BLEACH Fragments of Remnant   作:ヴァニタス

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「……生きているのか、俺は」

 

 尸魂界(ソウルソサエティ)瀞霊廷(せいれいてい)、四番隊隊舎。

 総合救護詰所の一室で目を覚ました大男――大神御蔭丸の第一声はそれだった。

 

「懐かしい匂いだ……」

 

 覚えのある薬の匂いがする。清潔感のある味気ない空間、壁の上の小さな窓から差し込む陽の光、飾られている花の色。四番隊の隊員ならば誰もが見覚えのある場所だ。

 思い出に浸って、なんとなく。御蔭丸は自分の腕を前に持ってくる。包帯の隙間から見える、浅黒くなった生前の腕。失くした筈の受け継いだ色を見て、彼は小さく微笑んだ。

 

「傷は……おおよそ治っているか。だが色々と足りてないな」

 

 痛みの残る身体をゆっくりと起こして視診する。眼につく所はほとんどが包帯に覆われ、患者衣の中もそうなっている。血が足りていない感覚もするし、腹も空いていた。

 ともかくまずは食事をする必要がある。そう考えて備え付けの呼び鈴を鳴らそうとした。

 その時戸が静かに開き、小柄な影が病室の床に伸びる。

 

「――――ああ、良かった。御目覚めになられたのですね」

「……――――卯ノ花隊長――――」

 

 入ってきたのは卯ノ花烈だった。心の底から安心したような微笑みで御蔭丸に近づき、嫋やかな指をそっと伸ばして頬に触れる。

 

「よくぞ、無事に戻ってきましたね。私は貴方の帰りをずっと待っていました」

「……ご心配をお掛けしましたか?」

「ええ、とても。お説教も山ほどありますよ。けれど最初にかける言葉は、ずっと前から決めていました。

 

 ――――お帰りなさい。大神御蔭丸」

 

 彼の頬に手を添えて、卯ノ花烈は美しく微笑んだ。雛鳥を見守るような慈しむ笑みに、御蔭丸も同じように笑う。

 

「――――はい。ただ今戻りました、卯ノ花隊長」

 

 しばらくの間、二人は見つめ合っていた。こうして見るとやはり綺麗な人だと、御蔭丸は心中で呟く。

 最後に見た十数年前より卯ノ花の髪はもっと伸びていた。腰まで届く射干玉(ぬばたま)の髪は胸元で束ねられ首飾りのようになっている。

 それで隠されているせいか、胸元が少し緩んでいるように感じた。卯ノ花隊長にしては珍しいと思って見ていると、隠すように胸元へ手をかけられる。

 慌てて視線を戻せば、恥ずかしそうに頬を染める卯ノ花と視線が絡んだ。少しばかり責めるような黒真珠の視線に、御蔭丸はあたふたと謝罪する。

 

「も、申し訳ありません。不躾な真似を致しました」

「いえ……私も少し無防備でした。けれど、次からは気を付けてくださいね?」

「は、はい! かしこまりました、卯ノ花隊長」

「よろしい。……フフフッ、それにしても珍しいですね。貴方がこんな大胆な視線を向けるなんて、私は思いもしませんでした」

「あ、いえ……本当に申し訳ございません」

「責めているのではないですよ。ただ、やはりお疲れのようですね。

 ……貴方が此処に運ばれてきた時は、本当にひどい状態でした。この十数年、随分と大変な思いをしてきたのですね……

 ――改めて、よくぞ帰ってきてくれました。四番隊隊長として、貴方の帰りを嬉しく思います」

「……勿体無いお言葉です、卯ノ花隊長」

「そんな事はありませんよ。貴方は自分の務めを立派に果たしたのですから。生きて帰るという、大事な務めを。

 ……さて、すこし前置きが長くなりましたが、まずは食事に致しましょう。用意をさせますから、待っていてくださいね」

「かしこまりました」

 

 頭を下げる御蔭丸に微笑んで、卯ノ花は去っていく。ほどなくして戻ってきた彼女は寝台の横に据え付けられた椅子に腰掛けた。指示を出してきたのだろうと御蔭丸は思い、卯ノ花と向き合う。

 

「しばらくすれば食事が運ばれてきますから、それまでの間、貴方の置かれている状況をお話しします」

「僕の置かれた状況、ですか?」

「ええ。貴方は今、非常に複雑な立ち位置にいます。順を追ってお話ししましょう」

 

 真摯な眼差しを向ける卯ノ花に御蔭丸も襟を正す。彼女が話し始めた事は、当然と言えば当然の事だった。

 まずは御蔭丸の身分だが、現在彼は護廷十三隊四番隊第三席ではない。十数年前の戦いの後、死亡あるいは行方不明となった者はみな除籍扱いとなっていた。御蔭丸もそうであり、十一番隊が発見するまで生きているとはみなされなかったのだ。

 その死んだ筈の彼が、アルヴァニクス・エヌマニュエルという強大な大虚を討つという形で発見された。アルヴァニクスは瀞霊廷においても零番隊が動く程多大な殺戮を繰り広げ、それでなお滅ぼせなかった存在。それなのに死んだ筈の、更にいえば四番隊第三席程度の死神が斃したなどと、到底信じられる話ではない。

 今の御蔭丸の状態もそれを助長している。霊圧のほとんどが消え、生前よりも霊力の低くなった今の御蔭丸を鑑みれば、アルヴァニクス・エヌマニュエルを滅ぼせるはずがない――それは卯ノ花を含めた事情を知る全ての者の認識だった。

 

「――アルヴァニクスの一件に関しては、後日総隊長直々の詰問があるでしょう。貴方にはそれまでに傷を癒やし、詰問に応じられるようにする義務が発生しています。

 とてもそうは思えないでしょうが、今は自分の身体を治す事に専念してください。よろしいですね?」

(うけたまわ)りました、卯ノ花隊長」

「……文句は言わないのですね。いえ、貴方は昔からそういう人でした。懐かしく思う反面、悲しくもあります。

 ……私はこの一件に関して、悲観はしておりません。貴方がどのような経緯で生き延び、アルヴァニクスを斃したかは知りませんが――余程の事がなければ、総隊長も無下に扱わないでしょう」

「…………ええ、そうですね。元柳斎様はそういう御方です」

 

 卯ノ花の元気付ける一言に、御蔭丸はやや遅れて慈母のように微笑んだ。

 だがその内心では、死を覚悟している。彼は自ら望んで虚と関係を持ち、共に暮らし、愛し合う仲になっていたからだ。

 初めは生き残る為だったとはいえ、今から振り返れば決して仕方なかったと言えない。どうにもならない事だったから愛したなどと考えれば――ハリベルに対する裏切りになる。

 そして死神として、それは許される事ではない。少なくとも山本元柳斎重國は絶対に許さないだろうと――そんな考えを隠して、御蔭丸は静かに微笑んでいた。

 卯ノ花はそんな姿の変わってしまった男の機微を見抜こうとしたが、諦めている感情以外は分からない。想像しようにも卯ノ花では、御蔭丸の過ごした十数年を言い当てる事は出来なかった。

