていただけないでしょうか?」

「えっ、あ、明日ですか?」

「何かご予定でも?」

「い、いえ! ありません! 全然ありません! 明日行きましょう、御蔭丸さん!」

「はい、楽しみにしております。ああ、やっぱり貴女は笑っている方が美しいですね」

 

 最後にくしゃりと頭を撫でて吐息のように言うと、おさげの子はぽーっと赤くなってその場に崩れた。受け止めようとした御蔭丸は周りの女性に「自分達が介抱するから」と言われ、返答する間もなく連れて行かれてしまった。仕方なく待ち合わせの場所だけ告げてから見送ると、そこに頭のたんこぶをさすりながらアシドが帰ってくる。痛そうに顔を歪めるアシドに彼の荷物を手渡して、御蔭丸はねぎらいの言葉をかけた。

 

「お疲れ様でございます。秘策があるとおっしゃっていましたが、どうやら失敗したようですね」

「ああ……試験前にあんな大口叩いたのに、面目ない」

「鬼道は才能によりけりですから、貴方には向いていないのですよ。僕は鬼道が得意ですし、今度簡単なコツを教えましょうか?」

「すまんが頼む。本当はなんとか乗り切るつもりだったんだが、結局通らずじまいだ……」

 

 きちんと荷物を整理整頓している御蔭丸と違い、アシドは適当に荷物を袋に詰め込んで帰り支度を終えた。それから雑談しながら試験場を後にする。

 外に出れば途端に冷たい空気が肌を刺してくる。試験場は鬼道の影響で汗をかくほど熱が充満していたが、一歩外に出れば温まった空気も一気に冷えて凍りつく。

 今は冬。枯れ果てた空気が空を覆う、微睡(まどろみ)のような寂しさが心を吹き抜けていく季節だ。二人は支給されている厚手の制服を肩にかけて、話しながら歩いていく。

 

「それで、貴方の用意した秘策とは一体何だったのですか? 元柳斎様は騙すなとおっしゃっておりましたが」

「ああ、秘策というのはこれ(・・)の事でな」

 

 アシドが懐から取り出したのは、真っ白な何かの欠片だった。手の平にすっぽりと入ってしまう小さなそれを御蔭丸は興味深そうに見分するが、いまいち正体が掴めない。何か妙な霊圧が秘められている事だけは分かった。

 

「……これは一体、何でしょうか?」

 

 御蔭丸が純粋な疑問を口にすると、アシドはやや誇らしげな表情をして白い欠片を日に透かす。全く光を通さないそれを眩しそうに見ながら、アシドは答えた。

 

「これはな、虚の仮面の欠片(・・・・・・・)なんだ」

「虚の仮面の欠片……? どうしてそんなものを持っているのですか?」

 

 虚の仮面。それは死してなお未練を残す者たちが、自らの中心(こころ)を失ってしまった時、その取りこぼした中心(こころ)によって形作られる物だ。全く同じ人間が一人として存在しない様に、虚の仮面も寸分違わず同じ物はない。死神統学院では弱点として教えられている代物だが、どうしてそんな物をアシドは持っているのだろうか。御蔭丸が首をかしげると、アシドは少し声の抑揚を高くして話し始めた。

 

「俺がお前と同じように流魂街出身なのは話しただろう? 当時の俺は自分の霊力には気付いていたが、死神になる気はさらさらなかった。食っては寝て食っては寝てと、かなり自堕落な生活を送っていたんだ。だがある日虚に襲われ、死神に助けられた。それから紆余曲折あって俺は死神になろうと思い至ったんだが――まあ、ここはどうでもいい話か。この欠片は俺を襲った虚の物なんだ」

「そうなのですか。貴方が死神を志した話も興味深いですが、今はよろしいでしょう。それで、どうしてその欠片が秘策になるのですか?」

 

 昔を懐かしむように遠い目をするアシドを見て、今度暇な時にでも聞いてみようと御蔭丸は笑いながら尋ねる。アシドは「口で説明するより見せた方がはやい」と欠片を握りしめ、霊圧を流した。

 すると仮面の欠片が怪しく光り、アシドの霊圧を吸収していく。御蔭丸が目を(しばたた)かせて驚いていると、真っ白だった仮面の欠片はアシドの霊圧の色に染まった。

 

「これは……霊圧を吸収するのですね」

「正確に言えば一度吸収し、吸収したものを撃ち出す事ができる。俺は試験を受ける前、たまたま成功した鬼道をこいつに吸収させていた。それで試験ではこいつに吸収させた鬼道を撃ったんだが……」

「元柳斎様にばれてしまったと……」

「いや、こんな道具を使ってもその程度かと怒鳴られてしまった。虚と戦う事を考えれば道具を含め、己の最大限の力を使うは善し。だがこんなものではザコ虚一匹倒せんと言われたよ」

「あはは、元柳斎様らしいですね」

 

 拳骨の痛みがまだ尾を引いているのか、渋い顔で頭をさするアシドの横で、元柳斎の怒鳴り顔を思い浮かべて御蔭丸は頬を緩めた。元柳斎は厳しい男だ、特に目をかける者に対しては辛辣な言葉をぶつけてくる。アシドがそこまで怒られたのなら、それくらい有望視されているという事だ。

 ――その事を元柳斎様が口にするはずはないがな。

 ――あの御方は、子を谷に突き落とす獅子の如く手厳しい。

 

 戦闘部隊の頂点に立っている事実を思えば、その厳しさは致し方ない。だが学ぶ側としては、もう少し分かりやすい態度を取ってくれてもいいのにとも思ってしまう。

 ――まあ、天秤のようなものだと考えれば得心もいくが。

 ――あの御方に容赦がない分、他の人は優しくしてくれる。

 御蔭丸は己が率先して取っている学科のある教室を遠目で眺めて、ほう、と白い息を吐いた。初めて会った時もそうだったが、鬼道の治癒を専門に扱うあの人はとても慈愛に満ちている。

