ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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 それからも、キクコとの勉強会は変わりなく続いた。元々あまり日常的な会話はしていなかったので、ユキナリのことが話題に出ることもほとんどなかった。キクコがユキナリの結婚式に行かなかったことについては、前々から予定されていた研究の会議があったというのが一応の理由だったみたいだが、僕は深く詮索しなかった。

 

 ユキナリとは、キクコほど頻繁にではないが、ちょくちょく連絡を取っていた。だいたい一か月に一回くらいのペースだ。ユキナリは、自分は人に勉強を教えるような柄ではないと言い張り、僕の勉強についてはまったく口出ししなかった。話す内容は完全に勉強とは関係のないことだけだった。むしろポケモンバトルや大会についての方が乗り気で、そちらの方面に関してはいろいろとアドヴァイスをくれた。

 

 結婚についても、少し聞いた。元々家同士で決まっていた、いわば許婚の関係だったそうだ。そういう家柄だったのだろう。ユキナリはさも当然のように、特に不満そうなことは言わなかった。

 

 奥さんはふたつ年下。今はユキナリと離れて、実家のマサラタウンに住んでいる。それを聞いて、夫婦なのにいきなり別居なんて、と僕はつい口を出してしまった。

 

「ははは、そりゃあもっともだ。でも、俺だって将来的には一緒に暮らしたいと思ってる。今はどうしても手が離せない研究があるからタマムシに残ってるけど、この研究が一段落ついたら、マサラに戻るつもりだよ」ユキナリが電話越しに言う。「別に、研究はどこでだってできるからな。貯金もだいぶ貯まってきたし、いずれマサラに自分の研究所を構えようと思ってる」

 

 それを聞いて、なんとなく嫌な予感がした。奥さんと一緒に暮らせるんだから、素直に喜ぶべきところなのに。

 

「それって、具体的にはいつ頃?」僕は尋ねる。

 

「うーん、とりあえずまず残り二年で博士論文を提出するだろ。でも今やってるテーマは、多分それで完全には終わらないだろうから、もう四年くらい必要かね。つまりトータルであと六年ってところか」

 

 六年。ユキナリがあと六年でタマムシ大学を離れる。ということは……。その数字から、僕は頭の中で勝手に、したくもない計算を展開してしまう。

 

「残念だけど、サカキとはちょうど入れ違いの形になるだろうな」

 

 直視したくなかった、ずばりそのものの言葉を、ユキナリが口にした。

 

 六年後は、順当に行けば僕が大学に入学する年だ。僕の大学入学と同時に、ユキナリが大学を離れてしまう。僕はユキナリに憧れて大学を志した。それなのに、その目標の張本人がいなくなってしまう。まさかそんな……。

 

「なんだ、サカキ。寂しいのか?」ユキナリが言う。この電話はキクコの時と違って音声のみの通信で、おたがいの顔は見えない。それでも声だけで、僕の気持ちは伝わってしまったようだ。

 

「だって、僕はユキナリがいるから、大学に行きたいと思ったのに……」僕は柄にもなく正直な心情を吐露してしまう。

 

「やっぱり、そんなこと考えてたのかお前。というか、それって割と不純な動機に分類される方だと思うぞ?」

 

「不純って、僕は別にそんな……」声を震わせながら僕はかぶりを振る。

 

「だいたい、どっちみち俺は博士課程を修了したらタマ大を卒業してしまうんだ。そのあと普通に研究者として就職しようと思うと、まずはどこか別の大学に飛ばされる。そんなことも知らなかったのか?」

 

 考えもしなかった。ユキナリはずっとタマムシ大学に居続けるものだとばかり思っていた。そんなわけはないのに……。何でそんな当たり前のことすら思い至らなかったんだろう?

 

「で、どうするんだ? お前、大学受験、諦めるのか?」ユキナリが容赦なく聞いてくる。

 

「それは……」

 

 僕は答えられなかった。夢を目指すことになった動機がひとつ崩れ落ちたのだ。

 

「その、ユキナリがマサラタウンに作るっていう研究所で、働かせてもらうことはできないかな……」僕は苦し紛れに聞いてみた。

 

「駄目だ」ユキナリは即答する。「俺は大卒の人間しか雇わないつもりだからな。差別とか言うなよ? 研究所なんだから当たり前だ。ちなみにお茶汲みとかの事務も必要ない。妻の家の人間に頼むことになっている」

 

 いつものユキナリの口調ではなかった。いや、そういうわけでもない。僕は何度か触れてきた。ユキナリが時折放つ、鋭く尖った一面。これもまたユキナリなのだ。

 

 僕はまた黙ってしまった。どうしよう。頭が回らない。いったん考えるのをやめるべきか。でも、ユキナリならこういうときすぐに決断を下すだろう。またユキナリだ。ユキナリユキナリ。いい加減なんでもかんでもユキナリを引き合いに出すのはやめにしないと。自分の力で、自分の意思で決めないと……。

 

「俺のことはいいから、サカキ、ちょっとはキクコのことを考えてやってくれよ」

 

 黙っている僕を見かねたのか、ユキナリが穏やかな口調で語りかけてきた。

 

「キクコ? どうしてキクコが……」

 

