BLEACH Fragments of Remnant   作:ヴァニタス

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過ぎる季節は猫又のように

 (てん)()(へい)(そう)(ばん)()(ほう)(いん)家。

 正一位の称号を持つ五大貴族の一角にして、栄誉ある要職を請け負う名家。

 天賜兵装番とはその名の通り、『天より与え(たま)われた』と称される絶大の霊具・“天賜兵装”を守護する御役目だ。四楓院家が所有する兵装の数々は尸魂界に二つとなく、この上なく貴重なものばかりである。

 また四楓院家は白打最強と謳われる家柄であり、その当主は代々隠密機動の総司令官を務めている。故に隠密機動は尸魂界の暗部であると同時に四楓院家との結びつきが非常に強い。

 守護者であり、番人であり、執行者。尸魂界になくてはならない存在――それが四楓院家だ。

 

 御蔭丸の四楓院家に対する認識は、おおよそこんなものだろう。多くの死神とって四楓院家とは天上の存在であり、彼もまた例外ではなかった。貴族でもない流魂街出身の者が上級貴族と縁があるわけもなく、関わらないのだからわざわざ調べたりもしない。

 そんな多くの死神の一人であった御蔭丸は今――四楓院家の御令嬢直々の命令によって、教育係を務める事になってしまっていた。

 

「……どうしてこうなった」

「ん? 何か言ったか?」

「いえ、何でもございませんよ」

「そうなのか? おかしいのう、儂には「どうしてこうなった」と聞こえたような気がしたんじゃが、な?」

「……人が悪いですね、四楓院様」

 

 ニヤリと笑う夜一に御蔭丸は困り顔で笑う。夜一の言葉に周囲の隠密機動が一斉に睨んでくるが、いちいち気にしてはいられない。簀巻きのままなのも、気にする必要はないだろう。

 

「よ、夜一様。やはりこのような下賤の(やから)に貴女様の教育係は務まりません。何卒(なにとぞ)、もう一度御考え直し下され」

「ジイは相変わらずうるさいのう……儂が良いと言ったら良いのじゃ! それに考え直せと言うのなら、まず音を上げて逃げ出さぬ奴を連れてこんか!」

「い、いや、それは確かにそうなのですが、不羈(ふき)奔放(ほんぽう)の夜一様についていける者は早々おりません……しかしこの者に務まるとも思えないのですが……」

 

 汗を拭きながら宥める家令は、チラリと御蔭丸を見る。苦労しているのだろう、しわの重なった垂れ目から、何とかしてくれという視線が伺えた。

 御蔭丸は静かに微笑む。既に教育係になる事を了承している以上、それは覆せないかも知れない。けれど夜一の更に上の方まで話が通るかどうかは別だ。

 

「時に四楓院様。先に述べたとおり教育係になる事に異存はありません。しかしそうなる以上、四楓院家当主様に挨拶をしないのは大変な無礼に当たるでしょう。

 ですから僕としてはまずそちらを優先したいのですが、話は通っているのでしょうか?」

「そ、そうですぞ夜一様! このような勝手な真似、御館様や先代様がお知りになれば反対なされるに決まっております!」

「ふーむ、そうかのう? ジイはそう思うのか?」

「当然でありましょう! そもそもこの輩は先日瀞霊廷を騒がせた張本人ではありませんか!

 虚との内通及び結託の罪による投獄に始まり、元滅却師であった経歴の隠匿、アルヴァニクス・エヌマニュエル討伐の虚偽、果ては第四地下監獄“叫喚”の破壊まで!

 その所業、枚挙に(いとま)がありませぬ! 夜一様とて隠密機動すら打撃を受けたこの者の一件、知らぬ筈がないでしょうに!」

「確かにのう。そのような罪人を教育係にしたとなれば、御父様も御爺様も黙ってはおるまいて」

「その通りです! ですから一旦この話は無しにして、教育係の件については改めて――」

「じゃから先に許可は貰っておいたぞ。ほれ、これがその証じゃ」

 

 力説する家令に悩むようなそぶりを見せていた夜一は、一転意地の悪い笑みを浮かべて懐から畳まれた紙を二枚取り出した。家令はぽかんとした後、無造作に投げられたそれを慌てて受け取り、中身を確認して驚きに固まる。

 

「こ、これは……ま、間違いなく御館様の実印……!」

「うむ。御父様にこやつを教育係にしたいとねだった時にな、一週間ほどしてから判子をくれたぞ。『罪人を知るには良い機会だ』と言っておったな」

「そ、そんな馬鹿な……先代様まで……!」

「御爺様は事情を話したら大爆笑してな、いの一番に判子を押してくれたぞ! いやー、持つべきは理解のある肉親じゃな!」

 

 猫のように快活に、夜一は少女らしい笑みを浮かべる。多少大人びてはいるが根はやはり子供のようだ。今にも倒れそうな家令を見れば、(ずる)賢いともとれるだろうが。

 

「どうじゃ? これで文句はないじゃろう!」

「い、いや……しかし……ですが……」

「御蔭丸、おぬしはどうじゃ?」

「四楓院家の御方々が承諾なさっているのであれば、僕に依存はありません。どうぞこれからよろしくお願いします、四楓院様」

「苗字で呼ぶのは止めんか。照れるじゃろう」

「これは失礼いたしました。では僭越ながら、夜一様とお呼びさせていただきます」

「うむ!」

 

 真顔で言い返す彼女に御蔭丸が笑ってそう言うと、夜一は満足そうに腕を組んだ。ようやく立ち直った家令は何か言いたそうにしていたが、口ひげをもごもごと動かすだけだった。

 教育係というのはある程度無礼を許されているか、それなりの権限があるのかもしれない。あとですり合わせておこうと御蔭丸が考えていると、悪い事を思いついた顔の夜一と眼があった。

 

「さて、これでおぬしは正式に儂の教育係となったわけじゃが……早速最初の仕事を与えるぞ!」

「それは構いませんが、先にこれを解いてくれませんか?」

「何を言っておる! 簀巻きでなければ仕事にならんではないか!」

「簀巻きが仕事になるのは罪人だけですよ」

「おぬしは罪人じゃろう!」

「元・罪人にございます。四楓院様」

 

 「苗字で呼ぶな」、と夜一はもう一度真顔で言い返した。それもすぐに引っ込み、悪い顔でニヤつく彼女に御蔭丸はこれから起こる事を察する。

 

「なぁに、儂の瞬歩を見切ったおぬしなら簀巻きでも簡単じゃよ。今から逃げる儂を捕まえるだけでいいんじゃからな!」

「なっ!?」

 

 その言葉に反応したのは家令だった。家令が驚きで固まった瞬間、夜一は瞬歩で部屋から外の木の枝に移動する。

 

「ふははははははははは! 御蔭丸、おぬしが本当に儂の瞬歩を見切れるのなら捕まえてみよ! 出来なかったらクビじゃからな!」

「よ、夜一様――――っ!!!」

 

 腕を組んで楽しそうに言ってから夜一は消え、後には家令の叫び声が虚しく響いた。周囲の隠密機動はどよどよと互いに目配せするばかりで動こうとしない。

 ――俺の監視を優先するべきか、夜一様の追跡を優先するべきか。

 ――どちらを取るか迷っているという所か。

 御蔭丸がそう考えている間に家令はハッとして隠密機動に命令した。その場にいた四楓院家の家紋がついた特殊装束の者が頷き、瞬歩で消える。残りの者は隠れている可能性を考慮して屋敷中を探すようだ。

 そんな一連の流れを眺めていた御蔭丸は、止まらない脂汗を拭く家令に馬鹿のように尋ねる。

 

「あのー、僕も探しに行った方がよろしいでしょうか?」

「あ、当たり前だっ! 元はと言えば貴様のせいで夜一様の悪い癖がっ!