 

「――あら? そこにいらっしゃるのは、もしかして大神さんではありませんか?」

「え――ああ、貴女は! どうも、卯ノ花先生!」

 

 と、噂をすればなんとやらだ。試験場と校舎を結ぶ渡り廊下の突き当たりに、護廷十三隊の隊長の位を示す白い羽織に身を包む、たった今思い描いていた人物が立っていた。

 彼女の細い輪郭を見つけた御蔭丸は、喜色満面の笑顔を咲かせて大仰な所作で丁寧に頭を下げる。彼にしては珍しく、かなり声を張り上げていた。

 

 それに彼女、卯ノ花は柔らかく手を振ってしずしずと歩いてくる。立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合の花という言葉が非常に良く似合っている女性だ。もっとも卯ノ花の性格からすれば、綺麗ながらも力強い大人の女性を感じさせる百合の花より、彼女の名と同じ小さく可愛らしい空木(うつぎ)の花でもぴったり合うだろう。ただ相変わらず、胸元はきつく閉じられていた。

 卯ノ花が目の前まで来ると御蔭丸は軽く礼をした。隣のアシドは何やら戸惑った様子で首だけを上下に振る。

 

「おや、腰の帯が変わっていますね。新調なされたのですか?」

「ええ。前の物はかなり傷んでしまっていたので、正月を迎える前に新しい物に変えたのです」

「そうなのですか。前の紅色のも鮮やかで美しかったのですが、今の桜色も貴女の雰囲気に良く似合っていますよ」

「ふふ、ありがとう大神さん」

「……御蔭丸。俺は邪魔のようだから、先に帰っているぞ」

「え? アシドさん、昼餉(ひるげ)を一緒に食べるはずでは……行ってしまいました」

 

 アシドの唐突な言葉に引き留めようとしたが、そうする前にアシドは早々と行ってしまった。別れの挨拶も言えずぽつんと取り残された御蔭丸は、同じようにアシドを見送った卯ノ花から質問される。

 

「今の方はどなたでしょうか?」

「ああ……そう言えば卯ノ花先生には紹介していませんでしたね。彼の名は狩能雅忘人、僕と同じ一年一組の同期ですよ」

「御学友の方なのですね」

「ええ、大切な友人でもあります」

「なにやら慌てて行ってしまいましたが、なにか急用でもあったのでしょうか?」

「いえ……そういうわけではないと思いますよ」

 

 アシドが早歩きで曲がっていった廊下をきょとんと見つめる卯ノ花の後ろで、御蔭丸は視線をそらして苦笑いする。

 ――あいつは女が苦手だからなあ。

 ――まったく、初心(うぶ)にもほどがあるだろう。

 前に同期の女性達との食事に誘った時、アシドが「俺はいいから楽しんで来い」と赤面していたのを思い出す。アシドは決して口にしないが、その態度を見れば女性が苦手なのは一目瞭然だ。さっきも周りの女性が去るまで姿を見せなかった。

 

 ――まあ、十年もすれば女にも慣れるだろうさ。

 ――俺がいちいち口を出す事でもない。

 女性が苦手なのを克服できたら密かに祝いの席でも用意してやろうと内心で考えて、ふとある事に思い至る。

 ――今日は確か、卯ノ花先生の講義はなかったはずだが。

 治癒に関する講義を全て取っている御蔭丸はそう思い、丁度こちらを向いた卯ノ花に聞いてみる事にした。

 

「卯ノ花先生、本日はどのようなご用件でこちらにいらしたのですか? 貴女の講義はなかったように思うのですが……」

「ええ、確かに今日は私の授業はありませんよ。ここに来たのは、死神統学院(こちら)に頼んでいた薬草がまとまった量になったとの報告を受けたので、取りに来たのです」

「そうでございますか。でも、それくらいなら部下に任せればよいのではないですか? わざわざ隊長である貴女が来なくともよかったのでは」

「もちろん一人ではありませんよ。四番隊の皆と一緒に参りました」

 

 そう言われて卯ノ花の後ろを見ると、せわしなく歩き回る死神の姿が見えた。死覇装の上に西洋風の白衣をかけている、総合救護詰所で世話になっていた頃、良く目にしていた四番隊の人達だ。

 

「成程……では、どうして貴方もご一緒に来られたのでしょうか」

「たまたま手が空いていたので、部下にだけおしつけるのも忍びなかったのです。私も隊長に就任してまだ半年、部下との交流も深めたいと思っておりましたから」

「そうなのですか。仕事熱心なのですね、感服いたしました」

「そんな……隊長として、当然の事です」

 

 御蔭丸の心の底からの称賛に、卯ノ花は頬に朱を差してはにかんだ。ここ半年の間会う度に褒めているから初対面の時の反応はもうしないが、感嘆の念を送るたびに赤くなって上目使いをしてくれる卯ノ花はとても初々しくて可愛らしい。

 ――まったく、本当にいじらしい人だ。

 御蔭丸はそう思いながらも余裕の笑みを崩さない。人の良い柔らかさで手を自分の胸に当てると、自然にこう切り出した。

 

「じゃあ、普段貴女の世話になっている事ですし、僕にも一つ、手伝わせていただけませんか? 勿論、嫌なら断ってくださってもいいですよ」

「嫌だなんてそんな……でも、四番隊でもない貴方に手伝ってもらうのは……それに、御学友の方とご予定があるのではないですか?」

「あいつなら問題ありません、よくある事ですから。これは僕からのほんのお礼の気持ちです。無理なら無理と言いますから、どうか手伝わせてください」

「……なら、救護詰所の倉庫まで、薬草の運搬をお願いしてもよろしいですか?」

「勿論でございます!」

「ありがとう、大神さん。では、ついて来てください」

 