 

「……――おや。食事が出来たようですね」

 

 少し曇った空気を換えるように、努めて明るい声で卯ノ花は扉を見遣る。御蔭丸もつられて見れば、清潔な衣装の看護婦――ではなく。闇に同化する刑戦装束を纏った隠密機動が、食事の乗った台車を病室内へ運んできた。

 

「要監視対象者への食事を持って参りました」

「ありがとう。そこに置いておいてください」

 

 御蔭丸に一瞥もくれず淡々と話す隠密機動は、卯ノ花に一礼をして早々に去っていく。

 それを眺めても御蔭丸は何も思わない。この場所が罪人に当てられた地下救護牢である事は重々承知している。先の話と合わせれば、この扱いは妥当だと考えていた。

 だから御蔭丸に悲壮感はまるでない。穏やかに、慈母のような微笑を卯ノ花に向ける。

 

「良い匂いですね、卯ノ花隊長。病食は美味しいものばかりではない事は分かっておりますが、今日の食事はいつもと違うのですか?」

「……ええ、そうです。総隊長がいらっしゃるまであまり日数がありませんから、四番隊特製の滋養強壮スープを作っていただきました」

 

 少し(かげ)った笑顔で卯ノ花は台車にのる土鍋を開ける。白い熱気を上げて中に満ちているのは不透明な色合いの汁物だ。あらゆる医療用の食材と特別な配合によって作られたそれは、馬車馬の如く働く死神に更に鞭打って働かせる一品として知られている。

 ちなみにこれを一番食すのは四番隊であり、せめて味だけは良くしようとした四番隊隊士達の努力によって美味しく食べられるように出来ていた。

 

「さあ、どうぞ。お食べなさい、大神さん」

「ありがとうございます、卯ノ花隊、長……――?」

「何でしょうか?」

 

 鍋から器によそった滋養強壮スープを持つ卯ノ花は――器ではなく匙で掬ったスープを御蔭丸の顔に向けた。

 

「これは一体、どういう事でしょうか……?」

「ああ、確かにこのままでは熱すぎますね。冷ましますから少し待ってください」

「いえ、そういう事ではなくてですね」

 

 困り顔の御蔭丸に構わず、卯ノ花は匙にフーフーと息を吹きかける。その仕草と、笑顔と共に差し出される匙に思わず食べそうになるがぐっと堪えて、御蔭丸は再度問いかけた。

 

「あの、卯ノ花隊長にそこまでしていただかなくても、自分で食べられますので……」

「まだ怪我は残っていますし、体力も戻っていないのでしょう? 零して火傷でもしたら大変ですから、私がこうして食べさせて差し上げます」

「いや、しかしですね……」

「それに貴方の治療に関しては総隊長から私に一任されています。貴方も四番隊隊士ならば、現在専属で当たる私の言葉を聞くべきだと分かりますね?

 ですから御遠慮なさらず、どうぞお食べなさい」

「あ、はい……それでは、謹んでいただかせてもらいます……」

 

 有無を言わさぬ卯ノ花の言葉に、御蔭丸は頷くしかなかった。差し出された匙を口に含み、ほどよい熱さのスープを飲む。

 匙を差し出されては飲み、差し出されては飲み――そんな飲むだけの御蔭丸はまるで餌付けされている気分で少々気恥ずかしかった。けれど、ニコニコと楽しそうに匙を差し出す卯ノ花を見れば、逆らう気はもう起きない。

 

「……フフフッ」

「んっ……どうしましたか?」

 

 器の中味が半分になったあたりで、鈴を鳴らすように卯ノ花が笑った。それに疑問符を浮かべる御蔭丸に、彼女はご機嫌そうに微笑む。

 

「いえ、昔貴方とデートした事を思い出したのです」

「ああ、あの時の……僕もよく覚えています。忘れられない記憶ですから」

「フフッ、嬉しい事を言ってくれますね。私としては自分でも似合わないと思う事をしましたから、それなりに恥ずかしい思い出なのですが――こうして改めてやってみると、思いのほか楽しいものですね」

「それはなによりです」

「あら、素っ気ないですね。貴方がどんな思いでこれを受け入れてくれるのか、私は今でも気になっているのですよ?」

「勿論、喜んでいますよ。卯ノ花隊長手ずから食べさせてくれるのですから」

「……そのような返答ではなく、貴方の本心を聞きたいのです。

 私は――初めてだったのですよ? 殿方に、あんな事をしたのは」

「えっ……」

 

 卯ノ花は不意にそんな事を言って、艶のある笑みを御蔭丸に向けた。今まで清楚で隙のなかった嫋やかな彼女の色のある仕草に、御蔭丸は心臓が跳ね上がるのを感じる。

 ――が、御蔭丸の鉄面皮はかなりのものだ。加えてその言葉の重さを察知した御蔭丸は動揺をすぐに引っ込め、いつも通りの受け入れる笑顔で言葉を返した。

 

「あの日も今も、本心から嬉しく思っていますよ」

「……そうですか。そう言っていただけるのなら安心します」

「ええ。それと、器の中味も半分を切りましたし、残りは自分で食べますよ。卯ノ花隊長のおかげで零しても火傷をしない熱さになっているでしょうし」

 

 御蔭丸はそう笑って、卯ノ花へ両手を伸ばした。器を手に載せて欲しいという合図だったのだが――卯ノ花はニコニコとした表情を崩さず、御蔭丸に告げる。

 

「何を言っているのですか? スープはまだこんなに残っているではありませんか」

「えっ……いえ、確かに鍋にはまだまだ残っていますが……流石にその量は……」

「お食べなさい、大神さん」

「で、ですから、全部はちょっと……」

「お食べなさい、大神さん」

「あ、あの…………卯ノ花隊長?」

「お食べなさい、大神さん」

「……………………はい、分かりました…………」

 

 見惚れる程美しいのに何も言えなくなる迫力の笑顔に、御蔭丸は気圧され――結局、土鍋が空になるまで卯ノ花に食べさせてもらった。

 

 

 

   φ

 

 

 

「――それではこれより査問を始めるものとする!」

 

 尸魂界、瀞霊廷、中央四十六室。

 四十人の賢者と六人の裁判官によって構成された尸魂界最高峰の司法機関。

 死神の(ざい)(きゅう)の一切を裁く権限を持つ彼らの裁判所である議事堂、その中央に――御蔭丸は立っている。

 枷を嵌められ四十六室全ての視線を一身に受ける、浅黒い肌に黒い髪と眼を持つ大男は――何も変わらぬ慈愛の笑みで、全てを受け入れていた。

 

 

 