 ええいさっさと行け! 見つけられなかったらクビで済むと思うな!!」

「畏まりました」

 

 怒鳴りつける家令に首だけ下げて、御蔭丸は簀巻きのまま瞬歩を使って追いかける。

 そして三分とたたないうちに、ふくれっ面の夜一と共に戻ってきた。屋敷を探していた隠密機動は再びどよどよと騒ぎだし、家令はぽかんと口を開ける。

 

「仕事は果たしました。ですが教育係を(つかまつ)る以上、これだけではないのでしょう?

 ですから仕事内容を教えていただきたいのですが――よろしいでしょうか」

 

 困惑する周りを余所に御蔭丸は穏やかに言い――慈母のような微笑みで、紅い瞳を静かに細めた。

 簀巻きのままで。

 

 

 

 四楓院夜一とはどのような人物か。御蔭丸がそう聞かれれば、次のように答える。

 

「そうですね。まず、じっとするのが苦手な御方です。誰かをからかうのが好きで、暇があれば屋敷をうろついて悪戯(いたずら)を仕掛けていますね。

 それとかなりの健啖家であらせられます。清乃の塩大福を特に好まれ、昼の軽食に二、三十個ほど召し上がられます。

 あとは気分屋と申しますか、実に自由奔放な御方です。時折屋敷を飛び出されては瀞霊廷中を駆け回っておられますが、時には流魂街まで脚を運ばれているようです。

 ああ、かなりの負けず嫌いでもありますね。僕を教育係に任命されたのも、街中で瞬歩を見切られたのが発端のようですから。おかげで何かと勝負事を挑まれる毎日でございます。

 夜一様は端的に言うなら猫のような御方です。我侭で、気分屋で、窮屈を嫌い、自由を愛する――そんな、とても教育し甲斐(がい)のある御方ですよ」

 

 御蔭丸は夜一の内面をこう評価し、外見に関しては語るべくもないと考えている。

 柔らかく撫で心地のよさそうな黒髪は可愛らしくハネている。野性の美しさを湛える褐色の肌は健康的に艶やかで、子供らしい大きな瞳はいつも楽しげに輝いている。口元から覗く八重歯は快活な笑顔にも意地悪な笑顔にもよく似合っていた。

 きっと将来は大変な美人になるだろう。色眼鏡を抜きにした御蔭丸の率直な感想である。ちなみに話し相手は卯ノ花であり、話がこの辺りに差しかかったところで非常に怖い笑顔を咲かせていた。御蔭丸はそれが一週間忘れられなかったという。

 

 それはさておき、夜一の教育係として日々を過ごす御蔭丸であるが、教育係としての仕事はあまり多くない。半分は逃亡する夜一の確保であり、残りの何割かは教育係というより遊び相手になっていた。

 素行のあまりよろしくない夜一であるが、貴族としての品格がないわけではない。むしろそこらの貴族より振る舞いは貴族らしく、教養も一定以上に培っている。

 いわゆる天才肌というもので、これまで夜一の教育係を務めてきた者達はみんな匙を投げたらしい。そもそも教育するべきところがなく、肝心の自由奔放さは誰の手にも負えななかったのだ。

 夜一もその辺りは分かっているので、日頃から教育係など必要ないと言いふらしていた。しかしつけないわけにはいかず、かといって務まる者もおらず、家令は実に苦労していたらしい。

 そんな折に夜一自身が指名したのが御蔭丸である。理由は先程御蔭丸も言った通り――子供らしい、負けず嫌いによるものだ。

 

 ある日の事。

 いつものように屋敷内の一室で夜一は御蔭丸の講義を受けていた。内容は尸魂界の歴史や四楓院家の務めから戦闘理論に至るまで様々である。最初に夜一の知識を確認している御蔭丸は詰め込まない程度に講義を進めるが、退屈なものは退屈なのだろう。

 欠伸(あくび)の絶えない夜一は、いつものように悪戯を思いついた笑みで御蔭丸に話しかける。

 

「のう、御蔭丸センセー。前々から気になっておった事が一つあるのじゃが、聞いてもいいかの?」

「何でしょう、夜一様」

「おぬしのその髪飾りなんじゃが、女物じゃろう。正直言って全く似合っておらん。なのに何故つけておるのじゃ?」

「ああ、これは形見なんですよ。肌身離さず持っていたいので、こうしてつけているのです」

「なんじゃ、形見なのか。残念じゃのー、今日はそれを取れるか取れまいかの勝負をしたかったのじゃがな」

 

 夜一は笑顔をつまらなげに変えて机に突っ伏す。御蔭丸はそれを見て「ふむ」と顎に手を添えて、少し考えた後夜一に告げた。

 

「別に構いませんよ。今日は僕の髪留めを取れるかどうかを勝負事に致しましょうか」

「んん? 良いのか? 形見と云うからには大事なのじゃろう?」

「ええ、勿論大事です。手放すつもりはございません。

 つまりはそういう事ですよ、夜一様。如何に夜一様とはいえ、僕の髪留めを取る事は出来ません。これはその自信の表れなのでございます」

「……ほぅ?」

 

 少女には似合わない猛禽のような笑みを刻んで、夜一はこめかみに青筋を立てる。負けず嫌いの夜一だ、こんな風に舐められた態度を取ると非常に怒る。

 霊圧すら伴う怒りを御蔭丸は笑顔で流して「ただし」と人差し指を立てた。

 

機会(チャンス)は一分に一度きりです。待っている間は席を離れたり罠を仕掛けるのも許可しますが、部屋から出ない事、話はきちんと聞く事が条件です」

「儂ばかり有利に見えるが、舐めておるのか、ん? 舐めておるのじゃろうおぬし」

「最後には簡易的な試験をしますから、不合格になれば勿論夜一様の負けです。ルールは以上でよろしいですね?」

「良かろう。今度こそ吠え面をかかせてくれる!」

 

 子供らしい直情的な動きを軽くいなして御蔭丸は講義を続ける。その間部屋中を駆け回ったり棚の上で唸ったりする夜一は、実に猫らしく見えていた。

 ……なお、監視している隠密機動がこれを報告する事を考え、憂鬱な気分になっていたのは誰も知らない。

 

 

 

 またある日の事。

 夜一は御蔭丸と家令を伴い、昼下がりの瀞霊廷を歩いていた。

 