 ――良かった、もう避けられはしないみたいだ。

 卯ノ花の了解を取り付けた御蔭丸は、意気揚々と小さな背を追いかけていく。半年前から今の今まで、徐々に話は出来るようになったが手伝いまではさせてもらえなかった。今させてもらえるのは、それだけ御蔭丸に気を許したという証明だ。

 ――暴漢のように迫ったという過去は消えないが。

 ――彼女の中で傷になっていないなら、それでいい。

 

 御蔭丸は心の底から安堵する。初対面の時に迫った事をずっと悔やんでいた彼は、積極的に卯ノ花に接して良好な関係を築こうと努力していた。それは卯ノ花に傷痕を残したくない一心でやっていたので、願い叶って御蔭丸も嬉しかったのだろう。鼻歌を歌うくらい上機嫌に案内されていく。

 しかし――その珍しい陽気な笑顔は、一瞬で凍りつく事になった。

 

「こちらが、倉庫に運ぶ薬草です」

「……え?」

 

 卯ノ花が笑いながら開いた扉の先の光景に、御蔭丸は瞬間的に笑顔を引きつらせる。手の平でうながされた先に広がっていたのは、死神統学院の校舎三階分に達するほどの緑の山。二人だけでは明らかに手が足りないと一目で分かる量の薬草が、こんもりつまっている。

 

「あ、あのー……卯ノ花先生? 他の四番隊の方はいらっしゃらないのでしょうか?」

「彼らには別の場所にある薬草の運搬を命じています。ここが一番量が少ないので、私と貴方でも十分だと判断しました」

「そ、そう、ですか……ここが一番、量が少ないの、です、ね……」

 

 ――これで少ないなら、多いは一体どのくらいだ?

 ――参ったな。正直、四番隊の仕事を舐めていた。

 崩れそうで崩れない薬草の山を見上げて、御蔭丸は自分の蔑視(べっし)を恥じる。四番隊は後方支援担当というので前線の死神よりは楽な仕事かと思っていた。しかし実際は護廷十三隊を影で支える裏方として、こんなにも大変な仕事をしていたのだ。

 ――全く、手伝うなんて軽々しく口にした自分を呪いたくなる。

 

 御蔭丸は小さく息をはくが、それはこんな仕事は手伝いたくないという意味ではない。仕事が大変だと分かっている卯ノ花がこちらに負担をかけないよう拒んだのに、強引に押し切ってしまった自分の愚かさを呪ったのだ。だから隣で申し訳なさそうにしている卯ノ花に重石を乗せないよう、努めて明るく笑って言う。

 

「卯ノ花先生、この薬草は救護詰所のどの倉庫に運べばよいのですか?」

「え……その、救護詰所の第三倉庫ですけど……大変な作業になりますよ、大神さん。本当によろしいのですか?」

「分かっておりますよ。僕はそれを承知の上で貴女の手伝いを申し出たのですから。さて、では始めましょう。薬草はこのまま持って行ってもよいでしょうか」

「あ、いえ、こちらの籠にこぼれない程度に入れて持って行ってください。薬草は出来るだけ潰さないよう、丁寧に扱うようお願いします」

「了解しました」

 

 御蔭丸は頷いて、もう一度積み上がった薬草の山を見上げた。これを全て四番隊まで運ぶのは一時間や二時間では済まないだろうが、四番隊を志す者としてはこれしきの事でへこたれるわけにはいかない。

 ――よし、やるとするか。

 首をこきりと鳴らしてから、御蔭丸は籠に薬草を入れ始める。その後ろで卯ノ花は、申し訳なさそうにしながらもどこか腑に落ちない表情で御蔭丸を見ていた。

 

 

 

   φ

 

 

 

 最初に会った時の印象は、ひどく悲しげな少年だった。

 大虚(メノス)に単身で挑み、屠ったとされて拘束されていた男。誰もが見上げるほどの大きな身体で髪は鬼のように白く、紅い瞳は火よりも赤く揺らめいている、尋常ではない容姿を持つ御蔭丸。捕まっているのに柔らかに笑い続ける男に、卯ノ花はなぜか、そんな印象を抱いていた。

 

 どうしてそう感じたかは本人にも分かってない。牢獄に繋がれながら微笑む彼をおぞましいと思い、警戒を抱いた。無理な体勢をとっているせいでけがを負っていたので、隊長としていけないと思いながら心配もした。実際には違ったが、迫るような態度をとられて不覚にも慌てふためいてしまった。

 今も鮮明に覚えている。手の平を掴んできた力強い感触と、息が触れ合うまで近づいてきた彼の紅い眼。その時まで一度も見せなかった真剣な表情は、呼吸を止めてしまうくらい様になっていて――

 

「――卯ノ花先生?」

「ひゃうっ!?」

 

 突然上から降りかかってきた御蔭丸の声に、卯ノ花は思わず悲鳴を上げてしまった。慌てて周りを見てみれば、薬草が入った籠を背負う御蔭丸が隣にいる。そこで卯ノ花は仕事を手伝って貰っている事を思いだし、早鐘を打ち鳴らす心臓を押さえつけて、悲鳴に困惑している御蔭丸へどもりながら返事をした。

 

「な、なんでしょうか、大神さん」

「薬草を倉庫まで持って行くのは良いのですが、倉庫のどこへしまえばいいのか聞いておりませんでしたので、教えて頂こうと思ったのですが……ご迷惑でしたか?」

「い、いいえ! そんな事はありませんよ! ええと、倉庫の奥に保管室がありますから、そこまで運べばあとは四番隊の皆がやってくれます」

「分かりました、ありがとうございます」

 

 御蔭丸はにっこりと微笑んでお礼を言うが、卯ノ花は顔を合わせられない。さっきまでぼうっとしてしまうくらい彼の事を考えていたのだ。今御蔭丸の笑顔を見てしまったら、きっと恥ずかしくなって口がきけなくなる。卯ノ花は少し赤くなって視線をそらして、どうしてそんな事を考えていたのか思い出した。

