BLEACH Fragments of Remnant   作:ヴァニタス

2 / 23
牢獄の中で微笑みを浮かべる

 その日、瀞霊廷(せいれいてい)は少し慌ただしい朝を迎えた。

 なぜなら瀞霊廷に存在する四つの門の一角、西の白道門の近隣に大虚(メノス)が現れたという報告が入ったからだ。

 それは日が出て間もない頃であり、穏やかな朝を迎えるはずだった護廷十三隊所属の死神たちはまさに寝耳に水な目覚めを味わう事になる。

 

 しかし彼らは瀞霊廷を守護する戦闘部隊。例え寝ている時に奇襲されても動じずに対応できるような精鋭を集めた尸魂界(ソウルソサエティ)の番人だ。警報に叩き起こされた死神たちはすぐさま死覇装を整え、戦闘準備をして瀞霊廷を飛び出す。

 だが、斥候に出ていた隠密機動から出現地点を聞きだし、十分と経たずに現場に急行した死神たちが目にしたのは――薙ぎ倒された木々と、底の見えない深い穴のみであった。

 

 話に聞いていた大虚などどこにもなく、あるのは戦闘痕とおぼしき惨状だけだ。融通の利かない十一番隊の隊長が起き抜けの運動に斬り(たお)したのかもしれないが、瀞霊廷に戻った死神の報告を聞いた上層部の人間が訝しんだところを見ると、そういうわけでもなさそうだった。

 では一体、誰が大虚を倒したのか。これを問題視した瀞霊廷上層部、中央四十六室は死神たちに調査と対処を命じ、護廷十三隊一番隊隊長にして護廷十三隊を束ねる総隊長でもある山本(やまもと)元柳斎(げんりゅうさい)重國(しげくに)を責任者とした。

 

 大虚が出現したために瀞霊廷の警備を強化した事と、連日雨が降り続いたせいで調査は難航したが、死神たちは大虚を倒した人物を突きとめる。雨が開けた快晴の日にその人物を強制的に拘束・収容し、それらの情報は元柳斎の元へ届けられる事となった。

 

「――その報告に、間違いはないんじゃな?」

「はっ! 念を入れて隠密機動の精鋭に調査させましたが、西流魂街の森の残存霊圧は、同じく西流魂街第一地区・潤林安に住まう魂魄、大神御蔭丸という男と完全に一致したそうです。森に現れた大虚も最下級大虚(ギリアン)であると判明しました」

 

 瀞霊廷の中央に存在する一番隊隊舎――その隊首室で渋い男性の声がまくしたてられている。うっすらと銀色に光る髪を全て頭の後ろに撫でつけている、一番隊副隊長の雀部(ささきべ)長次郎(ちょうじろう)忠息(ただおき)の声だ。

 

 もう青年とは呼べないが、まだまだ若いといえる部類に入る長次郎は、まるで王に全てを捧げた忠臣の如く極まった態度で片膝をつき、頭を下げている。遥か昔から苦楽を共にしてきた男の(おお)袈裟(げさ)とも言える態度を当然の物として、元柳斎はしゃがれた声で続きをうながした。

 

「して、その大神御蔭丸とやらはどのような男なのじゃ?」

「潤林安の長老の話によると、かなり穏健な男のようです。外見は白髪(はくはつ)、白肌、紅眼な上に六尺六寸に届きそうな程の大男ですが、見た目に反し平和を愛する性格のようで、住人との仲も大変良かったと。やって来たのは二十年前ですが、特に問題らしい問題も起こさない、良く出来た人物であるようです」

 

 長次郎は他にも隠密機動が盗聴した住人達の話の中で、人当たりが良い、面倒見が良い、女性に人気などの報告も付け加える。少なくとも潤林安の住人から悪く見られるような性格はしていなかったらしい。「うむ」と元柳斎は一つ頷くと、最も重要な情報に斬り込んだ。

 

「それで――そ奴の霊圧はどれ程のものと見る?」

「それが……」

 

 そこで長次郎は言葉を濁した。今でも信じられないという態で白目とほぼ同一色の白銀の瞳を横へ投げながら、恐る恐る口にする。

 

「……大神御蔭丸を捕縛した際に計測した霊圧は、隊長格とはいかないまでも、上位席官級の実力があったようです。私自身も捕縛された大神御蔭丸の護送に参加していたのですが、我が一番隊の第四席、第五席と比べても遜色なき霊圧でした。もしかしたら第三席にも届くほどの。それだけならばまだ、在り得ないとは言い切れぬのですが……」

「なんじゃ、なにか腑に落ちぬ事でもあるのか」

 

「はい……大神御蔭丸の霊圧が、あまりにも静かだったのです。隠密機動と鬼道衆によって強制的に捕縛されたにも関わらず、霊圧に一筋の乱れも感じられませんでした。更に奇妙な事に、大神御蔭丸は捕縛時、笑っていたそうです。まるで聖母か何かを思わせるような微笑みで、あまりにも異質過ぎて気味が悪かったと、捕縛した隠密機動が申しておりました」

「ふむ、そうか……」

 