「ぶはーっ! やはり清乃の塩大福は最高じゃのう!」

「よ、夜一様! なんとはしたない声を!」

「そうですよ、夜一様。もっと上品にご賞味ください」

「カッ! うるさい男連中じゃのう! 菓子くらい儂の好きなように食べさせんか!」

 

 左右から(たしな)める男二人に憮然と言い返し、夜一は桐箱から塩大福を数個まとめて掴んで一気に頬張る。「ああ!」と悲鳴を上げる家令を無視して、もっちゃもっちゃと幸せそうに口を動かしていた。

 御蔭丸は微笑ましく見守りながら、夜一のために日傘を差している。空いている片手は鬼道の術式を巡らせて、万が一喉に詰まらせた時に対応できるようにしていた。

 ――まあ、いらない心配だがな。

 頬や額に餡子がついている夜一だが、振袖は一切汚していない。大福の餅とり粉さえ零さず器用に食べている。御蔭丸がそう思うのも仕方ない事だ。

 家令は夜一の行動に恐々としながら顔についた餡子を拭おうとしていた。しかし逃げ回る夜一を捕まえる事は出来ないようだ。

 結局夜一は塩大福を食べ終わるまで逃げ切った。疲れて壁にもたれる家令を余所に、御蔭丸は竹筒に入った水を渡す。

 

「どうぞ、夜一様」

「おっ、気が利くのう」

 

 受け取った夜一は直に口をつけて豪快に飲み干す。ところどころで見せる男のような仕草に、御蔭丸はつい尋ねる。

 

「……前々から気になっていたのですが、夜一様はなぜそのように豪快でいらっしゃるのでしょうか。口調もお年を召された方のようですし……五大貴族とはもっと厳粛なものだと僕は思っていたのですが」

「ごくっ……それは朽木の事を言っておるのか? あそこは全ての貴族を並べても突出して掟を守る家じゃからな。

 五大貴族と言えど、いや五大だからこそ、家風は様々よ。志波家など儂よりももっと緩い連中がうじゃうじゃおるでな。

 それと儂の口調や行動はみな御爺様の受け売りじゃよ。御父様は忙しくてのう、日頃から相手をしてくれるのが御爺様しかおらんかったのじゃ」

 

 空になった竹筒を返す夜一は淡々と言う。御蔭丸が竹筒と入れ替えに出した布で顔や手の汚れを拭かれるままになりながら、夜一は懐かしむように笑った。

 

「御爺様はそれはもう自由な御人でな。仕事の最中に飲み屋に立ち寄るわ、(ホロウ)退治に行ってそのまま現世観光して帰ってくるわ、暗殺対象と意気投合して無二の親友になるわと、周りをものすごーく困らせていたと聞いておる。

 御父様はそんな御爺様の背中を見て育ったせいか、いやに真面目な性格でのう。公私をきっちり分けて仕事に明け暮れるもんじゃから、いつも忙しそうにしておる。

 そんな御爺様と御父様を見て、儂はこう思ったのじゃ。

 儂は――御爺様のように周りに大迷惑をかけながら好きに気楽に生きようとな!」

「ああ、成程……だからそのような性格なのですね、夜一様は」

 

 ダメな決意を高らかに謳い上げる夜一に御蔭丸は苦笑する。四楓院家先代の奔放さもそうだが、夜一の性格は明らかに根っからのものだ。

 ――先代様が居ようが居まいが、夜一様はこうなっただろうなあ。

 汚れを拭き終えた御蔭丸は満足そうにお腹をさする夜一を見てそう思う。どんな家柄に生まれようと、この少女を縛り付ける事は出来ない――夜一の生き方は、そんな考えを思い起こさせた。

 

「――さて! おやつも食ったし、食後の運動と行こうかの!」

 

 御蔭丸の視線に気付いた夜一は少女らしく快活に、好戦的な笑顔を咲かせる。ちらりと光る八重歯の愛らしさに微笑み、御蔭丸はゆったりと頷く。

 

「畏まりました。いつもの鬼事でよろしいでしょうか?」

「当然じゃ! 今日こそは儂が勝つぞ!」

 

 今のところ一勝も出来ていない夜一は自信満々に言い放つ。御蔭丸は笑顔のまま、脚に霊力を巡らせた。

 御蔭丸は夜一との勝負事で一切手を抜いていない。ルールの中で不利(ハンデ)を抱えてもそこ以外で全力を出している。

 大人げないと言われているが、全ては夜一の願いのためだ。子供なりに自身の能力を誇っていた夜一にとって、それを真っ向から上回る御蔭丸は彼女の闘争心を真っ赤に燃やしていた。

 全力の御蔭丸をぶっ倒して情けない面を見てみたい――それが夜一の願いである。だから手を抜くと怒髪天の極みに達するので、御蔭丸は決して手加減をしなかった。

 そしてそんな御蔭丸だからこそ――夜一は手段を選ばずに全力で挑めるのだ。

 

「破道の三十一、『赤火砲』!」

 

 何の前触れもなく夜一は瞬歩で後ろに跳び、鬼道を打ち放った。拳大に燃える紅蓮の弾が棒立ちの御蔭丸へ飛んでいく。

 通常なら夜一の年齢で鬼道を打つなんて出来ない。まして三十番台の詠唱破棄など抜きん出た才覚が必要だ。これは多くの死神にとって共通の感覚である。

 その先入観を使えば虚を突けると夜一は踏み、鬼道を打ったのだが――驚きの声を上げたのは夜一の方だった。

 飛来する赤火砲が、消滅する。御蔭丸が同質・同量・逆回転の赤火砲を打ち、相殺させたのだ。

 

「なっ――何!? 『(はん)()相殺(そうさい)』じゃと!?」

「狙いは良かったのですが、僕に使うべきではありませんでしたね」

 

 目を零れんばかりに開いて驚く夜一の肩を御蔭丸はぽんと叩く。霊圧の流れから狙いを見通していた御蔭丸は、鬼道を打ち返すと同時に瞬歩で夜一の背後に回っていた。

 

「貴女の負けです、夜一様」

 

 諭すように敗北を伝える御蔭丸に夜一は振り返り――涙目になって「ぐぬぬ」と歯を食いしばる。

 

「――ぬああああああああああっ!! また儂の負けかー!!!」

「これで通算二十七勝ですかね」

「数えるな! でかい図体(なり)をして女々しいぞおぬし!」

「あははは、これは申し訳ございません」

 

 声を上げて笑う御蔭丸の腹を夜一はポカポカ叩く。憤懣(ふんまん)やるかたないといった表情だが、猫がじゃれているようにしか見えなかった。

 ――ん? この霊圧は……

 夜一にされるがままになっていた御蔭丸は道の曲がり角を見る。現れたのは赤錆髪の死神を連れた、ざんばら頭の十一番隊隊長だった。

 

「なんだなんだ、穏やかじゃねえな」

「こんにちは。奇遇ですね、刳屋敷隊長。それに――お久しぶりです、雅忘人さん」

「よお、御蔭丸。元気そうじゃねえか」

 