 ――そう。私が彼の事を考えていたのは、彼の笑顔があまりにも変わらないから。

 ――檻の中でも日常の中でも、同じように笑える彼は、とても(いびつ)な人に見える。

 

 卯ノ花は伏し目がちにちらりと御蔭丸をみつめる。どんな時でも全てを受け入れるような笑顔を浮かべる彼は、たった半年で険悪だった周囲の環境に溶け込んでしまった。

 半年前、元柳斎に推薦された御蔭丸は試験免除の上、特待生として入学した。学級は一組――特待生ばかりが集う、いわゆる進学学級だ。

 当然ながら、御蔭丸は歓迎されなかった。それもそうだろう、厳しい試験を突破してきた彼らにしてみれば、御蔭丸はコネで入って来ただけの貴族のボンボンにしか見えなかったからだ。

 

 本当は流魂街出身なのだが、死神統学院の制服を着れば貴族か流魂街民かなんて区別はすぐにつかない。普通なら振る舞いで分かるものだが、彼はどうしてか貴族の所作を身に付けていた。鍬を振って日々の糧を得る民のような泥臭い雰囲気もなく、一見して恐ろしいが、かなり完成された容貌を持つ男だ。同期の者――特に男から目の敵にされるのは、至極当然の成り行きだったのだ。

 ――並みの者なら、そのまま潰れてしまってもおかしくない状況でした。

 

 御蔭丸が参加した自分の授業で、あからさまに避けられていたのを目撃していた卯ノ花には、環境の重さが痛いほどよく分かっていた。本当なら声をかけるなり皆に注意を喚起するなりして手助けしてやりたかったが、元柳斎に一切の援助を禁じられていたので卯ノ花には何もできない。

 今では穏やかな気性の卯ノ花にしてみれば、困っている人を助けられないのは辛い事だ。でも、それが隊長の使命ならばと、涙を飲んで日々を過ごしていたのだが――一カ月もする頃には、御蔭丸はかなり打ち解けていた。

 

 その理由の一つとして、彼の柔らかな笑顔が挙げられるだろう。場さえ弁えれば、友好的であろうとする彼の微笑みはとても効果的だ。特に女性受けが良かったようで、この頃から彼の周りでは女性の姿が絶えないようになる。

 ……実は女性受けが良かったのは卯ノ花のおかげでもある。彼が卯ノ花に迫ったという事実が「女性なら誰でも押し倒す」という噂になり、同期の女性の間では評価が低くなっていた。しかし実際はそうではなかったので高評価に反転した、という裏がある。それを彼女が知る事は、おそらくないだろうが。

 

 それはともかくとして、一カ月で御蔭丸は同期の級友たちと話ができるくらいには溶け込んでいた。いつの間にか周りに溶け込んでいた御蔭丸に驚いたのも記憶に新しいが、卯ノ花はこの頃から、別の不安を抱くようになる。

 そう――同期の男達との関係だ。無視をされる事はなくなったようだが、彼らと御蔭丸の間には依然として大きな溝が開いている。一体どうするつもりなのだろうか――遠目から心配していると、意外な形で決着がついた。

 

 それは御蔭丸が入学して二カ月ほど経ったある日の事。その日、剣術の修練で初めての対人稽古があったらしい。そこで御蔭丸は同期の男から次々に決闘を挑まれたのだが、全て無傷で蹴散らしたそうだ。卯ノ花には良く分からないが、それがどうしてか信頼するに足る出来事だったようで、その日から御蔭丸と同期の男達は途端に仲良くなっていた。

 ――全く、喧嘩して仲良くなるなんて。

 ――男の子というのは、単純なのですね。

 

 その時ばかりは卯ノ花も微笑ましい気持ちになり、これならもう心配いらないと胸を撫で下ろした。それから数日後、たまたま死神統学院に訪れていた卯ノ花は御蔭丸の事が気になり、用事の帰りに一年一組の授業を見学させてもらった。どうやら剣術の修練をしているようで、皆汗だくになって木刀を振るっていたのだが――一か所だけ、他とは明らかに違う空気が張りつめている場所があった。

 大神御蔭丸が、修練を行っている場所だ。練習だからとある種のぬるい(・・・)空気が漂う中で、そこだけに息がつまりそうな霊圧が吹き荒れている。

 

 ――なんて、霊圧……。

 その霊圧は隊長である卯ノ花でさえ驚愕に値するものだった。御蔭丸の霊力が他よりも突出したものであるのは周知の事実だが、卯ノ花が驚いたのはそこじゃない。思わず目を見張ってしまうくらい注目するのは、御蔭丸の霊圧の()だ。

 御蔭丸の霊圧は、ともすれば霊圧である事を忘れてしまうほどに揺らぎが無い。霊圧は精神状態によって強くなったり弱くなったりするが、彼の霊圧はあまりにも静かに凪いでいた。

 

 そのブレのない霊圧は冷えた玉鋼(たまはがね)のようで、御蔭丸の前に立つだけで全身に刃を突きつけられているが如き重圧にさらされる。そうやって動きが鈍くなったところに、明らかに素人ではない動きで木刀を弾き飛ばされるのだ。なまじその一刀を受けたとしても、二撃目までは耐えられない。剣術の修練が始まってから、御蔭丸は一度も敗けた事がなかった。

 

 そんな御蔭丸の修練の様子を見て、卯ノ花は知らず身震い(・・・)する。二カ月の間で少しは分かって来たと思っていた御蔭丸が、一層分からない存在になったからだ。

 例えば今の剣技にしても、一朝一夕で身に付くものじゃない。何千と繰り返されて完成された玄人の業だ。仮に御蔭丸が天才であったとしても、熟練した業というのは才能だけでは決して振るえない。