 表情を曇らせる長次郎の報告に、元柳斎は最近伸ばし始めた白髪(しらが)混じりの顎髭(あごひげ)をなでる。

 話の筋からして、大神御蔭丸という男はギリアンとはいえ大虚を倒すほどの実力者。しかし争いを好まない平和な性格であり、なおかつ急襲に近い形での拘引(こういん)にも動じぬ胆力を持っている。だが、その途中で状況に似つかわしくない、男性であるのに慈母の笑みを浮かべる異常な部分も見受けられる。

 

 口伝ての情報だけでは理解しがたい男のようだ――元柳斎は顎から手を離すとおもむろに立ち上がり、長次郎に向けて厳然と言い放った。

 

「長次郎よ。隠密機動第三分隊・檻理(かんり)隊に現在拘束中である大神御蔭丸との面会の用意を通達せよ。それと護廷十三隊各隊長に、手の空いている者は隠密機動の獄舎に参集の命を伝えよ」

「元柳斎殿! それでは……」

 

「うむ。大神御蔭丸とやらがどのような男なのか、儂が直接この眼で見定める。本来ならば儂一人でも剴切(がいせつ)に過ぎるじゃろうが、ともすれば護廷十三隊の一員になるやもしれん。今後も考え、顔合わせをさせておく意味もあろう。行くぞ長次郎。お主もすぐに支度を整えよ」

「はっ! 了解致しました!」

 

 大仰に頭を下げる長次郎に深く頷き、彼が身支度を整える間、元柳斎は南側に開けた隊首室の欄干に歩み寄り、西の方へ視線を投げる。

 見えるのは晴れ渡った快晴の空だけだ。特に目につく物はないが、元柳斎は目に見えぬ何かを見透かすように目を細める。

 しばらくして長次郎が戻ってくると、元柳斎は文机の側に鎮座させていた自らの斬魄刀を手に取った。

 

 自らの力の証である斬魄刀を強く握って腰に差し、全ての始まりを示す「一」の文字が刻まれた隊長羽織を(ひるがえ)して隊首室を去る。それに続く形で長次郎が出て行った。

 後には誰もいない隊首室と、東からの陽光が差し込むだけだ。その暖かな光を振りまく太陽に、重く垂れこめた雨雲が這い寄ろうとしていた。

 

 

 

   φ

 

 

 

「むう……ここは、どこだ?」

 

 冷たい灰色の石が覆う牢獄の中。その中央に転がされていた御蔭丸は、本日二度目の目覚めを体験する。後頭部を殴打されて強制的に失神させられていたので、その目覚めは決して快適なものではなかったが、一度起きていた事もあってか、意識ははっきりしていた。

 

「っつぅ、頭が痛いな……、……? なんだ、これは」

 

 ぱちぱちと目をしばたかせた後、ズキリと痛んだ後頭部に御蔭丸は顔をしかめる。反射的に頭の後ろをさすろうとして、自分の両腕が動かない事に気付いた。眉間にしわを寄せたまま視線を下げると、黒色の拘束衣が上半身を覆っていた。

 腕を交差する形で縛られているのを確認すると、見れば下半身も足首を鎖で繋がれている。霊圧を抑えるものであろう足枷には、見るからに重そうな鉄球がくっついていた。

 

「……やれやれ。目が覚めたら牢獄の中で、身体の自由は利かないときたか。あまり好きじゃあないな、こういうのは。別に嫌いでもないが。どちらにしても、どうでもいいか」

 

 御蔭丸は周囲を見渡し、正面の頑丈そうな檻を見て興味なさそうに嘆息した。そこには微塵の優しさもない、荒んだ表情があるだけだ。一体どうしてこんな顔をする男から、あんなにも優しげな微笑みが出てくるのか――仮にその二つの表情を見比べる事が出来る者がいたのなら、絶対にそう思うと断言できるくらいの落差がある。

 

 御蔭丸は拘束された身体を器用に動かして上半身を起こすと、壁にもたれかかって膝を曲げる。ついでゴキリと首の骨を大きく鳴らして、気の抜けた声を出して身体を弛緩させた。身体中の筋肉という筋肉を緩めきった、非常にだらしない格好だ。ここが死者の集う世界・尸魂界でなければ、魂が抜けたような状態だと表現できたであろうほど、その姿には生気がなかった。

 

「あ~~~…………」

 

 口から出る言葉ももはや言葉の(てい)をなしていない。声帯を震わせるだけの意味のない音を御蔭丸は半開きの口から出し続ける。しかしそのままそうしているのかと思えば、不意に声を止めて切れ長の真っ赤な眼を中空に向けた。

 そこには牢獄特有の薄汚れた天井が広がっているだけだ。いくら目をこらしてもどこにも変わった所はない。だが御蔭丸は、そこに注目すべき何かがあると言外に断定するように一点を見つめ続け――朧気(おぼろげ)な顔を、優しく笑顔の形に歪めた。

 

 ――見張りか。

 ――せめて、常時三人いるぐらいには厳重にすべきだな。

 ――いや、たまたま意欲のない者が警備に当たっているだけか。

 組織であれば各々の意識の差異が雲泥の違いになる事も少なくない。瀞霊廷の内部事情など御蔭丸は知らないが、ここ二十年の間は瀞霊廷の霊子の乱れを感じ取った事がないので、平和な日々が続き過ぎたんだろうと判断する。

 