 数日前。

 アルヴァニクスとの戦いによる傷も治り、体力も回復した御蔭丸の元へ二人の人物が訪れた。

 一人は一番隊副隊長である雀部長次郎。そしてもう一人は雀部が忠誠を誓った男であり、一番隊及び護廷十三隊全隊を束ねる総隊長――山本元柳斎重國である。

 

「――息災のようじゃな、御蔭丸よ」

「はい。元柳斎様こそ、お変わり無きようでなによりです」

 

 深々と頭を下げる御蔭丸に「うむ」と一言、椅子にどっしりと構えた元柳斎は応える。実際は僅かに残っていた髪も完全に禿げ上がり頭部の十字傷が目立つ状態だが、誰も気にする者はいない。ちなみに長次郎は元柳斎の背後で言葉なく直立している。

 

「して、御蔭丸よ――お主、一体どうやってあのアルヴァニクスを討ち果たした?」

 

 挨拶もそこそこに、元柳斎は早速本題へ斬り込んだ。これほど老いてなお衰えぬ隔絶した力を感じながら、御蔭丸は笑顔で返答する。

 

「結論から申し上げますと、卍解を使いました」

「……卍解じゃと? 十数年前は始解すら為せなかったお主がか?」

「無論の事、ただの卍解ではありません。順を追って御説明させていただいてもよろしいでしょうか」

「構わぬ。時間はいくらでもあるのでな」

「ありがとうございます」

 

 荘厳に頷く元柳斎に再び頭を下げ、御蔭丸は説明を始める。

 十数年前の戦いの後、虚圏に落ちた事。

 そこで出逢った最上級の庇護を受けていた事。

 アルヴァニクスとの戦いで始解に目覚めた事。

 生前滅却師であり、アルヴァニクスとの個人的な因縁があった事。

 十年の歳月を与えられ、その間に卍解を習得した事。

 その卍解の限界を超えた攻撃を行い、反動で今の状態になった事。

 そして――庇護してくれた最上級と、男女の関係になった事。

 

「…………事情は相分かった。お主が死神として未熟でありながら、戦いの才があった事も得心がいった」

 

 全てを聞き終えた元柳斎は、重苦しく口を開く。それだけで背後に立つ長次郎の頬に一筋の汗が流れる。

 普段は好々爺のように閉じられた(まぶた)の裏には、焼け果てた眼光がある。それが今見開かれ御蔭丸の全身を貫いた。ついで降り注ぐあまりの霊圧に、今の御蔭丸は対抗できない。赤子のようにひねられる精神を繋ぎながら、かろうじて立ち続ける。

 

「だが、斃すべき虚と契約を結び、情を交わすなど――死神として赦される事ではない。お主は最も破ってはならない禁の一つを犯した。

 その覚悟は――――出来ておろうな」

「っ……はい……――――覚悟は既に、終えております」

 

 元柳斎の燻る黒色の眼光に焼かれ、倒れそうになりながらも御蔭丸は断言する。黒に染まった切れ長の眼には、後悔やそれに類する念など一切宿っていなかった。

 それを見据え、一つ息をつき。元柳斎は静かに問う。

 

「…………何故その虚と戦う道を選ばなかった。儂はお主にこう教えた筈じゃ。

 ――――伏して生きるな、立ちて死すべし、と。

 虚如きに縋って生き永らえるのならば、虚に挑み死すべきである。それこそが死神の意気じゃと、お主には何度も叩き込んできた」

「……それでも……僕の尊敬する御方と、約束をしたのです。生きる限り、必ず戻ってきてくれと。

 僕自身もきっと、死にたくなかったのでしょう。私事なので断言はできませんが……本心であると、信じております。

 ――――だから、後悔はしておりません。虚圏で過ごした十数年の、何一つにも」

「――――……それがお主の答えなのじゃな? 大神御蔭丸よ」

「――――はい――――」

 

 覚束(おぼつか)ない黒の瞳で、しかしはっきりと御蔭丸は元柳斎を見返した。黒い狼の眼と焼け果てた残り火の眼光が、声なき意志を交わし合う。

 ……死神の師とその教え子は暫し互いを見定めていた。そして御蔭丸が何も変わらぬ事を確かめた元柳斎は、やがて深いため息をつき、杖をついて立ち上がる。

 

「……此度の一件、儂に決定権はない。全ては中央四十六室に委ねられる。

 大神御蔭丸。儂はお主を糾弾せぬが、決して支持もせぬ。お主の口にした全てを注進するのみ。その結果どのような決が下ろうとも、伏して受け入れよ。

 それがお主の――死神として果たすべき務めじゃ」

「…………承りました、元柳斎様」

 

 崩れるように頭を下げる御蔭丸を、僅かに憐れむ元柳斎は踵を返して退室する。それに続く長次郎は――何か思う所があったのか、膝をつく御蔭丸に慇懃(いんぎん)な一礼をして元柳斎と共に去っていった。

 それから一日を跨がず、御蔭丸の元に査問状が届いたのであった。

 

 

 

「元護廷十三隊四番隊第三席、大神御蔭丸! 君には現在、敵性存在である虚との内通及び結託、それに連なる戦果欺瞞の嫌疑がかけられている! 回答によっては嫌疑を正当なものとし、実刑を与える!」

 

 裁判官の一人がしゃがれた声で高らかに宣言する。御蔭丸にそれを了承するかの質問はない。四十六室による査問とは半ば道筋が決まっているものだからだ。

 

「最初の質問だ。君は十数年前の戦いで虚圏へ漂流し、そこで最上級大虚と手を組んだ。間違いないかね?」

「はい、間違いありません」

「山本元柳斎重國からの報告によれば、その最上級大虚と恋仲であったという。それ故君は孤立無援の虚圏で生き永らえる事が出来た。それは全て事実かね?」

「はい。一切相違なく、僕はそのように生き延びました」

「何と(おぞ)ましい……!」「虚と恋仲になるなど論外だ!」「正気の沙汰ではない!」

 

 慈母のような微笑みで御蔭丸が認めると同時に四十六室から口々に非難が上がる。それらは半分が本心で、半分が予定調和なのだろう。

 御蔭丸には分かるのだ。賢人でありながら頑迷で、法を司りながらそれを巧みに操る彼らが、何を望んでいるのかを。

 だから御蔭丸は微笑んだまま――質問を続ける裁判官へ静かに向き合っていた。

 

「それを真実と認めるならば、君が彼の大敵であるアルヴァニクス・エヌマニュエルを討ったという戦果も非常に疑わしい。

 君を発見した刳屋敷十一番隊隊長は君がアルヴァニクスに止めを刺す瞬間を確かに見たと証言している。だが同行した十一番隊隊士によれば、アルヴァニクス以外の霊圧を感じ取る事は出来ず、君の霊圧は今とそう変わりなかったと証言している。

 また、君の死神統学院時代の成績は優秀であるものの、最終隊歴(たいれき)は四番隊第三席。前線からは程遠く、この時点で始解にさえ至っていなかった。

 そして最上級大虚と手を組んでいた点を鑑みるに、その大虚にアルヴァニクスを斃させ、あたかも君が斃したように見せかけた可能性は十分に考えられる。

 これを以て君の戦果を疑っているのだが――君は自らがアルヴァニクス・エヌマニュエルを討ったという証明が出来るかね?」

「今は出来ません」

「今は? 時を経れば証明できるというような言い草だな」

「その通りにございます。僕が再び卍解出来るようになるためには十年を必要としますので」

「荒唐無稽な話だ。君に残された猶予は十年と長くない。よって今この場で、君に対する判決を下す!」

 

 そうして議論はろくに起こらぬまま、御蔭丸の罪状が決まった。

 

「元四番隊第三席・大神御蔭丸! 虚との内通及び結託、戦果欺瞞の罪により第四地下監獄“(きょう)(かん)”に投獄とする!