 

 ――そして、何よりもあの表情。

 ――全てを受け入れる笑みではない、「殺す者」としての貌。

 ――あれは……幾重もの修羅場で地獄を造り上げた悪鬼そのもの――

 こうして傍目で見るだけでも、御蔭丸のその貌は強く心に焼き付けられる。慈悲の笑顔ではなく、殺意で塗り固められた無表情。細く閉ざされ紅い光を漏らす炯眼は、眼前に立った敵を一切の躊躇なく切り捨てる残忍さを孕んでいた。

 

 卯ノ花はその時ほど、御蔭丸を恐ろしく思った事はない。だがそう思うと同時に、最初の印象をやけに強く思い出していた。

 ――確かに彼は恐ろしい。あれ程の殺意は、並みの者には決して出せない。

 ――だからきっと、裏がある。私の知らない過去で彼は何かを捨ててしまっている。

 ――戦って殺す。その為に彼は、人として決定的な何かを捨ててしまったのだ。

 ――でも。それは何もかもを失って泣き喚く、儚い少年のようにも見えて――

 

 暫しの回想を終え、卯ノ花は再び隣を歩く御蔭丸を見つめる。涼しいそうに笑いながら薬草を運ぶ彼には、修練の時のような悪辣さは一片も見当たらない。柔らかく優しげで、とても誰かを傷つけるようには見えない。

 だけど、もしも誰かと真剣に戦う様な事があれば、彼は迷わず殺すだろう。それこそ欠片の慈悲も見せず、悪逆無道の鬼の如く。

 ――私は、そうなってほしくないと思っている。

 

 ふと頭の中にそんな考えを浮かべて、卯ノ花はすぐに首を振って打ち消した。隊長である自分が、まだ死神でもない彼にそこまで入れ込むわけにはいかない。他の院生と同じように、一生徒として平等に接するべきだと自分を戒める。例え彼がいかに歪な人間であったとしても――卯ノ花はまだ、御蔭丸の全てを知っているわけではないのだから。

 ――でも、彼には鬼道と治癒の才能があるのだし。

 ――四番隊への勧誘くらいなら、問題ないでしょう。

 

 卯ノ花は無意識に、御蔭丸の横顔を見ながら頬を染める。彼女の知らない所で御蔭丸は静かに、しかし確実に、卯ノ花の心へ入り込んでいた。

 

 

 

   φ

 

 

 

「お疲れ様です、大神さん。お手伝いいただきありがとうございました」

「いえいえ、日頃の御教授のお礼ですよ、卯ノ花先生。では、僕はこれで失礼します」

 

 薬草の運搬は二時間ほどで終わった。お互いに頭を下げて卯ノ花と別れ、御蔭丸は死神統学院の寮へ足を向ける。

 総合救護詰所から一歩踏み出すと、白い地面に草履(ぞうり)が埋まった。足袋(たび)に染みる冷たい感触に空を見上げれば、白い雪が蒲公英(たんぽぽ)の綿毛のようにゆっくりと風に押されている。作業の終わり頃の十分はずっと倉庫の中にいたので、その間に雪が降り始めていたようだ。

 

「雪か……雨には劣るが、こいつも中々風流なもんだ」

 

 うっすらと目を切れさせて呟くと、肩にかけていた厚手の制服に袖を通す。動きっぱなしだったから多少身体も火照っているが、流石に雪が降る寒さには耐えられない。しんしんと景色が白く塗りつぶされていくのを遠く眺めながら、御蔭丸は瀞霊廷(せいれいてい)の街並みをゆっくりと進んでいく。

 正午を少し過ぎた時間帯だからか、周りには多くの住人が行き交っていた。見るからに上質な衣服を纏う貴族や年老いた職人、粉雪にはしゃぐ子供など。中には休暇を満喫する死神らしき姿も見える。

 

 そんな住人達の中で御蔭丸は結構目立っている。顔立ちや雰囲気もそうだが、単純に背が周りより高いので自然と目につくのだ。だから丁度雑貨屋から出てきた人影はすぐに御蔭丸に気付き、少し大きめに声を張り上げた。

 

「おーい! 御蔭丸!」

「おや? その声は、アシドさんですか?」

 

 自分を呼ぶ声に気付いて振り返ると、先に帰ったはずのアシドが居た。何かを買い込んでいたのか、手に大きな風呂敷をぶら下げている。御蔭丸が近づくとアシドは風呂敷を肩に担いで、反対側の手で挨拶した。

 

「こんな所で奇遇だな」

「それはこちらの台詞でございます。先に帰るとおっしゃっておりましたのに、どうして雑貨屋にいらしたのですか?」

「いや、まあ、ちょっとな……それより御蔭丸。お前、昼はもう食ったのか?」

「いえ、今まで四番隊の仕事の手伝いをしておりましたので、昼餉はまだですが」

「そうか、なら一緒に食べよう。美味い店を知っているんだ」

「……いいですよ。付き合いましょう」

 

 あからさまな話題転換に何かあるなと思いつつも、御蔭丸は快諾する。アシドに連れられて歩いて行くと、こじんまりとした食堂に案内された。入り口の暖簾(のれん)に達筆な文字で書かれているのは「射場ちゃん屋」……なぜか、名前と敬称が致命的な小競り合いをしている印象の店名だ。

 中に入ってみると、食堂らしい雑多だがいい匂いが溢れている。あまり年期が入っていない真新しい店内を見回していると、細長い客席で仕切られた調理場の奥から迫力のある声が響いてきた。

 

「おう、いらっしゃい!」

「邪魔をする、射場のばあさん」

(だーれ)がババアじゃ馬鹿たれ! あん? なんじゃ、アシドのくそ坊主か」

「相変わらず口が悪いな」

「あんたぁ腹の立つ事ばっかりいやがる(言う)からじゃろが! やいと(お灸)しにゃあわからんか! あとわちゃあお姉さん呼べと何回言やぁ分かるんじゃ!」

 