「あいつはな、多分お前以上に、俺とお前を重ねて見てる」

 

「重ねて……?」僕は意味がわからず、聞き返した。

 

「俺は全然そう思わないけど、あいつは俺とお前が似てると思ってるんだよ。ポケモントレーナーだったのに学問に転向したところとか、他にもバトルのセンスや、勉強の飲み込みとか……」

 

「いや、でもそれは僕がユキナリの真似をしているだけで、それに僕なんかユキナリの足元にも……」

 

「だろ? その通りだ。だから俺は全然似てないと思っている」まったく遠慮することなくユキナリは言う。

 

「でも、あいつの中では、俺とお前はそうなんだよ。それに実際、俺もあいつには世話になった側面もあるってのも、まあ否定できないところだしな」

 

「世話になったって……」

 

「いくら俺みたいな天才だって、たった三年で名門大学に入れるほどの学力が身に着くわけないだろ?」

 

 つまり、ユキナリも大学に入るまで、かつてキクコに勉強を教えてもらっていたのだ。ユキナリが十五歳でポケモントレーナーをやめるまでの間、キクコはずっと学校で勉強を続けていた。ユキナリの方が元々素質はあったのかもしれないけど、それでも最初はキクコの方がずっと成績は良かったはずだ。キクコはやけに慣れた教え方をするなと思っていたけど、以前にも教えた経験があったからだったのか。

 

「あいつには本当に感謝してる。あ、これ、絶対にあいつには言うなよ」ユキナリが照れくさそうに言う。「とにかく、あいつが今お前の勉強に付き合っているのは、お前にも俺と似たような素質があるんだと感じているからだと思う」

 

「僕に、ユキナリみたいな……」

 

「だから、俺がこうして大成したように、お前の才能も自分の手で開花させてやりたい、なんて考えてるんじゃないか?」

 

「でもそれ、本人がそう言ったわけじゃあ……」

 

「わかるよそれくらい。幼馴染なんだから」

 

「……そっか」

 

「でもまあ、保証はできんがな。女が本当は何を考えているかなんて、結局男には推し量れるものじゃあない。あまり決めつけ過ぎない方がいい」ユキナリはやけに達観したようなことを言う。

 

「それは、経験から?」思わず聞いてみた。

 

「さあな」

 

 僕は思わず吹き出してしまう。

 

「それはいいんだ。とにかく俺が言いたいのは、何かを動機にしたいなら、俺じゃなく、キクコのことを考えてやってくれ、ということだ」

 

「うん、わかったよ」

 

「まあ本当なら、そんな動機はない方がいいんだけどな。もっと純粋な理由を見つけろ。これこれこういう研究がしたい、とか」

 

「わかってる」

 

「本当かあ?」

 

「本当だよ」

 

「そうか」

 

「うん」

 

「じゃあ、まあ頑張れよ」

 

「うん」

 

「そうだ。多分、しばらくは連絡が取れなくなると思う。博士論文の研究が本格的になってきて、忙しくなるだろうから」

 

「わかった。大丈夫」

 

 不思議と寂しくなかった。何かが吹っ切れた気がする。

 

「次に会うときは、お前はどうなっているかな」

 

「学生でしょう、きっと。タマ大の」

 

「そうか。じゃあな」

 

「うん、お休み」

 

 電話が切れて、僕はポケモンセンターのドミトリーに戻った。トレーナーたちがざわざわ騒ぐ談話室で、二時間ほど参考書とノートを開いて勉強をする。この時間は他のことは何も考えない。完全にそういう習慣として、自分の中にインプットできている。

 

 ちょうど二時間経ったところで、僕は寝室の方へ移り、共同ベッドのひとつで体を横にして、壁の落書きを見つめながら眠りに入った。

 

 さっきのユキナリの話を思い返す。キクコは、僕とユキナリが似ていると思っている。だから、ユキナリにしてあげたのと同じことを、僕にもしてやりたいと考えている。

 

 ある意味いい迷惑だ。勝手な理想の押し付けだ。でも今は、その迷惑が、押し付けがとてもありがたい。おかげで、僕はこれからも同じ夢を見続けられる。道を見失わずに、手を伸ばし続けられる。

 

 しかし、将来はどうだろう。ユキナリは結果的に、キクコの傍を離れることになった。僕とユキナリが似ていて、キクコが僕をユキナリと同じ道へ進ませようと思っているなら、僕もいつかキクコとは離れ離れになってしまうのではないか。実際、僕はこれから先、何十年もキクコの傍で過ごす自分をイメージできなかった。

 

 キクコの優しさは、それが注がれれば注がれるほど、相手を自分から遠ざけてしまうような、そういう類の優しさなのかもしれない。キクコはそれに気付いているだろうか?

 

 そんな心配をよそに、そのあとの三年は何事もなく過ぎていった。予定通り、ポケモンバトルの大会での賞金が充分に貯まったので、十五歳になったとき、僕はポケモントレーナーをやめて、学校に戻った。それからの三年間は、もうキクコの力を借りずとも、自分の力だけで勉強できるようになっていた。

 

 そして十八歳になって、僕はめでたくタマムシ大学に合格した。学部はもちろん携帯獣学部だ。


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