 ――何か言い残す事はあるか、大神御蔭丸」

「そうですね……十年後に僕の霊圧が戻ったのならば、その時に再び潔白の機会をお与えください」

「まだ言うか……もういい、連れていけ!」

 

 裁判官の号令と同時に音もなく現れた隠密機動が御蔭丸を拘束する。元からかけられていた枷が更に厳重になり、残った五感が塞がれていく。

 いつぞやの、瀞霊廷に連れて行かれた晴れ渡った日を思い出し――御蔭丸は少しだけ、寂しそうに微笑むのだった。

 

 

 

   φ

 

 

 

 ――――十年後。

 第四地下監獄“叫喚”。

 その日、第四地下監獄の担当だった隠密機動第三分隊・檻理隊の面々は――最悪の一日だったと口を揃えて述べている。

 発端は十年前、“叫喚”に投獄された一人の男だった。

 並みの魂魄より少しだけ霊力のある、浅黒い肌に黒目黒髪の大男だ。体格は良いが霊圧は雀の涙ほどで、最初にこの男を見た檻理隊の者達は何故“叫喚”に投獄されているのかと疑問に思う。

 そして虚と情交を募らせた罪状に嫌悪を向け、アルヴァニクス・エヌマニュエルと呼ばれた最上級大虚の討伐を(うそぶ)いた事を鼻で嗤い――誰もが侮蔑の視線を向ける。

 それが獄囚でありながら常に慈母のように微笑む気味の悪い男――大神御蔭丸だった。

 

 だが、その日は違った。

 相変わらず侮蔑の視線を向けられる御蔭丸は、けれど手のかからない獄囚としても有名だった。常に微笑むその様相が不快である事を除けば、逆らいもしないし騒ぎもしない。

 だがその日だけは、常に微笑むだけだった口を穏やかに開いてこう話したのだ。

 ――曰く、今日の自分は大変に危険である。

 ――だから早急に特別拘禁牢に移る事を望む、と

 その言葉に檻理隊の面々は失笑した。侮蔑の対象である御蔭丸が、隊長格にさえ手に負えない罪人用の牢獄へ移りたいと言ったのだ。貴様如きにそんな手間を払えるかと、檻理隊は一蹴した。

 

 そして数刻後――――第四地下監獄“叫喚”は、半壊する事となる。

 そこからは阿鼻叫喚の嵐だった。なにせ莫大な霊圧の奔流が吹き荒れ牢獄が一瞬で瓦解、多くの罪人が集団脱走を図ったからだ。

 霊圧の奔流で動けなくなった罪人も多かったが、それは檻理隊も同じだった。ともかく人手が足りず、逃げる罪人も一筋縄ではいかないものばかり。応援を求める以外に手段の無かった檻理隊は、地獄蝶を放ったのち、その全てが罪人の足止めのために命を棄てる覚悟をした。

 ――だが、十分と待たず駆けつけた隠密機動が見たものは。

 既に鎮圧された罪人たちの山と、恐怖の形相である一角を囲む檻理隊。

 そして檻理隊の中心で微笑みながら静かに座る――見覚えのあるようで見覚えのない、白髪紅眼の男だった。

 

 

 

 事件の翌日、中央四十六室は進まない議論を重ねていた。

 議論の内容は無論の事、大神御蔭丸の処遇についてである。

 御蔭丸の一件を取るに足らない些事の一つとして既に忘れていた彼らは、面倒な事になったものだと頭を悩ませていた。

 それもそうだろう。一般魂魄から毛が生えた程度だった筈の御蔭丸の霊圧は――昨日を境に、隊長格に匹敵する程に変質してしまったからだ。

 当初はどこからか霊圧を強奪したか、あるいは協力者の疑いをかけていた。だが霊圧が御蔭丸のもので間違いない事、“叫喚”においてそのような手段を取る事が出来ない事を証明するだけだった。

 大神御蔭丸の霊圧が正当なものである以上、それは彼の罪状の一部が潔白であるという証明に繋がりかねない。御蔭丸に罪を被ってもらいたかった四十六室は再び投獄する事を目論むが――()()()()によりそれは(とん)()する。

 頭を悩ませ議論を紛糾させた四十六室は討論の末、一つの結論に至った。

 

 ・虚との内通及び結託の罪は紛れもない事実であり、覆せるものではない。

 ・しかしアルヴァニクス・エヌマニュエルの討伐達成が現実味を帯びた今、その功績は罪科を打ち消して余りある。

 ・故に大神御蔭丸がアルヴァニクスを討伐した証明として、隊長格二名との果たし合いを命ずる。

 ・これの結果如何によっては、最大で大神御蔭丸の無条件釈放を取るものとする。

 ・尚、大神御蔭丸と果たし合う隊長格は四十六室で選出する。

 ・一人は十一番隊隊長・(くる)()(しき)剣八。

 ・一人は六番隊隊長・朽木銀嶺。

 ・以上両名に、大神御蔭丸との果し合いを命ずる――――

 

 

 

「――――ってなわけで、お前と『果たし合い』をしろって命令が来たわけだ。そこら辺は分かってンだろーが、一応確認しておかねえとな。

 お前もそう思うだろう――――大神御蔭丸」

「ええ、そう思いますよ――――刳屋敷剣八、十一番隊隊長」

 

 尸魂界・中央地下大監獄――――最下層『無間』。

 尸魂界全土において刳屋敷剣八が唯一、卍解を用いない全力戦闘を許可されている場所。

 本来ならば様々な事情から極刑を免れた最悪の罪人たちが投獄される地。その字の如く一分の間も無く、その音の如く無限に等しい牢獄に――一人の罪人と二人の隊長が立っていた。

 ――――十一番隊隊長・刳屋敷剣八。

 ――――六番隊隊長・朽木銀嶺。

 ――――罪人・大神御蔭丸。

 刳屋敷は獰猛に笑い、銀嶺は静かに凍てついた眼光を湛え、御蔭丸はただ微笑んでいる。三者三様に佇む中、既に抜刀している刳屋敷が(きっさき)を御蔭丸へ向けた。

 