 アシドがそうからかうと、調理場の奥からお玉がすごい勢いで飛んでくる。アシドは片手で余裕の白刃取りするのだが、遠心力で動いたお玉の先端が頭に当たると、「ぐうっ!?」と呻きをもらしてうずくまった。どうやら、元柳斎に殴られた場所へ見事に命中したらしい。

 その一連のやり取りに御蔭丸がびっくりして見ていると、声の主が調理場の奥からやってくる。ズカズカと豪快な音を立ててやってきたのは、割烹着姿の一見して極妻のような強烈な女性だった。

 

 紫がかった紅色に光る黒い髪を全てかきあげて(かんざし)一つで止めている。眉間にしわと青筋を浮かべる豪胆な表情に化粧っ気はなく、鋭い眼光は無意識に委縮してしまうくらいに強い。容姿はおばさんとお姉さんの中間くらいで、人によって意見は分かれるだろうが、少なくとも「ちゃん」をつけて呼べるような女性ではない。そんな彼女の胸元には、「射場ちゃん屋」の文字がデカデカと書かれていた。

 射場は棒立ちになっている御蔭丸を完全に無視してうずくまってるアシドに追い打ちをかける。ヘラを投げるわ(はし)を投げるわの大激怒だ。

 

よいよ(全く)、あんたぁわちにかばち(文句)をたれに来たんけぇ? なら(はよ)う去ねやっ!!」

「す、すまん、射場のばあさん。俺はそんなつもりじゃ」

「ババアゆうな!」

「わ、分かった分かった。射場……さん」

 

 まるで猛禽(もうきん)類の雌を相手取っているようだ。アシドの情けない姿に、御蔭丸は苦笑いするしかない。

 ――普段はこんな奴じゃないんだがなあ。

 ――もしかしたら、今日はアシドの厄日なのかもしれん。

 「見なかった事にしよう」と乾いた笑いをもらしていると、射場はようやく御蔭丸の存在に気付いた。射場は御蔭丸の普通と違う特異な風貌に、あからさまに不審がってじろじろねめつける。

 

「何じゃおどりゃあ、客か? 随分まあおっけぇ(でかい)し、いびげ(変な)ふうたれ(格好)しとるわぁ…… おいアシド! あんたの知り合いか?」

「ああ、そいつは御蔭丸って言うんだ。俺の同期で友人だよ」

「ほぅー、あんたの友達(ダチ)か!」

「どうも初めまして、大神御蔭丸と申します」

 

 薄く笑って挨拶すると、今度は興味深そうにねめつけた。それからやっと立ち上がったアシドと交互に見比べて、にんまりと人の悪い笑顔を浮かべて盛大に吹き出す。

 

「アッハッハッハ! よく見りゃおどりゃあアシドのくそ坊主より何倍もできとんのぉ! それに比べてこのくそ坊主ときたら無愛想でちいと(少し)も笑わんけぇ、浮いた話の一つもありゃーせん! わちゃあそれが心配で心配でたまらんのじゃ!」

「俺の事なんてどうでもいいだろう! それより射場さん、お好み焼き二つだ。お前もそれでいいだろう?」

「ええ、構いませんよ」

 

 大笑いする射場にガアッと吠えるアシドは、さっさと切り上げた方がいいと思ったのか強引に注文をつけた。初めての店であるし、別に断る理由もなかったので御蔭丸もそれにならう。

 

「お好み焼き二つか、任しとけ! おどれらは好きなところに座るがええよ、今日はぶちさぶい(とても寒い)けぇ、たいぎい(難儀)して来る奴もおらんのじゃあ」

 

 射場は腕まくりして獰猛に笑うと調理場の奥へ消えていった。好きな席に座れと言われたが、アシドはもうどこに座るか決めていたようで、御蔭丸はアシドに連れられて店の奥の席に腰を下ろす。料理が来るまで無言で過ごすのも何なので、御蔭丸はアシドの横を占領する大きな風呂敷について尋ねてみた。

 

「それでアシドさん、その大きな風呂敷は一体何なのでしょうか?」

「ああ、これか。いや、やっぱり今日の試験結果が応えてな。自分なりに鬼道の使い方を探ってみようと手当たり次第に教本を集めていたら、いつの間にかこんな量になってしまったんだ」

「へえ……いくつか拝見させてもらってもよろしいですか?」

「ああ、いいぞ」

 

 アシドは風呂敷を食卓の上にあげて荷を解いた。真新しい物からかなり劣化した物まで多くの本が入っている。新品の墨の匂いと古い独特の匂いが混ざり合うその中から、御蔭丸は特に古い物と新しい物の二冊をとって読み始めた。

 ――…………ああ、これは……

 ――……役に立たちそうにないな……

 しばらく読み進めていたが、内容をある程度把握したところで御蔭丸は本を閉じる。そして真面目な表情で一息つくと、本を置いてアシドに告げた。

 

「アシドさん……僕はここにある全ての本を読んでいませんからあくまで推測でしかありませんが、おそらくこれらは貴方の役には立たないと思います」

「なっ……ど、どうしてだ? これだけあるなら一つくらい、俺に合った鬼道の手引きがあるはずだろう?」

「いいえ、多分ないでしょう。こちらにある本は全て教本、つまり死神統学院で過去に扱っていた物です。ですから内容はほとんど刷新されておりません。今古い物と新しい物を読み比べてみましたが、効率が悪い教えが良い教えに変わった以外、目新しい物はありませんでした」

 

 アシドは慌てて中身を確認するが、死神統学院で配布されている教本との違いを見つけられず愕然とする。手当たり次第に開いては閉じる作業を繰り返すアシドを見て御蔭丸はため息をついた。