 天井裏の気配がこちらを監視し始める前に、御蔭丸はだらけきった身体に芯を戻した。人は誰しも他人には見せられない姿があるものだ。御蔭丸の場合はそれが特に過剰で、他人がいる限りは優雅な態度を崩さないが、いない時にはとことん投げ捨てる。公と私の差がかなり開けた男らしい。

 御蔭丸はまたも器用に身体を動かして、なんとその場で正座した。足首に枷を嵌められているからかなり痛いはずだが、全く気にした様子がない。

 

 天上裏の気配がこちらをうかがう。気配を察した御蔭丸は、薄く笑った状態を保った。それは天井裏の気配からすれば、外に出る事を拒む檻に入れられ、灰色の牢獄の中で動きを制限されているにも関わらず、笑いながら過ごしている狂人のそれにも見えただろう。

 天井裏の気配はしばらく御蔭丸を見定め続けると、やがて別の気配と入れ替わる。それを合図とするように檻の遠く向こうで立ち塞がる重厚な扉が開き、十人程度の死神たちが檻の前に集結した。

 

 皆が皆、同じような白い羽織を背負っている。何かしらの地位を示すのか、羽織の背部にはそれぞれ数字が割り振られていた。

 ――たぶん、死神の頭領達だろうな。

 ――どいつもこいつも、強い霊圧をぶつけてきやがる。

 御蔭丸の予想は正解で、彼らは護廷十三隊の隊長達だった。お互いに顔を合わせるように左右に並んだ隊長達は、ほとんどが探るような視線と物は試しといった霊圧を投げてくる。例外はまるで興味のなさそうな「十一」の益荒男(ますらお)だけだ。

 

 御蔭丸はともすれば女のようにも見えてしまうくらい、脆く柔い笑みでそれを受け止めていた。その場に合わない不気味な笑顔に隊長達は警戒を強める。特に顕著な反応をしたのは「四」の女と「六」の男だ。「四」の女は表情こそ硬いものの、どういう意図かこちらを心配するような雰囲気を出している。逆に「六」の男は他の死神以上に警戒を露わにし、御蔭丸を見極めようとしていた。

 

 ――何というか、個性的な面々だな。

 自分の容姿や行動を棚に上げて御蔭丸はそんな事を思った。嫌味を感じさせない笑顔を崩さないままで。

 御蔭丸は笑い、隊長達は渋面する。そのように無言の対峙を続けていると、不意に隊長たちが気配を鋭くし、姿勢を正した。呑気に爪楊枝を立てていた「十一」の益荒男でさえ、肩に担いだ刀を降ろして背筋を伸ばす。

 

 ――何だ?

 内心で訝しむと同時に、津波のような尋常ではない霊圧を御蔭丸は感じ取った。それでも表情だけは崩さず、柔らかな笑顔から柔軟な驚きに変化させる。

 左右を隊長たちで挟んだ先の扉が、もう一度ゆっくりと開く。見た目も変わらない、音も変わらない、だが無意識に平伏してしまいそうな程に圧倒的な霊圧が、先ほどまでとは比べ物にならない重みを叩きつけてきた。

 

 ――これは……何と、云う……

 笑顔の裏で汗が流れる。これほどの霊圧は感じたことがない。遥か深海の底に落とされ、山よりも大きな大海の水に全身を圧迫され、為す術なく潰されてしまうような重く深い霊圧は。驚きに瞳孔を大きくする紅の眼に反転した扉が写る。腹の底に響く音を引きずって現れたのは――最強と謳われし最古の死神。

 

 その名は山本元柳斎重国。尸魂界の有史より存在する、尸魂界の歴史の生き証人でもあり、現在もなおその使命を全うする死神の長だ。

 顔には多くのしわが寄り、髪も後頭部の僅かな部分を残すのみとなり、(ひげ)などにも多くの白髪(しらが)が混じっているが、歴戦を生き抜いた老兵の眼に宿る力強さは健在だ。多くの傷痕の中でも特に額に刻まれた十字の傷が、元柳斎が辿って来た戦場を思い起こさせる。

 

 元柳斎は厳然たる態度で隊長たちの中央に陣取ると、刃もかくやという視線を御蔭丸の眼に突き付けた。

 ――まるで武人となる為に生まれてきた男だ。

 仮に人を刃の形に研ぎ澄ます事が出来るのならば、それはきっとこの男のようになるのではないか。若輩が受け止めるにはあまりにも苛烈過ぎる視線に御蔭丸は冷や汗をかきながら、元柳斎に敬意を覚えた。

 

 ――これ程の霊圧を得るのに、どれだけの鍛練を積み重ねたのか。

 ――たぶんそれは、俺如きには計り知れないのだろうな。

 あくまで心中で御蔭丸はそう思う。その考えを表にはおくびにも出さず、驚きの表情をさっと害意のない微笑みへと戻した。その様を厳然と眺めていた元柳斎は、見定めるように目を細め、老成されたしゃがれ声で問う。

 

「――お主が、大神御蔭丸で間違いないな?」

「はい、その通りでございます。このような不格好な姿での挨拶を許してください」

 

 御蔭丸は満面の笑顔でそう返し、丁寧な動作で頭を下げた。事情も説明されずにいきなり拘束されて、おそらくは捕縛を命じた親玉であろう男を前にしているというのに、明らかに常軌を逸脱した行動だ。