 会釈する御蔭丸に手を上げて雅忘人は答える。二十数年来の再会だが、双方特別な反応はない。ただ何か言いたい事はあるようだと、御蔭丸は雅忘人の眼を見て気付いていた。

 

「……何じゃこやつらは。おぬしの知り合いか?」

「ええ、刳屋敷剣八十一番隊隊長と親友の狩能雅忘人さんです。そう警戒なさらなくてもいいですよ」

 

 叩くのを止めて服を掴んでくる夜一に御蔭丸はそう答える。つられて刳屋敷と雅忘人は――たぶん挨拶のつもりで――十一番隊流の笑い顔を見せた。

 その笑顔に夜一はビクリと身体を震わせて、トテトテと御蔭丸の背後に回り込み警戒した顔を覗かせる。「う~」とうなり声を上げる様はまさに猫だった。

 

「……なんだこの子供(ガキ)は? 俺の顔を見るなり隠れやがって」

「四楓院夜一様ですよ、刳屋敷隊長」

「四楓院? 四楓院っていやァ、あの?」

「ええ、天賜兵装番・四楓院家の御令嬢です。ですからあまり粗野な言葉遣いはお控えください。あと怖い笑顔も禁止です」

「おいおい、俺の笑顔は別に怖かねえだろ」

「鏡を見てからもう一度仰る事をお勧めします」

「喧嘩売ってんのか? だったら買うぜ、いつでもな!」

 

 犬歯を剥き出しにする刳屋敷が鞘の先を御蔭丸に向ける。雅忘人も何やらウズウズとしていたがその時、家令が息を切らせながら走ってきた。そういえば瞬歩で置き去りにしていたと、御蔭丸と夜一は思い出す。

 過呼吸気味の家令に回道をかけたあと、家令を挟んで夜一と刳屋敷が挨拶を交わす。人脈のための顔合わせなど、色々と貴族の都合があるのだろう。

 邪魔にならないよう御蔭丸が離れていると、雅忘人が肩を組んできた。

 

「……よお。ちィっとばかし話があるんだが、向こういかねえか?」

「ええ、構いませんよ」

 

 談笑する三人を尻目にそそくさと移動する。夜一は気付いて眼で追っていたが、家令に話を振られて対応に気を取られる。

 声が聞こえなくなるまで離れた二人は更に顔を寄せ合って小声で話す。

 

「投獄されてたそうだな」

「ええ、言い訳するつもりはございません」

「いや、そいつはどうでもいいんだ」

「は?」

 

 てっきり責められると思っていた御蔭丸は間抜けな顔で雅忘人を見る。眉間を寄せて明らかな不満が見て取れる雅忘人は、強い口調で話を続ける。

 

「お前が虚と情を交わしただとか罪を犯しただとか、そんなのどうでもいいんだよ。

 何十年の付き合いだと思ってるんだ、お前がどういう奴かなんて、とっくに気付いている」

「そう……なのですか……」

「ああ。だからどうでもいい、俺とお前は親友だしな。それよりも、だ。お前、あのアルヴァニクスを斃したんだってな。

「ええ、まあ」

「何がええ、まあだ! クソッ、一人だけ良い思いしやがって……いいなあチクショウ! 俺も戦いたかったなあ!」

「……あ、そういう事ですか……」

 

 拳を握って悔しがる雅忘人に御蔭丸は色々と察した。そして思い出す――雅忘人は根っからの十一番隊だった事を。

 

「それにお前! 刳屋敷隊長とも()ったんだろ! 朽木隊長のおまけ付きで!」

「あれは四十六室からの命令で仕方なくやった事で……」

「仕方なくだと!? このっ、手前(テメ)ェ! 話聞いた十一番隊の連中がどんだけ羨ましがったと思ってんだ!! 刳屋敷隊長と朽木隊長の二人を相手にだぞ!? ドリームマッチだろどう考えても!!!」

「僕は四番隊ですので……戦いはちょっと……」

「そんだけ強くて何トチ狂った事言ってんだ! いつもすかした顔でとんでもねえ事やらかしやがって! 今日と言う今日は俺が説教してやる!

 それか俺と()れ! 今すぐにだ!!」

「いえ、ご遠慮いたします……あいたたたたた!?」

 

 夜一達の元へ戻ろうとする御蔭丸の頭を掴んで、雅忘人はがりがりと白い髪を掻き回す。たまらず御蔭丸が身体をひねって脱出しようとするも、雅忘人とて今は十一番隊第三席だ。簡単には逃れられない。

 膂力の拮抗する両者はやがて遠目からでも分かる喧嘩を始める。ギャーギャー言いながら殴り合う男二人に刳屋敷は愉しそうに、夜一はムッと眉を寄せ、家令はギョッとした顔で気付く。

 

「おいおい喧嘩か? コラ雅忘人! 俺を差し置いて喧嘩たぁ不逞(ふて)ぇ野郎だ! そこをどけ、俺に()らせろ!」

「そうじゃ! そやつは儂が先に倒して無様な面を見てやろうと思っとるんじゃ! 儂に断りなく喧嘩なぞするな!」

「お、お二人とも!? 何故そんな嫌な予感のする怒り方をするのですか!? あ、ああ、お止めくだされ! お止めくだ――」

 

 狼狽える家令に構わず刳屋敷と夜一が乱入する。四人に増えた喧嘩は四つ巴の乱闘となり、最終的に御蔭丸の縛道と駆けつけた隠密機動の尽力によって穏便に平定された。

 その後の、帰り道の事。

 

「ふん! 親友だか何だか知らんが勝手に勝負事をしおって! おぬし、自分が何をしたのか分かっておるのか!」

「ええ、大変申し訳ない事を致しました」

「分かったような口を利くでない! 全く、誰これ構わず言う事を聞きおって! おぬしが儂の何なのか言ってみよ!」

「夜一様の教育係にございます」

「そうじゃ! わ・し・の教育係じゃ! じゃったら一も二も無く儂を優先するのが筋じゃろうに、おぬしと言うやつは!」

「本当に申し訳ございません」

 

 ぷっくりと頬を膨らませた夜一の後ろで御蔭丸はひたすら頭を下げる。六尺六寸(2メートル)の大男がその半分程度の少女に頭を下げ続ける珍妙な光景は、結局彼らが四楓院家に帰るまで続いた。

 

 

 

   φ

 

 

 

 現在、四楓院家の特別臨時使用人という職を得ている御蔭丸だが、当然休みがある。四六時中教育をするわけでもなし、授業以外は夜一との過度な接触は許されていなかった。

 この辺りは元罪人ゆえの致し方ない話なのだが、その間御蔭丸がする事と言えば次の授業の準備である。

 しかしこれも天才肌の夜一に教える都合、時間を取る必要がない。終わってしまえば御蔭丸は暇を持て余してしまう。

 そんな彼が一日の休みを貰った場合、必ず訪れる場所がある。護廷十三隊四番隊隊舎・総合救護詰所だ。

 

