ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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 キクコはユキナリと同い年で、大学も同じだという。子供の頃からの付き合いで、いわゆる幼馴染という関係になる。ユキナリは十歳のとき、ポケモントレーナーになる道を選んだが、キクコはそのまま学業を続けた。昔から研究者志望だったらしい。

 

 そして、十五歳のとき、ユキナリがポケモントレーナーに飽きたという話を聞いたので、だったら一緒に大学を目指すのはどうかと持ち掛け、ユキナリも共に学問の道へと身を投じることになったのだそうだ。

 

「まさか、こんなことになるとは思ってもみなかったけど」

 

 キクコはコーヒーを飲みながら不満そうに言った。四人掛けのテーブルの向かいに僕が、その横にユキナリが座っている。

 

 時刻は朝七時。昨夜、ニビ博物館の前で会った僕たちは、その後、三人で簡単に博物館の内部を見学し、ホテルに戻った。僕は当然ホテルに泊まるお金なんてなく、ポケモンセンターの無料のドミトリーに泊まるつもりだったのだが、ユキナリがホテルを予約していたので、同じ部屋に泊まることになった。ベッドがシングルからダブルになるので、追加の料金を払わなくてはいけないのではと思ったが、この辺のホテルは一部屋を人数割りというシステムだったので、ふたりでも料金は同じだった。ニビとトキワ、地理的には近くても、細かいところに違いがあるようだ。これも旅の醍醐味というやつか(多分違う)。

 

 キクコも同じホテルに部屋を取っていた。なので、朝、こうして三人で朝食を迎えることになったのだ。

 

 万博も二日前だというのに、ホテルのレストランはとても空いていた。僕らの他に老夫婦が一組いる程度だ。こんなことで経営は大丈夫なのかと無駄な心配をしてしまう。しかし、今はそんなことより、ユキナリとキクコの話に興味があった。ふたりの大まかな関係は先ほど述べた通りだが、あれは昨夜ホテルに帰る途中に聞いた話で、僕はその頃には相当くたびれていたから、あまりちゃんと聞いていなかった。なので、この場で改めて、詳しく話してくれている。他に何か話があって会うことになっていたのだろうに、僕のためだけにわざわざ時間を割いて話をしてもらう、というのはちょっと申し訳ない気もした。

 

「こんなことって、どういうこと?」僕はキクコに尋ねた。

 

「あたしの研究が、こいつの下請けになっちゃったってこと」キクコが答える。ユキナリに対して恨みがましそうな視線を向けながら。

 

「下請けって、そんなことはないだろ」ユキナリは弁解する。「キクコの研究も、充分独自性があると俺は評価しているぞ。あれはお前にしかできない」

 

「ねえ、ふたりはどんな研究をしているの?」僕は思わず聞いた。それがわからないことには、何の話なんだかわかるはずもない。

 

 ふたりが簡単に説明してくれたところによると、ユキナリは大学院でポケモンのタイプ分類の研究をしているらしい。

 

「タイプ?」僕はユキナリに聞いた。

 

「そう、ポケモンにはそれぞれ、タイプというものがあるんだ。性質や属性と言い換えてもいい。例えばお前のニドランはどくタイプ。俺のリザードンはほのお・ひこうタイプ。他にもみずタイプとか、くさタイプとか、いろいろある」

 

 僕の知らないことだった。学校でも習った覚えがない。

 

「まあ学校で習うことなんていうのは、論文が発表された後、充分に検証されてから盛り込まれるものだからね。新しい指導項目だって、その筋の研究者の間では、何十年も前に理論として確立されていることがほとんどだし」キクコが補足する。

 

「教科書を作るような偉い連中ってのはたいてい頭がイシツブテだからな」ユキナリは皮肉っぽく言う。イシツブテというのは岩石のように固いポケモンだ。

 