 これには並みの事では動じない隊長たちも眉を跳ね上げる他なかった。普通ならば「出せ!」と怒鳴ったり、「何の謂れがあってここに閉じ込めるのか?」と質問するはずだ。そうであるのにこんな態度に出られては、むしろ出鼻をくじかれてしまう。

 

 これでは怒鳴り声や疑念の声をぶつけられた方がましだ。御蔭丸の奇妙さに隊長たちは一層警戒の色を強める。

 僅かでも不審な動きをすれば斬る――斬魄刀の柄に手をかけた彼らの殺気は、そう言わんばかりのものだ。

 ――やれやれ、これではろくな話もできんな。

 ――もともと話す気などないのかもしれんが。

 ――この場で打ち首になっても仕方のない状況であるし。

 

 御蔭丸が小さく息をつくと、大きな咳払いが轟いた。隊長達の一番奥、元柳斎が放ったものだ。老躯となれど色褪せぬ力を持つ総隊長は、その生きた刃のような身体から重い言葉を御蔭丸に突き付ける。

 

「単刀直入に聞く。お主は四日前、西方郛外(ふがい)区第一区の森林にて、大虚(メノスグランデ)と遭遇。これをお主単独の力で討ち斃した――それに間違いはないの?」

「はい、間違いはございません。貴方様の仰る通りです」

「なぜ死神に助けを求めなかった。己の力を自覚していたわけではあるまい」

 

 流魂街には死神の才を持つ者が多くいる。だがその才能に気付いている者は少数で、大半はそうとは知らずに日々を送っているのだ。事実、御蔭丸の住いだった場所の霊圧痕には閉じている霊圧の残滓が確認されただけである。つまり御蔭丸は、己の霊力に気が付いていなかった。

 例え気付いていたとしても、使い方が即座に分かるはずもない。使い方が分かっていても、大虚ほどの敵に単身で挑もうなどと考えないだろう。

 

 なのにどうして、御蔭丸は一人で戦ったのか。当時の状況を推測できる情報は隠密機動の手によって全て出揃っているが、個人の目的は個人にしか分からない。元柳斎は長年培ってきた経験と洞察力から、御蔭丸の真意を見出すつもりでいた。

 元柳斎の問いに、御蔭丸は眉根を下げて少し苦く笑う。ゆらりと光る赤色(せきしょく)の眼には、まるで予想だにしなかったという意図が端々に蠢いていた。

 

「一人で戦うのは愚かしい事だと分かっておりました。僕一人だったのなら、一目散に逃げ出したでしょう。しかしあの時、側に知人と同居している子供がいたのです。その子を逃がす為に、僕は身を犠牲にする覚悟で挑んだのですが……まさか、僕にこのような力があろうとは思いもしませんでした」

 

 吐息を零すように言って、御蔭丸は視線だけを下に向ける。拘束された上半身、胸元で十字に縛られた両手の先で、事もなげに霊圧を変動させた。

 そう、霊力を封じる拘束具に全身を覆われながら、だ。拘束具が意味をなさないほど霊力が強いのか、あるいは拘束しきれない僅かな霊圧でも操作できるくらい技巧に優れているのか、判断の難しいところだ。

 

 だがそれは失策と言うべき愚行でしかなかった。御蔭丸が霊圧を動かした瞬間、「六」の男が刹那も挟まず斬魄刀を抜き、御蔭丸に斬りかかったからだ。見るどころか動いたという事さえ認識させない程の高速抜刀に御蔭丸は微笑み――次の瞬間には、「六」の男の腕を元柳斎が掴んでいた。

 

「これ、(はや)るでない。こやつにはまだ聞くべき事がある。御蔭丸、お主もじゃ。むやみやたらと挑発するな」

「……申し訳ございませんでした」

 

 ――やっぱりわざとだってバレたのか。

 ――まあ、今のはバレるよなあ。

 御蔭丸は元柳斎に深々と頭を下げながらそう思う。「六」の男は斬魄刀を納めて元の位置に戻るが、柄からは手を離さなかった。ひどく殺伐とした視線は変わらず、御蔭丸の全身に突き刺さってくる。

 

「全く、血の気の多い奴じゃて……」

 

 元柳斎は息をつくと、御蔭丸に向き直り、今一度、事前に聞いていた情報と目の前の男を重ね合わせる。

 白髪、白肌、紅い瞳。常人よりも頭二つほど高い大きな身体には引き締まった筋肉がついている。切れ長の目をした顔は彫りが深く整っているが、真顔であれば大きな身体から発せられる威圧感もあいまって、かなりの者が恐怖を抱くだろう。

 

 だが、聞いていた通りこの御蔭丸と言う男は笑顔を浮かべ続けている。害意を感じさせない、人の良さそうな清い笑みだ。いかにも平穏を好んでいる好青年と言った風情で、成程、これならば拒絶できる者などそうはいない。

 それが場を弁えたであれば、という条件は付くが。普段の生活でこのような笑顔を浮かべているなら、少なくとも良識ある人物とは思われるはずだ。だが牢獄の中で見せるにはあまりにも慈善的過ぎる。

 

 一体何の意図があって、そんな顔をしているのか――それを確かめるために、元柳斎は厳しい表情のまま、重い口調で御蔭丸に問いかけた。

 

