ポケモンがいる時間 -A hand reaching your neighbor star- 作:スイカバー
2.
ユキナリの話によると、ニビシティではもうすぐ、万博が開かれるとのことだった。僕はあまり興味がないので知らなかったのだが、世間は今、この話題でかなり賑わっているらしい。
ニビ万国博覧会。他の地方や、国の出し物が一堂に会する。ユキナリが用事があるというくらいだから、出し物はもちろん、ポケモンに関するものがメインだ。学術的な発見から、企業の新商品のプロモートまで、展示の内容は多岐にわたる。
そしてユキナリは、その万博のパヴィリオン(展示会)のひとつに招待されているという。そのパヴィリオンの内容が、ユキナリの大学院での研究テーマに近いものらしく、開催中に一度、顔を出してもらって、彼の意見を伺いたいということだった。学問の世界の事情はよくわからないが、二十そこそこの学生が直々に招待されるというのは、かなり凄いことなのではないだろうか。ユキナリはいったい何者なんだろう。
とにかく、この「ニビ万博」の開催まで、つまり招待された日時までは、まだ三日ほどあるのだが、準備の様子を見るために、ユキナリは早めに現地入りしたのだ。そして、ユキナリの他にもうひとり、彼の大学院の仲間が招待されている。その人と今夜、ここで合流する予定らしい。
「会場はニビ博物館ってところだ。まああそこは万博を開くにはちょっと手狭だから、その周り一帯も万博用に工事してるみたいだな」ユキナリがパンフレットを見ながら言う。
「工事?」
僕たちは定食屋を出た後、ポケモンセンターに寄ってニドランを受け取った。そして今は、待ち合わせ場所のニビ博物館に向かっているところだ。
「多分、元々あった民家とかに立ち退いてもらって、会場を広げるんだろう」
「へえ、そういうこともするんだ」
「テレビじゃカントー地方全体が万博を歓迎しています、みたいなムードで盛り上げようとしてるけど、実際、勝手な都合で立ち退かされた人たちにとっちゃ、とても歓迎なんて気分にはならんよなあ」
「いろいろと、裏側があるんだね」
「大人の世界にはな」ユキナリはニヤリと笑って言った。
「大人……かあ」僕は空を見ながら呟いた。もうすっかり日が暮れている。「ねえ、ユキナリは、大人なの?」そしてふとユキナリの方を向いて尋ねた。
またしても、口に出してから失礼だったかもしれないと気付いた。誤解しないでほしいが、僕はいつもはこんなずけずけと何でも聞いてしまう人間ではない。ただ、ユキナリは何を聞いても怒らずに答えてくれそうな、そんなおおらかな雰囲気を纏っているから、ついつい口が滑ってしまうだけなのだ。
「大人ねえ。それは、答えられない質問だな」ユキナリは即答した。今までになく真剣な表情だ。
「なぜなら、自分は大人だと口に出した瞬間、そいつは大人じゃなくなってしまうからだ」
僕は歩を止めた。その言葉の意味を理解するのに十秒ほど要した。
「もう一度言おうか?」ユキナリは言う。
「いや、いい」
「言ってること、わかるか?」
僕には難しいと思ったのだろう。ユキナリは念を押すように確認してくる。それを言うなら、さっきの定食屋での話の方がずっと難しかったのだが、あのときはこんなこと言わなかった。恐らく、あのときの話は僕が理解できなくても構わなかったが、今の言葉はきちんとわかるように伝えたい、ということだと思った。
「うん、わかるよ」僕は答えた。そうだ、わかるさ。多分。七割くらいは。
「もっと噛み砕いて言えば、大人は黙って背中で語る、ってところかね。あれこれ説明するもんじゃないんだ」
「説明、してるじゃん。今、あれこれ」
「あ、そうだな」ユキナリは頭を掻いた。そしてあっけらかんとして笑った。「俺も、まだまだ子供ってことだ」
「そんなことないと思うよ」僕はフォローした。いや、これは本心だった。ユキナリは間違いなく大人だ。僕の見る限りでは。
「ちなみに、これと同じことが友達という言葉にも言える」ユキナリはまた真剣な顔になった。
「友達?」
「友達も、言葉に出して確認するべきじゃない。例えば、僕たち友達だよね、なんていうのは最高に下品な台詞だと、俺は思う」
「そういうものなのかな……」これに関しては簡単には承服しかねる。おたがいに友達だと言い合えるなんて、素敵な関係じゃないのか。
「なあ、お前にとって、ポケモンって何だ?」
ユキナリはいきなり話題を変えた。さっきから真面目な調子なのだが、どうも急に話が飛躍するのでついていくのが大変だ。
「何? 急に……」
僕はちょっと戸惑った。いや、僕には話題を変えたように感じられたけど、彼にとっては同じ話題の延長線なのかもしれない、と思った。
「お前は、ポケモンが好きか?」
「まあ、そりゃあ、ポケモントレーナーになったくらいだし、好きな方だと思うけど……」とは言いつつ、あまり自信はなかった。僕は、ポケモンが好きなのか?
