ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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 唐突だけど、ここで僕の母親のことを話しておきたいと思う。

 

 と言っても母親の思い出はあまり多くない。最後に会ったのが、学校に通い始める前、六歳のときだったか。その頃に、母は僕を置いて家を出ていった。一般的に見て、ありふれたことではないだろうけど、決して珍しいことでもないと思う。僕が全寮制の学校に行くと同時のことだった、というのがせめてもの良心だったと言えるだろう。

 

 父親はもっと前、僕が生まれてすぐの頃に亡くなったと母から聞いていた。他に親戚や頼れる身寄りもなかったので、その頃に母にいなくなられたらまさに天涯孤独、路頭に迷う羽目になったであろう。学校に行くまで辛抱してくれて本当に助かった。

 

 母がいなくなったせいで寂しい思いをしたかというと、特にそうでもなかった。母は元々あまり愛情を注いで子育てをしてくれた方ではなかった。もっとも、他の親に育てられた経験がないので、比較のしようもないのだが。それに、何しろ幼い頃の話なので(今も充分幼いけど)、記憶もあまり定かではない。しかしまあ、子供に愛情を向ける余裕があったなら、ひとりで出ていくことなんかしなかっただろうというのは確かだ。

 

 元がオニスズメの涙ほどの愛情だったのだから、それが完全になくなったところで、別にどうということもなかった。むしろ変なしがらみがなくなって、すっきりしたと言ってもいいかもしれない。これは強がりではない。実際、生まれてからの六年間より、学校で過ごした四年間の方がずっと楽しかったと、胸を張って言える。

 

 学校ではあまり友達と呼べるような人間関係とは縁がなかったけど、それでも母と過ごした六年よりは遥かに穏やかな日々だった。理不尽な暴力に遭うこともなかったし、何日間にもわたって空腹に苛まれるようなこともなかった。いつもふかふかのベッドで寝られた。

 

 勉強はあまりできる方ではなかった。それでも時々テストで良い点を取ると、先生が褒めてくれる。それは、素直に嬉しかった。母と一緒の頃は読み書きすらろくにできなかったことを考えると、自分の成長をまざまざと肌で感じられた。勉強って面白いな、と時々は思ったかもしれない。まあそんな気持ちはそのときだけの気まぐれで、すぐに泡になって消えてしまうのだけれど。勉強が面白いなんて、所詮は幻想だ。

 

 話がちょっと脱線したけど、とにかく母親についての思い出はそれくらいしかない。そもそもあまり家に帰らない人だったので、ろくに話をしたことすらほとんどなかったはずだ。もう顔も思い出せない。名前すら覚えていない。今、道ですれ違っても気付かないだろう。向こうは気付いてくれるだろうか。少なくとも外見で言えば、僕の方が変化の度合いが大きいはずだが……。

 

 そんな母親だったのだが、しかし、ひとつだけ僕の脳裏に焼き付いている光景がある。あれは五年前、僕が五歳のときだったと思う。

 

 ある日、本当に唐突なのだが、母は僕を映画に連れていってくれた。

 

 今でも映画というのは高級な娯楽だし、上映される場所も大都市に限られるのだけれど、五年前は今よりもっと希少な存在だった。

 

 母の稼ぎが決して多くはないであろうことは、五歳の僕にも容易に察することができていた。母がどんな仕事をしていたかは知らない。でもいわゆる金持ちという単語は、僕と母には絶対に当てはまらないものだったことは違いない。そんな母が、どうして映画なんていうものに僕を連れていくことができたのか、そもそもどうして連れていく気になったのか。今でもわからない。

 

 第一、そんな映画を、僕はどこで見たのだろうか。遠くまで旅行に行ったのか? そんな記憶はない。母と旅行に行ったことなんて一度もない。比較的近い場所だったはずだ。多分、トキワの周辺で、そのときたまたま地方興行のような、映画館の巡業があったのではないだろうか。今となっては知る由もない。

 