「大神御蔭丸よ。お主はなぜ、そうも笑い続ける? よもや今の境涯(きょうがい)が分からぬなどとほざくつもりか」

真逆(まさか)。そのような腹づもりも勇気もありませぬよ。なにぶん、小胆なものでして。僕が笑う理由など、とても単純なものでございます。僕は貴方がたに刃向う意志などない――それを言外に分かっていただく為に、あえて頬をゆるませておりました。御不快でしたらどうかお許しください。これは癖のようなものなのです」

 

 御蔭丸はにっこりと笑って元柳斎にそう返す。優しげに細められたその眼には、それが逆効果であると分かった上でそうしているとしか思えない、理知的な光が宿っていた。

 話の通り、奇妙な男だ――元柳斎は鼻を鳴らして御蔭丸を睨みつける。明らかに鍛え上げられた身体に反し、その性質は泰平慈愛。だが良識ある人物と見るには致命的な問題点を抱えている。

 

 このまま放っておけば、尸魂界に危害を加える危険分子になるかもしれない(・・・・・・・・)……ならば永劫に牢獄に繋いでおくのが賢明だろう。本来ならばそうした方が事が起こる前に対処できるのでそうすべきなのだが、今回ばかりはそうも言ってられない事情がある。それは大神御蔭丸という男一人のために、護廷十三隊の隊長が集まっている事にも関係していた。

 

 別に複雑な事情があるわけじゃない。御蔭丸を拘束しつつも、隊長を集めてまで元柳斎が見極めようとする理由は――そのまま斬り捨てるにはあまりにも惜しい才能を秘めているからだ。

 今の挑発一つを取って見ても、普通にできる事じゃない。最低でも席官級でなければできない事だ。だから元柳斎は問い掛け、見極めようとする。御蔭丸が護廷十三隊に相応しい人物か否かを。

 

「お主は(わらべ)を守らんが為に力を振るったというたな。なればその力、これからどうするつもりじゃ」

「特にどうもするつもりはございません。あの子は守れましたから、もう僕が力を行使する理由がありませんので。もしも可能であれば、棄ててしまいたいぐらいですよ。争いは好きではありません」

「ほう、要らぬというか。じゃが、一度守った程度で事が済むかのう」

「はて、どのような意味でしょうか」

 

 元柳斎の思わせぶりな言葉に、なにも疑問に思っていないような抑揚で御蔭丸は相槌を返す。笑いながら、何を考えているのか読めない紅い切れ目を元柳斎に合わせて。

 たいして元柳斎は問答を交わしながら分析する。戦いは好まないと言った。しかし他者を守るために身を投げるくらいの正義感はあるようだ。ならばそこをついてこの男が自らの意志で、こちらの傘下に入るように仕向けてみるか。

 

「お主は一度、確かに童を守れた。じゃがその童がもう一度、(ホロウ)に襲われぬと言い切れるかのう。お主が力を棄てた後で、二度も襲われるやもしれぬ。その時お主はどうするつもりじゃ?」

「それは……そうなれば、今度こそ死んでしまうかもしれませんね」

「お主が死んだところで童が救われるとも限らぬぞ。お主もろとも喰われてしまってもおかしくはあるまい」

「それもそうですね」

 

 ただの可能性の話はあるが、ありえないとは言い切れない。そこに思い至れば、普通なら力の破棄を逡巡くらいするだろう。だが御蔭丸の反応は実に軽く、あっけらかんとしていた。

 ――なるほど。この男が何を望んでいるのか、良く分かった。

 しかし微笑みを浮かべる腹の底で、表面上とは違う種類の笑顔で唇を吊り上げる。ここで己が何をすべきなのか、ようやく理解したからだ。

 ――なら、この男の下で己を研磨すれば、期待に応えられるだろう。

 

「――のう、御蔭丸よ。その力、もっと磨いてみようとは思わんか。童だけではない。お主が守ろうとする大事な者共を必ず守り抜く為に、もっと力をつけようとは思わんか」

「…………」

 

 御蔭丸が元柳斎の狙いに思い至ると同時に、同じ言葉が放たれる。御蔭丸は笑顔のまま無言になり、少し考える時間を挟んだ後、薄く歪んだ唇から声を返した。

 

「――僕にはまだ、僕の大切な人達を守れるだけの力はありません。力を高める術も、そもそもこの力の一端さえ、僕は理解していないからです。もしかしたら、ふとした拍子で暴走してしまうかもしれない。なまじ使えたとしても、制御できないかもしれない。そう考えると、棄ててしまった方が良いのではと思いました」

「ならば、儂らがその力の使い方を教えよう。死神統学院へ来るが良い。さすればお主は、その力を自在に担えるようになる」

 

 必要な問答を数段飛ばして、元柳斎はそう言った。本来ならば、死神にならないかと問い、しばしの応答を繰り返し、最後に自らの意志で提示した道を進むように仕向ける。だが問答の途中で元柳斎も気が付いたのだ――御蔭丸と言う男の、その本質に。

 だから無駄を省き、こちらの要求だけを語る。冗長な話し合いに意味はない、この男は、どんな過程を経ようとも(・・・・・・・・・・・)最後には要求を受け入れる(・・・・・・・・・・・・)

 