「それではみなさん、本日もよろしくお願いします」

「「「よろしくお願いします!」」」

 

 一斉に頭を下げる新米隊士たちを前に、御蔭丸は笑顔で会釈する。

 今日は四番隊の基本的な仕事を新人に教える手伝いをしている。本来なら護廷に関わる業務なので関われない決まりだが、四番隊の業務は一部例外扱いとなっている。

 理由は御蔭丸に四番隊での地道な実績がある事と、虚圏(ウェコムンド)で編み出した新たな技術があるからだ。特に新たな技術は四十六室による精査の結果、瀞霊廷に益ありとして監視付き・制限付きでの就労が許されている。

 ――医療が進んで益があるのは四十六室も同じだからな。

 新人たちに指示を出しながら御蔭丸はそう思う。彼らは保身を第一に考えているが、それが瀞霊廷、ひいては尸魂界を護る事に繋がるとよく知っている。この判断もその一端だと彼は考えていた。

 

 新人たちへの教育は瞬く間に時間が過ぎていく。始業から昼休憩を挟んで終業まで付きっきりだった御蔭丸は卯ノ花の元を訪れていた。

 

「お疲れ様です、卯ノ花隊長」

「ご苦労様、御蔭丸。今日も良く働いてくれたようですね」

「いえいえ。普段の四番隊に比べたら僕のやった事など些末なものですよ」

「けれど誰かがやれねばならない、重要な事です。貴方が居てくれて、四番隊の皆も感謝していますよ」

 

 謙遜で後頭部を掻く御蔭丸を嫋やかな笑みで卯ノ花は労う。四番隊の業務を手伝った後の習慣だ。ちなみに場所は卯ノ花の私室で、湯上りの彼女は三つ編みを後ろに下げ、胸元をきつく閉めていた。

 

「挨拶はこれくらいにしておきましょうか。卯ノ花隊長、本日詰所内を見回った際、いくつか備品と薬品の在庫不足が見られました。それを僕の方で用意したいのですが、許可を下さいますか?」

「貴方がそれで良いと言うのなら、私は歓迎いたします。四番隊の忙しさを憂慮して小さな負担でも減らしたいと言う貴方の考えは理解していますから。

 しかし何度も言いますが、貴方が資金を出す必要はないのですよ?」

「有り余ったお金の使い道がないもので、せめて大恩ある四番隊のためになればと考えております」

「それも分かっていますが、もう少し自分のために使いなさい」

 

 卯ノ花は頬に手を当てて困ったように息をつく。いつも言われている事だが、欲のない御蔭丸にいくら言っても暖簾に腕押しだ。

 ――一応、自分のためになる使い方をしているつもりなんだがな。

 監視期間が終われば四番隊に復帰しようと考えている御蔭丸にとって、これは決して善意からだけではない。四番隊隊士との顔合わせや日頃からの信頼を築く事で、復帰を問題なく行いたいから資金援助に踏み切っている。

 ――そうしなくとも皆、良い人達ばかりだがな。

 御蔭丸の罪状は四番隊に知れ渡っている。そのため最初は溝があったものの、彼らは生きて帰ってくれた事を喜ぶ者ばかりだ。加えて古参の隊士は御蔭丸がどのような人物か、朧気ながら分かっている。

 夜一の教育係を務めて半年、休みは欠かさず四番隊に通い詰めていたので、彼らとは一定の信頼を築けていた。その許しに報いたいと御蔭丸は援助を行っている。

 しかし卯ノ花の思惑は御蔭丸とは別にあるようだった。

 

「どうでしょう、そろそろ屋敷などを買われてはいかがですか? せっかく資金があるのですから、帰る場所を作っておく事は良いと思います」

「あー……今は四楓院家に住み込みで働いておりますので。それに屋敷なんて大きな建物を買っても管理できませんし……」

「あら、他人行儀な事を言うのですね。私は貴方から頼まれて後見人を務めているのですよ? 家の一軒や二軒、増えたところで負担はそう変わりません」

「しかしそこまで卯ノ花隊長にやっていただくのは……」

「部下のためならば苦労を背負うのが隊長です」

 

 嫋やかな笑顔で言い切る卯ノ花に御蔭丸は閉口する。

 ――ここまで強引だったかなあ、卯ノ花隊長は。

 昔も笑顔で全てを押し通す所はあったが、ここまで強引ではなかった筈だ。そう思う御蔭丸は、心中でため息をつく。

 ――原因は間違いなく俺だろうが。

 ――それでも言葉にしない内は、受け入れるつもりはない。

 気を取り直して御蔭丸は、笑顔で卯ノ花に反論する。

 

「お気持ちはありがたいですが、僕はいつ牢獄へ戻るとも知れぬ身です。潔白が証明されるまでは、形になるものを残したくはないのですよ」

「……全く。いつもは何でも受け入れてしまうのに、こういう所は頑固者ですね。

 私はあくまで後見人。預かった金銭は全て貴方の物ですから、あまりとやかくは言わないでおきましょう。けれど、これだけは言っておきます。

 もっと自分を大事になさい。貴方はこれまで充分傷付いてきました。これからもそうである必要は、何処にもないのですよ」

「……確約は出来かねますが、肝に命じておきます。大丈夫ですよ、ご心配なさらなくとも、僕はもう自分の脚で立っておりますから」

 

 胸に手を当て御蔭丸は消え入りそうに微笑んだ。その笑みも面影の重なったものだったが、間違いなく彼の心が宿っていた。

 卯ノ花はそれに見惚れて、ついで笑顔を花咲かせた。頬が暖かくなるのを感じながら、彼女は鈴を鳴らすように笑う。

 

「フフ、杞憂でしたね。今の貴方なら以前ほど、軽々しく命を投げ出す事もないでしょう。

 例え見立てが間違っていたとしても、私は貴方を信じます」

「ありがとうございます」

「それと――牢獄へ戻る、なんて冗談をもう一度言って御覧なさい。その時は私が、貴方を日の当たらない所へ連れ去りますからね。ええ、無理やりにでも」

「……畏まりました、卯ノ花隊長」

 

 最後に、迫力のある笑顔で卯ノ花はそう言い添える。御蔭丸は眉根を下げて、いつものように微笑んだ。

 

 

 

 総合救護詰所からの帰り道で、御蔭丸は考える。

 今のところ給金の使い道は四番隊への援助となっているが、正直あまり良い方法とは思っていない。

 御蔭丸からすれば想定していなかった資産であるし、四番隊から見ても降って沸いたあぶく銭だ。いくら使っても消えそうにないが、恒久的な予算の一部として組み込む事は出来ないだろう。

 ……まあ、護廷十三隊は各隊の隊長によって特色をがらりと変える部隊だ。隊長の入れ替えで同じ隊でも様変わりする事はある。予算なんてあったら使い、なかったら別の道を取るだけだろう。

 それでも、出来る事ならば。これから先、永く四番隊の為になる事をしたい。そう考える御蔭丸は、何かを思い出した顔で脚を止めた。

 

