ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star-   作:スイカバー

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 ミュウツーは確かに完成していた。フジ先生の立てた理論の通り、それは完璧な形で再現されていた。

 

 だがしかし、それは完璧すぎた。そして完璧すぎたが故に、人間の扱える範疇を軽く超えていた。人間の手のひらに収まるような存在ではなかった。

 

 ミュウツーはフジ先生の意思に逆らって暴走を始めたのだ。

 

 もっとも、この件は世間には知られることはなかった。それを証明する人間が誰もいなかったからだ。ミュウツーの存在は俺とフジ先生しか知らない。俺はその場にいなかった。そてフジ先生も今、意識不明の重体で入院している。先生の奥さんはそのときちょうど買い物に出かけており、帰ったら屋敷が燃えていて、中に倒れている先生を発見したのだという。

 

 だからここに書き記すことも、真相は定かではない。すべてはフジ先生の研究を知っている俺だからこそできる推測であって、真実を保証するものではまったくないということを断っておきたい。

 

 ミュウツーの持つ潜在能力は、通常のポケモンを遥かに超えるものとして設計していた。ミュウツーを作る目的は、何度も書いてきたように、この世に現れたポケモンすべてを、元いたパラレルワールドへと送り返すためである。ポケモンが世界を移動する際に放つ念波と正反対の波長を持った念波をミュウツーから放出させる。そうすることで、逆方向への転移が可能になるという理論だ。

 

 もっとも、同じ量の念波を放出したのでは、ただ念波同士が相殺されるだけで、何も起きない。ポケモンを送り返すには、ミュウツー側の念波が他のポケモンの念波を上回っている必要がある。フジ先生の試算では、約二倍の出力が必要とのことだった。しかし、単に二倍の念波出力性能を備えさせるだけでは、今度は身体機能が負荷に耐えられない。強い念波を放出するには、それ相応の強さを持った肉体も不可欠なのだという。

 

 また、単純に二倍の強さにすればいいのかというとそうでもない。ポケモンは今この世界にいったい何匹いるだろうか。とある研究者の観測では、このカントー地方だけで優に五十万匹を超えるポケモンが生息しているらしい。世界すべてを含めるとどれほどになるのか、想像もつかない。

 

 この世界のポケモンすべてを送り返す。そのために必要なミュウツーの数は、当然一体ではまったく足りない。一体がフル稼働して念波を放出し続けたとしても、その寿命の範囲内で送り返せるポケモンはせいぜい千匹が限界だろう、とフジ先生は言った。一体で千匹では、カントー地方の五十万匹を送り返すだけでも、五百体が必要になる計算だ。そしてその作業の間にも、ポケモンは絶えず次々とやってくる。ましてや世界中となると……。

 

 ミュウツーに生殖機能を付けて倍々に増やしていくのはどうかと提案したこともあった。だが、人工的に生殖機能を持った生物を作ることは、現代の技術力ではまだ相当難しい。シルフで作ったポリゴンですら、比較的シンプルな遺伝子配列をしているが、それでも非常に限られた条件下でしか生殖は行えないらしい。一方ミュウツーは、念波の性質を始め、様々な点において、普通のポケモンとは異なる非常に複雑な構造をしている。生殖機能の搭載は不可能だった。

 

 ではいったいどうすればいいのか。答えは簡単だった。ミュウツーに持たせる念波の性能を、二倍でなくもっと莫大な量にすればいいのだ。単純計算で、四倍の念波を放出できるようになれば、必要なミュウツーの数は半分で済む。その分、一体を作るのにかかるコストは増大するが、それでも何千体も作るよりはまだ現実的らしい。

 

 フジ先生は、千倍の出力が理想だと言った。これなら一体で約五百体分の性能を発揮する。これが現実的に生産可能で、なおかつすべてのポケモンを送り返せる出力になるというギリギリのラインだった。

 

 そして長年の研究の結果、ついにそのミュウツーが誕生した。千倍の念波出力機能を持たせただけあって、身体能力も普通のポケモンを軽く凌駕するものとなった。もはや戦うために生まれた戦闘マシンと言ってもいいくらいだろう。恐らく、最強のポケモントレーナーの手持ちポケモンが束になっても敵わない。もはや同じポケモンという土俵で語っていい存在ではなかった。これをいくらか量産すれば、国ひとつを軽く滅ぼせるくらいの軍事力になったことと思われる。

 

 しかし、ミュウツーの利用はあくまでこの世界の平和のため。ポケモンを送り返すという、人類の崇高なる使命のため。このミュウツーの力で、人類は元の平和な世界を取り戻すのだ。

 

 だが、そんな俺とフジ先生の願いは、ミュウツーに届くことはなかった。

 

 それどころか、それはまったく予想外の形でフジ先生に牙を剥くことになったのだ。

 

 なぜミュウツーはフジ先生に従わず、暴走したのか。原因はいくつか考えられるが、フジ先生の理論、もしくは製作段階の過程に何らかのミスがあったと考えるのが自然だろう。

 

 しかし、今までにも何度も試作を重ねてきたが、暴走するようなことは一度もなかった。そもそも暴走するほど念波出力が有り余っているのであれば、身体の方がそれに耐え切れず、自壊してしまうはずだ。

 