「力を持つ者には相応の立場が必要じゃ。死神統学院を卒業した暁には、お主には死神となってもらう。よいな、御蔭丸」

「……はい、分かりました。その道が一番、力をつけるに適していそうです」

 

 御蔭丸は笑いながらそう言うと、さっきよりも深々と頭を下げた。その姿勢のまま、流麗な音声を鳴り響かせる。

 

「これからよろしくお願い致します。どうか僕を、一死神として鍛え上げて下さい」

「……それはお主の努力にかかっておる。力をつけたくば、死に物狂いで精進せよ」

 

 その会話を境に、御蔭丸の立場は変わった。尸魂界に危害を及ぼしかねない危険分子ではなく、死神を目指す統学院生となったのだ。元柳斎を先頭に隊長達が出ていった後、御蔭丸は牢から出される。

 ――さて、それじゃあ、言葉にした事ぐらいはやってやろうかな。

 ともすれば勝ち誇ったようにも見える、柔らかく薄気味の悪い笑みをたたえながら。

 

 

 

   φ

 

 

 

「そら、貴様の物だ」

「おっと、ありがとうございます」

 

 灰色の牢獄から出されてすぐ、黒装束の隠密機動から乱雑に何かを投げられる。それを事も無げに片手で受け取って丁寧な物腰でお辞儀をすると、御蔭丸は投げつけられた荷物を開けて中身を取り出した。

 ――良かった。傷一つついてない。

 黒漆の箱に入った、五つの鮮やかな花片が麗しい扁桃花の髪留めだ。御蔭丸は箱の内側に組み込まれている鏡で髪を整え、右分けにして髪留めで留める。

 

 ――やっぱり、これがないと落ち着かないな。

 ちゃんとついているかどうか確かめて、御蔭丸は満足げに薄く笑う。はたから見れば女物の髪留めをつけて喜んでいる大男という、ちょっと関わりたくない雰囲気を出していた。

 だが、それを全く気にせずに近づいて行く人影がいた。御蔭丸が気付いて切れ長の目を向けると、御蔭丸に躊躇(ちゅうちょ)なく近づく豪胆さとは裏腹に、やや緊張した面持ちで黒い真珠のような瞳を合わせる。

 

「…………」

「……――先ほどもお会い致しましたね。改めて名乗らせて頂きますが、僕は大神御蔭丸と申します。貴女の御名前はなんとおっしゃるのですか?」

 

 しかし中々言葉を口にしないので、御蔭丸は自分から挨拶をして、にっこりと笑って名前を尋ねた。人の心をほぐすような柔らかな笑顔だ。それを向けられて幾分緊張がほどけたのか、一つ深呼吸をして、「四」の女性は凜と表情を正した。

 

「初めまして、大神さん。私は四番隊の隊長を務めている、()(はな)(れつ)と申します。山本総隊長に命じられ、貴方を総合救護詰所に案内するために、ここで貴方を待っておりました」

「そうなのですか。どうも、御丁寧にありがとうございます。それでは早速、案内していただいてよろしいでしょうか?」

「ええ。ついて来てください」

 

 御蔭丸が頭を下げて案内を頼むと、まだ少し緊張が取れていない様子の卯ノ花は固い動作で前を歩く。ニコニコと笑いながら御蔭丸は後をついていき、卯ノ花の容姿を軽く見ていた。

 額で横一文字に、あごの辺りで切り揃えられた黒髪はとても綺麗で、穏やかな風にさらりと流れている。御蔭丸より一尺三寸(40センチ)ほど低い身体は細く、女性らしい丸みを帯びていた。

 肌もきめ細やかでハリがあり、軽やかな若さを感じさせる。人間の年齢に当てはめればまだ二十歳にもなっていないくらいの佳人だ。尸魂界は霊魂の集う場所なので歳の取り方が人間と同じではないのから、実際には数百年ほど生きているのだろう。見たところかなり上品な物腰だし、おそらく瀞霊廷で生まれた貴族の死神だと思われる。

 

 ――美しい人だ。

 御蔭丸が純然とそう思っていると、ふと彼女の胸元に目が行った。見惚れた、というわけではなく、妙に厳重に胸元を閉じているので気になったのだ。

 ――礼儀作法に厳しいのだろうか?

 彼女の家柄について考えていると、見られているのが嫌だったのか、卯ノ花が少し困惑した様子でちらりと伺ってきた。

 

「あの……なにか?」

「いえ、別に大した事ではありませんよ。ただ隊長にしては随分とお若いので、少し不思議に思っていただけです」

「ああ……私は一月ほど前に四番隊の隊長になったばかりですから、そう思われるのも無理はないでしょう。先代の四番隊隊長がご高齢で引退されたので、後任に私が選ばれたのです」

「そうなのですか。そうもお若いのに隊長に選ばれるとは、貴女は素晴らしい御方なのですね」

「そんな、私なんて……まだまだ若輩者ですよ」

 

 御蔭丸が称賛すると、卯ノ花は表情を曇らせて謙遜(けんそん)した。隊長であるにも関わらず自分の未熟さを認めるのは美徳であるが、上に立つ者としては少々(つたな)い。

 ――その辺りも含めて、若々しい人だ。

 御蔭丸はそう思いつつ、卯ノ花の謙遜を否定する。

 

「いいえ、貴女の霊圧はあの場にいた方々と比べても決して劣るものではございません。もっと自分に自信を持っても良いと思いますよ」

「そう、でしょうか……」

「ええ、もちろんです。それに、そうもお顔を曇らせてしまうのはもったいないですよ。貴方はそうもお美しくあらせられるのですから」

「え!? あ、その……あ、ありがとう、ございます……」

 

 御蔭丸が屈託のない笑顔でそう褒めると、卯ノ花は目を丸くして驚いた。そしてすぐにカアッと顔を真っ赤にすると、視線をそらしながらおどおどとお礼を言う。

 ――見た目に違わず、純情な人のようだ。

 ――いや、褒められるのに慣れていないだけか?