「そういや、俺が最初にやった仕事は薬草の運搬だったな。まだ統学院生の頃だったが、苦労した記憶がある。四番隊に入ってからも重労働だった。糾合詰所内で薬の製造もしているから、仕方ない話ではある、が……

 ……ああ、それだ。薬品を扱う部門を別個で立ち上げれば、そうした負担をせずに済む。場所と人手をかなり食うが、金はあるんだ。少し、本格的に考えてみるか」

 

 ぶつぶつとひとり言を呟きながら、御蔭丸は歩き出す。夜道を歩く大男の呟きは、先の会話を監視していたため卯ノ花に捕まっていた隠密機動が彼に追いつくまで続いた。

 

 

 

   φ

 

 

 

 夜一の教育係を務めて一年が経った。

 ここ一年、御蔭丸は休日を除き日に一度は夜一との勝負事に明け暮れていた。

 鬼事に始まり隠れんぼ、だるまさんが転んだ、高鬼や影踏みなど、皆子供の遊びだ。

 実際は白打あり鬼道ありの死神流子供遊びとも言うべきとんでもないものだったが、御蔭丸と夜一の実力差は明白だ。御蔭丸は夜一に傷一つ付けず、今日までの勝負事で勝利を収めている。

 悔しがる夜一を見かねた家令や白打・鬼道ありの勝負事と聞いた四楓院家当主に大量の小言を言われたが、こればっかりは御蔭丸も譲る気がなかった。

 夜一がそれを望まないなら、御蔭丸も望まない。彼にすれば当然である。

 

「……夜一様。お部屋に戻ってはくださいませんか?」

「いやじゃ! お主の弱みを握るまで儂は離れんぞ!」

 

 さて。手心を拒否している夜一であるが、内心はぐつぐつに煮え(たぎ)っている。夜一の短い生涯にあってこれ程敗け通した事は一度もないからだ。

 しかし今の夜一では御蔭丸に勝つ道筋が思いつかない。何をしてもこちらの思考を読み、機転を利かせ、一切動揺しない御蔭丸は真っ向から戦うには骨の折れる相手だ。

 だから夜一は御蔭丸の弱点を見つけようとして、暇を見ては彼の後を追っているのである。

 

「……言いにくいのですが、小用がありますので。どうか部屋にお戻りください」

「ん? 別に構わんぞ? 便所でもどこでも好きに行くがよい。儂もついていく」

「勘弁してください……夜一様を不浄に連れ込んだとあれば、物理的に僕の首が飛びます」

 

 困り顔で苦笑する御蔭丸の後ろで夜一はじーっと見つめてくる。真ん丸と輝く金色の瞳は吸い込まれそうな美しさで、目を合わせているとこっちが悪いように感じてくる。

 しかし夜一ほどの美少女を男子便所に連れ込んだとしよう。事案である。文句の付けようもなく再投獄される事請け合いだ。

 

「本当にお願いですから、すぐに戻りますのでどうか部屋で待っていてください」

「カーッ、分かっとらんのう! 儂とて四楓院家の一員、意地と誇りくらいは持ち合わせておる! いくら儂が上品で大人しい天才美少女であったとしても、こうも負け続けてはずっしりくるものがあるのじゃ!」

「申し訳ありませんが、上品で大人しい夜一様という方は存じ上げません。お友達か誰かでしょうか?

 そうであれば後でいくらでも聞きますので、今はどうぞお戻りください」

「儂じゃ! わ・し・じゃ!! 硝子(ガラス)でも嵌まっておるのかおぬしの眼は!!!」

 

 首根っこに飛びついてギャーギャー騒ぐ夜一にさしもの御蔭丸も辟易する。(おもて)には微塵も出さないが、彼も疲れる時は疲れるのだ。

 結局ついてきた夜一をどうにか(なだ)めすかして、今は厠の前で待ってもらっている。念のため鬼道で鍵をかけながら御蔭丸は何とも言えない虚脱感を味わっていた。

 ――鬼道まで使って何をやっているんだか、俺は。

 そう思いながら手早く用を足した御蔭丸が手を拭きながら厠を出ると、夜一の側に見覚えの人物を見つけて表情が驚きに染まった。

 

「む~、遅いぞ! 小便なんぞものの数秒で済ませんか!」

「……流石に品位が落ちますよ、夜一様。教育係として見過ごせない発言です、今後そういった事は口になさらないでください。

 それと――挨拶が遅れて申し訳ございません。こんにちは、卯ノ花隊長」

 

 仁王立ちで腕を組む夜一に注意をして、隣の卯ノ花に頭を下げる。「こんにちは、御蔭丸」と会釈する彼女に御蔭丸は首を傾げて質問した。

 

「卯ノ花隊長はなぜ四楓院邸(こちら)にいらっしゃるのですか? 四楓院家から何か要請があったのでしょうか」

「ええ、(おおむ)ねその通りです。薬品についての訓示が欲しいとの事でしたので、四番隊で最も造詣の深い私が参りました。

 貴方も仕事に精が出ているようで……フフ、嫌だと言ったのに無理やり連れてこられたと、夜一さんが仰っておりましたよ」

「……夜一様」

 

 諦めの表情で見下ろす御蔭丸に、夜一はドヤッと得意げな表情で胸を張っていた。いけ好かない男から一本取ったり、という感情が透けて見えるようだ。

 そんな二人を眺めて(たお)やかな所作で卯ノ花は笑う。御蔭丸はバツの悪い顔で恥ずかしそうに後ろ髪を撫でて、明らかに楽しんでいる卯ノ花に向き直った。

 

「……ご理解されているとは思いますが念のため弁明させていただきますと、夜一様の方がついてきたのです。決して僕が無理を通して引っ張ってきたわけではございません」

「あらまあ、そうなのですか? 御蔭丸はこんな事を言っておりますが、実際はどうなのでしょう。ねえ、夜一さん」

「うぅっ……儂は本当はついていきたくはなかったんじゃ……じゃがこやつが、嫌がる儂を無理やり……うわああああんっ!」

「…………分かりました。もう僕が全面的に悪い事にいたしますので、もうこの話は止めにしましょう」

 

 卯ノ花が味方でないと悟った御蔭丸の降伏は早かった。がっくりと肩を落とす白い大男の前で夜一と卯ノ花はぽんと手を合わせる。

 ――いや、無理だろう……

 ――この二人を相手にどう立ち回れば良かったんだ……

 「初めてこやつに一泡吹かせられたぞ!」と喜ぶ夜一の声を聞きながら御蔭丸はため息をつく。けれどここで“勝った”と言わないあたりに、御蔭丸は夜一の誇り高さを感じ取っていた。

 ――夜一様は将来大物になるな。

 ――良い意味でも、悪い意味でも。

 ぴょんぴょんと全身で喜ぶ夜一を眼に写してそう思っていると、「御蔭丸」と卯ノ花に声をかけられる。

 