「そうか。じゃあ次だ。ポケモンを、友達だと思うか?」
これは、さっきよりも難しい質問だった。そんなこと、考えたこともない。でも、ポケモンが好きだというなら、友達だと答えるべきなんじゃないか。
「いや……、よくわからない」でも、正直な答えはこんなところだった。
「難しいだろ?」ユキナリは僕の答えを予想していたようだ。
「じゃあ、別の質問をしよう。お前、ニドランは好きか? その、自分のニドランだ」
「ニドラン? そりゃあ、好きだよ。最初のパートナーなんだし」これは簡単に答えられた。ニドランとは付き合いは短いけど、愛着はある。
「だろうな。じゃあやっぱりこの質問だ。ニドランは、お前にとって友達か?」
「…………」そう来たか。これは難しい。やっぱりそんなことは考えたこともなかった。友達ではないと思う。しかし、友達じゃないかと言われれば、いややはり友達のような気もする。少なくとも、ポケモンそのものに比べれば、ニドランはまだ友達と呼ぶのに相応しい気がする。素直に友達だと答えるべきか。
「あまりすぐに答えを出さない方がいい」ユキナリは僕の気持ちを見透かしたかのように、そう言った。「何でもかんでも簡単に友達という言葉で片付けてしまうと、本質を見失いかねないからな」
「本質?」
「ときどき、本質よりも言葉の方を求めてしまうやつがいるんだよ、世の中には」
「本質より、言葉……?」
「ああ」
そう言うだけで、ユキナリはさっきみたいに、念押しの確認をしなかった。これは、僕には理解できなくてもいいことだという意味だろうか。いや、逆か? これくらい、僕には理解できて当然だと、ユキナリは思っているんだろうか。
「ニドランを、大切にしてやれよ」数秒の沈黙があって、ユキナリは再び口を開いた。
「え?」
「あれは良いポケモンだ。きっと強くなる。俺が今でもトレーナーだったら、この手で育ててやりたいくらいだが、まあ今はお前がトレーナーだからな。責任持って、面倒見ろよ」
「う、うん……」急に褒められたので戸惑った。いや、自分自身が褒められたわけではないのだが、それでも自分のことのように嬉しかった。
「とにかくがむしゃらに進め。そして、充分に強くなったと思ったとき、ニドランが自分にとって、友達なのか、なんなのか、じっくり考えてみるといい」
「えっと、ユキナリは、自分のポケモンに、つまりリザードンとかオニスズメに対して、そういうこと考えたの?」僕は頭の中でユキナリの言葉を咀嚼しながら、一方で頭を回転させ、質問した。
「当たり前だ。だからこうしてアドヴァイスしている。まあ余計なお世話かもしれんが」
「じゃあ、ユキナリはどう考えたの?」
「それを言っちゃあおしまいよ。それは俺が考えた、俺だけの答えだ。教えないさ。それに、下手に話して、お前に変な先入観を与えたらいけない。お前の答えは、お前が自分で見つけるんだ」
それもそうだ、と僕は思った。あまり人に頼りすぎるのは良くない。ユキナリはどうも話好きなようだが、自分の考えをあれこれ人に押し付けるタイプではないようだ。むしろ、ヒントを示す程度で、完全には理解されなくても、それでいいとさえ思っているように感じられる。僕には何となく、そういう距離感が心地良かった。
「お、見えてきたぞ。あれがニビ博物館だ」ユキナリが前方を指さして言った。
確かに、大きな建物が見える。レンガ造りで、歴史を感じさせる佇まいだ。そしてその博物館を取り囲むようにして、周りに建物がいくつか並んでいる。博物館に比べるとどれも高さはやや低いが、それらは明らかに新しく作られたばかりのものだと、一目見てすぐにわかる。これが万博用に急遽作られたというパヴィリオンだろう。開催三日前ということもあって、夜遅くでも作業している人がぽつぽつと見られる。
僕とユキナリはパヴィリオンの前の、会場の入口で受付をした。まだ開催はされていないので、関係者以外は入ることができない。しかし、ユキナリは関係者だ。送られてきた招待状を受付の係員に見せる。招待状には同伴者は三名まで可能と書かれていたので、僕も問題なく入れた。期間中は何度でも入れるらしい。
受付を済ませた後、それらの新しいパヴィリオンのそばを通り抜け、中央の博物館の入口へと向かった。歩いていると、入口の前に二十段ほどの階段が見えてきた。それを昇れば、そこが待ち合わせ場所だ。
「遅い、十五分も遅刻だよ」
入口まであと数メートルというところで、前方から大きな声が聞こえてきた。周りはいくつかのライトで照らされているのだが、声の主のいる場所はちょうどライトの死角になっていて、姿がよく見えない。しかし、少なくとも女性の声だ。
「すまんすまん。こいつと話しながら歩いていたら、遅くなっちまった」ユキナリは謝りながら、入口への階段を昇る。僕もその後ろを歩く。
「まったくあんたは相変わらずなんだから……。ん? その子はどうしたの?」女性は僕の姿に気付いたようだ。
「こいつか? こいつはついさっきトキワの森で知り合ったトレーナーだ。まだちっこいけど、将来有望だぞ」
「へえ。あ、君、こいつの言うことあんまり真に受けないでね。将来有望とか言ってるけど、絶対適当だから。口ばっかり達者なの」女性は呆れたように言う。いや、ユキナリがお世辞を言ってるのはわかるけど、それを言われた本人の前で否定するのはどうなんだろう。
「まったく、変わらないなお前も」ユキナリは軽く受け流した。そして僕の方を向いて言う。「こいつがさっき言ってたキクコだ。こいつがいなけりゃ、俺もこんな身分になることはなかったかもな」
「それ、どういう意味?」
僕は階段を昇り終え、その女性の姿を改めて見据える。年はユキナリと同じくらい。女性にしてはやや長身で、ユキナリと比べてもあまり変わらない。鼻が高く、長い黒髪に、全体的に細めの体型。服装は灰色のスーツとスカート、そしてユキナリと同じく、白衣を着ていた。
「よろしくね」そう言って、キクコは僕に握手を求めてきた。
笑ってはいるが、怜悧な目つきがどこか冷たさを湛えていた。