 ――なんにせよ、こちらが温厚であれば仲違いする事もないだろう。

 

 卯ノ花の様子を楽しそうに眺めながら、御蔭丸は卯ノ花とどう接していくかの基本方針を決める。それから軽い歓談を切り出す機会をうかがっていたのだが、卯ノ花は予想以上に純情だったようで、総合救護詰所につくまでこちらを見向きもしなかった。真っ赤になった耳をみれば、その理由は一目瞭然だ。

 ――おっと、少し失敗したか。

 ――あまり褒め過ぎるのはよそう。

 御蔭丸がそう思っていると、まだ頬を赤くしている卯ノ花に中に入るように言われる。笑って卯ノ花に従い中に入ると、薬の匂いが鼻についた。

 

 ――総合救護詰所というだけあって、薬の匂いがとても強い。

 木造であるためか、建物のあらゆるところに薬の匂いが染みついている。詰所内はチリ一つない清潔さが保たれており、並んでいる扉からちらりと中を見ると、寝台(ベッド)で休む患者と薬師の助手と思しき死神の姿が見て取れた。患者の身の回りの世話をしている助手の死神には、特有の威圧感や傲慢さの気配がない。

 

 ――隊長の温厚さも考えると、四番隊は戦闘ではなく医療を担当しているのだな。

 御蔭丸は周囲を見渡しながら情報を集めていく。これから世話になる場所だ、出来る限り色んな事に目を向けた方が良いだろうと考えたからだ。そうして歩いていると、今度はかなり奥にある一室に通された。

 白で統一された清潔感のある部屋だったが、扉がやたらぶ厚い。窓にも珍しい硝子ではなく金属製の格子が嵌っている所を見ると、おそらく囚人用の病室か何かだ。

 

「死神統学院の寮の手配が整うまでは、ここで暮らしていただきます。よろしいですね?」

「ええ、もちろんです。わざわざありがとうございます、卯ノ花さん」

 

 心苦しそうに言う卯ノ花に、御蔭丸はなんてことないと笑顔でお礼を言う。

 ――実際どこで暮らそうが気にしないしな。

 ――こちらが不用意な行動をしなければいいだけだ。

 霊圧を遮断する壁に、部屋の隅に鎖の内装が施された部屋だが、生きていくには問題ないだろう。目を細めて眺めていると、卯ノ花が椅子を持ってきて、寝台の傍に置いた。

 

「では大神さん。こちらの寝台に横になっていただけますか?」

「え? なぜでしょうか?」

「足枷が食い込んで怪我をなされていますから、私が治療してさしあげます」

「足……ああ、すっかり忘れておりました」

 

 御蔭丸の足は足枷をつけられていたのに正座したせいで、皮膚が破けてしまっていた。少量の血も流れているが、御蔭丸は本当に気にしてなかったようだ。今も自分の傷口を見て軽く顔をしかめはするも、痛そうにはしていない。

 ――痛みはあるが、気に止めるほどじゃない。

 ――この程度の傷で、手間をとらせるべきじゃないな。

 

「別に構わずともいいですよ。一応、心得はありますので、薬と包帯さえいただければ自分でなんとかいたします」

「いいえ、私のいう治療とはそれではなく、鬼道(きどう)での治療です」

「鬼道……? 申し訳ありません、無学なもので、その言葉が何を指しているのか僕には分からないのですが……」

「鬼道とは死神の戦闘術の一つで、霊力を言霊(ことだま)によって制御し、多彩な技を放つ技術の事です。本来であれば治療には使えないのですが、四番隊には鬼道を治療に使える特殊な能力を持った人材が集まっているのですよ。さあ、横になってください」

 

 聞きなれない言葉に戸惑いながら、御蔭丸は言われるままに横になる。足元で椅子に座った卯ノ花は、紫に変色した傷口に手をかざして霊力をこめた。すると足元に青白い暖かな光が溢れ、三十秒もしないうちに傷が完治する。

 ――! すごいな、鬼道というのは!