 

「全く、貴方という人は……内容の確認くらい、購入する前にしなかったのですか? これらがその道の方が執筆された学術書であれば専門性は強いですが、まだためになったでしょうに」

「いや……その、学術書は高くてな……その点この教本は、安かったから……」

「……つまり、値段につられたんですね?」

「……面目ない……」

「ハア……今日の貴方は厄が付き過ぎです。あまり大事をなさらない方がよろしいですよ」

 

 最後の本を閉じたアシドは消沈してうつむいた。

 ――落ち込むのは当然か。

 安いとはいえ、大量に買った物がほとんど役に立たないと知った時の気持ちは分からなくもない。しかし、このままアシドを放っておくわけにもいかないだろう。

 ――さて、どうしたものかな。

 アシドの失敗をいたみながら御蔭丸がそう思っていると、食卓の上にあった本の山が突然吹き飛んだ。それにびっくりする間もなく、目の前に香ばしい匂いのお好み焼きが乱暴に置かれる。

 

「ほれ、お好み焼きじゃ! 熱いうちに食え!」

「……とりあえず、食べましょうか。この本をどうするかは、それからでも遅くはないでしょう」

「……そうだな……」

 

 食事でもすれば落ち着くだろうという御蔭丸の提案に、アシドは意気消沈したまま頷く。下に落ちたままの本はアシドの心情を表すように、虚しく積み上がっていた。

 

 

 

   φ

 

 

 

 「射場ちゃん」で出されるお好み焼きは一言で言えば広島風だ。一見して平たい生地の間には大量の甘藍(キャベツ)蕎麦(そば)がぎっちり詰まっていて、蕎麦の香りと調味料の甘辛い匂いがからみあって鼻腔をくすぐってくる。立ちのぼる香ばしさにつられてヘラで切り開けば、とろりと流れる半熟の卵が何とも言えず食欲を刺激して、誰でもすぐにかぶりつくだろう。アツアツのそれを口に運べば蕎麦の感触や甘藍の甘さ、卵の熱さと薄切り豚肉の味が一気に爆発して「美味い!」と絶賛する事間違いなしだ。

 

 御蔭丸もその例にもれず、口に運んだ途端に「射場ちゃん」のお好み焼きに惚れ込んでしまった。絶賛の声を上げる事すら惜しいと言わんばかりに咀嚼(そしゃく)する御蔭丸に満足しながら、アシドもまた一心不乱に食らいついていた。互いに言葉も交わさず食べ続け、ようやく箸を休める余裕ができたのは残り四分の一になった頃だった。

 

「ふう……本当に美味しいですね、ここのお好み焼きは。恥ずかしながら、つい食事に耽ってしまいました。アシドさんはいいお店を知っているのですね」

「ふっ、まあな。実は、ここの店主とは流魂街に居た頃からの知り合いでな。俺がガキの頃にいなくなったからどうしているかと思えば、こんなところで食堂なんて開いていたんだ」

「成程……それはさぞかし、驚きに満ちた再会だったのでしょうね」

「そうだな……驚きというよりは、かなり痛い再会だった。つい昔の勢いでクソババア呼ばわりしてしまって、泣いてもまだ殴られたよ」

 

 御蔭丸にそう言ってアシドは昔を懐かしむ。

 ――あの頃は互いに互いが大嫌いで、まさに犬猿の仲だったな。

 ――それでもいなくなったらいなくなったで、とても寂しい思いをした。

 遠い過去を思い浮かべていると、こちらを見てニコニコと――いや、ニヤニヤと笑う御蔭丸に気付く。口には出さないが、意地悪く笑う表情はアシドの過去を面白がっているとはっきり物語っていた。それで急に気恥ずかしくなり、咳払いをして無理矢理ごまかす。

 

「ま、まあそれはいいんだ。それより、この役に立たない本の山をどうするべきか、相談に乗ってくれないか?」

「ええ、いいですよ」

 

 了承しながら御蔭丸はクスクス笑う。この男はいつも笑顔でいるが、それにも種類がある事に気付いたのは最近だ。目に見えて悲しげだったり、笑っているのに笑っていなかったり、今のように人が悪かったりと様々な笑顔を持っている。

 ――最初は気概も誇りもない軟弱な男だと思っていたが。

 過去へ自分を押し戻していたアシドは、現実へ引き戻すついでに御蔭丸との対面した場面を思い起こした。

 

 それは春も過ぎ、夏が始まり出した頃。涼を欲する身体に容赦なく突き刺さる日光と、キンキンつんざく蝉の声に皆が辟易(へきえき)していた時に、御蔭丸はやって来た。

 それなりに噂は流れていた。こんな時期外れの入学なんて滅多に起こる事じゃないし、生徒の多くが特権階級狙いで死神を目指す娯楽の少ない統学院では、たった一人の噂話が暇潰しの種となっていたからだ。アシドはそんな中で早くから死神としての誇りを持っていたから興味は無かったのだが、友人との付き合いで話だけは聞いていた。

 

 曰く、女なら誰でも襲い掛かる性豪。

 曰く、既に席官級の実力を持った猛者。

 曰く、何かしらのコネで入って来ただけの腑抜け。

 曰く、常に意味不明な事を叫びながら笑う狂人。

 曰く、ただの同性愛者。

 曰く――たった一人で大虚を斃した怪物。

 

 信憑性があると錯覚できる情報から眉唾物まで様々だが、半数以上がその男の「強さ」に関する話だ。噂は信じない性質(たち)のアシドも、一度目にしてみたいと思うくらいに興味を持っていたが――初めて御蔭丸を見た時、アシドは落胆しかしなかった。

 確かに御蔭丸は噂以上の姿をしていた。切れ長の紅い眼に白い肌と白髪の大男――鬼のような恐ろしいその風貌は、それだけで強いと思わせる力があった。しかし、あろう事かその男はなんとも腑抜けた薄ら笑いを浮かべたのだ。