「貴方の仕事なのですが、明日の晩は空いていますか?」

「明日の晩は……ええ、空いておりますよ。丁度休日ですので」

「それは良かった。実は良いお酒が手に入りまして、貴方と久しぶりに一献傾けたいと思っていたところです。ですから明日の晩、私に付き合ってくださいませんか?」

「勿論です。むしろこちらからお願い致します、卯ノ花隊長」

 

 頷く御蔭丸に、卯ノ花は嬉しそうに頬を赤らめる。一変する空気に夜一は片眉を跳ねあげるものの、まだそれが何なのか少女には理解出来なかった。

 

 

 

 次の日の晩。

 四番隊隊首室を訪れていた御蔭丸は――何とも言えない苦笑を浮かべていた。

 

「……何故、貴女がいらっしゃるのでしょうか……夜一様」

「うむ、何やら楽しそうな気配がしたからの。卯ノ花殿に頼んで同席させてもらう事にしたのじゃ!」

「……よくお許しが出ましたね」

「何を言うておる! 当然、無断外出じゃ!」

 

 両手を腰に添えて満面の笑みを浮かべる夜一に御蔭丸は肩を落とした。明日の朝には家令からの説教が半日は続くに違いあるまい。御蔭丸と夜一、二人ともだ。

 それ自体は構わないが、夜一を半日も部屋に閉じ込めたとあっては後の反動が怖いものになる。だから御蔭丸は力を貸してほしいという視線を卯ノ花に投げ、彼女は快く受け止めてくれた。

 

「今夜の事は私から四楓院家にお伝えしておきましょう。だから安心なさい」

「ご迷惑をおかけします、卯ノ花隊長」

「良いのですよ。私と貴方の仲ではありませんか。

 懸念が済んだのなら、そろそろ始めましょうか。まずは一献、貴方にお注ぎします」

「それは……いえ、有り難く頂戴します」

 

 目上からの言葉に御蔭丸は一瞬躊躇ったが、すぐ気を取り直して卯ノ花に酒を注いでもらう。透明な色合いの酒が(さかずき)に揺れ、口にすれば芳醇な香りと熱さが喉を通り抜ける。

 

「――美味しい」

「フフフッ、そう言っていただけるなら、用意した甲斐があったというものです」

「卯ノ花隊長もどうぞ」

「ありがとう、御蔭丸。……――ああ、良いものですね」

 

 上品に盃を傾ける卯ノ花が感嘆の息を漏らす。それを見ていた夜一は羨ましそうに指を(くわ)えていた。

 

「うーむ、酒かあ……飲んでみたいのう」

「夜一さんにはまだ早いですね。代わりに果実水を用意しましたから、そちらをご賞味ください。(さかな)に用意したお菓子もたくさんありますから」

「おお! 感謝するぞ卯ノ花殿!」

 

 卯ノ花が側に置いていた大きめの葛籠(つづら)を差し出すと、夜一は嬉々としてふたを開け中身に眼を輝かせる。そのまま破竹の勢いで中身を消費し出す少女を大人二人は微笑ましく眺めていた。

 

 

 

 月を眺めて談笑していた三人は、今は静寂の中にいる。お菓子と果実水をたらふく食べた夜一が、夜半である事も相まって眠っているからだ。

 卯ノ花に膝枕されて寝ている夜一は、小さな寝息を立てている。普段は傍若無人で苦労話に暇のない夜一であるが、こうして眠っている姿は年相応に可愛らしい。

 夜一の健康的な褐色の肌を御蔭丸は綺麗だと思う。若々しく滑らかで、少女特有の柔らかさが傍目からも分かる。

 ハネの可愛らしい黒髪もさらりとして、今は閉じられている瞳は黄金色の輝きに満ちている。今の眠っている夜一はまるでどこかの姫君のようだ。

 ――本当に、将来が楽しみだな。

 ――色々な意味で。

 御蔭丸は本心からそう思った。しかし紅い瞳には、どこか好ましくない色が混じっている。この場にいる三人を照らす、蒼い月光のせいだ。

 

 ――今日は、満月だな……

 夜一から視線を外して、御蔭丸は空を仰ぐ。天の光を好まない彼にとって、雲一つない今宵の満月はもっとも嫌いな状態にある。

 ――ああ、けれど。

 ――この方と眺める月は、悪くない。

 視線を下げて、卯ノ花を見る。

 今夜の彼女の装いは着流し一つに羽織一枚だ。紅色の着流しに、薄紅に赤い紫陽花柄の羽織を纏っている。

 流れる黒髪は背中で三つ編みに、月を見上げる横顔は酒のせいかほんのり赤い。優しく弧を描く麗しい唇と、穏やかな静けさを湛える黒真珠の瞳が、満月にささくれる御蔭丸の心を癒やしてくれる。

 

「――どうかしましたか?」

「あ……ああ、いえ……その、まだ使っていてくれたんですね、その帯留め」

 

 じっと見つめられている事に気付いた卯ノ花が朗らかに尋ねると、慌てた御蔭丸は竜胆の帯留めに話題を移す。昔御蔭丸が贈ったそれを懐かしむように、大事そうに触れる卯ノ花はそっと顔をほころばせた。

 

「貴方からいただいた、大切な物ですから。いつも肌身離さず持っていますよ。

 ――貴方が戻ってからは特に、毎日身に着けています」

「……そうですか。それはとても嬉しい事です」

 

 卯ノ花の想いが籠もったその言葉に、御蔭丸は静かに凪いだ。その明確な拒絶に、だが卯ノ花は嬉しそうに微笑んで、僅かにあの笑みを覗かせる。

 

「――御蔭丸。もっと側によって下さいませんか?」

「……これくらいでいいでしょうか」

「いいえ、もっと側に来てください。貴方の顔が良く見えるように――私の吐息がかかるくらいに」

 

 嫌に艶やかな声で卯ノ花は(ささや)く。願われた御蔭丸は少しだけ素の表情を面に出して、扁桃の髪留めを掻き取った。そして肩が触れ合う距離まで近づいて――荒んだ彼の肩に、卯ノ花は身体を寄せる。

 

「ああ――これは良いものですね。殿方に身体を預ける事が、こんなにも安心できるなんて。私は今まで一度も、考えた事もありませんでした。

 それを貴方が、気付かせてくれたのですね。私は貴方に感謝していますよ、御蔭丸」

「…………」

「返答は、ないのですね。フフフ――ええ、それでいいのです。それよりも今は、もっと他の事を致しましょうか。

 ――御蔭丸。私を見て、下さいませんか」

 

 卯ノ花にされるがままで月を見上げていた御蔭丸は、荒れ果てた顔をゆっくりと下に向ける。綺麗な羽織が目に入り、流れる三つ編みが目に入り――今まで見た誰よりも妖艶な、卯ノ花の微笑みが彼の心を侵食する。

 美しい笑みだった。優しい笑みを唇に浮かべ、頬を赤く染め上げて、黒真珠の瞳でこちらを覗き込んでいる。

 妖しい笑みだった。柔らかな唇を舌で濡らし、頬を艶やかに上気させ、トロリと瞳を潤ませている。

 その微笑みが、面影を剥がし。全てを失った彼の心を、荒野の顔に悲しく浮き上がらせる。変化する彼の様相に、卯ノ花は微笑みをもっと咲かせて――きつく閉じていた胸元に、手をかけた。