「そう? 子供にものを教えるならそれくらい慎重になるのが当然だと思うけど」キクコは冷ややかに言った。どうも幼馴染という割には、いちいち突っかかっているようだ。まあ幼馴染というのはそういうものなのかもしれない。僕にはそういう相手がいないので、いまいちイメージが湧かないのだが。

 

「とにかく、タイプだ。俺はこのタイプ分類というものを学会で提唱したんだ」ユキナリは偉そうに言った。

 

 どうも話を聞く限り、ユキナリはその界隈ではかなりの有名人らしい。最初はまたユキナリが大袈裟に言っているだけかと思ったが、キクコも特に正面から否定しないので、大部分は真実なのだろう。

 

 ユキナリの話によると、彼は二十歳のとき(つまり今から三年前だ)、「携帯獣研究序説」という論文を発表したそうだ。そこで、今言ったポケモンのタイプに関する理論を提唱した。ポケモンにはタイプというものがあると仮定すると、今まで謎だった様々な現象が綺麗に説明できるという。これが当時は画期的な視点だったらしく、学会で大きなセンセーションが巻き起こった。しかも、それをわずか二十歳の学部生が書いた(ユキナリは当時まだ大学院に進学しておらず、ただの大学生だった)というのだから、最初はみんな懐疑的だった。信じられない、という声の方が大きかった。

 

 しかし、何人かの研究者がその理論を検証したところ、どうもこの論文の通りに考える方が自然で、この論文ひとつで、あらゆるポケモンの研究が、十年分くらい飛躍的に進歩するという予測まで立ったほどらしい。

 

 要するに、最強のポケモントレーナーだったユキナリは、学問の世界でも天才だったのだ。

 

「まあ、指導の先生が良かったというのも大きいわな、とちょっと謙遜もしてみたり」ユキナリはおどけた口調で言う。

 

「ニシノモリ先生だっけ? そりゃあ、この道では大家だもんね」とキクコ。「ていうか、あの論文も、実際はニシノモリ先生との連名だったんでしょ? なぜかあんたは自分ひとりの手柄みたいに言ってるけど」

 

 ユキナリはそんなキクコの言葉を無視して僕に話しかける。

 

「おい、お前もニシノモリ先生の名前くらいは聞いたことあるだろ?」

 

 ニシノモリ? いったい誰だ。先生の名前なんて、自分の学校の先生ですら、覚えているか危うい。

 

「まあ、学校の教科書に載ってるとしたら、一世の方でしょ。今は四世だったか。それでも、十歳の子供が知っているとは思えないけど」キクコが説明する。

 

「そりゃそうだな。俺も十歳のときはそんな名前なんて知らなかった」ユキナリは相変わらず適当な調子だ。

 

「ニシノモリ先生って?」僕はふたりに聞いた。これにはキクコが答えた。

 

「代々研究者の家系でね。ニシノモリ一世は、モンスターボールの技術を発見した人なの」

 

 モンスターボール。ポケモンを収納しておく、手のひらサイズのボール状の機械だ。上下に割れることで開く。ポケモンには、ニドランみたいな小さいポケモンもいれば、リザードンみたいに巨大なポケモンもいる。中には五メートルを超えるものもいるらしい。ポケモントレーナーが旅をする際、そんな大きなポケモンを連れて歩くのは、何かと不便が生じる。ポケモンセンターの玄関をくぐるのさえ一苦労だ。

 

 そんなとき役に立つのがモンスターボールである。どんな大きなポケモンも、自分のポケモンであれば、このモンスターボールに入れて収納することができる。持ち運びも簡単だ。つまり、ポケモンが小さくなり、軽くなるというわけだ。

 

 ポケモントレーナーなら日常的に使用している道具で、どこの町にもたいてい売っているお店がある。もちろん、僕も持っている。ニドランは小さいので、普段はあまりボールに入れずに外に出しているが、ポケモンセンターに預けるときなどは、きちんとボールに入れる。

 