「……良い霊圧だ。正直な、あの戦いを観てた俺も、なんでお前がアルヴァニクスを斃せたか分からなかったんだ。烈姐さんに任せた後も、お前の霊圧は弱っちいままだったしな。

 けどよ、霊圧で刃が研がれるこの感覚……間違いねェ。やっと確信出来たぜ――お前がアルヴァニクス・エヌマニュエルを()ったってな!」

「…………」

 

 刳屋敷の血風のような霊圧に曝され、御蔭丸は黙って微笑みを深くする。そして静かに背中の斬魄刀に手をかけ――その名を呼ぶ事無く、逆十字を顕現させる。

 大柄な御蔭丸の身の丈を超える逆十字に血の匂いがなくとも、秘する力が隊長格のそれだと対峙する二人は直感していた。刳屋敷は犬歯を剥き出しにして凶笑し、銀嶺は眉間を鋭く絞る。

 

「ハッ、涼しい顔してやる気満々じゃねえか!」

 

 吼えて、刳屋敷は斬魄刀を振る。その剣圧だけで無間の空気が一気に震えた。ついで全てを喰らい尽くすような霊圧が周囲に吹き荒れる。

 

「――……私は今でも過去の行いを悔いている。あの日――総隊長に止められようとも、私は(うぬ)を斬るべきだった。

 その汚辱を今晴らそう。私手ずから、汝の息の根を止めてくれる」

 

 銀嶺は凍てついた眼で厳かに斬魄刀を抜く。その刀身は冷たく光り、静謐な霊圧はもっと冷たかった。

 無間の闇が冬枯れのように削れていく。その骨まで凍るような霊圧を受けてなお笑みを絶やさぬ白髪紅眼の男を眼に――銀嶺はただ静かに。斬魄刀を解放した。

 

「滅ぼせ――――『(しち)(せい)』」

 

 瞬間、彼の手元には柄だけが残り――――凍てつく輝きを湛えた七つの球体が、銀嶺の周囲を星宿のように舞う。ときおり氷粒の線を結ぶそれら一つ一つが触れただけで凍りつく冷気を帯びている事は傍目からも理解出来た。

 

「――――来いとは言わぬ。ただそこで立ち尽くし、その呼吸の一片まで凍りつくがいい。

 教えてやろう――――私と汝の間に隔たる、ただ純粋な『格』の差を」

「……どいつもこいつも張り切りやがって……――随分愉しめそうじゃねえか……!

 そいじゃァさっさと()ろうぜ!! お前らの『果て』、存分に曝け出しやがれ!!!」

 

 刳屋敷が嗤い、銀嶺が凍てつき、御蔭丸は――なおも慈母のように微笑む。

 御蔭丸の命運をかけた三人の『果たし合い』が、始まった。

 

 

 

 結果として御蔭丸は、隊長格二人を相手に引き分けると言う戦果を上げた。

 御蔭丸は卍解を使い、刳屋敷と銀嶺が始解のままだった事を差し引いても――その戦果は凄まじいものだ。

 なにせ一人は初代を除いた歴代最強の『剣八』と名高い刳屋敷剣八である。

 彼の斬術は勿論、斬魄刀は始解ですら卍解と同等の戦闘能力を持ち、その卍解はあまりの威力からいかなる事態においても瀞霊廷内での使用を禁じられている程だ。

 そしてもう一人は五大貴族の一角を担う朽木家当主にして氷雪系最強の朽木銀嶺。

 死神の基本戦術である斬拳走鬼の全てにおいて高い能力を有し、彼の卍解を見た虚は誰一人生き残っていないという、現護廷十三隊の最上位に位置する一人。

 この二人を相手にした場合、例え引き分けでなく敗北であっても生き残れば能力ありと見なされる。戦いが二対一から三つ巴の混戦になっていたとしても、本質が『果たし合い』という名の処刑であったとしてもだ。

 そして御蔭丸の卍解がアルヴァニクスを屠った時の十分の一の霊圧しか蓄積されてなかった事も踏まえられ――彼は罪状を覆す戦果を上げていたとして、釈放されたのだった。

 

 

 

「ふう……やっぱりこれがあると落ち着くな」

 

 釈放当日。中央地下大監獄の入口がある一番隊隊舎内で、御蔭丸は紅い扁桃の髪留めをつけていた。

 アルヴァニクスとの戦いのあと間を置かず投獄されたため、ずっと隠密機動の預かりになっていたものだ。それをつい先ほど受け取った彼は、髪留めの入れ物である紫陽花の蒔絵が描かれた漆器を懐にしまう。

 そして迎えが来るのを彼は静かに待っていた。しばらくそうしていると、小柄な人影が御蔭丸に近づく。

 

「――あら。お久しぶりですね、大神さん」

「……卯ノ花隊長?」

 

 嫋やかな笑顔でやって来たのは卯ノ花だった。けれど御蔭丸は非常に驚いた様子で疑問符を浮かべている。

 

「霊力が元に戻ったようですね。傷痕も無いようですし、十年前の傷は完全に癒えたようで何よりです」

「え、ええ。他ならぬ卯ノ花隊長が治療してくださったので、傷など残る筈もありません……それよりも、どうして一番隊隊舎(こちら)に?」

「貴方をご案内するよう、総隊長から仰せつかったのです」

「そうなのですか? 雀部副隊長がいらっしゃると聞いていたのですが……」

「雀部副隊長は現在入院中です。立ち話も何ですから、先にご案内いたしましょう。ついておいでなさい、大神さん」

「え、あ、はい」

 

 にっこりと微笑んで歩き始める卯ノ花に、御蔭丸は慌てて続く。

 勝手知ったる一番隊隊舎、という風に卯ノ花は迷いなく進んでいく。「四」の字が描かれた隊長羽織を纏う卯ノ花の背を追いかける御蔭丸は、その小さくも頼れる後ろ姿を懐かしく思う反面、妙な違和感を感じていた。

 ――何か、こう……強引じゃないか? 卯ノ花隊長。

 そんな事を思いながらついていくと、人目につかない一室の前で卯ノ花は止まる。御蔭丸は普段の心がけから反射的に戸を開いて卯ノ花を先に入室させようとしたが、その前に彼女は戸を開けて「お先にどうぞ」と言われてしまった。

 御蔭丸は困惑しながら卯ノ花に従う。うながされて先に入ると、非常に殺風景な部屋が眼に飛び込んできた。窓もなく、部屋には対面式におかれた椅子が二つしかない。

 この時点で御蔭丸は嫌な予感に駆られていた。だから不安から卯ノ花へ振り返って――さっと入って戸を閉めた彼女が、巨大な錠前をかけるところを見てしまった。

 

「…………え?」

「どうかしましたか? ああ、ずっと牢獄暮らしだったのですから、疲れているのですね。さあ、そちらの椅子にお座りなさい」

「いえ、あの……卯ノ花隊、長?」

「お座りなさい、大神さん」

 