 

「そのまま、目を逸らさないでください。貴方に見て欲しいものがあるのです」

 

 言いながら、胸元の手をゆっくりと動かす。少しずつ少しずつ、野に咲く花を手折(たお)るように、密やかに胸元をはだけさせていく。

 御蔭丸は眼を逸らせなかった。言葉にされて願われた以上、彼はそれ以外を為せない。ただ悲しげに眼を細めて、彼女の行為を見守っている。

 卯ノ花の着流しがゆっくりと着崩れる。大きくはだけた胸元から、薄い布地の襦袢(じゅばん)が現れる。肌色が透けて見えるそれに卯ノ花は手をかけ、自分の肌を外気にさらす。

 御蔭丸は静かにそれを眺め――紅い瞳を僅かに見開く。

 艶やかに微笑む卯ノ花の胸元には――――刺し貫かれた傷痕(きずあと)が、罪咎のように残っていた。

 

「――――この傷痕は、私の罪。()()()()()()()()()()()()の未来を閉ざさせた、過ちの証。

 これを貴方に、知っておいてほしかったのです。かつて貴方が、貴方の過去を話してくれたように――いずれ私が、私の過去を話す時に。その手がかりとして、この傷痕の事を覚えておいて下さい」

 

 穏やかな物言いで、しかし刃のように重い言葉を卯ノ花は刻みつける。それは御蔭丸を悲しませるのに十分で、彼の表情はともすれば泣いているようにも見えた。

 その表情が、卯ノ花の微笑みを――危うい色に変貌させる。

 

「――……触って、みますか?」

「――!?」

 

 御蔭丸の手を取って、上目づかいに卯ノ花は言う。どこか恥ずかしそうに、けれどそれ以上に淫靡に――大きな手を、自分の胸元へ寄せていく。

 

「見ただけでは、忘れてしまうかもしれないでしょう? だから貴方の手で、この傷痕に疼く熱さを直接感じ取って下さい。

 そうすれば――私も一生、この日を忘れませんから」

「卯ノ花、隊長……これ以上は……」

「ああ――言葉はもう、必要ありません。さあ、御蔭丸。どうぞ私の、この傷痕に――」

 

 なおも拒絶する御蔭丸と、吐息が絡み合う距離で。卯ノ花は(とろ)けた声で囁いた――その時。夜一のむずがる声が嫌に大きく彼らに響いた。

 びくりと震える二人が膝元を見れば、目をこすって今にも起きそうな夜一がいた。それを見た卯ノ花は見る間に正気へ戻り――カアッと顔を真っ赤にして、慌てて御蔭丸の手を放す。

 手を放された御蔭丸は即座に元の場所へ戻った。卯ノ花も慌てて胸元を閉め襟を正す。夜一が寝惚け眼を瞬かせる頃には元に戻っていた卯ノ花は、少しだけ落ち着かない様子で御蔭丸にはにかんだ。

 

「きょ、今日の所はこの辺りで、お()(まい)にしましょうか」

「え、ええ……夜一様を四楓院邸までお連れしなければなりませんし、そうしましょう」

「よ、夜道に気を付けて、お帰り下さいね」

「は、はい。夜一様のためにも充分気を付けて帰ります」

 

 早口で言葉を交わしながら二人とも手早く片付けを済ませる。それが終わった後、御蔭丸は眠そうに抱っこをせがむ夜一を抱き上げて、面影の仮面を外して卯ノ花に向き合った。

 

「それでは、本日はこれでお暇させていただきますが……お話の続きはまた(いづ)れ、必ずお聞きしに伺います。

 それまでどうか、待って頂けないでしょうか。こればかりは僕も――覚悟を決めねば、なりませんので」

「――ええ、構いませんよ。御話の続きはまた何れ、今宵のような満月の日にでも。

 私は、貴方を待っていますから」

「ありがとうございます――卯ノ花隊長」

「良いのですよ。それではまた――御蔭丸」

 

 別れ際に言葉を交わし、二人は視線を絡ませ合った。お互いの心の、その奥底を見透かすように――彼らの今日は、過ぎていく。

 

 

 

 そして、帰り道の事。

 

「……のう、御蔭丸」

「何でしょう、夜一様。お休みになりたいのでしたら、もうすぐ屋敷につきますのでお待ちいただけると有り難いです」

「いや、そうではない。おぬしの腕は存外心地良いから、寝床は恋しくないぞ……それよりも。一つ訊ねたいんじゃが、良いか?」

「何なりとお聞きください」

「うむ……これはあくまで例えばの話で受け取ってほしいんじゃがのう……」

「はい、何でしょうか」

「例えば――儂がおぬしを好きだと言ったら、どう思う?」

「…………は?」

 

 まだ眠いのか半眼の夜一が、突拍子もない事を言う。思わず足を止めた御蔭丸は、腕の中の少女をまじまじと見つめた。

 

「な、にを……言っているんですか……夜一様」

「じゃ~か~ら~……儂がおぬしを好きだと言ったらどう思うかと尋ねておる……ふわあああ~……」

 

「い、いえ……それは分かっているのですが……何故そんな事を……?」

「む~……例えばと言ったじゃろう、つべこべ言わず答えんか……おぬしが女子(おなご)に好きと言われてどう思うのか、知りたいだけじゃ……」

 

 欠伸(あくび)を噛み殺しながら答えをせがむ夜一に、御蔭丸は混乱しながらも――肚の奥で決まっている答えが、自然と口から零れ出た。

 

「それは……悲しい気持ちに、なりますね」

「……何故じゃ?」

「僕にはもう、愛する人がおりますから……その上で他の誰かに言われてしまえば、傷付けるしかないでしょう? 僕は、それが嫌なのです」

「……そうか……それならば、この手は使えんなあ……」

「……どういう意味ですか?」

 

 御蔭丸の疑問の眼も気にせず、うとうとしながら夜一は言葉を続ける。

 

「さっきおぬしは、卯ノ花殿に迫られていたではないか……その時、何やら苦しげな顔をしておったから……それがおぬしの弱みじゃと考えてなぁ……

 ……じゃが、悲しませるだけなら……勝負事には、使えん、のう……」

「…………夜一様?」

「……スー、スー……」

「……寝ていらっしゃる……」

 

 腕の中で寝息を立てる夜一に、御蔭丸は呆然と呟く。ついて深い溜息をつき、満月の夜を疲れたように見上げた。

 ――卯ノ花隊長と話している時、起きていたような事も言っていたが……

 ――どうしたものか。

 空の歯車が回る心中で御蔭丸はそう考え――とりあえず一つ結論を出した。

 

「よし、忘れよう」

 

 言って、満月から視線を外し。御蔭丸は歩き出す。先程の夜一の言葉が、例え話で良かったと思いながら――今後こういった事のないよう、少し距離を置こうと決めて。

 




原作より六六四年前の出来事。

推敲してないので後で書き直すかもしれません。

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