 値段は一個三千円くらい。決して安くはないが、昔はもっと高かったらしい。そもそも今のように機械で量産化されるようになったのがここ十年くらいの話で、それまでは「ぼんぐり」という木の実のようなものからハンドメイドで作っていたそうだ。今でも専門のボール職人がいるらしい。いずれにせよ、これからは量産型のボールが主流になっていく、値段もどんどん安くなるだろう、とユキナリは予測しているようだ。いずれはうどん一杯より安くなるとまで言い切った。さすがにそれはないと思う。

 

「しかし、今となっちゃ当たり前のように使われているけど、生き物を小さく、軽くするなんて代物が普通に出回っているなんて、考えてみれば奇妙な話だと思わないか?」ユキナリが言った。

 

 確かにその通りだ。何の疑問も抱かずこれまで使ってきたが、生き物が勝手に縮んで手のひらサイズに収まるなんて、不思議である。

 

「この仕組みを解明したのがニシノモリ一世なんだ。あれは今から四十年くらい前だったかな。もちろん俺の生まれるずっと前だ。ポケモンがまだ発見されたばかりの頃。ニシノモリ博士は大学でオコリザルというポケモンの研究をしていた」ユキナリが言う。

 

「ポケモンにいろんな薬を投与する実験を行っていたんだが、博士も高齢だったそうで、あるとき、うっかりオーヴァドーズを起こしてしまった」

 

「オーヴァドーズ?」聞いたことのない単語だった。

 

「薬の量を間違えて、過剰に摂取してしまうこと」キクコが説明してくれた。

 

「普通の動物ならショック死してしまうくらいの量だったそうで、そのオコリザルも見る見るうちに衰弱していった。とにかく薬を排出するために、博士は慌てて胃を洗浄する機械を取りに行ったんだが、戻ってきたら研究室にはオコリザルの姿がなかった」

 

「逃げ出したってこと?」と言ってから、僕はさっきの話題を思い出した。「あ、違う。小さくなったのか」

 

「そう、察しがいいな。オコリザルは小さく縮んで、博士の老眼鏡のケースに潜り込んでいた。小さい体なら生命を維持するためのエネルギーが少なくて済むから、その浮いた分を免疫機能の方に回すことができるってわけだ」

 

「結局、そのオコリザルは……」

 

「助かったそうだ。何の治療もなしにな。元気になったら、元通りの大きさに戻った」

 

「じゃあ、モンスターボールは、そのときに……」

 

「そう、これがその後のモンスターボールの理論の始まりになった」

 

 つまり、この小さくなるという性質は、モンスターボールの機能ではなく、ポケモンが元々持っている能力らしい。モンスターボールは、あくまでそのポケモン本来の能力を引き出しやすくするための補助的な役割に過ぎない。そして、ポケモンには自ら小さくなる能力があるというが、逆に、この小さくなる能力を持っている(=モンスターボールに入ることのできる)生き物のことを、ポケモンと定義するという考え方もあるらしい。

 

 ちなみに、野生ポケモンを捕獲する際に弱らせる方が効果的というのも、弱ったポケモンがこの小さくなる能力を発揮しやすいからだそうだ。

 

「ポケモンに、”ちいさくなる”って技があるだろう?」ユキナリが聞いた。

 

「うん」さすがにこれは僕も知っていた。学校の授業で聞いたことがある。

 

「本来この縮む能力は、衰弱したときとか、ボールの補助とか、特定の条件下でのみ可能なんだが、一部にはこの能力をいつでも自由に使えるポケモンがいる。ピッピとか、ヒトデマンがそうだ。こいつらはその縮む力を技として使える。いずれも発見例の少ないポケモンだから、まだちゃんとしたことはわかってないけどな」

 

「へえ……」思わず感心してしまった。学校で習ったことと、身近な道具の関係が結びついた瞬間だった。それと同時に、ユキナリの知識量にも驚いた。やっぱり彼は本物なのだ。

 

「ユキナリは、何でも知っているんだね」

 