 傷痕さえ残らない鬼道の治療に、御蔭丸は感嘆した。そしてすぐさま寝台から起き上がると、ほっと息をついた卯ノ花の手を両手でつかむ。

 

「っ――!? あ、あの!? 大神さん!?」

「――卯ノ花さん」

 

 いきなりの出来事に驚いた卯ノ花がとっさに後ろに引こうとするが、手を掴んだままの御蔭丸がお互いの吐息が届くくらいまで顔を寄せた。大神のあまりに性急過ぎる行動に、卯の花は反射的に投げ飛ばしそうになる。しかし彼から殺意や敵意が全く感じられない事に疑問を抱き、そうじゃないなら――と想像してなぜか真っ赤になった。だが御蔭丸は気にせず表情を引き締めて近づいていく。

 

「あ、あの、その、そういうのは、私、経験が、なくて……」

「――卯ノ花さん、貴女は本当に素晴らしい人です。僕は今日ほど、運命というものに感謝した日はありません」

「そ、それは……い、いけませんよ! 私たち、まだ会ったばかりではないですか……!」

「関係ありませんよ。どうかお願いします、卯ノ花さん――」

「で、でも……」

 

 御蔭丸がもっと顔を近づけていく。いつの間にか壁まで押し込まれてしまい、卯ノ花はもう下がる事ができない。御蔭丸の真剣な表情のせいで、自然に動悸が激しくなってしまう。卯ノ花は少し呼吸を荒げながら、耐えるように目を閉じた。御蔭丸の顔が、重なりそうになるまで近づいて――

 

「――僕に、鬼道を教えていただけませんか?」

「…………え?」

 

 ――思いがけない言葉に、卯ノ花は正気を取り戻した。そしてすぐに羞恥心にかられ、掴まれた手で御蔭丸を押しのける。そこでようやく御蔭丸も自分の行動のまずさに気付いた。

 

「あ、あの……近すぎるので、もっと下がってもらっても、よろしいですか……」

「あ、ああ、これは失礼しました。つい興奮してしまって」

 

 御蔭丸は慌てて下がるが、卯ノ花は自分の胸に手を当てて壁にはりついたままだ。背の高い御蔭丸からはうつむいた卯ノ花の表情は見えない。二人の間に、何とも言えない微妙な空気が流れる。

 ――ああ、しまった。

 御蔭丸も流石に笑えない状況なので笑ってはいない。心中でこの状況をどう打開すべきか考えていると、胸元を押さえていた卯ノ花がか細い声で話した。

 

「……き、鬼道でしたら、死神統学院の教育科目にありますので、そちらを専攻なされば良いと思いますよ。治癒能力に関しては才能に寄りますが、私も教鞭を取る身ですので、貴方が必要と思うなら私の授業もお取りください」

「あ、はい、分かりました。……その、本当に申し訳ありません……」

「いいのですよ、もう気にしていませんから。……けれど、もうあんな事、しないで下さいね」

「はい……」

 

 卯ノ花の言葉に御蔭丸は申し訳なさそうに頭を下げた。それからずっと部屋の隅でもじもじしながらちらちらと視線を送る卯ノ花といくつか話をして、日が傾いてきた頃に卯ノ花との話も終わった。

 一応、卯ノ花と仲違いする事もなく話は終わったのだが、最後まで卯ノ花の頬の赤みはとれず、更に部屋から出ていく時に慌てて走り去っていった。そのせいで御蔭丸に「隊長に襲いかかったのではないか」なんて中途半端に正鵠(せいこく)を射たうわさが流れるのだが、それを本人が知るのはもう少し後となる。

 

 まあ、これから女性に関する数々の噂と伝説を打ち立てる大神御蔭丸という男からすれば、ほんの些細なものであったのだが。この時はまだ、この程度で済んでいたと言っておくとしよう。

 

 

 

 

 御蔭丸との邂逅を終えた後、元柳斎は一人静かに考えていた。

 これは他の隊長はおろか腹心である長次郎にも伝えていない事だが、実は元柳斎は数日前に、おそらくは大神御蔭丸のものであろう霊圧を感じ取っていた。それは瀞霊廷全土に渡り遮魂膜(しゃこんまく)を超えてなお感知できる、元柳斎の凄まじい霊圧知覚があってこそできた事だ。

 

 元柳斎はその時から、薄々はこうなるのではないかという予感はしていた。瀞霊廷にほど近い場所とは言え、尸魂界の隅でほんの一瞬だけ吹き上がった煌く霊圧。黄金の流砂にも似たその霊圧を持つ者と、近いうちに必ず対峙する事になるだろうという予感があったのだ。

 

 深く老成された心の底で元柳斎は思う。

 ――あの日、あの時肌に感じ取った、遠き大空のような眩い霊圧。

 ――刹那の間ではあったが、隊長格に匹敵する力を示しておった。

 ――いや。あるいは、この儂にも達するほどの力を。

 

 黄昏(たそがれ)る西の空を眺めながら、元柳斎はある決意をする。

 大神御蔭丸がどのような意志を持っていても、仮に尸魂界の敵となるのならば。

 一片の情念も猶予も挟まず、一刀を以て斬り捨ていると。

 それが尸魂界を守護する番人達の大黒柱である己の務めであると、刃のように心を固めた。

 

 彼の名は山本元柳斎重國。この世の全ての死神を束ねる、(くら)き冥府の番人である。

 




原作より七五〇年前の出来事。
卯ノ花烈の髪型についての捕捉説明。
彼女の髪型は原作のような正面で三つ編みにしているものではなく、前髪がぱっつんで後ろ髪をあごのラインで切り揃えている、短めの姫カットのような髪型をしています。
理由は作中でも触れましたが、彼女がまだ隊長に就任して間もないという設定ですので、それに合わせて幼さを示す符号としてこのような髪型にしました。原作と性格が違うのもこのためです。いずれ元の性格になるでしょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。