 いや、実際にミュウツーは自壊してしまって、もうこの世にはいないのか? 最初はその可能性も考えた。しかし、その後の調査でミュウツーはまだ生きていることがわかった。フジ先生の屋敷で爆発事故(ミュウツーが引き起こしたものだ)が起きたのとほぼ同時刻、グレンの天文台で、謎の飛行物体が高速でカントー本土へと飛んでいく姿が確認されたのだ。見せてもらった映像は不鮮明だったが、その紫色の軌道は間違いなくミュウツーそのものだった。

 

 ではいったいどうしてミュウツーはフジ先生に従わなかったのか。もし念波と身体能力のバランスが計算通りになっていたのなら、ミュウツーの神経回路は正常に動いているはずで、それならフジ先生のインプット通りに働くはずなのだ。

 

 俺はグレンの病院で意識不明のフジ先生を見舞ったあと、先生の住んでいた屋敷へと足を運んだ。警察が捜査をしていたようだが、研究者が実験中に引き起こした単なる事故ということで、特に事件性もないと判断したのか、早々に引き上げてしまった。今は屋敷の周りに立ち入り禁止のロープが張られているだけで、誰もいない。

 

 俺はロープをくぐって中に入る。屋敷はなるほど、確かに南西の一角の壁が粉々に砕かれている。だが、俺は予想より小規模だなと思った。これがもしミュウツーの仕業なら、そしてミュウツーのパワーが理論通りなら、この屋敷どころか、周囲の山ひとつを巻き込むくらいの威力になるはずだ。まさかミュウツーは手加減したのか? そんな理性があるとは思えないが……。

 

 破壊された壁をまたいで、屋敷の中に入る。一階の書斎と思わしき部屋を見つけた。ここは爆発に巻き込まれなかったようだ。部屋を見渡すと、机の上に一枚のメモが残されている。ノートの一ページを破いたものだろう。日付が書かれているので、日記だろうか。そこにはこう書かれていた。

 

「七月五日 ここは南アフリカのギアナ。ジャングルの奥地で新種のポケモンを発見」

 

 新種のポケモンを発見……。多分、他の者はこの文章の内容を検討するだけで満足してしまうだろう。しかし俺は知っていた。これはフジ先生が書いたダミーの日記であることを。

 

 フジ先生は、スパイによって研究の内容が流出してしまうことを何よりも恐れていた。ミュウツー計画が明るみになってしまえば、何も知らない世間は必ず反発するに違いない。だからスパイに知られてもいいように、ダミーの報告書や日記を屋敷のあちこちに忍ばせているのだと以前言っていた。

 他の部屋でもまた一枚、ダミーを見つけた。

 

「二月六日 ミュウが子供を産む。生まれたばかりのジュニアを『ミュウツー』と呼ぶ事に」

 

 これも嘘もいいところだ。ミュウツーは俺たちがこの手で一から作り上げたのだ。ミュウの遺伝子を元にしているという意味では、ミュウの子供だとも言えなくはないが。まったくの嘘ではなく、多少は真実も織り交ぜておくという辺り、フジ先生も嘘というものを心得ている。

 

 俺は地下に降りて、メインの研究室へと向かう。そこでミュウツーは誕生したはずだ。そしてミュウツー研究の最も重要な資料も、恐らくそこに残されている。俺は研究室に入り、フジ先生のデスクに近づいた。デスクの上にも、メモが一枚置かれている。これもダミーだろうか。それにしては、やけに走った文字で読みにくい。

 

「九月一日 ポケモン『ミュウツー』は強すぎる。だめだ、私の手には負えない!」

 

 九月一日……。事故があったのは九月一日だ。ということは、これはダミーではなく、本当のことなのか? 私の手には負えない……。ミュウツーはいったい何をしたのだろう。

 

 ふと見ると、デスクの横に小さな金庫があった。フジ先生は大事な資料はこの金庫にしまっていると言っていた。そして俺は以前先生から聞いていたダイアルの暗証番号を合わせ、金庫を開ける。その中には、俺の知らなかった、ミュウツー研究に関する最新の情報が書かれていた。

 

 簡単に言うと、それはミュウツーに自我機能を搭載するという計画だった。その機能によって、ミュウツーはインプットされた命令に従うだけでなく、自ら思考し、物事を判断できる能力が備わるのだという。

 

 俺はどうしてそんな余計な機能を、と理解に苦しんだ。ただ命令通りに戦うだけの生物兵器で良かったではないか。そんな不確定要素が混じれば、そりゃあ不慮の事態だって起きてもおかしくないだろう。

 

 そうまでして、フジ先生は完全なる生物を作り上げたかったのか。ただ人間に従うだけでなく、自分で考え、人間に頼らずとも自立していける生物を。

 

 それとも、フジ先生は研究を終わらせたくなかったのか。研究をあえて完成させないで、いつまでも研究を続ける。夢を追い求め続ける。そんな日々を望んでいたのか。

 

 考えはいくらでも巡るが、しかしやはり真実には辿り着けない。周りに残された日記はダミーばかりで、フジ先生本人の真意を書いたものはひとつもなかった。

 

 フジ先生の思考も、そして自我を持ったというミュウツーの思考も、俺には理解できなかった。ただ、フジ先生の実験は失敗し、そしてミュウツーはどこかへと消え去った。目の前にはただその事実があるのみだ。

 

 一週間ほどして、フジ先生は意識を回復した。だがその体は、真冬の雪山で遭難したかのように、ただただ震えており、顔も蒼ざめている。そして朝から晩までずっと、何もない空中に向かって「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し呟くばかりで、まともに会話することすらできなかった。見ているこっちまで気がおかしくなりそうだった。

 

 ほどなくして、先生はカントー本土の精神病院へと移送された。


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