ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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 お月見山での発掘調査が終わってすぐに、僕はユキナリに大学入学のことを相談した。僕もタマムシ大学に行きたい、と。ユキナリは別にいいとも悪いとも言わなかった。お前のやりたいようにやればいいということだった。まあもっともだと思う。その言葉には、自分の選んだ道は自分で責任を取るべき、自分の決断を他人に委ねることは、同時に責任も押し付けてしまいかねない、というような意味合いもあったのかもしれない。ユキナリのことだから、あまり大袈裟に捉えない方がいいとは思うけど。

 

 本来ならすぐにでも学校に戻って大学に向けて受験勉強するべきところだが、しかしユキナリの勧めで、僕はしばらくポケモントレーナーを続けることにした。これは極めて実利的な理由に因るものだ。つまり、お金の問題である。

 

 ポケモントレーナーという身分は、基本的にほとんどのことが無料で賄える。税金で成り立っているからだ。ポケモンセンターでは、ポケモンの回復はもちろん、宿泊や食事も、ポケモントレーナーであればすべて無料だ(もちろんそれ相応の質ではあるけれど)。その他、毎月多少の金銭と、ポケモン捕獲用のモンスターボールも自動的に支給される。そこまでの贅沢を望まなければ、最低限の生活を送るには充分と言える。

 

 これはもちろん、ポケモントレーナーたちが将来的に何らかの職に就いて、普通の人間にはできないような専門的な仕事を行ってもらうためのシステムだ。社会全体が選択した、未来への投資と言える。そのようなシステムの中で、ポケモントレーナーという存在は成り立っている。

 

 しかし、大学に行くとなると話は別だ。大学生はポケモントレーナーではないため、このような金銭的な援助は受けられない。一応奨学金などはあるし、特に僕の場合、両親がいないからかなりの額の奨学金が期待できる。だがそれでも授業料や生活費のすべてを賄えるほどにはならない。タマムシ大学はカントーでもトップクラスの難関大学だから、たいていはアルバイトをする余裕もないという。実際、ユキナリたちも日夜研究で手一杯という話だ(ユキナリはとてもそんなふうには見えないけれど)。つまり、大学に入学するまでに、ある程度の金銭を貯蓄しておかねばならないということだ。

 

 そこで選んだのが、しばらくはポケモントレーナーを続けるという道だった。ポケモンバトルは単にひとりひとりのトレーナーと野試合で戦うだけでなく、公式的な大会も存在する。主に市や企業のプロモーションとして各地で開催されており、規模は様々だが、多くの場合、上位入賞するとスポンサーから賞金が出る。ユキナリもかつては片っ端から大会に参加し、賞金を荒稼ぎしたそうだ。

 

 僕もこれに倣い、賞金を稼いで大学への資金にすることにした。ユキナリが十五歳でポケモントレーナーをやめたというので、とりあえず僕も五年間を目途に稼ぐことに決めた。

 

 何から何までユキナリの模倣である。これまで、言葉の端々でユキナリを小馬鹿にするようなことも書いてきたけど、やっぱり僕にとってユキナリは強烈で、巨大な存在だったのだろう。大学に入って何を研究するかなんてまだ全然決めていなかったけど、何となく、ユキナリのような大きな仕事がしたいと、漠然と考えていた。

 

 しかし、僕はユキナリのような天才ではない。十五歳で再び学校に戻って、大学受験まで残り三年。それまでの間、他の大学志望者たちは、学校に残ってずっと勉強を続けているのだ。三年ではとても追いつくことはできないだろう。時間が足りない。だが、ユキナリとそういう話をしていたところ、なんとキクコが先生になってくれると申し出たのだ。

 

「ユキナリの影響を受けてそんな道を選んでしまうなんて、あいつもつくづく罪深い男だね。サカキ、あんたはあいつじゃないんだから、一筋縄で同じ道を歩けると思わないで。あいつの問題は、幼馴染であるあたしにも多少の責任がある。だからあたしが、あんたの勉強を見てあげる。あたしも忙しいから、毎日ってわけにはいかないけど……」

 

 そんなわけで、だいたい週に二回、三時間ずつの計六時間ペースで、僕はキクコのお世話になった。キクコは基本的にずっとタマムシにいるし、僕は大会のためカントーの町々を転々としているから、直接会える機会はほとんどない。なので、勉強はパソコン通信の映像電話で行うことになった。