 にっこりと――それはもう慈しみに満ちた微笑みで卯ノ花は御蔭丸に言う。その笑顔は本当に綺麗で、なのにどうして有無を言わせぬ迫力があるのだろう。笑顔の引きつる御蔭丸は「は、はい!」と慌てて椅子に座る事しか出来なかった。

 

「さて……まずはお帰りなさい、と言っておきましょうか。ああ、お勤めご苦労様、と言った方がよろしいかも知れませんね」

「そ、そうですね……本当に、ご迷惑をおかけしました」

「迷惑だなんて、私は何もしておりませんよ。ええ、何もしておりませんとも。ですから頭を下げる必要はありませんよ」

 

 深々と腰を曲げる彼の正面に座った卯ノ花は、どこまでも優しい声色でそう(うなが)した。その声に従って御蔭丸は恐る恐る顔を上げ――一層迫力の増した彼女の笑顔に冷や汗を流す。

 

「…………あのー……卯ノ花隊長? ひょっとして……怒っていらっしゃいます?」

「あらまあ、面白い寝言を言うのですね。何故私が怒らなければならないのでしょうか。どうしてそんな事を考えたのか、是非とも聞いてみたいものですね。

 怒りませんから、さあ、話して御覧なさい」

「いえ、あの、それは流石に……」

「話して御覧なさい、大神さん」

 

 卯ノ花の笑顔の裏から得体の知れない圧力が(ほとばし)る。まるで心臓を掴まれるような錯覚に気圧された御蔭丸は、観念して全て話すしかなかった。

 

 

 

「勿論、貴方が投獄された事は怒っておりません。貴方はただ私の命令に従い、生きて戻る事を優先した(まで)。私が命じた事を守った貴方に怒るなどあってはならない事です」

「……はい」

「貴方が犯した罪について、私に何の相談もなかった事も当然怒っておりません。貴方は私に責任を押し付ける事を嫌い、何も言わなかったのでしょう?

 それでしたら本来、命じた私が背負うべきだった責任を貴方が被った事も、貴方が尸魂界に帰り投獄されるまでの一週間足らず、まるで潔白であるかのように振る舞った事も、ええ、怒っておりませんよ」

「…………はい」

「お説教が山ほどあると言ったのにのらりくらりと交わしていた事も、何も怒っておりません。

 私は当時何一つを知りませんでした。傷が癒えた後は貴方が私の部下に戻る事を、何の疑いも無く信じていました。少しでも事情を総隊長に伺っていればそうはならなかったのですから、全て私が悪かったのでしょう。

 貴方もそれに賛同してくださいますよね? 大神さん」

「………………はい」

「あら、どうかしましたか? 随分と顔色が悪いようですが、やはり牢獄暮らしが祟ったのでしょうか。それでしたら総隊長とのお話が終わった後は、すぐにでも総合救護詰所にいらしてください。

 私が付きっきりで、貴方の健康を診断して差し上げましょう。よろしいですね、大神さん」

「……………………はい」

 

 にっこりと――――それはもう野に咲く卯の花のように。手を合わせて微笑む卯ノ花に、御蔭丸は壊れた人形のように笑顔を張り付けて頷いていた。

 御蔭丸がこの部屋に連れ込まれて既に三時間近く。遠くから聞く分には笑い声の絶えない会話なのだが、もし中に二人以外の誰かがいたとしたら一分と持たず退室しただろう。

 卯ノ花の笑顔の圧力はそれくらい大きくなっていた。曝され続けた御蔭丸はもう仏か何かの心境である。

 すなわち無――つまりはいつも通りの彼に、卯ノ花はふと笑みを止めて、凛と居住まいを正した。

 

「――――……虚と情を、交わしたそうですね」

「! ……――――ええ。僕から望んでそう致しました」

「後悔は、していないのですか」

「微塵も。僕は今でも彼女を愛しておりますし――その想いはこれからも、変わる事はありません」

「そう、なのですね……」

 

 笑みを浮かべながら、凪いだ眼で御蔭丸は言う。壊れた彼の紅い眼を黒真珠の瞳に深く写して、ゆっくりと瞬きをし。卯ノ花は悲しげに眉根を下げて淡く微笑んだ。

 

「……口惜しいものですね。私がもっと、もっと早く、自分の想いに気付いていれば――――見す見す貴方を虚などに、奪わせるなんてしなかったのに」

「…………卯ノ花隊長」

「大神さん。二十数年前、貴方がたが大虚の群に襲われたと聞いて、私がどんな想いをしていたか分かりますか?

 貴方が行方不明だと聞いて、どんな想いで私が除籍の手続きをしたか、貴方に分かりますか?

 十年前に、やっと貴方が見つかって。とても無事ではなく、力のほとんどを失っていたけれど、やっと貴方が帰ってきてくれた事を――私がどんなに喜んだことか。貴方に分かりますか?」

「……………………」

「私には、貴方が何を考えているか良く分かります。

 貴方はあの時、私の考えを知った上で、それでも罪を被り、投獄される道を選んだのでしょう。

 私の想いに気付いた上で――――請われればそれを受け入れる他にないと、貴方は分かっていたのです」

「卯ノ花隊長……俺は――――」

 

 卯ノ花の寂しげな物言いに、御蔭丸は自分の面影を剥ぎ取る。本心から言うべき事があると口を開こうとして――その薄い唇に、細い指先がのせられた。

 

「――その先は、おっしゃらなくても良いのです。

 大神さん。私は決して、貴方の思うような女ではありません。貴方が思うよりもずっと、ひどい事を愉しめる女です。

 ああ、だから――もう何もおっしゃらないでください。

 私は――――悲しんでいる貴方が好きですよ」

 

 唇に当てた指を頬へ滑らせて――ゾッとする笑みを卯ノ花は浮かべた。それは天上の花のように、あるいは彼岸を覗くように――能面のように酷薄に、御蔭丸の眼に写る。

 それはほんの数秒ほどで、しかし御蔭丸には永い時間だった。他者の理解に尽力し願いの面影を重ねる彼でも――卯ノ花の笑みに潜むそれは、見た事がないものだった。

 ――ああ……この願いは……

 御蔭丸はそれに似たものを知っている。元柳斎の内にもあり、雅忘人の内にもあり、刳屋敷の内にもあった――剣の握る者全ての願い。

 御蔭丸が答えに辿り着いた時、卯ノ花はそっと彼から離れる。満足げに微笑む彼女に、御蔭丸はどんな言葉をかけていいのか分からなかった。

 

「そろそろ総隊長がいらっしゃるでしょう。私の用も済みましたし、今度こそご案内します。

 さあ、ついておいでなさい――――()()()

「……かしこまりました。卯ノ花隊長」

 