 

 繰り返し言うが、統学院に入学する生徒の多くは死神の特権階級を目指している。そして統学院を卒業したからと言って必ず死神になれるわけではない。だから敵は少ない方が良いと言わんばかりに統学院内で同期を蹴落とそうとする動きもあり、そんな中であからさまに仲良くしようとする御蔭丸は異質だったのだ。入学試験免除や元柳斎直々の推薦という肩書きも、御蔭丸を敵視する理由に拍車をかけていた。

 

 ――早々に興味を失った俺は詳しく知らないが、御蔭丸にとって始めの一カ月はかなり辛かっただろうな。

 今から思い返してみれば、御蔭丸は相当な重圧を感じていたはずだ。同期からも無視され、ひどく悲惨だっただろうに、この男は健気に笑い続けて、最後には信頼を勝ち取っていた。仲良くなったのは女学生がほとんどで男からは全然信用されてなかったが、それでも十分称賛に値する。

 ――それでもこの時はまだ、関わろうとは思わなかったんだがな。

 

 たかだか一カ月で周囲との溝を埋められる御蔭丸の手腕を、アシドは素直に感心していた。でも、それだけでは御蔭丸と仲良くしようとは思わない。

 ――所詮は口先だけの男だ。

 ――死神を目指すなら、持って生まれた力を示すべきだろう。

 対人稽古が始まったのは、丁度そんな風に考えていた頃だ。転入生の事などとうに忘れていたアシドは、自分の考えを実践しようと力の限りを見せつけて――抵抗すら許されず、御蔭丸に完膚なきまでに叩き潰された。

 

 ――最初は、敗けたのが信じられなかった。

 木刀を弾き飛ばされ、喉元に切先が向けられた時、アシドはまぐれ(・・・)だと思い込んだ。本気でやれば、俺がこいつに敗ける筈がないと。

 そうして二度敗け、三度敗け、その数が十に達した頃にようやく悟ったのだ。笑顔の消えた鬼のような相貌は、決して見かけ倒しではない。分不相応に見えた肩書きも、大神御蔭丸という男に相応しい物だ。そう納得してしまえる程、御蔭丸は凄まじい「強さ」を誇っていた。

 

 それからはアシドの行動の焼き増しだ。他の男も御蔭丸に敗れ、それを受け入れられずに敗れ続け、敗北の末に御蔭丸の「強さ」を理解する。そして魅せられるのだ――御蔭丸の他を寄せ付けぬ、圧倒的な「強さ」に。

 それからはもうなし崩しだった。剣で勝てないなら食事でと言わんばかりに、同期の宴会に誘われた御蔭丸は大量の飯を奢られていた。見るだけでお腹いっぱいになりそうな山盛りの飯を涼しい笑顔で食べ続ける御蔭丸に戦慄し、互いに酒を注ぎ合って飲み明かして、気が付けば御蔭丸に対する負の感情などきれいさっぱり消え失せていた。

 

 今では同期からも死神からも一目置かれる期待の星となった御蔭丸。彼の友人という立ち位置におさまっているアシドにとって、御蔭丸は超えるべき目標であり、苦手な鬼道の師の一人であり、共に切磋琢磨する仲間であり――そして誰にも代えられない、唯一無二の親友だ。

 ――いずれ必ず、追いついてみせるさ。

 そう思ってキザに鼻を鳴らしたその時、急にぞくりと背筋が震える。おそるおそる顔を上げれば、御蔭丸が笑ったままジト目で見ていた。

 

「アシドさん? 貴方今、僕の話を聞いていませんでしたね?」

「い、いや……すまん、少し考え事をしててな……」

「ふう……まあ、いいでしょう。では始めから話しますから、今度はきちんと聞いてくださいね」

「ああ、分かった」

 

 御蔭丸はやれやれと一息ついて、手に持っていたアシドの教本を几帳面に積み上げる。それを風呂敷で包んでアシドの前に差し出すと、はっきりした口調で話し始めた。

 瀞霊廷の昼下がり。死神にならんとする彼らの時間は、そうして静かに過ぎていく。

 

 

 

   φ

 

 

 

 浅い雪に覆われた瀞霊廷の光景が、眩しくも美しい黄昏(たそがれ)の光で満ちている。昼間の曇天は雪を出し切ったせいか千切れた雲がところどころに残るだけで、この分なら明日は快晴になるだろうと予想できる空模様になっていた。

 「射場ちゃん屋」で食事をした後、使えない教本をどうするのかを話し続けていた二人は、そのまま鬼道のコツや戦い方にまで話が発展してしまい、最後には店に居座り過ぎて激怒した射場に追い出される形で話を終えた。特にする事もないので、今は寮への帰り道を二人並んで歩いている。

 

 話しているのは統学院での出来事や他愛もない四方山(よもやま)話。とるに足らない日常の一片を少しずつ削りながら、彼らは日々を過ごしていく。

 ――ふと、御蔭丸は立ち止まり、何となしに後ろを向いた。遠くにそびえ立つ双殛(そうきょく)の丘は黄昏の日輪を隠し、暗澹な様相となっている。晴れ渡った空の下にある光景に少しだけ不快気に目をつむり、彼は音もなく歩を進める。

 裁きの丘は光に塗れる。本来は闇の底にある罪人達の処刑場が日輪の下にあるのが、どうしようもなく腹立たしかった。

 




原作より七四九年前の出来事。
突っ込まれそうな作中の捕捉説明。
作中のお好み焼きは現代の広島風お好み焼きをイメージしておりますが、現代の広島風お好み焼きは戦後に確立したものです。作中の年代に同じ物は存在しませんが、そもそも尸魂界自体が現世と違う文化・歴史を持っておりますので、フィクションの類である事をここに明記させていただきます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。