 とにかく、母は僕を映画に連れていってくれた。映画館に行く途中、どんな会話をしたか、全然覚えていない。母はずっと黙っていたのかもしれない。ただ、手を引かれながら、母の後ろを歩いていたことは鮮明に覚えている。そうか、後ろを歩いて、母の背中ばかり見ていたから、顔が記憶にないのか。

 

 母は子供の歩幅を考えずに大股で歩いていたので、僕は早足にならざるを得なかった。途中、ペースについていけず躓いてしまい、ひざを擦りむいたのだが、母は気にも留めずに歩き続けた。

 

 映画館は広い場所だった。暗い部屋に、大きな画面。ちょっと怖かったけど、わくわくする気持ちの方が少し勝っていたと思う。僕の他にもたくさんの親子連れがいたので、少し安心したというのもある。他の親子たちはみんな楽しそうに談笑していた。あれが普通の親子というものなのだろうか。

 

 母親が「映画楽しみ?」と聞いて、子供が「うん楽しみ」と答える。僕もあんなふうに聞かれたら、きちんと答えられるだろうか。多分何も喋れなくなるだろう。それなら、何も聞かれない方がずっといい。その点、僕の母親は何も聞かないので安心だ。

 

 気付くと、母がそばにいなかった。辺りを見回しても見当たらない。まあ母が急にいなくなるのはいつものことなので、「ああまたか」と思い、とりあえず僕はチケットの番号を確認して、自分の席についた。

 

 数分すると、母が戻ってきた。手に大きな容器をふたつ抱えている。僕の隣の席に座ると、黙って僕に容器をひとつ手渡した。中にはポップコーンが入っていた。

 

「食べな」

 

 僕の方を見もせずに、母は小さく言った。僕は頷いて、ポップコーンを食べた。きちんと破裂していないコーンが多くて、ちょっと食べにくい。飲み物がなかったので、喉が渇いてしょうがなかった。

 

 そうこうしているうちに、館内のライトが消えて暗くなり、前の大画面に映像が映し出された。映画はドキュメンタリーものだった。あまり子供向けではないだろうと思うかもしれないが、この頃はジャンルが何であれ、大きな画面で映像が見られるというだけで、子供にとってはエキサイティングな体験だったのである。

 

 それに、ドキュメンタリーといっても、話は最近話題の宇宙開発についてのもの。人類がようやく宇宙に旅立ち、初めて月面に到達したのだ。老若男女問わず、これには世界中の人々が注目していた。ポケモンのムーヴメントに並んで、宇宙開発はこの時代を取り巻く大いなるテーマのひとつだった。

 

 映画はその月面到達に携わった人々の仕事に密着したもので、子供でもある程度理解できる内容だった。上映が始まって数十分も経つと、僕は完全に映画の世界に没入していた。映画館にいるということを忘れて、喉の渇きも忘れて、自分も宇宙へ旅立ったのではないかと錯覚するくらい。吸い込まれそうになる。

 

 しかし子供の集中力というのは長くは続かないもので、僕は途中でふと我に返った。なんだか夢を見ているようだった。何気なく、隣の母を一瞥すると、母も食い入るように画面を見つめていた。それを見て、僕も再び画面に集中した。

 

 変な言い方かもしれないけど、このとき、僕と母は間違いなく、同じ時間を共有していた。この映画館に来るまでも、見終わってから帰る途中も、そしてそれ以外の普段の日々も、僕たちはろくに言葉を交わすことすらなかった。違う時間を生きていた。だけどこの映画を観ていた一時間ほどの間だけは、僕たちは同じ時間を共に過ごしていたのだ。

 

 僕は母親の顔を覚えていないし、名前も知らない。母も僕の顔などもうわからないと思う。母が自ら僕に付けてくれたであろう、このサカキという名前さえも、忘れてしまっているかもしれない。

 

 でも、このとき一緒に見た、地球を背に宇宙へと旅立つロケットの雄大な姿だけは、僕も、母も、一生忘れることはないだろう。

 


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