 慈しむように微笑んで、卯ノ花は戸の錠前を外す。御蔭丸は苦しげに、(つくろ)った笑みを浮かべて立ち上がった。

 ――変わらぬものだと思っていた。

 ――時を経ても、俺と卯ノ花隊長の関係は。

 ――だが、やはりままならんものだな。

 ――見えぬ心と云うものは。

 卯ノ花に(さき)んじて御蔭丸が戸を開けて「ありがとう」と彼女が先を行く。続いて後ろを歩く御蔭丸の、二人の距離は変わらない。

 けれど彼らの関係は、決定的に変わってしまった。その原因が間違いなく己に在る事を自覚する御蔭丸は、いつものように笑ったままだ。

 そうする事しか、彼には出来ない。これからもっと深くなるであろう、卯ノ花との関係を予測しながら――それでも願いの面影通りに。御蔭丸は歩んでいく。

 

 

 

   φ

 

 

 

 一番隊隊舎・隊首室。

 各隊長に割り当てられる私室であるその部屋は、普段なら元柳斎と腹心である長次郎しか出入りしない。

 だが今は元柳斎と長次郎の他に二人の姿がそこにはあった。

 元柳斎の横で牡丹のようにしとやかに正座する四番隊隊長・卯ノ花烈。

 元柳斎と卯ノ花、そして背後に立つ長次郎の三名を前にする大神御蔭丸。

 何故彼らが元柳斎の隊首室にいるかと言えば――()()()()で釈放された御蔭丸に、その条件を説明する為である。

 

「……成程。つまり僕は今後、最大数十年に渡って隠密機動による監視を受ける必要があるのですね」

「左様。お主の釈放はあくまでその功績によって打ち消されただけのもの。虚との関係を持った罪咎は未だ消えず、故に万が一を考えお主を監視する必要がある。

 そしてこの間、一部を除いた護廷に連なる職に就く事は許されん。未だ死神に反した異分子であるお主が、真に叛逆の意志なしと判断されるまではな。

 これに関しては例え中央四十六室から指令がなくとも、儂の独断でそうするつもりじゃった。お主を護廷十三隊に拾い上げたのはこの儂じゃ。そのお主が尸魂界に叛逆する事あらば、我が身を以て打ち砕かねばならん。

 ……分かっておろうな? 大神御蔭丸よ」

「勿論です。僕は死神、そう望まれ此処に在るならば、死神の務めを果たすのみにございます」

 

 慈母のように微笑んで頷く御蔭丸に「分かっとるなら苦労を掛けるな」と元柳斎はぼやく。そもそも御蔭丸が罪を犯さなければこんな事にはならなかったのだから、それは正当だ。

 溜息をついた元柳斎は背後の長次郎に目配せをする。無言で控えていた彼は頷き、懐から木製の手形を取りだした。

 

(しゃ)(めん)については以上じゃ。今後は本分を弁え、身の振り方を考えるようにせよ。

 最後に、お主にこれを渡す。今のお主には過ぎた額かも知れぬが、受け取るがいい」

「……? はあ、謹んで受け取らせていただきます」

 

 御蔭丸は気のない返事をして長次郎からうやうやしく五角形の手形を受け取る。これが何か分からない彼は型に記された文字を読んで――あまりの驚きに眼を皿のように開いた。

 

「あ、あの……元柳斎、様……これは、一体……?」

「アルヴァニクス・エヌマニュエルを討伐したお主への給金じゃ。中央四十六室は渋っておったが、正当な働きには正当な報酬がなければならぬ。

 返金は許さん。その給金は(しゃ)()に溺れる事無く、これからの暮らしに用立てるがよい」

「それは、勿論そう致しますが……流石にこの金額は……」

 

 元柳斎の言葉を御蔭丸は半ば上の空で聞いていた。だが、それも無理はない。彼の持つ木製の型――つまり為替(かわせ)手形には御蔭丸の名と、十二桁に及ぶ凄まじい金額が記されていたのである。

 その莫大な金額に為替手形を手にしたまま、御蔭丸は固まってしまった。人の機微には(さと)い彼でも自分の事、更に言えば想像を五百倍の速さで突き抜ける金額に流石に止まってしまったのだ。

 

「……四番隊隊長卯ノ花烈。事前に話は通しておかんかったのか?」

「申し訳ありません総隊長。私とした事がついうっかり忘れておりました」

 

 そんな彼を尻目に元柳斎が耳打ちすると、絶対に忘れていなかった顔で卯ノ花は微笑む。

 苦労人の総隊長は「こやつもか」という表情で額に手を当て、深い深い溜息を吐いた。

 

 

 

 御蔭丸がアルヴァニクス討伐の給金を受け取って数日後。

 白髪紅眼の大男は、瀞霊廷を当て所なくフラフラと歩いていた。

 それはそうだろう。仕事も無い、宿も無い、けれど金だけは押し潰される程持っている。食うに困らないが、使い道を考えるには多すぎる額。無欲な御蔭丸が頭を悩ませた結果、とりあえず散歩しようという結論に至るのも無理はなかった。

 ゆっくりと歩く御蔭丸は切れ長の眼を細めて懐かしむように周りを見る。二十年来の景色だ、変わらぬ所も変わった所も何もかもが懐かしい。

 ――帰ってきたんだな、俺は。

 微笑んで、気の向くままにそうしていると賑やかな地区に足を踏みいれていた。この辺りは商業区で、常に人の喧騒が絶えない。だが今は御蔭丸の周りだけ静かになって、皆が皆彼を凝視していた。

 勿論、彼の容姿が非常に目立つ事もある。だがそれ以上に人目を引いているのは――彼の両側を一分の隙もなく固める、鋭い目つきの隠密機動だった。

 

「…………」

 

 いつも通りに笑う御蔭丸は無言で状況を受け入れている。釈放の条件を聞いてここまで直接的(ダイレクト)な想像はしていなかったが、監視は監視だ。彼らは己が勤めを存分に(まっと)うしているだけであり、伊達や酔狂でこんな事をしているわけではない。

 つまるところは、宣伝なのだ。ここに監視対象の元罪人が居るという、御蔭丸にとってはとても迷惑な仕事を兼ねている。

 ――可能性は低いだろうが、四十六室の差し金かもな。

 ――俺の投獄を流れるように決めたのも、報酬金が惜しかった面もあるのだろうし。

 ――わざと厄介者として扱い、また罪を犯させる腹積もりも考えられるか。

 こんな状態ではまともに商店にも入れない御蔭丸は、そんな暇人のような仕様もない事を考える。実際暇なので仕方ない。

 

「……ん?」

「……どうした。急に止まるんじゃない」

 