「まあな」ユキナリは自信満々に言った。本当に、この男は謙遜とか、慎みと言ったものがない。

 

「でも、知っているということはそれほど重要じゃない。大事なのは、何がわからないのかを、見極める力の方だ」ユキナリは急に真剣な顔つきになった。昨日何度か見た、あの顔だ。

 

「まーた、ご高説が始まった」キクコが白けた顔で茶々を入れる。

 

「はいはい。やめておきますよ」ユキナリは両手を軽く挙げて、降参のポーズを取った。

 

「まったく、いつの間にそんな学者風吹かせるようになっちゃったのかねえ、この男は。昔は何にも考えてないような能天気な顔してたくせに」

 

「悪かったな。今は深い思索に耽った渋い顔になってしまって」さすがのユキナリも顔色が曇り出した。

 

「ね、ねえ、それで、キクコはどんな研究してるの?」何だか険悪なムードになってしまいそうなので、僕は話題を変えることにした。しかし、キクコの表情を見るに、むしろ火に油を注いでしまったようだ。

 

「だから言ったでしょ。こいつの下請けって」キクコは声を荒らげながら、ユキナリを指さして言う。「こいつ、タイプ分類なんて御大層な論文を出したはいいけど、実際はざっくりとアウトラインをまとめただけで、細かい分析は全部『今後の発展に期待したい』で丸投げ。結局、他の研究者たちが総出で確認作業に回る羽目になったわけよ。あたしも含めてね」

 

 よくわからないが、何となくユキナリらしい仕事だと感じた。

 

「ま、優れた研究ってのは最初の一パーセントが肝心なのだ。それさえきっちりできてりゃ、あとの九十九パーセントは肉体労働みたいなもんよ」ユキナリは悪びれる様子などまったくなく、軽く言った。とにかく図太い人なんだということだけはよくわかる。

 

「はいはい。で、あたしはそのいくつかのタイプのひとつ、ゴーストタイプの生態について研究してるの」ユキナリの挑発的な言葉を受け流し、キクコは僕に話しかけてくる。

 

「ゴーストタイプ?」これもタイプのひとつだろうか。

 

「あんまり馴染みがないかもね。見せてあげようか? もう食事はいい?」

 

 そういえば食事中だった。途中から話に夢中で、全然箸は進んでいなかったけれど。

 

 キクコがポケモンを見せてくれるというので、朝食は終わりにして、僕たち三人はホテルの外に出た。すぐそばに小さい公園がある。

 

「ここなら大丈夫だね。出ておいで、ゴースト」そう言って、キクコはポケットからモンスターボールを取り出し、開けた。

 

 出てきたのは、やはり見たことのないポケモンだった。体は暗い紫色で、大きさはだいたいユキナリの身長と同じくらい。だが、とにかく見た目が奇妙だった。

 

 まず、宙に浮いている。でもどう見ても鳥ではない。むしろ風船のようだと言った方がいいだろう。そういう浮き方だ。そして、体があって、その中心に顔がある。というか、顔しかない。首から下がない。足もないし、両手は体から分離して、これも宙に浮いている。したがって、腕もない。

 

「こんなポケモンもいるんだ……」僕は驚きを隠せなかった。

 

「ちょっと、手、突っ込んでごらん」そう言ってキクコはおもむろに僕の右腕を掴み、目の前のポケモンに向けてパンチさせた。

 

「え、ちょ……」

 

 しかし、どれだけ腕を伸ばしても、殴った感触はまったくなかった。そのポケモンの体をすり抜けたのだ。これは風船というよりは、ガスのような気体だと言った方が正確な気がする。

 

「これがゴーストというポケモンさ」

 

「ゴースト……、ポケモン? ゴーストタイプ?」名前とタイプがごっちゃになって混乱した。

 

「ああ、そりゃややこしいよね。全部こいつのせいだから」キクコはそう言って、そばで見ていたユキナリを指さした。この人は何かというとユキナリを指さすな、と思った。

 