 

 キクコの教え方はかなり厳しかった。まず、キクコは自分から進んで教えるというスタンスではない。こちらが知りたいことをきちんと伝えないと、何も教えてくれない。最初のレッスンで教科書を用意し、いざ始まるとなって、何から教えてくれるんですかとキクコに聞いたら、激怒された。

 

「あたしはそんなに暇じゃない。まずは自分で勉強して、わからないところだけをあたしに聞きなさい」

 最初のレッスンはそれだけで終わった。次までに質問を十個作っておくこと、というのがキクコの口癖だった。しかし結果的にこれが最高のスタイルだったと思う。僕は毎回のレッスンのために、とにかく質問を作っていくことに執心した。もちろん生半可な質問ではキクコに一蹴される。そんなのちょっと考えればわかることでしょう、と。結果的に僕は週六時間どころか、その五倍の時間を予習と復習に費やした。

 

 そして、キクコの教え方はとんでもなく上手かった。どれだけ調べても納得の行かなかった問題の答えも、キクコに聞くと五分で明快な説明が得られた。何で教師にならなかったんだろうと不思議なくらいだ。

 

 もしかしたら、キクコはユキナリの傍にいたかったんじゃないか、だから教師ではなく研究者の道に進んだのではないか。そんな考えがふと頭をよぎったが、何の根拠もない。

 

 不思議と言えば、僕のこのやる気も不思議だ。僕は元々そんなに何かに意欲を燃やすような人間ではなかった。ポケモントレーナーになろうと思ったのも何となくだったし、これからも何となくで人生を選んでいくものだと思っていた。目指すべき人物、目指すべき目標ができると、人はこんなにも頑張れるものかと、他人事のように感心した。

 

 また、勉強の傍ら、ポケモントレーナーとして、大会で賞金を稼ぐための日々も、決して楽ではなかった。大会だって、生半可な実力では勝ち抜けない。一日の半分はバトルのトレーニングに費やした。

 

 その空いた時間で、ポケモンセンターのドミトリーの談話室で勉強をした。談話室にいるのはポケモントレーナーばかりで、彼らは当然勉強なんてしているはずもないから、基本的にとにかく騒がしい。酷いときは部屋の中でポケモンバトルを始めることさえあった。そんな中で集中力を維持するのは大変だったが、何とか周りの音をシャットアウトする術を身に着け、次第に慣れていった。

 

 しかし、こんなところで勉強をしている姿というのも珍しいためか、周りのトレーナーたちがちょくちょくこちらを覗き込んでくる。

 

「何、君、勉強してんの? 変わってるね、トレーナーなのに」

 

「うわ、真面目くんだ。そんなことして何の役に立つんだ?」

 

 そんな野次が飛んでくることもしばしば。しかしずっと無視して黙々と勉強していると、いつの間にか誰も僕を構わなくなっていった。それどころか、時々食事や飲み物を差し入れしてくれる者さえ出てきた。

 

「お疲れさん、頑張ってんね」

 

 一心不乱に勉学に勤しむ者の姿は、かくも他人に影響を与えるものなのか。もちろんそれにつられて彼らも勉強を始めるなんてことはまったくなかったけど、それでもこういう心遣いは素直に嬉しかった。

 

「サカキさん、ジュース買ってきますけど、何が欲しいですか?」

 

 明らかに僕より年上のトレーナーから、こんなふうに聞かれることもあった。半分冗談のつもりなんだろうけど、なんだか人をこき使っているようで、若干後ろめたい気持ちもあった。しかし同時に、人を動かすということの快感のようなものを抱いたことも事実だ。

 

 大会があるごとに別の街へ移動していたので、同じドミトリーに一か月以上留まることはなかった。それでも新しいドミトリーに移るたびに、毎回こんなやり取りがあった。

 

 そんな生活が二年ほど続いた頃、つまり僕が十二歳のとき、ある知らせが僕の元に届いた。

 

 ユキナリが結婚した。相手は同じマサラタウンの名家の女性だった。結婚式の招待状が来たので、僕も式に参加したが、会場にキクコの姿はなかった。


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