 ふと立ち止まった御蔭丸に隠密機動が威圧的に言う。「いえ、少し気になる事がありまして」と御蔭丸は微笑み、遠い塀の向こうを見遣った。

 ――霊圧の波動を感じる……これは瞬歩の霊波だな。

 ――こんな真昼間の街中で、大胆な事だ。

 ――それにしてもこの霊圧、まるで子供のもののような……

 霊覚を研ぎ澄まして霊圧の痕跡を負っていく。何かから逃げるように瞬歩を乱発する霊圧の源が、徐々にこっちへ近づいてくるのが分かる。

 ――この様子だと、あと三、四歩目あたりで失敗するな……

 ――仕様がない。一応、こっちで構えておくか。

 

 そう決めて彼は、きつい眼で肩を押す隠密機動に頭を下げて歩き出した。急がなくても瞬歩に失敗するであろう地点は御蔭丸の瞬歩の射程であるため、ゆっくりとそこまで歩いていく。

 霊圧を放つ人物が何者かは分からない。もしかしたら逃亡中の罪人かも知れないが、瞬歩に失敗すれば大怪我は必至である。元四番隊として見過ごせない御蔭丸は――失敗して足を滑らせたのを感知した瞬間、その場から消失した。

 

「ぬおおおおおおおおお――――おお!?」

「よっと……危ない所でしたね」

 

 元居た場所から離れた屋根に、小さな子供を抱いて現れる。そのまま道に降りて子供を降ろした御蔭丸は、視線を合わせるように膝を折って優しげに微笑んだ。

 

「大丈夫ですか、お嬢さん」

「だっ、誰じゃおぬしは!?」

「大神御蔭丸と申します。……ふむ、傷はないようで何よりですよ」

「なっ……何じゃこやつは……!? 急に儂を抱いたと思ったら舐め回すように見てきおって……! おぬし、さては『ろりこん』という奴じゃな!!」

「違いますよ。会っていきなり僕の評判を落とさないでください」

 

 ビシリと自信に満ち溢れた顔でこちらを指差す子供――少女に、御蔭丸は微笑みながら言い返す。けれどそれ以上は言葉を続けない。少女の服装が明らかに上級貴族のそれだったからだ。

 野生の美しさを宿す褐色の肌を包む最高級の着物からして、可愛らしくハネている黒髪を結う(かんざし)からして、ひょっとすると五大貴族の令嬢かも知れない。

 ――一応、恰好だけは整えておくか。

 折った膝をそのまま畏まる姿勢に変えて頭を下げる彼に少女はおかしなものを見る眼を向ける。

 

「急に何をしておるんじゃ?」

「いえ、貴女様が非常に高貴な出であらせられると愚考した次第で、失礼のない態度を取っているつもりですが」

「バカにされてる気しかせんぞそれは。

 ……それよりおぬし、随分と都合の良い時に現れて儂を抱きかかえてくれたが――誰の命令じゃ?」

「命令など受けておりませんよ。瀞霊廷を散策していた所、たまたま貴女が足を滑らせたところをお見受けして助太刀に入った次第です」

「そんな言い訳が通用すると思うて――いや待て、儂が足を滑らせるところを見たじゃと?」

「はい、その通りにございます。それがどうか致しましたか?」

 

 御蔭丸がそう言うと、少女は難しい顔をしたまま黙ってしまった。何やら唇を尖らせて悔しげな雰囲気を出す少女に、御蔭丸も黙って膝を突いていたが――急に地面に押し倒され、関節を決められる。

 

「き、貴様ァッ! 監視対象の分際で何を勝手な行動、を……!?」

 

 覆面の下に怒りをにじませる隠密機動は、御蔭丸の前にいた少女を目にした瞬間凄まじい狼狽を見せる。

 

「……どうかなさいましたか?」

「ば、馬鹿者!! どうかなさいましたか、ではないわこの大(うつ)けが!! この御方をどなたと心得て――」

 

 のほほんと聞いてくる御蔭丸に隠密機動が焦りをぶつけるような怒声を響かせる。しかしそれは()()()()()()()()()()()特殊装束の者達が周囲に出現した事で途切れた。

 青い顔をして震える隠密機動を余所に、御蔭丸は冷静に観察する。特殊装束の者達は少女を護るように展開している。少女と直接話している老齢の男性は――周囲の四楓院家の手の者より立場が上に見えるため――執事か家令なのだろう。

 汗を拭きながら困り顔で諭してくる男性に辟易したのか、少女は渋々と言った(てい)で頷いた。そして可愛らしい大きな瞳で御蔭丸をちらりと見て――ニッと猫のように笑い、手を振って周りの者と共にその場から消える。

 その後拘束を解かれた御蔭丸は隠密機動に泣き言に近い説教を食らった。

 

 

 

 それから一週間後。何故だか御蔭丸は四楓院家に招かれていた。

 招かれていたというか、拉致られていた。

 朝起きたら大勢の隠密機動に囲まれていて、簀巻きにされてあれよあれよと四楓院家まで運ばれた。

 御蔭丸には分からない。

 四楓院家の家令であった気弱そうな男性が、すがるようにこちらを見ている事も。

 客間の壁という壁に並び立つ隠密機動が、最大限の警戒でこちらを睨む事も。

 転がされる御蔭丸の正面、豪奢な上座に偉そうに踏ん反り返る少女がこちらをニヤニヤと見ている事も。

 御蔭丸には何一つ、分からないことだらけだ。

 しかし――ただ一つだけ、分かる事がある。

 

「久方ぶりじゃな、御蔭丸。今回はおぬしに折り入って頼みがあってな、連れてこさせたのじゃ」

 

 五大貴族の一角、(てん)()(へい)(そう)(ばん)・四楓院家。

 

「頼みというのは他でもない。儂が知る限り最も無害で、最も暇そうで――今の儂よりも優れた能力を持つ男」

 

 その四楓院家の秘蔵っ子――四楓院夜一。

 

「大神御蔭丸よ。おぬしに、儂の教育係を務めてもらいたい!」

 

 豪胆に、猫のように笑う少女の鶴の一声で――どうやら御蔭丸は、四楓院夜一の教育係になってしまったらしい。

 

「畏まりました。謹んで受けさせていただきます」

 

 簀巻きにされた格好のまま、御蔭丸は慈母のように微笑んだ。

 




原作より六六五年前の出来事。
以下、オリ主のプロフィール。

人物データ 大神(おおがみの)御蔭丸(みかげまる)
      大神(おおがみの)(しん)()(ろう)(まさ)(むね)
誕生日/6月28日
身長/201cm
体重/99kg
斬魄刀/天獄(てんごく)
解号/裁け『天獄』
卍解/(ごく)(らく)(しん)(あま)()()
趣味/人の願いを叶える
特技/人の願いを叶える
食べ物/
好き:いちご大福
嫌い:なし
休日の過ごし方/
・平日に約束した人と過ごす
・自室で一人いちご大福を食べる

彼の好物がいちご大福という事はあまり知られていない。好きになった理由はまだ現世で生きていた幼少期に母親から貰ったから。生涯一度しか食べなかったその味を強く記憶している彼は、用事のない休日には必ず食べているようだ。

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