「ゴーストって名前のポケモンが既に確認されているのに、何でゴーストタイプなんて分類名を付けちゃうのかねえ? 紛らわしいったらありゃしないでしょ」キクコはご立腹だ。「おかげで、うちの研究室でもしょっちゅうミスが起きるんだから。最近は『ポケモンのゴースト』、『タイプのゴースト』って言い分けるようにしてるけど、いちいちめんどくさいし」

 

「ああ、すまんすまん。あれは、完全に忘れてた。ゴーストってポケモンの存在を。だってなあ、影薄いし」

 

 最後の言葉はジョークのつもりだろうか。僕は思わずゴーストの足元を見た(足はないけど)。うっすらと影のようなものはあった。どうやら生き物ではあるようだ。

 

「これでも一応あたしのパートナーポケモンなんですけど。知らなかったとは言わせないからね。幼馴染さん」

 

「悪かったよ。でも、俺だけのせいじゃないぞ。学会の査読委員会のやつらだって、だーれも気づかなかった。本番の学会発表のときも質問は出なかったし、そのあとの、雑誌投稿の査読もそうだ。で、実際に掲載されて初めて、ようやく読者から指摘されたんだ。たった一件だけな。それがお前だ。つまり、ほとんどの人間は、そんなことどうでもいいと思ってるってことだよ」

 

 最初に悪かったよ、と言ったくせに随分と言い訳が長い。しかも、なんかむしろキクコが悪いみたいに聞こえるのは気のせいだろうか。

 

「多分、これからも訂正されることはないだろうな。どちらかというと、そのポケモンの名前が変わる方が、まだありえる」

 

「絶対変えさせません。この子がゴーストじゃなくなるなんて、そんなの許さないから」キクコはやけに名前にこだわる。いったい誰を許さないのだろう。

 

「それよりも、まだいろいろ調べたいことがあるんだよなあ。とりあえず十二種類のタイプに分類したけど、まだこの枠組みに当てはまらないポケモンだっているだろうし、既存のポケモンのタイプだって、完全に判明したわけじゃない。最近だって、オニスズメにはひこうタイプ以外にノーマルタイプの性質もあるとわかったばかりなんだよ」ユキナリは露骨に話をはぐらかそうとしている。

 

「それなら、ゴーストタイプの専門家として、ひとつ最新の研究結果を教えてあげる。ゴースト、……いいえ、『ポケモンのゴースト』は、ゴーストタイプの他に、どくタイプも併せ持っていることが判明しました。どう、凄いでしょう? あたしが発見したんだから。まだ論文にもなっていないホットな情報よ」

 

 キクコが自信満々に言う。どれくらい凄いのか僕にはよくわからなかったが、ユキナリの出鼻を挫けると思ったんだろうから、かなり凄いことなんだろう。

 

「あっそ。そりゃあホントなら凄い発見だが、まあそういうのはちゃんと査読を通して雑誌に載ってからじゃないとな」ユキナリは意外にもあっけない反応だ。「どんな偉大な研究も、世の中に発表して検証されるまではただの空論だ。もっとも、さっさと論文にしてくれれば、この俺が直々に査読してやらんこともないけどな」

 

「ほんっと、口の減らないやつ……」キクコは悔しそうに言う。

 

 確かに、頭に来る発言だろう。でも、僕はユキナリの最初の反応を聞き逃さなかった。「ホントなら凄い発見だ」と、ユキナリは確かに言った。つまり、きちんと論文が審査され、充分に理論が証明された後でなら、その功績は大いに認めるという意味だろう。そういう意味ではユキナリの誠実さが表れていると言えなくもない。ちょっと好意的過ぎる解釈な気もするけど……。キクコは気付いているだろうか?

 

「そうそう、俺もお前に伝えることがあったんだ。ゴーストの進化の可能性についてだ」ユキナリは思い出したように言った。「ゴーストには更なる進化の形態があるんだってよ」

 

「それ、ホント?」キクコが疑わしげに聞き返す。知らなかったようだ。

 

「進化は俺の専門じゃないから、何とも言えないけどな。ドクターのナナカマド先輩が最近発見したらしい」

 

「ナナカマドって、あのシンオウ地方からこっちの博士課程に編入してきたっていう?」

 

「ああ。先輩が言うには、ゴーストの進化は所有者の切り替えが関係しているそうだ。つまり、トレーナーが一度手放して、別のトレーナーに所有権を移す必要があるらしい。詳しい原理はまだよくわからんが……」

 

「それ、論文になってるの?」キクコが質問する。さっきのユキナリの発言から、慎重になっているようだ。

 

「多分、来月の学会で発表されると思う。もう査読も通ったみたいだ」ユキナリは答える。「で、だ。お前のゴースト、俺にくれないか?」

 

「は?」キクコは戸惑った様子で声を漏らした。

 

「だって、所有者が変われば進化するっていうんだろう? だったら、お前のゴーストが俺の手に渡れば、進化するってことじゃないか。研究者ならその目で実際に確かめてみるのが筋ってもんだろ」

 

「お断りします」キクコは即答した。「誰があんたなんかに、あたしの大事なゴーストを……。絶対に嫌だからね。あんたのものになってまで進化させるくらいなら、一生ゴーストのままでいた方が遥かにマシ」

 

 キクコの目が据わっている。本気の目だ。こんな怒り心頭の相手を前にしたら、僕なら即、土下座して謝るところだろう。

 

「おーこわ。そこまで持ち主に愛されるなんて、ゴーストも幸せもんだね。妬けるわまったく」しかしユキナリは相変わらずの調子で、キクコを茶化した。

 

「うっさい! あんたなんかにゴーストの気持ちがわかるもんか! どっか行け!」

 

 とうとうキクコは爆発した。傍にあった石を掴んで、ユキナリに投げつけようとした。

 

「あーもう、こんなやつほっといて行こうぜ」

 

 さすがにこれ以上続けると危ないと悟ったのか、ユキナリは僕の腕を引っ張って公園を離れ、ホテルのロビーに戻った。

 

「はあ、なんなんだあいつは」

 

 この神経の太さには恐れ入る。

 

「もういい。あいつのことはほっとこう。そうだ、昨日は夜も遅かったからちゃんと見られなかったけど、今日はじっくりとパヴィリオンひとつひとつを見学できるぞ。万博の当日もそりゃあ楽しいだろうけど、準備中の展示を見るのもまた乙なもんだ。俺の招待状さえあれば、どんな舞台裏も覗き放題だしな。さあ、どこに行きたい?」

 

 ロビーで一息つきながら、ユキナリは僕に万博のパンフレットを渡してくれた。そして距離を詰めて、小声で囁いた。

 

「あんまり長くいると、あいつが戻ってくるかもしれないからな。さっさと決めてくれ」

 

 誰のせいだ、と呆れた。しかし、万博の舞台裏を見られるというのは、楽しそうでちょっと興味があった。

 

 僕も今のキクコには会いたくないので、早く行き先を決めないといけない。急いでパンフレットに目を走らせた。新種のポケモンのお披露目会、新商品のモンスターボール、他の地方のポケモン文化の紹介など、どれも魅力的な展示ばかりだったが、その中に、ひときわ僕の関心を引くものがあった。

 

「ねえ、ユキナリ。これ、ポケモンと関係ないんだけど、見に行ってもいいかな……?」

 

 そう言って僕はパンフレットの一ページを指さした。そう、あくまでポケモン関係がメインではあるが、万博にはポケモン以外の展示もあるのだ。

 

「ん? ああ、確かに、面白そうだな。よし、まずはこれ、見に行くか」

 

 ユキナリは快諾してくれた。

 

「しかしちょっと意外だな。お前、宇宙になんか興味あったのか」

 

 僕が指さしたのは、宇宙開発関係の展示コーナーだった。

 


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